板戸岳    2232.7 m         大ノマ岳    2662m


 
2013.5.18(土)    


   晴れ     単独       新穂から左俣経由、秩父沢を登る      行動時間:14H 

   携行品: 12本爪 ピッケル ストック


@新穂駐車場1:00→(18M)→Aゲート1:18→(74M)→B小池新道入口2:32→(178M)→C秩父平付近5:30→(66M)→D2473標高点6:36→(18M)→E2434.9高点6:54→(21M)→F2373高点7:15→(33M)→G板戸岳7:48〜8:08→(61M)→H2373高点帰り9:09→(57M)→I2434.9高点帰り10:06→(32M)→J2473帰り10:38→(38M)→K秩父平帰り11:16〜20→(49M)→L大ノマ岳12:09→(12M)→M大ノマ乗越12:21〜27→(58M)→N小池新道入口帰り13:25→(76M)→Oゲート帰り14:41→(19M)→P駐車場15:00


cyuusyajyoukara.jpg  ge-to.jpg  kasshindou.jpg  wasabiouro.jpg
@市営駐車場出発 A左俣ゲート 笠新道登山口。雪はすっかり消えていた。 ワサビ平。ベンチも姿を現していた。
koikeshindou.jpg  1900.jpg  2040.jpg  2040shita.jpg 
B小池新道分岐 1900m付近。秩父沢を詰めて行く。 2040m付近。デブリが雪融けで均されている。 2040m付近から下側。
2150.jpg nodoshita.jpg  chichibudairashita.jpg  sextupi.jpg 
2150m付近。ここまでに雪の上に大きな落石を多々見る。そういう谷って事。 のどに向けて突き上げてゆく。 ここを乗り上げたら、平らな場所が待っていると思ったが、秩父平の西側の場所に出る。 C乗り上げた場所。秩父平の西側の場所。雪庇が南側に出来ている。
douhyou.jpg  2792kitasyamen.jpg  kudarinagara.jpg  2473.jpg 
2667高点南で夏道の道標に出合う。 秩父岩側に少し登り北西尾根に入って行く。広い斜面だが、写真下の方に急斜面があり、ルート取りがやや難しい。 急斜面が終わり安全地帯に入る。これから北西尾根に踏み入れて行く。 D2473標高点付近。鞍部で標高をとっている場所。
2480.jpg  2434.9.jpg  shirabisononaka.jpg  yuruyakanikakou.jpg 
2480m峰。二つのこぶになっている南側峰。 E2434.9峰から黒部五郎。 しばらくシラビソ樹林帯の中を行く。陽射しが欲しい場合は東側を進むと得られる。涼しくも歩け、暖かくも歩ける場所。 緩やかだが、雪の起伏によるアップダウンは多い。
2373kara.jpg  mousugu.jpg  sancyoumae.jpg sancyouha.jpg 
F2373高点から。ここから鞍部まで180m高度を下げる。 最後の屈曲点。目的地が左に見えている。 もうすぐ。見たとおり、居心地のいい場所。 最高所は雪が切れている。写真中央やや左に、踏み跡が見えているだろう。
hyoucyuuto.jpg santou.jpg  oku.jpg  hyoushiki.jpg 
G板戸岳山頂。朽ちた標柱が立ち、その前に標識だろうか散乱している。 G三等点 G「oku」。個人か大学パーティーかってところだろう。 G中津川の三輪さんも2010年に登っていた。
