入野谷山    1772.2 m         


 2013.2.2(土)    


   雨    単独      国道152号 伊那市長谷市野瀬粟沢の冬季ゲートより      行動時間:5H50M 

   携行品: 8本爪  スノーシュー ストック


@粟沢ゲート(零磁場水工場)6:53→(51M)→AR152を離れる(粟沢を跨ぐ)7:44→(33M)→B粟沢支流のコテージ8:17→(46M)→C林道前浦線を跨ぐ9:03→(38M)→D1657高点北で主尾根に乗る9:41→(54M)→E入野谷山10:35〜48→(40M)→F分杭峠11:28〜31→(29M)→G中沢峠12:00→(43M)→H粟沢ゲート12:43


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@粟沢地区、零磁場水工場前のゲート。駐車余地は水工場の場所を借りる。 1028高点の僅か南で除雪は途切れツボ足となる。トレースが見えるが、すぐ先で粟沢川を渡渉して引き返していた。 A分杭峠への九十九折が始まる場所でR152号を離れ、粟沢川に沿う林道に入って行く。 堰堤の真下に橋があり渡ってゆく。
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やや狭い林道で、最初はドキドキする。 山手側に取り付いた場所。 再び林道に乗る。先ほどの場所は取り付かずに、林道に沿って進めばよかったよう。 山側斜面に不思議な小屋があった。この上の方に道形が見えていた。尾根に取り付くのなら、この辺りが適当。
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道形を伝って、大堰堤を右に見て谷を詰めてきた。(振り返り撮影) B遠目に観察小屋かと思ったら、コテージであった。 B内部には応接セットなども配し、居心地のよさそうな空間になっていた。 コテージの先へ谷を詰めたが、流れがあり行動不能。斜面に取り付き南側へ這い上がってゆく。温かい地形なのか、この周辺は雪解けが進んでいた。
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C1440m付近。林道前浦線を跨ぐ。 Cただし、山手側にフェンスがあり、容易には跨げない。 1460m付近。植林帯の中を行く。薄暗いが快適。 1550m付近で、再びフェンスあり。またまた難儀して越えてゆく。
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D1657高点南で主尾根に乗り上げる。高度を上げても腐れ雪で、雪だんごもいいところ。 標高1680m付近。周辺2箇所ほどで、二重山稜地帯がある。帰りに使うのならマーキングをしたい。この日も視界40mくらい。 E入野谷山到着。樹林帯の中のピーク。 E伊那市の立派な標識がある。大鹿村との市郡界であるが、伊那市の先手。
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E登ってきた北側の様子。 E三角点探索をしてみたが、雪が厚く断念。 分杭峠に向けて北西尾根を下って行く。1650m付近で急峻箇所が出てくる。 15000m付近でフェンスを跨ぐ。
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F分杭峠に降り立つ。「高遠領」の碑の裏に出る。雪の上には、最近付けられた二人分のスノーシュートレースがあった。 Fパワースポットとして有名になっている分杭峠。この時期は、さすがにひっそりしている。 R152を下って行くと、標高1350m付近まで除雪が上がってきていた。この日のうちに峠まで上がったであろう。 G中沢峠通過。
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往路に国道を離れた場所。周回完了。 国道は見ての通りテカテカ。圧雪の下、表面と、水が流れては凍っている。滑り止めの装具は必須。 Hゲートに到着。水工場の駐車場もテカテカであり足元注意。




 前週の日本ダボスに続き、今週もまた新規に地形図に載った山を目指す。「入野谷山」。伊那市が名前を募ったところ、北側の旧長谷村の地区名がそのまま山の名前になった。気になったのは、市郡界として大鹿村の存在が完全に霞んでしまっている。大きな物に巻かれたのか、もしくは裏できちんとやり取りがあったのか。山梨と静岡の喧嘩は目に余るものがあるが、ここは同じ信州地内だから、穏便に話がついたとも予想できる。新規に載せる場合、けっこうな労力が必要。フットワークのいい関係者が居たってことであろう。

 

標高は1772m。北陸で狙うなら、もう気合入れまくりで望まねばならないが、そこは信州の山村域、雪質もそうだがアプローチの道も存在し狙いやすい場所でもあった。それには国道152号の存在があり、これを利用しての分杭峠からであれば、90分ほどで山頂に届いてしまいそうに見えていた。よって無積雪期では面白くないので、雪を負荷にした。その前に、無積雪期の分杭峠は知られたパワースポットであり、大型バスで人が押し寄せるらしい。これはなんとしても避けたい気持ちがあった。冬季に狙うので決定。

 

