日崎山    1396.5m                     

 
   2015.5.9(土)    


  曇りのち小雨      「激薮の隙間より」主催者同行    矢木沢ダムより重鎮尾根を往復  行動時間:4H35M 



@矢木沢ダム駐車場6:15→(10M)→A取り付きの階段6:25→(16M)→B981高点6:41→(63M)→C1300m峰7:44→(24M)→D1360高点8:08→(15M)→E日崎山8:23〜9:15→(36M)→F1300m峰下9:51→(37M)→G981高点帰り10:28→(11M)→H階段帰り10:39→(11M)→I駐車場10:50


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須田貝ゲートは6:00ではなく、5:45で開門した。 @矢木沢ダムには、流木が凄い量。 @持ち込まれる舟の量も凄い。 @駐車場から見る日崎山側。
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堰堤上を進んで行く。 堰堤上から下側。 慰霊碑の先に階段がある。 A取り付きの梯子
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三つ目の梯子 梯子はこの設備のためのよう。堤頂移動観測室 981高点西の肩。 ダム工事の構造物が残る。
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B981高点 しばらくは下草の無い歩き易い尾根が続く。 1150m付近の様子。だんだんと出るものが出てきた。 1210m付近。ブナの新緑と残雪。
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SK氏が追い上げてくる。 C1300m峰。 C1300m峰から見る日崎山側。 吊尾根はアスナロが繁茂する。
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雪を拾いながら進む。 D1360高点 D1360高点から日崎山側。 まだまだ雪の切れる場所が多い。
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大型動物の糞も見られる。 リッジ状の雪が出てくると、山頂も近い。 山頂の肩に乗り上げる。 E日崎山反射板
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ESK氏到着 E標識 E銘板 E反射板北側15mほどの場所から、立派な道がビンズル沢側へ降りていた。
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途中から奥利根湖 F1300m峰はトラバースして通過。 1210m付近の帰り。  シャクナゲが花季で美しい。
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1100m付近  990m付近 G981高点帰り 。付近、薄っすらと道形が存在する。  小屋の扉は施錠してなく、このような装置を見ることが出来た。 
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H梯子帰り H強固なしっかりとした梯子で登下行しやすい。 よう壁の横を戻って行く I駐車場に到着。 




 2015年のゴールデンウイークを伊豆諸島の南端で遊び、今週は整理体操的に軽い場所にしたいと思っていた。離島での山行はさほどハードにはなっていないのだが、全観光を含めると連日かなり歩いている。おかげで腰痛となり、離島でも痛みを抱えて行動していたので立山以降で治るどころか良くなる兆しがない。歩けば治る以前に対し、ここでも老化を感じたりする。そんなこんなで、あまり負荷はかけられず、適当な場所選びとなった。さりとて、まだ雪のある時期であり、その雪を拾って歩きたい気持ちはある。

 
 雪のあるエリアで面白そうな場所を探していくと、奥利根の日崎山が目に留まった。ここは何と言っても「群馬山岳移動通信」の記述が最古参であり、以前にそのルート取りを学ばせてもらっていた場所。狙うはいいが、ネックは現地へのアプローチ。今年の冬季封鎖からの開門はいつなのかと矢木沢ダムのサイトに飛ぶと、検索した8日(金)がその日であった。なんて言うタイミング。「行け」と言わんばかりの場所に思えた。ただし不安は腰。神経に触るキリで刺したような痛みが続き、まともに歩行できていない。こんな場合は安静なんだろうが、この族が安静にしているはずも無し。

 
 2:00家を出る。17号を伝い藤原湖側へ向かって行く。目指す矢木沢ダムへの表示はしっかりしており、導かれて分岐を曲がって進む。現地への最後の分岐を左に折れると、その先で車列が出来ていた。ここは須田貝ダム手前、たしかゲートがある場所であり、ここに来て時間規制がある事に気が付いた。準備不十分で、表示を話半分に理解しているのでこんな様。すぐに検索すると、開門は6時で今は4時、あと2時間もある。それで皆並んでいるのであった。車列に並ぶも路肩に居るのも同じと、少し手前の路肩に停車していると、1台の軽四がやってきて、車列手前で一度引き返していった。数分後、再びやってきて車列に並んだ。何を隠そう、この車がSK氏だった(この時点では判っていない)。この様子をみて、並ぶ方が得策と、軽四の後ろに並ぶ。軽四の主は助手席側に移動し仮眠に入る様子が伺えた。手慣れた行動で、釣り師にしては何か異風な雰囲気も感じられた。

