黒石岳 1376.5m 戸倉山 1167.4m
2014.10.4(土)
くもり(朝小雨)のち晴れ 単独 底稲地区側より 行動時間:5H43M
@林道760m6:58→(35M)→A林道終点(底稲地区入口)7:33→(4M)→B廃屋7:38→(51M)→C黒石岳8:29〜40→(20M)→D1258高点9:00→(74M)→E戸倉山10:14〜31→(73M)→F1258高点西1180m付近(主尾根を外れる)11:44→(21M)→G底稲地区に入る(廃屋)12:05→(36M)→H760m駐車場所12:41
@底稲地区へ続く細い林道。普通乗用車では、この場所でタイヤが空転して登れなくなった。 | 歩き出してすぐの沢。歩いたこのエリアで、水が出ていたのはここのみだった。 | 林道沿いにはアケビが沢山見られた。 | ヤマグリやオニグルミも多い。 |
A林道終点(らしい)場所。ここは底稲地区の入口となる。 | 周囲に沢山見られる石垣。そこに植えられたスギ。 | Bまだ利用できる状態で残る廃屋。カーテンの向こうに台所の様子が伺えた。 | 真っ直ぐに伸びる道と、その両側に見られる畑だったろう場所。 |
1050mにこの標識が見られた。 | 長いトラバース途中の標識。 | 1130m付近、尾根に乗り上げた場所に落ちていた標識。 | 1130m付近から北側の様子。マーキングが多い。 |
1200m付近にあったポール。 | 1270mの小ピークに設置されたアンテナ。周囲は有刺鉄線が施されていた。 | 1320m付近。けっこうに急登。 | C黒石岳。展望はない。北東に踏み跡が降りていた。 |
C二等点 | Cさすが、健太郎さんも登頂している。 | C倒れていた標識を起こすと・・・まあ立派。 | C祠もある。 |
C南北に各1本づつパンザマストが立っている。 | Cお約束でヤキソバパン。 | 戸倉山に向かい1370m付近。下草のない歩き易い尾根筋。 | D1258高点。境界標柱番号「一三八」。 |
D獣の座ってたであろう跡が残っていた。 | 1258高点の南側は間伐作業がされていた。 | 1190m付近。尾根が分かれるので注意。向かって左側の尾根が正解。 | 1150m付近にロープが残っていた。 |
1210m。この2本の標柱の尾根を下ってしまった。もう一つ先の尾根を下るのが正解。 | ←の結果。右の尾根を下って来て、間にある谷を跨いで左の尾根に乗り換える。 | 小さなキレットのような場所がいくつか出てくる。 | 1100m付近。ササの中を分けて登る。 |
E戸倉山 | E戸倉山の遠山山の会の標識。 | E三等点。 | EらくがきBOXの中に案内図もあった。 |
Eパウチされたコース案内図。 | E見えているのは兎岳か・・・。 | E東側に戻って行く。 | 下沢(泰阜村)と名田熊沢(南信濃)の源頭となるコル。峠道のようにも見える。 |
渡り廊下のような、歩き易い尾根筋。 | F1258高点南、1170m付近から東に逸れる。 | 間伐作業された中に、杣道を見つけ伝って行く。長いトラバース道。 | トラバース道が終わり、尾根を伝って行く道形に変わる。 |
1140m付近にある組体操をしているかのような木。 | 1030m付近。二つの涸沢が合流した場所。 | 途中、小屋跡だろう残骸を見る。 | G底稲地区に入ると、綺麗に施された石垣をあちこちに見る。 |
1010m付近。廃屋。こちらはかなり荒廃していた。家の前には、子供用の靴も落ちていた。 | 判り辛いがT字路。往路は右から左へ進んでいった。 | 途中2箇所で見られるケーブルテレビのケーブル接続箇所。 | H林道途中の駐車余地に戻る。ここは屋形戸からの山道が林道と合流した場所。 |
