大平山 1188.3m 蛾ヶ岳 1279.0m 大畠山 1117.6m
2013.8.10(土)
晴れ 単独 市川三郷町新田地区を起点に反時計回りで周回 行動時間:5H56M
@余地6:45→(8M)→A下九一色郵便局東入山口6:53→(33M)→B滑車の在る峠7:26〜28→(84M)→C地蔵峠(栂の峠)8:52〜55→(21M)→D大平山9:16〜19→(56M)→E蛾ヶ岳10:15〜22→(7M)→F分岐10:29→(35M)→G大畠山11:04〜06→(53M)→H前畑地区林道に出る12:09→(18M)→I水路の上に降り立つ12:27→(14M)→J余地に戻る12:41
@新田地区の西側の余地に停める。付近に公に停められる場所はここくらいしかない。 | A県道36号からの取り付き階段。 | 山道の途中には畑だろうか住居跡だろうか石垣がある。道形はイノシシや雨によりあれている場所が多い。 | ここにルートがあるのだが、ルートファインディング力を試される場所が続く。概ね薄い道形。 |
B峠下に滑車の小屋が在る。 | B峠。ここから蛾ヶ岳への道が分岐している。峠を乗越して進む。 | B峠から見る地蔵峠側 | 朽ちた橋は使えず渡渉して進む。この先がややあやふやだが、橋の延長線上に道形が進む。 |
沢は凍っており注意が必要。対岸側が崩落しており、這い上がるのに腕力が必要。掴む物が少なく、ザイルがあったほうがいい。 | C地蔵峠(栂の峠)到着。大ツガの出迎え。 | C行政の標識。 | C六角柱に彫られた石像。とても珍しい形状。 |
D大平山 | D大平山達筆 | D綺麗な形で残る三等点 | Dヤキソバパンと達筆 |
大平山からの尾根を西に進む。 | 1220高点 | E蛾ヶ岳到着 | E素晴らしい富士山の眺め |
E南アルプス側 | E大畠山側 | E甲府盆地側 | E三等点 |
Eフジと富士 | F山腹の峠道に降り立つ。 | Fこちらは完全形でお地蔵さんが残る。 | 途中の橋 |
四尾連湖への分岐点 | Gアンテナ塔の建つ大畠山 | G標識と三角点 | G達筆標識。こちらは日付が入っていなかった。 |
G二等点 | 北東側へ降りて行く | 最初の炭焼き釜の場所まで降りると、「畑熊方面」と赤ペンキがされている。ここまで出るまでに道があやふやな場所が多い。 | アンテナの残骸が見えてくると下の林道は近い。 |
H貯水施設の場所で林道に出る。ここは左に進んだ方が良いかもしれない。右に進む。 | 林道終点地となって、この先は上に踏み跡が進んでいた。戻る。 | しいたけのほだ木の場所が並ぶ西側を降りて行く。 | 途中でかなり細く薄い踏み跡に乗り東に進む。中央に道形が在る。 |
I水路の場所へ降り立つ。蛇沢の左岸。 | I降り立った場所から東を見る。 | 県道36号に出る。古宿地区。 | J駐車余地に戻る。 |
年末寒波がいい感じに日本海側に雪を降らしている。こうなると太平洋岸側は好天となり、年末・正月らしい天気となる。長野や水上方面が雪模様であり、久しぶりに甲州へ出向く。四尾連湖から東側の稜線をゴソッと一掃しようと考えた。残っているのは大平山から大畠山間。上手く一筆書きとすると、北か南のアプローチ。こうなると上州側から近いのは北からのアプローチとなる。最初にここを見た時は、四尾連湖からピストンしようかと思っていたが、そんなつまらない登り方では、折角の遊び場が勿体無い。これだけ破線が入っている場所であり、それら昔道を伝ってみたい。下九一色郵便局付近を基点に、ぐるっと周回しようと考えた。
1時住処を出る。野辺山を越えて行くのだが、八ヶ岳側からの吹き降ろしの風が酷かった。外気温はマイナス10℃を示しており、この年末から入山する方を少し気遣ったりした。須玉に下りて国道52号を伝って現地に向かう。これまで一度も市川三郷町の山は登っておらず、初めて出向く場所でもあった。芦川駅前を通過し、国道35号に入って行く。車通りのほとんどない道で、点々とする集落を見ながら奥に進んで行く。