 
 車列についていると自由な小水もままならない。したくなったのは開門時間30分前。30分も我慢できずに東側の掘れた場所に駆け下りて放水する。車に戻り、ホットケーキを齧りながらコーヒーを飲んでいると、車列を追い越してゆくオフローダーが2台続いた。これは何か動きがあると思ったら、前方のテールランプが灯りだした。時計は5時45分。6時に15分フライングしてゲートが開門したのだった。先ほど追い越して行ったのは係りの人の車のようだった。すぐに反応してエンジンをかける。動き出した車列に、後れを取らないようについて進む。

 
 ダム湖の所を九十九折で登ってゆくと、ボートをけん引した車の車列が出来ていた。最初は並ぶものと思ったが、右の方に駐車スペースが見える。ハンドルを右に切り7台ほどまくって駐車場に着く。そこで判ったのが、車列は船を湖に降ろすためのものだった。すぐに判断して正解だった。馬鹿正直に並んでいたら、無駄な時間を費やすことになった。駐車場には、先に1台あり、その人は組み立て式のカヌーを作っていた。持ち込む船もいろいろあるのだと目の当たりにした。するとそこに、先ほど前に居た軽四が横に停まった。私自身が釣り師でない利用者であり特異な位置づけ、この人はなんだろうと運転手を気にしていたら、なんと出てきたのはSK氏だった。思わず国際符号で声をかけてしまった。

 
 2008年の7月の千丈ヶ岳の登りで会い、
苳の平で別れたのが最後なので、7年ぶりと言うことになる。お互いに驚いたのは言うまでも無く、こんな場所で会うとは予想もしなかった。まあこれは、須田貝ゲートのおかげかもしれない。ゲートが無ければ入山する足並みが揃わなかったわけである。SK氏は連休の話をし出すが、私は連休後に氏のサイトを覗きにいっていなかったので浦島太郎、ここで初めて氏が奥利根で連休を過ごしたことを知った。今日はその奥利根シリーズの最後の山との位置づけのようだった。こちらは腰痛のリハビリ登山的で、何とも情けないが、こうして前向きに頑張って居る者が居て初めてモチベーションが保たれていたりする。

 
 積もる話が多く、仕度しながら話が尽きない。こちらは長靴、SK氏はしっかりとした雪山装備で挑むスタイル。既にこの辺りで我が不真面目さが見えてしまっている。氏は重鎮尾根を行くようであり、私のふらついていた往路も、重鎮尾根とした。G尾根とどちらにしようかと悩んでいたのだった。もう一つ、雪が詰まっているだろうから、ビンズル沢の遡上も出来るのではないかと思うところもあったが、自分を第三者的に見てしまうが、この二人が一緒に行動する事はまずないであろうことも加味すると、SK氏と同じコースで行く選択になった。腰痛持ちのハンデとして、足が揃うか心配であったので、準備をしているSK氏を背にしてスタートしてゆく。

 
 相変わらず車列は動いていない。1台に5分くらい要すようだ。ダム湖の中には凄い数の流木が見えた。この大きさのダムだと、ここまでになるのかと驚かされた。これらも昨今はお金になる。廃棄に困っていた過去に対し、その一本一本がお金に見えたりもした。右岸側から左岸側へダムの堰堤を伝って行く。下側を見下ろすと、心地いい高度感がある。その先に、ビンズル沢の流れが見え、そこだけ見ると、沢を遡上するのは時期が遅いのかもと判断できた。左岸側に行くと下流側に道形が進み、その反対側の上流側にも広い道形が見える。上流側に進み、慰霊碑を左にしてわずかに足を進めると、そこに取りつきの青い梯子が見えてきた。

