合ノ峰    1740.1mm


 
2013.9.28(土)    


   晴れ     単独     奥裾花自然園経由濁川、西稜を登り山頂を経て木曽殿アブキに降りる      行動時間:8H47M 

   携行品: 8mm−20m ナタ


@奥裾花キャンプ場5:27→(38M)→A吉池分岐6:05→(18M)→B濁川渡渉6:23→(79M)→C1484高点7:42→(68M)→D合ノ峰8:50〜9:16→(75M)→E1624高点付近10:31〜34→(60M)→F1480mルート屈曲点11:34→(98M)→G木曽殿アブキ(渡渉点)13:12〜18→(10M)→H裾花川渡渉13:28→(5M)→I車道に出る13:33→(41M)→J奥裾花キャンプ場14:14


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@奥裾花キャンプ場の駐車場からスタート。 @自然園へは一般車は通行止め。 林道を歩きながら見る合ノ峰。 車道脇には熊よけのこれらが乱立。
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中西山への登山口を横目に。 A園地内遊歩道としては、ここが最奥となるか、そのまま轍に沿って道形を追う。 倒木などもある。この場所の山手側は、かなり見られる。 林道の様子。軽トラなら通れるが、野草が覆い路面状況が判らないような場所。
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林道が下って行き、濁川の脇に出る。さらに林道は続くが、堰堤のすぐ下流に向けて崖を下る。 堰堤の銘板。まだ新しい。 B濁川を渡る。今の時期なら濡れずに渡れるが、一歩間違うと水没。西稜の上部を思うと、ここでは濡れない方がいい。 左岸に乗り右岸側を振り返る。
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濡れたものすごく滑りやすい斜面を、木々を掴みながら尾根に向け上がって行く。 1300m付近。急峻の藪尾根の中で、途中のオアシス的ピーク。 北西側が崩れ落ちている場所が連続。間違いなく崩落しやすい地形のよう。1310m付近より痩せ尾根が始まる。 1320m付近。南側に崩落している場所もあり、進路左右に注意。
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1325m付近。前半最大の危険場所。蟻の門状態で、幅150mmくらいの場所がある。凄く脆く、体重移動も重要要素。距離5mほど。 コップ状にそぎ落とされた北側斜面。濁川上流に天然ダムが出来た事が頷ける。 1400m付近。やや密生した藪尾根。 C1484高点。展望はないが休憩適地。
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1580m付近。この程度の笹薮で済むのかと思ったら・・・。安全通過には、この標高あたりで北側にズレた方が良い。 1680m付近。上部の危険地帯。手がかり足ががりの少ない1枚岩。濡れていれば登行は困難。この上の地層も、この岩の延長のようで、薄く堆積した土の下は一枚岩だった。 一枚岩が終わり、次はこのような岩場。特に難しい場所はないが、相応の岩登り的場所。この上で、密生藪となり斜面も垂直に近くなる。手がかり足がかりはあるものの危険度は増し、通過がやや困難な場所となる。 合ノ峰直下。苔生した緩い岩が堆積した斜面。
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D合ノ峰山頂北東側。 D登ってきた斜面。下りに使う場合は、最低でも30mのザイルが欲しい場所。 D乙妻、高妻、五地蔵岳と並ぶ。 D戸隠本院岳、西岳・・・。
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D北ア朝日岳を背に中西山。 D奥西山側の稜線。 D堂津岳と後ろに火打山。 D中央に三角点があるのだが、現地に同化。
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D苔生した三等点。 D高妻山をバックにヤキソバパン。 旧国体ルートを下り始め、標高1680m付近。やっとカメラが構えられるほど。ここまで密藪。 1680m付近から通過してきた北側を振り返る。
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1665m付近。ルートがあったのかと疑いたくなるような自然の状態。 E1624高点付近。太い倒木があり適当なベンチとなる。 1620m付近。ブナの木に熊棚が多い。地面にもかなりの量の折られた枝葉が落ちている。 1590m付近。熊も「する」場所は決めているよう。右に見えるものからは湯気が出ていた(800gはあろう大きさ)。この先で、10m以内に居たようで、ササを分けてゆく音がしていた。
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1570m付近。ササの植生が幾分弱まる。 1540mで、はじめて人工物を見る。このリボンは10m間隔くらいでずっと続いていた。 F1480m付近。ルートが屈曲する場所。掘れた跡が東側に下りている。少し下ってから上側を振り返っている。 1460m付近。下から上を見ている。下から登ってきた場合、ここで90度左に折れる。慣れた藪屋でないと判断は難しい。
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1460m付近から下側。降りて行くには楽だが、それでもルートを見出すのは難しい。 1350m付近。掘れた跡が下側に続く。 1350m付近の上側の様子。 小沢に出合う。水量十分で冷たく美味しい。ルートは小沢を横切るようだが、判らずに沢に沿って降りて行く。
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少し下ると引水しているホースが見られるようになった。水としてここが美味しい事の裏づけ。 下流に行くとなめ岩状になり、溜まり水も多くなり歩き辛くなる。 沢を離れ尾根に乗ると、これまでのような踏み跡があった・1290m付近の小さなキレット。 十数年かぶりに鉈を持ち込んだ。合ノ峰の南側で、ツタ類が多く使う場面があり。持ち上げて重宝した。
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1270m付近。ササが生い茂るが、その下に道形があり判りやすい。 1110m付近に唯一の敷設物のタイガーロープ。 G清水川に降り立った所には、鉄製の構造物があった。降りた斜面は、ルートを外した為に歩き辛い場所の連続だった。 G降り立った右岸から見る木曽殿アブキ。
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G渡渉して木曽殿アブキを見学。 今日はスパッツを忘れてしまい、絶縁テープで解け止め。これをして気づいたのだが、足首をきっちり締めると、渡渉しても内部に水が入りづらい事。 このヘツリの下に大きな岩魚が居た。 H裾花川に出て左岸側を進み、浅瀬を狙って右岸に渡る。
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木曽殿アブキへの下降点はバリケードがされている。道標もなくなっていた。 I車道に出る。  車道歩きも、これらの地層が見え楽しみながら歩いてゆける。 自然園の徴収ゲートが見えたら、ゴールまで僅か。
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J紅葉前のオフシーズン。駐車場に停まる車は我1台のみ。      



