仙人窟岳 1747 m
2013.4.20(土)
午前晴れ 午後から雨のち雪 単独 であい橋から桂湖経由 行動時間:16H3M
携行品: アルミワカン 12本爪 ピッケル ストック
@であい橋(ゲート)3:02→(58M)→A開津橋4:00→(43M)→B桂橋4:43→(12M)→C小屋の場所から取り付く4:55→(43M)→D845高点5:38→(48M)→E1109高点6:26→(53M)→F1290高点7:33〜→(117M)→G1434.3高点9:30〜32→(57M)→H1511高点10:29〜31→(77M)→I仙人窟岳11:48〜12:08→(44M)→J1511高点帰り12:52〜53→(61M)→K1434.3高点帰り13:54〜14:00→(114M)→L1290高点帰り15:54〜16:02→(37M)→M1109高点帰り16:39→(36M)→N桂橋帰り17:15→(47M)→O開津橋18:02〜07→(58M)→Pゲート19:05
@であい橋から僅か先で、冬季ゲートあり。 | 打越隧道に入って行く。長いトンネル。 | A開津橋を渡る。 | B桂橋のところ。大笠山登山口。 |
B桂橋を渡ってゆく。 | C林道を進むと赤い屋根の小屋があり、その向かいの斜面に取り付く。 | C斜面の様子。雪に繋がりながら。 | 標高680m付近で尾根に乗る。 |
標高750m付近。一帯にヤドリギが非常に多い。タムシバも咲き出していた。 | 800m付近で道形と判る筋を見る。 | D845高点 | 880m付近にワイヤーが残る。林業作業がされていたよう。 |
E1109高点到着。 | E1109高点から見る1270m峰。 | 標高1070m付近。ややリッジ状。 | ホースかケーブルのようなものが敷設してある。 |
1130m付近。熊の足跡。 | 1270峰の西側をトラバースするが、先の方で急峻になる。よって頂部を進んだ方が良い。 | 1270峰から見る1290高点峰。 | F1290高点。蛍光緑のリボンがある。 |
F標柱が立つ。 | 1290高点の南側が核心部となる通過点。岩が出だす。 | 頂部が進めず、南を巻く。先が見えず、障害の都度、高度を上げ下げ。 | ここは往路は下を通過。復路は上から。 |
1170m付近。「窟」と言いたいような大きな岩屋がある。 | 1180m付近。大きな岩が露出。 | さらに先にもハングした岩窟があり、人為的な枯れ木が立てかけてあった。 | 1290m付近の存在感のある大木。 |
1370m付近でタイガーロープが敷設してあった。 | G1434高点。ここまで長かった。 | 風化して水平方向に堆積模様が見える大岩。柱状節理の横バージョン的。 | もうすぐ1511高点。 |
H1511高点から国見岳側。 | H1511高点から仙人窟岳。 | 最低鞍部から最後の登り。傾斜が増し、アイゼン必携。しかし片足しかなく・・・。 | 1600m付近のシュルンド地帯。 |
I仙人窟岳の広い山頂。後は白山。 | I赤布とピンクのリボンが結ばれている。 | I仙人窟岳から笈ヶ岳。8名のパーティーが肉眼で見えた。 | I軽い雪庇あり。右下が1511高点峰。 |
I冬瓜山(かもうりやま)もこのように見える。ナイフリッジの場所。 | I仙人窟岳から見る火の御子峰(中央)。この時季でも雪が付いていない。 | I仙人窟岳から桂湖(中央)。遠くまで歩いてきた。 | 標高1600m付近上から。 |
J1511高点帰り。 |
J1511高点から1434.3高点側。 | 1430m付近にこれが落ちていた。 | K1434.3高点帰り。 |
1270m付近。 | 岩屋のところは、北側を雪に繋がって通過。 | 1250岩峰の南。足元が滑り、見えている岩に耳を強打。流血!! | L1290高点帰り。 |
