鈴ヶ岳   1174.7m        大日山     1368m                    
    

 
  2010.08.21(土)   


   晴れ       パーティー       大杉登山口より       行動時間7H49M


@登山口7:06→(40M)→A出作り小屋7:46〜58→(94M)→B鈴ヶ岳9:32〜10:05→(13M)→Cカタクリ小屋10:18〜20→(40M)→D大日山11:00〜16→(28M)→Eカタクリ小屋帰り11:44〜46→(21M)→F鈴ヶ岳12:07〜13:24→(45M)→G出作り小屋帰り14:09〜28→(27M)→H登山口14:55


boukennno.jpg  tozanguchi.jpg  hashi.jpg  nishida.jpg 
登山口手前の「冒険のとりで」最後のトイレ場所。 @登山口の様子。脇に流れがあり重宝。 木橋もしっかりあり。 杉の樹林帯を行く。
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A出作り小屋到着。 A小屋内部の様子。格子戸がいい雰囲気を出している。 A休憩用ベンチも設置してあり・・・。 A周辺のミズバショウはイノシシに踏まれたり掘り返されたり・・・。
kyuuto.jpg  nobori.jpg  hidari.jpg  suzugatake.jpg 
ブナ尾根の急登。 秋にはこれらが色づき綺麗だろう。 樹林帯を抜け、正面左の高みが鈴ヶ岳。 B鈴ヶ岳到着。暑い日であり、疲労度も強く、開けた展望に一同感嘆。
santouten.jpg  kabuto.jpg  hakusangawa.jpg  dainichigawa.jpg 
B三等三角点 B兜山側。 B谷峠側 B大日山への進路。
arimasu.jpg  beer.jpg  kakakurikoya.jpg  katakurinaibu.jpg 
今日も「ビールあります」 プレミアムな山行には、プレミアムモルツ。中身はシャーベット状で至極冷たい。 Cカタクリ小屋 Cカタクリ小屋内部。
dainichi.jpg  dainichikoya.jpg  echizenkabuto.jpg  dainichihyoushiki.jpg 
D大日山 D大日山から見る大日小屋。 D越前甲側。 D北陸の雄「山中山の会」の標識。
douteiban.jpg  bunanoone.jpg  mizubakakouten.jpg  katakurrikaeri.jpg 
D同定盤 見事なまでのブナの尾根道。 水場への下降点。どのくらい下ればいいのか? Eカタクリ小屋帰り。
hanadateno.jpg  dainichigawa1.jpg  suzugatakekaeri.jpg  suika.jpg 
花立の岩  先ほど山頂に居た、大日山を振り返る。  F鈴ヶ岳再び  F皆でスイカを・・・冷たく、甘く、気分はカブトムシ。
one.jpg  dedukurikaeri.jpg  mizuba.jpg  syoiko.jpg 
ブナ尾根下り。  G出作り小屋帰り。  G出作り小屋の水場。 G西出さんの背負子。
nishidesanto.jpg  hashikaeri.jpg  tozannguchini.jpg  syuugou.jpg 
G西出さん(右)と語らっている面々。 帰りの様子。 H登山口到着。 Hにこやかに集合写真。


 
 日々国土地理院の地形図を眺めているのが私。ふと気づくと小松エリアに「鈴ヶ岳」が新規に掲載されていた。ただ、言うほどに頻繁に見ているわけではないのだが、石川県全山を目指す私としては、時折見ては未踏座のチェックをしているのであった。さらにさらに、見ると言っても昨今はWEB上で見れてしまうので、日々見ているのはパソコン画面と言う事になる。一方で石川県内全ての2.5万図も持つのだが、もうほとんど開くことは無くなってしまった。そんな中での鈴ヶ岳は、もう一つ面白い部分を持ち合わせる。2.5万図の「山中」の東端に位置するのだが、WEB上で見てもらうと判るのだが、「鈴」の字が半欠けになっているバグがある。こんな山も珍しい。気づいてからしばらく経過するが、地理院は直していない。理由は察せるのだが、山は「山中」図内にあり、その山名表記は東の「加賀丸山」図内に表記されている。その合わせ目付近で鈴の字が表記されており、「山中」側での鈴の字の半分が消えてしまっている。しっかり表記して欲しいが、一方でこのままでも面白い。

