大ナラキの頭 1840 m 日向山 1695 m
2013.7.13(土)
曇り時々雨 単独 銅親水公園より松木渓谷 大ナラキ沢を詰める 行動時間:9H42M
携行品: ライトオックスブーツ
@銅親水公園P4:19→(2M)→Aゲート4:21→(34M)→B旧松木村(休憩舎)4:55→(5M)→Cゲート5:00→(43M)→D林道終点松木川に降りる5:43→(13M)→E6号堰堤5:56→(30M)→F大ナラキ沢出合6:26→(58M)→G尾根に乗る(1390m)7:24→(61M)→H1828高点(ジャンクションピーク)8:34→(17M)→I大ナラキの頭8:51〜53→(11M)→Jジャンクションピーク北下降点9:04→(44M)→K日向山9:48〜53→(9M)→L国境平10:02〜07→(60M)→M松木沢に降り立つ11:07→(31M)→N6号堰堤帰り11:38→(74M)→O休憩舎12:52〜13:26→(32M)→Pゲート帰り13:58→(3M)→Q銅親水公園P14:01
@銅親水公園駐車場よりスタート | A無線開閉式ゲート | 知らないとまごつく分岐。ゲート脇にある地図をよく見よう。 | 旧松木集落の名残の石碑。趣がある周囲の景色。 |
立派な道標が出てきたりする。皇海山への道としては、不明瞭。渓谷に入るまでは迷う場所はない。 | 途中のヘリポート。 | B帰りに立ち寄った休憩舎。NPO法人の管理物。 | Cゲート |
林道は、注意していないと落石がある。それらが堆積した場所が多い。 | D林道跡が終わり松木川に降り立つ。 | 深い場所で水深20センチほど。渡渉を繰り返しながら上流へ。 | 松木渓谷で有名な場所。ショベルカーの埋もれた場所。 |
E6号堰堤。左右どちらからも巻ける。ステップなど人工物が多いのが左岸。伝いやすいのは右岸。 | E巻き終わり藪から降りてきた絵。途中で出会った滝屋猛者。 | 小足沢出合。前滝が見えている。 | ルート上に基準点が埋まっていたり(雨)。 |
松木渓谷から見る皇海山。 | 全体的に左岸歩きが多い。もうすぐ大ナラキ沢出合。 | F石垣の僅か先で大ナラキ沢に出合う。 | 大ナラキ沢に沿って遡上。歩き易い地形が続く。途中に食器(陶器)などが落ちていた。 |
G標高1390m。尾根に乗る。下草の少ない快適尾根。 | 鹿の多さが、これらから見て取れる。 | 1440m付近。やや急峻地形。 | 1640m付近。ややササが深くなる。雨が強くなり足許周辺は濡れてくる。 |
途中から見る大ナラキの頭(手前)。 | H1828ピーク直下を掠める。 | 1828ジャンクションピークの北側には大きな空洞(撮影側足許)がある場所が在り、足場選びには注意。 | 1828高点北側のガレた場所。 |
両毛国境(群馬・栃木県境)には、金属のマーキングが乱打されている。この先で熊と出逢う(出遭う:×)。 | 大ナラキの頭直下。 | I大ナラキの頭。展望のない樹林のピーク。 | I唯一の山名表記。 |
I乱打。下に落ちていたものを含めこの山頂部のみで7枚確認できる。 | Iヤキソバパンが手に入らず美生柑。 | 途中から三俣山側。 | J1828高点北側下降点分岐。 |
下降点から下の様子。 | ガレの淵を降りて行く。展望場。 | 視界がよく下草も薄く快適。ただ、小雨があり、足許は濡れていた。 | 振り返り1828ジャンクションピーク。奇岩の多き場所。 |
カモシカ平。カモシカは居ないが、日本シカの数は多数見られる。 | カモシカ平のキャンプ跡。スコップと鎌が残っていた。 | 日向山直下。シラカンバにも見えるダケカンバ。 | K日向山山頂。 |
Kすかいさんの標識 | Kこちらも乱打。古い標識は千切れていた。 | 途中の無毛地帯。ルートは東寄り。 | 国境平を望む。 |
L国境平の標識。 | L座りの悪い石ばかりを使い、不均衡なケルンを造ってみた。西風に強いよう、西側に傾けてある。 | L鹿道を追って降りて行く。5分ほど伝うと有耶無耶になった。 | 1500m付近。何となくトラバースぎみに鹿道がある。伝って進む。 |