L1290高点から北側。ガスが濃くなりつつあり、雨粒が当たりだす。 | 1260m付近。往路に見た黒いホース(ケーブル)が大木に引っ掛けられていた。 | 1109高点に向かって | M1109高点帰り。 |
Mよく見ると、アブミが引っ掛かっていた。 | 桂橋に向けて尾根を下降。 | 下りながら、東には往路に伝った尾根が見える。 | 尾根の道形の様子。明瞭。間違いなく道がある。 |
N林道に降り立つ。 | N降りてきた斜面(沢の横)。タイガーロープもあり。 | N中央に桂橋。 | O開津橋帰り。かなり雪模様になってきていた。 |
打越トンネルに潜ってゆく。復路はトンネル内の寒さを感じた。 | Pゲートに戻る。 |
猛者の居る山岳会のページは、ちょろっと覗き見をしている。石川労山である山中山岳会もその一つ。全てではないがポイントポイントでの山行が、時折私を刺激してくれる。そこに面白そうな山行計画が載っていた。4月の21日に仙人窟岳と笈ヶ岳と書いてあった。それもどうやらワンデイのよう。すぐさま企画者のI氏に尋ねると、桂湖からの尾根ルートのよう。この時、初めて桂橋からのルートを知る。調べると、積雪期での登頂記録はスーパードクターのスキーでの記録のみ。もう一つは無積雪期に5時間20分で到達しているのがみられる。ただし、見るからに長い。そこで、「笈に行ったら、大笠山に抜けるんですか?」などとI氏に聞いてしまった。すると、「ピストンです」と返ってきた。これは心していかないと・・・。いつも以上に地図を睨み、等高線の密な場所を把握し、各ウェイポイントのピークをしっかりと頭に叩き込んだ。しかし実行するのは21日の日曜日。予報では、二つ玉低気圧が日本列島を悪戯するよう。土曜日は降られず行動できるよう。こんな予定であり、当初は前座で土曜日に近くの山に上がり日曜日に本番との予定であった。ただし、完全に日曜日は悪天が予想でき。I氏から中止の連絡が入った。こうなればと、土日の予定を反転させ、単独で挑むことにした。
前夜、早めに仕事を切り上げ、19:45に家を出る。夕飯も食べずに、すっ飛んでゆく。少々仮眠を入れながら、五箇山を降りたのが1:20。“やばい、ここコンビニないんだった”気づいても後の祭り。非常食はあるが、主食がない。あるのはバナナ二本。ひもじい山旅になること必至。悩んでもしょうがなく、であい橋から右に折れてゲート前に着く。そこには加賀ナンバーの車が1台停まっていた。その前には自転車があり、見るからに奥地を狙うハイカー(スキーヤー)と見えた。もっと言うと、この車は、昨年かに馬場島方面で見ている。猛者ハイカーであることが記憶から裏づけされた。何処に向かうのだろうか・・・と思いつつ、シュラフに包まりしばし仮眠に入る。
1時間ほど寝て2:30目を覚ます。時折国道を行き交う車のライトが見える。フル装備と言いたいが、「飯がない」。どんなペース配分で行ったらいいか・・・。再度全行程を地図で確認し、静かに外に出る。寝ている人がそばに居る訳であり、最低限の配慮をしてヘッドライトに火を入れる。そしてドブ付け鍍金されたゲートの右側を通過して行く。ここの開口部の広さは十分バイクでも通過できる。モンキーでも持ち込めば、桂湖まで20分ほどであろう。しかし、この先の雪の状態が判らない。押出しで歩きの方が正解だったって事もある。そう期待してアスファルトの上を進んで行く。
