障子峰    1713.8 m        


 
2013.6.8(土)    


   雨のち曇り(時々晴れ)     単独     野反湖より渋沢ダムに入り西側尾根で往復      行動時間:10H51M 

   携行品: 8mm20m


@登山口4:10→(30M)→A地蔵峠4:40→(143M)→B渋沢ダム(避難小屋)7:03〜12→(135M)→C障子峰9:27〜38→(67M)→D渋沢ダム10:45〜59→(106M)→E1748西大倉山12:45→(124M)→F地蔵峠14:49→(12M)→G登山口15:01


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@白砂山登山口からスタート。 ハンノキ沢の橋はこの状態。 A地蔵峠から切明側へ進む。 A当然、お地蔵さんには挨拶して行く。
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北沢渡渉。 荒砥沢を跨ぐ。 倒木を乗り越え。 ここはイタドリ沢か、雪渓が残る。付近に沢がいくつかあり、特に同定しなかった。
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往路、1748高点の西大倉山は通過した後に気づく。 1440m付近。周囲のブナと新緑が見事。 営林署小屋。小屋跡と言ったほうがいい状態。 渋沢を渡る。流れは先週の湯谷と同様の水量。
hashi.jpg  shibusawadamu.jpg koyanaibu1.jpg  torituku.jpg 
エキスパンドメタルが敷いてある。大きく上下動する橋。 B渋沢ダムに到着。手前に草地のヘリポートあり。 B避難小屋は荒廃しており窓はなし。雨を避けるにはいいが、泊まるには・・・。 B小屋の南側から取り付く。
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1110m付近。山菜の多い谷。足元はゴーロ。 おいしそうなミヤマイラクサが沢山生えていた。 1210m付近。進路左側の尾根には大岩が多々見られた。 1300m付近。下草の少ない谷。やや足場が緩い。
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1360mで左に添っていた尾根に乗る。この場所の下側には潜って通過するような大木がある。 1380m付近。ササとシャクナゲ混じり。以後、藪の本当に強い場所ではカメラを構えられてない。写ってる場所は優しい場所とも判断できる。 主尾根に乗り1470m付近。南側にカール地形が在る場所。 1480m付近。シャクナゲが尾根を占拠する。
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1510m付近 1600m付近 1630m付近で植生が和らぐ。獣道がある。 障子峰の肩に乗る。
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C障子峰到着。南側は背の低いササが並ぶ。 C三角点を見つける。地形に同化しているが、四方を囲む石が顕著に残る。 C三等三角点。 C久しぶりにいたずら書きを残す。降雨と湿気とで、しっかりと書けていない。
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C間違いなく、障子峰でヤキソバパンが撮影されたのは初めてであろう。 C南東側から登ってきた側を見ている。 1560m付近に残る熊の爪痕。体毛も残る。 1520m付近。
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1400m付近。そろそろ右(西)に進路を変えねばならない。 進路を西に変え1370m付近。 奇形の木の場所。根元が見えないが立って通過できるほど大きな空洞がある。ここから谷側へ下る。 下降点から谷側を見た絵。
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1340m付近。 1180m付近。 D渋沢ダムに戻る。 D美生柑の美味しい季節になった。喉を潤す。
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D全身びしょ濡れ。曇り空だが休憩中に乾かす。窓の無い避難小屋が後。 D帰路スタート。 渋沢を渡り。 営林署小屋内部。
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ツバメオモトが花盛り。 1690m付近。 E1748m高点。西大倉山通過。 E西大倉山から三引山。
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1760m付近。ややササが張り出した中を進む。往路はこの辺りで濡れ鼠が加速。 途中から見る大倉山。 1808高点付近。山手側からのササの張り出しで歩き辛い。 1808高点付近から野反湖。
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荒砥沢を通過。40年製の標識が落ちていた。 1724高点南側。この付近も新緑が見事。 北沢を渡って・・・。 サンカヨウ
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F地蔵峠帰り。お地蔵さんに無事戻った挨拶をし・・・。 ハンノキ沢帰り。往路は渡渉したが、復路は木橋を伝う。 駐車場を見下ろす。夏の景色。 G駐車場に戻る。まだ閑散とした雰囲気。



  