 
 梯子を使わずとも、少し道形を先に進めば尾根に乗れそうにも見えたが、狙った猛者諸氏の多くがこれを利用している。正解が判っている中で登らない手は無い。最初の梯子を登りきると、次は右へ進む流れ止めのように横に寝かせた梯子が設置されていた。その次は、南にズレた位置に3本目の青い梯子が設置されていた。登ってゆく先にはコンクリート構造の小屋が見える。間違いなくこの小屋用の梯子と解釈できた。小屋の調査は帰りとして先を急ぐ。振り返ると、堰堤を歩いてくるSK氏が見える。追い越されるのも時間の問題であった。


 小屋の上の斜面は急登で、緩い地面に九十九を切りながら登ってゆく。尾根に乗り上げると、意外にも下草が薄く、歩き易い尾根なので少し拍子抜けした。忠実に尾根を拾って行くが、その尾根の北側には、獣道なのだろう道形が薄く続いていた。あまり労せず尾根を伝って行く。そして1150m付近よりササが現れだし、これにより少し安心する。邪魔なものが出てきて安心とは如何にであるが、予想した場所に予想したものが現れない事の方が違和感を抱くのだった。少し進度が落ち、背中から小気味いい鈴の音が上がってきているのに気付いた。尾根南側にわずかに雪が現れだすが、この辺りは細切れ状態であった。


 1200m付近。傾斜が緩まり、植生がブナ一色となる。新緑の芽吹きがまぶしく、残雪にそのライムグリーンが映えていた。ここでSK氏の姿が見えるまでに近づいた。1250mの高みが前に見えるが、ここは山腹を雪に伝って東にトラバースして進む。一方SK氏は忠実に尾根を拾っている。ここらへんが性格差が出る様だ。やや雪に乗る時間が長くなり期待するが、尾根頂部は途切れ途切れのままであった。


 1300m峰に乗り上げる。独立峰的ピークで、山頂からは展望を楽しめる場所であった。時計を見ると、ここまででスタートから90分。全体の2/3ほど消化したようであり、この先は1360高点峰を支える東西の吊り尾根を残すのみ。東進してゆくのだが、ここまで来ても雪は途切れ途切れで、温暖化の影響を強く感じたりした。まあ地形的要素が強く、同じことが仙人窟岳の北東尾根の藪区間に雪が少ないのと同じだろう。尾根上に大木が生え、雪をブロックしているように見えた。シャクナゲを漕ぎ、ササを漕ぎ、アスナロを漕ぐ。尾根の右側に出、乗越して左側に出、それでも雪を求めながら進んで行く。


 1360m峰に立つ。ここも先ほどの1300m峰に続いて展望のいいピークであった。それに対し、見られる日崎山の山頂部が樹木に覆われている。展望はここで楽しんでおかねばならないか・・・とも判断していた。少し下るとまた藪尾根で、最後の最後までこの状態なのではないかと思わされた。途中、東側の残雪に繋がると、大型動物の糞が残っていた。その前後にはうっすらと大ぶりの足痕が残る。この先は尾根を乗越して西側の雪に伝う。やや勾配のある雪面に長靴を蹴り込んでゆく。SK氏に先を譲った方が楽ではあったが、それでは情けなく、泣き言でもあったので我慢の登行。そしてリッジ状の雪稜となり、ハの字に開脚してグリップさせながら登る。


 勾配があった雪面が平らになる。ここが山頂かと思い周囲を見回してしまう。その先の方に間違いない人工物が見える。山頂ポイントはあそこか・・・。背中のすぐ近くで、藪を漕ぐ音が聞こえる。いつもの単独なら緊張する音となるが、今日は安心できる音だった。最後のレッドカーペットならぬホワイトカーペットを歩いて無事目的地に到着する。


