叶の高手    1430m           会津朝日岳    1624.3m            

 
   2015.7.18(土)    


 雨    単独       赤谷沢登山口より    行動時間:5H37M 


@登山口5:41→(40M)→A三吉ミチギ6:21→(55M)→B叶の高手7:16→(26M)→C熊の平(避難小屋)7:42〜55→(32M)→D会津朝日岳8:27〜9:09→(22M)→E避難小屋帰り9:31→(26M)→F叶の高手帰り9:57→(42M)→G三吉ミチギ帰り10:39→(39M)→H登山口11:18


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@登山口まで車を入れる。手前には有料駐車場がある。その間は、やや掘れた場所があり一般車両はフロントを擦る場所がある。 新しい木橋を渡る。 この小沢にも新しい木橋。 しっかり拓いてあるのかと思ったが、モシャモシャしている場所が続く。
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赤倉沢はまだまだ雪渓が残る。上流側より撮影。 沢の徒渉点。先行する広島からの猛者を追う。 沢の横を行く。 A三吉ミチギ。流量は十分あり冷たく美味しい。
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足場の悪い場所はタイガーロープが流してある。 急登を終えると目指す本峰の山塊が見えてくる。 B叶の高手は展望の無いピーク。 B一帯のウエイポイントは、この標柱が示す。
ookuirobe.jpg  turione.jpg  kumanotaira.jpg  hinangoya.jpg 
大クロベ。見事!! 吊尾根を行く。 C熊の平。上側より撮影。 C避難小屋
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C内部はやや暗い感じの場所。土間のスペースの広い造り。 ガリー形状の場所が続く。ロープもあるが、千切れた場所も散見できた。 直下にはまだ雪も残る。この付近が小幽沢カッチなのか・・・。 狭稜に乗る。南は切れ落ちている。
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ここが山塊の最高所。西にズレて三角点ポイントを目指す。 D会津朝日岳到着。 D三等点 D立体形の同定盤。
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D長須が玉を狙おうと思っていたが、岩稜帯と雨にここまでとする。 D北側の景色。雲海の垂れ込みようが、そのまま自然美。 D久しぶりにヤキソバパンを持ち上げた。 D河内晩柑を猛者と分かち合い・・・。
shitagawa.jpg koyakaeri.jpg  turionekara.jpg  kanounotakatekaeri.jpg 
降りて行くガリー。 E避難小屋帰り 吊尾根を戻る。 E叶の高手帰り。
kaiteki.jpg mizubakaeri.jpg  akakurazawanagare.jpg  nadarekon2.jpg 
快適尾根を戻る。 F三吉ミチギ帰り。 赤倉川を埋める雪崩れ跡。黒く土が乗っている。 雪崩れ場所の向かい側の植林帯は、このとおり。「ほう雪崩れ」の勉強が出来る場所。
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木橋を渡れば駐車場。 G駐車場到着。この悪天に好事家が二人・・・。 こちらは有料駐車場。間違いなく停め易いのはこちら。 経路の堰堤上の林道。舗装したてな雰囲気がある。




 海の日を含めた3連休、またあの場所にトライしようと考えていたのだが、11号台風に伴った雨が「行くな」と言っているようで、徒渉の心配が発生したので計画は中止にした。ここでは自然との遊びは自然に従う。そしてどこに行こうか悩んでいる中、4年ぶりに入山規制が解除された情報に目が留まった。その山は秀峰会津朝日岳。雨予報の天気の中、高すぎず標高も適当であり、暑すぎず寒すぎずの場所と判断した。

 
 2:00家を出る。関越道を小出まで乗ってR252を六十里越トンネルで南会津に入ってゆく。R289に分岐し万歳橋手前の堰堤の上を黒谷川沿いに行く。白沢集落の所から、道標に従い白沢沿いに行く。ここが4年前に豪雨により決壊した場所のようで、真新しい堰堤の上に林道が切られていた。その距離はかなり長い。すれ違いが出来る箇所が乏しく、さらには野草が左右から茂り、対向車がいたら嫌な通過点となっていた。そして夜の通過も躊躇するほどにモシャモシャとしていた。

