諸桧岳 1516m 嶮岨森 1448.1m 畚岳 1577.8m
藤助森
1604m 八幡平 1613.3m
源太森
1595m
茶臼岳 1578.2m
2015.9.20(日)
ガス(強風)のちくもり、午後雨 単独 裏岩手縦走路を嶮岨森までピストン。その後八幡平エリアを歩く 行動時間:9H29M
@駐車余地6:18→(4M)→A縦走路入口6:22→(14M)→B畚岳分岐6:36→(39M)→C諸桧岳7:15〜16→(40M)→D前諸桧7:56→(27M)→E嶮岨森8:23〜36→(31M)→F前諸桧帰り9:07→(40M)→G諸桧岳帰り9:47→(52M)→H畚岳10:39〜56→(16M)→I縦走路入口帰り11:12→(14M)→J八幡平入口11:26→(17M)→K八幡平南分岐11:43 →(7M)→L藤助森11:50〜12:14→(9M)→M八幡平12:23→(23M)→N源太森12:46〜47→(22M)→O黒谷地湿原13:09→(30M)→P茶臼岳13:39〜48→(29M)→Q黒谷地湿原(熊の泉)14:17〜27→(83M)→R八幡平入口15:40→(7M)→S駐車余地15:47
@縦走路入口と八幡平駐車場間にある余地に車を停める。 | A裏岩手縦走路入口 | 道の様子 | かなり掘れた道の中を進む。 |
B畚岳分岐通過。 | 見栄えのする湿地。 | 流れを伴った中をジャブジャブと行く。 | C諸桧岳到着。 |
C賑やかな標識 | 沢の中のようなルート。 | 石沼は神秘的。 | D前諸桧1481高点 |
嶮岨森の岩峰 | E嶮岨森到着。 | E嶮岨森標柱 | E嶮岨森三等点 |
E嶮岨森主三角点 | E嶮岨森西側の紅葉 | F前諸桧帰り | 諸桧岳南の紅葉 |
G諸桧岳帰り | 畚岳南の紅葉 | 畚岳分岐。写真のご夫妻には茶臼岳でも逢う。 | H畚岳 |
H畚岳三等点 | H畚岳標柱 | H畚岳から八幡平 | 分岐帰り |
I縦走路入口に戻る。 | J八幡平入口 | K八幡平南の藤助森への分岐 | 途中の道標。この向かいに詩碑がある。 |
L藤助森最高所付近 | L詩が刻まれている。 | 散策路に戻る。 | M八幡平はこの賑やかさ。 |
ガマ沼で分岐し陵雲荘へ。 | 快適な木道歩き | N源太森山頂。 | N源太森標識 |
N源太森から東 | 安比岳コース分岐。 | 掘れた道で荒れていた。 | O黒谷地湿原 |
茶臼山荘に到着。 | P茶臼岳山頂 | P茶臼岳二等点 | P茶臼岳標柱 |
P茶臼岳から熊沼 | P茶臼岳から岩手山 | P茶臼岳から八幡平市(松尾)側 | 小屋内部。とても綺麗でトイレも匂わない。 |
Q黒谷地湿原帰り。 | Q金色に輝く湿原。 | 熊の泉で給水。 | 見返り峠に向かって木道を行く。 |
見返峠より。 | R登山口到着。 | S駐車余地の様子。 |
前日は大深山荘泊の予定で山旅の計画を組んでいたのだが、現地での判断でその日のうちに基点の松川温泉に降りてしまった。密かに温泉に入りたかったと言う本音も見え隠れするが、翌日に八幡平に抜けた後、15:20発の松川温泉行きのバスしかなく、どうにも時間の使い方での足し算引き算が納得するものにならなかった。公共機関を使う場合の制約なのだが、ここは自由度を上げるために二日目は八幡平を基点に動こうと判断した。
前日は松川荘に沈没し、心地よい湯で温まってからすぐ上のキャンプ場で食事とした。管理人はおらず管理人室も使えたのだが、そこまで節操がない人種ではなく、外の屋根の下を利用して夕食とした。この時季でもキャンプ場利用者がおり、テントが6張りほど見られた。食事を済ませ再び下に戻って、赤川を渡った先の広い駐車場がこの日の塒となった。夜半から雨となり、また濡れながらの山旅かと予想できた。
