破風山 626.5m 大前山 653m (現地の同定標識に従う)
小峰山 629.3m
2014.12.27(土)
晴れ 単独 頼母沢より反時計回りに周回 行動時間:2H29M
@駐車余地(路上)6:24→(10M)→A登山口6:34→(25M)→B札立峠6:59→(11M)→C破風山7:10〜13→(7M)→D札立峠再び7:20→(10M)→E如金様7:30→(2M)→F鞍掛山7:32→(8M)→G大前山7:40〜41→(8M)→H天狗山7:49〜50→(18M)→I小峰山8:08〜11→(5M)→J反射板8:16→(10M)→K神社8:26→(4M)→L車道に乗る8:30→(23M)→M駐車余地8:53
@この標識がある前あたりに道幅のある場所が在り、路上駐車。 | @山腹への道の入口もある場所。 | 頼母沢(たのぶ)地区の分岐。 | 作業道頼母沢線に入って最後の民家(廃屋)。 |
A登山道入口。皆野町の入山者数確認の為のカウンターが置かれている。 | A表記は、巡礼古道のこれしかない。 | 途中の道標。 | 快適な峠道。 |
休み石 | 水場 | B札立峠 | B古の峠。雰囲気がある場所。 |
B観音様が立つ。 | 破風山直下。 | C破風山。大展望のピーク。 | C無残に割られた三等点。 |
C朱に塗られた祠。 | C武甲山側。 | C来光 | C大前山側 |
野巻地区への下降点。 | D札立峠再び。 | E如金様(ニョッキンさま) | E如金さま解説。 |
E解説を読むと、こちらに見える岩の方が御神体なのかと思えてしまった。 |
F鞍掛山 629.2m | 痩せ尾根。両側が切り立っていて高度感がある。 | 痩せ尾根から南。 |
痩せ尾根から下側(南)。 | 鎖場が連続する。 | G大前山。展望に乏しいピーク。 | G行政の標識が立つ。 |
G西側に、首の落ちた石造がある。屋根もあったようだが、崩壊していた。 | G大前山から見る天狗山(山名事典の大前山)。 | 大前山の西側は急下降。 | 大前地区への下降点あり。 |
ズタ袋を裂いて作ったロープが数箇所流してある。 | H天狗山(山名事典の大前山) | H祠が鎮座。 | H天狗山から見る大前山(653高点)。 |
大前地区への下降点。尾根上はこれより以西では踏み跡程度。 | 途中の心地よいスギの植林帯。 | 藪斜面的な急登。 | 小峰山直下。 |
I小峰山 |
I小峰山標識。 | I四等点。 | Iお約束。空腹でもなく無理やり喰らう(笑)。 |
I小峰山からの南尾根。 | J途中の反射板施設。 | ベタ打ちされたマーキングが続く。 | K神社に出る。 |
K小さいものの趣がある神社。 | K立派な不動明王も。 | K東へ道を伝って降りて行く。 | 車道に出る少し上側に、珍しい女性を模った石像。玉状の物を抱いている。見事に全身苔生しておりビロードのよう。 |
L車道に出る。 | 途中から藤芝地区への破線路へ降りて行く。 | 上の方は、道形は何となく判る程度。お墓の辺りから明瞭になる。 | 藤芝地区に出る。 |
村落内にも道路沿いに石像が立つ。 | 変則分岐は左に入る。 | 藤芝地区から見える反射板(上の白い場所)。 | M戻る。 |
前週に金岳と一緒に歩こうと思っていた場所。その金岳が意外と充実していたのと、それをしっかり記憶に留めたいがために、はしご登山をするのを止めた。その前に、師走の用事があり時間的な制約もあったのだが・・・。
既に舐めるほどに地図を眺めているので準備万端。冬季なので、少しでも暖かいように南面での周回とした。小峰山からの南に、衛生画像で見ると不思議な施設が写っている。家ではないようだが、巨大な何か・・・。その何かがあるには作業道もあるだろうと、この尾根も使うことにした。
4:30家を出る。近距離なのでのんびりと出発。ただしこの日も午後から奉仕作業が待っており制約があった。前週と同じ道を辿り、県道37号は水抜バス停西から頼母沢地区へと上がって行く。上の方に行くと不明瞭な分岐があるが、川を跨ぐ方の道が正解で上に続く。周囲には離村したのか廃屋も目立つ。生活感のない家を廃屋と認識しているが、車の有無も判断材料になっている。登山口を探すために登っているのだが、水潜寺の表示がある以外は、登山を対象にした表示は見られなかった。上の方に行くとかなり勾配がきつくなり、外気温もマイナス2℃を示しており、スリップを気にして引き返す。地形図と照らし合わせると、先ほどの水潜寺の表示の場所からの巡礼道がそれらしい。次は周回の為の駐車場所探し。なるべく後半に登りにならないようにしたいので、下山側も下見に行く。
頼母沢地区から藤芝地区へは、大きくアップダウンが二つほどある。それはいいのだが、あまり余地が無かった。住まいしている山村で、変な場所におけば地域で怪しまれるのは間違いなく、目立つ路上の方がリスクが少ないと思えた。実際に路上駐車するしかなかった。両地区の中間点くらいに道幅のある場所が在り、そこに停めラジオを聴きながら夜が白みだすのを待つ。当然だが、往来する車は一台もなかった。