 
 白沢の先が沼の沢となり、そこに西から流れ入るのが赤倉沢。ここから右に赤倉沢側に進む林道に入るが、かなり道標が小さくよく見ないと判読できない。この場所が休業中の「いわなの里」で、それらしい建物が見えていた。そしてここには、登山者用だろう広い有料駐車場が設けられていた。停めようかと思ったが、まだ先に行けるようで突っ込んでゆく。しかし突っ込んだことを後悔させるように、底を摺りながらのダート走行になった。間違いなく低車高の車は入らない方がいい。

 
 行きついた先には広島ナンバーの車があり、男性が入山届を書いているところであった。こんな雨の日に入山し、ましてや遠くからのハイカーとなると、よほどの猛者で間違いない。停車しすぐに声をかけると、想定どおり口数は少ない。相手もこちらを品定めしているのが判る。そこに「釣りですか?」と短く質問され、「山です」と返す。「こんにちは」以外に交わした言葉はこれだけであった。私の足元には長靴が履かれていたので御仁がそう言ったのだが、少ない言葉に、より魅力を感じてしまうのだった。御仁は先に出発してゆく。

 
 先行者に遅れて3分ほど経過したか、雨具を纏って出発する。すぐに木橋がある。真新し風合いがあるが、こんな場所でもバランスの悪い人は落ちてしまうだろう幅で作られていた。左岸側は林道幅で道形が続き、しばしで野草が覆う道になった。これだと、晴れた日でも早朝などは雨具を着ないと濡れてしまうだろうルートであった。こちらを拓くまでに、まだ手が回っていないと言う事だろう。赤倉沢の中には多くの雪が残る。これだけ暑い中で、まだ融けていないとは、よほど堆積していたことが見えてくる。赤倉沢の中はそこからの冷気でガスが垂れ込めたようになっていた。

 
 小沢を数本跨ぎ進むと、先の方に赤い雨具の先行している御仁が見えた。すぐに追いつくかと思ったが、ギヤを入れ替え先行してゆくようだ。こちらも速いわけではないが遅いわけでもなく、ロックオン状態で追い上げてゆく。しかし追いつかない。よほど歩いている方だと判る。ほとんど立ち止まることなく、休憩しない歩行からもそれが判る。流れのある場所での岩場の足取りも軽く、それでいながらストックさえ持たない様子は、IAS氏の歩きを見ているようであった。

 
 三吉ミチギは、手前の流れの場所かと思っていたが、ちゃんと標識の出ている湧出地であった。そこからの九十九折は急登気味で、コース内での我慢の場所。先行してゆく御仁の鈴の音も、消えたり聞こえたりと九十九を切っていた。この急登が終えると、前方に目指す会津朝日岳の山塊が初めて見えてくる。この先には叶の高手と言うピークがあり、地形図からは顕著な峰と判断でき、そこからの展望を楽しみにしていた。もう少し、先行している御仁の背もすぐ近くになり、到達したら休憩しようかと思っていた。

 
 叶の高手到着。プラスチックの杭がその場所を示していた。しかし二つの想定外となった。展望はよくは無く、休憩するかと思っていた御仁は普通に通過して行った。これは・・・ますます猛者に思えてきた。ウエイポイントになり得る場所をも通過し、ワンピッチでここまで歩き続ける方はあまりいないだろう。クロベの大木を見ながら降りてゆく。急下降の後に吊り尾根があり、ここの通過は目指す本峰側が良く見えて心地いい。雨は止むでもなく強く降るでもなく、煮え切らない降り方で断続的に続いていた。

 地形が平坦になり泥濘地が出てくる。熊の平なのだろうが、これまで続いていた各ウエイポイントに在った様な標柱が見えない。ここで先行していた御仁と前後が入れ替わる。元々標柱が無いのかと思い登りにかかると、少し登った場所に熊の平の標柱があった。その場所は最低鞍部ではなく、棚的場所をそう呼ぶらしい。すぐ先に分岐箇所があり、ルートを逸れて枝道の方へ行く。

 
 青いトタン構造の避難小屋が在った。恐る恐る中に入ってゆく。中から何か出てきそうな、そんな不安を抱くような形状だった。窓はあるものの目が内部の暗さに慣れるまでわずかに時間がかかる小屋であった。するとすぐに御仁がやってきて休憩に入った。会話すると、山の酸いも甘いもよく知ったベテランハイカーだった。この夏は南会津を集中的に登るようで、面白そうな場所をプロットして臨機応変に山旅をして移動していると言う。前日は浅草岳を目指したが、稜線の強風に引き返したとの事。この判断ができるのもベテランで間違いない。長く続けている背景には、これらの判断があるからだろう。小休止の予定がやや長くなり、御仁を残して先行する。

