奉納山   1510.7m      柳原岳   1788m         堂津岳    1926.6m             

 
   2015.5.23(土)    


  晴れ    単独      奉納温泉より林道をつめ時計回りで周回     行動時間:13H11M 

 装備:ワカン 12本爪  ピッケル


@林道ゲート5:04→(37M)→A徒渉点(渡れず尾根に取り付く)5:41〜46→(50M)→B主図根点6:36→(84M)→C1386高点8:00→(40M)→D奉納山8:40〜43→(56M)→E1460高点10:39→(50M)→F堂津岳側主稜線に乗る11:29→(12M)→G1832高点脇11:41→(14M)→H柳原岳11:55〜12:21→(75M)→I堂津岳13:36〜37→(23M)→J1885高点南より南西に沢下り開始14:00→(28M)→K1550m最初の出合14:28〜30→(38M)→L1157高点(温泉噴出場:冷)15:08→(138M)→M奉納温泉源泉地17:26〜27→(10M)→N土谷川徒渉17:37→(4M)→O林道に乗る17:41→(34M)→Pゲートに戻る18:15


ge-to.jpg rindouhoukai.jpg  touboku.jpg  hokora.jpg
@奉納温泉から僅かでチェーンゲートがされている。駐車余地は公的場所はない。 林道幅がまるまる無くなっている。 ブナの大木がこの通り。 途中の祠に旅の安全を願う。帰りは旅の無事を・・・。
paipu.jpg  1gou.jpg  kokuyuurin.jpg  hashino.jpg 
奉納温泉の源泉へ向けて土谷川を渡る導水パイプ。 1号堰堤。正式名称は「1号谷止」 ここは天狗原エリアと言うのが正解か。地形図上に建物マークがある付近。 A橋が在るのかと思ったら、こんな状態で渡れなかった。もちろん水没すれば渡れるが、先が長いので濡れる事を避けた。
jyouryuu.jpg udo.jpg  1060.jpg  1070.jpg 
A左岸側に道形が続いている。渡れさえすれば・・・。飛び石があるが濡れて苔生していた。 A取り付いた尾根はウド畑の様相だった。 1600m付近。意外と快適に登れる尾根だった。 1700m付近。驚いた事に道形が現れた。地図を見ると西側の尾根と登っている枝尾根が合流した辺り。
rope.jpg  1130.jpg  kibashi.jpg  syuoneni.jpg 
朽ちてはいるが使える太いロープが100mほど流してあった。 白神山地に負けないブナの美しさ。 丸太をバン線で結んだ橋も在った。間違いなく作道した場所。 B尾根に乗り上げる。道形はここで途絶える。その昔は奉納山まで切られていたのかもしれない。
syuzukonten.jpg  1220.jpg  doutugawa.jpg  nishihouraku.jpg 
B主図根点があり、下降点としての目印。 1220m付近。往時の道形の跡が残る場所。他大半は藪漕ぎの尾根。 途中から見る堂津岳。 中間点付近から、北側に崩落箇所が出てきて痩せ尾根となる。
waiya1.jpg  waiya2.jpg  bunouyama.jpg ike.jpg 
ワイヤーが残置されている。 左の絵のすぐ先にはブラケットも残っていた。 C1386高点から見る奉納山。 手前の最低鞍部には雪が溜まり池になっていた。
ooiwa.jpg ana.jpg  tenguhara.jpg  bunouyamahigashi.jpg 
山頂部西側は大岩で構成されている。 中の広い岩穴もある。 D乗り上げると、天狗原山側がドーンと現れる。 D奉納山山頂東側。三角点は雪の下。展望も良く休憩適地。
turionewo.jpg 1480hou.jpg  bunano.jpg  1460.jpg 
奉納山からの最初はすぐに藪。吊尾根を進んで行く。 1480m峰から。各ピークには雪が残るが、吊尾根の奉納山側は藪漕ぎがほとんど。 1460高点の西側はブナが美しい。 E1460高点から堂津側主稜を望む。
annbukara.jpg annbukaratuchitanigawa.jpg  kumano.jpg  1640.jpg 
最低鞍部付近から 鞍部から土谷川方面を見る、源頭付近。 通ったばかりの熊の足跡が残る。 1640m付近は居心地のいい平坦地が広がる。休憩適地。
heitannchikara.jpg  hurikaeru.jpg  gyoujyaninniku.jpg  syuryouni.jpg 
主稜側の雪の斜面。 途中から振り返る。尾根には雪が繋がっているように見えるが、実際は・・・。 登って行く途中に、ギョウジャニンニクの密生した大群落があった。ギョウジャニンニクで地面が見えない。 F堂津岳側の主稜線に乗る。ここからは安定した雪に繋がり行動。
