蚕影山 625.5 m 旭山 842 m 達沢山 1358m
京戸山(現地名:ナットウ箱山) 1412.5m 京戸山(現地) 1430m 二本木山 1078 m
大沢山 1042m 茶臼山 948.3 m 蜂城山 738m
神領山 866 m 大久保山 664.4m
2014.1.3(金)
晴れ 単独 旭山登山口より反時計回りで周回 行動時間:8H2M
@水防倉庫6:18→(3M)→A旭山登山口6:21→(16M)→B蚕影山6:38→(26M)→C旭山三角点7:04〜06→(6M)→・旭山7:12→(30M)→D達沢山8:42〜44→(22M)→Eナットウ箱山(京戸山)9:06→(10M)→F京戸山9:16〜17→(2M)→G京戸山林道への下降点9:19→(21M)→H京戸川林道(京戸山登山口)9:40→(35M)→I二本木山10:15〜18→(22M)→J大沢山10:40〜41→(24M)→K茶臼山11:05〜10→(21M)→L茶臼山登山口11:31→(10M)→M砂防堰堤11:41→(48M)→N蜂城山12:29〜35→(37M)→O神領山13:12→(28M)→P大久保山13:40〜50→(10M)→Q西麓の車道に降り立つ14:00→(20M)→R水防倉庫に戻る14:20
@周辺は桃畑。適当な余地が無く、この公的場所の前(横)に停める。 | A旭山登山口。経路に道標は無く、判り辛い場所に在る。 | A半ば笹に埋もれた道標。 | B蚕影山 |
B大きな石碑 | C旭山三角点峰 | C一宮町の標識が立つ。842高点には何もなし。 | C四等点 |
1145高点通過 | D達沢山到着 | D山梨百名山の標柱 達筆標識は無くなっていた。 | 立沢地区への下降点 |
Eナットウ箱山(山名事典では京戸山) | E四等点 | F京戸山 1430m峰 | F標識 |
G京戸山林道への下降点 | 膝上ほどまで埋もれる積雪量 | 痩せ尾根を伝う | 途中には、広範囲にイノシシの土坑跡があった。 |
H京戸山林道に乗る。本来は手前に降りるべきを向こう側へ続く道を進んでしまった。道標なし。 | H登山口には黄色いゲートあり。 | 林道を進むと、最初にこのような分岐あり。車は通れない幅で下まで降りて行き、京戸山林道にぶつかる。 | 林道途中から見る二本木山 |
二本木山への取り付き点 | I二本木山東側 | I二本木山西側 | IKUMOのような標識がかかる。 |
途中に都立昭和高校のリボンが残る。 | 1012高点から見る大沢山 | J大沢山 | J手書き標柱 |
J図根点 | J茶臼山への道標 | 大沢山西側より見る北側。中間峰からの進路は西。伝いやすい北側に進んでしまい迷走。 | 茶臼山手前鞍部 |
K茶臼山 城址のような場所。 | K茶臼山の標識も熊に齧られている。 | K三等点 | K石碑 |
K水分集落への道標 | 尾根の様子 | 途中の小屋 | L茶臼山登山口 |
L登山口標識 |
左岸側の集落へ向かって行く。左の道を伝ってきて、鋭角に折れて行く。 | コンクリートの道形を伝っていった。写真のこの辺りから、蜂城山南側鞍部への道形があるようだが、判らなかった。 | M砂防堰堤を右に見て進む。 |
かなりの急登斜面。谷を一つ違えており、神領山へ突き上げている。伝っている時は気づいていなかった。 | 間違ったおかげでシカの角を拾う。 | 蜂城山南鞍部からの谷ルートは封鎖中で、伝わなくて正解だったよう。 | 鞍部にある道標。 |
N蜂城天神社の裏側に出る。 | N蜂城山からの展望。 | N達筆標識が、本殿の柱に・・・。 | O神領山 |
O神領山標識 | P大久保山到着。展望ピーク。 | P山名標識 | P四等点 |
P後に白根三山があるのだが・・・。 | P往路に伝った旭山への尾根(中央の一番黒い尾根) | P那賀都神社は2013年9月に改修されたばかりだった。 | P赤松は朽ちたのか切られてしまっていた。 |