 
 インターネットが普及する前、誰もが普通にしていた電話での情報収集。それを久しぶりにやった感じ。我ながら懐かしく、それでいて新鮮な感じでもあった。「どんな相手が応対してくれるだろう」なんて少し緊張しながらかける電話もまんざらではなかった。でも、長野県の全ての担当者は、一見の私にとても丁寧に答えてくださった。無碍な応対が多かった昔に対し、役所関係も優しくなり応対が良くなった事を体感。知らないうちに各所で成長がみられる。行政側のリスクヘッジなのだろう。

 
 ネット上での登頂記録は、妙高側からのアプローチで二つ存在する。もう一つ、木曽殿アブキから国体コースを辿った記録があるが、山頂まで到達していない。理由は自然との対峙があったよう。何年も前から計画しつつ踏み切れない場所で、木曽殿アブキから狙おうと思って、裾花川の渡渉点まで降りて下見をした事もあった。ただし、南北に連なる尾根は、廃道化がかなり進んでいるらしい。平面距離4
Km、さすがにこの距離の藪漕ぎは一人では厳しい。今の状況だと先者二人のように笹ヶ峰林道からのアプローチが順当なのか・・・そう思い込みそうになった。でも、ここはなんとか別の突破口はないかと諦めない。抱き合わせで、どうしても国体ルートの現状も把握したい。やまびこ国体、すなわち1978年開催の長野での国体時、乙妻山から合ノ峰を経て木曽殿アブキまで開いたよう。既に開いてから35年、いや事前に開いたであろうから36〜37年と思うのが正解だろう。長いコースだけに管理が大変だったのだろう、それこそ廃道化の道を選んでしまったよう。その昔は今のようなエンジン草刈機がない時代。拓くのも大変だったろうと思う。近年では2005年の大雨でのアブキ橋の崩壊・流出、その前もあったろうが、こんな経緯も廃道に拍車をかけていただろう。