myoukougawa.jpg  1832.jpg  nijyuu.jpg  senkousya.jpg 
向かう先には妙高の頂が構える。 G1832高点は下側を巻いて通過。 G二重山稜の間を。 先行者が居た。氏は柳原岳で休憩も入れずに笹ヶ峰側に降りて行った。
yanagihara.jpg  yanagiharasaikou.jpg  jizouyamagawa.jpg  otomiko.jpg 
H柳原岳到着。 H最高所はこの時季でもブッシュ。 H地蔵山側の景色 H妙高側の景色
soujihou.jpg  yakisoba.jpg  modoru.jpg  busyu.jpg 
H乙見山峠側への屈曲ピーク H久しぶりにヤキソバパン。経路の辛さが、そのまま潰れた形に見える。 笹ヶ峰より登ってきたハイカーと話した後、戻って行く。 1945高点付近で残雪が切れ藪漕ぎ。僅かな距離だが漕ぐのに時間を要す。振り返り撮影。
buxtusyunosaki.jpg  1920.jpg   doutudake.jpg  ushirotateyama.jpg 
堂津岳北側の1920m峰を見上げる。  1920m峰。堂津岳より、こちらの方が展望ピーク。  I堂津岳山頂到着。11年ぶりの登頂。  I堂津岳から後立山。
shiraneaoito.jpg  tozandou.jpg   kakouten.jpg  1740.jpg 
登山道周辺をシラネアオイとギョウジャニンニクが覆う。 J登山道を下りながら雪の付きを見ながら進み、この場所で南西の谷に下降した。 J下降点から谷側。すぐに急下降。 1740m付近。最初は緩斜面だが・・・。
1620.jpg  1600shita.jpg   1600ue.jpg  1550.jpg 
1620m付近。だんだんと勾配が強くなってゆく。  1600m付近。残雪の上に土砂が乗っている。  左の写真の場所から上を見上げる。 K1550mで最初の出合。ここからしばらくは土砂混じり雪渓歩き。
1550ue.jpg  1430shita.jpg   1430ue.jpg  1350ue.jpg 
K降りてきた場所を見上げる。  1430m付近  1430mより降りてきた上側。 1350m付近
1350.jpg  kuma1.jpg   kuma2.jpg  1240.jpg 
1350m付近より降りてきた上側。 進む先にコロコロしたのが出現。食べ物を探しているようだった。 ゆったりとした行動で全くこちらに気付いておらず、ピッケルでアイゼンを叩き音を送る。  1240mの出合。降りてきたのは左側。右側の谷はもの凄い量の崩落があったようで、雪ではなく土砂の押出しとなっていた。 
1157.jpg  wataru.jpg   wataru2.jpg  1020.jpg 
L1157高点。ここで雪渓から流れとなっていた。辺りは強い硫黄臭がした。右岸側をトラバースし下流側から雪渓の口を覗くと、臭いはそこからしていた。この付近、右岸側で冷たい温泉が湧き出していた。  ルート取りがかなり難しくなる。倒木を使って雪渓に移ってゆく。  またまた倒木。ここに至るまでにも何度も右岸と左岸を移動する。高巻をする場所も多々。  M1020m付近。やっと道形に乗った。ここまでに何度も高巻をし、枝沢や崩落地を跨いだ。
michigata.jpg  bunouonsengensen.jpg   enteitogensen.jpg  tosyou.jpg 
M道形の様子。使う人は、奉納温泉の管理人くらいなのだろう。  M奉納温泉の源泉地。これが見たかっただけなのだが、かなりの負荷となってしまった。この時季は使ってはいけないようだ。 M堰堤と、その左に源泉地  N土谷川を徒渉する。地形図の破線ルートは、途中で判らなくなり、判らなくなった場所から川に一直線に降りると、堰堤の上あたりに出た。水深は250mmほど。 
rindouni.jpg  yudanikaeri.jpg   toubokukaeri.jpg  kaxtusya.jpg 
O林道に乗る。(往路の林道) 優しそうな沢に見えるが、難しい谷だった。もう少し早い時期で、雪渓で埋まっていれば楽だろう。時期が遅かった。この奥に源泉地。 林道にはこんな崩落箇所も。跨いだ後に振り返る。  この滑車の場所は、この日も作業があったようで、その跡が残っていた。 
ge-tokaeri.jpg  cyuusya.jpg      
Pゲートに戻る。作業があったようで、チェーンの位置が変わっていた。 Pゲート奉納温泉側には、木材切り出しの余地がある。ここに置かせていただいた。     