下九一色郵便局はすぐに判った。昭和レトロな郵便局で、集落内で一番華やいだ場所に見えた。先に進んでみたが駐車余地が無い。集落から500mほど西に戻り、路肩が唯一広く空いた場所に駐車する。時計はまだ4時で、夜明けまで十分時間があり仮眠とする。この仮眠の間、通過したのは僅か2台であった。ここでの外気温はマイナス4度。アスファルト上に先日の積雪が溶け、凍てついた場所もちらほらと見られた。
この日の平面距離は11Km。6:45がつがつ歩くつもりで、寒いくらいの服装でスタートをする。集落内には、この地を治めた内藤肥前の守の墓なども見える。さらにその先に縦長のお墓があり、そこにも内藤の文字が見える。子孫なのか・・・。進んで行くと、山手側にコンクリート構造の階段がある。登って行くと東側に細い道形が進んでいる。ただし最初の場所で既に藪化している。少し分けると、谷に沿うように南側に道形が上がっていた。生活の場が在ったようで、石垣で囲まれた土地がちらほらと見えてくる。道が直登しているため、大雨による侵食が見えたり、輪をかけるようにイノシシの土坑の跡が見られた。道幅は、石垣が見える辺りまで広かったが、その先ではルートファインディングの勘がよろしくないと見えてこないだろう場所。ここで既に自信が無かったら戻った方がいいだろう。上に進むのに、何度と無く不明になる場面がある。完全なる藪山なら良いが、破線ルートである事から道が見えてこないことは不安を煽る。
基本、九十九折なので、外したと思っても上の方でまた乗ることも多かった。かなり薄い踏み跡であり、伝う人の少なさも感じられる。登山道としては、ほとんど利用されていないようであった。上の方を見ると、人工物が見えてきた。屋根があり誇らかと思ったら、その中身は滑車であった。林業作業がされていた名残であろう。その上の峠に上がると、ここには毘沙門天のような石仏が待っていた。まだ高い位置に地蔵峠らしき高みが見える。
乗越す道と蛾ヶ岳に向かう道が見える。直進し乗越して横沢の右俣を目の前にする。朽ちたぼろぼろの橋は使えず、川面に降りて石伝いに渡渉する。ここでもルートを見失うが、橋の直線状に対岸の道はあり、植林帯の中を通過して東に向かってゆく。農機具などが残っている場所もあり、この場所に畑があったようにも思えた。左俣の方は、ルートが崩落しており、凍てついた斜面にアイゼンが欲しいほどであった。手がかりが乏しくザイルも欲しい場所でもあった。
横沢を通過してからは、明瞭と不明瞭が交互にやってくる感じで、相変わらず「探しながら」歩くような感じだった。県道から伝ってきて、道標などは一切無いのが嬉しい部分。昔の、古の感じが強くする道でもあった。当然のことながら、高度を上げて行くと積雪量も増して行き、登山口が埋もれるほどに深くなる。自然と進度が落ちてゆき、“地蔵峠はまだか”と見上げる回数も多くなる。そうこうしていると、正面にこんもりとした高み、東に尾根筋、西に緩い地形が広がる場所に出る。ここで完全に道形を見失う。直登ぎみに南に突き上げてゆく。
地蔵峠(栂の峠)到着。立派なツガがあり、根元には珍しい六角柱に彫られた石像があった。行政の標識もあり、八坂峠側や四尾連湖側を示すものもあった。ここで登山道に乗った形となる。そして大ツガの解説を読みながら、少し呼吸が整ったところで西進を始める。
登山道は大平山を南に巻いており、適当に斜面に取付いて僅かに煩い藪を分けて登って行く。地蔵峠に上がるまではほとんど陽射しが入らない場所だった。主稜線に乗ってからは太陽の暖かい事。左斜め後に雪煙を上げた富士があり、その仰角40度ほどの真上に太陽があった。快適も快適。春の残雪期にも匹敵する心地よさであった。
大平山到着。マイナーピークであるにしては、広く居心地のいい場所であった。綺麗な建てられた当時の姿のままの三等点があり、山頂に締まりを与えていた。そしてこの山頂に相応しい達筆標識がかかっていた。95年1月製なので19年ほど経過している骨董域のものであった。ヤキソバパンの形が崩れないうちにと、撮影に託けた朝食とした。富士の存在が、自然と長居をしたくなるから不思議である。ただし、まだ最初の1座、残り2座ありゆっくりとはしていられない。
大平山からの西の稜線は、快適も快適、少々のアップダウンはあるが、ないに等しいほどに歩きやすかった。積雪の負荷でもそう思うのだから、雪が無かったら快適の極みであろう。向かう蛾ヶ岳が前方に見える。1220高点に登り上げ、一度大きく下ってから最後の上りあげ。少し急峻地形でタイガーロープなどが施してある。誰か居るかと思ったが、どうやら独り占めできそう。真新しい山梨百名山の標柱も見えてきた。