朝は深くガスが垂れこんでいた。八幡平へと登って行く。燃料計が点滅しだし、その計算もできていたので今回は携行缶を持ってきている。備えあれば憂いなし。ビクビクすることなく登って行く。しかし、以前は入れた八幡平の駐車場は、普通車のスペースにはロープが張られ入れなくなっていた。前日から入っている車か、停めてある車が羨ましく見えてしまった。一方ではじき出された車が、大型バス専用の駐車場に4台数えられた。さて困った。どこかに停めない事には行動に入れない。停められるのは縦走路入口のスペースと、その場所と八幡平駐車場間にあるスペースの2ヶ所。ここで前者は、車道からの勾配があり、トルクの無い車や車高の低い車は難しい。こうなると停められる場所は限られた。ただしここでも、舗装路からの段差がある場所があり、注意が必要なスペースであった。斜めの居心地の悪いままでエンジンを切る。
ガスに巻かれ、小雨に伴いやや強い風のあるスタート時であった。雨具を着こみ、早く歩き出したいので昨日の幕営装備はザックに突っ込んだまま出発とする。前日にしっかりと濡れ乾ききらない登山靴は、真新しい靴下を早々に侵食し始めているようで、通常とは異なる湿気の違和感がある。すぐに裏岩手縦走路入口に到着し、そのまま縦走路に入ってゆく。
最初こそ尾根道のような快適さであるが、途中からやたらと掘れた道の中となる。スパッツ必携の道でもあった。入り口から15分ほどで、早々に畚岳への分岐点。帰りに寄るとして先を急ぐ。いつもなのかこの雨のせいなのか、流れの中を歩いている感じの場所が続く。こうなると、前日も同じ経験をしている事からも長靴で歩いた方が適当な場所に思えた。現に一人だが長靴の登山者を見ている。見栄えのする湿地を左に見ると、ここからはさらに沢のようなルートとなった。あまり濡れずに行こうなどと思っていた思考を諦める。でも予報では回復傾向にあり信じているのだが、その雰囲気が全く見受けられなかった。
諸桧岳に到着する。道標や標柱が賑やかに出迎えてくれる。全くのガスの中で濡らされ寒く、近くに紅葉があるはずと言う事も含め苦行のような時間帯であった。ここからの下りは沢下りと言っていいほどに水量があった。それらを逃がすように工夫がされているようだが、自然の方が一枚上手で、対応してもなお流れをコントロールできていないようであった。流れは濁っていないので足許は見やすいが、湿地が近づき泥濘地形となる場所では、足の置き場に苦慮した。やはり長靴がいいと強く思えた。ルートの特徴を先に判っていれば・・・。まあ天候との関係もあるが、ここまでドロドロにさせられるとは予想していなかった。ここを往復せねばならないと思うと、前日に大深山荘に泊まって片道のみで抜けてしまった方が良かったようにも思えた。
石沼は、湖面から顔を出すその石が枯れていないが枯山水のように見えていた。名付けた人のセンスも光り、そこを注視させる事にも繋がっている。木道を進み緩やかな道を登りきった場所が前諸桧。ここもいずれは地形図に載ってくるのだろうか、そんなことを思いつつ通過する。次のピークが南進での最終到達地点。いまだに山容を見させてもらえず、風がかなり強くなってきていた。冬季のように雨具のジッパーを顔元まで上げる。一瞬ガスが切れ、鏡沼だろう姿が見えたが、本当に一瞬で再び何も見えなくなってしまった。
進んで行くと、空に鋭利に突き上げる岩峰が見えてきた。最高点はその先か、どうやら嶮岨森に到着したようだ。その岩峰を左に見る。痩せ尾根の上で、西風により東側に押し倒れそうなほどに強く吹いていた。先に標柱が見える。そして三角点らしき石柱の横には「山」と彫られた石柱も見える。アレがある山頂なのかと嬉しくもなった。それは主三角点であった。三等点と近接して立つ姿が兄弟のようで微笑ましい。それにしても強い風、3mほど北側に防風林となる植生があり、そこに隠れるようにして小休止とした。2時間ほどで到達できた事を思うと、やはり前日の判断は正しかったように思える。長靴問題は別として・・・。西側斜面は紅葉が広がっていた。ガスが晴れていればと残念でならない。
