焼滑 2082.7 m 大峠(南白山) 2168.7m
2013.6.1(土)
晴れ(くもり) 単独 白水湖より湯谷に入りイチロザ谷の向かいの尾根から主稜に上がり周回。 行動時間:10H22M
携行品: 12本爪 ピッケル ストック 8mm20m
@大白川避難小屋前4:02→(20M)→A地獄谷4:22〜33→(14M)→B湖岸歩行が終わり湯谷に入る4:47→(52M)→C尾根に乗り1370m地点(登山靴に履き替える)5:39〜49→(42M)→D1580m枝尾根から主尾根に乗る6:31→(107M)→E1906高点付近8:18→(40M)→F2080m主稜線に到着8:58〜9:01→(28M)→G焼滑9:29〜33→(93M)→H大峠(南白山)11:06〜26→(36M)→I右俣左俣の合流点(1600m)12:02→(8M)→J箱谷の出合12:10→(7M)→Kタロタキ谷出合12:17→(5M)→L曲り谷出合上部1350m地点(登山靴を脱ぐ)12:22〜32→(19M)→M曲り谷出合12:51→(57M)→N湯谷下流白水湖湖岸歩行開始13:48→(11M)→O地獄谷帰り13:59→(25M)→P大白川避難小屋前P14:24
白山公園線は、前日の5月31日17時に開門した。 | @大白川避難小屋前を出発。林道を進んで行く。 | 最初の源泉地。 | 二つ目の源泉地。 |
A林道を逸れて南に降りて行くと地獄谷の流れが横切る。 | A地獄谷の上流側には、白山から南竜への稜線が見える。 | A地獄谷を渡った場所を振り返る。下流側の方が渡りやすい。それでも膝上。 | 地獄谷を越えたら、湖岸を水面ギリギリに進んで行く。鯉のような大きさのウグイがうじゃうじゃ泳いでいた。 |
途中立派な大木があったりする。 | 左の絵を湖側から見ると・・・。素晴らしい自然のオブジェ。 | B湖岸歩きが終わると湯谷の遡行が始まる。何度も繰り返される渡渉点。その各場所で気の抜けない流れがあり、さらに雪解け水で冷たい。往路では、この通過で濡れ意気消沈しないよう心がける。(写真は振り返り撮影) | 湯谷から見る別山谷。 |
こんな流れの場所があり、横たわった大木がなかったら渡渉は無理。 | 大木の上を伝って対岸に。この大木は左岸寄りの場所にある。これが見いだせなかったら進退窮まるかも? | C右岸側を進んでいたら、どうしても渡渉できない場所に出くわしてしまう。イチロザ谷の向かいの尾根に乗り上げる。写真は1370m付近。ここで登山靴に履き替える。 | 標高1490m付近。尾根筋が消え急峻な斜面を這い上がる。下りはザイル必携の場所。目立つ大岩がある。岩の上も脆い地形だった。要注意通過点。 |
D標高1580m付近で、主尾根に乗り上げる。しゃくなげの多い尾根で、数箇所このようなオアシスがある。 | D乗り上げた場所から見るイチロザ谷。 | 1590m付近から岩混じりの藪尾根となる。木々を掴み、腕で這い上がる場所が増えてゆく。 | 途中から見る一本東側の尾根。当初は向こうを伝うつもりだったのだが・・・。 |
1800mの小さなコルに、この尾根で唯一ギョウジャニンニクが生えていた。 | 1850m付近。屏風岩と呼びたい大岩が出てくる。 | 1870m付近から、完全に雪に繋がる。ここまで藪漕ぎでかなり時間を要した。 | E1906高点付近から見る登って行く尾根筋。 |
E1906高点付近から見る白山。 | 1920m付近。尾根東側のみに残雪があり、やや急峻のバットレス。 | 2010m付近から白水湖を見下ろす。 | 稜線直下2065m付近。 |
F2080m主稜線に乗る。西側を見ている。 | 焼滑側に少し下り2060m付近。雪庇の上を行く。この時期になると途切れて藪に入る場所もある。 | 中間の鞍部。2000m付近。雪に繋がり、右側の笹薮の中に入って行く。 | G焼滑到着。人工物はなく、素晴らしい展望の場所。360度見渡せる。 |
G白山。ピッケルを写したかった為に白山の姿が小さくなってしまった。 | G焼滑から南白山(左)側。右に見えるのは別山。 | 焼滑の西斜面の笹薮。深いところで胸ほどの優しい植生。 | 2094高点付近は、残雪を捜しながら北斜面を高度を上げたり下げたり。 |
