倉戸山 1163.9m 榧ノ木山 1485m 水根山 1620m
城山 1523m
将門馬場 1455m 六ッ石山 1478.9m
狩倉山 1452m 三ノ木戸山 1177m イソツネ山 846.2m
2014.11.29(土)
雨のちくもり 単独 水根駐車場より榧ノ木尾根、石尾根、小中沢を跨いでハンノキ尾根と繋ぐ 行動時間:9H22M
@水根駐車場6:28→(22M)→A倉戸口6:50→(8M)→B倉戸山登山口6:58→(73M)→C倉戸山8:11〜12→(61M)→D榧ノ木山9:13→(51M)→E水根山10:04〜12→(19M)→F城山10:31〜32→(15M)→G将門馬場10:47〜51→(22M)→H六ッ石山11:13〜14→(10M)→I狩倉山11:24〜25→(33M)→J三ノ木戸山11:58〜59→(32M)→K登山道に乗る12:31→(19M)→L小中沢を跨ぐ12:50→(44M)→Mイソツネ山12:34〜48→(35M)→N梅久保地区に降り立つ(むかし道)14:23→(80M)→O滝のり沢バス停15:43→(7M)→P水根駐車場15:50
@水根駐車場から「水と緑のふれあい館」側に上がって行く。途中、バリケードの場所からショートカット。 | 湖畔には日本サルが降りて来ていた。 | A熱海トンネル手前、戸倉口。見える左の道に入り、すぐにある山道を伝う。 | A白い看板の裏側に山道が上がっている。 |
美松荘の前に出る。右へ。 | B倉戸山登山口 | 歩いてきた場所を振り返る。歩道脇に小さな民家が並ぶ。 | 温泉神社に参拝してから登る。 |
最初の急登斜面。 | 振り返る。水を湛える奥多摩湖。 | C倉戸山到着。 | Cコンクリートな質感の二等点。 |
C道標に唯一山名が記される。 | 榧ノ木山直下付近。 | 山梨側の様子。雲海が谷間を埋める。 | D榧ノ木山。馬の背のような細い山頂。 |
Dポンチングで表記された山名板。 | D榧ノ木山から北側。 | 水根沢林道への下降点分岐。 | 水根山直下の分岐。 |
水根山西側分岐。 | E水根山 | E朽ちた標識 | Eこちらは新しい標識。 |
Eヤキソバパン登場。 | F城山。山名表示はなし。 | F城山西側。 | 城山からは急下降。 |
G将門馬場 | G唯一の標識 | Gリボンが沢山下がる。 | 六ッ石山分岐 |
H六ッ石山。風雨が一番強まった時だった。 | H三等点。 | H南側の様子。 | 「東京農大演習林」の表示が見えたら、その先が狩倉山のピーク。 |
I狩倉山 | Iこの形態でも耐久性はあるよう。 | I狩倉山西側。こちらの方がピークらしい場所。 | I防火帯幅を南に降りて行く。 |
三ノ木戸地区への下降点は封鎖されていた。 | 三ノ木戸山手前で登山道が北を巻く。そのまま尾根通しで進む。 | こんな場所にこのような小屋が・・・。 | 天を向いたネットが無数に設置されていた。 |
J長細い山頂部の西側にあった古い表示。 |
J三ノ木戸山 | J東側にあったテープ。こちらだと標高点と離れすぎているような・・・。 | J三ノ木戸山東側にあった道標。 |
J針葉樹と広葉樹の境を降りて行く。 | 途中の植林帯。7この先、かなり急峻になる。石が点在し、足場も悪くなる。 | Kモノレールの軌道沿いに登山道がある。しばし伝って東に進む。 | 小さな谷を跨ぐ綺麗な橋。 |
右から降りて来た。ここで写真左の檜の左側に続く道に入っていった。もしかしたら、もう少し下ってからの分岐を曲がったほうが良かったかもしれない。 | 地図に載らないルートだが、管理されている。 | ここはかなりスリルがある通過点。橋が架かっているが、落ち葉の隙間から下が見える。踏み抜かぬよう通過。 | 途中に直立した7mほどの岩がある。ローソク岩とも呼べる形。 |