 今季の課題に残っていた奉納山を目指す。そこに抱き合わせで奉納温泉も楽しめれば言う事は無い。となると、奉納温泉のある土谷川沿いに入山するのがスマートな攻め方になる。これに、もう一つ落ち穂になっていた柳原岳も抱合せる事にした。登りはいいが、下山路をどうしようかと悩むところだが、堂津岳まで戻って谷下りで何とかなるだろうと予想を立てた。このルート選定により、ザイルはどうしようかと悩んだが、地形図に見える地形から、最終的に持たない事とした。

 
 1:00家を出る。鹿教湯温泉手前のセブンには、深夜帯はヤキソバパンがないことがハッキリとしてきたので、望月交番近くのセブンに立ち寄る。予想的中と言うか、1個売れ残っていた。そして、この場所でも三才山有料道路の割引券を売っている事を知ることになった。連週ではあるが、大町、白馬と抜けて小谷村に入ってゆく。そして奉納温泉の看板に導かれ下里瀬の交差点を東に入ってゆく。途中に見える家は、元は茅葺だったようで、それを覆ったブリキ屋根の家がほとんどであった。道路の補修箇所が目立ち、現在も作業が続けられている場所も見られた。すぐに忘れてしまい情けないのだが、先だっての地震の影響だろう。それ以前に、小谷地区は崩れやすい地形で有名。地震に弱い地域となろうか。

 
 九十九折を登ると左に奉納温泉が見えた。何か寂れた感じがある、やっているのか・・・確かめるのは下山後。林道を進むと地形図に見えない枝道が太く左に分かれていた。真っ直ぐ進む方を選ぶと、温泉から300mほどの場所でチェーンゲートがされていた。その門柱は新しく、最近設置したようだった。この場所に至る林道にも亀裂が入っている場所がある。ここで大きな地震があれば帰れなくなる事もあると思えた。それにしても林道に余地がない。一度温泉まで戻り、駐車場に停めさせてもらおうと思ったが、早朝から声をかけるのも憚れた。ゲート前には貯木場があり、そのスペースが唯一だった。なるべく邪魔にならない所と、草が覆う使われていない場所を選んでエンジンを切った。すぐにブユが車を取り囲む。車の中で靴を履き、装備を整えた。

 
 5:04歩き出す。チェーンゲートの先は、タイヤ痕を見る限り車が入っている気配がある。どこまでなのか、そこまでは安定した林道だと言うことになる。歩き出してすぐに左の谷が崩落し、その上側からワイヤーが張られ滑車が設置してある場所があった。轍の痕はここまでであった。そしてゲートから20分ほど進んだ場所で、林道が完全に崩落し歩いて抜けるにも緊張する場所が出てくる。そこでは奉納温泉の導水管が痛々しく空中にぶら下がっていた。この先は大量な押し出し、次に倒木、ここまで崩落箇所が多いのも珍しい。抜け落ちていた先ほど以外は、崩落物を除去すれば伝いやすい林道で、雑草もなく使われている道だと感じる。それもそう、この奥に奉納温泉の源泉があるのだから、間違いなく管理に入るであろうから。

 
 林道の谷側にちょこんと立った祠が在った。祠を置くほどに、安全を願うほどに長い林道と言う事か・・・旅の安全をお願いする。ここから右の対岸を気にしていると、地形図に温泉マークが描かれた沢が見えてくる。それこそ湯ノ沢とか名前がるのだろうが、実際は判らない。破線路が土谷川の上流側を巻いて戻るように切られている。これを復路は伝おうと考えている。沢の奥の様子を見逃さないように射るように見ておく。実際は沢の中は通過せず、やや高い位置に切られている。どんなことがあってもいいように現地は見ておくのだった。その出合から林道の沿って上流に行くと、対岸に向けて導水管が渡っていた。雪の重みで切れないのかと心配してしまうほどの距離が対岸に向かっていた。土谷川の流れはそう強くは無いが、楽に渡れる穏やかさでもなく、濁った色が怖さを引き出していた。