1時半、家を出る。野辺山を越えて小淵沢に降り、杖突峠を越えて高遠に入る。R152の情報は全く得てきていなかった。それでも市野瀬地区には住居があり、最悪でもそこまでは入れ、そこから歩くことも想定してハンドルを握っていた。行ける所まで・・・市野瀬地区を過ぎ、左に民家の明かりを見ると、その先には住居はなくなる。あるのはゼロ磁場の水工場だけ。と、その工場前でゲートされていた。ゲートの先に除雪車があり、作業が進行形の様子が伺えた。ゲート前の注意書きには、3月8日まで冬季通行止めとある。それにしては除雪が早いと思えたのだが、日頃の作業の積み重ねが、除雪作業の軽減なのかとも思えた。屋根の雪下ろしと一緒。こまめに・・・。

 

ゲート前には水工場の駐車余地しかない。申し訳なさそうに端の方に寄せて停める。既に大雨が降っていた。ボトボトと屋根を叩く雨。雪でなく雨は久しぶり。判って来ているのでしょうがなく、シュラフに包まって夜明けを待った。渡渉箇所も一応想定しており、闇夜は避けたのだった。あと、スキーもどうかと思ったが、地形的安全策をとってカンジキかスノーシュートした。東側の浦地区からの入山であれば、スキーにしたかもしれない。等高線の詰まりようは、あからさまに違っているのが判るだろう。

 

雨は依然止まず。最後まで装具を迷ったが、スノーシューを持つことにした。これは大正解であった。ゲートを水工場側から越えてゆく。除雪は何処まで続くのかと、凍った路面に気を使いながら細かいピッチで進んで行く。既にアイゼンを着けたいような滑りようであった。地形図を見ると、南進する先に1028高点があるが、その僅か先で除雪は終わっていた。15分ほどツボ足から回避できた事になる。そしてこの先から本番でもある。でもそこに一人分のトレースがあった。ソールパターンが読めないので、山師なのか猟師なのか山屋なのかも判別不能。ツボ足をしながら僅かに進むと、粟沢川に降りて対岸に行き、また戻ってきている。どうも林業関係者のトレースのようであった。すぐ下流には伐採木が散乱している場所。それと繋ぎ合わせてそう予想をつけた。

 

スノーシューの雰囲気は、フカフカの雪の上をふんわり歩く・・・こんな理想を持つのだが、現実は湿った重い雪が足かせのように纏わり着く状況であった。すぐに股関節が悲鳴を上げてくる。足が重い・・・。ゲート出発時、地形図から取り付けそうな尾根を3本確認していた。中沢峠への九十九折に入るまでに、粟沢川を挟んで東側にある顕著な尾根が使えるなら使おうとの意気込みでもあった。でもその気持ちを重い雪が遮っていた。この重たさを急登で・・・。結局、その九十九折下まで行き、そこから粟沢川沿いに奥に続く林道に入って行くことにした。

 

林道に入り、まずは堰堤の真下にある橋を渡ってゆく。飛沫を浴びて朽ちているのではないかと、恐る恐る通過して行く。少し北に戻るように林道は巻きこみ南進して行く。ややこの辺りは狭く岩が露出していてドキドキするのであった。さて何処から取り付こうか、常に山手側の登り易そうな場所を見定めながら進んでいた。それでも林道の道形があり伝えるものならこのまま、と取り付きたい気持ちと現状維持したい気持ちが半々となって足を出していた。その途中に黄色い看板があり、我がスイッチが入り、そこから斜面に取り付く。やや急登をもがきつつ上がって行くと、なんてことはない林道に飛び出した。見ると先ほどの林道が堰堤前で折り返してきていた。ショートカットできたものの、体力は消費した形。これがパイオニア的登山でありしょうがない事。道形に沿って進んで行くと、林道の上3mほどの場所に小屋が見えてくる。これは何の目的なのか全く判らなかった。上の方を望むと、道形があるようなバンドのような棚地も見えていた。後に続く方がこの付近からアプローチしようとしていたら、この小屋を目印に取り付き上を目指した方がいいと思う。

 

林道に沿って進んで行くと、右側に大きな大きな堰堤が見えてくる。その先、小谷の出合のようになっており、人工物が見えてきた。簡易トイレである。工事現場か観光名所か、と予想を立てて進んで行くと、観察舎のような建物が見えてきた。後者か・・・と普通に思ったが、六角堂のような造りのそれは、なにか違う。階段を登り窓から中を覗くと、それがコテージである事が判った。応接セットなどもあり、居心地の良さそうな空間があった。裏手に回ると、持ち主の詳細が書かれていた。個人的な持ち物のよう。さてここまで入って来たが、どう進路をとろうか。普通に沢を詰めて行くのが適当と思うが、小屋から先の沢にはしっかりと流れがあり、流れが埋まるような積雪量にはなっていなかった。20mほど沢を詰め、途中から南側の斜面に取り付く。周囲の地熱が熱いのか、雪解けが極端に進んでいた。南斜面ということからかもしれない。雑木に引っ掛かれながら、足を上げて行く。ここに来てこの状況なら、もう少し早くに顕著な尾根に取り付いて居ればよかった。この斜面は歩き辛く、進度が上がらないのであった。それでも我慢して上がるしかない。