残雪期も終わったと言っていいだろう。終わらせずにもう少し2000m級を攻める方法もあったが、美味しいものは後にとって置く方なので、また来年のお楽しみ。ここは頭を切り替えて雪を当てにしない山旅を企画する事にした。


 障子峰。登られた方は皆無ではないであろうが、数えられるほどしか登頂者が居ないであろうと思われる場所。登山対象にするには、条件の悪い場所に位置するのが一番の部分。コの字に3方を沢や川に囲まれている。北を佐武流沢、西を魚野川、南を渋沢、場所が場所だったら、城を作るには最適の場所とも言える。冬季なら佐武流山から尾根伝いに狙う事も可能だが、無積雪期に狙えるポイントは渋沢ダムの場所のみ。野反湖から渋沢までのルート、そして魚野川水平歩道と併せても、障子峰のある右岸側に乗れる唯一の場所。ここからしか攻略のしようがない場所とも言えた。地形図を見る場所が限られるのでいいとも言えるが、麓側には崖マークがあり、よく見ると山腹には岩もある様子。表記されるってことは氷山の一角。情報が無いだけに緊張感は高まる。どのくらいの時間を思っていればいいのか・・・。


 そこは志賀高原エリアとしていいだろう。笠法師山、台倉山・遠見山をやった時の強いササが思い起こされる。渋沢ダムからの平面距離1Kmがキモなのは判るが、さて分け入ることが出来る場所なのか・・・。進入する方角は西側であり、少しは植生は緩いか・・・などとも勝手に予想していた。とどのつまりは、行ってみないことには何も判断できない。机上での楽しみはここまでで、あとは現地自然を楽しむ。楽しむ中には、「敗退」も覚悟の上。そんなエリアにあり、だから誰も入っていないのだろうと思えた。先だっての赤湯山もそうだが、登られないのには何かしらの理由がある。


 前日は雨だった。「止めたほうが無難」、普通にそう思っていた。濡れたササ漕ぎはかなりの重労働なのだった。でも予報は曇り・・・。曇りってことはお日様も出る期待が出切るわけで、幾分かササも乾く。「迷ったら行く」、これが常であり、頭で悩むより体で判断とばかりに決行を決めた。最後まで悩んだのは、野反湖から入るべきか、切明から入るべきか・・・。公式タイムとして1時間ほど切明入山の方が速い。しかし我が家から1時間余計にもらっても切明には入れない。車でのアプローチ時間を考慮すると、歩行に負荷をかけたほうが無難と判断した。奥志賀からの雑魚川林道情報も得ておらず、そこまで気にして短時間にするより、足で頑張れば・・・との方に靡いた。


 1時に家を出る。大戸の関所経由で須賀尾峠を越えて長野原に出る。そして長い野反湖への道を伝って行く。やもすると夜明けそうな時間になってきた。早く着いてちょっとでも仮眠がしたい・・・。金曜日までの就労の疲れが体に溜まっていた。野反峠には車はなし。下って行き、白砂山登山口に着くと3台の車が停まっていた。うち2台はバスのようなキャンピングカーであった。平日からキャンプする人って・・・。時計は3時、30分の仮眠と決めて、出発時間を4時近辺とした。空には星が見えない。予報どおりか・・・。


 外気温は9度。Tシャツでスタートしようと思っていたが、さすがに寒くて長袖を羽織った。登山口前に停まるキャンピングカーを横目に見ながら山道に入って行く。登り上げから、すぐにハンノキ沢への下降。そのハンノキ沢に架けられた木橋は、全体の2/3のみ残るような恰好で、あとは大雨で流されたようであった。地蔵峠に向けて登って行く。八十三山に行ったとき以来であるから、13年ぶりにここを歩いていることになる。泥濘地には、まだ新しいソールパターンは残っていない。本日始めての入山者が私のよう。新緑を楽しみながら行くのだが、歩き出して痛みが出てきた。季節の変わり目であり、この湿気の多い環境に気胸発症。強度ではないが痛苦しい嫌な感じを左半身に感じるようになっていた。呼吸量を絞ってやらねば・・・。口を真一文字に、鼻呼吸に徹する。