踵を返し北進として戻ってゆく。縦走路として以南の大深山間が歯抜けになってしまったが、これはしょうがない。前諸桧を過ぎ、単独の男性とすれ違う。道の様子を話すとお互いに苦笑いであった。石沼を経て泥濘地を渡り、流れの中を登って行く。気持ち水量が減っているのは、風は強いがガスが晴れつつあり回復傾向がみられるからか。ここは降雨に顕著に反応する場所なのだと理解した。次は3人パーティーがすれ違う。元気にもスパッツさえもしていない。考え方は様々。
諸桧岳の南側で広範囲に見渡せるようになり、紅葉の広がりつつあるようにが目にできた。そして諸桧岳再び。樹海ラインは少し前からエキゾーストノイズが聞こえるようになってきている。連休の民も動き出して八幡平を目指しているようだった。北に進んで行くと、私の場違いな完全防備の服装に違和感を抱いているように感じられる人がすれ違う。そのすれ違う人は誰も雨具など着ていない。そして続々と南に進んで行く。親子らしい女性のみのパーティーからは、普通に「どこからですか」と問われ、「ケンソまでのピストンです」と返す。逆に「バスですか」と問うと「タクシーです」と返って来た。タクシーまで使うとなると、かなりの気合を入れた縦走なのかと思えた。網張側へ抜けるようであった。前日に続き、この日もクラシカルな服装のハイカーばかりだった。最近のファッションを否定するわけではないが、クラシカルの方が目に馴染んでいてホッとする。そして山が穢れていないような印象を受ける。
畚岳の分岐には、ご夫妻らしき男女がおり、こちらが進んで行くのをずっと見られていた。そして前後の言葉無く「早いですね」と声をかけてくる。縦走してきたと思っているのだろう。ここでもまた「ケンソまでピストンしてきたんです」と伝え、止まらずに畚岳を目指す。後を着いてくる足取りが速い。かなり歩かれている方と判る。右手に八幡平が見えるほどにガスが切れてきた。これはいいお膳立て。
畚岳到着。三角点をも埋めてしまいそうな大きなケルンが印象的であった。この後に遊ぶ八幡平の平らな姿が見える。その山腹を行き交う車も増えてきているようだ。時計は10:40。大深山荘泊であったなら、8:30頃には八幡平の登山口に到達したであろうと予想できる。そこから5時間八幡平で遊ぶには、安比か大黒森くらいまで足を運ばねばならないだろう。地図を何度も見ながら足したり引いたり、検算するように今日の行動を肯定していた。そんな時、山頂に到着していた先ほどの奥方の方から「リンゴ食べませんか」と初物を差し出してくださった。「せっかくあげたのですから食べてください」と遠慮しても引こうとしない。ありがたく頂戴し、旬の味を先取りする。単身赴任している旦那さんに、奥さんが連休なので遊びに来ているとの事であった。連日銭川温泉で湯治をされつつ、付近の山を楽しんでいるとの事であった。ご主人は付近の山をよく知っており、この後は八幡平まで戻り、バスに乗り茶臼岳下に移動し茶臼岳に上がって八幡平に戻るとの事であった。それを聞いて、予定に入れていなかったが茶臼岳に行ってみたい気になった。それには、こちらから見る茶臼岳がいい感じに見えたからのだった。少し長話の後、礼を言って山頂を後にする。
縦走路入口までにすれ違った人は、20名を超えていた。全員じゃないだろうが、連休の山場が今日なのか大深山荘は大賑わいだろうし、三ッ石避難小屋もまた賑わうであろうと予想できた。舗装路を八幡平側へ戻ってゆく。携帯電話を車に忘れていたので、駐車余地通過時にそれをウエストポーチに仕舞い込み、またまた相棒と分かれる。路側帯が少なく、少し登ると山手側にスペースが出来る。ブラインドカーブになっており野草が茂るので運転手は驚くであろうと思われた。親不知でもそうだったが、車道歩きは怖い。