御嶽山の噴火災害、被災者の捜索が進行形であり、山を楽しむにも少し気にしてしまうのが本音。まあこれは人間として普通の心情だろう。ここまで大きく報じられれば、周囲の方の山を見る目も少し違ってくるはず。普通に「危ない」と思っている平地の人が、「やっぱり危ない」と思ったに違いない。気にする人が一気に増えた中、毎週のように相も変わらず飛び出して行くのにも、それなりの心構えと思いがあるのだった。
今回は、遠山郷から遠山川に沿って便ヶ島に向かい、その途中にある未踏座を狙う予定で準備していた。高速で行こうか下道で行こうか迷い、国道152号の道路情報もしっかり確認した。下準備として、アプローチに際し「全て問題なし」として出向くことにした。台風18号の接近で、翌日曜日は予定に入れられない。泊まりで動ける日であったが、ここは天気に従うことにした。
0:15家を出る。いつもより1時間早いが、下道で行くことにしたから。佐久でセブンに寄ると、うれしいことにヤキソバパンが手に入った。今日は行ける。八ヶ岳の南面道路を通って小淵沢に降り、杖突峠で高遠に降りたら、分杭峠経由で大鹿村へ向かってゆく。パワースポットとなって混雑するようで、峠までのシャトルバスが運行しているのには驚いた。目に見えぬものが観光になる時代到来。地蔵峠を越えてやっとのことで上村に入る。“高速で来ればよかった”楽を覚えた私としては、そんな思いも出てくる。既に5時間が経とうとしていた。
便ヶ島への分岐箇所に何やら表示がある。「全面通行止め」。えっ・・・林道情報は調べてこなかった・・・。一瞬にしてブルーになる。本当に行けないのか、その後ろの看板には休工中と書いてあった。“なんだ行けるんじゃん” 表示に一喜一憂しているのだが、悪い予感は続く。ダメもとで入ってゆく。本村の集落内にも「全面通行止め」とあった。普通なら諦めるが、こんな場合でも行ける所があるから疑ってしまうわけで・・・。既にヘッドライトが不要な明るさになってしまっていた。いつもなら歩き出す時間。クネクネとした道に車を走らせて行くと、進路を塞ぐゲートが現れた。万事休す、ここまでだったか。現在は北俣渡発電所のゲートまでで、その先は進めなかった。用意してきた地図を見るも、今日の予定地に対し距離的に厳しいアプローチ。行って行けないことはないが、2座抱き合わせを思っていたので、その目的が達成できなくなる。開通した時にまた来よう。
計画中止を決めたが、さあどうしよう。付近に登れそうなところは・・・。たしかSK氏が「かぐらの湯」付近の山を登っていたはず、林道を戻り携帯が繋がるエリアまで行く。検索をかけると黒石岳と戸倉山の抱き合わせの記録が出てきた。ここならこの時間から狙っても大丈夫そう。地図がないのが困ったところだが、今日はどこを狙うにも当てはまるリスク。無いことを弁え用心して歩くことに徹する。
152号に出て「かぐらの湯」を目指し、和田地区から和田橋を渡って夜瀬川の集落内の細い道に入ってゆく。カーナビには林道が表示されないので、ここではスマホで地図ロイドを起動させて現在地を把握していた。西へ向かい、緩やかに高度を上げてゆく村落の細い道に従ってゆくと、集落最後は住まいしていない数軒が並び、その先から至極細い林道になる。コンクリート舗装されてはいるが、その細さはかなりのもの。左右からススキが車を叩く。まるで洗車機の中に入った時のよう。車幅の広い乗用車ではまず無理、それが進みながらすぐに判る。
