古城山 953m 角蔵山 1163.6m
2014.3.1(土)
雨のち雪 単独 堀金霊園より 行動時間:4H10M
携行品:ワカン
@堀金霊園6:15→(52M)→A稜線に乗る7:07→(9M)→B古城山7:16〜19→(35M)→C1085高点(奥社)7:54→(61M)→D角蔵山8:55〜59→(52M)→E1085高点帰り9:51→(24M)→F林道に降り立つ10:15→(10M)→G霊園帰り10:25
@堀金霊園の駐車場に停めてスタート。除雪はここまで。 | 斜面に取り付き870m付近。見た目以上に急登。 | Aやっとの事で稜線に乗る。 | 堀切を挟んで岩原城址主郭(古城山)を見る。 |
B古城山山頂の城址らしい場所。 | B平成9年に設置された城址の標柱。 | B北北西方面。 | B南の角蔵山側。 |
C1085高点。奥社の場所。 | 1100mピーク | 1150ピーク | 途中で防火帯のような場所が出てくる。 |
もう僅かで山頂。雪が緩くズボズボ。 | D角蔵山。中央左に櫓が見える。 | D雪の中から掘り出した道標。 | 往路を戻って行く。 |
E1085高点帰り | 下りに使った尾根。急峻。 | F林道に出る。 | G霊園駐車場に戻る。 |
前週は低山を齧ったものの、実質3週ぶりのまともな山歩き。今回の雪は我が予定を大きく狂わせ山に行かない週末をもたらした。たまにはいいのかもしれないが、やはり自然の中に入らないと平地でのストレスが嵩む。週末が捌け口と言ってしまうと怒られるが、十分にその意味合いがある。生活のバランス・・・。
金曜日はこれでもかと気温が上がった。そして土曜日は雨模様。雪を溶かす条件は十分。こうなると、普段ならより雪質の良い場所を求め高い場所を狙うのだがスキー板を引っ張り出せない条件下、低い所でもぞもぞするしかなかった。雪崩れやすい日、樹林の多いであろう場所で遊ぶ事を前提に考え、旧堀金村の角蔵山と古城山を目指す事にした。2.5万の信濃小倉図面で最後に残っていた場所で、踏めれば図面完登となる。城址と奥社が山中にあり、マイナーではあるが道形もあるよう。堀金霊園を基点に山中を遊ぶ事に決めた。
1:15棲家を出発。久しぶりに三才山トンネルを潜る。常念岳の登山口へ行くようにして進み、その途中の旧安楽寺の宝印塔が最初の目印となる。その西側には山口家の白壁があり、それこそ城壁のように長く敷地を覆っていた。宝印塔の場所を巻き込むように舗装林道は先に進んでいる。舗装路が見えているのは除雪してあるせいで、そこを伝って山道を登って行く。そして僅かに進むと堀金霊園に到着する。除雪はここまで。安曇野市も霊園まで除雪する配慮は素晴らしい。出物腫れ物とは言うが、人の生死は予知できないから、万全の構えでいるということになろうか。5台分のスペースが除雪され、そこに停める。午前5時、霊園での仮眠は居心地が悪かったが、それを上回る睡魔がやって来て心地よい仮眠となった。
6:00途中で買ったコロッケパンを熱いコーヒーで胃に落としこみ準備をしだす。なんてこった、スパッツを忘れている。冬季にスパッツがない行動。何度も辛酸を舐めているのに、またやっている。学習しないし、少し登山に間が開いてしまうとこんなもん。しょうがないので長靴行動とする。駐車場の雪を確認すると見事に緩い。本日の行動が予想でき少しすでにもう暗い気分となる。でも来たからには結果を出す。諦めるまで諦めない。
6:15歩き出す。よく見ると雪の上に古いスノーシューの跡が見える。単独者のよう。それを追うが、しっかりと150mmほど沈むのツボ足となった。クネクネとする林道に伝って行くと、左側に安楽寺跡の標柱があり、その先に立派な石垣が見える。この西側には堤のようになっており水が溜められ、沢からの流れの音がしていた。さらに進むと「日露戦没記念烏川」云々と彫られた標柱も立っていた。その先右側には黒御影石のお墓も見える。遊ぶにしては少し背筋の伸びる場所であった。
地形図を見ると、山腹の林道が小腸のように異形に絞られている場所がある。その西端から山中に入っている道形があり、ここで林道を離れた。と言うのも、トレースの主がこちらに入っていた。いや、こちらから降りて来ていたと言うのが正解か。ただし、入ってすぐに右側に進む杣道を伝っており、その道が戻るような格好になるので伝うのをパスして谷部を右に置いて小尾根を登って進む。これがけっこうな斜面で作りの柔らかい長靴では、グリップさせるのが難儀でズルズルと滑りながら這い上がってゆく。こんな事なら先ほどの杣道を伝ったほうが・・・と思っても後の祭り。自然の中での判断は瞬発力。それにより大きく危険度が変わってしまう事もある。その経験の積み重ねが糧となりノウハウとなる。
