真砂嶽 2400m 扇の御峰 2140m
火の御子峰 1980m (残り500mまで)
2014.9.13(土)〜14(日)
13日:
晴れのちくもり 単独 別当出合から扇の御峰まで 行動時間:11H7M
14日:
晴れのちくもり 単独 扇の御峰よりピナクル北側の100mリッジまで進み引き返す 行動時間:8H57M
@市ノ瀬4:30〜5:00→(20M)→A別当出合5:20〜27→(112M)→B甚ノ助避難小屋7:19〜25→(65M)→C黒ボコ岩8:30〜33→(23M)→D室堂8:56〜9:10→(44M)→E大汝峰下分岐9:54→(57M)→Fお花松原10:51→(56M)→G真砂嶽11:47〜58→(70M)→H2170水場13:08〜12→(145M)→I扇の御峰15:37
J扇の御峰
5:38→(3M)→K幕営適地5:41→(73M)→L火の御子峰まで残り500m地点6:54→(56M)→M幕営適地再び7:50〜54→(7M)→N扇の御峰ツェルト幕営地8:01〜25→(78M)→O2170水場9:43〜55→(116M)→P真砂嶽11:51〜12:00→(86M)→Q大汝峰下分岐13:26→(24M)→R室堂13:50〜13:59→(128M)→S別当出合16:07〜20→(15M)→(21)市ノ瀬16:35
@市ノ瀬5時始発。三連休でありかなりの利用者。30分前から並び席を確保できた。 | A別当出合から砂防新道を行く。背中の40kgに近い重さが・・・。 | B甚ノ助避難小屋で休憩。 | C黒ボコ岩からの景色は見事。 |
D室堂到着。ここで4L水を汲む。実際は汲まなくても先で対応できた結果。 | 千蛇ヶ池の雪渓は、今年は溶けていなかった。 | E大汝峰下分岐。 | お花松原上の雪渓。去年より量が多い。 |
雪渓からの冷たい流れ。十分量あり、冷たく美味しい。 | Fお花松原の傾いた標柱。ここからルートを離れる。 | あたりはクロマメが多い。地獄尾根に入ってもこれによるビタミン補給をさせてもらった。 | 真砂嶽を地獄尾根にトラバースしようとしたが、深いハイマツに、一度真砂嶽に登ってしまう事にした。 |
G真砂嶽到着。付近はガスに包まれつつある。 | 真砂嶽北側の砂礫。復路はハイマツとの際を巻き上げてきた。 | 深いハイマツを過ぎ2280m付近。 | 2260m付近。一見歩きやすそうに見えるが、ハイマツを掴みながらでないと滑り落ちてしまう。 |
2240m付近。何ポイントか進路が屈曲する場所が在る。ここもそう。 | 途中、清浄ヶ原側を見る。 | H流れが出ている2170m付近。尾根上からでは見えてこない。音が聞こえ出すので、少し降りてからトラバースするように水場に行ける。ただし流れやすい斜面。 | H得るのに十分量の流れがある。全3つの流れが出ていた。 |
みごとなミヤマカラスアゲハ♀ | 2140mのコル。獣の踏み跡が濃い場所。こことは別に、地獄尾根上には熊の糞が多かった。 | コルから先も潜る場所が続く。 | 2150の独峰。 |
2150峰から伝って来た場所を振り返る。 | 扇の御峰を前にして危険箇所が待ち構えている。 | さあここから扇の御峰南の危険地帯に入る。ハーネスを装着し岩装備に・・・。 | 最初のザレた登り。このくらいの場所でずっと続いてくれたら・・・。 |
タイガーロープが似合う鉄の杭。2箇所で見られた。 | 途中から地獄谷側。落ちれば即死だろう。 | ステンレスのハーケンが残る。おそらくは松任風露の残した21年もの。ほとんどの場所で緩んでいた。 | 二本目の鉄の杭には、ザイルが結ばれている。我が師匠の言った「ザイルが残っている」はここのよう。しかし無残にも切れていた。杭はユルユル。捨て縄を入れて叩き込む。 |
空身でフィックスを張る。ザックを取りに戻ってもう一回。この先見えているピークの向こう側もザイルが必要。 | 左の写真の向こう側の様子。触れば崩れ落ちてゆく地形。 | I扇の御峰到着。 | Iもう少し先に進めば適地が在ったのだが、ここでツェルトを張る。 |
