三ッ俣尾山 838m (三角点標高:最高所は2mほどさらに高い) 茶屋平 932m (三角点標高)
日蔭山 1025.3m 千畳敷 1246m
2014.11.15(土)
晴れ 単独 市川三郷側より桜峠に上がり東に縦走し県道36号で戻る 行動時間:8H57M
@駐車余地6:05→(1M)→A桜峠口6:06→(36M)→B桜峠6:42〜45→(25M)→C弓建嶺7:10→(10M)→D664高点東の峠7:20→(27M)→E三ッ俣尾山7:47〜48→(12M)→F大峠西の峠8:00→(17M)→G林道終点8:17→(18M)→H茶屋平8:35〜40→(25M)→I関原峠9:05→(31M)→J柏尾坂峠9:36→(11M)→K右左口峠9:47→(33M)→L日蔭山10:20〜23→(77M)→M千畳敷11:40〜51→(79M)→N古関町に降り立つ13:10→(112M)→O駐車余地に戻る15:02
@古宿地区側の駐車余地に停めスタート。 | A桜峠口 | 分岐。曽川へ沿う道を右に見送る。 | 石柱に「七」と彫られた分岐。伝おうと思ったが引き返した。 |
途中の石仏。いい表情をしている。 | B桜峠。尾根に乗り上げた場所。 | B桜峠。ピークの方。展望がいい。 | B石碑と祠あり |
桜峠の東側は激薮。この北側に道が在ったようだが、在っても藪化している道だろう。 | 藪が終わり植林帯に入ると楽になる。 | 途中から甲府側の展望。茅ヶ岳と左に八ヶ岳。 | C山腹だが「弓建嶺」と標識が揚る。 |
D峠に出る。ここには弓建嶺への道標がある。右へ進む。 | 黄色いゲートを越えて進むと取り付きの階段がある。 | 巨岩がある展望地。 | E三ッ俣尾山三角点の場所。 |
E三等点 | E三ッ俣尾山最高所。 | E最高所から見る三角点側。2〜3mほどこちらの方が高い。 | F大峠の西側の峠に出る。コンクリート舗装の林道が上がってきていた。 |
山の神神社への分岐。神社まで5分。 | G林道終点 | 終点にはこの表示。見える紐がマーキングとしてこまめに続く。がしかし途中で無くなる。 | H茶屋平 |
H茶屋平の標識。標高が934mになっているのが注目ポイント。三角点の場所より3mほど高いよう。 | 茶屋平の北側は、弧を描くような尾根筋がある。 | 明瞭な道形に出合う。 | ここに来てやっと熊の糞を見る。 |
I関原峠 | I関原峠の標識。 | 2.5畳ほどのヌタ場。 | 尾根中央にポツンと見えてくる。 |
「流造りの石の祠」 | J柏尾坂峠 | K右左口峠。少し北に進んで取り付く。 | 途中から見る日蔭山。 |
道形を伝うと日蔭山の東側に出てしまい、山頂へ直登する。 | L日蔭山。そう日蔭でもない(笑)。 | L日蔭山三等点。 | Lトリコロールカラーの達筆標識。 |
Lヤキソバパンと達筆。 | 日蔭山東の平坦地。 | 沢を跨ぐ。沢の右岸に道形が在った。 | 巨岩の並ぶ場所。北側の斜面の巨岩壁が見事。 |
M千畳敷。陽射しが入り心地いいピーク。 | M千畳敷の標識。 | M中央に境界標柱が埋まる。 | Mあまころがし |
南に下降開始。道形は無く、尾根が広いので注意が必要。 | この広さに、コンパスを出し方角を定めないとあらぬ方向に行ってしまう。 | 植林地の場所。この先での進路取りが判り辛かった。少し南西に変わる。 | 痩せ尾根に入り、やっと薄い道形が現れてきた。 |
砂防指定地の標柱が現れたら、下降路を注意。沢側に降りている道が在るので選ばぬよう。 | 谷へ降りて行く道形に吸い込まれ、砂防堰堤の上に出てしまう。ここからはザイルでのアプザイレンが必用。 | 飯田沢砂防堰堤。見上げる左岸をフリーで降りてきたが、ちと危険で無理をした感じ。 | 飯田沢を降りて行くとフェンスが右岸に見えてくる。見えたら村落内に降り立った証拠。 |
N古関町平川の集落に降りる。集落内は地図に書かれない歩道がありショートカットが出来る。 | N降りてきた場所を見上げる。畑の中を通ったわけではないので・・・。 | 国道358は路肩が狭くかなり怖い。急いで県道36号に入る。しかし、この時は工事のための通行止めだった。歩行者は要問合せで「可」となった。 | 工事箇所。4名ほどがザイルにぶら下がり蜘蛛の様になって作業をしていた。 |