なにせ道幅が狭い。今日は小型車で良かったと思えるが、四駆でないのでどこかで能力の限界があるだろう。それにしても鋭利な石も多く落ちている。進むにもパンクが気になった。運転席に居ながらも左下の崖がよく見える。それほどに狭いし、ガードレールなどもないので自然なままの崩れよう。トラクションを確かめるようにしなしなと登ってゆく。どこかに停めようかとも思うものの、駐車余地になるような場所も少ないのがこの林道だった。対向車でも来ればアウト・・・そんなことを思っていると、前方からオフロードバイクが降りてきた。運転手も慣れているようで山手側斜面に乗り上げるようにして避けてくれた。たぶん、「こんな場所にこんな車でよく登ってきたな」と思っているはず。それほどにこの日の車は低車高なのだった。
760mのヘアピンカーブの場所で、どうあがいてもタイヤが空転してしまい登らなくなった。オンロードタイヤ、それもオフロードっ毛の全くないスポーツタイヤを履いている。それも扁平率50%の林道走行には似つかわしくない場違いな車両。自分の身の程を十二分に弁え登ってきたが、流石に騙せなくなった。ちょうどカーブの場所に余地が見出せたので、なんとかUターンして右後タイヤを崖下を覗かせるようにして停めた。そしてすぐに着替えをしに外に出ると、その場所から下に見える尾根には道形があった。地図ロイドを見ると、登路が上がってきている場所にちょうど停めたようであった。嫌なことに大きな蜂に好かれてしまい、準備中ずっと監視されていた。
やがて7時のなろうという時間、やっと歩き出す。もっと前に歩きにスイッチしていればよかったか、林道の下りを思うと気が気ではなかった。その林道上にはアケビが落ちていた。上を見上げると蔓も見える。さらにはヤマグリも多い。豊富にあるのか残っている実が多い。食べた跡も散見でき、絶対数が多いのだと見えた。オニグルミも落ちている。皮が腐敗したものを割ってみると、脂分の濃い良品だと判った。帰りは拾って帰ろう。すぐに沢の流れを跨ぐ。この先も在るだろうと高を括っていたが、結果としてここでしか流れを見なかった。水に乏しい山域のよう。でも上層には集落があった事実・・・。
クネクネと折り返す林道を伝ってゆく。新しいタイヤ痕もあることから、使われている林道だと判る。どこからかシカの警戒音も聞こえる。彼らにはこちらの様子が判っているようだ。歩き出してから35分で林道終点と思われる場所に出る。左側に岩の堆積した小高い場所があり、林道の延長線は薄い道形が先に続いていた。その道を進むと、左右には整然とした石垣が見える。その区切られた中には杉が等間隔で植えられていた。その杉林の先に黒くコールタールでも塗ったかのような建物が現れた。林業のための作業小屋と最初は判断していた。そう朽ちてはおらず、中を覗くと台所のような場所も見えた。ただし周囲が薄暗いので、さらに薄暗い内部を見るのはあまり気持ちがいいものではなかった。道を挟んだ反対側にはウインチ小屋も残っていた。真っ直ぐに山手側に伸びる道を伝ってゆく。ほぼ地形図に示される通り、底稲地区の道は新興住宅地のような道の切られ方なのであった。
直線路の勾配がきつくなり、その終点となる場所にはアンテナ施設を示す道標があった。迷うのは、そこから西側にも道形らしきものが見え、東側にも見える。矢印の示す方は東なのでそれに従うが、何せ薄い。半信半疑で進んでゆくと、そのトラバースする途中に二つ目の標識が現れホッとする。少し挟むが、「トラバースとは雪のある場合に使う」とは重々承知。しばらく伝ってゆくと、顕著な尾根の上に出た。地面には3つ目の標識が落ちていた。周囲にはマーキングが多く、注意点(分岐)であることに間違いない。左折するように進むのだが、ここは緩斜面で地図が無かったらどっちが山頂なのか迷うであろう場所。
1270m、尾根上の小ピークにアンテナ施設があった。近づけないように周囲には有刺鉄線がされている。共同アンテナのようなものでここまでディフェンスしている施設も珍しい。右に見つつ先を目指す。1300m付近から勾配が急に強くなる。脹脛の張るような登りだが、登山靴のソールを換えたばかりでグリップがいい。靴はこうでないと・・・。滑るソールの靴で、どれほど余計な筋力を使ってきたかが判る。もうわずか、尾根上は携帯が繋がり画面上に地図表示ができた。GPSが捉えた現在地表示もあり、これほどの便利はない。