分岐したこちらの道にもモノレールが走っていた。 | L小中沢にはワサビ田があり、そのためのモノレールだったよう。 | ワサビ田の様子。この場所から上側に道形は進むが、もう一つある、谷を跨ぐ、右の写真の橋を渡る。 | 水面からの距離があり、けっこうスリルがある。そして滑りやすくなっていた。 |
このような表示があった。50年の植樹林。 | 立派な道が続いていた。 | 途中にこのような出迎えもあった。 | ここで道が分かれる。いたずら書きがされ、右に進むとハンノキ尾根とあった。ここは左に進む。 |
ハンノキ尾根に乗ると、深いススキの原が待っていた。 | 尾根途中に道標もあり驚く。よく見るとKUMOが縛られている。 | 尾根の様子。この辺りは快適尾根。この先で野草が茂る。 | 暫く野草が茂ったが、山頂近くなるとスパッと無くなった。 |
Mイソツネ山到着。 | M三等点。 | M味のある山名板。 | Mもうひとつかかる。 |
Mシナノゴールド | イソツネ山南尾根途中には、大岩に直径60mmほどの孔の空いた場所があり、珍しい発見。 | もう一つ、こちらは横方向に貫通していた。自然に出来たにしては不思議であり、人工的でもなかった。 | 411号の脇に出る。そのまま下に降りて行く。 |
N梅久保地区に降り、奥多摩むかし道に乗る。 | N降りてきた場所。 | 途中の不動尊 | しだくら橋。この上からの景観が見事。 |
道所橋。 | 車道から山道に入って行く分岐。 | O途中で水根新道を国道側に降りてここに出る。 | O滝のり沢バス停。 |
小河内ダムの下を見ながら登って行く。 | P駐車場に戻る。 |
信州が激震を受けた。その後も余震が止まることを知らない。いつもなら、リンゴを買いがてらに信州での山旅を企画する頃合いだが、どうにも足が向かず反対側へ。大きな視点では、日本国中どこに行っても同じなのだが・・・。
1:20家を出る。秩父から名栗と抜けて奥多摩エリアに入る。古里駅前のセブンに入ると、流石東京なのか、豊富にヤキソバパンが並んでいた。スタッフは学生のアルバイトであろうが、しっかり客商売をした態度で応対していた。経路は工事個所が2か所あり停められつつ前進し、水と緑のふれあい館北の水根駐車場に到着する(4:00)。一台も止まっておらず、これも悪天の影響か、シュラフにくるまって仮眠とした。
雨音で起こされる。既に降るとは・・・遅かれ早かれ山間部なら降るのだろうと思っていたが、ここまで早くに落ちてくるとは思わなかった。西から雨雲が早くに流れてきているようだ。それにしては冷え込みが緩い。雨具を着るにも微妙な気温だった。傘をと探すも忘れてきてしまっていた。今日も20kmほどの行程、登山道を伝うのが8割、残り2割は三ッ木戸山以南の廃道の部分、とは言っても里山なので道形はあるであろうから、藪山とするには優しい部類になろう。
6:28駐車場をスタートする。緩やかに登ってゆき、水と緑のふれあい館北のバリケードされた道に入ってゆく。これは歩行者に有効なショートカット道でダム湖施設の敷地を通過してゆく。シャッターの降りた自販機の前に行くと降雨が強くなり、その自販機小屋の庇前で雨宿り。雨具を着てしまえば早いのだが、蒸れるのも避けたい。願いが叶ったのか、少し弱まり足を進める。出掛けから何となく足踏み状態。