koroxtuke.jpg kurobegorou.jpg  hakusan.jpg  yari.jpg 
G笠ヶ岳をバックに、珍しくコロッケパン。 G黒部五郎を眺める為にあるような場所。こんなに美しく黒部五郎を観たことがない。 G白山の眺めもいい。 Gこの鋭利な槍。シンメトリーな綺麗な矛先。これぞ槍の穂先。切っ先を突き上げた姿。
sugorokutani.jpg toraba-sukaeri.jpg  hukaianbu.jpg  2373kaeri.jpg 
戻りながら双六谷。幾分は滑れるが、既に口を空けた場所も見られた。 中央の白い高みが大ノマ岳。 正面が2373高点峰。こちらから60m下降し、180mの登り上げ。 H2373高点帰り。
94.jpg  2434kaeri.jpg  nadare1.jpg  toraba.jpg 
I2434.9高点帰り。 J2473標高点帰り。 2490m付近の斜面で、表層雪崩。50uくらいの広さ。直線的に2667高点側に行こうと思っていたが、迂回せねばならなくなった。周囲は崩れた雪の色と同じ。 2550m付近をトラバース。ちょっといやらしい斜度を伝う。大人数で通過すれば、雪が切れそうな斜面(雪の様子)だった。
2667womaku.jpg  deburi.jpg  nant.jpg  chichibudairano.jpg 
2667高点の北東側は、雪庇が崩落していた。トレースが見えるが、上の方からトラバースしようとしたが、雪庇が降りられず断念して降りてきた。それよりも・・・。 崩落した雪庇は何十トンもの量で、斜面中央部をデブリが覆いつくしていた。 大きい物は8トンとか9トンとかありそうな個体もあった。そのデブリの中を急ぎ足でトラバースして秩父平に向かった。北尾根から崩れている場所もあり、ここはデブリの巣となる。 K秩父平付近に戻る。さすがに復路の時間だと秩父沢を徒歩で下るのは怖い。行くなら一気にスキーで・・・。
chichibudairakara.jpg  oonoma.jpg  yarigawa.jpg  oonomanoxtukoshi.jpg 
K秩父平から大ノマ岳までが雪が緩くて難儀した。ハイマツ帯周辺は、ほとんどで踏み抜き状態。時間がかかる通過点となった。 L大ノマ岳。単独の方が往復したトレースが残っていた。 L大ノマ岳から西鎌尾根。 M大ノマ乗越。雪面にテントサイトが切り開かれていた。
syamen.jpg  shitanohou.jpg  chichibusawakaeri.jpg  koikeshindoukaeri.jpg 
緩やかな傾斜。スキーで来れば最高に楽しめたであろう。 眼を瞑っていても滑れそうな快適斜面。 往路に伝った秩父沢。天気、陽射しの強弱、時間、何処もそうだろうが狭い分その見定めは重要となろう。 N小池新道入口 
kumano.jpg  wasabikaeri.jpg  jyosetuno.jpg  hiyake.jpg 
小池新道分岐の僅か南にかなり大きな足跡があった。大きな動物の中でもかなり大きな個体。 ワサビ平はまだ冬支度。この日、除雪が終了したので、週明けから小屋開けをするだろう。 除雪された様子。車が通るにはちとまだ厳しい。 また焼けたハイカー。黒くて顔が何処にあるか判らないだろう。
ge-tokaeri.jpg  cyuusya.jpg     
Oゲートに戻る。 P駐車場の様子。閑散としていた。    