 
 話が大きく飛ぶが、金沢の某優良企業登山部から、同行登山の依頼を受けた。既に先日、富士山登頂を成し遂げた集団であるが、この依頼はそれより前に受けていた。そこでこちらの都合の良い「8月21日」を告げ、この日に決行となった。そこで浮かんできたのが鈴ヶ岳。真夏と言う事を考えると、この里山標高では低すぎて暑いのだが、涼しさを得られる標高となると、白山や立山や乗鞍が、北陸から近い避暑可能な山となる。それ以下の山であれば、その日の天候により左右され、里山と変わらないような場合も有り得る。迷ったには迷ったが、鈴ヶ岳に本決まりとした。あとこの山は、大日山と繋げて楽しむ事も出来、ルート途中には綺麗な小屋があり、歩く場合のアクセントにもなる。こんな事からもパーティー行動には適していると思えたのだった。

 
 深夜1時、家を出てすぐに上信越道に乗る。まだ夏休みの流れか、レジャーカーが物流トラックの台数を上回っていた。深夜であるが外気温は26度。軽井沢や妙高付近で少し下がったが、北陸道に入ると28度を示していた。今日も暑い日になりそう。荷台にある凍らしたビールが気になった。メンバーとの集合時間は、金沢西インターを下りた先に5時。速すぎず遅すぎずのアクセルワークで、2分遅れでその場所に到着となった。そして1台に車を集約して小松の現地に向かう。8号線は土曜日の早朝の流れ、やや閑散とした中を何度も信号に停められながら進んで行く。東山ICから瀬領地区に向かって行くのだが、周辺エリアにコンビニが無いので要注意。私を含め平和ボケした車内からは、「何処かに有るだろう」的な会話が続く。車窓から流れる景色はどんどんと山里に入って行く。がしかし、寂れた村落内に入って行くと、甘い考えが現実となり店らしい店が無い。すると前から山崎パンの配送車がすれ違った。と言う事は店がある。しばらく進むと森商店という雑貨屋(酒屋)があり、店主がさっそくパンの陳列をしているところであった。それを横目に先に進むが、やはりその先には無く・・・先ほど見た森商店に引き返す。それでも6時前の時間で、この場所にして店が開いていた事が嬉しい。もし開いていなかったら、かなり戻らねばならなかった。これはこれでツイていると思うべきだろう。朝昼食を買い込み、ひと安心して登山口に向かう。この時に、メンバーは氷のブロックを買い込む。今日の私の持ち物の中には、6本の凍ったビールの他に、冷やしたスイカが入っていた。買った氷は、そのスイカをより冷たく美味しく食べる為のアイテムであった。そこまでして・・・と、遊びに対するメンバーの熱意にニヤッとしてしまう。

 
 どんどんと山道を山中に向かって行くと、「鈴ヶ岳・兜山・大日山」の道標が現れ、進む方向を示している。大杉青年の家を経由する予定であったが、そこより前に道標が現れ、導かれ狭い道に入って行く。途中で先ほどまでの本道と合流したので、やはり青年の家経由でも良かった訳であった。しばらく行くと、右手に「冒険のとりで」という公園施設が現れ、ここが登山口前の最終トイレとなる。ちょっと寄って施設内の砦に這い上がる。砦の下には手押しポンプの井戸が設置してあり、寂れた感じではあるが部分部分では面白い場所のようであった。どんどんと山道を行く。その山道はダートでなく驚くほど綺麗な舗装路。向かう先には登山口しかなく、その為の舗装でしかないのだが、この場所にして不思議でならなかった。

