高座岩    1786.7m           

 
   2015.7.25(土)    


 快晴    単独       赤坂地区より高座岩を経て芝平地区に抜ける法華道での周回   行動時間:5H13M 


@赤坂地区聖橋分岐5:15→(13M)→A赤坂地区林道分岐5:28→(2M)→B赤坂地区最奥民家前5:30→(6M)→C林道終点5:36→(19M)→D水場5:55→(24M)→E林業作業道終点6:19→(19M)→F造林小屋6:38→(36M)→G高座岩7:14〜48→(23M )→H御所平峠8:11→(16M)→I林道より法華道への下降点分岐8:27→(26M)→J爺婆の石8:53→(32M)→K舗装林道に降り立つ9:25→(5M)→Lマンドーから林道偵察9:30〜39→(4M)→M諏訪社9:43〜45→(6M)→N芝平分校跡9:51〜55→(33M)→O赤坂分岐に戻る10:28



akasakabunki.jpg  goshikitakihe.jpg  myoukendou.jpg  koushintou.jpg
@赤坂地区の五色滝への道標のある分岐。駐車余地は左側の先20m付近。 五色滝への道にはバリケードがされていた。 妙見堂でいいのか? 大きな庚申塔が立つ。
ishigumi.jpg  sonnrakusaiokubunki.jpg  o-tobaino.jpg  rindouiriguchi.jpg 
A石組みの家を左に見る。この脇を登って行く。 A左の写真へ入って行く分岐。普通に真っ直ぐに進んだら、行き止まりとなってここに戻る。 B集落内最奥住宅地前。 Bここまで入って、やっと登山道の道標が現れる。
sumai.jpg syuutenchi1.jpg  marking.jpg  ichidanueno.jpg 
B道標のあるのは、この民家前。最奥の家。 C林道終点。進路が良く判らない。写真左側の場所に薄っすらとある。 適時このマーキングが導く。道形は写真中央。普通に判らない。 写真左に道形。一段上の地形に上がる場所。さっと視覚的にルートが見出し辛い。
douhyou.jpg  mizuba.jpg  mizuba1.jpg  itazura.jpg 
道標はたまに出てくる。 D水場も設けてあった。ここで得ずとも、その機会は沢山ある。 Dルートから見下ろす水場。 途中にこんないたずら書きがあり、ホッとさせてくれる。
kibashi.jpg  onesawa.jpg  bunnkihyouji.jpg  rindouni.jpg 
古い木橋が見える。かなり昔から使われてきたのが、苔生した様子から伺える。 尾根ルートと水源ルートの分岐点。 分岐点道標。水源コースは悪路とある。 新たな林道に出合う。
hidarimigi.jpg  jyoububunki.jpg  aratanarindou.jpg syuutenchi.jpg 
左側から登ってきて、鋭角に右側に進む。撮影背中側にも道が進む分岐。 尾根コースと水源コースの上部分岐。 また新たな林道に合流する。もうすぐ林道終点。 E林道終点地。道標がルートを導く。
kangyou.jpg koya1.jpg  koya2.jpg  koyanoueno.jpg 
既にルートを逸れているのか、この表示の場所を通過する。 F造林小屋を発見。 Fかなりおおぶりな造り。横や裏側はもっと朽ちている。小屋脇に流れあり。 造林小屋の上、肩の上に上がった場所から低い笹原となる。
shikamichi.jpg shixtuchi.jpg  onemichi.jpg  sotouba.jpg 
幾重にもある鹿道を選んで伝う。 流れのある場所が多く、それがために一帯が湿地のようになっている場所もある。 尾根に乗り、入笠山よりの登山道に乗る。なお、ここも法華道。 G高座岩到着。卒塔婆が出迎える。
sekihito.jpg saikousyo.jpg  yontou.jpg  nyuugasayama.jpg 