 
 堰堤が見えてくる。そこにある銘板を見ると、「1号谷止」と読める。この先、地形図には建物マークが見えるが、気にしていたが現存するものは無かった。その代り「天狗原国有林」と標識などもがあり、なにかより管理された場所のようにも思えた。このすぐ先が渡渉点。てっきり橋があるものと思って楽な気持ちで来たが、堰堤の上には流れがあるだけで橋らしい人工物は無かった。どうしようか、ここで濡れては先が長い。渡るのに足を置けそうな石も見える。しかしコケが覆い見るからに滑りそうなことが判る。しばし足踏みとなり地形図を見ながら作戦の練り直し。対岸に行けないのなら柳原岳をも狙えない事になってしまい、是が非でも活路が欲しかった。今日は諦めるのも一つの方法だが、そういう選択肢は無い。すぐ横の尾根に乗ってしまおう、このまま先に谷沿いを進んでも、そこからの尾根が伝い易いかどうかは行ってみないと判らない。遅かれ早かれの行動なので、ここで高度を上げてしまうことにした。見える左岸側にはハッキリとした道形が続く。少し名残惜しいがここで離れる。

 
 斜面に取りつくと、そこはウド畑の様相で、這い上がるために手に掴むほとんどがウドだった。それも良品ばかりで柔らかく、よって頼りにならない・・・。下から4mほどは腕力で登るものの、その先は意外と歩き易い尾根となった。沢を離れて正解だったかと思いつつ登ってゆくと、1070m付近で突如道形が現れた。こんな場所にと素直に思ったのだが、温泉と山の関係を思うと、奉納山への登山道が在っても不思議でない。途中から現れたので道を切れそうな尾根を地図上で探ると、地形図の建物マークの場所からの尾根が登山道を切った尾根にふさわしいと思えた。明瞭とは言い難いが、その存在はハッキリと判る道形。そして太いロープまでが設置してあった。その周囲は見事なまでのブナ林で、昨年の白神山地を髣髴させてくれるほどだった。

 
 1150m付近には歩き辛い場所の補助として木橋も造られている場所も見られた。間違いない、登山道だったのだろう。崩落し少し痩せた経路もあるが、それ以外で危ないところは無く伝って行ける。この分だと、目指す奉納山までもと期待してしまうほど。こうなると、先ほど渡渉しなかった判断は正解となる。自分の行動や選択を正当化するのは、力の無い情けない表れだが、それこそ結果オーライであった。

 
 平坦な主尾根に乗り上げる。分岐道標でもあるのかとも思ったが、見えてきたのは主図根点のみだった。登ってきた方向を見ても、判っていないとここから下降路には見えてこなかった。境界見出標が鮮やかな赤で目立っているので、主図根点との抱き合わせで覚えておくことにした。さて北東に向かって行く。見るからになだらか地形。道が在っただろう跡も少し見られるが、ほとんど薮化していた。先ほどの想定は完全にぬか喜びで、グッと進度が落ちる。それがために、奉納山までで本日は終えようかとも思えてしまう。でも、頑張れるときに頑張ろう。そのうちに頭で思っても体がついてこなくなる時期が来るのだから・・・。

 
 緩やかに、そして僅かにポコポコと小さなピークを越えて進む。この辺りが、当初に土谷川から登り上げてこようと思った辺り、北側が崩落で切れ落ちており地形図とは形状が変わっていた。この状態が南側にもあったら、当初予定通りでは登れなかったことになる。地形図を見直すと1350m付近でかなり密に並んでいる。現状でも厳しい場所だったかもしれない。堂津岳が黒く見えている。向こうも藪が出ていたら、どこかでビヴァークしないと時間が足らないだろうと予想できた。スタートから3時間を過ぎてもまだこの尾根の上で、最初の到達点にも届いていない。1386高点手前で、ワイヤーがブナにくい込んでいた。林業作業の名残で間違いないようだが、さてどちらの斜面で使われたのだろうか、それが読み解けなかった。

 
 1386高点に到達。進む先に奉納山の新緑が見える。やや急下降をして降りてゆくと、雪の残る鞍部があり、よく見ると池のように水が溜まっていた。ここからは、やや針葉樹が増え、それらを分けるように抱きかかえるように登ってゆく。大岩が出だすとほぼ山頂部で、折り重なった場所では、シェルターになりそうな岩穴もあった。雪の上に乗り上げると、その先にご褒美とばかりに天狗原山と金山が出迎えてくれた。なんとも清々しい出迎えで、疲れが吹き飛ぶような景色でもあった。少し東に進み最高所で小休止とする。

