白山     1387.0m   
            

 
   2015.2.28(土)    


   くもり(7:30まで小雪)    単独       田村堂側より     行動時間:3H14M 

 装備:ワカン

  


@男女水浄水場分岐6:19→(7M)→A分岐6:26→(21M)→B若澤寺史跡6:47→(10M)→C林道に乗る6:57→(8M→D林道を離れる7:05→(10M)→E送電線98番鉄塔7:15→(27M)→F屈曲点7:42→(37M)→G白山8:19〜29→(15M)→H屈曲点帰り8:44→(10M)→I鉄塔帰り8:54→(10M)→J若澤寺跡9:04〜12→(21M)→K浄水場分岐9:33


jyousuijyoubunki.jpg  tocyuubunki.jpg  mizusawaoyama.jpg  shisekiiriguchi.jpg
@上波田地区より南に上がって行くと男女水浄水場と若澤寺史跡分岐に出る。この時季はここまで。見えているアイスバーンで車が操作不能になり回転。 A最初の分岐。道標があり左へ。 参道13丁目に在る水沢雄山神社。ご神木が見栄えする。 B若澤寺史跡入り口。無積雪期なら、ここまで車が上げられる。
iriguchihyouji.jpg  nagarenoyoko.jpg  ishigaki.jpg  entei.jpg 
B表示。林道はこの先ゲートされている。スマートに進みたい場合は林道を進んでもいいよう。詳細はこの後の写真で。 進路を沢沿いにとってしまった。史跡地内を通過して行くのが正解(白山は奥社の場所なので)のようだが、この時季はルートが見出せなかった。 途中から見上げる史跡の石垣。 沢を詰め最初の堰堤。容易に越えられる。
shitagawa.jpg rindouni.jpg rindouwohanareru.jpg  onemichini.jpg 
途中から斜面に取り付き振り返る。写真上の方に通過してきた堰堤が見える。 C林道に乗る。沢を跨いでこちらに来ていたので、史跡入り口からの林道がここまで来ているよう。 D「98」番鉄塔を示す巡視路入り口で林道を離れる。道は明瞭で鉄塔に導かれる。林道→巡視路→98番鉄塔がスマート。 鉄塔のすぐ下で尾根道に合流。
98.jpg  105.jpg  yajirushi.jpg  midori.jpg 
E98番鉄塔。 F尾根の屈曲点は、赤ペンキだらけ。他図根点や周囲の木々が赤く塗られている。 F下山方向には→ 緑のこんな表示があったり。
cyoxtuka.jpg  hakusan.jpg  matumotogawa.jpg  axtupu.jpg 
山頂直下。加賀の白山で言えば室堂平か(笑)。 G白山山頂。三角点もあるがさすがに・・・掘り出せない。 G松本側の様子。 Gアップ。
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Gヤキソバパンが入手できず・・・。 下山途中、谷を挟んだ東の尾根の様子。 H屈曲点。この賑やかさ。 I鉄塔帰り。
ishigakikaeri.jpg bonjino.jpg  bunkikaeri.jpg  jyousuijyoubunkikaeri.jpg 
J若澤寺跡帰り。下から見上げた石垣。木造物の全ては壊された為、これら石の構造物のみ残る。 J梵字を彫った石碑。 分岐帰り Kスタート地点に戻る。この時季に限り、分岐の浄水池側に1台分の余地がある(積雪により使えない歩道)。




 言わずと知れた加賀の白山。深田氏の百名山、田中氏の花の百名山に数えられ登る人は多い。そして日本三霊山にも数えられ信仰の山でもある。その信仰からなのだろう、日本全土に行きわたるように白山信仰が各所で見られ、白山社などがそれ。

 
 「信濃日光」と聞いて、すぐに波田のあの場所と判る人の方が少ないだろう。何を隠そう、私も知らなかった側の一人で、山旅の計画をして知った事。信濃において日光のような隆盛がみられた場所で、残っていれば観光地としても集客出来たろう場所。しかし明治期の
廃仏毀釈により取り壊されてしまっている。カンボジアやイスラミックステートと変わりない状況が日本にもあったと言うことになる。その信濃日光と呼ばれた若澤寺のある山域の最上部に白山社があり、その名残で「白山」と名がふられているようだ。信濃の白山を目指す。加賀の白山エリアを遊び場としていた私としては、「白山」の響きに他にない哀愁や楽しみを感じたりする。