 
 調べれば調べるほど面白い場所に思えてきた。まず東側からのアプローチは無理、北も上記の事があり外す。南は使うとして、未知数なのは西側からのアプローチ。上手く濁川が遡上できれば、その途中の1191標高点から見られる顕著な尾根が使えそうに見えた。これなら、藪であっても漕ぐ時間は短い。ただし、見ての通りのゲジゲジマークの入りよう。地形図だけ見て判断するならば、峡谷があるようにさえ見える。そんな中、1997年に土砂崩れにより上流に天然ダムが出来た情報を得られた。このことにより、流れの水量は少ないだろうと言う事と、周囲は崩れやすい地形で、現在の地形図通りではないだろうと推察できた。さらには、時々その天然ダムへの巡視を繰り返している情報があり、言わば巡視路が出来ていると想定できた。「これは使える」と判断した。

 
 まずはダムを管理している部署に電話をする。電話口からは、現地に行ったことがある人が丁寧に教えてくださるが、その取り付き点の場所ははっきりと伝えてはくれなかった。別部署の方が詳しいと、第2課の方へ電話をする。ここでキーワードとして、奥裾花自然園の「みずばしょう群生地」の表現が出てきた。その場所から工事用道路が濁川に向けて切られている情報が得られた。ただし「一般者は通行禁止なので注意願いたい」と添えられた。天然ダム側には監視カメラも設置されているよう。その作業道自体にも・・・。リスク回避として、エスケープルートとして、ここまでの情報は有益。なにせ自然園から濁川まで道がある。この情報が得られただけでもかなりのプラス要素。あとは合ノ峰情報。これは長野市の産業振興課の鬼無里支所の方に応対してもらったが、市としては問い合わせがあった場合は、「登山不可」と答えているとの事。支所内でもO
氏のみが唯一登っており、たまたま電話をした日に不在で情報は得られなかった。結局国体ルートは、情報の無い魅力的な尾根に成り上がった。どうしても伝いたい。登りに使って、下りに西に下るか。反対に西から登って南に下るか。もしくは南からの国体コースのピストン。選択肢は3つ。問題は木曽殿アブキに行くのに、現地には駐車余地が無いこと。1台分は在る様に視察しているが、往来がある場所に対し、停め難い場所。結局、コース取りは現地で判断する事にした。

 
 ザックにはザイルを入れた。これは当然の装備。これだけゲジゲジマークのある場所。書いていない場所も危険であると予想したほうがいい。さらに、戸隠の西稜で経験している蔓延る蔦類の事もあり、久しぶりに鉈を装備に入れた。情報収集から含めここに至るまで、なんとも90年代を髣髴させるアプローチ方法。これはこれで山登りが楽しい。インターネットで探せてしまえる今において、貴重な体験とも言える。そして本来は、この準備が一番大事な事。

 
 1時半家を出る。上信越に乗る前にいつものコンビニに寄る。陳列棚に16個のヤキソバパンが並んでいた。ここでもいつもの店員に「沢山仕入れたねぇ〜」と投げたら、さらっと「あまり売れないんスよね」なんて。“えー山屋の間でこれだけ人気なのに・・・”と言いたかったが喉元に押し留める。それでもヤキソバパンゲット。占い上では、今日は結果が出せる事になる。上信越道に飛び乗り、更埴ジャンクションを経て長野で降りて
R406で鬼無里へ向かう。途中のトンネル群のところで長野県警のワゴンがあり、警察官が4名居た。何か事件か事故だったのか、眠いタイミングだったのでありがたい眠気覚ましになった。