車道を行くと、猟師だろう車列が追い越してゆく。そして辺りから大きな奇声が聞こえてきた。山腹と湖側に見える無数のサル。どれほど居るのか囲まれた格好になった。人慣れしているのだろう、あまり逃げる事をしない。なにか大きく自然界のバランスが崩れてきているように思えた。小河内郵便局と駐在所のカーブは路肩がなくいやらしい通過点。それでもここを過ぎると300mほどで熱海トンネルがあり、その手前から尾根側に車道が上がっている。普通にこの車道を伝えばいいのだろうが、山腹を見ると山道が切られていた。これは状態もよく間違いない確信をもって足を乗せて行く。
出た先は美松荘の前だった。左が小河内荘、右に道標に導かれ倉戸山登山口に向かう。この周囲には住まいしている人が居る。住めば都とはいうものの、なかなか凄い地形に貼り付くように住んでいると思えた。鋭角に曲がり、その先が登山口であった。階段を上がってゆくと、またまた驚いたことに歩道脇に民家が建っている。歩きでしかアプローチできない道に、どうやって資材を運んだのか・・・。まあ手で持ち上げたのだろう。進んでゆくと温泉神社の境内が見えてくる。しっかりと参拝してから山道に入ってゆく。
いきなりの急登に、相変わらず臀部が痛む。ここまで後遺症が続くとは、ヒビでも入っているのか、筋肉がけっこうに断絶しているのか・・・。どちらにしても自然治癒しかないのは判り切ったことなので、時間が解決。それより、最近ありがたいのは全く気胸の気配がない。30年かかって自然治癒となったよう。まあ肋膜に完全癒着したと言うのが正解だろう。痛みや苦しみが無くなったのはいずれにせよありがたい事。その肺の広がりを確かめるように深く空気を吸い込みながら上がってゆく。振り返ると、既に下の方になった奥多摩湖が見えていた。
倉戸山到着。一面広葉樹で、その木々の隙間から周囲が見える。甲州側には雲海が垂れ込めていた。二等点が鎮座し、これがややコンクリート気質な風合いがあった。まず最初の1座、今日は珍しく量産体制、全9座を予定している。主稜線まで上がるまでのこの榧ノ木尾根が辛抱の登り。雨粒を我慢して登ってきたが、流石に限界量となり雨具を着込む。なかなか着なかったのには訳があり、藪漕ぎ用としての雨具は、防水性が弱っている物を使っている。痛み易い場所だからこそ完璧な強固なものを使うという考えもあるが、それをしていると頻度が高い私はお金が続かない。2級3級品となったものを藪で使っている。この日はここまでの雨を想定していなかったので読みが浅かったのだった。
倉戸山を出て30分ほどすると、プレハブの物置小屋のようなものが倒壊して残っていた。内部にレーキがあり、この場所にしてこれを使う作業と言うのが理解できなかった。付近は落ち葉の中に道形が埋もれるような形となり、枯れた色を見ていると新緑の頃は美しい場所だと思えた。榧ノ木山を登山道は西を掠めて進むので、わずかに東に這い上がる。
榧ノ木山山頂。馬の背のような細長い高みに、ひっそりとポンチングした標識が取り付けられていた。気にしてここを訪れる人がどれほどいるだろうか。そもそも狭い場所で、集うスペースがないのもマイナーな場所にしている理由であろう。北に進んでゆく。当然だが、少しづつ高度を稼いでゆくと気温が下がってきている。風もそれに同調するように強くなってきていた。既に雨具が雨具の体をなしておらず、見事に浸透している。太陽が恋しかった。甲州側は晴れている場所もある。どうも行いが悪いようだ。
水根地区へ下る分岐を過ぎる。そこから30分ほど登ると、水根山下の分岐。ここを西に進むと、途中で単独の大荷物を背負った単独男性がすれ違う。「お疲れ様」と声をかけていただく。5分ほどして出てくる分岐点で尾根に上がり鋭角に戻るように東に進む。分岐の連続で、もう少しスマートにできようものと思うが、存在するには意味があるのだろう。本日の最高点が近い。寒さで体力を奪われているのだろう、珍しく腹が空いてきていた。