G南側の岩峰。展望地。 G最高所と手前に三角点。 G四等点 G高座岩から見る入笠山。
yakisoba.jpg  minamikara.jpg  benchi.jpg  azamito.jpg 
Gヤキソバパンと中央アルプス。 G南側から高座岩を見上げる。 G南側には木陰にベンチが設置してある。 アザミとヒメアカタテハ。
takanenadeshiko.jpg  takamiishi.jpg  karikoya.jpg  gosyodairatouge.jpg 
タカネナデシコを見ると、坊主山(北ア)を思い出す。  高見岩  高見岩下の小屋跡 H御所平峠。ここまで進んでくると、幾分法華道の雰囲気がしてくる。
bunki.jpg  hoxtukedou.jpg  ike.jpg  gosyodaira.jpg 
H法華道の道標。 法華道の様子。 途中の池 御所平の様子。
rindouhaba.jpg  gosyogaike2.jpg  gosyogaike.jpg  rindoukakouten.jpg 
伝って行く道形は、よく見ると林道巾で続いている。  御所ヶ池側への分岐点。バリケードされているような倒木がある。 この表示は折れ曲がって見えないようになっていた。  I林道巾から山道になる下降点分岐。
kakoutenhyoushiki.jpg  futatabi1.jpg  sansyougoya.jpg  tamagotake.jpg 
I上に見える赤いプレートが最初は続くが、その先がやや難しい。  I道を失い、7分後に再びここから下降する。やや斜面左に進むのが正解。鹿道が多い場所。 サンショウゴヤの説明書き。  このエリアは、あちこちにタマゴタケの良品が出ていた。
habakiate.jpg  anbuno.jpg  umayano.jpg  jijibaba.jpg 
ハバキアテ  途中の鞍部は面白い地形になっていた。そこだけ土盛りしたような場所。  厩の平。馬具が出土したらしい。  J爺婆の石。手前が婆に見える。とすると、爺の方は風化が進んでしまっている。 
uegawanikerun.jpg  monnatoyashiki.jpg  tamagotake2.jpg  ryuutatuba.jpg 
J爺婆の石の上側にもあちこちにケルンが見える。 門跡屋敷。 タマゴタケの出たてを・・・ 龍立場。 
nutaba.jpg  oritatu.jpg  iriguchicyuui.jpg  hoxtukedoubunki.jpg 
ヌタバ。  K舗装林道に乗る。  K警告表示  Lマンドーの場所の分岐。少し入った場所に分岐する側を指して法華道と書いてあった。これでは迷う。 
mando-.jpg  uekarashibira.jpg  mizu.jpg  futatabi2.jpg 
Lマンドーの解説。  芝平地区を見下ろす。 L分岐にある水場。 L分岐再び。 
myoujinbashi.jpg  suwasya.jpg  iriguchi.jpg  detekita.jpg 
明神橋まで降りる。  M諏訪社に立ち寄る。大ぶりな池があり、目立つ倉庫(宝物庫)もある。 明神橋側から山手側を見ると、この表示がある。しかし、どの進路が正解なのか、Lの分岐は南なのか北を選ぶのかも判らない。降りてきたのは北の場所。  右側から出てきた。左が芝平高遠線。
minka1.jpg  bunkou.jpg  naibu.jpg  bunkoumae.jpg 
明神橋左岸の住まいしている民家。  N芝平分校跡の体育館 N体育館の内部。かなり雑巾がけがされたのだろう黒光りしている。 N分校跡地には大きな碑が並ぶ。 
minka2.jpg  sekizou.jpg  cyuusya.jpg   
N芝平地区は災害により離村したと聞くが、まだ住まいしている家がポツポツと見られる。  車道沿いに見られた石仏。もっと山中にこれらが沢山置かれているのかと思ったが・・・。 O赤坂に戻る。駐車余地の様子。  