 
 鬼無里地区に入ったら、道標に従い奥裾花自然園の方へハンドルを切る。ここからの435号線も、崩落による工事のため、永きに渡って通行止めとなっていた。時間規制がされ、いつでもマイカーが入れるような場所でなく、それがあり合ノ峰を狙うのが先送りにもなっていた。しかし現在は全線開通し時間を気にせずスイスイと奥裾花キャンプ場まで入ることが出来る。その手前、木曽殿アブキへの下降点。観光地としての道標は一切無い。そして駐車余地が路肩にあるが、どうにも停め辛い。この時点で、コースは
CW(時計回り)にしようと判断した。深夜は料金徴収ブースは無人、そのまま通過してキャンプ場の広い駐車場に入れる(4:00)。中西山なども在り、ハイカーが居るかと思ったが、広い駐車場は閑散として、その静けさが怖いほどであった。CWと決まったが、まだ不安要素がある。「みずばしょう群生地」とは何処を指すのか。地形図を眺め、園地内の詳細地図を眺めるも、その場所が特定できなかった。ある意味、行き当たりバッタリで、行動に障害が出れば今日は調査までにしようと考えた。夜明けを待つことにして仮眠に入る。シュラフも毛布も忘れ、外気温は8℃、不本意だがエンジンをかけながら寝るしかなかった。

 
 渡渉があるので長靴にしようかと迷ったが、登山靴に足を入れる。これは正解であった。長靴では西稜の岩場が通過困難。5:27、駐車場を出発する。空はやや曇り空、それも泣き出しそうな暗さがあり、今日の天気を心配しつつゲートを越えてゆく。アルファルトに足を添わせてゆくと、右側に目指す合ノ峰が見えている。かなり近くに見えるのだが、経験からいくと近いほどに大変なところが多い。道中各所に熊よけのパイプが敷設してある。いやが上にも意識が熊に・・・。この多さはある意味煽っているような気がするのは私だけか。それでも、中西山の登山口道標が齧られていたりするのを見ると、まんざら間違っていないとも思えた。トイレ舎のところでも見たが、川への作業道は見られなかった。予想では、バリケードが置かれ、「この先通行止め」などと工事を示すものがあるだろうと予想していた。園地内の各分岐を曲がる事無く、そのままメイン道路を歩いてゆく。すると、園地最奥の吉池分岐までやってきた。林道の道形はまだ先に続いている。ここまでにやはり工事用の分岐はなかった。どこかで見落としているのか・・・。確かにキャンプ場地内も全て見たわけではない。園地内の東側の散策路にも入っていない。見落としがあるのかもしれない。それでもここまで来てしまった事実、半ば調査と思い、さらに林道を突き進む事にした。

 
 チェーンゲートを跨ぎ進むと、軽トラが進むにもいやらしい感じで、左右からの植生で覆われた林道になった。さらには大木の倒木が落ちていたり、このことから車も通行していない林道と判る。作業道としては違和感があるが、方向としては北に向かい、緩やかに高度を下げている。一度大きく西側に振られるが、深い谷が入っているためであり、そのまま沿って行くと濁川の脇に出る事が出来た。少し驚いたのは経路のガードレールが、木製の高級品を使っていたこと。人が来ないであろうこの道に、見栄えを重視した部品選びは不要ではないのかと思えてしまった。それはともかく、なにせ濁川に出た事が嬉しかった。下流側を見ても左岸には道形が無いので、課員の言っていた道は伝って来た道であったのか、そうであったなら立入禁止の道標が無い事が不思議。公式には立ち入り禁止、でも現地は違う。堰堤には銘板があり、カメラをズームすると「8号」堰堤と読めた。道はまだ先に進んでいるが、1191標高点は、既に下流側にあり、西稜末端も下流側に見えていた。堰堤を左に見ながら、小尾根の上を降りて行く、川面に降りる最後が2mほど切れ立っており、慎重に足を運んでズルリと降り立つ。この時期でもあり、天然ダムの事もあり、予想通りに水量は少ない。飛び石に伝って対岸へ渡る。ここで濡れると、上の方で厄介になり、濡れそうであれば靴を脱いでの渡渉のほうがいい。

