城山    876m           穴倉山    1365.3m            

 
   2015.8.29(土)    


 雨    単独       城山から穴倉山に抜け登山道を下る。    行動時間:3H15M 


@墓地入口5:39→(4M)→A御社宮司社址5:43〜44→(10M)→B三角点5:54→(6M)→C城山5:57〜6:00→(22M)→D林道を跨ぐ(26番千手観音)6:22→(90M)→E穴倉山7:52〜57→(23M)→F秋葉神社8:20→(7M)→G穴倉山登山口8:27→(27M)→H墓地入口8:54


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@駐車余地がある。これらは墓地の参拝者用のもののよう。ここから入山。 A水平道を行くと御社宮司社址前に出る。 A城山への登山口道標もあり、ストックも常備。 A石碑
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途中のヶ峰観音堂。 観音堂横の石仏群が圧巻。 七まがりの場所の石仏群。 B途中の四等点の場所は休憩所。
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B四等点から下界。 C城山 C龍ヶ崎城址 C山頂から辰野町。
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C竪堀など堀切が多く、起伏した尾根筋。 北も起伏が多く、山頂からの下りにはロープが流してあった。 状態のいい尾根道。 巡視路が途中で合流し、さらに状態が良くなる。
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鉄塔の場所は南を巻いて進む。 尾根上にあった12番千手観音。 D林道を跨ぐ。最初、左に進んでみる。途中から取り付けそうな場所はなかった。 D26番千手観音が立つ。
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林道を跨いだすぐ上の場所に山の神らしき祠がある。 尾根上がモシャモシャしてきたら、赤松の方へ逃げた。 途中の共同アンテナ。 1133高点の場所。
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暫くは優しい藪が続く。 が、途中からこのようになり、その先でかなり密になってくる。 途中のピークに石碑が立っていた。南を向いているので、小横川地区の人が立てたのだろう。明治のもの。 D穴倉山。山頂はかなりモシャモシャだった。登山道が何処にあるのか探してしまう。
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D三角点は草に埋もれ。 E分けると三等点。 E山頂の石碑・石像群。 Eヤキソバパン入手。
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E下山側の様子。登山道が見えなかった・・・。 登山道に乗ってしまえば快適な一本道。道沿いの石碑が多い。 F秋葉社もしくは秋葉神社。写真中央右の歯抜けの所にあった石碑が落ちていたので直しておいた。30kgほどあった。 鳥居が目立つ。
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G登山口に降り立つ。駐車余地は4台ほどか。 G入山の注意と、入山禁止期間が掲げられている。 近くに水源地があり、沢から水が得られる。 車道に出る。雨の中、消防訓練があり隊員が行き来していた。
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H駐車余地に戻る。       




 逃れようのない雨の土曜日、金曜日から降り続き、季節柄の秋雨らしい天候となった。まず思考の最優先として、前週のヒルの出現に、可能性のあるエリアは避ける。次に久しぶりに藪漕ぎの場所も加えたい。濡れ鼠になるのは予想の上であり、あまり長い距離も避けよう。そんな探し方をしていたら、辰野町の穴倉山が目に留まった。タイミングがいいことに9月より入山禁止期間に入ると言う。滑り込みセーフとはこのことで、お膳立てされた場所とも思えた。

 
 1:00家を出る。和田山峠を越えて諏訪に降り、中央道に沿うようにして辰野町に入る。今日のアプローチは優しく、主要道から奥地に入らずとも入山口に辿り着ける。小横川入口交差点から小横川地区に向かって入ってゆく。進む右側に城山があり、どこかに斜面に取りつく場所があるはず。それが地形図に破線で示されている。しかし気にしていたが見いだせずに奥へと走ってしまう。
Uターンしてさらにゆっくりと斜面に目を這わせてゆくと、何の事は無い、墓地から僅かに進んだ先に刈り払いのされた道形が在った。その向かいにはちょうどいい駐車余地もあった。

 
 予報は小雨だったがやや強い雨が降り続いていた。最近ヘッドライトで歩いていない事を気にしながらも、それでも今日も夜明けを待った。でもここではその判断は正解であった。答えは歩き出せば判る。仮眠中を含め、90分ほどの間に一台も車は通過しないほどの静けさだった。雨具を着こみ、今日はレインキャップまで被る。

 
 歩き出すと、そこからの山手側斜面にはお墓が続いていた。明るくなって歩き出すので正解の場所であった。枝道も多く本道を迷うような場所もあるが、高度を変えずに横ズレしてゆく道を伝う。すると広い草地の前に出た。そこは御社宮司社址とのことで解説文が掲げられていた。城山側には登山道を示す道標もあり、ストックも常備されていた。もう一つ、「山の越道」なる表示があったが、勉強不足で何を指しているのかが判らなかった。

 
 九十九折を登って行くとすぐに建物が見えてくる。龍ヶ峰観音堂と解説があり、凄いのはその横に並ぶ石仏の数。強い信仰心を感じたりする。さらに進むと「七まがり」の石仏群も待っていた。ここまでに濃すぎるほどの出迎えがあった。途中の三角点の場所にはベンチが設けられていた。その場所から麓を望むと、アカマツ越しに悪くない景色が見られた。既にこの辺りで城址の雰囲気のある場所に来ていた。城址と言っても山城な雰囲気の場所で、堀切や竪堀が現れ、それらを跨いで進んで行く。