 
 小屋から先に進むと流れのある場所も出てくる。これが小幽沢カッチとなろうか、すぐ上の方には残雪が残る場所もあった。直登するガリーの中を登ってゆく。時々ちぎれたタイガーロープが丸まっていた。ここの整備もこれからのよう。道の在処が不明になるが、時々赤ペンキが示していた。登り上げると狭稜の刃の上で、南からの吹き上げの風で、少しフラッとするほどであった。西にズレて行くと、まず最高所があり、さらにルートは西に行く。見るからに標高を落としてゆく形で、ここは最高所で標高をとっていない場所と思えた(高度計を見なかったので判然とせず)。稜線の北側をトラバースするようなルートを進むと、それらしい空間が現れてきた。

 
 会津朝日岳登頂。そのまま長須が玉まで狙おうと思って来たが、そこまでの経路半分は岩場の連続のようで、ハッキリとそれが見えている。雨でもありここまでとした。北側には雲海が山を隠さぬように広がり、山の多さをこれでもかと見せてくれていた。雨は依然降り続く。そこに広島の御仁到着。ここからいろんな山談義。河内晩柑を差し上げると、久しぶりのフルーツと喜ばれていた。某有名大学ワンゲル(大正15年発足)出身で、ブランク年月が全くなく40年以上継続して山登りをしていると言う。全国区の話、人の話、書物の話、どのカテゴリーにも話が出来、話していて楽しい限りであった。雨が降り続く中、それを厭わない会話は、日崎山の上でSK氏と話していた時のような感じであり、あの日も足が揃った登行。今日もまた別行動同士ではあるが、そんな中でも足は揃っていた。その面でも心地いい登頂となっていた。

 話が弾んだおかげで休憩十分で下山となる。ここからは同行の形で会話をしながら降りて行く。ガリーの場所では体力よりバランスが悪くなった話をされていた。時折スリップする音が聞こえるが、次の対応が的確で一定距離を保ったまま降りて来ていた。下界を見ながらのここでの下降は心地いい。熊の平から吊尾根、そして叶の高手も通過して行く。ここからの下りは少し木々が邪魔をする。私が木を掴みつつ後続の為に保持していると、「藪屋ですね」と見透かされる。藪をやっている人は後続を気遣いそのように行動すると・・・。私も御仁を見ていたが、御仁もまた私を見ていたのである。

 三吉ミチギで喉を潤し、二人闊歩しながら沢沿いを降りて行く。御仁は丹沢に良く入ったらしく、往時は全くヒルなど居なかった話をされていた。今の私は、この時季の丹沢には全く足が向かない。これらの話になると、猟師の存在は重要になる。ヒルの生息エリア拡大は温暖化とシカの過繁殖からだろうと思うから。

 雪渓の見える場所で、御仁が左の山手側のスギの倒木を指して「雪崩だねー」と言った。私一人では見過ごしていた場所となるが、赤倉沢には雪渓が残り、右岸の東側斜面は切り立っている。吉村昭さんの高熱隧道に書かれているように、ここでも「ほう雪崩れ」があったようで、その爆風でスギがなぎ倒されたのであった。それを学ぶのにちょうどいい見学場所であった。左岸側のスギは、谷側ではなく山手側に全て倒れている。雪の重みで倒れたのではなく、東からの爆風と判るのだった。

 最後の木橋を渡り駐車場の到着。猛者氏のおかげで山歩き+アルファで楽しませていただいた。そのお礼を言ってここで分かれる。翌日は届かなかった浅草岳にリベンジとのこと。この目的に対しての執着心も大事であろう。そうそう、西上州の高岩にも登っていると言っていた。広島在住の登山者で、ここまでマイナーな場所を登っているとは驚きであった。まだまだ知らない猛者がおり、上には上が居ると知ることになった。

 振り返る。四駆であれば問題なく登山口まで入れられるが、一般車で底を擦ることを嫌う人は、いわなの里に停めた方がいいだろう。ルートは少しモシャモシャしているので、「濡れる」事に対しての対策は必要となろう。水は経路で得られるので用意せずともいい場所。整備されたあとで不謹慎な発言になってしまうが、また豪雨により林道が荒れることも予想できる。通行できるうちに早めに出かけるのがいいかも。
 

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