 地蔵峠到着。ここからは初めて切明の方へ進む事になる。その前にお地蔵さんに旅の安全を願ってから進む。お地蔵さんの横には、藁で編んだ靴と毛糸の帽子が置いてあった。良く管理された歩き易い道を行くと、北沢の渡渉となる。飛び石に乗って通過できるほどの水量。この先、緩やかに高度を上げて行く。周囲はブナが出だし、目に優しい景色がしばらく続く。そんな中、キャリアカーとハンマーなどが残置してある場所があった。袋の中には弁当箱もある。ハンマーの意味する部分は、鉱石採り・・・と思うのだが、何年も前からここにあるよう。不思議な気になる「ゴミ」であった。


 どんどんと高度を上げていた中、急に雨脚が早まった。ここまでにもポツポツと当たっており、気にしない程度であったが、さすがに我慢できない量となり、雨具を着込みザックカバーをする。こうなると先が思いやられる。核心部は藪漕ぎであり、やや行動予定に暗雲が・・・。荒砥沢を跨ぎ左京横手付近は、山手側からササが覆い被さる様に出ており、谷側に常に小突かれながら歩いているようで、歩きづらい通過点となっていた。ただし、おいしそうな太いネマガリダケが足許にあった。この存在が帰りの通過を楽しみにさせていた。


 イタドリ沢は流れのある場所だったのか、雪渓の残る場所だったのか、判らぬまま通過してしまう。流れのある場所で給水、この先渋沢まで水場的場所は無い。この先のウェイポイントとして1748高点の西大倉山があるのだが、イタドリ沢付近からそこまでが長く感じた。そして気にしていたわりに、その1748高点が良く判らぬまま通過し下降しだしてしまった。周囲は垂れ込めたガスの中、視界がよろしくないのも原因か。それでもこの付近でのブナの植生は見事。林立するそれらが雨を受けてより綺麗な緑色を見せていた。これを体験できただけでも、このルートを選んで良かったと思えた。


 百二十曲りを下って行く。緩やかな歩き易い道が切られ、登山道周辺はシラネアオイやエンレイソウ、ツバメオモトなどが花盛りであった。喘いでの登りでなく、ここは下り、緑と花を見ながらの快適な時間であった。ただし長い。沢の音が早くからするのだが、なかなか降りてゆかない。目をやや高い位置に向けると、対岸にガスに覆われた障子峰の山塊がある。あそこに登るのに、今は下っている。早くに登りに入りたい。もどかしい時間でもあった。


 大きなブナが現れだすと九十九折も終わり、直線的なルートとなる。そこに黒い三角屋根が見えてきた。屋根だけが地上から出ている造り。興味と言うよりは、中から獣でも出てくるのではないかと注意を払いながら通過。内部は帰りに見ることにした。先に進むと渋沢に突き当たり左岸を西にズレてゆく。渋沢の流れは、前週の湯谷の水量と流れの強さに一致しており、川幅こそ狭いが当日を思い出させてくれていた。進む先に薄緑に塗られた橋が見えてくる。足場はエキスパンドメタルが敷かれ、足を乗せるといい感じに上下動する橋であった。今の時期なら渡渉でもいいだろうが、場合によっては重宝する大事な橋となろう。大雨の時は水面がすぐ下になったりするのだろう。橋を渡りきるとその先が今回前進基地の場所となる。


 渋沢ダム到着。3時間ほどかかってしまったが、まあこんなもんだろう。急いでも疲れが嵩むし、遅くても全体に影響する。無難な時間であろう。もっとも肺が・・・これが精一杯でもあった。さあここから登山道はなし。ギアを切り替えて本気モードとなる。岩記号があるのでヘルメットも持ってきた。この場所には避難小屋となろう建物があるのだが、その2棟の窓が割られ、開放してある一棟の内部は、かなり荒んでいた。小屋泊まりより、ツェルトでもテン泊のほうがいい場所であった。ただし、小屋前の広見はヘリポートであり、広いものの張るにも制約はあるようだった。