 
 登山口到着。先に1台の車が到着しており、車内で着替えをされていた。こちらも準備をするのだが、群がるようなアブに皆が閉口。排ガスに寄ってきているようで、荷台のハッチに集中していた。冷し続けてきたスイカをパッキングし、凍ったビールも確認してザックに収まる。今日はほとんどこれらを楽しむが為の登山。メンバーが楽しんでくれればと、ホスト役を全うするのだった。そして準備も整ったところで出発。歩き易い良く整備された道。途中途中には大きな立派な道標が立ち、鈴ヶ岳までの残り距離を示している。これなら学童登山でも安心して楽しめる場所に思えた。それにしてもよくよく整備されている。これだけ管理されている道も珍しい。登山道脇のコンロンソウには赤いリボンが結ばれている。何の為だろう。そんなことを思いながら、後からのメンバーの歩調を見ながら登って行く。しばらくは樹林帯の中の道。周囲の木々を見ると、広葉樹の多さから秋が適期と判る。快晴無風。谷筋なので流れもあり、少し風があるかと思ったがほとんど空気は止まったまま。じっとりとした汗が湧いてくる。木橋での渡渉を過ぎ、相変わらずの一級の道をコツコツと登って行く。そして一端5mほど下って、水場への道を右に見て進む。ここでの登山道周辺はイノシシの土坑の跡が酷い。蹄の痕がそこかしこに残り、鼻で掘り上げた様子が目に浮かぶよう。


 この先はしばしの杉の植林帯の登り上げ。そしてその先にデンと構えた出作り小屋が待っていた。立派な小屋で内部も外観も居心地の良さそうな雰囲気がある。裏手には水場もあり、フル装備の小屋であった。その小屋の横には、三角テントのような小さなトタン小屋があり、南側から中を見ると、薄っすらと酒類も見える。どうやら・・・。ここには小屋番のような方が居られるようであり、その方の私物のようであった。周囲にミズバショウの大きな葉が見えるが、その周りは無残に掘り起こされている。全てイノシシの仕業であった。これが里山の宿命でもあろう。持ち上げた巨峰をほうばりながらしばし休憩。この小屋が無ければ止まる事無く坦々と歩いていただろう。ここで休憩が出来、語らいが出来、やはりこの小屋はパーティー行動において有益であった。


 小屋の先からは、やや急登が始まる。周囲の植生は杉からブナにバトンタッチして、ルート周囲の見栄えはかなりいい。ここを見ると益々秋が適期と思えるのだった。そして「ここはブナ尾根」と書かれた標識の場所まで上がると、その先に円錐形の高みが見える。それが鈴ヶ岳のようでもあるが、同じく看板に書かれている「1.8k」の文字に、手前のニセピークだと判断できる。ここをブナ尾根と言うらしいが、なかなかの急登の連続で、大きくペースダウン。少しでも風があればいいのだが、無風状態でのこの登りは、汗が迸るような感じであった。湿度の関係もあり、かなり蒸し暑い状況。焦らずのんびりと足を上げてゆく。


 1123高点に上がると、目指す方向にこんもりとした高みが見える。これが前衛峰で、その先僅か左に見える高みが鈴ヶ岳となる。この高点からはたおやかで気持ちがいい。ただし樹林帯から出て、夏の日差しをまともに受けるような場所。里山標高の暑さをヒシと感じる。東側を見ると、兜山の姿が美しい。残念ながら、遠く白山はガスの中。アキアカネやオニヤンマが、羽音を聞かせながら挨拶に来る。彼らの飛行を見ていると秋を感じるのだが、この日は真夏日。暑いの一言。そして社のある山頂部が見えてきた。


 メンバーを先行させ、山頂を譲る。先導した場合は必ず山頂を譲る。私の中での決め事。そして次々と登頂したメンバーの歓喜の声。展望の良い山頂で、登った感のある場所。すぐさま祝杯としてビールを取り出す。まだ凍っている物もあったが、かなりいい感じの融け具合。乾杯の号令の後、染み渡るように胃袋に収まる。集合写真を撮り、この後の行動を相談する。2名がここに残り、若手2名がこの先の大日山まで進む事になった。山頂に残る2名は、「スイカがサルに食べられないよう番をしている」と言うのだが、確かに大事な任務だが、こんな場所に居るサルが、スイカの味を知っているのだろうかと言う疑問もある。でもメインイベントの花となるスイカ、二人にその警護を頼む。


 緩やかに下って行くと、遥か先に赤い屋根の小屋が見える。“あれがカタクリ小屋か”、そこがほぼ中間地点だから、大日山まではカタクリ小屋へ行くのに対し倍の距離。大日山がかなり遠くに思えるのであった。こちらのルートは、最近刈り払われた草が、登山道上に落ちている。この灼熱の中で、枯れずに居るのだから、かなり最近の作業だと判る。暑い最中、登山道整備をしたようだ。先ほどのビールが早々と汗になって出てきている。カタクリ小屋をもうすぐにして東側への下降路分岐がある。この道が木地小屋への道であり、登下山口を別にして楽しむ場合は利用価値がある。