Q登山道を伝わずに、南側に作業道を降りてみた。舗装路に出た場所。 | 中原橋を渡って、桃畑の中を縫うように戻って行く。 | R水防倉庫に戻る。 |
元日二日とじっとして過ごし、縮んだばねが伸びるが如くに飛び出す。久しぶりの量産体制。日に7座登る予定など、いつ以来となるか。「今年も頑張ろう」と言う気概を持って、笛吹市の里山を私らしいコース取りで大周回してみることとした。
コースは、旭山から達沢山経由京戸山へ至り、そこから北進して茶臼山まで進み、今度は水分地区へ降りて京戸川を渡って蜂城山から大久保山まで伝い戻ってくる計画。面白いように山が並び、歩ききれば達成感が得られるだろうと思えた。信州方面はいまひとつ天気がよろしくなく、やはりこの時季はより太平洋側が天気がいい。そこを踏まえての場所選びでもあった。
1:00棲家を出る。野辺山通過時はマイナス13℃まで冷え込んでいた。それでも路面に圧雪は無く走りやすい。これで行くと普通に八ヶ岳の主稜線はマイナス20℃くらいまで冷え込むだろうと思いつつハンドルを握っていた。韮崎に出て国道20号に乗るが、往路はスイスイ走れるものの復路の帰り道はいつも渋滞。そろそろ苦渋を舐めてばかりいないで、他のルートを見つけねばならないのだが・・・と毎回思っている。末木共撰所前交差点のセブンに寄ってヤキソバパンを仕入れてから303号に入って行く。
目指していた「ももの里温泉」はすぐに見つけられた。しかし深夜帯で旭山の登山口を探すのにはかなり難儀した。周囲のもも畑の中の道をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、狭い場所でユーターンしたり、個人の敷地に入ってしまったり・・・。なにせその場所を示す道標は経路に無く、自分で探し出すしかなかった。おおよその場所は判っているが、ピンポイントでそこに続く道が判らなかった。ほとんどローラー作戦で全ての道に入ってみる事にした。3時間ほどで着いているのだが、現地に入ってから登山口を探す時間が30分もかかり、やっとその場所に辿り着いた。月明かりでもあり、尾根筋が見えれば違うのだろうが、真っ暗の中ではかなりハードルが高い場所であった。しかし探し出せたのはいいが、第二関門が待っていた。適当な駐車余地が無いのだった。なにせ周囲はもも畑であり、農道と言える道は幅が狭い。路上駐車したら大いに迷惑をかける場所。もも畑に無断で停める無礼もできない。今度は駐車余地を探すのに右往左往。少し東に戻るように車道を登って行くと、笛吹市の水防倉庫があり、その敷地の脇にスペースを見つけた。公の土地としてはここくらいしかなく、他は私有地だった。
90分ほど仮眠して準備をし出す。既に6時を回り、やけにこの辺りでは鶏が鳴いていた。久しぶりのヘッドライト行動。それだけロングコースを歩いていないと言う事にも通じる。下界を見ると、甲府盆地の夜景が見事。毎日瞬く夜景が見られる立地がここであった。それを見下ろすようにスタートとなる。最初の分岐を左に曲がり、道なりに進んで行くとフェンスゲートが設けられた旭山登山口となる。ライトを当てると、そのフェンスの先の笹薮の中に行政の道標も見えていた。もう少し見える場所に建ててくれればと思うのは私だけではないだろう。
登山道に足を乗せてゆくのだが、よく踏まれた道ではなく、あまり管理もされていないような道で、塞いだり邪魔をしたりするものがちらほらと出てくる。すぐに小屋跡と思しき場所があり緩やかな道がしばらく続く。たまたまなのだが、ルートから北に逸れる場所に広見が見えたのでルートを逸れて進むと、そこが蚕影山であった。大ぶりな石碑もあり、一宮町の立派な標識も立っていた。立ち寄ってよかった。昼間なら良いが、暗くて素通りしてもおかしくない場所であった。