6:24スタート。頼母沢地区側に進み、分岐を左に折れて北に進む。この伝う道は、林道ではなく「作業道 頼母沢線」とあった珍しい場所。最終廃屋を左に見たら、その先で水潜寺の看板が在る。よく見ると、皆野町のカウンターが設置してあり、そこに破風山の表示があった。間違いないようだ。道は至極なだらかで快適も快適。途中途中に巡礼道の道標も見える。登山と言うより、信心の方を重視した道のよう。峠道らしく「休み石」と言う腰掛石なども見られた。さらには、この場所にして水場などもある。ただしただし、飲めるほどには出ておらず、水滴のような出方であった。
札立峠到着。古の峠では観音様が出迎えてくれた。すぐに西に向かう。これまでの道が良すぎたせいか、この先の道が登山道風になり険しい様相になったので、オヤッと思ってしまった。目指すピークが朝日に赤く染まっている。見上げるその場所が、登頂せずにも山頂の素晴らしさが見えてきていた。
破風山到着。東からの来光を受け、ほとんど初日の出を望んでいるかのような気分。ここは初日の出登山には最高の場所となる。朱に塗られた祠が、さらに赤く染まる。三角点は割られたのだろう、無残な姿で立っていた。南東側には武甲山、その南には武甲国境の山々が並ぶ。眼下には秩父の盆地が見え、見るからに寒そうな景色であった。温度計はマイナス3℃、この地区相応の気温でジンジンする寒さが心地よかったりする。西に戻って行く。
再びの札立峠を経て西進して行く。最初の小高い場所には、富士浅間大神と彫られた大きな石碑があった。その先で、大きくそそり立つ岩峰が出迎える。これが如金様(ニョッキンさま)とのこと。岩を神に擬え、日本人らしい信仰の場所と思えた。ここを基点にするかのように、少し緊張感を持つルートに変わる。これまでがなだらか過ぎたというのもあるが・・・。
通過点のような鞍掛山を過ぎると痩せ尾根となり南北が切れ落ちている。そのおかげで展望のいい場所となっており快適な通過点だった。そしてこの場所にして鎖が設置してあるのには驚いた。その全てで使わずにも通過できる場所であったのだが、公式のルートとして管理されているようだった。
大前山到着。ここは山名事典で示すピークの一つ東の653m峰。行政の標識ではここを大前山としている。西側の一段下がった場所に石像があるが、首から上が無くなっていた。北側山腹には屋根らしき物もあり、石像には覆いが在ったと想像できた。このピークからの西側に急下降の場所が在り、やっと鎖の存在が生きてきていた。僅かに進むと、北に大前地区への下降路も分岐していた。右に見送り尾根伝いに進む。
天狗山登頂。ここが山名事典で示す座標。やや大ぶりな祠も祀られていた。西に下ると、これまで続いてきた公式ルートとしての道形は大前地区に降りて行くようで、この先の尾根筋は一気にグレードが変化した。600mの肩の場所からは、進路が南に大きく屈曲するので要注意。ズリズリと下って行くと、スギの植林帯尾根になり心地いい。小峰山を前にして踏み跡は南側山腹を進んでいるようだが、かなり藪化しているようで、尾根頂部を伝うように這い上がってゆく。
小峰山到着。四等点が小さく待っていた。それと唯一の標識、フジオカTK氏のものがあった。いつもはピンクの紐だが、氏の標識は初めて見る。あっけなく3座終了。前週の金岳を眺めようと思っていたのだが、ここまで来ても同定出来なかった。本当は見えていたのに見つけられなかったのか、はたまた木々が邪魔をしていて見えなかったのか・・・。早すぎるがヤキソバパンを出して記念撮影。詰め込むようにして腹に詰め、南尾根に入って行く。
下草はほとんどなく快適尾根。薄く踏み跡も確認出来た。高度を下げてゆくと、衛生画像で見えたそれが姿を現した。反射板であった。周囲をフェンスで囲まれた場所で、作業道がその先にあるかと思ったが、意外にも無かった。と言っても尾根上には薄く踏み跡が残っていた。地形図からは、藤芝地区からの神社を経由した破線路が上がってきている。そこに繋げようと思ったが、現地には黄色いテープが乱打してあり南に続いていた。何処に出るのか、確かに南に出てしまったほうが車道には早い。伝って行く。
テープを伝った先は、地図には表記の無い神社の場所であった。神社と言うより鎮守様と言ったほうがいいのか、小ぶりな信仰の場所であった。社の東側に石碑が並ぶ。すぐ南に車道が見えたので、そのまま降りようかとも思ったが、石碑の前を通過し東に道が続いていた。九十九折を降りて行くと、苔生した石像が見えた。普通のお地蔵様かと思ったら、表情を見たら女性を模ったものであった。どんな謂れのものだろうか、土地の人が居たら聞いてみようと思えた。
車道に出て東に進んで行く。そして破線路を伝うように、393標高点の北西の場所から左に降りて行く。どこが道形なのかと思ったら、南側の際に掘れた道形が確認出来た。ほとんど使われることが無いのだろう、伝いづらい不明瞭な道形であった。途中で左岸側を伝うようになる。この辺りから沢沿いの道となる。行き着いた先はお墓で、ここから下流ではよく踏まれた明瞭な道となった。お墓があるなら当然か・・・。
藤芝地区に出て、車道を歩いてゆく。途中には石像もあり、古くからの山村を繋ぐ道だと判る。下見した分岐の場所まで進むと迷う場所は無くなった。分岐の箇所には一軒家が在り、そこから仰ぎ見ると、先ほどの反射板が見ることが出来た。それにしても人がいない。先ほどの神社のことを聞こうと思っていたが、これでは聞けずじまい。
てくてくと登って行き車に到着する。すぐさま作業着に着替えて、奉仕活動の場所へ・・・。