J2日目。夜中に雨が降ったので少し気になったが、この快晴にアタック決行。既にザイルは50m1本しか残っていない。 | K扇の御峰北側の幕営適地。 | 30mの懸垂箇所を振り返る。ここはザイルを回収したので、帰りがやや酷かった。酷く崩れる・・・。 | これぞ地獄。ここまでの長いナイフリッジも珍しいだろう。「鳥不止」が頷ける。 |
ピナクルの場所。乗り越えようかと思ったが、全てに動く。撮影側で支点をとって地獄谷側を振り子をしながら巻いてゆく。ここでのフィックスでザイルが途切れた。 | L100mのナイフリッジの途中までで引き返す。ピナクルも連続し、確保無しでは無理と判断した。復路、足元の岩がズルッと抜け落ち滑落寸前だった。そしてピナクルの復路、上手くルートが選べず、振られて岩壁に背中から強打。頭も打ったがヘルメットに守られた。 | M幕営適地の様子。 ハンマーとハーケン×10をデポしてあります。使う場合は詳細連絡しますので事前にメールください。 |
N扇の御峰のツェルトまで戻る。この天気ならシュラフも干しておけば良かった・・・。 |
もう一度、火の御子峰を見る。この場所から750mほどなのだが・・・。 |
最終到達点の様子。刃の上!! | このピークに立ちたかったのだが・・・。 | ここに!! |
扇の御峰の南側の危険地帯。ここを過ぎるまで気を抜けない。 | 往路、ハイマツに支点を取り、シングルで7mほど垂らしておいた。これがないとかなり厳しい。 | このフィックスは残しておこうと思ったが、回収した。岩で擦り切れてしまうだろうし、その状態でどなたかがテンションをかけたら・・・危険と判断した。 | Oハイマツ地帯を抜け上が見えるようになってきた。2160m付近。水場のある谷が見えている。写真中央の黒い場所に、なにか青色に見える場所が在った。 |
O遠目に見ると、なにか安置されているのか、デポしてあるのかと見えた。 | O現地に行くと、このように見えてきた。 | Oこれが正体。七色に輝く成分が流れ出していた。鉱物なのか・・・。 | 2190m付近。ナナカマドの中を潜りながら分けて進む。強打したときに右腕を打ちつけ、力が入らず困った。 |
2210m付近。もう僅かだが深いハイマツの連続。仙人谷側を伝える場所は伝うが、足場が悪い。 | 2290m付近。本当に厳しい場所ではカメラを構えていない。撮影している場所は楽な場所となる。 | 真砂嶽への最後は、地獄谷側のガレ地を伝って巻き上げ、砂礫の場所に出る。 | P真砂嶽到着。大休止 |
P真砂嶽からお花松原。 | Pハイカーが何組も行き交う。 | ルートに乗る。 | Q大汝峰下分岐 |
室堂が見えてきた。 | R三連休の中日、室堂も大賑わい。 | 黒ボコ岩も観光地のように賑わっていた。 | 砂防新道を降りたのだが、この様子。観光新道の方へ行けばよかったか・・・。 |
中飯場は土産物屋でもあるかのよう。 | S別当出合に到着。 | 21 市ノ瀬に戻り永井旅館を利用する。 |
今年も火峰を狙う日がやってきた。暑すぎても冷えすぎてもダメで、やはり9月の秋の頃が狙い時となる。今回体感して強く思えたのが、暑かったらハイマツ帯でへばってしまうし、寒く凍り付くような可能性が出ると、狭稜が狙えない。どうしてもこの時季となる。
今回はソロで行く事にした。何処まで行けるのか力量試しでもあるのだが、判らないながら100m分のザイルは用意した。その為にテントはツェルトに格下げしてザックを軽くした。しかししかし、ハーケンも自作し15本用意し、ハンマーも持つことになり、こんな重さであのハイマツをくぐり抜けられるのかと疑いたいくらいに膨れあがり重くなった。