 
 奉納山到着。もう少し早くに届くかと思ったが、意外とかかってしまった。吊り尾根の向こうに、信越国境の稜線が聳える。この時は何も悩むことなく、考える事も無く足を向けて歩き出していた。山頂には雪が在ったものの、尾根上はすっかり消えていた。尾根の北側には残るが、雪にありつける場所まで高度を下げたくない。漕ぐしかなかった。やや選ばねばならない尾根筋で注意して拾うように漕いで進む。1490mピーク、その先の1480mピークには雪が残る。これらの場所は一時のオアシスでもあった。もう少し早い時期ならこれらがほとんど繋がって歩き易いのだろう。

 

 雪のオアシスもあれば、1640m高点の南側はブナで構成されたオアシスだった。見栄えのする大木が尾根上に並び、時間に余裕があるのなら、この場所でのんびりしたくなるような、そんな場所であった。ここでテント泊出来たら、何と気持ちいい事か・・・そう思えた。しかし進路はこの先下り、楽の後は苦があるよう。あまり高度を下げないようにと祈りつつ行く。地形図を見れば一目瞭然だが、地図と現地が違う事もよくある。でもここは、しっかり高度を下げてから登り上げとなった。鞍部から右を見ると、土谷川へと降りてゆく傾斜がある。帰路に選ぶこともできるが、地形図には笹地と荒地記号が見られる。雪がないことから避けた方が無難だろう。一応この場所が土谷川の源頭部となり、景色を記憶に留めておくことにする。登りは手を使って這い上がるような場所が続く。ここに来ても雪のつながりは無く悪戦苦闘。そんなルートを、そんな時期に選んだ為の自業自得でもあった。

 
 1600m付近から雪が繋がりだす。やや勾配があるので、キックステップで進む。このキックも、復路に使う場合と一方通行の場合で作法を変えている。一方通行の場合は必要最低限となるのだった。進む途中に、真新しい熊の足跡を見る。尾根を先行して歩いていたのか、踏んですぐの跡に見え、周りを見渡し姿を探したのは言うまでもない。1650mの場所に来て視界の景色が変わる。一面の雪の堆積する場所で平坦地もあり居心地がいい。先ほどの1460高点の場所に続き、ここも休憩適地であった。見上げ、尾根を拾うように目で追うと、あまり雪の付きが良くない。それより少し西側を伝った方が雪に繋がって行けそう。ザックから美生柑を取りだし、食べつつ斜面を登ってゆく。酸味が元気になると思ったが、ここの斜度では効果が薄く牛歩状態であった。

 
 稜線を目の前にして藪が現れた。強くない藪だといいがと願うのだが、その薮の手前に香しい植物が群をなしていた。それはギョウジャニンニク。姿かたちも立派でしっかり広く葉をひろげ茎も太い上物。お土産に少々いただく。これを得たことで少し元気がみなぎる。これぞニンニクパワーか。振り返ると、奉納山が寂峰らしい姿でこちらを見上げている。伝ったなだらかな尾根が左に続き、その様子は荒船山の経塚山と山頂台地の様子と似ているように見えた。藪を少し分けて稜線に乗る。そこには見事に残雪が繋がっていた。

 
 この雪の状態を終始期待していたが、ここに来てやっとありつけた感じ。柳原岳に向かって北東に進んで行く。進む先には妙高山の頂が見える。スカイラインの上を歩いている感じが強く、展望コースで間違いない。進路右側には西俣川の、ここもブナを従えた広い地形があり新緑が美しい。もっと美しいのは乙妻山の姿。シンメトリーな円錐形で一際目立っていた。視線を雪の上に戻すと、真新しいトレースがあった。往復しているようで、より新しいのは柳原岳側につま先が向いていた。近くに居る。そう確信できたが、起伏する尾根上は見えない部分も多い。気にしつつ、先を見ながら進んで行く。

 
 1832高点は東西にできた二重山稜の間を通過してゆく。トレースの主は要領を得ているのか、東側の尾根上を進んでいた。鞍部を通過している私は、その先でやや登り返しとなり、先行者はこの地形をよく知っている人に間違いなかった。この先で、先行者の姿が見えた。声を出せば届きそうな距離で、既に柳原岳のピークに向けわずかに角度を変えて登りだしていた。少し急げば合流できるか、この時季にこの山域に居る人はよほどの猛者であろう、話さないまでも姿をしっかりと拝みたかったりする。やや足の回転を速くして登頂を急ぐ。経路では柳原岳には13時くらいになるだろうと思っていたが、雪が繋がっているおかげで一気に進度が速くなった。これだと12時前に到着できそう。理想形のコース最深部到達時間であった。