 行くしかないような天気予報。夏に向けて季節が動いている中、高所でいくら雪が多いと言っても旬の時期ってものがある。ここで突っ込んでいかないと、また来年まで待たねばならないと思えていた。前週もチャンスを伺ったが雨模様。そして週が変わった今週は、お膳立て十分。

 
 ネット上では、3名の登頂記録が見られる。その行動や登頂がしっかりと判るのが、「山頂渉猟を追って」の頃のMLQ氏の記録。忠実に南川さんをトレースして行動したよう。狙うに際し、地図上(平面)の最短となると、抜戸岳経由が速そうに見えるが、その高低差を見てしまうと、抜戸岳のその場所から600mも下って行かねばならないのも精神的負担が大きい。よくルートを吟味すると、やはり大ノマ乗越付近を経由するのが順当コースだと思えてきた。ちょっとくらい変化をつけたいが、それは秩父沢を登るくらい。ここはスキーで降りる人は多いが、登っている人は少ない。位置付けとしては穴毛谷みたいなものなのだろう。狭い谷で雪崩など崩落が多い・・・。通過は前々週と比較し雪崩の様子で伝うか判断する事にした。ただ伝うことができれば有利。よって伝いやすい時間は狙っていこうと考えた。

 
 予想行動時間は、雪の状態で左右されるが、16時間〜18時間とした。ワンデイと決めたからには、0時発として余裕を持って1日を使いたい。でもでも、秩父沢に入るためには、ここで有視界にならないと拙い。現在の夜明けは4時くらい。小池新道入口まで1.5時間。そこから秩父沢出合まで30〜40分。これらを逆算すると、2時くらいに出ればちょうどいいことになる。でも、秩父沢の核心部は下のほうでなく中盤以降。見定めの必用はこの付近。となると経路に1時間をプラスして、夜明けの明るさが欲しいまでに3時間。よって出発時間を1時と考えた。

 
 前夜、20時に家を出る。気温は24度あり、現地の雪の状態がかなり気になりつつハンドルを握っていた。三才山を潜って松本に出て、新島々、島々と158号を伝って行く。経路のコンビニに立ち寄りヤキソバパンを探すも、何処にもなかった。翌日の為の配送は、この付近は日を跨いだあたりで行われている。まだ早いのであった。でも現実があり、ないものはなくしょうがない。安房峠に向かいながら、最後のセブンでもそれがなく、諦めてコロッケパンを手にした。験を担ぐ事なのだが、ヤキソバパンが手に入った場合と、そうでない場合、ちょっと気持ちが違う。「もしかしたら今日の登頂はないか・・・」不安が過ぎる。

 
 新穂高の深山荘前に着いたのが23時40分。キリがよく0時に出てしまおうかとも思えたが、計画通り行こう、しばし仮眠をとシュラフに包まった。驚くほど駐車している車が少ない。「連休以降の1〜2週は空いている」この我が法則に狂いなし。経路では月が見えていたが、高山に囲まれたここでは月明かりも入ってこず、そのぶん星空が綺麗に見えていた。動きたくてウズウズしている裏返しだろう。熟睡などなく、15分おきに目を開け時計を確認する。そして0時40分、起き上がりまずは地図を再確認。外に出ても寒さは無い。周囲の静けさの中、蒲田川だけが轟音を上げていた。見ないまでも、雪融けの冷たそうな音がしている。

 
 1時駐車場を出発する。付近の硫黄の香りに癒されながら左俣に入って行く。今日は土曜日、この周辺でも工事がされるだろう。対岸に仮設橋で渡り、慰霊碑の場所にある神社を参拝して行く。ここ最近、入山時と下山時には必ず頭を下げて通過して行く。「登ってやる」のは根性の部分。「登らせてもらう」気持ちはいつも。ここを間違うと大きなしっぺ返しを食らう。謙虚に慎重に・・・。あとは、社殿に挨拶した事で心の安らぎが得られる。このことだけでも行動するに対し有益であり落ち着いた判断が出来たりする。昔からの風習・因習は、意味がある。

 ゲートを越えてゆくと、予想通りの雪融けよう。風穴の冷気が感じられなかった前回。今回は自然のクーラーがしっかりと感じられる。笠新道登山口まで、雪に乗ったのは合計で僅か3分ほどであった。全てに春を感じる。そしてその先のワサビ平も、すっかりと全容を雪から現し、ベンチも「寄っていってください」とばかりに小屋前でハイカーの番をしていた。この林道は自然融解ではなく、パワーショベルを使った除雪が行われていた。その刃跡が残る所を最後に、その先は前回同様の雪の押し出しがあり、乗り越えながら進んで行く。

 
 小池新道入口。この先がこの時期迷う。日中であり視界があれば問題ないのだが、闇夜でヘッドライトでの行動だと、注意点となるか。進むべき方向は大枠では判っているが、そこに夏道が見え隠れすると、どうしても夏道を追うように考えてしまい。その夏道の場所はちょうど歩き辛い場所となっているのが今。無積雪期に歩いている人は、石畳のようになった上に足を乗せたであろう。融雪時期は、石が温まり融雪が加速している。周囲全体で踏み抜きが多くなり、一度グザッとやって左膝を強打し、進退を考えてしまうほど痛みを感じた。しばし引きずるように歩き自然治癒。こんな事で負けていられない。ルート取りが判らないまま迷走しながら詰めて行く。下丸山のシルエットで自分の位置をおおよそ把握していた。