前夜19:30家を出る。上信越と北陸道を伝って金沢西インターで降りる。しかし・・・途中のセブンにヤキソバパンは無かった。セブン発展途上の北陸石川において、そもそもの店の数が少なくハシゴが出来ない。“手に入らないか、今回は登頂は難しいかー”なんて思考にもなった。R157は工事箇所が多く、何度も止められながら旧の白峰村に入って行く。
市ノ瀬到着1:30、だいぶのんびり走ってきた。それでも現地入りは早い方で手前の駐車場に入れることが出来た。シュラフをつっかぶり始発時間まで仮眠をする。空は星空、外気温は9℃、いい感じに冷えており天気になる予兆が伺えた。次々に到着する車があり・・・早く到着するのが良いのか、遅い方がいいのか微妙なところであった。
いつものように頻繁に目を覚まし時計を見る。4:20になり、最終パッキングをし4:30にバス停に並ぶ。3連休でもあり利用者は多いと予想し前回より10分早くに行動した。そして前から3番目に並びバスの到着を待つ。前年度はTシャツのみで居られたのに、この日は長袖を2枚着込むほどに冷えていた。寒いと、じっと待っているだけでも体力を使ってしまうような・・・。それでも早くに並んだおかげで1人掛けの椅子を確保出来た。5:00市ノ瀬出発。
久しぶりに多くのハイカーの中に紛れる。カラフルな色合いの中に、なぜか自分が時代に取り残されたような色合いをしている。だからって自暴自棄にはならないのですが・・・。別当出合に到着し、バスの前後から一気に吐き出されるハイカー。我先にとロケットスタートをしてゆく姿も見られる。こちらはしっかりと靴紐を結わえてから吊り橋を渡って砂防新道を登って行く。
これでもかと抜かされて行く。昨今の白山登山のスタイルは、ほとんどがデイバッグのようで、それには室堂の整った施設のおかげもあろう。別当出合で小休止、場所を憚らず漂ってくる紫煙が秋の澄んだ空気を汚していた。その煙から逃げるように出立する。付近では治山工事のために重機の音が大きくしていた。それにしても歩き易い。色んなところを歩いているが、ここは超一級の登山道と言えると思う。背中側には越前側の山々が低くなって行く。遠くまで見渡せ、秋の空気感を眺望から感じる。
延命水の場所では、しっかりと口にしてゆく。地獄尾根に入り、飲まないで通過して来たことを後悔したくないし、験担ぎはしっかりやって進む。そしてやっとの事で黒ホコ岩まで到着。歩き出しから3時間が経過していた。この先の水平木道が優しく、体と心のインターバルをとったら室堂までの登りをひとがんばり。
室堂到着。先が判らないので、ここで4リッターをプラティパスに詰める。ここまで重くなると、4リッターが加算されてもそう変わらなく感じるから不思議。大汝峰を目指してややガスが掛かりつつある中を登って行く。千蛇ヶ池は、昨年のこの時季は融けていたが、今年はそれが無かった。そもそもの雪の量が多かったからか、夏季は暑かったので雪の全体量の問題と思えた。大汝峰下の分岐から中宮道の方へ行く。静かな登山道となり、やっと雑踏から抜け出した感じがした。やはり山は静かな方がいい。
お花松原へベニバナイチゴをツマミながら降りて行く。この経路には二つほど熊の糞が落ちていた。そしてお花松原上の雪渓も前年度より広く大きかった。そこからの融水が冷たい流れとなっており、ここで汲んでも良かったようだ。昨年はチョロチョロで、その為に室堂で汲んだのだった。お花松原の傾いた標識の場所まで進み、そこから高度を上げがてら真砂嶽の東斜面をトラバースしようと試みる。しかし深いハイマツに真砂嶽に登ってしまった方が楽と判断した。ここもベニバナイチゴが大豊作。さらにはクロマメも豊作で堪能させて貰う。
真砂嶽登頂。既に剣ヶ峰や大汝峰はガスの中にあった。どれほどのハイマツなのか。噂には十分すぎるほど耳に入ってきていた。その実際は・・・このあとすぐに体験することになる。それは良いが、この重荷で通過して行けるのか、七転八倒する我が姿も想像できた。さあ根性試し突っ込んでゆく。地獄に突っ込んでゆく自分・・・生きて帰ってこれるのか・・・。