 
 柳原岳到着。居ると思った猛者は、既にそそくさと西俣川と東俣川出合辺りを目指して降りて行った後であった。ここで休憩を入れないとは、ますます猛者に思えた。笹ヶ峰からの往復なのだろう。柳原岳のみでなく堂津岳までの往復としたのだろうから健脚の持ち主である。雪の上にザックを降ろし大休止とした。最高所はその西側のブッシュの中でかき分け登る。人工物は一切なかった。2007年10月に、乙見山峠から狙ったが、藪の強さに敗退した。どう狙おうかと思っていた場所で、既に林道不通で乙見山峠からのアプローチもできなくなってしまっていた。猛者諸氏同様に笹ヶ峰からが順当かとも考えていた場所であった。今回は奉納山との抱き合わせで何とか届くことが出来、うれしい1座でもあった。

 
 展望を楽しみつつ、地図を見ながら下山路を探る。体験した、そこで見た景色の記憶と地形図とを合致させる。やはり源泉のある沢を下れればベスト。他は尾根筋だが、等高線が密の場所があり沢の等高線の方がより安全に判断できた。沢下りはご法度言われそうだが、雪渓の詰まった沢下りは楽しいのは間違いない。少し楽しむには時間が過ぎてしまった感もあるが、まあ当たって砕けろで行動する。最悪は大きく高巻をしつつ行けばいいと考えた。これが実際はその通りになるのだった・・・。

 
 後ろでガサッと音がした。雪解けの音かと思い、気にしつつも流していた。さて戻ろうかと立ち上がり、北に向かいだすと、山頂のブッシュを挟んで西側の日蔭に単独の男性が休んでいた。先ほどの音の主だったよう。声をかけると「こんなところで人に会うとは・・・」と発せられた。と言うことは、下山して行った方と行き会っておらず、尾根途中でスライドしている事になる。それはいいとして、御仁は全身、そして装備の全てが自衛隊の装備だった。市販されていない特異な水筒から見た事のない背嚢、衣服は迷彩色で帽子の下は刈り上げられ、GIカットなのだろうと想像できた。ハキハキとした話しぶりからして間違いなくどこかの隊に所属している隊員さんと思えた。足は、編み上げの半長靴、いやはや八甲田山の彷徨を想像してしまう出で立ちだった。御仁は毎年のようにここに来ているが、今年の雪解けの速さは異常とも言われていた。休憩していたところに、私が話しこませてしまって申し訳なかったが、こんな背筋の伸びた山屋に会うのも初めてでうれしい出会いでもあった。「笹ヶ峰からは林道歩きがほとんどで、山登りは僅かなんですよ」なんてことも言っていた。確かにそうかもしれないが、帰りは緩い雪の林道歩きだろう。それはそれで大変だろうと思う。

 
 隊員ハイカーと分かれ往路を戻る。少し天気が曇よりとしてきたが、かんかん照りより都合が良かった。往路で登り上げた場所に戻り、ギョウジャニンニクが気になったが、これ以上貰ったら山の神に怒られそうなので美味しいのは判っている中でぐっと堪えた。1845高点付近で雪が途切れ藪漕ぎとなる。強靭なササが行く手を阻む。残雪のありがたさを痛感する時だった。消えかかった薄いトレースを拾うように登ってゆく。堂津岳を先にして、その手前の1920m峰が展望のいい場所で360℃がしっかりと見渡せる場所であった。

 
 堂津岳到着。かなりのトレースがある。奥裾花側はまだ不通のはずであるが、その方向、奥西山側へ復路の足跡が向いていた。もしや、西俣側へ下っているトレースを見落としたのかもしれない。奥西山側へのトレースは小キジの為だったり・・・。冗談はさておき、そろそろ本気モードにならねばならない。ここまでが本気でないと言ったら怒られそうだが、グッと気合を入れないと山に遊ばれてしまうのを感じる。雪の消えた登山道を南に伝って進む。シラネアオイの群落が見え、そこにギョウジャニンニクが独特の香を添えている。西側に往路の尾根が水平に見えている。歩いてきた場所ではあるが、魅力のある面白そうな尾根に見える。常に西側の谷を注視しながら、谷側の雪の付き方を気にしていた。全てに時期が遅い感じもしたが、それでもなんとかここで降りて行かないと、この先あまり進んでもいい地形に変わることはなく、そのタイミングはそろそろ。迷っている自分に意を決するよう、もう一人の自分が促しているようでもあった。