すぐに打越隧道となる。ここは1.4キロほどある長めのトンネル。内部は温かいかと思ったら、壁から流れが出ている場所も多く、ひんやりした内部であった。コツコツと、まるで「とんぼ」の歌詞のように洞内に響く足音。さながらカラオケボックスのようで、声も口笛も良く響く。歌ったのか・・・(笑)。穴から抜け出しても漆黒の世界。緩やかな道をどんどん進むと、懐かしい施設が見えてくる。最後にここを訪れたのは、15年以上も前になるか、当時と変わらぬままの建物が見えてきた。開津橋を渡るのだが、湖面を渡る風に、けっこう吹きさらしになり寒い。フードをかぶりジッパーを上げる。渡りきった先に南砺市のブルドーザーがあった。これがあるって事は、除雪がされているって事か・・・と予想が出来た。山手側に、その除雪のバケットの痕がシャープに残っているような場所もある。キャンプ場を過ぎ、懐かしい大笠山の登山口に到着する。何度来ても物悲しい雰囲気があるここ。駐車スペースが狭いせいかも。
桂橋を渡って、林道を進んで行く。渡った先から雪が乗ってくる。まず最初の尾根に道形があるように把握しているが、その入口は見えてこない。暗いせいもあるが、なにか九十九を切って登って行く場所のようで、そのような残雪形が見えていた。ここで無理に取り付かずとも、この先になだらかな良い尾根がある。林道が尾根末端を乗越す場所まで行こうと進んで行くと、左側に赤い屋根を持つ、緑の小屋が見えてきた。闇の中に2棟か3棟ほど見える。そこから山手側斜面を見ると、既に登り易そうな地形があり、この前から取り付くことにした。雪は堅く、今日の曇りがちな天気も後押ししてくれる筈。
標高680m付近で尾根に乗る。道形が在るのかと探りながら行く。それより、上空の様子に驚く。木々に着いたヤドリギの多さたるや。周辺のブナがこれにより枯死してしまうのではないかと思うほどに見られた。雪融けした場所にはイワカガミのピンク色も見える。タムシバの白花も雪が咲いたように見える。なだらかな尾根を進み、標高800m付近に達すると、ここで道形を見つけた。明瞭とは言いがたいが、間違いなく在る。雰囲気としては、杣道な感じ。植生がその道を覆う場所もあり、あまり歩かれないことは見て取れる。遠く県境稜線が朝日に輝く。まだかなり遠い場所。はたして届くのだろうか。この先はアップダウンの繰り返し。あまり天気が良くなるとバテバテになる。ほどほどの曇りの天気がありがたい。
845高点を過ぎ、その先880m付近にかなり朽ちたワイヤーが残っていた。木々に巻いてある様子から、林業作業がされていた様子が伺える。と言う事は、この道形は間違いなく杣道と言うことになるか。まあ在ってありがたい道。雪の切れた場所では、それらを拾いながら進んでいた。そして標高1030m付近は二重山稜的な場所となり、中央部を通過し、その先西側の尾根を選ぶ。快適も快適。地形図通りのなだらか斜面で、意気揚々と歩いていた。ツボ足にもならず、復路に使う場合、トレースを拾うのが大変なほどに沈み込みがなかった。
1109高点。先の方に1290m高点の場所があるが、その手前峰の1270m峰がスクンと見えている。その後に大山塊の県境稜線。この時、白山はまだ姿を見せては居なかった。この先もまだ快適斜面。少々リッジ状の残雪もあるが、障害になるほどではなかった。進んで行くと、道形の場所に黒いホースが見えた。長く流してあるようで、ケーブルなのかとも思えた。持ち上げてみたが。前後を雪の重みがあり、それが何か判るほどに持てなかった。進む先になにやら大きな足跡が見えてきた。すぐにそれがあの黒い大きな生きもののものと判る。この辺りも動き出したようだ。やや小ぶり、この時季はなにを食べるのだろうか・・・。