 日崎山登頂。ダム湖までは賑やかな車列があり、湖岸ではエンジン音が響いていたが、ここまで上がると奥利根の、奥利根らしい静けさがあった。わずかしてSK氏も登頂する。見るとTシャツ姿。体感温度区分は欧米人に近いのだろう。こちらは少しうすら寒く感じ、雨具を着こむ。展望を楽しみながら山談義。いや、
苳の平でもそうだったが、仕事の話が主になる。まあお互いに明け透けに詳細記録を残しているので、あえて振り返るような、問うような話は無いわけであり、次にどこかで出会ってもここの部分は同じであろう。そうこうしていると、雨粒が落ちてきた。降ろうと降るまいと態勢になんら変わりが無いので、二人とも気にすることなく雨に打たれている。少し反応しろよと、雨の方が躍起になったのか、視界を邪魔するほどになってきた。こうなると自然に従わねばならない。下山を意識しだす。


 SK氏が、どなたかがここからの道がある記録を残している話をしていたので、在るとするならば南西尾根と決めつけて、その有無を見に行く。しかし全く見えてこない。違和感を抱きつつ往路の足跡を追って戻りだす。すると、反射板より10〜15mの距離で西側にハッキリとした開削された道形が降りていた。この切り方だとビンズル沢に向け降り、その沢沿いに道が在ると予想した方がいい。しかし地形図を見ると、そのビンズル沢の両岸は容易に伝えるとは思えない等高線に見える。はたしてどこに切られているだろうか。どこかに道が在るのは間違いなく、こうやって残雪期に狙う山ではなくなったとも言える。この機会に調査したい気もあったが、ビンズル沢の水量を見ているのでこのタイミングは大きなギャンブルに思えた。往路を戻ってゆく。


 戻るだけなので難しい場所は無いと気を抜いていると、1360高点の南側で、そして1300m峰南の場所で枝尾根に吸い込まれそうになる。一人なら神経を尖らしているが、二人の場合は依存する気持ちがミスを起こしやすい。そんな話をしながら戻ってゆく。そして1300m峰は山腹を通過し、西進に進路を変える。外れてしまったザックカバーを整えているタイミングでSK氏が前に出る。


 1200mのブナ林まで戻る。本当に心洗われる自然の色合いで、とても心地いい通過点であった。速い。無駄がない。これがあの記録の速さかと、背中からその下りの速さを感心していた。こちらは腰にビンビン響き、遅れまいとついてゆくのがやっとであった。氏は藪を分けるのを間違いなく楽しんでいる。そういう私も同じなのだが・・・。


 1150m以下では、往路に見えた以上に濃く踏み跡が見えていた。そこをスタスタとSK氏が先行してゆく。981高点まではあっという間に引っ張り降ろされた感じであった。ここからの下りは、やや北に振ってしまったため、修正しつつ降りてゆくと、ドンピシャで往路の小屋が現れた。入り口が無い小屋と思っていたが、湖面側に扉がついていた。ドアの隙間から覗くと鍵がかかっていない事が見えた。ノブをひねると簡単に開いてしまい、内部の装置を拝むことが出来た。小屋に書かれた文字を中国語を読むかのように薄く解釈しながらSK氏と設置の意味合いを納得する。梯子を伝うようにして降りてゆく。毎年、何人が入山するのか、途中には通過のために掘れた痕も見られた。


 湖の左岸に降り立ち戻ってゆく。その途中、やはりあの道の在処が気になり、二人で想定と検証をする。雨は降り続き、湖面にはパラソルをさした船も見られ、早々に上陸作業をしている船も見られた。開通後の最初の土曜日、興味がないようで、釣果に興味があったりする。右岸に戻り車に到着する。帰ってゆく船もあれば、この時間に登ってくる船もあった。SK氏は、この後は高平山を狙うようであったが、既に踏んでいるために同行はここまでとした。お互いの行動には干渉しないと言う不文律が我々には存在する。


 いやはや、同行登山は疲れる事の方が多いのだが、今日ほどに疲れない同行登山も初めてであった。実際は、同行している形になってはいるが、各々が単独行をしており、その歩調がたまたま一緒になっている感じと言った方がいいのかもしれない。姿が見えないからって気にする必要もおこらないし、前後しているからって、それがお互いの行動において妨げにはなっていない。


 「昔より歩けるようになってきた」「しかし疲れが取れにくくなってきた」SK氏の話なのだが、全く同じ進化経路を辿っているようだった。

 沢沿いルートの存在予想が正しいとならば、今後は8月とか10月の記録が出てくる場所だろうと思う。

 

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