 トキンの岩を発端に岩シリーズに目覚めたわけではないのですが、気になる場所が発生し、たまたまその場所に岩の名が当て込まれている。その名は高座岩。謂われやルートを探ってゆくと、信仰に関する情報が得られ、埋もれていた古道が復活した情報まで得られた。


 今では白山のメインルートとなっているのは砂防新道や観光新道。ただし趣のある越前禅定道や美濃禅定道、加賀禅定道と言ったルートは登山+αの楽しみを与えてくれる。今回の高座岩に対しては、入笠山よりのルートがメジャールートとなっている中、復活した古道の法華道は、同じような魅力を抱く場所であった。ただしまだマイナールートのために、正確な情報が乏しく、おおまかにはルートの場所が判るが、詳細が見えてこない場所であった。伊那市で冊子が作られている様だが、決めたのがいつもと同じように金曜日、入手するまでに至らず、自分の感覚として6割くらいの情報を持ち挑む事とした。


 関東側からのアプローチとして近いのは、富士見側より沢入駐車場に上がり歩き出せば最短となる。今回の企画は、ぐるっと回り込んで反対側から登る格好で、効率的には悪いことになる。ただし挑む場所の古道としての付加価値は大きく、山に対しての信仰心を感じながら歩けることに楽しみを抱いていた。もう一つ、小黒川沿いの黒河内林道も気にしてみる。既に白岩岳の時に体験しているから体に染みついているが、ゲートからの長い林道を伝うには、かなりの負荷と思え瞬時に却下となった。


 1:00家を出る。野辺山を越えて久しぶりに八ヶ岳南面道路を走り20号に出る。トラッカーに紛れながら茅野に入り、152号で杖突峠を越えてゆく。高遠市内まで南下し、美和湖より登り返すのが主要道の伝い方のようだが、高遠に降りてゆく途中、板山地区からの小豆坂トンネルを経るショートカットルートが選べ、一山跨ぐにも便利な道を伝うことが出来た。このおかげで30分ほどは到達時間が削減できただろうと思う。暗い中でのルート探しを避け、宮原地区の余地で30分ほど仮眠をしてから、明るくなりだした頃に、山室川沿いに車を進めてゆく。


 目立つ弘妙寺と、その横の分校館を過ぎると、途端に寂しい景色の林道となった。赤坂地区の分岐を気にして進むと、それらしい場所が右に下っていたが、どうにも地形図に見えるほどに賑やかしくなく、ここではないと思って先に進む。しかし、この先暫くは右への分岐は無く、そうこうしていると芝平地区に入り、分校跡が見えたのでハッキリと現在地を把握した。少し先に進み、下山口側を見ておこうと進むと、ここも右に下るような道で対岸に向かっていた。そして現在は付近の工事がされており、飯場の建物が設置されていた。一応これで下山側も把握できたので、帰路の経路が下見できたことになる。来た道を先ほどの分岐まで戻ってゆく。


 赤坂地区の分岐の所には、10台ほどはゆうに停められるスペースがあった。何の目的なのか判らないが駐車場に利用させてもらう。そして山室川側を見ると「五色滝」の案内看板が見える。これが目印となる。川沿いなのでブユが居るのではないかと気にしたが、幸いにそれは無かった。すぐに準備する。車の往来も無く、山里らしい静かな場所であった。


 どのくらいで周回できるか、駐車余地を後にして栗立川沿いに舗装路を登ってゆく。最初に聖橋を渡るが、そこでの山室川の渓谷美が見事であった。勾配が強い道で、かなりの頻度で塩カルのボックスが設置してあり、その数が異様であった。住まいしている家はあるのかと、注意するように見える民家をつぶさに見てゆく。と言っても、最初に右にある大きな建物は企業の建物であった。住まいしていると思しき場所は、五色滝へ続く分岐付近で、廃れた感じの無い家が見られた。その五色滝への道は、入ってすぐにバリケードされていた。この先は、右に1軒、左に1軒と廃屋を見て進む。


 少し薄暗い場所になり、右側に社のような建物が見えてきた。これが妙見堂となろうか、旅の無事をお願いしてゆく。その前には立派過ぎるほどの庚申塔が立っている。供物としてドスンドスンと言った感じで月桂冠の一升瓶が8本置かれていた。凄い信仰心であると思えた。しかしあまり管理された様子の無いのが伺え、この地区の住人はかなり少ないだろうと予想できた。なにせ人気のない村落であった。


 進路左に石積み構造の倉のような作りの緑の屋根の家が見えてくる。周囲の家に比べ、少し高級な作りなので目立つ。その先で小さな橋を渡り進むと、この道は行き止まりで沢の中に消えてゆく。進路は今ほどの緑の屋根の家の脇を行く道が正解のようで、道なりではなく、ここで本道を分岐して北側に登ってゆく。途中右に1軒見えるが、畑が管理されている様子からは住まいしているよう。ただし人気がない。このさらに先に1軒あり、ここが最奥となるが住まいしている家があり、窓が開け放たれ、そこから見える室内に朝寝をしているのか寝そべっている姿が見えた。蚊などは居ないのか網戸不要で暮らせるなんて・・・羨ましい。ここに来てやっと「入笠山登山口」の道標が現れた。なぜにここまで来ないと現れないのかと思ってしまう。