 
 歩きながら当然だが秩父沢に入るか否かを考えていた。入った場合のリスクはここで思うも机上で思うも同じで、出来れば入らないほうがいい。ただし、全体の予定を考慮すると入ったほうが絶対有利。入ったほうがと言うより、通過できればと言った方がいいか。慣れると闇夜でも眼が見えてくる。人間の機能は便利さに押され退化してきていることが判る。秩父沢出合となり、はっきりと見えないまでも、その方向を見上げる。特に大きなデブリも増えていないし、安定した斜面に見えた。少し突っ込んで、あまりにも酷かったり危険に思えたら大ノマ乗越もあることだから、臨機応変にルートを変えようと思った。そして詰めて行く。

 
 秩父沢内部。落ちきったと言っていいのか、落ちるべき場所の物は落ちているようで、今は安定した状況に思えた。デブリも雪融けで均され、踏み抜きなどもなく良く締まっている。ただ、楽そうに見えた傾斜は、歩けども歩けどもなかなか進んでいないような気分にさせられる。夜明けを4時に向かえ、それ以降視界が良くなって、なおいっそう如実にそれを感じる場所であった。それには、通過を急いでいた気持ちもあっただろう。なにせここの通過はワンピッチで抜けきろうと決めていた。雪面には怖いほどの落石が落ちている。それも角が立った鋭利な物が多い。タイミングが悪ければ悪場となり、西風の風下側であり、やはり登られない場所って言うのは理由があるようだ。

 
 先の方に見えるノドに向けて突き上げてゆく。下を向きたい首を強制的に上げて左右の岩壁に注意を払う。「ここの通過でもし雪崩れたら、こう逃げよう、こう回避しよう」この事を常に考え、予測と対策をしながら高度を上げていた。一つの手段として、秩父岩側に雪に伝って登ってしまってもいいか・・・そう思える斜面が進路左側にあり、エスケープルートとして考えていた。そしてモルゲンロート。向かう先の岩峰がオレンジ色に焼けだす。いつもそうだが、これを境に「一日が始まる」と思える神聖な時間でもあった。焼けだした岩の表情を見て、今日は歓迎されているか嫌われているかが見えてくる。

 
 目指すノドの直下になった。下から見るとノドの先に谷が繋がっているように見えたが、近くなると、その先が秩父平なのだろうと思えてきた。雪の堆積に従うと、下から見えている様子に従うとここに行き着くのだが、秩父平を目指すのであれば、ここでやや進路を右(東)に振らないとならない。乗り上げたその場所は、2667峰や秩父岩などから形成される岩峰群の懐的場所で、大ホールの中に居るようであった。広く気持ちがいい場所と言いたいが、2667高点から東に伸びる尾根の雪庇が、こちらに向いて出来ている。落ちてくればボーリングのピン同様に秩父沢に落とされそうな場所となっていた。

 秩父平は東側に平く見えている。一応谷の中が終わり安全地帯に入ったが、ここはここで進路を迷ってしまうことになった。秩父平であれば、MLQ氏のように2667高点を標高度上げずに巻き込むこともできる。ここからだと、見える雪庇を回避して何処かを乗り越えて進まねばならない。スキーヤーのトレースは、秩父岩側から降りて来ていた。登るにはしんどそうで、残る最後の優しいルートとして北西側の斜面が伝いやすそうに見えた。しかし、下から見えるのと現地は違うもので、途中まで良かったが、上の方は雪の堆積によるリッジになっていた。「アリャ」と思わず口にしたくなるようなルート取りとなってしまった。それでもそこを抜け出すと、目の前に夏道が現れ、道標も立っていた。