O市川三郷町古宿地区の駐車余地に戻る。 |
富士寄生火山に行こうと思っていたら、寸でのタイミングでスカイラインが封鎖してしまった。ある意味、生物なので仕方がない。ここで他のエリアで遊び場を再探索しようと思えたが、信州や越後方面はあまり天気が芳しくなく、甲州の富士周辺域を大まかな行き先とした。まだスタッドレスに換えていない状況下、マイナス気温になっても凍る心配のない(水の出ていない)道路を経路に選んだとも言える。
当初は、東と西とで2回に分けての山旅をしようと考えていた場所だが、一筆書きにしても楽しめそうであり、万が一逃げたくなってもエスケープルートがたくさんあるのも今回の場所のいいところ。と言うのも、前週転倒した時の臀部強打の後遺症が相変わらず残っていた。計画したはいいが、どうなるかは開いてみてのお楽しみでもあった。地形図に記載されているのは日蔭山のみ、他3座は山名事典の山でありマイナーピークとなる。市郡界の尾根筋には道が在っても薄いだろうと予想できた。
1:20家を出る。野辺山通過ではマイナス気温であった。韮崎で20号に出て市川大門を目指す。そして芦川駅を掠めるように県道36号に入ってゆく。桜峠の場所を気にしつつ、ナビを見ながら入山口を探しながら行く。そこは曽川出合の場所から200mほど南に進んだ場所に在った。少しかすれてきてはいるが標識も出ていた。次は駐車場所を探す。150mほど南に進むと右側にあり、さらに先にもあるがジモティーの駐車場にされているようで避けた(4:10)。上を見上げると満天の星。距離があるのですぐにでも歩き出そうかと思ったが、里山こそ迷いやすい。明るくなるまで待つことにした。この判断は桜峠に上がった時、正しいと思えた。
5:30、ブルッと尿意を感じ外気温を確かめると2℃。だいぶ温くなったテルモスのコーヒーを胃に流し込み今日の燃料とする。ヘッドライトをしながら準備をしていたら、不要なくらいに明けてしまった。6:05駐車余地をスタートする。芦川の流れのそばの道だから、冷え込みが強いことも判った。冷たそうな流れの音がしているのだった。
「桜峠口」と書かれた場所から舗装路を進む。最初から細い山道を想定していたが、これは予想外であった。すぐに曽川を小さな橋で跨ぐ。この橋から下の曽川の景観が美しい。そこから先、九十九折を経ると分岐箇所となる。曽川を遡る道と、真逆に進む道。この辺りは地形図どおりなので判りやすい。50mほど西に進めば、664高点に突き上げる登山道入り口がある筈。当初は桜峠には行かずにこの道を伝おうと思っていた。しかしそれと思しき道形はあったのだが、たまたまか人為的か小枝が道を塞ぐように置かれていた。分岐箇所には「七」と彫られた石柱も埋まる。たぶんここで合っているのだろうが、道が薄いのは間違いないようだ。15mほど入ったが、あからさまに道の様子が今までと違うので、それならばと桜峠に上がってしまうことにした。
快適な広い山道。途中には微笑ましい石仏なども見られる。その場所から二分ほど先からしいたけだろうか山仕事をする場所が右側に出てくる。そしてその先にももう一か所。この辺りでも、地図に載らない上に向かう道が在るだろうと予想してつぶさに見ていたが、それと判る道形はなかった。そして古い滑車の場所が見えると、すぐ先が桜峠となる。
桜峠は、通常の鞍部と思っていたが、尾根に乗り上げたそこには、西側に見えるピークを指して桜峠と表示してあった。端折ろうかと思ったが、せっかくなので登ってゆく。高みに上がると、前方に赤色の櫛が白根三山側に見える。櫛形山のモルゲンロートであった。展望は抜群。登ってよかった。祠や石碑などもあり、峠らしくもあり山頂らしくもある場所であった。東に戻ってゆく。
下からの道が尾根に乗り上げた場所には小さな祠がある。しかしここから東に向かってゆく地形図の破線がどうにも拾えなかった。判らないまま深い藪を漕ぐことになった。ここまで深いとは思わずいたので、やや面喰ってしまった。こんな深さが続いたらたまったもんじゃない・・・と。種子の付着する野草やススキが歓迎してくれ、ここの通過は大ブレーキ。それでもどこかに道形はある筈と思い北側に進んでゆくも、それらしい道が出てこなかった。ここまで歩かれていないとは・・・里山だからと楽に思っていた気持ちに喝が入る。それにしても臀部が痛む。それがために太ももが高く上げられず藪漕ぎに支障が出ていた。