地獄谷側には白い砂礫の場所があり伝いやすそうだが、向かう方向に対し逸れている感じだった。最初は腰までのハイマツの中を行く。山頂から40m付近は前年度に降りているので足元の様子は判っていた。既に戻るのには難儀する事が伺え、この先どんどんと高度を下げて行くことは、気持ちへの負荷を与えていた。2360m付近で、既に地面に足が着かない場所が出てきており、ハイマツに乗り移りながら降りて行く。バランスが悪く背中の重さに振られる。お花松原をベースにしてピストンした方が楽なのではないか・・・そんな思考も出てきた。
2320m、この尾根で一番深い場所となる。進路が東に屈曲する場所で北に行きすぎると修正するのに非常に面倒くさい。ナナカマドが混じるハイマツ帯で、勾配も強く踏み抜くとスッポリと嵌った感じで空が遠くなる。太い枝を選びながらそれらに乗り移りながら降りて行く。勾配があるために乗って降りて行くのも辛い場所でもあった。2310mの東側の肩に入ると、少し植生が緩み腰ほどのハイマツの中を進む。そして進路を再び北にとる。なるべく高い場所をと、足許に注意しながら尾根の上の小尾根を探すようにしながら降りて行く。
2290m付近で仙人谷側に砂礫が出てくる。しかしそちらに降りて簡単に伝えるほどの傾斜ではなく、その際にあるハイマツやナナカマドを掴みながら伝わねばならなかった。それより藪でも尾根の高い所を選んで分けたほうが楽であった。右に見える砂礫は2240m付近まで続き、ここで少し進路が北北西側に変わるように続いていた。ときおりダケカンバの白い幹が見える。周囲はガスに包まれ、少し淋しさを誘う景色でもあった。
やや狭い尾根上を降りて行くと、2180m付近で、仙人谷側の斜面から水の音が聞こえ出した。上から見ても何処に流れがあるのか見えてこず、2170mまで降りて斜面を真横に見ると、流れが見えてきた。30mほどトラバースしてその流れに辿り着く。そこそこの流れがあり、湧き出しているその場所まで登って行き様子を確認する。尾根の下15mほどの場所から湧き出しているのだが、常水と判断できた。一応はここの存在を師匠に聞いていたが、自分の目で確認するまでは当てに出来ない。なにせこの尾根での水は重要。
2170m地点から僅かに進むと、前方に鳥が羽繕いしているような様子が見えた。人間を恐れず逃げようとしない。近づいてゆくと、それは鳥ではなくミヤマカラスアゲハだった。見事な色彩で出迎えてくれ、見よとばかりにポーズを決めていた。この先がまた深いハイマツ帯が待っている。かなり密で帰りの事を思い復路のコース取りを探ったが、抜け道らしき場所は無く正々堂々と突っ込むしかない場所であった。ハイマツに乗りながら越えてゆく。ここも試練の場所。
2140mで前方に2150m峰を置いてコルとなる。ここは地獄谷側からの獣の踏み跡が見えた。ここに至るまでにも熊の糞をいくつも見ており、それが何の踏み跡かは推察できていた。そして2150mに乗り上げる。ここは展望ピークで周囲が見渡せ、降りてきた南側を見ると、既に高い位置に真砂嶽があった。前方には赤茶けた山肌が見えてきた。だんだんと核心部が近いことが判る。それにしてもここまでハイマツ帯が続くとは予想しなかった。もう少し途切れ途切れで、オアシス的な場所を挟んで進めるのかと思ったが、この連続には精神的にも追い込まれるような気持ちになった。帰りの事を考えると・・・。
2130mで尾根上のハイマツが切れ大きな採石を盛ったような小山が目の前に見えてくる。足場が流れやすく簡単な場所にも見えるが注意が必要。ここを登ると最初の核心部があった。最近は見ないものの一昔前にタイガーロープを張る時に使った杭が尾根上に立っていた。フィックスを張った名残のよう。そしてその先の岩壁にはステンレスの自作ハーケンが打ち込まれていた。これが松任風露の作ったハーケンか・・・と思えた。触ってみると岩の隙間が広がり動く。ハンマーで叩き込みクサビの利きようを確かめる。その先の高みまで注意しながら上がると、ここにも打ち込まれ、そこに古びたザイルが取り付けられていた。一端は地獄谷側に落ち、一端は北側に落ちていた。既に摺り切れ、往時どのように設置されていたのかは判らなかった。師匠から聞いていた、「残置ザイルがあった」場所はここなのだと判断できた。しかしこの支点は簡単に手で抜けてしまった。捨て縄を入れて各方向にテンションをかけてみる。どう動くのか、何処が一番グリップするのか・・・。