1270m峰は、ショートカットをしようと西側をトラバースしてみる。しかし途中で傾斜が強くなり、あえなく断念。結局1270m峰に上がってから、次の1290m峰へと進んで行った。進んで行くと、左足足元が嫌にガチャガチャ音がする。見ると、前後にアイゼンが分離されていた。一瞬にブルーになる。ここはさほど使うほどではないが、この先の核心部で必用になる。ぶらぶらしたそれを外し、ボルトが抜け落ちてしまった事を目の当たりにする。ちゃんと整備していないと・・・。ブラケットもハズレており、ダメもとで少し探しに下ると、運よく見つかった。堅い雪が幸いしたようだ。このブラケットがなかったら、道具としておしゃかになる。さあどうしよう。片足のみとなってしまった。食料も先ほどバナナを食べてしまい、主食はなし。まだ先は長い。
するとなにか後方から気配を感じた。見ると、単独の人が物凄い足の回転で上がってくる。急いで上がっているようにも見える回転の速さ。ウエアーを見ると、山中山岳会の若きエース氏と判った。声をかけるとにこやかに頷いていた。話を聞くと、私より1.5時間遅くに出て、もう追いついている。自転車を使ったために、桂橋まで40分だったそうだ。これでいくとここまでの足し算引き算が合う。1290高点に到着し、しばし会話をする。ここには蛍光色のグリーンのリボンと、その下の地表面に御影石の標柱が埋まっている。ここまで軽快に来たので、この先もこんな調子と思っていたが、この先は一気に藪モードとなった。
植生の濃い稜線上。頂稜は鋭利な場所であり、雪の多くは落ちていた。しゃくなげが蔓延り、ルートが見出せないような場所も出てくる。頂部を進むのか、下を巻くのか、マーキング類は一切無いのでルートファインディングが楽しめる場所。絶対にここはマーキングをしないで欲しい(一箇所に5本ほど集中してあるのだが)。ただし、所々に新しいナタ目があった。痛そうである。地形図を見ると1290高点の西側に顕著な突起峰がある。ここは南を巻く。ササが生えた斜度のあるトラバース。高度を上下動しながら通過して行く。この先は地形図ではなだらか斜面であるが、大岩が尾根上にあり、藪化もしている。その大岩の基部に窟と呼べそうな岩屋風の場所がある。ただ単に根元が風化したハングした岩とも言えるが、ここではそれも窟と言いたい。よく見ると、そこには杖のように枯れ木が並べられ、ビバーク用の焚き木のために並べられているように見えた。先を行くエース氏はとうに見えなくなっていた。
標高1290m付近の通過点に、オブジェとなる大きな古木がある。少し立ち止まって対峙する。こんなのに逢える事が嬉しかったりする。やや急峻になり、1370m付近にはタイガーロープが敷設してあった。間違いなく作道がされていると言う事になる。予想外にもここで時間がかかってしまった。地形図から見る核心部は、1434.3高点の通過と見ていたのだが・・・。纏わりつく木々を分けながら、時に攀じりながらの行軍。けっこう疲労が嵩む通過点となっていた。
1434.3高点に到着。ここの最後は、やや急峻の登りであった。だんだん近くなっているが、この分で行くとまだまだ時間を要す。次の目標は1511高点。その間が今と同じだったら・・・。振り返ると、エメラルド色の桂湖が遠くに見える。ここまで来たからには頑張らないと・・・。大きく鞍部へ向けて下降して行く。途中、1430m付近に三脚が落ちていた。忘れ物か・・・いや壊れている・・・。先の方を見ると、既にエース氏は1511高点の上に居た。30分ほど差をあけられたか。しょうがない、これが実力であり、これが全て。時間がかかっている理由の一つとして、ザックに結わえたピッケルが、木々に引っ掛かる事もあった。それほどに藪っぽい場所が多いと言うことになる。判っていれば短いピッケルを持ったのだが・・・。