 カタクリ小屋。小屋前に大きな鐘が設置してあり、鳴らすと綺麗な音で周辺空気を震わせていた。しかし後で聞くと、この音は鈴ヶ岳には聞こえなかったらしい。現地で思うほどに響かないのか・・・。小屋内部もとても綺麗であった。全てに小屋の新しさがそう思わせていた。この場所にして、これほどの小屋を建てた小松の西村市長は凄いと思える。それほどに思い入れのある場所なのかとも思う。公式地図からは、大日山まで40分の登り。鈴ヶ岳から小屋まではコースタイムの7掛けくらいで歩けたので、この先も同じような事かと楽に構えていた。がしかし、しっかりと歩きでのある登りで、夏場の日差しをモロに受ける登山道。最後の方の九十九折は、“まだかまだか”と思いながら足を出してゆく。同行の女の子からは「次からはビールは控える事にします」と。ビールを飲んですぐに歩き出し、たぶん心臓がバクバクと言っているのだろう。これも経験。「山でのお酒は程々に」と学習できたようだ。それでもしっかりと遅れずに付いてくる。見上げた根性。そして前を行く若者から、「着いたみたいです」と声が掛かる。


 山頂手前で女の子に前を譲り、大日山山頂到着。ここでもアキアカネが沢山で迎えてくれた。南西側には大日小屋の青い屋根が見え。その横に茶色い屋根も見える。南側には越前甲の稜線があり、この辺まではクッキリと見える。しかしその外側の展望は霞んでいたりガスにより見えなかった。白山でも見られれば最高であったが、まあこれもしょうがない。それにしても登山道整備は大日山までしっかりと続いていた。片道5キロくらいだったか、頭が下がる。これに対し、ここのメイン道路と言えようルートはモシャモシャとしており、好対照とも見えた。東側の展望所に行くと、広く周囲が見渡せた。鈴ヶ岳に待っている者も居り、長居は出来ない。それより「経路2時間で戻る」と告げてあるので有言実行を目指す。


 九十九折を下り、その先はブナの尾根。ここが至極快適で気持ちがいい。大木は少なく小木が多いのだが、その細かさが美しさとなって見えていた。水場の下降点から少し水場探索と降りて行くが、15mほど降りても水の音がせず、距離を降りねば水を得られないようであり途中で引き返す。カタクリ小屋で小休止を入れて、鈴ヶ岳への最後の登り。なぜか先ほど同様にオニヤンマが出迎えてくれる。何処かに池塘でもあり居心地の良い生息域なのか、羽音をブンブン言わせながら飛行していた。あまり花の無い中で、このあたりではホツツジの白い花が愛でられる。鈴ヶ岳再び。


 さあ鈴ヶ岳に戻った。やることは一つ。それは「スイカ割り」。と言っても、鉢巻をして棒を振りかざすような事をすれば、折角のスイカが・・・となるので、その遊び的動作は端折ってナイフを入れる。スイカは持ち上げた氷が功を奏したのか、よく冷えている。久しくスイカなど買うことが無かったが、今回覚えた事がある。スイカの黒い帯に沿って刃物を入れると、その断面に種が出る確率が少ないらしい。それを実行するが、切る動作を見ていた周りからは、嘲笑が・・・。「種、しっかり出とるがいや」(金沢弁)と・・・。確かに。それはそれとして、美味しそうな赤い身が姿を表した。冷えたジューシーなそれで、周囲空気が下がっているような、それほどにこの場に涼を与えてくれていた。6等分、三日月形のスイカを各々が持ち、かぶりつく。美味い、冷たい。先ほどのビールもかなり美味かったが、これは勝るとも劣らないレベル。これほど冷たく食べられるとは思っておらず、周囲からは「冷たくて、うめぇ〜」
と声が聞こえる。そして素材もよく、かなり甘い。平地で食べたら少しレベルの落ちるスイカなのかも知れないが、ここで食べると何でも美味しくなる。周囲の歓喜の様子に、持ち上げて良かったと思えた。余る事無く瞬時に一玉を平らげた。この速さが、美味しさを物語っていただろう。この後は、ボイルしたソーセージを食べたり麺類を啜ったり、アルコールの持ち上げが少し不足気味であったが、まあまあこの標高と歩行距離、帰りを思うと先ほどのビール程度が適当であった。十二分に鈴ヶ岳を満喫したところで下山となる。