先を見ると、瓦を重ねたような見るからに脆い岩場がある。空荷でフィックスを張らないとならない。確保者が居れば別だが単独ではリスクが大きい。途中にランニングを打ち込む場所も無いほどに脆く、8環でザイルを殺し、そして少しづつ延ばしながら進んでいった。先の高みまでほぼ25mだった。風や雨でもあれば、ここもかなり危険な場所だった。フィックスが張れたのでザックを取りに戻る。フィックスのありがたさと安心感をすぐに体感する。ここをクリアーしたはいいが、その先が急下降。降りて降りられないことは無いが、ここも足場が緩く脆い。今の今、ザイルを一本使ってしまったので、もう一本しかない。ここも帰り用に流しておきたい場所で、こんな事をしていたら、本当の核心部に行くまでにザイルが無くなってしまう。色々考えた結果、先ほどのフィックスを解いて、長さの1/3くらいでくらいでノッチを作りそこで結び換えて長く使う事にした。ノッチから先はシングルで使う事になるが、危険斜面に一本でも流せるほうが絶対に有利。北側斜面に帰り用のザイルが無事流せた。ここを過ぎるとすぐが、本日の最終目的地だった。
扇の御峰2140mに到着。ハイマツのピークで幕営適地が見つからない。我が師匠はここで幕営したはずであり、何処がいいのかとうろつくが見えてこない。腰や肩まで埋まるような場所もあり、寝転べない場所なのかとも思った。周囲がガスに包まれ火の御子峰への稜線も見えず、時間も時間、そして疲労困憊でもありハイマツの上に寝そべったら、しっかりと寝込んでしまった。15分ほど深い眠りをしたら、その寝覚めの心地いい事。これが自然に生き、自然に抱かれ、自然に遊ぶ姿・・・なんて思うのだった。すぐにツェルトを張り塒を作成。少し斜面になっているが、これもまた自然。いつものように袋ラーメンを啜り、ウヰスキーを室堂の雪解け水と交互に飲みながら静かに疲労回復に努める。
深夜に雨で目が覚める。“これは明日は無理か・・・”普通にそう思えた。しかし2時くらいから、明るい月が出だし、薄いツェルトを通して内部まで明るくしてくれていた。時折ガスに火を入れて暖を取る。雨のため、そしてツェルトの劣った機能性のためだろう、シュラフはびしょ濡れになっており、羽毛であるから内部が冷たくないのだと機能性を体感していた。4時、湯を沸かし白湯でクロワッサンを流し込む。全くもって山食に気を使わない自分が居る。そして月明かりからバトンタッチして来光前の夜明けの明るさになってくる。ツェルトのジッパーを開けると、雲ひとつない晴天の出迎えであった。後ろ向きな思考は一切なくなり、アタックあるのみ。
2日目スタート。幕営道具はデポし、必要最低限で地獄尾根を下って行く。ツェルトを張った場所から50mほど降りた場所に、なんと幕営適地が在った。もう少し下れば快適に寝られたようだが、まあ前日はガスで見えなかったのだからしょうがない。幕営適地と言うものの、一人用か二人用テントが張れるスペースが5箇所ほど点在する場所であった。人工物は一切無く踏破者の足跡は見えなかった。この場所から北に進んで行くと、ハイマツの切れた先からストンと切れ落ちていた。迷う事無くザイルを流して懸垂下降。ここが30mの懸垂下降の場所となろう。ザイルを残しておきたいが、先を思うと回収しないともう一本しか持って居ないのだから行動がツミになってしまう。登れるか、下りながら確認し、下に着いたら腹を決めて流したザイルを回収する。まあ登りなら何とかなるだろう。世の中「だろう」で判断すると危ないことだらけなのだが・・・。