緩やかに高度を上げて行く。南東に進む道が屈曲して東進に変わる。相変わらず負荷の少ない緩やかな尾根で、快調に足を出してゆく。そして809.5高点に到達すると、予想外にも行政の標識はこのピークで「旭山」としていた。現地現称に従うと、842高点ではなくなってしまい地形図と異なる事になる。842高点にも標識はあるのだろうと考えてさらに足を進めてゆく。しかし842高点は何も無い通過点のようなピークで、気にしていなければ通過してしまう場所であった。先ほど標識があるだろうと思っていた事から、まだ旭山に着いていないと思って通過してしまったのだった。そして842高点の東側のピークに立ち、通過してしまっていることに気付いた。戻るのも勿体無いのでそのまま足を進める。
1016高点の西側では、地形図を見ると破線ルートが上がってきている。現地では、かなり深く掘れ落ち葉に埋もれた道が確認出来た。1145高点付近から雪を踏みしめるようになる。単独の方が往復した跡が残る。他に見えるのはシカのみ。堅い雪を踏みしめながら東進が続く。北側には後半に伝うだろう山々があるようだが、全く同定出来なかった。ポコポコと高みがあるが、それはそれとしてまず目指すは達沢山、目先の目標をコツコツとクリアーして行くのが私の登り方。到達し着いたらそこで次の目標を考える。臨機応変方登山とも言おうか。
積雪のおかげでだいぶ進度が落ちた。当初は達沢山まで2時間くらいで登ってやろうと思っていたが、2.5時間ほどかかりそう。喘ぎながら登って行くと、前方がやっと明るくなってきた。温かさを感じるその場所に急いで上がって行く。標柱が立ち、間違いなくピークと判る。その標柱は名前が掲げてある標柱で違和感を抱いたが、伝って来た尾根が裏ルートと言う事なのだろう。
達沢山到着。東側を向いて山梨百名山の標柱は立っていた。思ったより狭いピークで、大人数を受け入れられる場所ではなかった。天気は下り坂なのか、開けている南東側は暗い色の景色となっていた。伝って来た西側を見ると晴れている。ただしその向こう側には雪雲に覆われた白根三山があった。すぐに東側に降りて行く。こちらはかなり歩かれており、トレールとなっていた。大きく高度を下げてゆくと、そのトレールは途中から杉林の方へ降りて行っていた。ここが立沢地区への下降点のようであった。
再び登り返しとなり上がって行くと、ナットウ箱山に到着する。ここを山名事典では京戸山としている(笛吹市も)。四等点があり山頂らしい場所ではあるが、あまり展望の無い場所であった。ここから進み、次の1430m峰に京戸山の標識が揚がっていた。何処から北に進路を変えるのかと思ったら、少し東に下った場所に、熊に齧られた標識がしっかりと進路を示していた。しかし、ここから思った以上に雪が深くなった。山の北側で雪が溜まり易いのかとも思えた。そこへヘリの音がしてきた。西から東へ抜けて行く。後で知ったのだが、このヘリが富士山でのガイドの遭難に出動したヘリのようであった。何も知らずに機体を見上げながら尾根筋を降りて行く。膝上まで潜る場所もあり、こちらから登らずに良かったとさえ思えた。雪が緩いからか、イノシシの土坑の跡も多い。餌も多い場所なのか、あたり一面落ち葉や土が掘り起こされている。痩せ尾根を通過して、その先は少し掘れたような九十九折の道もある。そうこうしていると、時間にして30分ほどだろうか、先ほどのヘリが往路とは違うゆっくりとしたスピードで甲府側へ戻って行った。
林道が見えてきて、見える方(西側)に降りるのかと思ったが、尾根の最後は東側に下りる道が切られ、黄色いゲート前に降り立った。そこには京戸山への登山道を示す道標が立っていた。ここは三叉路分岐。ゲート側は違うとして、下に向かう南への道と、少し上り勾配の北への道がある。じつはここで、目の当たりにしている道が地形図に見えている道形だと思っており、迷わず北に進んでしまった。表記されていない道形だとは知らず・・・。霜柱の育った道を北に進んで行くと、左に尾根筋を置いて、どうにも地形図に合致しない。それもその筈、甲州市と笛吹市の市界上を伝っていたのだから・・・。途中でどうも先にあるのが1213.7三角点峰だと判り、調度そこに西へ下る林道を見つけ足を踏み入れる。林道と表記したが、今は「林道だった」としておこう。車は通れないほどに狭く、昔の峠道の様相のルートだった。倒木もあり、バイクも無理で徒歩利用限定と言える。下側が明るくなり、左からの道と合流する。ここが1083高点の北側の分岐で、道なりに西側へ進んでゆくと、その途中から顕著な二本木山が見える。周囲は伐採林の斜面。見通しはいい。大きな谷を間において、林道は遠回りするようにして二本木山へ寄って行く。そして林道が二本木山を南側に巻きだす場所から尾根に取り付く。ごく薄い踏み跡がある尾根道。