 ダート林道を行くと、コンクリートの構造物が現れる。栗木川側を見下ろすと堰堤が見える。その工事の為のバケットでも吊った基部のようであった。この先わずかで林道が終点となり進路が判らなくなる。うっすらと続く細い道形を拾って進むと、すぐに流れを跨ぐ。そして赤いマーキングが続くようになる。が、それを拾うには感覚で進むような場所もあり、慣れていないと安心して伝える進路ではなかった。ルートが見えなくなって探すと、鹿道の様に薄く一段上の地形にあがっていたりし、無いなら割り切れるが在るものを探すのは苦労するのだった。


 二つ目の道標が現れる。しかしまだここまで入ってきても法華道の文字が見えない。入笠山への道とは判るが、計画時の目的の道に居るのか外しているのかが知りたかった。探るような進路の取り方で薄い踏み跡を拾って行くと、雑木林から出てカラマツ林の中に出る。ここで進路が90度右を向く。曲がったすぐ上に「水場」の道標があり、標識の下10mほどの場所から流れが出ていた。水場は有益だが、この山塊は、足を進めるどの場所でも水が得られ、特に汲む必要はない場所と感じる。でも、水場は水場で重要な場所となろう。


 水場を右に見て進むと細い石碑のような石があり、そこに石仏をイメージしたいたずら書きがされていた。古い木橋を渡り、ここでも水は得られる。この先に二つの標識が掛かる場所が出てくる。尾根コースと水源コース。注釈が入り、歩き易い前者と、悪路の後者と書かれていた。ここで悪路を選ぶ性質ではないので尾根コースを行く。立派な道形を進むと、左からの林道幅に出合う。この辺りは開削の仕方から林業作業用の道であろう事が判る。ここから2分ほどで分岐となり、ここは鋭角に進む方向にマーキングがされている。何もマーキングされていなかったら、この辺りは至極難しい進路選びとなる。


 駐車余地からスタートしてちょうど1時間が経過した場所で、やっと分岐道標に「法華道」の文字を見る。ここまで来ないと出てこないとは・・・かなり待たされる感じ。下にあった水源ルートと尾根ルートの合流点で、下に向けては水源ルートを法華道と書いてあり、わずかな距離だが伝えない事を残念に思えた。ただしここで法華道に乗ったことを確認できた。上部に進むと、また新たな林道幅が左から現れ合流する。ここから1分ほどで伝ってきた林道幅は終点となり、尾根に取りつくように「入笠山」と標識がふられていた。


 入り組んだ道形を分岐を何度も経て進んできたので、何処に居るのかがよく判らなかった。地形図からは、破線路を経由すると1663高点を経て御所平峠の場所で稜線に合流する。しかしこれでは高座岩から大きくずれてしまう。その方が速く進めるとも予想できるが、ここは距離重視として進む進路を東南東に向くことにした。杣道なのか鹿道なのか判断できないような道が在り、そして辺りには細い流れが幾重にもあり、水は何処でも得たい放題であった。


 林道幅の終点地から、本当に適当に登ってきていた。その先に予想もしない人工物が見えてきた。それもかなり大きい。それが近くなってくると全体が見えてくる。間違いなく造林小屋で、かなり古いが何とか立っている。入り口のドアは開け放たれ、何か出てきそうで怖い感じもする。その建屋の横には、倉庫のような別棟がある。その二つの建物の間を小川が流れており、ここも水に不自由のない小屋であった。しかしこの小屋は北も南もあるべき扉や窓は無く、見る角度によってはかなり荒んでいた。中を覗く勇気は無く、足早に離れてゆく。こんなのに夜出合ったら・・・。少し勾配のある場所を突き上げてゆく。登り上げると肩的場所がピークのような高みになっており、そこからは背の低い笹原が繋がっていた。鹿道も多く、流れも多いし湿地も多い。斜行する鹿道に乗って進み稜線の上の登山道に乗る。ここも法華道となる。高座岩まで残り3分の標識に気をよくして足早に進む。手前の偽ピークのような場所を経てさらに進むと、それらしき岩峰が見えてくる。