 
 2667高点の南の下降点分岐。標高重視なら、そのまま西進が順当手段。ただし地形図を見るとゲジゲジマークが連なっている。普通に避けることを考える。迷った場合は高度を稼いで上から俯瞰。これは山の鉄則。それに倣って、一度秩父岩側に登り上げる事とした。夏道を踏んだり離れたり。傾斜はそのまま2792高点まで続いているようであり、2740m付近まで上がって北西側をまじまじと見る。素晴らしき雪のつながりで先に伸びている北西尾根。そしてなんと言っても黒部五郎岳の姿が凛々しい。その黒部五郎を見上げるような場所にこれから行くので、ワクワクしきりでもあった。

 
 高度を下げてゆく。広大な斜面で開放感があるが、けっこうな斜面。絶対にアイゼンなくして通過できない場所。爪に命を預けるように九十九を切りながら高度を下げてゆく。西側にハイマツがあり、それを西側に巻くように行けばよいのかと思ったが、その先には北側を向いた大きな雪庇があり、危険な斜面であった。場合によっては、雪融け状況によっては、雪崩れる斜面に思えた。その答えを復路に見る事となる。慎重に雪質を見ながら降りて行き、なんとか北西尾根に乗った。その基点が2473標高点と言っていいだろうが、ここはピークではなく鞍部で標高をとっている場所。既に歩き出しから5時間半を経過している。ま、5.5時間でここまで来られたのでヨシと思うほうが正しいか。実際はもっと時間がかかり、ヨレヨレでここに到達すると思っていた。やはり秩父沢の利か・・・。

 
 よく締まった雪質に、アイゼンの刃跡のみが雪面に刻まれてゆく。この先、2480m峰が双こぶのように縦列している。本来はこの辺りで標高を拾っていればいいと思うが、その先の下りだした途中に三角点が埋設されているよう。気にしていなければ、全く判らないような場所となっていた。広大な幅広の尾根が、この2434.9三角点付近から少しづつ絞られてゆく。それにしても双六から黒部五郎一帯の右に見える山塊が美しい。それを愛でながら歩けることがなによりもの至福。雪の堆積によるアップダウンをしながら、緩やかに高度を下げて行く。尾根東側では陽射しが得られ、西に入るとシラビソ樹林の中となる。暑過ぎず寒過ぎずで、東側を選んで歩いていた。

 
 北西尾根で顕著なピークがこの先に現れる。それが2373高点。ここほどにはっきりしていると、地図を手にせずとも現地でその場所が判断できる。さあここから勿体無いほどに高度を下げる。当然の復路があり、そのことを考慮し、ストライドは狭くし復路用の階段を作るように踵を入れて降りて行く。完全に樹林帯の中となり、これまでが視界が得られた反動かもしれないが、「あれっ、どっち」とコンパスを出すような場面も出てくる。顕著な尾根と言うよりは、やや広い斜面が待っていた。鞍部を狙って、遠く先を見るようにして進路を選んでいた。もうすぐ、「もうすぐ着く」と思っていないと、ここでの下降は勿体無く思えてしまう。折角稼いだ高度を一気に下げてしまうのがここ。

 
 鞍部からは見上げるようになった高みへゆっくりと登って行く。さすがにそろそろ疲れも出てきている。早くに登頂して休みたい。手前峰の方が高いので先に進むのが違和感を抱く場所であるが、地形図がそのようになっているのでしょうがない。北東に派生する尾根を見送り、大きく西に屈曲する尾根に乗る。広い幅の尾根の先に緑のオアシスが見えている。快適尾根で既に楽園ではあるが、それでも見えるそこが最終到達地と判っているので、一番のオアシスに見えていた。