あちこちにこのような道形がある。 | 1420m付近で小尾根に乗る。歩き易い、鹿に踏まれた尾根。 | 下の方に行くと石の堆積した場所も出てくるが、歩き易い状態が続く。次第に視界も開けてくる。 | 特異な砂地の場所が出てくる。ここの日向山の由来も、これら白砂に起因しているのか。 |
大ナラキ沢にもあったが、こちらにもこれら陶器の食器が落ちていた。 | 標高1230m。ここのみに両毛国境に在ったのと同じマーキングが付けられていた。 | 1140m付近。なだらかな快適斜面。何処でも歩けるような場所。 | 大ナラキ沢に乗る。 |
M松木川まで降りる。 | N6号堰堤帰り。復路は左岸を通過して行く(往路は右岸)。 | N黄色いステップを使って登下降。 | 何度も渡渉を繰り返しながら・・・。 |
林道上は、これほどに堆積した場所もある。 | ゲート帰り。 | O旧松木集落に建つ休憩舎内部。中に入ると、思いも寄らぬサービスを受ける。やや長居。 | 人懐こい狐が居たり・・・。 |
鉱毒でやられた斜面も、だんだんと回復傾向にある。NPO法人により植林努力がされているよう。 | P最後のゲートを潜って。 | Q駐車場に戻る。 |
後立山の落穂拾いをしようと、3連休に託けて幕営装備を整えてあった。しかし梅雨前線が日本海側から大きく下がってきており、その影響で、稜線は強風になり雨も伴う予想がされた。1日だけなら・・・。しかし2日目も優れないよう。行ったら行ったになると思い敢行しようかと思ったが、白いガスの中、涼しさを通り越した条件下では背負った荷を重く感じるばかりで、気持ちよく軽く感じる要素が薄くなる。だいぶ迷ったのだが、前線から遠いエリアに行こうと判断した。前週のヒルによる藪勘がブレた部分も修正したい。あの攻撃はちとトラウマになる部分がある。過ちではないが、早くに修正しておかないと楽しい場所が嫌な場所になってしまう。水気の多い場所で荒療法。以前予定して行けないでいた足尾の松木渓谷に入ることにした。
決めたのは金曜日の帰宅後21時。狙うは大ナラキの頭と日向山。山名事典がなければ意識しない場所。これに加え国境平も見ておきたい。宿堂坊山からの両毛国境を歩いたのが2001年。12年ぶりにこの付近に上がる事になる。皇海山への破線ルートでもあり、ある程度はそれらしい道形を踏めるのだろうと思っていた。ポイントは松木沢の渡渉か。どんな水深なのか、この負荷が一番大きいのではないかと予想して出向く。
1:15家を出る。122号を経由して足尾に入る。失礼な表現かもしれないが、昭和のまま止ったような町並みがある。そこを抜けしばしで銅親水公園に到着。夜明けを待ってスタートとし仮眠に入る。すると1台やってきて駐車場にヘッドライトが動く。この時間に・・・山屋なのだろう。そんな事を思いながら運転してきた体を休ませていた。時折リアガラス越しに明るくなるのを見ていたが、この日はこの周辺も天気が優れないようで、明るくなるのが遅かった。北アはどうだったろうか・・・少し思ったりもした。
4:00準備をしだす。すると後から来た方も動き出した。間違いないようである。ここからだと2者選択。中倉山に上がるか松木沢に入るか・・・。先に準備が終わり、用意してきたマウンテンバイクに跨り出発。しかし10歩ほど勢いよく漕いだところで、ブレーキがロックして前に放り出された。嫌な事に、この時リアブレーキのレバーが根元から折れてしまった。ブレーキが片方しか利かない自転車・・・悩んだが、この先はあまり高低差がないのでこのまま乗ってゆくことにした。でも何故ロックした・・・山の神が「行くな」と言っているのかとまで思ったりした。左手は5百円玉ほどに擦りむき、右手も裂傷、左ひじ強打。
ゲートを潜り、その先に進むと分岐がある。ゲートの場所に松木渓谷への地図があり見ておくことも必用。リアブレーキの欠損した自転車を軽快に走らせて行くと、橋を渡りダートに入ってすぐぐらいでチェーンが外れた。フレームとギヤの間に入り込み、以前も体験しているがこれを直すには難儀。チェーンのピンを外して修理した過去がある。それでもグリスで手を真っ黒にしながら努力する。そうこうしていると、先ほどの方が進んできた。声をかけると愛想よく応対してくれた。松木沢に入渓するようであり、その背中がどんどん離れていく。利器により軽快にアプローチしようと思ったのが、こんな事に・・・。日頃の行いが悪いようだ。5分ほど頑張ったがいっこうに直る気配はない。早々にデポすることにした。