2094高点側から、一旦鞍部まで下がり、雪に繋がって北側を進んで行く。 | タロタキ谷の源頭付近。高度を緩やかに上げながらトラバース。 | 大峠(南白山)の北東の肩辺り。山頂到着かと思えるが、そのまだ先。それでももう僅か。 | H大峠(南白山)山頂北側の雪原。 |
H三角点の周囲15畳ほど雪が消えていた。 | H三角点の場所から北を見ている。ササの生い茂る山頂。この場所からの展望は良くない。 | Hかなり朽ちたリボンが残っていた。 | H白山とヤキソバパン。生憎のガス。切れ間を待ちつつ撮影。 |
別山谷左俣上部から見る白山。 | 2040m付近。 | 2040m付近から上側。 | 1810m付近から上。左に見える谷から降りてきた。 |
1800m。この先しばし急峻地形となる。 | 谷の両岸には、それはそれは沢山のギョウジャニンニクが生えている。付近に行くと匂うほど。 | 1650m付近。緩やかな勾配になり、雪崩と落石のみを注意しながら降りて行く。 | I別山谷の左俣と右俣の出合。 |
1580m付近から振り返る。伝って来た左俣を見ている。 | J箱谷の出合。 | 1370m付近。この谷に入り初めて口を空けている場所に出会う。既にかなりの流れがある。 | Kタロタキ谷出合い。上の方にタロタキが見えている。 |
K滝アップ。落差のある見事な滝。 | L標高1340m付近。この先(下側)で左岸側に進まねばならないのを、右岸側に進んでしまい、太い強い流れがあり渡渉できずに時間を費やす。 | L渡れなかった場所。右岸側をヘツろうかとも思ったが、岩の下は急流で深く・・・。30mほど別山谷を登り返し、左岸側に進み、高巻して曲り谷へ降りて行く。 | M曲り谷出合に到着。別山を登ってきたH氏が装備を解除中。仙人窟岳の時もそうだが、氏とは2回とも不思議な場所での出会いとなる。右岸と左岸でにこやかに手を振り合う。 |
湯谷エリアに入ると、またまた渡渉点の連続。ややこしい倒木を伝ったり・・・。 | 深い流れを尻まで水没して通過したり・・・。けっこう流れが速く押し負けそう。 | 往路に伝った一本橋へ。上流側にはマーキングをして場所を外さないようにした。(マーキングは当然回収) | 湯谷の様子。穏やかそうな河川敷なのだが、なにせ流れが縦横無尽にある。 |
右にも左にも流れがあり・・・。渡らねば進めない。 | Nやっと湖岸に到着し、ガレた斜面を戻って行く。 | O地獄谷は下流側を渡る。ここで膝上ほどの水深がある。 | 少し藪を漕いで林道に乗りあげる。 |
源泉地通過。 | P大白川避難小屋(管理棟)到着。気のいい作業員としばし会話・・・。 | Pオープンしたてのこの場所は、まだスキスキ状態。これから賑わうだろう。 |
山名事典では「大峠」と表記してある。この部分は、白川村もしくは旧荘川村からの公的回答が引用されたのかもしれない。エアリアでは「南白山」となっていて、おそらくこちらの名の方が世に知られているだろう。大峠を知って、場所を判っている人の方が少ないのではないかと思っている。そしてネット上では大峠での表記は見られない。
狙うに際し、何も知らなかったらKUMO氏やMLQ氏のように別山側から下ったであろう。ルートが在る場所を経路に使うのは順当のこと。しかし、千振尾根からだと無理ではないだろうが日帰りは難しい。諦めずにワンデイが出来るルート取りはないかと探していると、南の白水湖からの蠢きが見えてきた。猛者諸子が果敢に攻めた記録が見つかった。「これなら行ける」。2010年、これを目にしてから、行くタイミングだけ見計らっていた。ただし、全てトレースするのではパイオニア行動をされた猛者諸子に申し訳なく、ここはこちらでもルートを切り開いてみようと考えた。
アワラ谷を絡みながら進む林道はどうか・・・。ここも入念に地図を見て考えてみたが、白水湖側に完全に軍配が上がる。では、白水湖の西側の湯谷から変化させようと、並んでいる各尾根、各谷を具に読む。1325高点からの谷を伝えれば大きな一筆書きも出来そうに思い、さらにそこから700mほど西側にも顕著な谷が上がっており、照準はこの二つの谷に定めた。サブ案として先人の切り開いたルートのトレース。全ては現地での判断とした。雪は生きもの、流れは生きもの、現地ではそれらが待っている。