 
 ルートは若澤寺の参道があるようで、往時からのそれが山頂まで存在しているよう。若くして鬼籍に入ったJJ氏の記録が秀逸。そのパイオニア的行動を参考にさせてもらう。ただしこの季節、道の在処は見えないかもとは思う。加賀のそれも同じだが、白山には雪のある時に登るのが一番美しさが見える。と思っており、登るなら冬季と決めていた。

 
 1:30家を出る。そして鹿教湯のセブンに寄るも、目当てのパンは無い。やはりここはオーナーがあまり頼まないようだ。有る時の方が少ない事実。三才山トンネルを潜り、松本トンネルも夜間無料で利用しR158号に入ってゆく。波田の旧役場を左に見たら、そこから1.5キロ進むと、田村堂へと案内する看板が見える。ここを左折する。初めて入るが、何か普通の集落と違う。進んでゆくと石畳などが見えだし、こんな場所にと言っては失礼だが、売店も見られた。その先に田村堂があり、その前が広見になっていた。

 
 なんだろうか、この違和感。田村堂から道標に従い若澤寺史跡への道を進んでゆく。左折して山手に向かって行くと、ここも不思議なほどに立派な建物が並ぶ。それら民家を過ぎ分岐になると、そこには男女水浄水場(左)と若澤寺史跡(右)の道標があった。右へ行く道はアイスバーンになっているのが判ってはいたが、それでもと入ってみる。すると前輪2本が雪(氷)に乗った瞬間、一気に車体が右に振りだした。完全に制御不能となり90度角度を変えた。このままフロントをぶつけるまで止まらないだろうと思ったら、グリップしたのか制動し車体の破損を免れた。日頃こんな事をしているので富士急ハイランドなどに行かずにもヒヤヒヤできるわけで・・・。でもここで良かった。林道を先に入っていたら、もっと凍った場所となり戻るにも戻れなかったろう。浄水場側に余地を求めて入ると、畑に続く道が積雪により使えない状態になっており、ここが平坦でハマる心配もなかったので置かせてもらうことにした。シュラフを被って夜明けまで仮眠とする。晴れ予報ではあったが、雪が舞っていた。

 
 スノーシューも持ってきたが、この雪の硬さはワカンの選択となる。ザックに結わえて若澤寺に向けて歩き出す。車で滑った場所は、歩行でもまともに歩けないほどにツルツルであった。この先の林道は車が入った跡も残るが、先の方で難儀している跡がみられ、もがく様子も見て取れた。ここは楽を狙うより遠回りでも安全を選んだ方がいい場所と思えた。暫くは標高を変えずに横移動して行く。

 
 最初の分岐は左に進む。しっかり道標があり迷う場所ではない。少し進むと10丁目の石碑の案内看板が見られる。しかしその石碑がどこにあるのか判らなかった。でも復路、目が慣れるとその在処がすぐに判った。勉強すると判る。見る目を持った嬉しい結果でもあった。先に進むと、今度は13丁目石があり、そこには水沢雄山神社が祀られていた。その後ろにあるご神木の立派な事。往時も当然見上げられていたもの。昭和に入り訪れる人も少なくなり、その木も幾分か寂しそうに見えた。

 
 足許は継続して滑りやすく、アイゼンを履きたいほどでもあった。スタートから30分ほど経過し、史跡入口の表示を見る。無積雪期にはここまで車を入れられるよう。特に駐車場は無いが、林道幅があるので邪魔にならないと感じる。さらに先に林道は進むが、15mほど先でゲートされていた。史跡側に入ってゆくと、進路右側に史跡があるようで石積みが見られる。道形に沿って行けばいいものと、沢沿いの道を行く。その沢沿いの為か道形にも流れができており、そのおかげでここだけ凍てついてはおらなかった。どこから取りつくのか判らず、しばらく沢沿いを行く。沢と言っているこの流れが水沢となろう。

 
 道が在るのか無いのかあやふやになった沢沿いを行くと、堰堤が姿を現した。少し構えたものの容易に越える事が出来た。その先、このままでは沢を詰め過ぎと感じ、西の斜面に取りついた。雪があるおかげで登れる場所。デブリのコブに足を乗せつつ上がってゆく。すると林道に乗りあげた。登ってくる方角は南から。と言うことは地形図を読むと、史跡入口でゲートされた道を伝ってくるとここにくるようであり、この先の進路如何では林道を伝って来た方がいい事にもなる。林道に沿ってクネクネと登ってゆくと、途中に98番鉄塔へ向けた巡視路入口があった。その先を見ると尾根の上から顔を出した鉄塔が見え、入ってゆくべきだと判断できた。