蛾ヶ岳到着。まず飛び込んでくるのは、南アルプスから右に、懐に甲府盆地を抱え込んだ絶景。松島四大観ではないが、「壮観」と言う言葉がピタリとはまる。そして反対側には、負けず劣らずに富士がこちらを向いている。これほどの展望の山とは知らずに来ているので、この出迎えは嬉しかった。祠と石碑があり、信仰の山でもあるようだ。先ほど真新しく見えた山梨百名山の標柱は、今年7月に建てたばかりのものであった。この快適さに、ザックを降ろして腰掛けてしまった。風もほとんど無く、コロナかプロミネンスのようになった富士の輪郭を見ながら小休止。山をやっていて良かったと思える時はこんな時。本日ここが最高所であり、あとは下るだけ。
西側に降りて行くのだが、積雪がかなり硬くなっておりアイゼンが欲しい斜面となっていた。慎重にゆっくりと降りて行くと、山腹を巻く山道に出合う。ここには地蔵峠で見たのと同じお地蔵さんが居り、こちらは6体が並ぶように彫られていた。フリーハンドで書かれた判りやすい地図もあり、分岐点にしては居心地のいい場所となっていた。ここからはほぼ水平道で四尾連湖の方へ進んで行く。ルートに勾配が出だすと、付近のピークを巻いて進むルート取りとなる。最後の1128高点を掠めると、その先で四尾連湖へ降りて行く分岐点となる。その道を左に見送り、そのすぐ先でさらに分岐となる。高みのほうを選び登って行くと、アンテナ塔が見えてくる。
大畠山到着。湖がある事で自然の残る山頂を思っていたが、これほど人工物が占領する山頂だとは思わなかった。監視カメラが付いており終始周囲を撮影して麓へ画像を送っているようであった。嬉しい事もあり、ここにも達筆標識がかかっていた。さらにはここの点は二等点であった。予定通り北へ下って行く。
954高点を過ぎた辺りまで忠実に尾根筋を追って降りて行く。そして破線が分岐する尾根の肩の場所で、地図に無い道が東側に降りていた。戻りたいのは東側の方であり、ここで安易に東側の道を選んでしまった。途中小さな沢を二つ跨ぐのだが、二つ目の沢に、枝道が出来ていて、どちらの道を選べば良いのか判らなくなってしまった。「垈」と書いてあるのか、何か書いてあるのだが、赤ペンキが判読できない物ばかり。迷ったが、迷ったときほどに間違いない方向へと、破線があるであろう西側に進むルートに乗った。省略したかったり、また戻ったり・・・。千波滝は氷瀑となり白く大きさを自己主張していた。
西側へ戻って行くと、明瞭な道が尾根から降りて来て合流した。間違いない地形図に示されるルートのよう。この先は一部崩落箇所があるが、ワイヤーが流されていた。道形を伝い降りて行くと、貯水タンクがある場所で林道に出合った。振り返っても、ルートがあるようには見えないので、どこか違う場所に入山口があるのだろう。林道に乗ったら、またまた東に進んでみる。やはり思考は東に戻る事しかない。しかし、ここでもまた林道は行き止まりとなり引き返す。林道終点からは上に向けて踏み跡が上がっていた。地形図に描かれるのはここなのか・・・。ただし、そこから下への道は見出せなかった。20mほど戻るとしいたけのほだ木の並ぶ斜面があり、その西側を降りて行く。すると杉の植林帯の中を横切るような、か細い踏み跡を見つけた。そこを伝って東へ進んで行く。途中から、これでもかと細かい九十九折になり蛇沢の出合の方へ高度を下げて行く。芦川右岸の集落の目が気になるような場所をガサゴソと音を立てながら・・・。幸い犬を飼っている家がなかったが、あったら吠えられまくりだったであろう。蛇沢の左岸、この尾根の取付きの辺りには東京電力の紅白の標柱が立っていた。
蛇沢を跨ぎ水路の上を南に向かって行く。民家は見えるが、全くひと気が無い。35号に出ると、日中は往来の車がちらほらとあるよう。緩やかに登って行き、濁沢を跨いだら先の方に我が車が見えてきた。迷う場面が多かったが、意外と早くに周回が出来た。主稜線が歩きやすかった事が、一番の要因だろう。この付近、どれだけ杣道があるのだろうか、里山であり無数にあるのだろう。