5月31日は岐阜側の白山公園線(県道451号線)が冬期封鎖から開通する日。適期としては、もっと早くに入山したいところであるが、西上州からの距離、現地の林道距離を思うと、絶対的に開門を待った方が得策。で、巡り合わせが丁度良く、金曜日に開門、翌土曜日から入山できるような日取りになっていた。しかし、当日の13時に岐阜高山の土木事務所に電話するも、「問題があり調整中」との回答であった。「ではまた夕方にかけてみます」と悶々とした時間を過ごす。明日行けなければ、来年に持ち越しとまで思っていた。雪解けは速くチャンスは短い。そして16時45分に電話をすると、電話の向こうでやりとりが聞こえる。「いま決まりました。このあと5(17)時に開門が決まりました」。嬉しいと思う反面、ここまで引っ張られると、気持ちが少し後ろに向いた部分も発生していた。「行くぞ」と心では思うのであるが、モチベーションを上げて行くのに少し時間を要した。
前夜20時に出発する。高速に乗り駆けて行く。白川郷ICを出ればコンビニはあるが、準備としては早めに手に入れたい物がある。上信越に飛び乗る前にセブンに寄ると、残り1個になったヤキソバパンがあった。これで最後の背中の一押しになる。駆けると言ってもトロトロと燃費走行。急ぐと1回給油せねばならない距離であり、無給油での往復を思ってのトロトロ走行であった。仮眠を入れながら走り、白川郷ICを出たのが0時20分だった。久しぶりのR156号走行。懐かしむように伝って進み平瀬地区に到達する。そして大白川ダムへの分岐、間違いなく開通しているようで電光掲示板がそこだけ明るく注意を促していた。
20数年ぶりとなるが、大白川ダムに向かって行く。工事箇所が多く、現在進行形の様子が見て取れた。谷側にガードレールの無い場所もある。舗装林道でこんな場所は久しぶり。ダート林道なら、それなりに気をつけて進むが、舗装路は飛ばしやすいし、ましてやここは人気の場所であり、すれ違う相手が居ることを思うとよりドキドキするのであった。林道の距離は12Km。山道の12キロは長く、駐車場が見えたときはホッとした。広い駐車場には、黒い車が1台ポツンと置いてあった。入山車がある事は、水路を跨いだときの路面に残る痕で把握していたが、それがこの車だったよう。近くに行くと苦笑いも苦笑い、山中山岳会のH氏の車であった。冬期封鎖解除を待っていたのは私だけではなかったよう。どこに入山するのか・・・。少し離れた場所に停めてエンジンを切る(1:30)。管理棟の明かりが煌々と点いている。管理者が既に中に居るようだ。出発時間を4時として、2時間ほど仮眠とする。
30分おきほどに目を開け、時計を確認する。と同時に周囲の白み具合も確認する。夜空に少し雲がかかっている。太平洋岸側の下り坂傾向の天気に対し、日本海側はよかったはず。これでもいい方という事か・・・。3時半に準備開始。ザックに登山靴とピッケルを結わえ、足には長靴を履く。沢靴がないので長靴なのだが石を蹴飛ばしても痛くない安全長靴なのだった。登山靴も4式持つが、長靴も3式持っていて、場所により使い分けているのだった。そうそう、忘れそうになったが、最後に8mm20mザイルも持つ。
4:02管理棟前でチェーンゲートされた林道に、それを跨いで入って行く。林道には車の轍があり、通行がある事が見てとれた。荒んだ道かと思いきや、予想外にしっかりした道が西に進んでいた。路面には獣の足跡は無く、山菜なども食べられた形跡は無い。ウドやショウマ類などがちらほらと見られていた。すると前方の闇の中から黒い大きな影が現れた。動物ではなくて人工物。これが大白川温泉の源泉地施設であった。パイプの中を流水する音がし、各パイプを触ってみるが冷たい。暖かいそれを感じたかったが、林道側に出ているそれらでは感じられなかった。さらに3分ほど進むと、もう一箇所同じような設備があった。轍の存在は、ここのせいでもあったようだ。