水根山到着。何も標識がないようにも見えたが、南側に大ぶりな二つの標識が取り付けてあった。ヤキソバパンをほうばり遅い朝食とした。ここまで冷えると持ち上げた白湯の存在も貴重になる。一帯はガスに覆われ展望は無し。本日最高点としての感慨もガスにかき消されてしまっていた。防火帯のようになった尾根筋を東へ進んでゆく。ここからは連続するように有効座が続いている。次の城山は、間に一つピークを挟んで存在するが、登山道も南側を通っているようにさびれたピークで、標識さえもなかった。ほとんど自己満足の世界。それにしても北風が強くなってきた。左半身がどんどん冷やされていた。
城山からは急下降。もったいないくらいに下り、次の将門馬場も公式ルートは山頂を通らない。太いルートを右に見送り好事家の踏み跡を伝って行く。山頂が近づくと、その広い地形に少し身構えるが、なんとなく踏み跡が導いてくれる。そして標高点をとっている場所には、カラフルにもいくつものリボンが下がっている。
将門馬場到着。この山名に「風と雲と虹と」を連想し加藤剛さんの顔が浮かぶ私は古い人間か。唯一木片の標識がかけられていた。だだっ広い山頂らしくない山頂であった。馬場と言うネーミングは、その点では的確と思える。この先で二人目の単独ハイカーにすれ違う。みぞれになりそうな雨に、言葉を発するのも強張る感じで静かに交差する。この辺りがこの日、一番強い風雨となっていた。
東進してゆくと六ッ石山分岐、ここから鋭角に戻るように山頂を目指す。先ほどまでずっと左半身を濡らしていた風雨が、今度は右半身を濡れ鼠にしてゆく。風を背にしていたのに対し、向かい風となり冷たさも一入となる。このまま六ッ石山尾根で降りてしまおうかと迷うほどであった。長居したいとは全く思えない、サッと踏んでサッと背を向け降りてゆくような、ピークハンターでしかない残念な登山者の姿となっていた。ここには北が下を向いている珍しい地図が掲げられている。じっくり見たかったが、それさえも憚れた。
さらに東進してゆく。雨の中、ハンターらも猟を諦めたのか、この日は1発の銃声を聞いただけで、そのあとが続いてこなかった。狩倉山は東京農大演習林の中のピークであった。その表示を見て先に進むと、絶縁テープで縛られた山名表示が出迎えてくれる。全くもって登頂感のない山頂。防火帯になっている西側の高みの方がまだそれらしい場所であった。南に降りてゆく。
尾根を風よけに、かなり弱まり状況が一変。強張っていた身体が動きやすくなる。少しストライドを広げつつ早足で降りてゆく。すると前方からカラフルなパーティーが登ってきた。20名ほど連ねたヤングオールドな年齢層な方々、雨に打たれてフードに包まれた頭を下げながら登ってきていた。この先、上に行ったら強い風が待っている。どこまで進むのか・・・大勢で楽しそうに見えるはずのパーティー行動が、八甲田山の行軍を見ているかのように寒そうに見えた。
三ノ木戸集落への下降点分岐は通過。その下降路入口には通行止めの表示が出ていた。ここから5分ほどで主尾根の北を巻いてゆく登山道となる。それを左に見て踏み跡を伝って尾根上を行く。すると先の方に予期せぬ人工物が現れる。小屋があり、その北側には何か採集調査しているようなネットが無数に設置されていた。これは奇妙に映りやや異様な風景に感じた。横目に進んでゆくと立木に山名表示が現れた。
三ノ木戸山到着。と言っても、山頂をハッキリと同定出るような場所ではなく、かなりだらっとしている。この場所から、1分ほど進んだ東側の場所にも山名を記したテープがあった。高い方は先ほどの場所だが、さらに東に目を凝らすと、白ペンキの木片が見えた。まだ何かあるのかと近づいてゆくと、下山路を示す道標であった。ここまではほぼ登山道を伝ってきた形だが、ここからはそれらから離れる。最終座としてのイソツネ山へは、現在は公式ルートはない模様。昔の地図には実線が周囲に入っており、一応それらが残っているだろうと見越して南進してゆく。