八幡平の駐車場は満車に近いほどに大賑わいであった。そしてここでも老若男女の姿が見える。山の格好している者4割に対し、観光として八幡平へ登る人が6割くらい。そこに混ざりながら遅い流れを一気に追い越してゆく。足はドロドロ。ザックには大きく補修されたザックカバーがかかったまま。そんなハイカーはここでは不釣り合いだった。藤助山側へ逃げねばと急いでいたのだった。意外と外国の言葉が聞かれなかった。時期的なものか、ここまで浸食は進んでいないのか、大声で不作法な人種が見られない事は衛生上は良かった。
八幡平を前にして、分岐を左に曲がって行く。ここはやや草が茂り足を濡らし、登山道上には水深50mm程に水が溜まっている場所が続いた。北側には湿地があり、その関係かと思ったが、地面は硬く踏まれ続けたから溜めるようになってしまったようにも思えた。勾配がほとんどない平坦なルートだった。途中木道もあったりする。マイナールートに思うここは、エアリアからは毎年刈り払いがされるとある。確かにマイナーな割には状態が良い。
進んで行くと、左に大ぶりな道標が現れ、その道向かいに歌碑のような小さな人工物があった。最初これが遭難碑に見えてしまい、痛いものを見るかのように全容を把握せずそのまま通過してゆく。先に進むと、道標の場所から30mほどで下り勾配となった。その手前の場所がどうやら藤助山の最高点のよう。正確な山頂の場所が何処になるのか不明瞭な為、先ほどの道標の場所で自分のなかでの藤助山とした。
歌碑の前に腰を下ろし少し早い昼食とした。水戻し餅なのだが、賞味期限が切れると水に浸しても餅に戻らない事を学習し、しょうがないので煎餅のようにガリガリと齧るのだった。こんな時に自分は美食家でなくてよかったと思える。食える物は何でも食う。そうしている前を一人の男性が通過して行った。こんな場所で・・・と不思議そうに見ていたのは言うまでもなく、こちらもまたマイナーなルートをと珍しいものとして見てしまっていた。前日に汲んだ水場の水を飲むと、昨日のルートが思いこされる。さて喧騒側へ戻ってゆく。
分岐に近づくと、子供がこちらに入ってきてしまい親に修正させられていた。心理としては人の居る方に行きたがるのだろう。直線の道を行くと櫓の上に、その下にと、なんだかわからないピースサインをしたカップル、その靴で登ってきちゃダメでしょうにと思いたい女性などがおり、もう早足で八幡平頂上を抜ける。ガマ沼で分岐し陵雲荘側へ進んで行く。こちらも賑やか、八幡沼を見下ろす休憩地には所狭しと陣取って秋を満喫している姿があった。陵雲荘前を通過し木道を伝って行く。尾瀬を歩いているかのような錯覚を受ける広大さ。尾瀬と違うのは、ここは軽微な服装や装備の方が多いこと。進む先に源太森の高みが見える。見返峠へ分かれてゆく散策者も多い。空いている場所は少なくあちこちに人が居る感じを受けた。進んで行くと目指す源太森の上が何やら賑やかそうに声が降りてきていた。
源太森到着。見栄えのいい湿地側に登山者や散策者が休憩していた。同定盤の上に腰掛け続けるオバちゃんの姿もあり閉口してしまう。八幡平山頂側はやや暗い景色で、これから向かう茶臼側は幾分か明るく、そこに山小屋がぴょこんと見えるので、登山意欲をそそるのだった。南に降り再び縦走路に乗る。細かい階段状になったルートを降りてゆくと安比への分岐点。そしてここからの道が荒れていた。深く掘れた場所も多く、ここも流れが出ている場所であった。途中より木道になるが、現状は整備した時の7割くらいは崩壊してしまっているような印象を受けた。進む先に黒谷地湿地の展望場分岐が現れる。
黄金色に輝いた湿地を左に見つつ、流れの出た石ころの多いルートを行く。ちょっと予想外だったのが、「熊の泉」はすぐ判る水場と思っていた。道標も、その様子もないまま茶臼側に向かってしまっているので、もしや水が出ていないのかと不安にもなった。ここで汲めるものと思い残量調整をしていたので、汲めないとなると心細いのであった。とは言え、これほどにあちこちから流れが出ていれば、気にしない自分としては何処でも利用できる。すぐ途切れるかと思ったが、しばらく流れの中を進み、それが途切れた頃にやや登り勾配になってゆく。降りてくる大パーティーがすれ違う。