夜が白み始める頃、地獄谷付近到達。林道はその地獄谷上流側に向いている。地図に硫気口というのが上流に書かれているが、伝っていけるのか・・・これは次回のお楽しみとしたい。少し道なりに進んでみたが、流れ側に近づかないのでカーブの場所まで戻って、藪を漕いで南進する。藪と言ってもわりと歩き易い植生で負担にならない。すぐに先の方が開け、地獄谷の河原に出る。まず最初の渡渉点。どんな流れかと思ったら、楽に渡れる水量ではなく、しっかりと構えて渡らねばならない水量であった。地獄谷を見上げると、白山からの稜線がモルゲンロートに輝いていた。渡りやすい場所を探しながら右往左往する。下流側に大きく移動し何とか渡るが、既に水没浸水し、履いたばかりの靴下を脱ぎ捨て長靴の中では素足となった。
地獄谷の渡渉の先は、湖岸歩き。斜度35度くらいの最初、次第に角度が増し、40度、45度くらいの場所もある。湖の中には鯉のように大きなウグイの魚影が見える。それも群れを成した状態で・・・。この場所の原住民(魚)でもあり、こちらはビジター、湖面越しに外来者を観察されていた事であろう。体を翻しながら群れは消えて行った。泥濘の場所もあれば、ガラ場もあり、気を抜くと流れる足場が続く。そんな中に大きな古木が残る。水に浸かって居る時、こうやって姿を現す時、これも全て人間の為であり、木もいい迷惑だろうと思えた。ほとんど湖面すれすれを伝って行く。途中のやや滑りやすい場所のみ高く巻いた程度。沢の流れを3本ほど跨ぐと湖岸歩きも終わり、湯谷の入口に到達する。
広い谷の中に流れがある。雪解け水であり冷たく、そこそこ水量がある。もう少し清らかな春の小川的流れを思っていたが、そう甘くはなかった。このコースでの試練と言えば、ここ湯谷の歩行であった。完全防備としてはウエダーを履くのがいいだろう。毎回の渡渉が長靴の上を行き、渡っては脱いで水を出す作業が繰り返される。ただし長靴のグリップはピカイチ。濡れた石の上でもしっかりと掴んでいた。最初は渡渉回数をしっかり数え、その一つ一つを記録していこうと思ったが、それをやっていたらここだけの記録になりそうで諦めた。それほどに渡渉が多い。地形図には水線が一本書かれているだけだが、現地では無数に流れがあり、多い場所で谷幅に対し4本ほどの流れになっている場所があった。それらがクネクネとしているのであるから、さながら神経衰弱をしているような、勘に頼る遡行でもあった。普通なら、右岸か左岸か真ん中か、どこか決め打ちして進むのが順当であるが、ここでは谷の幅を広く使い、進む場所を選んで行った。ただし、概ね歩けるところというのは限られる。流れが強く進めない場所が出てくるからで、伝う人の多くは同じような場所を進んでいるのであろうと思えた。なにせ西に進めばいいわけであり、Go Westなのだった。
渡渉を繰り返しながらも、南側の地形を見ながら行く。「ここもダメ」「この谷も雪がない」順番に東側から確認しつつ進んでいた。早々に、計画した1235高点付近は諦める事となった。そして地形図に湯谷と書かれている、その湯の字の西側にある谷をじっくりと見上げる。ここを伝って途中から1649高点を経由する手もある。しかし、下の方で雪渓は口を開けているのが見えた。さらには崩れやすい地形なのだろう、その雪渓が土砂で黒い場所が多い。伝えさえすればそんな事はどうでもいいのだが、その前に右岸側に強い太い流れがあり近づけなかった。諦めこの先は左岸寄りを歩く。書いていないが、途中何度も渡渉を経ての現在地。先の方には別山谷の雪渓も見えてきた。最後はあの谷があるからあそこを登れば・・・とも思うのだが、そこまでの雪も年々によって違うだろうから、まだまだ気を抜けない時間が続く。
すると、左岸側でどうしても渡渉できない流れになり、万事休すかと思ったら、先の方に自然の倒木が流れを跨いでいた。これが自然の愛情。藪を漕いでそこ場所へ行き、一本橋を渡って進む。これが無かったら、腰まで水没せねばならなかっただろう。と言うか、その前に流れが強くて渡れなかっただろうし、行動はここまでだったかもしれない。ハードルが高くなってきていることを体感し、この辺りでは、もう頭の中は別山谷に入って行くことを考えていた。この先、左岸に急流があったので、自然と右岸側に体が進みたがった。渡渉を繰り返し、やや樹林の出てきた谷の中を行くと、左岸側にイチロザ谷出合を見る場所となった。しかし今居る右岸側はヘツらねば進めないような流れがあり、ましてや渡渉は出来ない場所となった。普通に高巻を思い、少し東に戻るようにして巻き上げて行く。