黒石岳登頂。まず三角点が目に入ってくる。二等と刻まれており少し嬉しかったりする。まあ三等より二等と言った程度。立木には二つの標識が見え、それとは別に健太郎さんの登頂記念標識も在った。北側の尾根筋には道形もあるようで泰阜村からの登路もあるのやもしれない。南北に一本ずつパンザマストが立っている。展望にない樹林のピークであり、その人工物が視界の邪魔をすることはない。そんな中、地面に横たわっている板切れを見つけ、拾い上げると、意外や立派な山頂標識であった。足の部分が朽ちてしまったようで自立は不可能であった。この傍に祠も残っていた。これは底稲側を向いていたので、そちらの村民が建てたもののように思えた。遊ばせてもらっていることに感謝し拝礼。
西進してゆく。ガスがあったら少し迷いやすい尾根筋。下草がないものの踏み跡も薄い。小尾根が多く、魚を食べるのに小骨が多いと面倒に思えるのに似ている。境界標柱が時々顔をだし、それを追うようにして降りてゆく。地図を見たとおりにアップダウンが多い。こうなると帰路を考えてしまう。黒石岳から数えて3つ目のピークが1285高点の場所。ここは顕著なピークで、境界標柱は「一三八」とふられていた。獣が居たのか、落ち葉がそこだけ退かされている場所も残っていた。ここに至るまでに熊の糞を二か所で見ている。普通に居るようである。この1285高点から南に下ると、この場所にして間伐作業の跡があった。その木々が切りっぱなしで、歩くのに障害になった。西寄りを選んで歩いてゆく。そしてこの先、進路は南寄りを選びたい。二重山稜でもないが、中央に白く大ぶりな谷が入っている場所があり、最初間違えて北側の尾根筋を伝ってしまった。南側の尾根が高く残るので間違えに気づき修正する。
1150m付近には大量の白いロープが残されていた。この先、少し危険地帯でも出てくるのかと思ったが、北側にはやや荒っぽい地形が見えるものの、尾根上は安定した安全な場所で続いていた。1210m付近から進路が90度変わる格好になり、やや複雑なルート選びとなる。方向を見定め二つ標柱が埋められた場所から尾根を下ってゆくと、左側に深い谷が出てきて、それを跨いだ左側に顕著な尾根が並走している。向こうに乗るのが正解で、一つ手前の尾根を伝ったようだった。谷に入り西にズレてゆく。降り切った先は峠道のようになっている居心地のいい場所。ここは北の下沢、南の名田熊沢の源頭のコルとなる。そこを跨いでゆくと、向かう先に顕著な円錐形をした高みが見えてくる。もうわずか。
1100m付近で、この尾根に入って初めて進路を邪魔するものが出てくる。ササのお出ましなのだが、長く続くのかと思ったら15mほどで静かになった。ここも尾根筋とトラバースするような道形があり、一方はけもの道のようでもあった。ここほどにモシャモシャした植生と思って来たが、逆にここだけであった。アップダウンは伴うものの至極快適な尾根筋で軽快に進んでゆける。歩きながら、なにか西上州の山を感じさせる部分もあった。里山、標高、これらの要素から似てくるのだろうか・・・。
戸倉山到着。ここの標識を見て、先ほどの標識が遠山山の会が建てた標識と分かった。三等点が埋まり、記帳箱まで設置してあった。その中を覗くと、この山の正規ルートが記されていた。あいにく光岳側は霞んでいてよく見えない。腰を下ろし帰路を探る。地形からして1258高点付近まで戻って、東側斜面を下りてゆくしかないようだ。電子的な地図しかない中、電波が通じない場所で迷うより、通じる尾根筋を伝った方がリスクは少ない。このことも考慮した。往路を戻ってゆく。