二本木山到着。東西に長いような山頂で、最初に東峰。こちらが最高点かと思ったが、西に行くと標識が揚がっていた。この標識が、至極KUMOに酷似しているもので、微笑ましく見えてしまった。今は無きKUMOの形状で懐かしさもあった。山頂から西に進んで行くと。その途中に「都立昭和高校女子」と書かれたリボンが見えた。高校山岳部もここのような藪ルートを選ぶよう。藪と言ってもかなり歩きやすいのだが・・・。1012高点に上がると、前方にこんもりとした大沢山が見えてくる。周辺からはちらほらとリボンが見え隠れする。迷いやすいのか・・・。中にQZW氏のものも残っていた。分岐点に着き右に折れるように進む。
大沢山。西側が植樹帯の山頂でかなり質素な場所。手書きの標柱が立ち、その横に図根点が埋まっていた。ありがたいことに茶臼山への道標も見える。以前はルートを開いたときもあったと言う事だろう。西に進んで行くと、池があるようにも見える平坦地がある。雪が白く残り、水溜りのようにさえ見えた。この付近から進路を注意したい。この先の950m峰から顕著な尾根を北に下ってしまった。進む先に見える景色が違うのでルートミスに気づき、急斜面を西に降りて獣道を伝い尾根筋の鞍部に辿り着く。鞍部にはなぜかいくつものマーキングがされていた。登り上げて行くと何となく城址を思わせる地形があった。
茶臼山到着。熊に齧られた標識が待っていた。三等点もいい風合いで立っていた。さらに昭和4年と刻まれた石碑もあった。里山のピークと言った感じが強い場所。石碑により地域の信仰を感じたりした。西に下って行く。快適な尾根道で、途中には小屋なども見えた。途中から南西に屈曲するが、ここにははっきりと道標あるわけではないが、道形があるので良く判る。下って行くと下の方に民家が見えてくる。麓ももうすぐ。九十九折が始まると登山口も近い。見えている下の広見に降りるのかと思ったら、最後は樹林帯を通過し、少し北側の場所に導かれ水分地区の車道に出た。
南を見ると橋が在り対岸へ渡って行ける。下流側に車道を降りて行くと、祠がある三叉路があり、そこから対岸へ向かう道に入って行く。周囲はもも畑。コンテナハウスで暮らすお宅など全3軒が見える。番犬に吠えられぬよう静かにコンクリート舗装路に足を乗せて進む。その道は、導くように南東側に進んでいった。本来は途中で西に入る谷を気にしていなければならないのを、足元の道形がはっきりしているので乗ったまま進んでいた。途中砂防堰堤を見てその先で道は途絶え踏み跡が谷を登って行った。これは谷一つ東で、本来は一つ西の谷に入らねばならなかった。
急登斜面を登って行くが、途中から道形は無くなり適当に登って行く。登れども登れども、尾根に乗り上げない。高度計を見ると、既に乗り上げる予定の鞍部の標高を超えている。ここで初めて谷違いを登っている事に気付き、トラバースするように北に向かう。それでも間違いのおかげ、人が入らない場所のおかげか、シカの角を拾う事ができた。マーキングの見える尾根に乗り、しばらく下って行く。150mほど高度を下げて、当初目指していた鞍部に到着。水分地区側を見下ろすと「行き止まり」と書かれたバリケードが見える。伝わなくて正解だったのかもとプラス思考にもってゆく。無駄足をした分、少し焦りながら登り返してゆく。