 10分ほど呼吸を整えたら藪に突っ込んでゆく。地形図にはないが、マップルの地図には、ここから北のエラクボ平側へ道が書いてある。昔の作業道と言うことなのだろうが、在ったと言うことも考慮して、少しその場所をトレースしてみようと思い、橋側に戻ってから想像の道を描きながら藪に突っ込む。最初は九十九折らしき跡があったが、作道したものか自然での地形なのか判断できなかった。やや北東に進むようにして行くと、東側に植生の薄い谷地形が見えた。左を見ると先ほどの小屋があり、場所的には小屋から真東にある谷となる。シダ類が多い中、ウワバミソウやイラクサなどが足許に見える。触ってみると柔らかい良品。気をとられつつゴーロの中を登る。ここは時に流れが通過する場所なのだろう。もしくは周辺域で最後まで雪の残る場所か、なにせ植生が薄い場所が続く。進む谷の左右には小さな尾根筋がある。北側の尾根には大岩が見える。よって南側の方に乗ってみるが、あからさまに谷歩行の方が楽。途中からその谷もザレた流れやすい地面となる。幸いに幼木が生えており、それらを両手で掴みながら体を上げて行く作業が続く。


 1320mほどとなると、進路の先に尾根が見えてくる。自然と乗り上げるように植生の切れた斜面があり伝って行くと、1360mで尾根に乗り上げる。ここには大木でありながら奇形の木がある。その根元には僅かに屈むだけで通過できるような大穴が開いている。かなり目立つ場所とも言える。帰りの下降点はこのおかげでしっかりとマークできた事になる。さて上に上がる。ササの中にシャクナゲが混ざるようになってきた。北側に膨らみながら巻き上げて行く。思いのほかササの背丈はない。でも急峻だったりすると目の前にはそれらが頭の上を覆う。分けつつ、空間の多い場所を選びながら進んで行く。


 1400m。ここで進路が東進から北(北東)進に変わる。帰路のためにマーキングをしておきたい場所。振り向きながら目立つ木を探して頭に叩き込む。あとは、標高でしっかり判断できるので併せて記録する。これで主尾根に乗った格好となる。ササを主体にシャクナゲが混ざるのだが、だんだんとその比率が逆転しだす。細い尾根の上には、獣だろう伝っている跡が残っている。鹿の糞も見られるので、彼らの通過痕となろう。

 1470mには、南にカール状の地形が降りている。地形図の等高線の詰まった地形がここである。落ちないよう足許に気をつけながら先に進む。花期を迎えたシャクナゲガ雨に濡れて綺麗。一方で鞭のように撓るシャクナゲが尾根上を塞ぐ。強引にヘルメットを被った頭を突っ込み、四足で登る様相であり、ここでの進度はかなり遅くなっていた。よって、ガツガツ登っているとは言え、雨に濡れた全身であり、どんどん寒さを感じるようになっていた。少し風も出てきていた。


 時計で高度を見ながらシャクナゲを漕いでいた。周囲景色が変わり、進んでいるようではあるが、たいして進んでいなかった。1時間、1時間半、あっという間に過ぎていった。もう少し、もう少しと言い聞かせて、自分を騙しながら登って行く。気持ちの弱い人ならギブアップもありえる場所。ほとんど自分との戦いでもあった。胸の苦しさが無かったら・・・雨がなかったら・・・もう少し楽に歩けたろうにと思うわけだが、自然も誰も悪くなく、行動しているのは自分。全て万物・万事は自分に返ってくる。だんだん悟りを開いてきているか・・・。


 シャクナゲの藪がづっと続いていたが、1630m付近で下草の無い尾根が待っていた。ここには明瞭な道形が在った。登山道と思えるようなものだが、やはり獣道としておかないとつじつまが合わない。あとは、重量の重い獣が通過しているよう。このオアシスは長く続かず、再び藪に吸い込まれる。1650mを越えると、尾根筋がやや不明瞭になるので、何度も振り返りながら帰りの進路を頭に入れる。この辺りはマーキングをしながら進んだ方がいい場所。ガスの中で無く有視界でも植生により見える範囲が狭められる場所だと思えた。シラビソの樹林間隔が密になってきていた。植生に変化をしだすってことは斜面が変わる。そろそろ山頂部か・・・。


 乗り上げた場所が山頂かと思ったのだが、肩のような場所で、そのまま20mほど南東に進んで行くと、ぱっと藪が切れる場所が出てくる。その先は低いササ。完全に植生が違っていた、その漕いでいた笹薮の最後の場所に三角点を発見する。やっと届いた障子峰。これで「障子を開けた」事になる。四方を石で囲まれた基本に忠実な三角点で、側面を掘ると「三等」と読めた。視界の得られない山頂。これでは登山対象にはならないだろう。ただし、佐武流山への尾根は植生が薄い。上からだと伝いやすいのかも知れない。まあここだけの事かと思うが・・・。この山ならいいだろう、珍しく絶縁テープを巻きいたずら書きを残す。湿気と雨でしっかりとは書けなかったが、このあとこれを目にする人は居るだろうか。スタートから5時間を越えた。また同じほどかけて戻らねばならない。腰を降ろしてヤキソバパンをほうばりながら地図を見返す。同じルートの選択肢しかない。


