大勘場    1583.6m        

 
   2014.9.20(日)    


   晴れ    単独       人形山登山口より宮屋敷跡経由    行動時間:4H57M 

 


@登山口9:21→(81M)→A宮屋敷跡10:42→(6M)→B登山道を離れる10:48→(76M)→C1580ピーク12:04→(65M)→D登山道に戻る13:09→(3M)→E宮屋敷跡帰り13:12→(66M)→F登山口14:18



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@登山口で給水してから急いでスタート。 第一休憩所:四等点 第二休憩所 A宮屋敷跡
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B登山道を離れた場所。南側より北側を見ている。 深い藪。太い笹が連続する。 このような小さな谷が北側斜面に幾重にも走っている。 C1580ピーク。ここで時間切れで引き返す。
1618.jpg 1618higashi.jpg  tocyuukaramikatuji.jpg  minamigawano.jpg 
1618高点西側 1618高点東側 途中から三ヶ辻山 尾根の南側に道形はあるのだが・・・伝える場所は乏しく笹が強く繁茂している。
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伝って来た東側の様子。 D登山道に出る。 E宮屋敷跡に戻る。 E宮屋敷跡から人形山側。
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F登山口に戻る。




 連週で北陸に行く。自由度が完璧ではないのだが、なんとか遊ぶ時間は取れそうなので用事に託けての北陸詣でとする。どこに行こうか・・・石川県内での未踏座は、能登か加賀方面、移動の基点が金沢なので、経路のアプローチがしやすい場所がいい。そこにふと大勘場が未踏になっている事を思い出した。富山となるが、高速網があるのでサッと行ける場所だった。


 宮屋敷跡からの地形図の破線は、完全に廃道化している。300名山としての人形山人気に対し、マルツンボリ山側は登山対象にはされなくなったとも判断できる。この道も、あの上梨の売店の親父さんが拓いたのであろう。奥三方岳への作道も途中で終わり、付近の山塊の整備をしたり道を作る後継者は居なくなってしまったようだ。残念だが、これも時代の流れ・・・。


 3:00家を出る。高速を飛ばし7:00にYASUHIRO先生のはやかわクリニックに到着する。翌日の山旅の準備をしている先生に挨拶をしつつ1時間ほど停滞し、8:00高速に飛び乗って五箇山を目指す。けっこうに飛ばし、1時間ほどで現地入り、湯谷に沿う林道に入ると、途中で工事中となりちょっと足止めをされながらダート林道を登ってゆく。そして人形山の登山口に到着すると、当然だが既に5台の車が置かれて出立した後であった。山形ナンバーも見られ、さすが300名山と感じる。


 登山口の流れをテルモスに受けて、かなり急ぎ足で登山道に入ってゆく。15時には金沢に戻らねばならない。となると宮屋敷跡からの下山を1時間とみて、13時には宮屋敷跡に戻らねばならない。となると12時が進軍のタイムリミットと思うが、この時間だってもう少し前倒ししないと余裕がないことになる。現地入りしたはいいが、簡単な時間の足し算引き算をしながら、大車輪で歩かねば到達しないことが見えてきた。ちょっと今日は高速ギアで駆け上がる。


 人形山のメインルート、伝うのはこれで3回目。ここを訪れたのはマルツンボリ山を狙うときもあり4回目。何度来ても経路のダート道に揺さぶられ疲れる。その林道の延長線上では工事をしているようで谷の方から音がしていた。この先はどんな用途の林道なのか、関係者は毎日のようにここまでの林道を伝っているのか・・・感心する。尾根上の道を真っ直ぐと南に上がってゆく。付近では紫の濃いアキギリが咲いている。乾いた空気に、温度計を見ると11℃を示していた。秋らしい天気となろう。


 スタートから35分で四等点のある第一休憩所。以前に対し立派な標柱が刷新されていた。横目に見つつ先を急ぐ。左前方には、目的地の大勘場らしいこんもりとした高みがある。見えているところほどに遠く感じ、急げば急ぐほどに近づいていない感じがした。第二休憩所も横目に通過し、なにせ最初の目的地の宮屋敷跡を目指す。


 駐車場に置かれた車相応数の足跡が山頂へ向かっている。そろそろ速い人は降りてくるのではないかと思ったが、気配すらなかった。まあこの天気なら着いて急いで戻ることはないか・・・。遠く北ア方面まで見渡せる天気であった。背中側の越中の山々がどんどん低くなる頃、やっと大勘場が近くなっている気がした。


 宮屋敷跡到着。本来は少し休憩をとも思うが休んでいる暇はない。81分で登ってきたのだから、これは私のレコードタイム。2011年10月にも急いで上がっているがその時より15分ほど速い。この先で、地形図からは1618高点へ破線が分岐しているが、その道形は探してもよく判らなかった。1998年に登った時には、まだそれが判ったのだが、16年の歳月は自然に戻してしまったよう。