 
 板戸岳。雪の切れた場所がまず手前にあり、そこかと思ったら、その次に現れる場所に三角点が埋まっていた。朽ちた四角柱が立ち、その東側にやや重めの木っ端が落ちていた。山名を書いてあったものと思われる。この雪の切れた草地。薄っすらと道形が出来ていた。年間でも一人か二人、いや2〜3年で一人か二人が訪れるような場所、これほどに残る物かとそれを見ていた。先日読んだ冠松次郎さんもここを歩いていると思うと、時代を違えても同じ山屋として共感できるものがある。ザックを降ろし周囲を堪能する。素晴らしきかな展望台。ことに黒部五郎の雄姿は素晴らしい。均整の取れたこの姿は、ここに立たねば見られないもの。そして槍ヶ岳の鉾先も見事。これほどに綺麗な鉾先は、やはりこの角度からのみであろう。遠く白山も羽根を広げたように雪を纏っており、礪波平野側に連なる北方稜線が長く続いていた。笠ヶ岳もスクンとした姿でこちらを見下ろしている。ゴールデンウィークで来たならば、これほどの展望はなかっただろう。今日でよかった。本当にそう思えた。ザックに腰掛け、眼と耳と鼻とで周囲を楽しむ。双六谷から流れの音がしている。春の雪融けを耳で感じる。


 休憩しながら復路を考える。折戸岳に登ってしまおうか・・・。ここを最後まで迷っていた。全ての判断は現地にあわせた安全通過。現地にあわせたというのは、その時の我が体力も加味される。2437標高点付近での最終判断とした。十分休憩も出来たので、来たルートを戻って行く。夕方以降少し天気が不安定にもなる。その頃までには林道に降り立って居たい。ただし、時間はまだ早い。この時間から出発するようなハイカーも居るだろう。早出でこの時間にここに居るって部分は、大きく有利と思えていた。名残惜しいが山頂を後にする。と、振り返ると見慣れた緑のビニール線が見えた。なにか人工物があると思ってハイマツの方へ行くと、中津川の三輪さんの標識がかかっていた。唯一の山名を示す表示となっている。ただし設置場所が設置場所なので、探さないと見えてこない。そういえば赤い絶縁テープもあるはずと探す。こちらはなかなか見えてこなかった。すると、三角点の南側の地表面に近い場所にそれが着けられていた。もうだいぶ表記が薄れてきていた。これで思い残す事無く山頂を後に出来る。


 屈曲ピークまで戻り、一気に下降する。どんどん正面の高みが上の方へ上の方へとなってゆく。下りはいいが、鞍部からの登りはやはり辛い。登っても登ってもまた上に斜面が続く感じであった。時間の経過で、雪が緩くなってきているのが体感できる。樹林帯を抜けた先が心配になってきた。2373高点をしっかりと踏んで秩父岩のある2667高点を目標値として体を向けてゆく。双六谷の上部をスキーしている人が居るのではないかと目で追うが、動く点はなかった。相変わらず白山が美しい。そして今度は進路正面にある笠ヶ岳が美しいから見事に変わる。大展望、これぞ雪山、そして残雪期の楽しみ。しかしこの後、2473高点の北側の2480峰に上がると、その先南東側斜面の異変が見えてきた。往路では綺麗な雪面だった場所が、表層雪崩を起こしていた。綺麗な面がある一方で、雪山はこの表情がある。落ちた場所の雪の色を見ると、その周辺域は皆同じ。他も雪崩れる可能性があると言う事になる。折戸岳に上がるか、2473標高点付近から東に進もうと思っていた、その後者のライン上が雪崩れていた。大きく迂回して高巻して行くしかなかった。その場所が崩れるって事もあるのであるが・・・。ここで崩れを見たことで、この先の折戸岳への急斜面も危険に見えた。進むべき道が決まった。


 2473標高点から、雪の色を見ながら雪質を足の裏に感じながら南側に弧を描くように東進して行く。どうしてもトラバースは避けられない。往路に下りてきた場所もやばそうだし、それより西側は雪庇を真上にして歩かねばならない。あまり選択肢はないのだった。2550m付近、落ち着いてみれば一番急なところをこの時は選んで歩いていた。滑り出せば止らない斜面に、アイゼンの刃を食いつかせる。緩くなった雪が、靴の高さ分潜る。休憩したくとも、一気に行かないと雪崩れそうな斜面。間違いなくギャンブル的な行動であった。そして辛抱してトラバースを終え、小谷にを横切り、2667高点を巻き込むトラバースに入る。ここは危険箇所は皆無だが、ハイマツ帯の中では踏み抜きが多くなり、やや疲れる通過点となった。