1511高点の北側は、やや急峻の雪壁を上がって行く。そしてその上に立ったときに見える県境稜線の絵たるや。見事としか言いようがない。素晴らしい並び。三方岩の方から、瓢箪、国見、仙人窟、笈、大笠、これら名峰が自分を取り巻いているように見える場所であった。もう少し。先行するエース氏は県境の下で立ち止まっているのが見える。進路が辛い場所なのだろう。雪融けでの黒い部分が多く、やや難儀しているよう。こちらは鞍部まで降りきり、右足のみのアイゼンに、左足にはワカンを装着する。色々悩んだが、それでもワカンの爪が制動具になるだろうと考えた。その大きさが邪魔になる場合もあり、目の前の急峻を見てのよくよく考えた結果だった。良く考えたのなら、そんな片足状態なら撤退だろう・・・などと言われるかもしれない。
さあ最後の登り。ほとんど前や上が見られず、下を向いたまま、一歩一歩を確かめるように蹴り込んで行く。右足はワンステップ。左足はツーステップ。こんな事を連続していると、左足ばかりでなく右足にも疲労度が増してくる。何事にもバランスが悪いと、余計な負荷がかかるのである。登りながらも、帰りの事を考えて、下りでの行動を考える。普通にバックステップで降りねばならなかった。アイゼンが揃っていたら前を向いて降りられそうだったが・・・。ほとんど牛歩状態で、シャリバテハイカーは上がって行く。既にエース氏は笈に向かったようで、それらしい黒い点が、県境の上を見え隠れしていた。
1600mに達する。エース氏が立ち止まった理由は、シュルンドであった。雪のつながりを縫うようにトレースが進んでいる。このやや困難地での進路を見るだけで、エース氏の力量が判る。100点のコース取りなのであった。深く口を開けた場所を見下ろしながら這い上がってゆくと、その先で前爪を引っ掛けあがるような場所が二箇所出てくる。その年々で状況は違うだろうから、一概には言えないが、今年はそんな状態だった。稜線が近くなると傾斜も緩み、左足のツーステップが回避される。やっと来た。スタートから8.5時間以上経過している。こんもりとした高みに向け、進路を南に取って行く。周囲の景色が、疲れを忘れさせてくれるかのよう。これがクライマースハイ状態だと、自分で感じるのだった。
仙人窟岳到着。雪に埋もれたシラビソに、赤布とピンクのリボンが縛られていた。ここが標高点ではないようだが、人工物としてはここしか出ていなかった。360度の展望がある。白山が見える。そのど真ん中に真っ黒い刃をもたげた火の御子峰が見える。この火の御子峰。白山市のミスで2004m高点で同定されるところであった。寸でのところで昔からの位置に同定された。間に合ってよかった。振り返ると笈ヶ岳がある。その右に大笠山。奈良岳、赤摩木古山に続く白き稜線。いい感じに見えていた。そして、はるか遠くに桂湖が見える。“あそこまで戻らねば・・・”伝って来た起伏の多い稜線が眼下にある。そしてその各ピーク間の黒く見える通過点に、体験した現地が甦る。帰りも相当時間を要す。天気は見事に下り坂。やや風も強くなりだし、兆候が出てきていた。再度笈を見ると、アリンコのような点がいくつも動いている。さすがの200名山。残雪期ならではのの賑わいとなろう。再び来ないであろう場所、十二分に山頂を楽しみ下山となる。当初は、笈ヶ岳まで行こうとは思っていたが、今日はここまで。
鞍部までは気を抜けない緊張の下り。滑り出し、初動で停めないと制動などできないような斜面。現に、やはりワカン側で滑り、ピッケルと言うより指を雪に突き刺して止めた場面もあった。咄嗟の瞬発力は身を守る。1600mのシュルンド帯を抜け、そこからは山頂側を向いてバックステップで降りて行く。往路のステップがあるからいいが、これがなかったら辛い下降であった。下山時も蹴り込みつつ降りて行く。途中、左足が壊れたと言う事は右足もその可能性がある。そう思えてきた。少しブルブルし体がぎこちなく動いていた。日頃の日常点検は大事である。道具もしっかりメンテをしないといけない。