 
 1885高点よりさらに下り、南西への谷が見下ろせるようになった場所で登山道を離れる。最初は垂直に2mほど木に掴まりながら降りる。その先は緩やかな地形で、ここはか細いギョウジャニンニクの植生があった。そして細い谷形状の中に入って行く。雪は申し分程度に残り、繋がったり離れたり、ほぼ周辺の木に掴まりながら降りるような感じで、アイゼンだけでは心許ない急斜面が続いてゆく。簡易ピッケルでは軽くて打ち込めないような、そんな堅い根雪が詰まっていた。雪を頼りにしていたものの、それを逸れて左右の土の斜面を伝うことも多い。その方が滑落の危険度が薄くなるのだった。

 
 1550mで右からの沢と合流し、ここが最初の出合の場所。下流側は広く長く雪渓が続く。がしかし土砂で覆われている。やはり崩れやすい地形なのだろうことが判る。土砂が在っても岩などがなければいいので、それが為の負担は無かった。少し腰を降ろして休憩してから下降に入る。ストライドを伸ばしてグイグイと降りて行く。こんな感じで伝って行ければ、かなり早くに抜けられるだろう。この時はそう思っていた。ここでも左右に見える新緑が綺麗で、進む先には鹿が飛び跳ね通過して行くのも見えた。ほとんど人が入らない場所であろうから、動物において安心できる場所なのかもしれない。なるべく邪魔をせぬように静かに降りて行く。


 標高1350m付近で最初のノドの場所となる。振り返り降りて来た斜面を見上げる。ブラインドカーブを経て先を進むと、雪渓の上に間違いない黒い固体が動いていた。見通せる場所なら気付いたのだろうが、ノドがあったおかげで存在が判らなかったのだろう。ましてや熊よけなどは付けることはしないから音での察知も遅れていたのだろう。なにか餌を探しているように雪の上に乗った土を鼻を押し当てて臭いを嗅いでいる。ずっと見ていても飽きない所作ではあったが、それではこちらが進めない。アイゼンをピッケルで叩くと、瞬時に反応し、こちらをパッと見上げ、次の瞬間反対側へ駆け出していた。シカよりもはるかに臆病な動物だと思う。その熊の居た場所を通過して行く。大きな足跡が残り、あの大きさにしてこの掌かと、自然を学ばせてもらう。


 1240m付近で左からの沢との出合となる。ここはとても異様な場所で、進んできた雪渓に対し、合流した左の沢からは土砂が流れ出ていた。それも尋常ではない量。ここまで崩れるのかと目の当たりにして驚くばかりであった。風の関係か、微かに硫黄の臭いがしてきた。硫化水素と言った方がいいのか、この時は、奉納温泉の源泉の臭いが谷を伝ってここまで上がってきているのだと思ってしまった。それにより、少し嬉しい気持ちにもなったのだが、ここでもそれは糠喜びとなった。これまで伝えてきた雪渓が、この先でパタッと消える。想定はしていたが、来るべき場所がきたかと覚悟を決める。まだ全体の半分も伝っていない中で雪渓が切れたと言う事は、この先はかなり難儀する予想も既に出来ていた。


 1157高点のところで、それこそ湯口のように流れが出ていた。雪の消えた右岸の崖斜面を落ちないよう斜行して行き、上流側に向き直りシュルンドの中を覗きこむ。強い硫黄臭はその穴の中から出ていた。おそらく、幾分か温かいので雪が溶けたのだろう、奉納温泉の源泉地以外のここでも温泉が湧出しているようであった。雪が全て消えないと実際の湧出場所は判らない。それでも、ここからの下流右岸側では、ポツポツと湧出している場所が在り、上野村は浜平鉱泉の源泉地のような湧出の仕方で、湯ノ花のような浮遊物質も見られた。さあ、ここからが一筋縄ではいかなかった。右岸一辺倒とか左岸一辺倒にはならず、伝いやすい地形を自分で選ばねば通過できないし、狭い谷になり岩壁となっている場所も出てきた。まだ雪渓も残る場所では、そこを乗るように選び、水没をしないよう高巻する場所も出てくる。そしてまた、対岸に移るのに大木を利用したりして、ここでは先読みする感覚が重要であった。下手な進路を判断すると、その先が進めなくなる。右岸か左岸か、白か黒かの二者選択なのだが、その50:50の判断が難しい。水量はそう多くは無いものの濁流の色合いで、そこそこの流速はあった。水没を覚悟すれば容易く歩けるような場所でもなかった。