 2667高点から北に派生する尾根に乗る。ここからすんなり秩父平に行けるのかと思ったら、またまた自然の出迎えがあった。その間にある斜面には大量の雪崩れ痕があった。上部2667高点側を見ると大きく雪庇が落ちている。全ては天気と雪質に寄るだろうが、雪崩れの巣の場所。デブリの残る上の方を通過しようとトライするが、この尾根の上の方は雪庇が東に出ていて、危なすぎて降りられなかった。60mほど高度を下げるとブッシュがあり、それを掴みながら10mほど下ると、雪の堆積のバンドが出来ており、カールの中に降りることが出来た。ここで再確認。先ほど降りようとした付近も雪庇が落ち雪崩を起こしていた。足早にデブリの中を抜けて行く。大きい物では高さ2.5mほど、容量9トンほどの雪の固まりもあった。これほど大きな雪崩れ痕は初めて見る。恐ろしさ半分、その大きさに感動しながら通過していた。


 秩父平到着。秩父沢をすぐさま覗くも。ここからでは谷斜面は見えない。見えたから、どう判断するって事でもないのだが、なにか確認したかった。ここに来て雪の腐り方が増し、つぼ足もいいところ。これでは秩父沢を下りたら危険。大ノマ岳経由で下ることとした。少し休憩して北進を始めるが、何せ酷いツボ足となった。何度も太腿まで踏み抜くようなこととなり、疲労度が嵩む通過点となった。その喘いでいる上を、独特の羽音で雷鳥が飛んでゆく。雷鳥の飛行音というのはとても興味深く、特に初動のフライト仕立ての滑空に入るまでの音は不思議な音がする。右(東)に穂高連峰を見る。すぐさま奥穂を見つけ、白出沢を見つける。そして手を合わせる。今回の目的の一つ。


 尾根に沿って多数のクラックが入っていた。解けやすい、崩れやすい尾根形状と言う事になるか。踏み抜かぬよう注意しながら足を進める。しかしハイマツ帯では、どうしても深く踏み抜き、股まで入ってしまう事もあった。こうなると抜け出すにも時間がかかる。秩父平から大ノマ岳までが、この日一番の試練でもあった。そしてその大ノマ岳だが、広いダラットした山頂が、出迎えとしては閑散とした感じ。でもでも、周囲を見れば素晴らしい出迎え。頑張った分のご褒美をもらえた感じ。前々週歩いた西鎌尾根が、もうだいぶ黒くなっている。風が強かった当日、今日は嘘のように無風であった。山頂には乗越の方から単独の方のトレースが上がってきて、降りて行っていた。大きなストライドで、ガツガツと降りて行く。気持ちがいい下降だった。下の方で一部急斜面があり、他の古いトレースは西側に逃げていたが、強引に踵を食い込ませ降りて行った。


 大ノマ乗越には8畳ほどのテントサイトが掘られていた。小休止してからカールの中へ入って行く。雪庇はないが、最初だけ急斜面を九十九を切って、後は重力に任せて降りて行く。「スキーを履いていたなら」と思わせるなだらかな広大な斜面。またいつかスキーで上がろう。ここもそうだが秩父沢も滑ってみたい。この斜面に残るトレースは一人分だった。前回降りてきた、弓折岳からの南尾根が左にある。そこを意識しながらグングンと降りて行く。少しづつ雲が出だし、日差しが弱まってきた。さらには風も出だしている。下降線であることに間違いなし。ここまで来れば急ぐ必要は無いが、意識する必要はある。


