田代山 1351.2m
浅松山 1291m
2015.9.26(土)
くもり 単独 林道太郎線途中から 行動時間:4H12M
@林道太郎線988高点西6:02→(42M)→A浅松山廃登山道入口6:44→(20M)→B東屋7:04→(5M)→C林道を離れる7:09→(27M)→D登山道を離れる(田代山へ)7:36→(20M)→E田代山7:56〜8:20→(15M)→F登山道に戻る8:35→(24M)→G林道に戻る8:59→(19M)→H浅松山9:18〜20→(14M)→I林道に出る(廃登山口)9:34→(40M)→J駐車余地10:14
太郎地区最終民家脇より林道。普通車は最初がかなり厳しい。70mほど進むと太郎線の解説が右にある。No.99の場所。 | @駐車余地からスタート。駐車余地までに4箇所ほど崩落地帯があり、時間をかけて石を退かして登ってきた。 | 鋭利な落石が多い。 | 988高点北側の崩落 |
下山コース分岐点。 | A写真中央に浅松山への廃登山道があるが、同化して判らない。 | ウルトラトレイルの番号表示が続く。 | 林道から浅松山山頂側を見上げる。 |
B東屋。林道の状態が悪いのでほとんど利用される事は無いのだろう。 | C林道から山道に入る。ウルトラトレイルの道標に従う。ここは林道側が塞がれている。 | 快適な道。 | クリスマスツリーのよう。 |
牧場でも在ったのか、堤がいくつも見られた。 | D登山道を離れて笹薮に入り田代山を目指す。 | 胸ほどの笹を分けて進む。前日の雨を纏っており進度が落ちる。 | クリタケが出ており、少々頂戴する。 |
E田代山到着 | E達筆標識が待っていた。 | E藪山にこれほどに似合う食べ物は無いのでは(笑)。 | F登山道に戻る。 |
G林道に戻る。 | 途中でヤマグリを拾う。小さいが渋みが少なく生で食べられおやつ代わり。 | 東屋の内部。東屋の西側から羽音がしていた。蜂の巣が在るよう。 | 途中で浅松山へ取り付く。 |
浅松山東側鞍部。 | H浅松山ではG標が待っていた。 | H朽ちた標識。 | H標識の基部には、「浅松山頂上」と記されている。 |
H浅松山全景。 | H西に僅かに下ると主図根点が埋まっていた。 | やたらと幅の広い廃登山道。巾6mほどあり、両側に堤がある。 | 途中落ちていた標識。 |
この朽ちた標識は、「休憩所」と何とか読めた。 | I林道に出る。 | 神々しい!! こんな自然との出逢いが嬉しい。 | J駐車余地に戻る。 |
シルバーウイークを遊び、なか2日でまた週末を迎え遊ばねばならない。「ねばならない」とはおかしな表現であり、受動的な印象を受けるので適切な表現ではないのは確か。「遊べるチャンスがまたやってきたので、いつものように遊ぶ」って言うのが自然。少し羽を伸ばして遊んだので、インターバル的に県内の山で遊ぶこととし、川場村の田代山と浅松山に行く事にした。ここは1998年と2000年の、群馬山岳移動通信での山行記録で古くから学ばせてもらっていた場所で、いつ行こうかと寝かせに寝かせ温めていた場所でもあった。
「上州武尊山スカイビュー・ウルトラトレイル」が、つい最近の7月に行われた。あの有名な「山田昇記念杯登山競争大会」がこの名称になったようだが、この時に今回の2座もコースに入れられ、管理区域内になったよう。この事からすると、少なからずルートの整備がされたと判断できる。既に終わったレースなので、報告が読めるのだが、そこからは旧登山道が少し刈り払いされ通れるようになったよう。とは言え2座の頂上を目指すにはまだ藪が待っているようだが、レースのおかげでアプローチがしやすくなったのは間違いないよう。
1:30家を出る。しとしとと細かい雨が降り続いていた。セブンでヤキソバパンを仕入れ、ホットコーヒーをすすりながら現地へ向かって行く。沼田地内に入っても降り続いたままで、暗く濡れた林道を嫌い明るくなってから入ろうと作戦が決まってくる。川場村太郎地区に到着し、分岐点より少し登り土木関係の広見がある場所で夜明けまで仮眠を入れる。車通りは少なく、2時間ほどで2台が通過して行った。新聞配達だろう。
夜が明け動き出す。太郎地区の狭い道に入ってゆく。薄根川を狭い橋で渡ると、こちらにも民家がある。道なりに進むと野草が茂り先が見えないほどになっていた。“こんな場所を進むはずがない”と手前の分岐までバックし、橋から真っ直ぐ進む道に入る。これまた狭い道で、進んだ先で電気柵が林道を封鎖していて進めなくなった。スマホを立ち上げ地形図上の現在地を確認すると、林道は先ほどの場所で間違いはなかった。バックするにもややこしい狭さの所を戻り、野草の茂る林道に進む。