 どこから突っ込んでも辛そうで、適当にダケカンバが横たわる場所から東に藪を分けてゆく。結構に強い笹薮で、押し分けるのにも力を必用とした。前週のハイマツに比べたら、このあたりのササなど大したことはないと高を括っていたが、なんのなんの手ごたえ十分。ここで北東に進まねばならないところを、北寄りの位置を歩いて行くと、いくつもの掘れた場所を跨ぐことになる。どれも同じような流れによる掘れた谷で、なかには越すのが危険な深い濡れた場所もあった。笹に掴まりながら降りたり登ったりで完全にブレーキ、最初から頂部を選んで進んで行った方が無難であり、この通過で無駄に時間を要してしまった。


 ちょっとした修正にも、ササが濃く分けて進むに労力が必要。一度、分けた強靭なササが股間に命中し、完全に意気消沈になる場面もあった。こんな時に女性であったなら・・・と思うのだが、ここまでに藪に入る女性も困りもの(笑)。やはり男性でよかった。でも間違いない有無による痛みが襲い、しばし足踏みとなった。この日は珍しくサングラスを着けた。急いで藪を分けるためにそうしたのだが、下を守るために金的対策も必要だったよう。半身になりつつ、時に膝から突進しルートを修正すると、時折道形に乗ることもあり破線の存在を目の当たりにできた。しかし強い太いササが覆いかぶさっていたり、ダケカンバの倒木があったり、ナナカマドが自由気ままに育っていたり、楽に進めるような場所はほとんどなかった。


 やっと下り勾配になると前方の展望が開け、1580m峰とその左横に大勘場の高みが見えてくる。時計を見ると、12時まで15分しかなかった。これは・・・無理か、またはアポ時間を少し遅らせてもらうか・・・後者にしてもどのくらいか予想できない。この先、もっと酷いのかもしれない。とりあえず、この先の目標である1580m峰には是が非でも立とうと決めた。見え隠れする道を拾いつつ時間に追われ必死に分けてゆく。

 
 12:04、正午を少し回ってしまったが1580m峰に到着。あと残り250mほどだが、登山道から逸れここまで76分。少し北側斜面で余計なアルバイトをしたことも起因しているが、戻るにも60分は普通にかかるだろう。どうやら登山口から経路4時間ほどみていねばならない山だったよう。完全になめてかかっていた。ニンジンをぶら下げられ迷いに迷ったが、やむなく戻ることにした。


 道形を追うものの、やはり何度も離れてしまう。足元が見えずに、強い植生に消されてしまっている場所も多い。あと、往路を戻るなら、マーキングをしておいた方がいいと思えた。広い尾根であり、進路の方向付けがコンパスを持っていても微妙に狂いたがる場所であった。復路は高み高みと進んでゆけば良いわけだが、ここでも藪漕ぎが楽になることはなかった。


 それが、1618高点に到達すると、そこはテン場にしても良いような平らな地形が広がっていた。低い植生で歩きやすい。こんな場所で続いてくれたなら・・・。そしてここからは、南寄りの場所に道形は続いていた。最初は肩ぐらい、それが次第に頭の上へと没してゆく。やはりここの植生は濃く強い。どうにも伝えなくなり、北側に逃げトラバースするように背丈の低い植生を選んでゆく。“そろそろ登山道に出るはず”そう思ってからが長かった。相変わらず植生は強く楽をさせてもらえない。もうすぐ楽ができると思っているので、ここでの相反する苦痛は短時間でも長く感じるのだった。


 登山道に出た場所は、登山道を逸れた場所と全く同じ場所であった。狙ったわけでも何もないが、その場所となった。時計はすでに13時10分になろうとしていた。全てが少しづつ狂いだしている。急がねば・・・遅刻。急いで降りたいが、2時間ほどの藪漕ぎ一辺倒の植生に、ちと疲労も・・・。時間に余裕があり、ゆったりと漕いでいればいいのだが、水泳と同じく齷齪泳ぐと疲れも早い。よって下りではたいしてスピードが上がらなかった。


 14:00の到着予定が、14:18に登山口に到着。どんどん時間が超過していっている。無理はできなくなってきたか・・・。いや、今日もヤキソバパンが手に入らずそのためだと強く思ったり・・・。駐車場に降り立つと。山形ナンバーの1台が残るだけで他は下山していた。そしてその山形ナンバーの持ち主は、東屋でのんびりとされていた。人懐こい方で、私の四駆に興味があるらしく、あれこれと聞いてきていた。300名山をやっているらしく、各地に行くには車もセダンでは厳しいと思っているようだった。この御仁から、ありがたくもリンゴを貰う。そそくさと着替え林道を降りてゆく。


 急いでいるときほどにうまくいかないもので、工事現場ではコンクリートを打っている最中で、ユンボが道を長らく塞いでいた。林道を終え猪谷の集落を通過していると、萱を積んだ軽トラが前を走っていた。この時代にまだこんな風景があることが嬉しかった。五箇山から高速に乗り北陸道へと戻ってゆく。その途中、1.5時間ほど集合時間が延ばされる。そうならば、大勘場を踏めたのに・・・。無理しても突っ込めばよかったか・・・。まあ事後だから言えることか・・・。不動寺PAで時間調整をして16時にはやかわクリニックに到着する。

 次回はもう間違いなく踏めるだろう。その前に、楽をするなら春の残雪期がいい。でも三角点は拝みたい。楽がいいか拝みたいかの天秤。

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