 秩父沢出合。見上げると感無量。「よく登った、俺」と言うことになる。この日中では、絶対に登りたいとは思わない。凍った場所が緩み、また多くの落石もあるだろう。事故なく通過出来てよかった。ここから下は、往路は迷走した場所。雪融けの状況はこうなっているのか・・・と、何処をどう歩いたのか判らぬ斜面を、その場所を探すように戻って行く。「足を痛めた場所は、何処?」、情けないが、その場所はさっぱり判らなかった。やや西寄りに進み、堰堤のようになった石の堆積を左に見ながら降りて行く。そして奥丸山との分岐、小池新道の入口まで戻る。


 林道を戻って行くと、雪面に大きな熊の足跡があった。これまで見たことのない大きさ。250mmくらいあろうかという大きさで、日頃はこれらを受け入れる自分であるが、咄嗟に周囲を見て身構えてしまった。その大きさに、穂高の大きさを感じたりした。昔の猟師であったなら、その大きさにすぐ様あとを追ったのではないだろうか。もしかしたら、昔より今の方が熊にとっては過ごし易いのではないか・・・。


 ワサビ小屋で僅かにベンチに腰掛ける。ものの20秒くらい。背骨にかかるザックの重さが軽減されて至極楽になる。歩いて行くと、前方からパワーショベルが上がってきた。これで除雪しているようだ。ここまで上がってきたって事は、この時間からなら小池新道入口くらいまで除雪が終わってしまう事になる。どんどん山開きに向けて準備がされている。林道脇には、トリアシショウマやコゴミが見える。ちょっとだけ拝借して、この日の晩御飯に添えさせてもらった。そんな所へ前からハイカーがやってきた。「槍に行って来たのですか?」と聞かれ、「いや、板戸です」と言うと、「ああ板戸ね」と普通に流された。いやそこ、ここは驚くところでしょうと思ったが、面倒なのでそのまま。多分、抜戸岳があるので、板戸と聞いても混同してしまっているのだろうと思えた。興味がある人だけ判っていればいいことであり、ここでの会話はこれでいい。その先で散策らしいナイスミドル・ミディが歩いてきた。大きな声で挨拶する旦那さん。山の心得があるようだ。大きくにこやかに会釈する。3歩後に奥方。顔を伏せがちに、よき日本の女性を感じたり・・・。


 除雪の痕を抜け、雪が無くなると快適に歩けるわけだが、さすがに今日は足の裏が痛くなっていた。よって、ゆっくりと林道を戻って行く。予想ではもっと時間がかかると思ったが、全ての条件がよく、自然が歓迎してくれたよう。この林道沿いの風穴も、火照った体に気持ちよい冷気を吹きかけてくれた。自然のクーラーを浴び、また少し元気を取り戻す。左俣の流れを右下に見ながら、新緑の緑を見ながらゆっくりと下って行く。ゲートの所には、甲州ナンバーの車があった。単独ハイカーかカップルの車となろう。アスファルトを下りながらカーブミラーを見ると、またまた黒くなっていた。そりゃそうだろう、この陽射しなら。神社に無事の下山を挨拶して行く。そして「また来ます」。遊ばせてもらっている身、感謝の気持ちがいつも。工事現場では、多くの作業員が動いていた。邪魔をしないように小さくなって横を通過する。


 駐車場に戻る。ほとんど車は増えていなかった。越中ナンバーが沢山見えたので、何処かの山岳会が入山していたようだ。1時に出てちょうど15時の帰還となった。暗くなってヘロヘロになって戻る予想をしていたが、わりとサクッと行ってきてしまった。


 振り返る。場所が場所だけに、そういう人だけが入る場所。夏道のある秩父平付近からのルート取りが一つのキモかもしれない。MLQ氏の時は、その表情を見せなかったあの斜面。私にはその一面を見せてくれていた。今回も複数人の大人数で入れば、雪崩れていただろう。単独のリスクに対し、単独の有利さも感じたりした。抜戸岳側にルートを選べなかったのが心残りだが、まあこのロングコース、この高低差なら致し方ないだろう。いい山だった。あそこに立って、あの展望を楽しめたら、山屋としてこれ以上のものはないだろう。


chizu1.jpg

chizu2.jpg

chizu3.jpg

chizu4.jpg

                         戻る