それにしても「脆い」、それにしても「柔い」、そして至極「動く」、『ガラスを重ねた・・・』と表現されているが、「瓦を敷いたような」、「瓦を重ねたような」場所であった。一瞬の気の緩みも許されない場所がこの先続く。そう安全地帯が少なくなる。ザレた斜面を少し北に行き、やや北西にズレるようにして降りて行く。安全通過なら、ここもザイルを流したい。慎重に靴のコバをグリップさせるように降りて行く。目の前にピナクルが見えてくる。乗り越えようと遠目に思ったが、近づくとそう簡単なものではなかった。そのピナクルの手前が狭稜で、足の置き場所は幅90mmほどしかなかった。崩れてもおかしくない場所に、気持ちからして抜重して乗っていた。手をかけたピナクルの全てで岩が動く。それでもと一度乗ったが、危険すぎて乗越すことが出来なかった。今度は乗ったはいいが後ろ向きで戻るにも、その一歩が命がけで1mほどにも、もの凄い神経を使う。”ここでやめようか”普通にそう思えた。しかしここさえ越えれば先が開けるような気もし、まだ前向きな気持ちがあった。
南に戻りハーケンに支点を取ってザイルで地獄谷側を振り子気味にトラバースする事にした。この時もハーケンは緩んでいたのでハンマーで叩き込んだ。私のこの行動だけで、何十Kgの岩が落ちるのか、一番怖いのがザイルが上になった場合で、体めがけていくつも鋭利な岩が落ちてきた。それに耐えつつ慎重にズレて行く。そしてピナクルの北に乗り上げた時は、本当にホッとした。そして帰りは大丈夫だろうか。ここもフィックスが必要でザイルは残さねばならない。となるともう手持ちはゼロであり、この先の危険地帯に対し対処できない。
ピナクルの北側は少し勾配が緩いものの砂礫で流れやすい地形。ザイルが無くなったために立って歩くのが危なく、尾根に跨るようにして降りて行く。その途中にもハーケンが在り、仙人谷側に打たれていた。これもユルユルだった。先人は20mほどの間隔でランニングをとりながらフィックスしたのか。ここで少し落ちついて地形を見る。地獄谷側は全く選択肢にならないが、仙人谷側は40mほど懸垂下降すると北に伝って行けそうな地形が見えた。これだと狭稜の危険は回避できる。しかしその選択にした場合もザイルが必要。役不足の私に加え、完全に道具不足を感じさせられた。それでも何処まで行けるか、さらに慎重に北に足を進める。
先ほどのハーケンの場所からさらに20mほど進むと、またまた打たれていた。そして打たれている先はどうしてもザイルが必用な場所で、ここで動け無くなった。先を見るとピナクルが並ぶ。既に100mのナイフリッジの中に入っている。確保無しには危険すぎる場所で、ガラスの上、瓦の上に乗っているように常に堆積している岩が落ちていった。”戻ろう、ここまで”我が力量を思い知り、地獄尾根のハードルの高さをしかと体感する。風化がどんどん進み、年を追うごとに通過しづらくなっているのは間違いないのだろう。北に見えるリッジに、以前はどのくらい岩が乗っていたのだろうか・・・などと想像したりもした。しかしそんな悠長な余裕はなく、常に神経を尖らせて立っていなければならなかった。戻る途中、足を乗せた尾根上の岩がストンと抜け落ちた。厚みは10cmほど、縦横20×30cmほどの大きさ。ハッと思って抜重して反対側の足に体重をかけたが、日頃の体験が命を助けてくれた。常に足許が落ちると思って歩いていないと対応できなかったろう。このこともあり、もう戻る事が正解の判断だと強く思えた。