足踏みした分を取り戻すように早足で進む。400mほど先を先ほどのハイカーが進んでいる。かなりの健脚のようで差が詰まっていかない。途中途中には松木渓谷・皇海山ルートを示す道標がある。これほど表示が立派なら、現地の道は・・・と思ってしまうのだが実際は・・・。松木沢ヘリポートを見ると、その先が旧松木村跡となる。その一角に、休憩舎が建っている。しかしさすがにこの時間は締まったまま。横目に通過して行く。周囲の山肌は独特の赤茶色。この色に毒を想像してしまう私は心が濁っているのかもしれないが、現実は毒のせいで間違いないだろう。人間のしたことは、ここまでに自然を変える。
林道のゲートを越える頃、先を進んでいたハイカーに追いついた。ここからはしばし会話をしながらの林道歩き。御仁は小足沢に入渓する滝屋さんであった。目指すは小足沢大滝。前回時間的に届かずリベンジとのこと。前週は南八ッに入り、そこでも少し藪に入ってきたことを聞く。根っからの藪派のようであり話の波長は合っていた。山側からの押出しの多い林道を、それらの石を乗り越え除けながら進んで行く。朝露がズボンを濡らし、完全なる露払い。そうこうしていると曇り空から雨粒も落ちてきた。ここもそんな天気か、暑くなるよりはましかとプラス思考で行く。
松木村のゲートを越えて45分ほど経過した所で林道の道形が終わり松木沢に降り立つ。広い渓谷内の平坦な河床、見える流れはそう多くはない。梅雨時期でもあり気にした部分ではあるが、優しい渡渉を繰り返して上流へ向かって行く。一緒に歩いている氏は、濡れるのを気にせずジャブジャブと行っている。これが滝屋か・・・と感心する。右の方に、この沢で有名なショベルカーが見えてくる。南アの明神谷線にあるブルドーザーを思い出す。年代物の重機がオブジェのように見えていた。進む先に6号堰堤が見えてくる。
6号堰堤の往路は右岸を巻いてゆく。薄っすらと踏み跡があり、適当に高巻をして行く。特にここと言うルートではないが、容易に越えてゆく事が出来、再び河床に降り立つ。この先、三沢の出合があり、その先で小足沢の出合もあり覗くと前滝の白き3段の流れが見えていた。少し忘れていたのだが、「私はここで・・・」と言われ、“そうだった御仁は小足沢に入るのだった”と思い出した。お互いの健闘を祈りこの先は単独行となる。進みながら林道にあった立派な道標を思い出す。ここには道形などは無い。嬉しい事にマーキングさえも無い。渡渉を繰り返しながら、適当に進んで行く。シャワーのような雨が気持ちよく、春雨じゃ濡れてまいろう的な様相でもあった。渡渉はするものの進路の大半は左岸側を通過していた。進む先に皇海山の円錐形も見える。
黄色ペンキで「4−18」と書かれた場所が見える。ここから5分ほどで左岸側に石垣が出てくる。自然の中を歩いてきた中でのこの人工物には、オヤッと思ってしまう。ここを登り草つきの中の踏み跡を進むと沢に出合う。これが大ナラキ沢のよう。左岸右岸どちらも伝いやすい地形で流れを見ながら遡上して行く。途中には陶器の食器なども落ちていた。途中でプラティパスを満たしつつ軽快に緩やかな地形を伝って行く。
1320m付近。沢が屈曲する場所になる。ここまで沢伝いできたので最後まで詰めたかったが、上の方で密になる等高線とゲジゲジマークが気になった。雨も依然降り止まず、パイオニア精神は、少し守りに入りつつあった。「尾根通しに切り替えよう」判断はこうになった。そして1390m付近で尾根に乗り上げる。ここからの斜面には、シカのしゃれこうべが二つ落ちていた。脹脛に堪えるやや急峻斜面を、シカの踏み跡を追うようにして登って行く。一応は快適斜面。漕ぐような事がなく、そこにヒルも居らず前週とは大違い。ちらほらとシカの警戒音が聞こえるが、だいぶ近い場所に居る。そして時折小鹿が前方を横切ったりしていた。緑にシカのオレンジ色が映える。