 10分ほど休んで下山となる。予想通り肩からの最初の50mほどの下りは、迷い易い場所となっていた。やや北側に進みがちとなり、気にして南に寄せてゆく。獣道を見つけ、往路の記憶と繋げる。そしてオアシス地帯を通過し、強いシャクナゲ帯に入って行く。1560mには往路には気づかなかった削られた痕があった。なた目かと思い近づいてゆくと、体毛が黒く残る熊の爪痕であった。シャクナゲの多くは、北を巻いて回避。1〜2度ほど南を巻いたか・・・。頂部を進んだ往路であったが、巻いた方が楽であった。


 1460mのカール地形を左に見て、もうすぐ進路方向を変える場所となる。気にしつつ西側斜面を見下ろしながら記憶と合致させてゆく。高度計が1400mを示した辺りで、西側のササを分けながら降りて行く。20mほど下ると、見慣れた景色が広がった。往路に振り返った景色。上手く降りてこられたようだ。ここまで来ればもう問題箇所は無い。この先に大木が在り、そこから谷を下ればエスカレーターのように降りて行ける。赤い木肌の大木まで降り、木々を掴みながらザレた谷地形に足を下ろして行く。何度も足をとられて尻餅をつく。やや疲れも出ているようだ。


 1150m付近で、その谷はやや南寄りとなる。ここで僅かに乗り換えるように北側に進む。その北には大岩のある尾根。こう進むと植生の少ない中を進めることとなる。倒木などが多い場所も見え、ほんの数メートル違っても疲労度は違うかもしれない。足の裏の動く石に注意しながら降りて行く。往路に採ろうと思ったイラクサなどもあるのだが、なぜが採らずに降りてしまった。纏わり着く雨具を速く脱ぎたくて、避難小屋まで急いでいたと言う背景もあった。往路は橋の方から入山したが、もう直線的に小屋を狙って、最後は深いササを漕いで登山道に飛び出した。


 渋沢ダム再び。雨は上がり曇り空となった。雨具を脱ぐと、なんと楽になった事か。拘束具を外されたような感じ。持ってきた美生柑に爪を入れ、そのジューシーな甘さを楽しむ。誰か来るかと思っていたが、まだ入山者が来る様な時期ではないよう。静かな、流れの音がするのみのこの場所であった。日が照りだすと、それに反応するようにハルゼミが鳴きだす。やはり夏である。残り3時間ほどか。また750mほど登りあげねばならない。でも大倉尾根の道は快適。またあのブナが見られるかと思うと苦痛ではなく楽しみに思えていた。


 渋沢を大きく上下動しながら渡ってゆく。宿題の営林署小屋の中は、雨宿りするくらいの場所で、寝るとか集うような場所ではなくなっていた。少しだが太陽が姿を見せるようになってきた。ブナの新緑の向こうにある輝き、予想通りの初夏の景色となっていた。大倉坂に踏み入れてゆく。緩やかな九十九折は、何度も繰り返されるので百二十曲りと呼ばれる。“全部のターン数を数えてやろうか”などと思ったのだが、それだけに集中したら折角の山野草が愛でられない。小さなピッチでコツコツと高度を上げて行く。時折の陽射しに、ここぞとばかりに空を見上げる。短時間でも美しいものは美しい。下を向いたまま見なかったら、やはり勿体無い夏の絵。時折振り返ると現在の標高が、障子峰の目線位置で見えてくる。向こうが1700mの山。山頂があの位置で、今の目線がここなら・・・と言った具合に。熊の糞も3箇所で確認出来た。数時間の間に通過したのか、真新しい物も目にした。