 
 ブナの尾根を下って行く。急下降で膝が笑い出す面々。張り出した根に注意しながらゆっくりと高度を下げて行く。少し雲が空を覆い、もしやとも思ったが、悪天にはならず少しづつ明るさを取り戻してきていた。出作り小屋に戻ると、少し往路で見た様子と変わっていた。そこには一人の白髪の老人が居た。皮膚は日に焼けて褐色であるが、見るからに張りのある肌であり、すぐにこの小屋の方だと判断出来た。この方があの西出さんであった。挨拶をすると、にこやかに「休んで行って下さい」と言う。この言葉でこの方の全てが判る。小屋の脇には西出さんの背負子が掛けられ、この方の登場で小屋に息が吹きかえったような感じであった。横にある三角小屋も開けられ、思ったとおり、中は西出さんの居住スペースであった。一人分の寝床と、食料を含めた作業道具が入れられていた。話を聞くと、ミズバショウがイノシシに掘り起こされ困ったと言う。西出さんが10年がかりでここまで育てたものが、昨今のイノシシの出没で、その大多数がやられてしまった様子。それは周囲を見れば一目瞭然であった。確かミズバショウは毒草で葉も根も食べられないはず。それを西出さんに聞くと、根に着いている虫を食べているのではないかと御仁は判断されていた。確かに・・・この人は山屋として観察眼も感覚も、遥か高い位置にある。それでもイノシシにあまり怒っているふうではなかった。「俺もイノシシを捕まえて食べてるから」とにこやかに言う。これこそが里山の動物との共存なのかと思った。少し以前に樋口明雄さんの作品をいくつか読んだが、この辺りの話が沢山書かれていた。共存するには人間側の心次第なのだろう、それを西出さんに逢ってハッと気づかされた。さらに話を進めると、兜山の山頂標柱は65キロあるらしい、それを三日掛かりで、一人で持ち上げたらしい。凄いバイタリティーである。と言うことは、道中にあった標柱は西出さんが全て建てた物と推察できた。強く、優しく、力持ち、金太郎さんのような方であると思えた。山も良かったが、この西出さんに逢えたことが、殊に嬉しかった。休憩を終え下山に入る我々を、御仁は見えなくなるまで見送ってくれていた。

 
 西出さんの人柄を噛み締めるように、その西出さんが造った登山道に足を乗せて降りて行く。自分の山ではあるのであろうが、公共の為にこれほど力を注げるものなのか・・・。好きこそものの上手なれ、と言う事なのか。富山には西村さんと言う作道名人の存在があるが、石川においても西出さんの存在は抜きん出ている。メンバー各人も少し背筋が伸びた様子で下って来ている。この山を計画した私にとっても、西出さんの出現と色んな会話は、皆を連れている中での登行のアクセントになり、ありがたいことであった。

 
 登山口戻ると、我々の車の他に軽トラが一台。荷台には草刈り機が積んであった。間違いなく西出さんの車である。もう一台あった車は既に無く、スイカ警護隊の話によると、澁谷工業の山岳部の方だったようだった。標高は無いが、充実した感の濃い山行となり参加者一同大満足。駐車場脇を流れる小沢で汗を拭って帰路に着く。

 登山口への林道舗装には2億円強かかったらしい。この場所にしてよくも予算が下りたと関心する。でも市長夫妻は、ミズバショウ畑周辺に毎年下草刈りに訪れているらしい。細かいことは知らないし、気にしないが、それを聞いてこんな場所もあっても良いと思えた。それには何よりも西出さんの存在がある。色んなハイカーが訪れても、いつもあのように優しく応対しているはず。市長の心を動かしたのであろうと思う。自然に触れて学び、人に触れて学ぶ。

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