 

林道に飛び出した。標高1440m付近。前浦線であることは間違いなく。早くに出合わないかと待っていたのであった。既に2時間ほど経過している。この雪質と天気ならしょうがないと思う反面、不甲斐ない進度でもあった。林道に出て安心していたが、進む先の山手側にはびっちりと鹿除けフェンスが張り巡らされていた。それもしっかりと手抜きが無く作業が丁寧。こうなると跨ぐのに難儀する。北に南に跨ぎやすい場所を探し、腰くらいまである主ロープを少し押し下げて越えてゆく。越えた先は杉の植林帯で、その暗さが荘厳な雰囲気となっていた。緩やかな勾配。標高を上げたら雪の状態が硬くなると思っていたのだが、全く一本調子で、踏み込んだスノーシューの上に1キロほどの雪がゴトッと乗る。これが頻繁に繰り返された。アイゼンだんごの時のように、一歩ごとストックで叩き落しながら進む羽目になった。これも気温と降雨の関係による。

 

1550m付近で、左(北)側からフェンスが上がってきて、30mほど尾根を伝い、その先で右(南)側に抜けていた。ここも尾根通しで行く場合は乗り越えねばならない。でも、先ほどの林道の場所同様に仕事きっちりで、しっかり施工されていて破れた穴なども針金で結ばれていた。持ち上げても上って来ず、ここでもハイジャンプ紛いに乗り越えねばならなかった。ここを過ぎるとやや急斜面となる。細かく九十九を切りながら高度を上げて行く。前方に顕著な高みがある。1657高点であろう。急な場所を避けて、左(南)側から巻き込むように主尾根に乗って、そのピークに向かって行く。

 

1657高点の上で少々ドキッとする。前方の立派な針葉樹(朽ちている)の上に、熊棚のようなものが見える。それも寝床としては立派過ぎる大きさ。その木の下の方には、爪を入れたような禿げた痕もある。これは・・・。当然のように周囲を見回し、先住民の存在を確認する。足跡は無いのでまだ冬眠中か・・・。そこに足を寄せて行き仰ぎ見ると、なんてことはないヤドリギであった。視力が悪くなってきたことを感じる。主尾根の上には、ピンク色のマーキングが続く。伊那市の登山道作道の為の下準備かとも思ったが、全体を見通して考察すると、林業関係者のもののようであった。

 

1657高点の南にも、顕著な高みがある。南側はこの時期にしても大岩が露出していた。切り立った壁のようになっている。ここは西側を巻き込むように進んで行く。地形図の破線も、ここは東側を巻いているのはこれが要因のようだ。かなり視界が閉ざされ幻想的な景色になってきた。モノトーンの物悲しい・・・。けっこうこの淋しい感じが好きだったりする。緩やかなアップダウンと、そして二重山稜的な場所もあり、濃くガスッた場合の下山時は注意かもしれない。

 

いつしか雨は上がったが、代わりに風が強くなり風防を剥ぎ取るほど。防寒具のジッパーを首元まで上げて南進していた。主尾根に乗った時から気になっていたが、東に広がる緩やかな地形を見ると、“こっちからアプローチすればよかったか”などと思ってしまった。ゆったりとした広葉樹林がそこにあるのだった。R152の存在で、東からの意識が霞んでしまってのこの日でもあった。

 

前の方に黒い人工物が見えてきた。オヤッと思い近づくと、それが入野谷山の標識で、伊那市が立てた物であった。入野谷山到着。もう少しフカフカ、もしくはサクサク歩くつもりで居たが、後ろに続くトレースは、ゴットリと雪を剥がされた様なツボ足跡。よく頑張った・・・。針葉樹林の中の山頂。生憎の天気でもあり展望は無い。でも、広い山頂部で居心地は悪くない。すぐさま三角点を探しに入るが、掘っても掘っても地表面は出てこず断念。それにしてもすっきりとした山頂。伊那市の標識がそう感じさせているのだが、私的な標識が無い為だと思う。行政も先手を打った上手な手法だと思えた。ただし、大鹿村との市郡界の場所。大鹿村はノータッチなのか、なんて気にするのだった。白湯を飲んで温まり、下山となる。

 