鞍部まで降り立ち、これで危険箇所は回避された。1511高点への登り返し。筋肉疲労が多く、軟弱な私は足が攣りそうな状況にもなっていた。これってもしかしてバナナのせい? 確かバナナは即効性はあるが、このように攣りやすくなるとの話を最近聞いたばかり。振り返ると、確かにそうかもしれない。運動にバナナは、少し考えねばならないか。こんな事をゆっくり考えられるのも山旅なのであった。藪尾根を伝い、雪を這い上がり1511高点に戻る。振り返ると、仙人窟の上にエース氏の姿がポツンと見える。速い。何せ速い。こちらも息を整えてから、1434.3高点に向かって行く。どこかで追い抜かれるのは必至。
戻って行くと、標高1430m付近の所に、小さな鍬が落ちていた。これが、木々にマーキングした道具か、もしくはこの道形を造った道具か。そのまま残置しておいた。藪尾根、岩部、雪斜面のトラバース、アイゼンを引っ掛け、顔を叩かれ、ストックを引っ張られ、そんな尾根の様子。復路はストックをザックに結わえたら、これがブレーキになった。何度も取られてしまい、その都度よく縛ったのだが、それでもまた取られてしまった。斜面を駆け下りて取りに行くこともあり、ここの通過でのストックの有無は、大きく行動を左右するよう。1290高点と1511高点間は持たない方が楽。もし持ち、ピストン行動なら、1290高点にデポしておいた方がいいかもしれない。とうとう細かい雪が当たりだしてきた。このまま一気に悪天に向かって行く。先は長く、帰りもまたヘッドライトを覚悟する。
1434.3高点に戻る。休憩をしていると、なんとエース氏が後から現れた。天狗か・・・これほど速い人は初めて見る。体感、運動能力が至極長けているのであろう。荷物は私の半分ほど、いろんな効率もいいようだ。少し先行して先に下る。ここの最初も20mほどの急斜面。ピッケルを打ち込みながらバックステップで行く。往路のルート取りを復習するようにトレースを拾って行く。岩屋の西側には、往路で見なかったザイルを見つける。“こちらが正解だったか”と尾根の北側をトラバースしたりする。岩屋のところは。南、東、北と大岩の基部が侵食した恰好の場所であった。ここを過ぎると、1250m峰南の核心部の帰り。判ってはいるが、ルート取りをミスしてしまう。エース氏も追いつき、模索しながら進んで行く。その途中、ルートを見出しエース氏を先に送った後、またまたストックを奪われた。遅れまいと焦ったら、岩壁通過で足を滑らし左耳を強打。見事に大流血となった。生暖さを感じつつ、気にしないように行くが、指先は自然とそこに行き、状況を把握する。赤い・・・。今日は何重苦だろうか。こんな試練の日もある。焦らずゆっくりを決め込む。
尾根を少し南に逸れて、雪に繋がり登って行くと、雪の切れた斜面に青い人工物が見えた。誰かの落し物と咄嗟に判断したそのものは、風船レターであった。まだ判読できる文字で、岡山市の巌井保育園の名前が入っていた。岡山からここまで・・・飛んできたのか。私がここを通過しなければ、絶対に目に触れなかったろう。「何かの巡り会わせかも」なんて思うのだった。藪を漕いで尾根上に戻り、道形を登って行く。1290高点が近くなると、登山道と言っていいほどに状態が良い。
1290高点帰り。当然ながらエース氏の姿はない。細かい雪は依然強くなるばかり。平地では雨であろう。周辺景色もガスに覆われ、物悲しい雰囲気となっていた。ただ、ここまで来れば、この先はほとんどなだらか斜面。一応気分のギアをここで入れ替える。気を抜くってことではないが、気を楽にした。さあ北に。快適斜面についたエース氏のトレースを拾って行く。そのストライドから、天狗のように駆けて行っているのが判る。往路に気がつかなかったが、1260m付近のブナに、黒いホースが高い場所に引っ掛けられていた。結局これは何だったのだろう。アンテナでもあればケーブルかと思えたのだが、ホースと言っているが、水を流しているわけでもなさそうだし・・・。ピッケルからストックにスイッチし、グリゼードを織り交ぜながら高度を下げてゆく。唯一の登り返しは、1109高点。そそり立っているようであるが、現地は緩やかな勾配で伝ってゆける。