 左岸側を高巻くこともあったが、ほとんどが右岸側を高く巻いた。いっそのこと、1440高点からの尾根に乗ってしまおうかと思ったほどで、降りたり登ったりの繰り返しをし、その途中にはまた崩落地も何度も出てくる。そんな中で唯一ありがたかったのは、ウドの存在。小腹が空いてきたら、何時でも何処でも口に入れられた。そう行動しながら、入山がひと月遅かったかとか、もう半月早ければ、こんな苦労はなかっただろうと思うのだった。ゆうに20回以上は高巻をしただろうか、最後はもうどうにでもなれと遅々として進んでいない状況に、ビヴァークも脳裏を掠める。でも日の長い時季なので頑張りさえすれば、歩きさえすれば辿り着く。体力はないが根性だけは・・・ある。


 1162高点の東側の顕著な谷を跨ぎ、このあたりでは杉が植林されたような場所も見られた。その中には刃物痕も残り、今は完全に管理されていない状況だが、人が入っていた様子が伺えた。水面から40mくらいの場所を藪を分けながら移動して行く。そしてまた水面に近づき、そろそろ道形が出てきてもいいだろうと予想する。源泉地までは切られているが、それより奥にも続いていると予想した。ましてや先ほど、植林された場所も在った事から・・・。でもそれらしい道形は出てこなかった。高巻にも疲れ、もう1162高点のある尾根に乗って尾根歩きに切り替えようと考え登りだす。ちょうど温泉マークの東側付近だったと思う。北北西に斜行しつつ登ると、小尾根を跨ぐ格好になった。そこでその先に見える主尾根まで行くにも遠いのが見え、意気消沈しここで再び下降しだす。急下降して木々を掴みながらずり落ちて行くと、やっとの事で道形が現れた。長い時間待っていたものが現れホッとした。上流側にはブルーシートで覆われた奉納温泉の源泉地があった。経路はいろいろあり苦労はしたが、見たいものが目の前に現れていた。


 源泉地からの破線路は、かなり崩壊が進んでいた。道形が残る場所もあるが、大半が抜け落ちていたり、落ちずとも亀裂が入っていたりした。そこに古い一人分のトレースが見られる。間違いない奉納温泉の方のものだろう。このまま道形を追えば、土谷川に進めるはずであったが、尾根を巻き込んで北進しだした先で、道形が判らなくなった。この辺りは山手側に水を流す側溝が設けられていた。それがあるので判りやすいと伝っていたが、藪の中に消えてしまっていた。よく探せば出てきたのかもしれないが、もうここまで来たら、往路の林道は対岸にあり、渡渉して濡れても林道歩きが残っているだけであり道形に頼る必要は無かった。北に藪を分けて降りて行く。


 出た先はちょうど堰堤の上で、水の流れが緩やかになっている場所であった。迷う事なくジャブジャブと渡って行く。しっかりスパッツをしているので、250mmほどの水深だったが、内部への水没は少なかった。徒渉を終え、これで全ての不安要素は払拭された。右岸を林道へと登り上げる。途中に林道から川原へ降りて行く側道が在り、それを僅かに伝うと往路の林道に乗ることが出来た。既に18時に近い時間になったが、なんとかここまで戻ることが出来た。


 林道を戻りながら、源泉のある沢を見る。甘いマスクの割には険しい上流側だった。おかげでしっかり遊ばせてもらった。途中の流れでスパッツを洗いアイゼンを洗いトコトコと戻って行く。ブナを跨ぎ、押出しの場所を越え、祠には無事の帰還を挨拶を忘れない。その先の滑車の設置した場所では、本日の作業の痕が見られた。頭の中は既に到着した後の温泉となっていた。土谷川の瀬音が少し遠くなったなーと感じた頃、ゲートに到着する。


 しかししかし、残念ながら奉納温泉はやっていなかった。浴室のガラスは割れ、内部も多くの木材が運び入れられ、修繕の進行中であった。それを見たら、そこで「入れますか」なんて言葉は吐けなかった。残念ではあるが、直すってことはいつか入れることに繋がる。

 振り返る。もう半月早く入山すれば、かなり楽だったろうと思う。下山に利用した沢には滝は一切なく、危険な場所はなかった。1157高点以降で川岸の存在があまりなくV字形の谷で高巻を強いられた。沢装備で登るのなら楽しめる場所かもしれない。濡れないで通過したい場合は避けたほうがいいだろう。苦労した分、ここも記憶に残る場所となった。自然に触れ、自分が強くなってゆく気がする。


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