 
 巡視路は判りやすい道形で続き、難なく尾根上の道形と合流し、合流した場所から西を見上げるとそこに98番鉄塔が待っていた。この鉄塔から先は、ひたすら尾根を登ってゆく。特に危ない場所もなく登ってゆくと、赤ペンキで賑やかな場所に出る。見出し標の赤、図根点の赤、他テープやリボンや全てで赤色が用いられ、なにか血塗られたような雰囲気で、「ちょっとやりすぎ」の印象だった。それでも屈曲点でこれが為に間違わないだろう。下降側用に赤ペンキの矢印も見られる。


 屈曲点から先は掘れた場所も見られ、道形が濃く見えていた。高くなるほどに雪が緩み、踏み抜きが多くなっていた。そして山頂を目の前にしてキツイ勾配になる。加賀の白山で言うならば室堂平からの勾配となる。その雪の緩さでもがくような場所もあったが、凍っておらず助かったと言った方がいい。ザックのワカンを着ければいいが、もうわずかなので騙し騙し登ってゆく。

 
 白山登頂。広めのこんもりとした山頂部。北ア側は樹林が邪魔をしているが、隙間から見える様子からは、少し西に寄れば悪くないよう。ただしこの日は雪雲が覆っていたので、それがために近づくことはしなかった。一方、松本盆地側はクッキリと見下ろすことができた。ここに白山社が在ったのか・・・。全くその様子が伺えないのだが、人工物が一切ない場所だった。もっとも、雪がなくなれば三角点が出てくるので人工物が皆無と言うのは違うかもしれない。おっと、JJ氏の記録では石の祠が在るはずだが、今は雪の下になっているようだ。頭も見させてくれない。じっとしていると体が冷えるので下山に入る。

 トレースに足を乗せてゆくが、潜るは潜るは、やはりワカンを着けるべきな場所だった。でも着けない天邪鬼。途中谷を挟んで東側が見える場所がある。経路で開けた場所と言えばここくらいか。しばし我慢の歩行を続け、「赤の屈曲点」到着。もうこのようにネーミングする(笑)。矢印に従い尾根を変えるが、北に降りる道形もあり、上海渡地区からの登路も在るようだ。柔らかい雪も終わり快調に尾根を降りて行く。

 あっという間に鉄塔の場所まで降りてくる。この先は往路の巡視路を辿らず、尾根上の道形を降りてみることにした。掘れた道形を伝って行くが、かなりの急峻になる。間違いなく巡視路のほうが歩き易い。さらに途中で掘れたそれが二分しておりどちらに進むのが正解か判らなくなる。右側を選ぶも、ここも急峻で歩き辛い。しょうがないので西側にズレて植林帯の中を適当に降りて行く。下に明るい地形が見えてきたので、間違いなく若澤寺史跡と思い目指して降りる。

 若澤寺史跡に降り立つ。何もない雪の台地。そこに坊が在ったなどと説明書きが点在する。今では石組みだけが残り城址の様になった場所を歩き回り、最後に阿弥陀来光三尊種子碑と言う梵字の彫られた尊い碑を学んで帰る。沢側に降りて行くと、往路のトレースが残る。史跡側に降りてきたものの、いまひとつ鉄塔から下の道形がハッキリしなかった。これだと林道と巡視路を繋げて歩いたほうがいいと思えた。でも本当は寺跡から登るというのが正解なのだろう。

 史跡から林道を戻って行く。16丁目、13丁目、在り処が判らなかった10丁目石はすぐに判った。完全に目が肥えた結果と言える。滑りやすい足許に注意しながら行くのだが、天邪鬼はここでもアイゼンを着けない。少し滑って転ぶ事を楽しみにしているのかもしれない・・・。浄水場の分岐に到着する。

 帰路、田村堂を見学して全ての山旅を終える。信濃日光な山旅の日であった。往路に感じた違和感。答えはここが門前街風情だったということ。普通の山里だろうと予想していた場所が、予想外な雰囲気があったから。

 振り返る。少し趣がなくなってしまうが、水沢山林道→巡視路→98番鉄塔→白山、このルート取りが一番楽でスマートとなろう。迷う場所が皆無となる。雪がもう少し溶ければ、若澤寺史跡からの道が見えてくるのかもしれない。絶対的にこちらを伝うほうが味わいがあるのだとは思う。「2月の白山に登ってきた」と言えば北国新聞(石川県)から取材がきそうなものだが、流石にこの白山では・・・無理か。


 
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