茶臼山荘に乗り上げる。誰もおらず静かで、内部は帰りとして右折して山頂を目指す。意外だったがこちらも静かで、山頂に着いても誰一人いなかった。待っていたのはカラスで、彼らは人間様の残り物を狙っているのだろうと想定できる。素晴らしい展望。突飛に追加したが、訪れてよかったと思える展望があった。眼下に見える熊沼が鏡のように輝いていた。八幡平市、松尾の山と言った方が合っているのだろう付近の山々が良く見える。しばし腰を下ろして地図と見比べて山座同定をしていた。午前中に歩いた場所が対岸位置によく見える。しかし畚岳で出会った夫婦の姿がない。途中ですれ違っていない事から、まだ到達していないのは間違いなく、それにしては遅い行動と思えていた。本日の最終座は大展望で、終わりよければ全てよしとなった。
山頂から山荘側に戻ってゆくと、聞いたことのある鈴の音が聞こえてきた。間違いない、そのご夫妻だった。前から「ああ」とやってきた。またここでも「早いですね」と言われ、全てに本日二度目。山頂で行き会えばもう少し会話もできたが、ここではすれ違い位置、邪魔をしないようにわずかな時間で背を向ける。山荘前はバスからのハイカーなのか、往路とは違う場所に見えるほどに賑わっていた。中に入ると、その綺麗な事。それにはトイレがあるにしては全く臭わないのであった。暖かい内部に昼寝をしたいほどであったが、少し雲行きが怪しくなってきており行動を急がねばならなかった。
黒谷地湿地へ降りてゆく。14時を回り、空もやや暗くなり登ってくる人の姿もなく、往路と打って変わっての寂しいルートを戻ってゆく。そして黒谷地湿地も戻ると、一人の男性が居たので水場の場所を聞くと、この下の駐車場への道の途中と教えてくれた。彼の今晩は陵雲荘泊だそうだ。予定では大深山荘泊だったそうだが、混みそうなのでこちらにしたとのこと。この判断はよく判らなかった。翌日だと少し空くのか。そもそも秋の連休自体が毎年あるわけではなく、統計は取れない筈・・・でも水場を教えてくれたいい人であり、茶臼までを迷っていたようなので、ここまで来たのならと背中を押してあげた。
源太森へと登り上げてゆく。荒れた場所と感じ降りてきたが、登る分には意外と印象が違った。どんな場所も荒れた場所は登りとした方が楽って事だろう。それでもこの日も良く歩いており楽に登れているわけではなかった。悪路を登り切り、往路ここで女の子が御父さんに「これで終わり」と言った意味もよく判る。状態の悪いのはここまでと言う事だったと理解する。安比への分岐を右に見て、その先の階段状を上がってゆく。登り切り源太森山頂が近くなると、まだ上の方は賑やかそうであった。既にここでポツポツと落ち始めていた。一時かこの後ずっと下降線か、空を見ても判断できなかった。しばらく我慢していたが、八幡沼の分岐を左に曲がると本降りになってしまった。雨具を着こむと、その間に追い抜いてゆく人が、「もうちょっとだったのですけどね」と駐車場までの距離を冗談交じりに言っていた。木道を行き登り上げ、そしてまた見返峠まで登り上げるような散策道で、最後まで楽にはさせてもらえない。雨となったので、蜘蛛の子を散らすように駐車場からバイカー集団が下山に入る。乗用車も似たような行動で、高いところから流れ落ちる水のようにその車列を見つつ歩いていた。
八幡平登山口に降り立つ。こんな天気だが、まだ登ってゆく者も居る。全ては近さゆえだろう。距離が倍だったらどうだろう。八幡平が藤助森の位置ったら・・・なんて考えるが、想像できるくらいで、本当なんてそうなってみないと判らない事。15:20発のバスの姿は既にない。どんなバスだったのかと見たい気がしたが、もう少し早くに歩かねばならなかったようだ。舗装路を隅っこに寄るようにして下ってゆく。車に到着する頃、大きなザックを背負った学生パーティー5名が力量差を反映させた順番と間隔をあけて八幡平側に登って行った。彼らも陵雲荘泊だろうか・・・。