 1749高点西大倉山到着。復路は気にして立ち止まる。少し南に行くと、三引山側が見える場所があった。ここからはしばし登山道整備に協力する。ゴン太(ぶと)のネマガリダケがニョキニョキと生えている。このままでは登山者が歩きにくい。こういう場合は採ってやらないと・・・。なんて理由付けする。すぐにビニール袋は膨らんだ。往路、雨に濡れていたササは乾きだし、濡れずに進めるのはありがたかった。進む先にこんもりとした大倉山が見える。忘れもしない13年前のあの日、我々のトレースに引っ張られ、白砂山に行く予定のパーティーが大倉山側へ入ってきてしまった。パーティー内の暗く沈んだ雰囲気。一触即発なメンバーの様子。地図を見なかったリーダーの落ち度であるが、全てに可哀相であった。


 イタドリ沢を通過。確かに周辺にイタドリが多い。関東のこの付近では好んで食べないが、場所を違えれば、こぞって採って食べる地域もあるようだ。と言う私も、シュウ酸の酸っぱさを久しく味わっていない。少し前から気になっていたのだが、どうも誰かが通過している痕がある。先ほどの糞の主ではないだろうが、同種の生物のようであった。ポツポツとネマガリの食べかすが落ちていた。やや周囲を広範囲に気にしながら、アウェイの立場の者がホームの者を刺激しないように気遣う。


 1808高点まで戻ると、先の方に湖面が見える。間違いようが無く野反湖であり、見える場所まで戻ってきた事は嬉しかった。普通ならやや流し気味に歩く復路だが、今回のルートは、登山口に戻る最後の最後まで登り返しが待っている。その事が頭にあるので、登坂ギヤは最後まで温存しておかねばならないのだった。荒砥沢を通過する時、ふと人工物が在るのに気がついた、裏を向いたそれを拾い上げると、六合村山岳会の設置した道標であった。私の年齢より古いもの、敬意を払い見える場所に置いておいた。少しづつ晴れ間も多くなるが、長続きはせずに曇り空の時間が長かった。1724高点を通過し大きく下って行く。登ったり降りたり、アップダウンの多いルートでもある。北沢を渡渉し地蔵峠に登り上げて行く。ここではひと株、シラネアオイが咲いていた。一つってのがポイントで、貴重な宝石でも見ているように青紫の淡い色を堪能する。


 地蔵峠到着。事故無く無事に戻った事を感謝し頭を下げる。ハンノキ沢への道の上を見ると、ビブラムソールのパターンが見える。私の今日はビブラムではなく別な入山者のもの。まだ下山していないようで、つま先は全て山側を向いていた。ハンノキ沢は木橋で渡って行く。橋の崩壊は、大雨とのイタチゴッコがあるようだ。そして最後の登りとなり、温存していたギヤを使ってガツガツと登り上げる。そしてその先、駐車場を見下ろすような場所に出る。我が車のほかに3台見える。トレースの主だろう。土の流れた階段側は歩き辛く、脇の掘れた痕を伝って行く。掘れた深さを見ると、皆思う部分は同じようだ。駐車場に到着。

 下山後、ここ最近慣例となっている尻焼温泉へ行く。そして湯を楽しみ戻って行くと、駐車場前で偶然にも鎮爺氏に会った。氏はチャツボミゴケ観賞の帰りであった。「何処に行ってきたん?」上州弁で聞かれる。それに対し「障子峰です」と答えると、氏はスルスルとその場所を口にした。「ああ、佐武流山の所の・・・」。さすが、具に地図を見ている証拠であり、間髪入れずにその場所を同定し口にできるところは只者でない証拠。話が合う、波長が合う人が居ることを嬉しく思う。


 振り返る。渋沢ダム(東電避難小屋)からの標高差200mほどを、楽に伝えたことが大きいと思える。あそこも密藪であったなら、3時間ほど費やして登頂となっただろう。現地には、微細尾根も多い。もっといいルート取りもあるやも知れない。雪が残る頃に狙えればと、ずっと思案していた場所。結果、雪は当てに出来なかった。漕ぐしかない場所となると思う。本文中に触れていなかったが、なぜか障子峰の西面のみにブユが多かった。特に1100m〜1360m間は、5mほど先までブユが舞い、通過を待っているのが見えた。防虫対策はした方がいいし、私も2箇所ほど洗礼を受けてきた。風のない日だと要注意となる。本来は、場所がら渓流竿を持っての一泊山行が適当であろう。

 

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