1060mピークから下沢の源頭のコルを経て、1210mの場所まで登りあげるのが辛い。往路に間違えた尾根を左に見て正規尾根を伝うと、きちんと境界標柱が繋がっていた。1210mまで登りあげ、90度進路方向を変える。この後は間伐作業がされた場所が出てくるのを待つばかり、あの状態が底稲地区まで続いていると予想できたから。そして1258高点を目の前にしてその場所が現れる。足場の悪い中を東斜面に降りてゆくと、そこに一本の杣道を見つけた。伐採木が覆う場所もあるが、概ね楽に伝って行ける。ゆるやかに高度を下げてゆく道形は、間違いなく底稲の集落跡に向いていると思われた。
トラバースが長く続いた道が、1180m付近で小尾根に乗る。ここにはピンクのリボンがされていた。直角に進路を変え標高を下げてゆく。その途中、1140m付近に大ぶりな木が二本立っている。かなり目立つ印象的な木であった。この先で道形は有耶無耶になり、集落側へと行くために北東側に進んでゆく。小尾根を降りてゆく格好になり、下の方で左右の涸れ沢が合流し、倒木の多いその中を降りてゆく。途中で左の地形に駆け上がるとすぐに、目の前に小屋跡らしき残骸の残る場所に出た。そこから南東に進んでゆくと、かなり荒んだ廃屋が見えてきた。各窓は既になく、当然のように各扉も開け放たれたまま。さすがに私も中を覗く勇気がなかった。テーブルのようなものが外から見えたのと、その家の近くには3歳児くらいが履くであろう靴が落ちていた。こちらは住宅のようだ。家の前を横切るように進むと、いつしか林道幅の道形に乗って、そのまま進むと往路の道とT字路で合わさった。これで一安心、あとは知った地形を進めばいい。
底稲地区の入り口まで戻り、勝手知ったる林道を降りてゆく。その途中に軽トラが停まっていた。付近から鈴の音がしており、その発生源を探すと、山手側の崖の上の方に人影が見えた。きのこか・・・。こうなると、誰か来るであろうと、車を路肩いっぱいに寄せておいてよかったことになる。地元ではまだ使われている道で間違いないようだ。気配を消して林道を降りてゆく。軽トラの御仁も、こんな場所に上州ナンバーの車があって不思議に思ったであろう。降りてゆく途中、しっかりとオニグルミをお土産にいただく。これで日本酒がおいしくなり、ビールがおいしくなる。秋の里山歩きはこれらの恩恵があるので二度嬉しい。
足早に降りて行き車に到着。しかし林道を下に降りるまでは気を抜けない。ここまで気を使わねばならないのなら、下の方に停めたほうが安全。時間にして1時間ほどしか変わらないであろう。鋭利な石に気を遣い、カーブの場所ではフロントが流れないよう細心の注意でゆっくりと降りてゆく。小型車なのだが回転半径が5.7mと大型車並み、カーブの場所では複数回の切り返しが必要だった。空転する、底を擦る、可哀相だが私に選ばれるともれなく林道走行が付いてくるのでしょうがない。
下の集落が見えてきたら、やっとホッとできた。汗を落とすのにかぐらの湯に寄って話を聞くと、底稲地区には集落が在ったことがハッキリと知らされた。驚いたことに、尾根を越えて泰阜村へ通じる山道もあって頻繁に使われていたとのことも知らされる。あの黒石岳から北に在ったあれがそうなのか。聞いてよかった。より夢が膨らむような気がする。今を体験し昔を知ると、より面白さが増す。
家路に向かう途中、八ヶ岳の南面道路では、甲府一高の強行遠足のスタッフが準備をしていた。電光掲示板にも、その旨の注意表示が出ているほど。特に事前に情報を得ているわけではないのだが、毎年のように目の当たりにしている。タイミングよく八ヶ岳のこの場所を通過していると言うことになる。献身的なスタッフの準備する様子に「伝統」を感じるのだった。台風通過の1日前、間一髪で行事決行となっているようであった。