向かう先に針葉樹が近くなる頃、尾根の北側に道形が見えてきた。それはいいが、ここは雨具を履きたいほどに種子が付着して、種子でコーティングされたようなズボンになってしまった。針葉樹の中に入るとそれがなくなりオアシスのようにさえ思えた。この先で少しモシャモシャとするが、フェンスが見えてくると、その右(南)側は歩き易い斜面となった。ここからの登りは太い道形があるが、廃道化を示すように大量の落ち葉で埋め尽くされていた。進路左側に甲府盆地が俯瞰できる。遠く八ヶ岳は雪雲の中になっていた。たまには高い場所で遊びたいが、未踏座がなくなってしまったので興味が・・・。
660m峰への途中には「弓建嶺」と表示された祠があった。いたずら書きによると、浅利与一に関係する場所のよう。東に進む途中にもこの場所を示す道標が掲げられていたりした。「嶺」とあるには中腹なので、少し違和感があった場所。664高点東行くと、北から登ってきた林道が南に向かっていた。黄色いゲートがあり、それを越えると、山手側に取りつく階段が切ってあった。再び尾根に乗り、取りつき点から5分ほど進むと、巨岩展望台と言いたいような大岩がある展望地がある。ここは小休止には適当な場所だった。
尾根の頂部を拾うように進んでゆく。標高が低いことを示すよう、甲府側のエキゾーストノイズが強く聞こえていた。そのためか、獣が薄いような印象を受けていた。朝日を正面に受けながら薄黄色く色づいた紅葉の下を行く。いい雰囲気の里山歩き。擦れていないと言うか、あまり歩かれていない様子が心地いい。淡々と足を進めてゆくと、「一一四」と手書きされた見出し標の下に、赤く塗られた三等点が現れた。三ッ俣尾山に到着したようだ。
三角点の場所から15mほど東に行くと、点の標高に対し2〜3mほど高い場所があり、ここが三ッ俣尾山の最高所であった。標識類は皆無で三角点の場所が赤く賑やかだっただけに殺風景にも見えた。東に進んでゆくと、白くコンクリート舗装された林道が現れる。地形図の破線は、今では実線になったよう。新しい林道のようだが、鋭利な落石も多く普通車での通行は厳しいような状況になっていた。東に舗装路を伝って行くと、北に分岐する林道がありゲートも伴っていた。道の入り口には山の神神社とあり、分岐から5分の場所ともあった。左に見送り尾根を乗越すようにして南に進んでゆく。
どうやら大峠は通過せず山腹を巻いて進むよう。進路が北東に変わり相変わらずの舗装路を進むと、南川の源頭となる場所で林道が終点となっていた。ここには「たいら山」と書かれた標識が揚がっていた。普通に、地元では茶屋平はたいら山と言うことらしい。その表示が山腹途中まで続き、同じく木片の設置者のものだろうマーキングも続いていたが、途中までで見えなくなったのが不思議であった。そのこまめな設置のしようから、山頂まで続くのかと思ったが、そうではなかった。ここも破線路が描かれているが、それらしい道形は判らなかった。
茶屋平到着。三角点ではないが、境界標柱が白く目立つ。一度南側に進んでみる。どうも南の方が気持ち高いようにも思えた。とは言っても何もないだだっ広い場所。先ほどの石柱の場所まで戻り周囲の木をつぶさに見ると、その一本に「たいら山 934m」と書かれた標識が掲げられていた。三角点標高よりここも3mほど高いよう。北に進むが、広い斜面にはイノシシの土坑の痕が多く見られた。そして新梨沢の源頭部の場所が、神津島の櫛ヶ峰への経路のような弧の描き方で、尾根幅も狭く面白い通過点であった。ここから先はハッキリとした道形が残っていた。押し黙っていたつもりでもないだろうが、ここにきて熊の糞も見られるようになっていた。ただし古いものばかり・・・。
関原峠は峠らしい峠で、これまで続いていたのと同様の木片で場所を示していた。右左口トンネルが下に近いせいか、ここでもエンジン音が頻繁に聞こえてきていた。ここから以東は、道形はないものの下草がないので快適な尾根筋であった。しばらくして3畳ほどあるヌタ場が現れる。なぜかそこには薬缶が立木にかけられていた。鹿も多いよう。そしてこのヌタ場から5分ほど進むと、珍しい庇の大きな石の祠が在った。その祠の先がトンネル上となる柏尾坂峠であった。ここも峠らしい雰囲気の場所であった。小ピークを二つほど越えて降りると、右左口峠に降り立つ。由緒ある峠のようで解説版も掲げられていた。当初は、ここまで車で上がれればと思っていたが、足で歩いてきたからこその到達感があった。