地形図に見える顕著に飛び出した尾根の場所。西側に降りられそうな場所を探しながら行くのだが、ここで少し尾根を伝うこととなった。意外な歩き易さに、「ここを登ればいいか・・・」と思えてきた。意外な所から伏兵現るとなった。これなら1649高点は経由できないが、その西の1906高点を経由するコース取りが可能。そう思ったら、長靴を脱ぎ登山靴を履く作業に入った。ここまで1時間40分。まあいいコースタイムで来ている。高低差を見越し藪を想定すると、このさき上まで3時間ほどか、何となくおぼろげながら攻略図が頭の中に出来上がった。
標高1370m付近、西を見ると別山谷がある。正解は何処なのか、進路を決めるときの迷いはいつも付きもの。運不運、事故と楽しさも紙一重、ただし決めたからには後ろ向きだと事故に繋がる。気合を入れなおして上を目指す。最初は歩き易い尾根で、「このままなら楽勝」とまで思えた地形。しかし、1480m付近から様子は変わってくる。尾根筋は消え流れやすい柔らかい地形。そこにある植生も、弱い地形に生えているのでがっちりと根付いていない。腕で這い上がるような場所なのだが、手掛かりがやや不安な場所が多かった。滑り出せば止らないような場所を、慎重にゆっくりと確かめながら上がっていた。上の方に白い岩壁が見えてくるが、ここを降りる場合は、絶対にマーキングが必要であり、万が一を思って一つ設置した。振り返りながら登ってきた場所を見るが、上から見ると、全くと言っていいほどにルートがある、尾根があるとは見えてこない場所だった。進む先が開け、上の方に尾根筋が近い事が判る。
四足で登った先ほどがあり、主尾根に乗り上げた時はホッとした。しゃくなげの蔓延るところを過ぎるとオアシスのような休憩適地があった。ここで標高1580m付近。北を見るとイチロザ谷が木々の間からピンポイントで見えていた。この先から腕で上がる時間が長くなる。岩混じりの藪。シャクナゲがあったりし、漕ぐ時間が長くなる。滑りやすい大岩の場所は、東側寄りに登って行く。少し休憩をと東側を見ると、1649高点がある尾根がある。向こうを伝ったらどうだったろうか、となりの家の芝は青い・・・。我慢の登りで1720m付近でやっと雪に乗った。しかし続かずこの先も足場を選びながら分けて進む。
登り一辺倒の尾根だが、1800mに小さなコルがある。休憩適地でもあるが、ここにギョウジャニンニクが生え小さな群落があった。この尾根で生えていたのはここのみ。少し上がると「屏風岩」と名前を付けたいような大岩がある。この付近、熊穴と思しき深い穴が確認出来た。ただし周囲に爪痕は無い。そして1870mで完全に雪に乗り繋がってゆけるようになった。格段に進行スピードが違ってくる。苦労した分のご褒美とも思っており、キックステップでザクザクと快適に登って行く。別山谷を登っていれば今頃何処だっただろう。そんな事も少し思っていた。
1906高点からは振り返ると白山の雄姿があった。白水湖もしっかりと見え、ダムの管理棟の白き施設もしっかりと肉眼で確認できていた。伝って来た湯谷の白き谷も見えている。上から見ると渡渉点の大変さなどは見えてこない。柔和な顔をして辛口な谷とも言えよう。だんだん傾斜が増してくる。避けるには西側の藪尾根を伝えばいいのだが、やはり雪を伝いたい。となるとバットレス的な場所を九十九を切りながら登る事になる。滑り出せば停まらない斜面。慎重にステップを刻みながら高度を上げて行く。直下はシュルンド状になった場所も在り、東側に膨らむようなコース取りで主稜線に乗り上げた。