1640m付近。展望が良くなるが、少しだけササが深くなる。雨のおかげで膝上まで濡れ重くなる。皇海山から鋸山側が左に、右には三俣山からシゲトへの稜線もある。足尾の深い場所へ入って来た印象が強くなる。1700m付近で下草の無い樹林帯の中に入り、周囲の景色が以前に体験した両毛国境の景色となって行く。この尾根、マーキング類は一切無かった。栃木にしては珍しい場所となろう。
1828高点のジャンクションピークは、直下を掠めて北に進む。この付近は岩峰で足場の悪い所もある。岩穴が大きく口をあけた通過点もあるので注意したい。そして北に進んだところで、見慣れたマーキングに出合う。その先は乱打状態。これでもかと打ち付けてある。その赤色に目を奪われていたら、ササの中に黒い塊が動いた。距離15mほど。熊の背中であった。もう少し静かに歩いたらもっと近づけたか、コロコロとした固体が群馬側へ降りて行った。本日の最高目的地はもう僅か。赤や黄色が導いている。
大ナラキの頭到着。ここも乱打。その一つにマジックで山名が書かれていた。展望は、少し南に戻ると三俣山側が開けている。あまりの乱打された山頂に気持ち悪くなり早々に踵を返す。なにか両毛国境が雑誌に紹介されたようで、そのための好意でのマーキングのよう。熊の居た場所では、居ないのは判っているが探してしまう。そして1828高点北側から西に尾根を下って行く。ここからしばらく展望尾根。釜ノ沢のガレた地形のおかげで、松木渓谷の先の方まで遠望が利く。振り返ると1828高点の岩峰が荒々しく聳えている。稜線の群馬側にはササの緑があり、心地良さこの上ない場所でもあった。この付近の親シカはとても警戒心が強い。かなり早いタイミングで逃げて行く。これらは猟師の影響か・・・。
展望を楽しみながら1736高点を超えてカモシカ平に到着。砂地地形の上には、そこかしこに鹿の足跡が残されていた。その数は凄い。これがこの地の鹿の数を示している。南西側の一角には幕営跡があり、溶接構造のハンドメイドのスコップと、鎌が残されていた。急に地形が開ける場所で、そのギャップから少し進路が不明にも思える場所となる。やや東側に赤い絶縁テープが縛られルートを示していた。雨は降ったり止んだりで、雨具を履かない足許は相変わらず重く濡れていた。
進路右側にダケカンバの植生が多くなると日向山山頂も近い。道形は西側をトラバースしている。道形というのは鹿道なのかもしれないが、それに伝って西側から巻き上げるように日向山に到着する。山頂には「すかいさん」の標識がかかる。少し下がった南側にも標識が残るが、ちぎれて半身になっていた。こちらが元々在ったもののよう。目的地として意識していないと、通過点のような場所であった。南西に下って行くと、ふたたびカモシカ平のような砂地地形が現れる。ここも東寄りにルートを見出す。先の方に国境平のその場所が、林道でもあるかのように禿げて見えている。その向こうに皇海山。なかなかいい景色に見えていた。相変わらずマーキングは乱打。何百枚用意したのだろう。
最低鞍部に着く前に国境平を示す道標があった。賑やかに打ち付けてある場所で表示情報も多い。少し漕ぐようにして進むと、上から見た林道のように見えた場所に出た。ここも幕営に使ったと思われる石配置が見えた。群馬側も開け、栃木側も開けた場所。この鞍部には何もないので、見える石を積んでケルンを造っておいた。地図を見ると、モミジ尾根に破線が入っているが、そこへ伝って行く道形はよく判らなかった。一方で、東に向かってゆく道形、ここでも鹿道なのだろうが、それを見出し伝って行くことにした。
5分ほど伝ったか、道形は有耶無耶になった。適当にコンパスを定めながら降りて行く。また乗った。また離れた。鹿道は周辺に無数にあるようであった。1430m付近で小さな沢の中に入った。なにか塩(分)でも出ているのか、2頭の小鹿がこちらに気づかず何かを舐めている姿があった。邪魔をしないように小沢の中を降り、距離が離れたところで東北東側に進路をとる(往路に使った大ナラキ沢へと向かって行く)。