 
 城山山頂。龍ヶ峰城址の標柱が立つ以外は人工物は無かった。見晴らしのいい場所で伊那谷側が広く見えていた。併せて、この山旅の後に登る予定の鶴ヶ峰側も見ておく。山頂の北側にも、まあ当然だが竪堀が続いていた。そこへの降り口は不明瞭で、西寄りの場所にロープを流した急下降する場所があった。そこからはしばらく尾根伝いに進む。意外と状態のいい道が続き、途中から巡視路も合わさり、さらに歩き易くなった。この先、線香花火のように広がる破線路があるようだが、現地ではなんとなく存在は判るが、クッキリとは判らなかった。

 
 送電線鉄塔の場所は西側を撒いて進む道を辿る。この場所から僅かに北に進むと、尾根上に十二番千手観音が立っていた。この尾根も古の道なのか、頭を垂れつつ前を通過してゆく。快適なまま進んで行くと、林道が尾根を跨ぐ。そこに二十六番千手観音が立っていた。尾根伝いが進路であるが、林道を小横川地区側に入ってみる。状態のいい林道が先に続いていた。三分ほど進んで踵を返す。

 
 林道と尾根道の交差点から尾根を登ると、小さな祠が待っていた。山の神だとは思うが、この小さな神様にも頭を垂れてゆく。ここからしばらくは程よい藪尾根の様相で、下草の薄い中をわずかに分けつつ進むような場所であった。藪山入門にはちょうど良い場所などと思っていた。しかし・・・。

 
 1133高点にはブルーのリボンが縛られていた。ここから西に向かうと、だんだんと、徐々に、進むに連れて藪が濃くなってゆき、倒木なども重なり密な藪になった。楽に感じていた先ほどと変わり、少しギヤを入れ替えて分けてゆく。潜るように進み、何度も雨具のフードをはぎ取られる。ここまでの場所か、続くと思っていた石仏は二十六番を最後に見る事は無かった。

 
 ちょうど屈曲するあたりか、石碑の立つ無名峰を通過する。裏側を通過する形で、「明治」の刻みが見える。表側は南を向いているので、小横川地区の人が設置したと思えた。ここを通過すると、また道形が強く見え出してくる。そろそろかと思いつつその道形を拾いながら上がって行く。雨は依然止まず、垂れ込めたガスは相変わらず視界の邪魔をしていた。

 穴倉山登頂。登山道のある場所であり、もう少しスッキリした山頂かと思っていたが、これまでの藪尾根の延長線上なかんじでモシャモシャとした場所であった。山頂標識も野草に埋もれた感じで目立たない。三角点もまた同じで、気にして探さないと見えてこないものだった。南に進むと、ここもまた石碑や石仏が並び、信仰の場所と判る。ガスが取れれば展望のいい場所と思えるが、この天気を判ってここを選んだのでありしょうがない。ここに到達すれば登山道が見えてくると思っていたが、目に入らないので少々焦る。南に進むと、それらしい筋が見え、これしかないと判断し休憩に入る。雨具が身体に張り付き、寒さもあって温泉が恋しくなる。登頂したら温泉の事を考え出す思考はいつも同じ。ヤキソバパンを食べたら下山に入る。

 伝う登山道脇には、いくつもの石碑が見えた。見慣れない文字が刻まれている物もあり、この地域の特異な信仰なのかと見ていた。ほぼ一直線に進む道で、そこを行くと途中右下に社が見えてくる。ルートは無視するように進む感じだが、そこにある止山用のロープを無視してその方向へ行く。社の中を覗くと「秋葉神」と読み取れた。秋葉社または秋葉神社となろう。社から下ると、ここにも石碑がずらりと並んでいた。その一つが倒れ落ちていた。一つだけ落ちており、他の神様に対し仲間はずれのように見え、30kgはあろうかという重さの石碑を根性で持ち上げる。その重さを体験し、昔の人の信心深さを身をもって体験した。“こんな重い石を麓から・・・”と。

 鳥居を経て九十九折をして行くと、下に林道が見えてくる。林道から枝林道に分岐し、この登山道に入るような複雑さはあるが、しっかり道標がされていた。この場所には入山規制の月日表示があり、公的に明示してある場所も珍しいと思えた。東に戻って行くと、小横川地区の水源地だろう場所があり、大量の水が升からオーバーフローしていた。入山時には水を得やすい場所かと思えた。続く道は細く、軽四向きな林道だった。見える左右の畑は荒廃し、竹林も管理されず荒れ放題の場所が目立つ。ここも高齢化なのだろう。

 林道から本道に出ると、消防隊員が雨の中軽トラに乗って移動して行った。大水でも出たのかと思ったが、先の廃校跡地で訓練をされていた。日が上がると行き交う車も多く、路側帯がない場所もあり気にしつつ歩いてゆく。獣が多いのか、付近の田んぼや畑は電気柵が張り巡らされている。ここまでしないと農業が出来ないとは、里山の荒廃を何とかしないとどんどん動物が降りて来てしまう、それこそいたちごっこになってしまう。先の方に入山口が見えてくる。到着。

 往来があるので素っ裸になるには場所が悪かったが、一時の恥と決行する。そしてスッキリして次の大城山へ向かう。



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