標高2080m。2090m峰が3つ並ぶ、東側の肩的場所に乗り上げた。焼滑側を見るとガスの中に入ってしまっていた。雪の繋がりはあるか・・・。東進を始め高度を下げてゆく。雪に伝う=雪庇の上な感じであった。今にも崩れそうな残雪であり、現に落ちて細くなった通過点もあった。一部藪の中を伝い、2000mの鞍部に降り立つ。この先、登り上げてゆく途中で残雪が途切れており、南側の笹薮に入る。この場所の笹は、優しい植生で胸から肩ぐらい。4尺くらいの高さでわりと漕ぎやすいものだった。そして乗り上げた峰が手前峰でありニセピーク。本峰はその先に待っていた。
焼滑到着。周囲のシラビソを具に調べたが人工物は見えなかった。360度のパノラマ。日照岳からの尾根筋も攻略経路に考えなかったわけではなく、伝ったらどうだったろうかと目で追ったりもした。白山が見事。流麗な裾野を広げつつ、その下側では陰影の濃い谷が無数に入り、優しさと険しさが見て取れる。少し西に戻ると、大峠を左に、その右手にスクンと別山の姿が見えた。結局のところ経路5.5時間ほど費やしての登頂。もうひと月早かったら、5時間ほどで到達しただろうし、ひと月遅かったら6時間はかかったであろうと思えた。少し呼吸を整えたら、次の大峠(南白山)に向かう。やや風が出てきており、動かないと寒くなってきていた。
焼滑西側のササ原は、早めに北側に逃げないとならない。まじめに伝っていると2000m鞍部まで繋がってしまう。残雪が上からでは見えてこないので、アレッと思いつつササを分けていた。アイゼンの爪がササに引っかかり足をとられること多々。雪の上では重宝するアイゼン、藪では真逆な物となる。登り返して2080m肩までは自分のトレースを追う。その先から無垢の雪の上を進む。雪解けが進み、頂部が伝い難い場所が多く、ポコポコと並ぶ2090m峰辺りは北を巻いて進んで行った。2094m峰からは、進む先に深そうな鞍部が見える。そして大峠側はガスの中。やや冬季風味な様相になってきた。この辺りもやや北側をトラバースぎみに通過して行く。伝っている右下にはタロタキ谷の綺麗なカールがある。伝えるものなら伝ってみたいが、有名な滝のある場所。上から見るのと下から見るのでは違うだろう。でも能天気に、降りてみようかと候補の一つにこの時はしていた。
タロタキ谷を背にして大峠の山塊に入って行く。手前峰というか肩にある高みが、東から向かうと山頂に見え、糠喜びの場所。本峰はそこに乗り上げやや南に振った場所にある。この付近の頂部も植生がやや密にあるような感じで、北側に避けながら進んだ。今日のほとんどは北側を伝った感じがある。大峠に寄せて行くと、雪の切れた場所があり、そこにショウジョウバカマの群落があった。背の低い花芽があり、花弁を広げつつあった。ここではやっと春のようであった。そして南に進んで行く。雪田と言っていいような広い平らな山頂部があり、その南に僅かに高い場所がある。間違いなくそこが最高所のよう。7mほど藪を分けてゆくと、ササの中に人工的なそれが発見できた。
大峠到着。三角点が見えたことがかなり嬉しかったりする。先ほどの焼滑ではたっぷりの雪で覆われていたこともあり、こちらも同等と思っていたから。この三角点周辺部15畳くらいのみが雪が切れていた。シラビソが周囲に生え、ここではあまり視界が良くなかった。先ほどの雪田の方へ行き休憩とした。生憎白山と別山はガスの中となった。流れるガスのタイミングを見計らってカメラを構えるような状況となった。ヤキソバパンを齧りながら下り路を考える。往路を戻る、タロタキ谷を下る、別山谷を下る。後者二つは今日の様子を見ていないルートとなり、少しギャンブル性がある。ただし、あの藪尾根を下る選択は、快適とは程遠い選択となる。やはりここは谷下り、折角の残雪の利を生かさないと・・・。悩んだまま別山側をよく見ようと西にズレてゆく。するとその北側に降りているカールの見事な事。同じことがタロタキ谷でもあったのだが、降りていきたくなる気持ちが強くなる地形。スキーなら最高に楽しいだろうと思えた。ザックの場所まで戻り、背負った後は足は別山谷に向いた。頭で考えるより体が動いた感じ。