再びピナクルの場所。僅かの時間しか経過していないのに、往路のルート取りが判らなくなってしまった。どの高度で通過したのだったか・・・。8環で長さを殺しつつ、プルージックで予備確保し地獄谷側斜面に入って行く。まあ当然のことなのだが、ピナクルの上で支点を取っている訳ではなく、その先の岩の上が支点。長いザイルの先に過重がかかっているわけであり、その支点のある側へ吸い寄せられるようにグンと振られる。次の瞬間、背中から岩壁にぶつかり右腕を強打し、後頭部も打ちつける。間違いなくヘルメットに守られた。途中でビレー点を取ればよかったが、ハーケンが入らないような柔い地形で端折ってしまった結果がこれだった。危なかったがこの時も白出沢で滑落したときのようなスローモーションでの視覚記憶が残る。危険に晒されたとき、人はどうしてそんな状況になるのだろうか。右腕を庇いつつザイルを頼りに這い上がってゆく。
砂礫の場所を過ぎ30mの懸垂をした場所を登って行く。やはりここもロープを流しておきたい。慎重に体重移動しながら脆い斜面を這い上がって行く。上のハイマツ帯に入り、やっと危険に晒されていた時間から開放された。僅かな時間だが非常に喉が渇き、いつも以上に水分を摂った。幕営適地にはハーケンとハンマーをデポして行くことにした。そうまた狙う為に。今の今危険に晒されたのにまた来たいとは如何に・・・。リスクは大きいがこの地形を間近に見ると、来てよかったと思える景色があるのだった。
ハイマツを漕いで扇の御峰のツェルトの場所まで戻る。遠くに真砂嶽が見え、あの場所まで戻らねばならないと思うと、経路を知っているだけに気が重くもなった。振り返ると火の御子峰がまた違う表情をしている。現地に近づき少し知った中で、そのキリッと立つ姿は、より登頂意欲をそそるのだった。“また来るよ”心でつぶやき、パッキングをして南に進んで行く。垂らしておいたザイルのおかげで難なく最初の高みに登り上げ、その先はフィックスに捕まりつつ向こう側へ渡って行く。ここは張ったまま残しておこうかとも思ったが、切れているザイルを見ているので、同じ事になるだろうと回収しておいた。ここで岩装備を解き藪漕ぎにモードに入る。
それにしても深い。下側を向いたハイマツの扱いに手を焼きながら何とか分けて進む。足を大きく上げないとハイマツの上に乗れないために、体の堅い私はこんな場所で難儀した。松葉が背中に入り込み痛いのと、強打した為に右手に力が入らない事がブレーキともなっていた。急いでも急がなくとも一歩一歩前に出すしか方法はなく、坦々と分けてゆく。この先の楽しみは水場のところくらいか。松任風露のH氏が、水を多めに必用と言うのがよく判る。岩場でもハイマツ帯でも欲するのだった。
そして2160mで水場を前にする。すると、尾根から一番遠くの流れの場所に何か色の違う物が見えた。お地蔵様でも安置してあるのか、または荷物が一斗缶に入れられデポしてあるのかと遠巻きに見え、トラバースして近づいてゆく。尾根からは水平に35mほどの距離か、その場所に行くと七色に輝く鉱物のような液体が湧き出していた。油分とも思えるが、少し異質な感じがするものだった。人工物かと思ったものは、意外にも自然なものだったのだ。尾根に戻り高度を上げて行く。この先はナナカマドが多くなる。赤い実を付けたものが多く、緑の中に映えていた。潜って分けて乗り上げて、これぞハイマツ・ナナカマドの海の遠泳。こんな中に長らく身を置くと、縦長のザックをこれらに引っ掛けなくなるから面白い。現地に順応し学習するのである。まあ引っ掛かる苦痛は誰もが避けたいわけで・・・。
少し仙人谷側の砂礫地も伝ってインターバルをとったものの、2290m付近からまたまた強烈な植生。その上の屈曲する場所である2310mには、この尾根最強の深みが待っている。一気に素潜りで通過したいが、何度も立ち止まり息継ぎをしないと通過は困難で、腕力が必要な勾配ではここでも右腕の症状がブレーキとなった。ここから真砂嶽への巻上げは、地形図に見られるゲジゲジマークの際を伝って行く。もうハイマツは沢山とばかりに、少し危険でも植生の少ない場所を選んだ。西に膨らむようなコース取りとなったが、意外と歩きやすかった。しかし往路にここを伝うと、2320m付近で東側に屈曲する場所をそのまま北に行ってしまいそうで微妙に思えた。