右左口峠からは、目の前の914高点峰に登りたくなるが、右に見送り少し北にズレてから東に上がっている薄い踏み跡がある。しかしここから上で道形を失う。少し破線の場所より北に伝ってしまったようで、途中で南から現れた道に出合った。九十九折を経ると山腹をトラバースしてゆく道となった。そして日蔭山を巻いて東側に出てしまった。道形は山頂を通らないのであった。東から山頂へ向けて直登してゆく。勾配が臀部に辛い・・・が、痛みもだんだんなじんできた。自然治癒と言うか荒療法。
日蔭山到着。嬉しいことに達筆標識が待っていてくれた。これはありがたい出迎えで登頂感が増す。マイナーピークなので在るような予想はしていたが、やがて20年選手になろうかという古いものが残っていた。三等点も鎮座し箔を添えていた。ここからは、少し北寄りに進むのが正解だったよう。直登した取りつき点に戻ろうと東に進んだが、横切るであろう道形を見ぬまま水の溜まる沢筋まで降りた。その右岸側に踏み跡があり、伝って行くが上流に行くばかりで、途中から左岸に移り尾根に乗り上げた。ただ、後から地形図を見ると、そんな破線路になっている。あの道形が正規あの道だったよう。
本日最後のピークと向かって行くと、尾根上に巨岩が並ぶ場所が現れる。そこからの北側斜面は荒々しく見応えがあった。低い里山なのだが、標高1700mとか、そのあたりの山の様相だった。前に登っている滝戸山を探しつつ登るが、なにか周辺に同化していてはっきりと同定できなかった。そろそろ甲府側の景色を見るのも見納め。初冬の乾いた感じの甲府盆地をじっくりと眺め、なぜかつくづく日本は平和だと思ってしまった。それにしてもここの登りはこれまでになく勾配が強い。しばし忘れていた臀部の痛さがぶり返す。もう少し・・・。
千畳敷到着。これまであったのと同じ木片に山名が記されていた。山頂中央に境界標柱が埋められ、それを囲むように4本ほどのリボンが立木に縛られていた。ほとんどが落葉樹で陽射しが良く入ってきていた。コナラの木に背中をもたれかけ、持ち上げたあまころがしで喉を潤す。至極心地いい。あとは下るのみ。ただし一本尾根とは言いがたい少し複雑な進路のよう。地形図に破線が描かれているので、それにより目が騙されるが、その破線がなかったとしたら、何箇所か注意ポイントは見えてくる。中盤以降で緩やかに方角を変える辺りも気にせねばならない。あまりの心地よさに長居をしたくなったが、12時も近く下山の時間となった。
下降開始するが、何せ尾根が広い。すぐにコンパスを出して方位を定める。その向こうの景色を定めて追えばいいのだが、そうはしてみたが進路が定まらなかった。時折みどりのリボンが下がっていた。最初こそ追えたが、途中の肩の場所で早々に無くなった。西側に間違えても、トラバースする破線路があるはずで、それが保険でもあった。それにしても道形は皆無。よほど歩かれないのだろう。まあ千畳敷と言う山を知っているほうが少ないし、そうなるとあえて無名峰に登るようなことはされないだろう。道形が無くなるのは考えるまでもなかった。
時計の高度計と地形図とコンパスを随時見ながら、現地地形と照らし合わせる。途中の1168高点を巻くあたりも、間伐作業の跡がありひと気がするものの進路が全く判らなかった。少し西に巻きすぎて、東に修正するときに大きなザレた谷があり緊張して横切ったほど。道形を気にせず、ピークを通過したほうが判りやすかったよう。ここの南、1110mの肩からの進路はだだっ広く、本当にコンパスのみが頼りであった。何処かにコソッとは道形が出てくると思っていたが、全く見えてこなかった。それが見え出すのが痩せ尾根に入った辺りから。標高にして900mくらいから、やっとそれらしい九十九折が現れた。安心して従って行けたものの、気を抜くときには常に何かが起こる。