1190高点。ここでも往路に見落としがあった。奇形のブナの木に、クライマーが使うアブミが掛けられていた。2.5mほどの場所。何の目的だったのか。高価なものだろうし、残置して行く意味を考えたりした。結局思い浮かばず。降りて行き、標高950m付近から、桂橋へ直接下る尾根に入る。エース氏もここを使っての往復らしい。下の方に大きく桂湖が見えてきた。もうすぐであり、この景色は嬉しかった。進路右には、往路に伝った尾根がある。現在伝っている場所を体感すると、往路の尾根の方が緩やかで快適だった。尾根上の雪融けした場所には、はっきりと道形があった。東側の尾根のものと比べると、あからさまに違う。こちらは作道跡、向こうは杣道であった。下の方へ行くと、1290高点の西側にあったのと同じピンクのリボンがあった。その先が急峻。エース氏は谷の中を進んで行っているが、夏道どおりに西側に下ってみた。途中には直滑降にタイガーロープが降りている場所があり、雪がなくとも嫌らしい通過点の場所もあった。最後は適当に雪の上をずり落ちて林道に降り立った。白川村の看板が目印となる。
桂橋を渡り、残り2時間。この緩い勾配であれば、往路とほとんどコースタイムは変わらないと判断できた。高度を落としてきたので、細かい雪はみぞれとなっていた。その代り、大きなつぶでしっかりと濡らされた。重い足を引きずるようにアスファルトを進んで行く。自転車があったなら・・・。開津橋を渡り、ダム管理舎の庇の下で少し休憩を入れる。降りが強くなり、雨宿りならぬ雪宿りでもあった。一度休んでしまうと次が辛い。背負うとグッとザックが重く感じた。打越トンネルに潜ってゆく。疲れのせいなのか、この洞内が復路は非常に寒く感じた。濡れないだけマシとも思いたかったが、濡れていたときの方が暖かく感じるような洞内温度だった。
トンネルを抜け出すと、そのままヘッドライトが必用な明るさとなっていた。長かった・・・。もう少し・・・。これだけ歩けば温泉が気持ちいいだろうな・・・。でも、入れる場所があるのか。もう登頂した感慨より、目先の暖かさを求めている自分。嘘偽り無く、いつもこんな思考であった。そして風呂に入っている頃、じわじわと感慨が染み出してくる。先の方にヘッドライトが通過して行く。国道を通過する車であった。ゲート到着。あー腹減った・・・(笑)。
降り返る。残雪期でないと負荷が多い場所かと思っていたが、逆で、無積雪期の方が適季となるルートのよう。雪の下になっている場所は見えなかったが、今の時期にしてもかなり落ちていることを考えると、雪を頼りにしないほうがいいように思えた。核心部は、1290高点から1511高点。ここで雪はあまり期待できない。時間がかかっているのはここの通過。ただしただし、雪がある事で、素晴らしく山が美しい。各々の感じ方が違うから、一概にどの季節が正解とはならないか。あと、ゲートが4月下旬で開く。往復4時間のアルバイトが軽減される時期のほうが適季となるかとも思う。あの尾根を伝って思ったのは、1290高点から西側を、スーパードクターはスキー板を持って通過している。ザックに結わえたかどうかは判らぬが、結わえて高く上に出しての通過は至難の業でない。改めて氏のバイタリティーを感じるのであった。
家に戻り、すぐさまアイゼンにヤスリをかけ、ジンクライト塗装をし、ボルトを新しい物に取り替えた。なにか無いとこんな事をしないのでは・・・ダメダメなのである。でも人間は忘れる動物であり・・・繰り返す。しかしアイゼンは命を預ける物。気づいて管理せねばならない。