 
 濁川右岸。野草の斜面を上がると、何となく踏み跡がある。獣とも思えるが、人間のゴミも残る。もしかしたら水気も多いことから、野草が採れる場所なのかと思った。尾根に向け這い上がってゆくが、その水気が邪魔をしてスリップばかり、何か掴まないと登れない場所ばかりで、酷く疲れた最初の取り付き部となった。この後、尾根に乗ってからの最初は急峻地形。さほど下草がなく、その点では歩きやすいが藪尾根で間違いなし。

 
 標高1310m付近。この辺りから最初の危険地帯に入る。ここまでにも崩落斜面を左に見てきたが、ここでその症状が顕著に出ている。足許に気を使いながら進む場所で、その足許が嫌に柔らかい。すぐに崩れれるような湿気を含んだ土壌に感じた。そして1320m付近で下側で一番の難関、「蟻の門渡り」が出現する。蟻の門は戸隠に任せておけば良いとは思うが、ここも地形的に似ているから同じような場所が造られるのだろうと思えた。確保してくれる人は居ない。足を乗せると、崩れるはズリ落ちるは、なにか考える余裕無く自然体で一気に抜けた。途中、この一歩が落ちれば・・・なんて考えたが、自然は味方してくれたよう。ここを抜ければしばらく危険地帯はなくなる。相変わらず平泳ぎが続く。漕いで漕いでまた漕いで。それがしたいがために来ているので、この部分は負担ではない事実。

 
 1484高点。尾根上の突起点と言っていいほどに円錐形に立ち上がった場所であった。休憩適地と言えよう場所。ただし展望は皆無。ここで少し進路が屈曲して真東へ進路が変わる。変わった先しばらくは、高低差のない快適尾根がある。それは次の危険場所の為のインターバルのようでもあった。1600mを過ぎると、かなり密生した植生となり先が見えなくなる。人間の心理で明るい方を目指すのだが、目指した先に在ったのは、大岩の斜面。それも一枚岩で形成される砂岩的な岩で斜度もかなりあり、フリークライミングで登るにも、手がかり足がかりの少ない場所であった。もう少し早めに北にズレれば良かった。気づいてはいたのだが、このままいけると思い、その結果まんまと袋の鼠状態にゲジゲジマークの中に入ってしまった。それでもザイルもあることから、行ける場所まで行ってみようと、左側の雑木を掴みながら、靴のこばをグリップさせながら登って行く。ここで落ちれば・・・そんな場所でもあった。

 
 一枚岩の危険箇所を過ぎると、今度は鋭利な岩壁がお出ましになった。ここは右(南)側が楽そうで、ホールドを選びながら体を上げて行く。この先が密藪。ザックが引っ掛かり、身動きが出来なくなるようなほど、当然ここではカメラなど構えている余裕無く、ゼイゼイ言いながら、筋肉をプルプル言わせながら腕力頼みで這い上がってゆく。途中セミになり下を向くと、けっこうに切れ落ちている。やはり、もう少し北に振ったほうが無難だったようだ。でもここまで来たからには是が非でもこのコースで、この壁(植生がある)を登りあげたい。根性で這い上がってゆくと、先の空が青く開け、その下に紅葉した木々が待っていた。山頂直下まで上がったよう。ただしそこは、苔生した緩い斜面、最後の最後まで気の抜けない場所で、何とか体を持ち上げてゆく。