往路のトレースを辿ればかなり楽だが、予定していた分杭峠側に降りて行く。しばらくは快適ななだらか地形だが、途中からやや痩せた尾根となり、1650m付近からはかなりの急斜面となり、滑落を気にしつつ木に掴まりながら高度を下げて行く。ここだけはワカンの方が都合がいい場所であった。急峻が終わり一安心した訳ではないが、ルートミスをして南の尾根に入ってしまった。少し上にも分岐尾根があり、そこをしっかり判別してきて安心していたのかも知れない。すぐにもう一つ分岐尾根があり、自然と南に進んでしまった。下に見える道形(R152)に対し進む方向がおかしいので気がついて修正。降りて行くと1500m付近に鹿除けフェンスが横切っていた。跨いで進むと、下の方に見覚えのある建物(ログ調のトイレ舎)が見えてくる。分杭峠であった。縦に流されたフェンスの脇を降りて行く。補強用のバン線があるので、引っ掛けないよう注意が必要。最後はシリセード気味に滑り降り、「高遠領」の石柱の裏に降り立つ。

 

分杭峠には、二人分のスノーシュートレースがあった。高遠側からは無かったし、前浦線途中にも無かった。となると大鹿村側からのものだろう。この先は下り一辺倒ではあるが、重い雪のままであり楽には思えなかった。粟沢川に降りて行く破線ルートもあり、少し気になったが、こんな事でもない限りR152号を歩くことはないであろう。国道を伝うことにした。静かな分杭峠。パワースポットだと思うと、そんな場所に思えるから不思議である。

 

時折ある雪の押出しを乗り越えたりし、じわりじわりと高度を下げてゆく。何度も叩かねばならないストックを持つ両腕は、けっこうパンパンになってきた。除雪の場所まではまだまだ長い・・・。そんな中、なにやらかん高い音が聞こえてきた。独特のその音が重機の音だと判るまで時間はかからなかった。“来ているのか・・・あれが” “でもまさか、封鎖解除は来月であり、作業ままだ・・・”麓側での工事現場からの音だろうと解釈していた。すると前の方から黄色いそれがやってきた。嬉しさ半分、楽を出来てしまう残念さ半分。オペレーターに頭を下げてすれ違うように脇を通過して行くと、中から声をかけていただく。「下から上がってきたのですか?」。「はい」。「すっげーなー、ほんとですか、この雪の中を・・・」。そんなに驚かれる事はないのだが、歩かない人にしてみると率直な反応なのだろう。「この先、もう一台動いています。注意して行って下さい。」「あと、雪崩れている場所もあるので、注意願います」。方や遊び、方や労働者、そう考えると、ここに居るのが忍びな。そしてこの地域の人の温かさに触れる。会話せずに通過しようと思った先ほど、オペレーターの人懐こさに、この旅がとても気分がいいものに変わる。会話の重要性・・・。これがあり、標高1350m付近からは除雪された国道を降りて行く。

 

中沢峠から駒ヶ根側でも重機が動いていた。それを左に見ながら旧長谷村側へ降りて行く。除雪されてありがたいが、雪の下になっていた剥がされたそこは、ツルツルテカテカであった。登山靴だけではまず歩けない場所。アイゼン必須。ただしこの日はスノーシュー。スノーシューの程よい刃の高さが、ここでの通過にちょうど良かった。ガリガリと刃音をさせながら制動をかけつつストライドを伸ばしてゆく。そして九十九折の一番下まで降り、粟沢川上流に向かう我がトレースに出合う。自分のものであるが、それが他人の物のようにも見える。これを見て、「この人、何処に行くのだろう」なんて第三者的に見るのであった。

 

天気は時折陽射しも出る様になる。それにより凍結路面の照り返しが強くなる。テカテカ度が上がり、スノーシューの刃でさえも滑るのではないかという視覚的恐怖感も抱く。よく見ると、圧雪の凍った下を水が流れている。表面も下も・・・この日は暖かい日であったが、僅かに冷えれば凍ってしまう。状況に納得であった。前の方にゲートが見えてきた。水工場は土曜日は稼動していないようで、出入りの様子は見受けられず。無断駐車に対して挨拶をしようと思っていたのだが、回避された。ゲートを越えて駐車場へ到着。スノーシューを外し、一安心とばかりに着替えに入ると、ツルッ!! 滑るは滑るは、ここもカチンコチン凍っており要注意。自分の中でのこのエリアは、「凍る」と擦り込まれたのだった。

 

考察。分杭峠からの無積雪期なら1〜1.5時間ほどであろう。もう一つ、宇津木地区からの破線が気になるが、尾根の様子からするとさほど荒れておらず伝える道のように思えた。なにか位置関係で魚津の僧ヶ岳とかぶるのだが、前浦線途中からのアプローチ、今の宇津木地区からのアプローチでも楽しめる場所かもしれない。

 

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