木々を掴みながら這い上がってゆくと、やっとの事で主稜の上に乗り上げる。するとここにはスノーシューではないワカンのトレースが残っていた。こちらもまた単独。この時季のここは、単独者しか来ないのかも・・・。まずは古城山を踏むべく北に進んで行く。すると出迎える地形に、至極城址を感じる。深く堀切がされ、幾重にも施されている。そして最後に一番深い堀切を跨いで登って行く。土地が流れて現存しない場所が多いが、ここは昔のままの姿で残っているよう。急登を這い上がってゆく。
古城山到着。山頂の平坦地がまさしく城の場所を感じさせていた。夏場にセミの声を聞きながら登頂すれば最高だろうと思えた。北側には安曇野の田んぼが見下ろせる。南を見ると1085峰か、円錐形でスクンと立っているのが見える。いやなことに雨が降りて来ていた。雪に変わるだろうが、まだ行動は序盤であり緩い雪にとても負荷に感じていた。我がトレースを追って戻って行く。
南進が始まる。ここまで我慢していたが、その我慢の限界でワカンを装着。しかし予想していた浮力が得られずいまひとつ。逆に湿った重い雪が着き、難儀する事にも繋がった。15年選手のワカン、各戦歴の傷が雪を着け易くなっているようだった。雨は次第にみぞれになり、細かい雪へと変わった。雪の上には一人分の薄いトレースが続く。このまま角蔵山まで進むのか。踏み抜きながらも、トレースを追って進む。
1085高点は鬱蒼とした檜の樹林帯。そこに鳥居を擁した社が待っていた。大ぶりな榊が縛られ、氏子の存在を感じる場所であった。お参りをしてからさらに南に。すると、このピークから僅かに下った場所に東に降りて行く道形が見えた。これが参道なのか・・・。さらにここから僅か降りた先にも同じような掘れた跡が見えた。そしてトレースの主は進行を断念して引き返していた。当てに出来たトレースなら落胆するが、この日においてはその存在が省力にならず無問題だった。1100m峰は赤松の細長いピーク。やや明るいこのピークに対し次の1150mピークは同じ植生にしても薄くらい通過点となっていた。雪は強くなり視界も狭まりつつあった。このようにポコポコと小ピークを越えて進むのだが、不思議だったのはこの先。
急に防火帯のような開いた跡が現れた。尾根中央に柵の支柱も残る。放牧でもされていたのか、そんな風に思えるもので、樹林帯歩きで暗かったこれまでから、一気に明るい場所に出た感じであった。支柱に纏わり着くように拾って進み南進して行く。もう僅か。少しづつ高度を上げてはいるが、雪が締まる様子はなく踏み抜きの度合いは変わらない。ストックで頻繁に叩いてやらないと、完全なる足かせでもあった。
角蔵山到着。測量用の三角櫓が印象的。三角点を掘り出そうとトライしたが無理だった。その南東側に雪の中に標識が埋まっていた。引っ張り出すと赤字で「寺沢境」と表示があった。南側には登路が在ったのか。展望はなし。最初に雨に濡らされ、その後に雪、身体が冷され止ると寒くて仕方なかった。降り続く雪にも霊園駐車場からの坂が気になっていたりもした。踵を返す。
トレースがあって楽なわけだが、同じ所に足を置いてもまだ潜るような悪雪だった。常に楽をしようと考えているので、復路は楽だろうと思っている思考に鞭を入れる。深く残るトレースを壊すようにがむしゃらに踏み進む。無鉄砲な行動にでると、今度は長靴の中に雪が侵入してくる。このもどかしさは、山の試練でもあり人生の試練に通じる。
1085高点からは東側に降りて行く。トレースの主もここを降りている。小尾根が続き、そこをしばらく伝ったが、その北側の谷に入ってシリセードを楽しむ。雪が重く懐に抱え込むような状況になり、滑れて10m程度の繰り返しであった。またツボ足となるのだが、この谷部は、倒木が雪の下に多く隠れているよう。伐採痕も見えるのでそのせいか、その倒木で足を挟みそうになること数度。いい気になって降りていたが、ギクッ、ボキッとやりそうな斜面でもあった。
小谷が何処に出るのかと思ったら、見慣れたトレースが目の前に出てきた。林道から逸れて取り付いた我がトレースで、同じ場所に出てきた事になった。林道の途中の何処かに降り立つと予想していたが、ドンピシャとその場所に出てきたことに少し嬉しくもなった。あとは林道に出てのんびりと戻って行く。安楽寺跡も本来は見るべきだったのだが、石垣を遠くから眺めただけで通過して行く。8時から始まった土木工事の音が、林道の除雪なのかと聞こえていたが、除雪は相変わらず霊園までであった。霊園に到着。