 
 合ノ峰登頂。登りあげた場所が最高所で、その上がった先に見た事もない姿の高妻山と乙妻山があり圧巻であった。ぐるりと360度の展望があり、見知った山がずらりと並ぶ。堂津岳の右肩の方には、火打山と判る綺麗な円錐形もある。来てよかった。登ってよかった展望。山頂は紅葉が美しく、これほどの歓迎を受けるとは思っていなかった。経路3時間半ほど、危険個所はあるが、現在の最短ルートとなるのではないだろうか。すぐに三角点探しに入る。なかなか見つからなかったが、上面が苔生しており同化しているのであった。一度探した場所を再び探すと、肌の白いそれを見つける事ができた。三等の文字が刻まれ、そのすぐ下まで土に埋まっていた。北ア側はややガスに覆われているが、その手前の県郡界尾根があることにより、景色が素晴らしくいい。ここは展望の山で間違いない。山頂部はほぼブッシュではあるが、人一人分のみ植生の薄い場所があり、そこに腰を降ろし大休止となった。

 
 登頂時にひと通り撮影したが、休憩後ズームにしておさらい撮影。そして登ってきた西稜を見下ろすが、こちらからだと降りていけるかどうかも不安に見える。判っているからザイル下降可能だが、下の様子を知らなかったら降りる判断にはならない場所に思えた。その点では
CWでの行動は正解であったと思えた。時間はまだ9時を回ったほど、まだ時間的にギャンブルは出来、迷わず国体尾根の南尾根を下る事とした。大岩の場所、蟻の門渡りの場所、再び通るのが嫌だった事もある。これだけの展望なら、また訪れてもいい。晴れの日に。下山開始する。

 
 山頂から僅かに西側の狭稜の上にルートらしき跡が見える。このままこんな感じで続くのかと思ったら、僅か10mほどで消え、全くの藪の中となってしまった。カメラを出すのも面倒なほどの濃い状態。付近は完全に自然に戻っていた。泳ぎつつ進むのだが、かなり進度が遅くなり、下までの距離4kmが気になりだす。“こんな調子で続いていたら、かなり時間を要す”やや不安要素が出来上がった。“往路の尾根を降りればよかったか”一瞬、こんな事も思った。それでも我慢して降りて行く。このルートを調べるのも今日の課題であり、楽しみでもある。

 
 ササの中にツタが絡まる場所がある。この感じ、戸隠の西稜の藪そっくりであった。鉈を何度も出して断ち切りながら進んで行く。しかし刃物を振り上げるスペースも無いほどに密生しており、手こずり時間をかけながら通過して行く。この間もコンパスは逐一見ていた。天気はいいものの、尾根の上での視界は、ササに塞がれ方向が判らなくなる。密生のために歩き易い場所に逃げるのだが、それをするとより方角が鈍る。コンパス必携の場所であった。なるべく尾根頂部を外さないよう心がけ、いつも以上に慎重なコース選び。それには、地形図に見えるゲジゲジマークがそうさせていた。1600mくらいまでは、崖地形が周囲にある。ただし、現地ではそれほど危ない場所は無く、ただただ笹薮の中に居た。

 
 1624高点付近には、一抱えほどの倒木があり、ちょうどいいベンチになっていた。この付近まで来たら緊張感を高めたい。周囲の臭いが変わってくる。原住民の臭いがしてくる。強い獣臭が周囲の木々についている。ブナの大木は太い枝が悉く折られ、バランスのおかしい奇形な姿で立っている。そこに枯れた枝が集められ、いくつもの熊棚が見えていた。笹原の上にも熊棚の材料が大量に散乱している。上でも下でも座ったり寝たりしていたようだ。完全に彼らの生息域の真っ只中に入ったよう。あまり刺激はしたくは無いが、お互いの為、私の存在を知らせる。その方法は「アプローズ」
applause)、そう拍手。より遠くに、大きな音で、尚且つ労せず伝える事ができる。と思っている。原住民はどう思っているかは知らないが、遭遇したとき、近接したとき、これで回避している。