主稜から三ノ木戸地区へ下る道もあるはずであり、南に下ればそこに乗れると踏んだ。広葉樹と針葉樹(植林)帯との境をコンパスを定めて降りてゆく。降りはじめてすぐに植林帯に入り、夕方のような暗さなの中を獣のように進んで行った。高度を落としてゆくと、斜度も強くなりソールに当たる岩も多くなる。慎重に木々を掴みながら降りてゆく。すると下の方でエンジン音が聞こえてきた。何か作業しているのかと目を凝らすと、白い雨具を纏った作業者がモノレールを操っていた。かなりゆっくりとしたスピードで、右から左に通過している。今の位置だと落石を起こしたら命中してしまいそう。静かに通過してゆくのを待った。
ズリズリとずり落ちてゆくとモノレールの軌道の場所に降り立つ。その軌道に沿うように立派な道が切られていた。これが昔の地図に表記されている登路で間違いないと思えた。では、なぜにモノレール。この答えは後で判った。軌道に沿うように東に降りてゆく。すると、小谷を跨ぐ場所となり3つほど新しい橋が架かっているのが見えた。九十九折の道が谷に絡むように切られているのかと思った。しかし最初の橋を渡って左岸へ行くと、分岐が現れそのまま道形は東に向かっていた。分岐から鋭角に西に行く道が別に在ったのだった。さてどうしよう。どこかで小中沢を跨がねばならないのだが、跨ぎそうなのは西に行くルートと判断した。
西に進む道形を進むと、橋が次々と出てくる、それも全て綺麗な新しい橋。ここまでして山道を存続させているには訳があるよう。崖斜面に掛けられた橋もあり、落ち葉で隠れているので踏み抜きに注意が必要であった。少し高度を下げるのかと思ったが、保ったまま長い距離西に向かう。その途中、ローソク岩と呼べるような起立した大岩がある。それを左に見てさらに西へ。すると、こちらにもモノレールの軌道が架設してあり道形に沿って続いていた。そしてとうとう小中沢を跨ぐ場所になる。そこは大量の倒木があり、一種異様な雰囲気の場所だった。対岸の支流にはワサビ田が続いている。そしてモノレールの軌道はそこを終着点としていた。そう言うことか・・・。
道形は支流の左岸を上側に登ってゆく。ここで眼下に支流を跨ぐ橋が見え、イソツネ山の方角からして、その橋を渡る選択とした。ワサビ田まで一度降りてから沢沿いに橋のところへ行く。これまでの橋と同じ仕様ではあるが、ここの橋は水面からの距離があり、一番緊張する橋であった。ましてや雨で濡れている状態。一瞬のスリップが、怪我では済まされないような場所であった。慎重にグリップを確認しながら対岸へ行く。右岸側には石垣を組んで九十九折の道が切られ、ここでも手が加わっている道だと思えた。尾根を乗越すように伝って行くと、ヒノキの植林帯の中を、南に直線的に登ってゆく道が続いていた。
分岐が現れる。アングル形状の分岐道標があり、これは巡視路を示すものであった。そこにいたずら書きで「ハンノキ尾根 六ッ石山」と矢印付きで書かれていた。右に分かれる道を見送り左に進む。しばらく進むと尾根に乗り上げた場所で、その尾根に伝って道形は西進しだした。向かうべき方角と違うので、ここで道形を離れて植林斜面を南東にトラバースしてゆく。下草が少なく歩き易いが、ハンノキ尾根が近くなると倒木が多くなる。そしてそのハンノキ尾根に乗ると、ススキが密生し先が見えないような状態の場所だった。頂部を伝うことを急がずに、もう少し山腹を進めばよかったようだ。それでもそのススキの密生帯を抜けると、幾分歩き易くなる。ここは尾根の南側を伝った方が楽であった。北が野草が茂り、南は針葉樹林、そこを伝っていると、途中に「イソツネ山 846」と書かれた道標が現れた。そこには、どうにもKUMOに見える布が結ばれている。KUMO氏が落穂拾いをしたのだろうか、都内の山なら全て登り終えているだろうから、その真贋は半信半疑であった。