アイゼンにものを言わせて高度を下げてゆく。踵グリップでしばらく直下行して行く。1800m付近から下がやや急峻になり注意が必要。何度かバックステップを織り交ぜながら慎重に降りて行く。今日は簡易ピッケルなので心許ない感じ。「これをぶっ刺して、体を支えてくれるのか」、ちょっと疑ったりもした。でも軽くて持つには重宝。急峻地形を過ぎれば、その下からは快適な斜度で下ってゆける。右岸側で流れの音がしだすころ、周囲に緑の目立つ場所が出てきて、左岸か右岸寄りに進もうものならその独特の香りも楽しむことができる。驚くほどのギョウジャニンニクが谷を覆っているのだった。右を見ても左を見てもそればかり。酒のつまみに少量拝借する。気持ちいい思いをさせてもらい自然の恵みも頂け、ありがたい限りな場所であった。
箱谷出合の下でこの谷に入り始めて流れが出ている場所に出くわす。下りながらの一番の心配箇所。下の方はどのようになっているのか、気になりつつ高度を下げてゆく。そしてと途中で沢に反響する水の音が強くしだす。その方向を探すように見上げると、そこがタロタキ谷出合であり、上の方に白き滝が二つ見えていた。上では伝おうと思っていたが、下から見ると伝いたくない地形に見えた。伝っている方の記録は見ているのでザイルがあるので何とかなりそうに思えるが、同じ高度を下げるにも、別山谷を下った方が遥かに早い。今日の選択はこちらで正解となろう。ま、我が力量を考えてもそうなる。滝の音を背にして歩き出す。落石の多かった上部に対し、谷が広くなったこの辺りでは、それが目立たなくなっていた。
もう少し下れば往路の尾根の場所になると思い安心感が増してきていた。しかし1340m付近で口を開けた雪渓があり、太い流れは左岸側に進んでいた。避けるように潜り込む流れの上を通過して右岸側に進む。しかしその先で流れは右岸側に戻っていて、蛇行して勢いがついた流れが岩にぶつかり降りて行くような場所となった。渡渉点となった。岩をヘツることも思ったが、落ちたら水深が深すぎる。流れても下流に行けるがリスクが大きい。その手前の流れは急流で渡るのはほとんど無理な状況。上流下流を見つつ、さあ困った。残すは左岸側の高巻しかない。右岸側は巻けない。30mほど登り返し、流れが出た場所を再度見て左岸側に行く。ここで渡渉の準備と登山靴から長靴にスイッチ。水没しながら7mほどのヘツリをこなし、その先から水面から6m付近を木々に掴まりながら急斜面を高巻して行く。巻き終えた北側をサルのように木に掴まりながら腕力で降りて行く。無事ランディング。どうなるかと思ったが、無事クリアー出来た。判断が悪く、ここだけ少し時間がかかり足踏みをしてしまった。
曲り谷出合を前にして進んで行くと、その左岸側の対岸に青いウエアーの単独の方が居るのが見えてきた。風体に見覚えがある。近づいてゆくとH氏であった。こんな所で行き会うとは・・・。お互いの行動予定を知らない中で、この場所で・・・。物凄い確立となろう。しばらく気づかなかったようだが、渡渉手前になり氏は気づき、にこやかに手を振ってくれた。渡って行き話を聞くと、別山を踏んできたらしい。登山靴から沢靴にスイッチしていたが、ここで装備を解除ってことは曲り谷を降りてきたようだった。抜群のセンス、また物凄い速さで行動してきたのであろう。少し先行して湯谷に入って行くが、あっという間に追いつき追い越していった。もたもた長靴で渡渉して溜まった水を出している私に対し、沢靴でジャブジャブ進める行動力の差もあった。背を追うと、やはり勘所がいい。広角に地形が見えて無駄のない滑らかな進路。いやはや上には上が居る。
一本橋(倒木)の場所にはマーキングをしておいたのですぐに判った。マーキングを回収し渡って進む。往路よりはやや強引に渡渉して行く。もう戻るだけなので、どれだけ濡れようがいいのであった。場所によっては尻まで水没する場面もあり、下半身はずぶ濡れであった。ありがたいことに、こんな時に長靴に穴が開いた。いつもなら怒るような事も、ここでは水が抜けてありがたかった。我ながらなにをやっているのやら、幼稚園児か児童のように、はだしに長靴。いや、今の幼稚園児でも裸足はないかも。冷たい水が何度も入りクールダウンになるが、冷たすぎて急いで脱ぐのが毎回だった。面白いのは利き足なのか判らぬが、同じ水没しても右足の方が耐寒力が弱く、反対の左足の方は我慢できる。これは不思議であった。よって必ず右から水を出すのだった。余談。