1420m付近でメビキ沢の右俣と左俣に挟まれた細い尾根の上に乗る。ここはルートが在るかのように快適に伝うことが出来た。上の方は樹林。それがだんだんと岩が現れるような場所となり、下の方へ行くと松木沢が見下ろせるような視界の開けた場所となる。そして尾根が終わり扇状地地形に入って行く頃、目の前に白砂の特異な場所が出てくる。ここは不思議な光景であった。思ったのは、白州の日向山のあの場所。「日向」=「白砂」と思い、山名の由来を考えたりもした。この先、沢を伝って行くと、こちらにも陶器が落ちていた。
1230m付近。驚いた事に、こんな場所にマーキングがされていた。通常のマーキングなら驚かないが、両毛国境にあったのと同じステンレス製のものだった。周囲に道形は判らず、モミジ尾根からの道形がここに来ている風でもない。不思議なマーキングで、ここのみにポツンと打ってあった。緩やかな斜面を大股で降りて行く。そして往路に見た流れに出合い、ここで大ナラキ沢に乗る。そのまま下流に進み松木沢の岸に出る。ここまで降りれば勝手知ったる場所。石垣を右に見て、左岸をしばし伝い、そのあとは縫うようにクネクネと渡渉しながら歩き易い場所を選んで松木渓谷内へ入って行く。
小足沢の出会い付近では、朝の猛者の行動を知るべく、河床内の砂地を具に見る。つま先が下流側に向いているのを発見する。既に目的を達成し戻っているよう。6号堰堤は復路は左岸を越える。こちらはステップがあり伝いやすいようにも思うが、決められたその人工物に、右岸側の通過の方が楽に思えた。朽ちたタイガーロープは触らずに降りて行く。降り立ったら左岸側は進めないので中洲側に渡渉して中央部を進む。先の方にV字地形が見える。ここならではの景観。
左岸側を気にして進み、林道終点地に這い上がる。朝露は無くなっていたが、蛇を多数見る場所となった。アオダイショウが日向ぼっこをしている。餌となる蛙が沢山いるからだろう。旧松木村跡が近くなると、400mほど先を歩いている方が見えた。歩く速度からいって朝の方に間違いないよう。追いかけるように急ぐ。途中の草地には「宇都宮渓○会」と書かれたテントがあった。連休であり入渓したのだろう。自然の中でのキャンプ、久しくしていないので少し羨ましい。少し進むと男女のパーティーとすれ違う。雰囲気的にはテントの持ち主のようだった。
ゲートを越えて休憩舎に立ち寄る。見知った朝の顔と管理人が中に居られた。驚いた事にペットボトル飲料を無料提供してくださった。ここの持ち主の差し入れとのこと。ありがたく喉を潤す。そして管理人さんからはNPO法人としてのこのエリアの活動を聞いたりもして、現在の様子を勉強させてもらう。下に見えるビニールハウスでは、東北の震災地に対しての植樹林の幼木が栽培されているとのことであった。いろんな情報が飛び交い有益な時間となった。場所は伏せておくが、山中に大きな小屋跡(村)がある場所もあるらしい。私の拾った(見た)陶器と合致させると、なにか話が合う。福井の美山町は赤谷地区の、平家の落人伝説を思い出す。管理人に記念写真を撮っていただき、往路同様二人で林道を戻って行く。
林道途中には、人懐こい狐まで現れた。野生動物が逃げない場所・・・ちと不思議だったのだが、愛らしい様子を見せてくれていた。まじまじと周囲の山を見ると、やはり痛々しい。そう見えなくなるまで、あとどのくらいかかるのだろうか。100年、いや200年。土曜日なので採石現場は稼動しコンベアがぐるぐると石を運んでいた。同行する滝屋猛者氏は、目的の大滝まで行け、おまけで滝つぼに落ちたらしい。この時期に羨ましいと思ったが、今日はさすがに冷たく寒かったようだ。事故にならず笑い話に出来る部分が猛者たる由縁。途中でデポした自転車を回収。
九蔵沢に出合うと、そこでは家族連れが水遊びに興じていた。夏の避暑の風景。軽やかに挨拶をして舗装路に足を乗せてゆく。そしてゲートに到着し、駐車場へ下って行くと周辺を自転車で楽しんだのかサイクリストの姿があった。乗って楽しめた人がいる一方で、こちらはほとんど用途を果たさなかった。おかげで猛者氏と知り合えることが出来たのだが・・・。無事旅を終える。
シカの食害のおかげと言ったら変だが、この周辺は歩き易い地形が多い。漕ぐような場所が少なく見通しが利き、藪ではあるが優しい藪。辛い部分は少なく気持ちいい部分が多いと思えた。このエリアが好きで足しげく通っている人もいるようだ。なにか気持ちが判るような気がする。