軽トラかジムニーか、四駆で地上高のある車両でないと進むには厳しい状態になっていた。トレイル大会開催した後にしては、ここは不思議であった。そのモシャモシャの中を、きわめて最低地上高の低い車で進んで行く。何とも言えない聴いたことの無いような音が下部からしていた。「止めてくれ、痛いじゃないか」そんな車からの悲鳴だったようにも思う。少し進むとログ調の納屋があり、その道向かいに林道太郎線の案内板が掲示されていた。この付近もやや荒れた感じで、先に進むのが心細くなる。それでも突っ込んで行くが、トルクの薄い車両はドキドキする。少し先の勾配のある場所はコンクリート舗装され、そこを過ぎるとダートだが状態のいい林道になった。しかし・・・。
林道が長いのは判っており、それがために無理してでも突っ込みたい気持ちが強かった。半信半疑な気持ちで林道を詰めてゆく。入って2分もしないうちに、スギの倒木が林道を塞いでいた。ここまでか、もう戻ろう、そんなふうに思って一度外に出る。直径200mm程、長さは8mほどあった。動くだろうか・・・。楽をしたい根性なしは、こんな時に火事場の馬鹿力が出る。ちょっとずつ動かし、なんとか通れる幅を確保できた。おかげで手がドロドロになり、こちらを拭う方が時間をとられ大変であった。障害はこれだけではなかった。
状態のいい場所もあれば悪い場所もあり、時折石が腹を吸ってその音にびっくりする。「いてててて」そんな音だった。そのほかに枝が落ちており、それを踏んでしまい、腹を叩く事も多かった。この辺りは可愛いが、進む先で鋭利な岩がごろごろと落ちている崩落地が現れた。ここを過ぎれば・・・と時間をかけて退かし通過する。しかし乗ってすぐにまた新たな崩落地となる。ほとんどいたちごっこ。四駆の車高でも通過できないだろう大きなものが多く、足でけりつつ何十個と退かしてゆく。計4回こんなことをして林道を登っていた。
50m先余地ありの標識が見え、その先からコンクリート舗装路が続く。それが途切れた先が泥濘地形で、そこに入った途端ハンドルとは別にタイヤが明後日の方向に行きたがりドキッとする。その先のカーブに木材を積み上げた場所がありその前を通過してゆくと、道が掘れており普通車ではかなり厳しい場所となった。ここでやっと諦める。戻るには先ほどの泥濘地形が待っている。木材の積み上げられた横でUターンし、勢いをつけてから泥濘地を滑るかのように通過してゆく。結局、余地の場所に車を入れた。
雨具を着こみ準備をする。靴下を履きながら地面をふと見ると、燻った色になっているが見覚えのある丸い形が見えた。500円玉だった。前週に続き、どういう事かお金に縁がある。出発してゆく。木材を積み上げた先に行くと、麓側がスパンと崩落している場所もあった。当分直さないであろうが、そのうちに林道の下まで抉れてしまうのではないだろうかと見えた。988高点からの尾根を巻き込む場所では、ここも鋭利な岩が落ちてきていた。崩落があったのはここまでで、この先のルートは意外と安定していた。
歩き出して30分ほどで「下山コース」の道標が見えた。地形図の破線通りに今でも道が在るよう。見下ろすとハッキリと判る尾根道が続いていた。クネクネと進んで行くと、そろそろ浅松山への取付き点であり、破線が林道から分かれる場所。しかしそこには登山道とハッキリ判る道形も無ければ道標も無かった。伝おうかと思っていたが、こんな状態ならと最短距離で狙うべく林道を行く。ガスの垂れ込めた中だが、少し晴れてきて谷側の展望が開けるようになってきた。スカイビュートレイルの名前があるわけであり、相応の景色があるだろうと思っていた場所、たしかに雰囲気はそうらしいがまだスッキリとは見させてもらっていない。そのトレイルの106番地点付近から取りつこうと思ったのだが、林道は緩やかだがまだ登って行く。これなら一番高い場所から取付こうという判断になって先に進む。
浅松山を北から巻き込んでもなお林道は緩やかに登っていた。これで林道と浅松山の関係は全て見えたことになり、無駄の無いようにと復路に縦走して通過する事とした。その方が昔道を楽しめると思った。林道が大きく北側に張りだした場所には、こんな場所にと言うような東屋が建てられていた。登山道とは別の林道沿いにあることから林道利用者に対して建てられたようだが、一体全体この林道は何処まで繋げようとしていたのか、東屋単体としてはいいものだが付近に対しての位置づけが判らない施設であった。