真砂嶽到着。お花松原を見下ろすと、単独行を含め5パーティーほどが行き交う様子が見下ろせた。庭(お花松原)を俯瞰できる場所であり、この場所は私のお気に入りでもあった。大休止をしてから南に降りて行く。すぐ下の谷は南東側に向いており、僅かに西に降りてからの谷に入ると最短で登山道に乗ることが出来る。その途中には昨年も在ったチェック柄のネルシャツが落ちていた。登山道に乗り、雪渓下で冷たい水を含んでからダラダラとした登りを行く。ここは急登のようだが、歩きやすいように道が切られ重荷を背負っても楽な道と思っている。そう苦痛もなく上の下降点まで上がる。そこには、平瀬道から入って本日ゴマ平まで行く男女3名のパーティーが居た。山ガール・山ボーイな雰囲気がなく好感を持ってしまう私は、完全にオッサンなのだろう。外見に偏見を持ってはいけないわけで・・・。少し会話をしてから背を向ける。
室堂が見えてくると、そこに蟻のように集うハイカーが小さく見えてきた。また雑踏の中に入っていかねばならない・・・ハイマツより嫌だったりする(笑)。そして室堂到着。ベンチを合い席するのだが、そこに居た女の子を連れた御仁は猛者のようで、私が話す地獄尾根をハッキリと理解しておられた。「元ちゃん」の言葉も出たので富山の方のようであり、平瀬道へ降りて行ったので間違いないだろう。その昔、ここから別当出合まで1時間台で降りている。たまにはトライしてみるか、この大荷物で・・・なんてまた自分に負荷をかける。
室堂から南の登山道にはハイカーが溢れていた。どうしても目立つのは関西の方。その関西弁と声の大きさからなのだろう。あそこにも、ここにもと判ってしまうから面白い。それでも、北陸の言葉を話す人が多い。地元に愛される山、白山なのだろう。木道を伝い黒ボコ岩の分岐では、原宿かと思うほどに人がおり、藪漕ぎならぬ人漕ぎしながら先に進むような感じだった。観光新道の方が空いていると思ったが、より楽を選び砂防で降りて行くことにした。しかし大渋滞。声をかけつつ追い抜かさせてもらう。
甚ノ助で一本入れ、その先はさらに加速して降りて行く。下山専用路が出来た事はいいが、ここは幅が狭くパーティーが居ると渋滞になる場所であった。先を塞がれ我慢の下山。中には足を引きづりながら降りて行く姿もあり、“あー白山デビューなんだなー”なんて微笑ましく見ていた。先の方に吊橋が見えてきた。もう僅かでゴール。その吊橋、総勢40名ほど乗っていただろうか、当然だが歩調がばらばらで、その振幅が横揺れになってしまっていた。真っ直ぐ歩けないほどに左右に300mほど動いており、混み合う時は人数規制した方がいいのではないかと思えた。
別当出合到着。公共機関に乗るのでここのためだけに着替えを持ってきていた。じっとして乗るバスの中、臭いは気になるのだった。時計を見ると2時間ほどで降りて来た。この重荷ならまずまずだろうと自己満足。16時を回ろうかという時間だが、室堂に向け出発して行くハイカーも居る。私にはこの遅出と言うのがどうしてもできない。見送りながら凄いと思えた。16:20のバスに乗り市ノ瀬に降りて行く。バスの中には金沢大学生がおり会話から判った。ワンゲルか同好会のパーティーのようで、経路の達者な足運びからするとワンゲルだったのかも。
市ノ瀬に降りたら、そのまま永井旅館の湯に沈没する。この登山基地との近距離に温泉があるのはありがたい。温かい湯に包まれ疲れが癒されてゆく。疲れれば疲れるほどに温泉が気持ちよく、温泉の良さの判断は疲労度が加味されてしまうと思っている。
さて振り返る。ヤキソバパンが手に入らないと登頂確立が落ちる事が今回でも判る。冗談はさておき、がんばってはみたが高いハードルの場所でそこを乗り越えられなかった。ここでは技量の問題に尽きるのだが、それはそれとして無事帰ってこれた事が嬉しい。もっともっと詳細に書けば、さらにいっぱい危ない場面があった。北陸中日新聞や北国新聞に載らなかった事にホッとしている。岩感覚、藪感覚、総合的なセンスを要求される場所が地獄尾根だと思う。