蜂城山山頂。見下ろす感じで赤い社殿が見える。裏口から登った形で、その表情を伺うように西側に出る。そこからは甲府盆地の素晴らしい展望があった。この時季にしても清々しい景色でセミの声が欲しくなったりする。神社を参拝をと向かって行くと、なんと社殿の柱に達筆標識が縫われていた。達筆もとうとう神の域に達したか・・・。柱の形に折り曲げられており、裏を覗くことはできなかった。来た道を戻って行く。先ほど通った見慣れた景色を逆戻り、途中にはトラバース道の入口があり今は封鎖してある。右に見てどんどん登って行く。すると大久保山と神領山との分岐表示があり、ここから25mほど東に進むと、静かな神領山に到着した。ここも派手さの無いマイナーピーク。分岐まで戻り西に進んで行く。
大久保山手前峰と言える東側の高みには、幾重にもタイガーロープが流されていた。地形が広く迷い易いとなろうか。緩やかに下ると、前方の南側斜面が明るく開ける。人為的に伐採された斜面があり、その一帯の最高峰が大久保山であった。山頂の枯れた景色の中に白く四等点が目立ち、山名表示もしっかりとされていた。“いつ出そうか、ここでもそぐわないなぁ”と思いつつもヤキソバパンを取り出し、本日最終座にて被写体になってもらう。南から南西側眼下にもも畑が広がる。その向こう側に往路の尾根が見える。これでぐるっと一周してきた形。腰を降ろし初めて大休止。地形図を見ながら、駐車余地に戻る迷路のコース取りを考えていた。
西に下り那賀都神社を参詣して行く。真新しい造り、それもそのはず前年度の10月に工事を終えたばかりでまだ二月ほどしか経過していないのだった。面白い造りで、元々あった祠を新しい社で守る形となっていた。市の天然記念物の赤松は、その社の後ろで伐採痕を残すのみの姿になっていた。西に降りて行く。当初はこのまま登山道を下る予定であったが、下りだしてすぐに作業道が南東側に分岐していた。これに興味を持ち伝ってみる。伐採斜面の中を緩やかな道で降りて行く。かなり下ったところで枝道が東側にあった。本道の方は西側に進んでおり、あまり西側に行くと登山道を伝ったのと大差なくなり、枝道の方へ入ってみる。するとこの道はその先の小谷の中に吸い込まれ、谷に沿うように降りて行き、入り口をフェンスで囲まれた階段の在る場所に出た。ちょっとここが厄介で、その獣よけのフェンスを車道側に体を出して巻き込まねばならない場所で、フェンスの支柱に掴まっての最後の危険箇所。これが終わりやっと舗装路の上に降り立った。
予定より上流に降り立ったので、ルート取りがかなり楽になった。大久保山登山口から普通に旭山登山口を結ぶと、村落内をかなりクネクネせねばならない。それがために地形図をこのもも畑の場所だけ拡大して用意してきたぐらい。それが上流位置からだと少し分岐箇所が緩和された形となった。まずは下に下りたいがここが肝心、上流に進み橋を渡って行く。その先でさらにもう一つ中原橋を渡る。渡りきったら道なりに北西に下って進み、その先のT字路を左折(西)する。付近ではモモの剪定をする人の姿が見られる。挨拶をしつつ進んで行く。田舎なので両極端、人懐こい人と警戒する人・・・。次のT字路は東に上り、その先で出合う変則四差路では南に進む一番太い道を選ぶ。ここを進んで行くと東西に長い直線道路に出る。ここを跨ぐようにコンクリート舗装路に入って行く。この先はブドウ畑。まだ実を残しているものもあり、少し拝借。そしてその甘くおいしい事。完熟もいいところで、本来はここまでして食べると美味しいと感じた。周囲にはいろんな種類のぶどうが生っていた。干しぶどう一直線のようで勿体無いが、少ししわがれて商品になりようもない。シニアカーが置かれおばあちゃんが剪定する姿もここにあった。
集落内に出て、もうこの付近は深夜に迷って通過した場所であり現在地が判り得た。全ての行動に無駄はなく、迷った恩恵がここで感じられた。正月の三箇日、周囲の家々では親子揃っての姿が多く見かけられる。正月らしい風景。そんな中に50羽ほど鶏を放し飼いにしている場所が見えた。早朝に鳴いていたのはここであった。そうこうしていると前の方に水防倉庫が見えてきた。10時間ほどを予想していたが、8時間ほどで周回完了。満足のゆく楽しいコース取りが出来た。