南に進んで行くと林道を塞ぐテープが現れ、そこから山道が分岐していた。トレイルコースを示しているようだが、いつまでもテープが張られている状態からして、車は入ってきていないと判断できた。山道に入ってゆく。刈り払われた痕も見え、笹原の中の2.5mほどの道幅を伝って行く。分岐点には「クマよけの鈴必携」との看板もあった。確かに杭などが齧られた痕があったが、周辺の匂いからはあまり多くないようにも感じられた。伝って進むと堤のような高さ600mm程を乗越す場所がある。堤の上にフェンスでもあり、それを柵として牧場になっていたのかと予想をするが、この付近にはいくつもそんな筋が見られた。2つ目の堤を乗越す。道形はほぼ地形図の破線通りにあるようで、若干のアップダウンをしながら進んで行く。
無名峰に乗り上げる。ここからは道は下ってゆくよう。南を見ると分岐する尾根側に古い道形が入っており、入り口には間違って進まないようテープが張られていた。そこに足を踏み入れてゆく。このまま田代山まで道があるのではないかと思ってしまうのだが、この道形は尾根の最高所ではなく西側の山腹に切られていた。途中で有耶無耶になり尾根の頂部に移動する。これが良かったのか、クリタケが出迎えてくれ少々頂戴する。尾根上は胸岳のササがあり雨を纏って抵抗になっていた。中間峰まで進むと、腰丈に軽減されるが田代山が近づくと再び高さを増して胸丈となった。それでも全体からすると藪を漕いだのはこの僅かであり、負担ではあるが楽な部類であった。
田代山到着。達筆標識が出迎える。標識の前あたりに三角点が埋まって居るものと思い探索しだす。しかし出てこない。捜索範囲を広めてゆくと、標識の場所より南の方が高いことが判った。埋めるならこちら側と思い、地を這うようにして探す。しかしいくら探しても出てこない。半径8m位の範囲内を、ずり足をするようにササを倒しながら探してみたが出てこない。20分ほど探し、これ以上は無理と判断し諦めた。尾根を戻ってゆく。
マーキングなどの一切ない場所で、伝った先人の配慮が心地いい。まあ付けずとも迷わない場所と言えるが、そんな玄人のみが入っているとも言える。往路とほぼ同じほど費やし登山道に出る。そして往路を戻ってゆく。途中、ガサッと大きな音がしたのだが、その存在は判別できなかった。私は鈴をつけないので、獣が逃げないでいてくれる為だった。林道に戻り次の浅松山を目指す。東屋の場所では、その中に行ってみると、すぐ東の薮の中から大きな羽音がしていた。蜂の巣があるようだった。
往路に下見をした最良の位置で浅松山へ取りつく。尾根上に上がるも、浅松山の東側には道形は見えてこなかった。腰丈の笹薮を分けながら登って行く。すると南側に筋が見えた。これか登山道は・・・と、わずかに逸れて北側を伝っていたようだった。となると、先ほどまでの尾根には道形が在ったのか・・・振り返るが判らなかった。
田代山では達筆標識が出迎えてくれるのかと思ったら代わりにG標が待っていた。達筆登山家も登っているはずでありこれは腑に落ちなかった。標識の西側に一部赤く塗られた御影石の標柱が横になっていた。ここから西を見ると、太い幅で道形が降りている。山頂の道向かいの北側には、朽ちた標柱があり、「田代山頂上」と読めた。それをひっくり返すと、日光方面とか赤城山とか書いてあった。わずかに西に下った場所に、図根点が埋められていた。道形を追って降りてゆく。この道形の両サイドにも堤のような盛土が続いていた。
山頂から5分ほど下った場所に「休憩所すぐそこ」と白字で書いた黒い標識が落ちていた。先に見ている東屋がまたどこかにあるのかと思ってしまい、先の方に目を凝らしてしまう。進んで行くと朽ちた標識が在り、そこに「休憩所」と判読できた。ベンチでも往時はあったのだろうが、現在はこの朽ちた標識しか残っていなかった。道幅は広いまま進み、針葉樹の樹林帯の中でもその幅を保って続いていた。林道が下の方に見えるもそのままで、最後の急こう配の場所でもその広さなので、下から見て登山道が在るようには見えないのだった。伝ってみて初めて判る事であった。
林道に降り立ち戻ってゆく。下山道コースを伝おうとも思ったが、途中で採ったクリタケがコレラタケではないかと少し思ったので、それをスマホで調べるためにも歩き易い林道の選択とした。時間の経過で少しはガスが明けるかとも思ったが、依然垂れ込めたままスカイビューを見せてくれなかった。まあしょうがない、見たい場合はトレイルレースにでも出るしかないか・・・。そうそう、ちょっと気づいたことなのだが、林道から逸れた登山道は最近拓いたようだったが、既に中央が窪んでいた。やはりトレイルランニングは削り取る速さは歩きより速いのだろう。
車に到着し、この日の山行を終える。林道を麓に降りるまでがまた神経を使い、パンクしないよう落石に注意しながら降りてゆく。太郎地区まで降りると、最終民家前には99番の標識が野草の中に隠れていた。この辺りに林道太郎線の表示があるといいのだが・・・。麓側に降りて、桜川温泉に沈没してから、地産のそばを食べて帰路に着く。