 
 1590mには、その原住民のキジ場が在った。シカなどは同じ場所にするが、熊もまた同じ習性があるようで、古いものから新しいものまでが順番に並んでいた。その新しい物は、事もあろうに湯気を上げていた。ドキッとして最大警戒態勢に入り、すぐさまアプローズ・・・。するとすぐ近くから、ドサッと音がして南東側に分ける音がフェードアウトしていった。熊にとってもここが居心地のいい場所なのだろう。大きなブナが並び、そのほとんどに熊棚が作られていた。そのブナ、よく見ると爪痕は薄い。気性の優しい個体が生息しているように読み取れた。気持ち足早にこの一帯を抜ける。

 
 1560mを下ると、濃かった笹薮が幾分か和らぐ。そして1540mで、入山して初めて人工物を見る。それはピンクのマーキングであった。国体コースであり、なにかその名残のようなものがあるのではないかと気にしていたのだが、その類のものは無く、出会ったのはこのマーキングであった。この先こまめにつけてあり10m〜15m間隔で続いていた。この間隔でも見失いがちになるほどの濃い場所もあり、この場所においての設置方法は適性とも思えた。ただし回収はして欲しかったり、それで居ながら迷った場面では助けられたり・・・どっちなんだ。

 
 昔のルートが示されているのはエアリアマップ。そこを見ると、1480m付近からルートが南東に屈曲する。歩きながら、高度計を見つつ、コンパスで進路を確かめつつ、行き過ぎないよう注意していた。そして南東側に続くであろう道形に注意を払っていた。その付近に行くと、尾根の東側に太い掘れた跡があり、それに入ると自然と尾根を離れ南東に下りだした。東寄りに居たことがちょうどルートに乗れたようで、気にしていてよかった事になる。西寄りを歩いていたら、こんな藪の中では見つからなかった事となる。この付近にも当初はマーキングされたのだろうが、笹薮の中なので在り処は判らなくなっていた。ここを僅かに下ると、かなり明瞭な道形となる。最初はササに覆われてはいるが、そこに道幅がある事が植生の様子で判る。さらに下ると、斜面にはっきりと道形が見え、これまでとは雲泥の差でそれが判る。新たに切り開いたかのように見えるのだが、これまでとのギャップは不思議に感じた。

 
 快適な道形になり喜んでいたのもつかの間、1460m付近からは踏み跡を探すのが難しくなる。自然に同化し始めた。こうなると、緊張を少し解いた感覚の中ではルートを見出せず、また神経を研ぎ澄まして野生の勘を働かせねばならなかった。マーキングの主も迷っているのか、そもそも自分が迷っているのか、マーキングを追えない時間も出てくる。すると、予想外にも水場となる小沢に出会う。ここの水は冷たく美味しい物であった。通年涸れないような水量が見られた道中唯一の水場となる。ここでルートが判らなくなり、その小沢に沿って降りて行くことにした。降りて行くと、途中から黒いビニールパイプが表れた。こんな場所から引水しているとは・・・。沢の下流には集落はないし、ここでの人工物が理解の外であった。でもこの沢の水を利用しているって事は、付近でも美味しい水が流れている事に通じる。降りて行くと、だんだんとナメ沢となり、そこに水溜りも多くなった。正規ルートは東の1317高点を通過して行くルート、尾根に這い上がって行き、再び踏み跡に乗る。

 
 尾根に乗ると、踏み跡はアップダウンを繰り返す。地形図を照らし合わせ、尾根上の瘤の上を通過しているのが判る。かなり道形もはっきりし、この付近では「登山道がある」と言ってもいいほどであった。途中1110m付近のトラバース斜面には、タイガーロープが敷設してあった。ロープがあったのはここのみ。この付近になると下の沢音がかなり強くなる。もうすぐ木曽殿アブキ。しかし、最後の最後となる1050m付近で、ルートはあやふやになる。起伏した地形に、道形のような掘れた場所が無数にあり、何処が正規ルートなのか判らなくなってしまった。マーキングも見えなくなり、外したのは間違いないよう。大事な取り付き点までの確認がここでご破算。適当に急峻に足を降ろしてゆく。下の方に崖斜面があり、その下に清水川の流れが見える。特に危ない所は無く降りて行ける。木曽殿アブキの場所を対岸に探すと、上流側30mほどズレた場所に口を空けたその場所が見えた。エアリアの破線に対しズレたのは間違いないが、崩れた斜面も見えることから、もしかしたら取り付きから1000m付近までは、踏み跡が流れてしまっているのかもしれないと思えた。