左岸側を進むH氏、一方の私は中洲側、各々が歩き易い場所を選びながら湯谷を戻って行く。高瀬川で激流に流されたあの時、今日ほどに繰り返し練習をしていったならば、当日流されなかったかもしれない。都度ズボンをまくって渡渉していたのが、面倒くさくなり濡らして渡るようになる。ゴールは近いと割り切ったからであった。冬季用のズボン、濡れても冷たく感じないのは、やはり繊維の良さからだろう。目の前に湖が見えてきた。復路も十数回の渡渉となった。地獄谷に向けての傾斜のある湖岸歩きに入って行く。
この湖岸でも二人は各々に歩く。H氏は湖面より6mほど上をトラバース。私は水面ギリギリを行く。この選択は中間点を境に良し悪しが分かれる。南側は上側の通過が有利で、北側に入ると下側の方が有利。平行する二人の速度を比べたら、そのような答えとなった。地獄谷に戻り砂地に残されたトレースを追って下流側へ行き最後の渡渉。不思議と、これで最後かと思うと物足りなさも感じたりした。水遊びは麻薬的要素があるのかも・・・子供みたいなもんだろう。H氏はここで休憩、私は藪に入りズンズンと進んでゆく。マーキングをしておけば快適に進める場所が判っただろうが、それをしなかったので往路の倍ほどの距離を漕いで林道に出た。ここまで戻ればもう不安箇所はない。
林道をてくてくと戻って行く。既に次のことを考えていた。言うなれば林道オープン初日、大白川温泉が混んでいるのではないかと気になっていた。山の後は温泉であり、ここは登山基地に温泉が在る嬉しい場所。入るのが順当。お日様の下で林道沿いを見ると、往路以上にウドが見えていた。まだ採る人が登ってきていないよう。おいしそうなウドとは違い、痩せたものだったのだが・・・。源泉地を過ぎ、もう僅か。白水湖は、その場所、角度、陽射しに寄って色を変えている。七変化の湖水でもあった。歩きながらその色合いを楽しむ。しばらく見えていたダムの管理棟が見えなくなる頃、林道の先にチェーンゲートが現れ、三角屋根の管理棟が現れた。黄色い防寒具を纏った管理人が、バルコニーに造られた手製ブランコに乗りながらこちらを注視している。そして20mほどの距離になり御互いに挨拶。「何処に入って来たのですか」。「焼滑と南白山です」。大峠と言ってもまた説明せねばならないので、公に知られている名前を言った。「上からこちらが丸見えだったでしょう」と見上げつつにこやかに言う。「はい、そりゃもう」。「温泉は混んでますか?」。「いやぜんぜん」。「後から利用させてもらいます」。「お疲れさまでした」。こんな会話がされた。
駐車場到着。広い駐車場には5台のみ。静かな大白川なのだった。ザックと持ち替えるように風呂装備を持って、管理棟で300円を払い浴場へ。硫黄の湯に抱かれながら、歩いてきた稜線をコバルトブルーの湖面の先に見る。ずっと見ていても飽きない景色。いい山だった。そしてバラエティーに富む内容で、至極楽しかった。ちょっと危険は感じたが、ザイルはお守りのまま推移した。往路と復路を同じにしていれば、絶対に使ったであろう。
振り返る。時間が取れるなら、別山からのアプローチでいい場所。もうひとつは日照岳からも雪の繋がりが見えたので、1泊2日で面白いかもしれない。そして日帰りなら、大白川ダムよりのアプローチに限るとなるか。平面距離は、焼滑まで4キロほど、大峠までで6キロほど、全体で10キロ弱くらいなので今回のようなコースタイムとなる。問題は渡渉点。体の軽い女性などは、流れに足を払われてしまうだろう。流されるほどの急流もあり、適当な渡渉点を見出す勘は必要な場所であった。渡渉点を見出す、見定めるルートファインディングを楽しむ場所となる。往路は慎重に、復路はジャブジャブと・・・が今回の私。
最近有名座を、これまで見たことのない角度から眺めるのが楽しくなっている。見せない後姿を見させてもらっているような・・・。いつもとは違う表情を見られるというのは、やはり楽しいものである。
次ぎ、H氏と何処で逢うだろうか。二度あることは三度ある。下山後、山中山岳会のI氏に連絡を入れると、H氏は、ゾロ谷もヤケ谷もやっているとの事を知る。今回は西にズレて遡行したようだった。恐るべし。そして山屋としての前向きさはかくありたい。