藪化した中を行くと、イソツネ山直前から不思議なほどにスパッと下草が無くなる。尾根上のオアシス的場所がイソツネ山なのだった。幕営するにも適当な草地もあり、何となく居心地がいい。それには、雨もあがり日が差すようになってきていた。三角点は東寄りにあり、山名板も見ることが出来た。本日最終座、少し大休止として南側を向きながら、持ち上げたシナノゴールドを齧る。地図を見ながら下山路を探る。北に降りれば破線路があるようだが、藪派としては南尾根を下りたい。尾根の最後、411号を越えてむかし道に降りて行く狭さに魅力を覚えた。食べ終わったら行動開始。
踏み跡やマーキング類は皆無の尾根であった。尾根上部は広く、方向を誤りそうにもなるが、ここはしっかりとコンパスを定める。そしてはっきりとした尾根筋になる頃、岩が出てきた場所で面白い物を見つけた。φ60mmくらいの穴が大岩にあいていた(貫通)。水滴も考えられないし、自然に出来たには不自然な大きさ、さりとて人工にしても不自然、そんなこんなで不思議な穴だった。周囲にもあるのかと探すと、岩壁の下に、今度は横方向に貫通した穴があった。こんな場所で石に穴があくとは・・・。不思議に思いつつ降りて行く。
下の方に国道411号が見えてくる。通過するエンジン音もバイクを筆頭に大きくなる。そしてその上を小さなトンネルの上を跨ぐように越えてゆく。ここがこそばゆい感じで楽しい通過点。跨ぎきるとその先は地域の墓地となっていた。その中の道を降りて行くと左に411号に出られる道があり、左に見ながらさらに下ると、民家の横に出て、そこが奥多摩むかし道であった。ちょうどそこに民家の住人が帰ってきたところで、フロントガラス越しに不思議そうな目を向けられる。それもそうだろう、お墓の場所から出てきたのだから・・・。
むかし道を西に伝って行く。普通の廃道を歩くのかと思ったら、けっこうに楽しい散策路。観光に特化した道なのだが、現在進行形で道沿いに住まいしている方も存在する。東京にして昭和初期の暮らしをしているような、そんな風景が見られた。単独での女性もカメラを片手に散策していた。不動尊、渓谷、吊橋、ホッとする景色があちこちに見られ、むし歯地蔵や牛頭観音などの古の信仰も感じられたりする。そしてこの周辺はまだまだ紅葉が楽しめた。車道歩きから鋭角に山道に入ってからが、本当の昔道の風合いがあり歩いていたの感慨があった。本来は水根地区まで行って下って降りるのが全線制覇のようだが、その水根地区手前で水根新道で国道に下りてしまうことにした。その方が駐車場に近いから。小滝を巻き込むように濡れた滑りやすい道を降りて行く。
国道に出た場所は、滝のり沢バス停が立っていた。ここから恐々と車道歩き。それでも小河内ダムを下から見られる大迫力の楽しみもある。駐車場直前になり歩道が出てくるが、そこまでは路側帯も無いような国道歩き、歩行者に優しくない通過点でもあった。朝は一台も無かったが、駐車場には12台の車が停まっていた。到着。
振り返る。登山道歩きの部分はいいとして、小中沢の右岸・左岸の里山としての迷路のような道に興味を抱いた。林業用、巡視路、一番にワサビの搬出用、これらの目的のようだが、他エリアでは荒んだ場所が多くなった中で、ここはしっかりと管理が続き使われているのが見て取れた。里山が荒んでいない。それがとても心地よかった。ルートファインディングを楽しみながら、これらの道を歩くのも楽しいだろう。