「砂防指定地」の真新しい標柱が途中に立っている。二つ目を見た先で、少し進路があやふやになる。そこに南西に進む道形がある。普通に進路と思い付いて行く。しかしこれは飯田沢に入る道形だった。昔なら問題なかったのだろうが、今はその沢の中に大きな堰堤が造られていた。眼下にそれを見て、ハッと思った。通過出来ない・・・。それでも調査のために降りてみる。流れやすい斜面にズリズリと足の裏を滑らしながらボーゲンをしているかのように降りて行く。
沢まで降りて左岸を巻くように堰堤を越える。ピンポイントでここしか通過できない。堰堤を越えると頭大の石を太い丸棒のフェンスで階段状に護岸工事された場所となる。足を置ける幅は200mmほど、ここを後ろ向きで降りて行く。幅がなく段差が大きいので谷側に押出されるような感じでもあった。安全通過ならザイルを出したい。そして沢まで残り8mほど、最後の難関が待っている。コンクリートで固められた、その下流側の岩の出ているところしか伝えない。幼木が3本ほどあるが、誰かが使ったのか既に根がグラグラになっていた。テンションはかけられない。間違いなく要ザイルの場所。滑落した場合も想定しつつ、岩のコバに靴先を引っ掛けながら、補助的に幼木を掴みつつゆっくりと降りて行く。降りながら、“尾根でこちらに入ってこなければ・・・”などと少し後悔した。でもその一方で、これらの障害は楽しいのは事実。無事に降り立つが、足許は注意しないと滑るし水が溜まっていた。
飯田沢の中に入り、大岩を伝って右岸に行く。するとフェンスが現れた。フェンスの向こうには畑が見える。西に進んでみたが、突破できるような場所がなく、再び沢側へ行き、沢に沿って少し下流に行くと門扉がありフェンスを越える事ができた。しかしここに来て再び野草の種に襲われる。放置された畑にはこれらが多く、畑を通るわけには行かないので必然的にそれらが在る場所を通らねばならなかった。そして小橋の上側に出るが高低差が7mほどあり下りられない。西にズレて、やっとコンクリート舗装路に乗った。そのまま西に集落内を進む。
途中途中には、急斜面に歩道が切られ下に向かっていた。私的な道のようで一本目はパスしたが、2本目を降りてみる。どうやら集落内の公道のようで、ショートカットの役目をして下の車道に出た。80mほど東に戻り、国道358号に乗る。ここは大型車や高速走行の車が往来し、歩道は無く路肩が少ないもので肝を冷す。しばし我慢で県道36号が分岐しており、そこが帰路となるのだが、嫌な事に「通行止め」と表示され警備員が立っていた。見ていると悉く車は警備員に跳ね返され、わき道から358の方に導かれていた。その警備員に声をかける。「歩行ならいいでしょ?」、すると「現場に聞いてみる」とトランシーバーを握った。やり取りをしている間に野草の種を叩き落し、3分ほど足踏みしたか「通っていいです」とゲートを開けてくれた。
車通りのない道は、本当に快適であった。芦川の流れを見ながら温かい日差しを浴びて歩いてゆく。通行止めにした工事個所は、たいした工事をしているわけではなく、道路が狭く停止と片側通行のやりくりがし辛い場所であり封鎖していると理解した。のんびりとした集落を眺めながら西に戻って行く。離村したのか生活感を残したままの空き家も多い。まあここにはコンビニも無ければスタンドも遠い。みな便利な場所へ動くのが本能となろう。ましてや、山に囲まれたここは日照時間も短い。そんな中でも住めば都で農耕民族、ちゃんと田んぼが在ったりする。生育に対する日照時間は大丈夫なのだろうか・・・。川沿いに見えるそれらに、大水の時は・・・とか気にしつつ眺めて通過していた。
15日より猟期に入った。それと判る服装をした人がこの地域にもちらほらと見えた。ただし、山中を歩いていても放った音は聞こえなかった。工事のトラックが何度も何度も往復している。その音のみで、集落は息を潜めているかのように静か。清流を眺めながら長いと思った36号も見慣れた景色になった。蛾ヶ岳を歩いた昨年の暮れも、ここを少し歩いている。長かった左岸歩きが右岸に変わると、しばしで先の方にじっと待っている車が見えてきた。
平面距離23キロほどあったよう。坦々としたとは違う、少しスパイスの効いたコース取りが出来たよう。本当は車道歩きの部分を自転車を使えばよかったと思うが、使わなくて結果的に良かった。自転車だったら通行止め区間を通過させてもらえなかったようにも思う。