 清水川に降り立った場所は、ちょうどそこに
H鋼の溶接構造物が地面に残っていた。これのみが右岸側での目印となった。振り返り斜面を見てもルートの在り処は判らなかった。下流側は取り付けない崖斜面で上流側もゲジゲジマーク。となると、まま良い場所を伝って来たようにも思えた。ジャブジャブともう後を考える事無く渡渉して行く。少し上流に進み、黒い口をあけている場所に吸い込まれる。

 
 木曽殿アブキ。前々から観たいと思っていた景勝地。アブキ橋の崩壊で渡れなくなってしまい、一般には観られない場所となった事で、ここの価値が自分の中で上がっていた。清水川を見下ろすような場所にあり、居心地は凄くいい。長手方向に50mほどあろうかと言う場所。これもまた自然の造形美。中央に鎮座する祠に、旅の終わりを挨拶する。ここからは散策路を伝う。見ると新しい足跡もあり、近日で好事家が訪れたよう。ヘツリの場所では、その下の水の中に岩魚の姿を見る。全ての自然の出迎えが嬉しく感じる。清水川出合から裾花川に出て、左岸側の浅瀬を進み、右岸に見えるスロープを目指して渡渉して行く。

 
 工事用道路に出るが、相変わらず木曽殿アブキ側はバリケードされている。以前はここに道標が在ったはずだが、現在は撤去されていた。さらに登り、奥裾花自然園に続く車道に乗る。残り2km強。緩やかな舗装路に足を乗せてゆく。今日は腕も疲れたし、足も疲れた。ササを分けるのにむこう脛を何度も強打し、ズボンを脱いだ後の状態が、痛みにより見えるようであった。渡渉で濡れた膝下を乾かすような強い日差しがある。出かけには暗い空が気になったが、幸いにも秋晴れのいい天気の下で楽しませてもらった。往来する車が多いと予想したが、ここでは1台も出会わなかった。自然園の徴収ブース前を通過するが、こんな所を歩いて上がる人は居ないのだろう、係りのおじさんは読書に没頭していて、全くこちらに気づいていないようであった。静かに前を通り過ぎる。

 
 奥裾花キャンプ場到着。駐車場には我が車のみ。やはり今はオフシーズンのよう。エンジン草刈機で管理の方がトイレ舎の裏を刈り込んでいた。その音が谷間に響くのみで、観光客の声などはなかった。これ幸いにと、スッポンポンに近い姿になり、体に入った枝葉を落とす。道中はいがらっぽかった場面も多く、駐車場に落ちる枝葉も多い、その多さがほとんど人が入らないことを示すのだった。無事予定完結。自然に感謝。


 振り返る。行動が
CCWだったら、山頂から西稜には降りなかっただろう。さらには、国体コースの今があの様子、登頂には6時間ほど使ったと思われる。尾根への取り付き、そして中盤以降の密生藪にかなりてこずることになるだろう。結果として下り利用で正解だったと思えた。事前に地図を穴が開くほどに見てシュミレートしたために、現地での臨機応変な行動でも成功に至ったと思える。国体コースの尾根が歩けたと言う事が、何よりの嬉しさ。周回コースとしてお勧めするにはやや危険度が高いが、短時間で踏めるコースである事には違いないと思う。園地内よりの濁川への道が、一般者通行止めの道であった場合、木曽殿アブキ付近から遡上して行くことになる。この時期なら問題ないだろう。ただし堰堤群が待っているか。また、健脚、藪好きな方は、木曽殿アブキからのピストンがいいだろう。歩き応えのある相応の楽しさのある場所に感じた。


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