 高座岩は北から進むと、東から巻き込むようにして南側から鋭角に登る格好で山頂に到達する。最初に卒塔婆が出迎え、そこに書かれた文字に至極感心する。人間とはここまでの言葉がひねり出せるのかと・・・。その先に四等点が埋まり、さらに先が岩が堆積したような感じで最高所がある。卒塔婆の方へ戻ると、行政の解説書きが立ち、その南側の岩に大きな石碑が立っている。西側にバンドがあり、そこから下側を見るとわずかな高低差だが高度感のある岩峰の上であった。経路2時間、まあ予定通り。ここは中央アルプスの展望台で、邪魔するものが無くクッキリと見えていた。入笠山側はやや歪で、それより小黒川を挟んでの2006m峰が、どっしりと構えているのが印象的であった。外気温は18℃と心地よく大休止となる。


 往路は今一つ法華道を味わえていない。後半はしっかりと味わいたい。このままではやや煮え切れない感じがするのだった。休憩の後、南側に降りてみる。山頂にあったのと同じ解説が、日蔭のベンチの所に置かれていた。さらに南を調査する。どこかに赤坂地区へ下る道があるのではと思っていたが、発見する事は無かった。高座岩の山頂を掠めて東側を通過してゆく。往路に登り上げた場所は、何処も景色が一緒で特定できなかった。進んで行くと高見岩と名付けられた場所があり、わずか先の東側斜面に昔の仮小屋が在った場所として案内板で記されていた。小屋が在ったほどとなると、よほど法華道の利用者が居た事となろうか、それとも信心の行事の為の小屋だろうか。


 御所平峠到着。賑やかにも道標やお地蔵様、歌碑などが立っている場所であった。道標はしっかりと法華道を示す物で、ここから芝平を目指す。雰囲気のある道で、峠から5分ほどで池のある場所を通過する。その先が御所平と呼ばれる場所で、名前の通り広く平らな地形であった。よく見ると、伝っている道が林道幅になっていた。草で覆われているが、昔は車で上がってこれた道のようであった。


 踏み跡が分岐する場所に出る。林道側を指して芝平方面は林道沿って進めと掲示してある。もう一方の道形にもマーキングが見える。そして踏まれている道・・・。道標を信じて林道側に進む。くねくねと九十九折する道で、昔道にしてはなにか拍子抜けする感じがした。その途中に、御所ヶ池への分岐が現れる。なんとなく現在地が把握でき、先ほどの分岐もまた、方角的には御所ヶ池側に進む道と判断できた。ここの分岐は、その池の方にはバリケードの様に倒木があった。たまたまか人為的か、まああまり伝う人は居ないであろうから、これはこれで正解かも。ましてや池を目指す道標は折れて見えないようになっていた。


 林道から離れる下降点が現れた。ここからは頻繁に「法華道」と書かれた赤いプレートが掛かっていた。登山道と言うよりは鹿道のような感じ。ここでの判断が、往路の薄い道形の体験があるので、幾重にも入り乱れる道形の中での選択がブレる。途中でルートを外したのに気付かないくらいに鹿道がしっかりしていたりする。その先で道形が消滅し、判る場所まで戻り、結局林道まで戻って下降点から再出発。ここでの進路はやや北西に進む感じ。地形的に北に進みたくなるような斜面で迷いやすい。正しい道形を追えると、分岐から5分ほどで、「サンショウゴヤ」の解説標識のある場所が出てくる。法華道に乗っている事が確認できホッとする。


 このルートはあちこちから良品のタマゴタケの姿が見える。最初は眺めて楽しんでいたが、傘の開いていない肉質を楽しめるものが目に入り2本ばかり晩酌用に頂戴する。「ハバキアテ」「厩の平」、そして「爺婆の石」。ここは通過する人が石を積み重ねたと解説があり、よく見ると爺婆の石の所だけでなく、周囲広範囲に積まれているのが見られた。そしてここの石は、どうも爺さんの方は風化し、婆さんの方しか形状を保っていないような姿であった。


 次の「門跡屋敷」は、この場所が芝平集落の起源との事。最初は奥地でだんだんと下に降りた・・・。昔は食べ物や災害を加味すると、山奥の方が暮らし易かったのだろうか、などと現在と逆の様子を不思議に思う。次が「龍立場」で立場は少し猟を知っている人なら解釈ができ、龍が猟の訛りであるとあり、語意が判ればそのまんまの場所であった。ここから下が、掘れた道形となるものの、似通った場所が多く選ぶ場所を迷う。一番太いであろう場所を半信半疑で拾って行く。途中には大きなヌタ場のような場所が見られたりした。少し尾根から逸れてゆくような進路で不安ではあるが、伝って行くと下の方に道が見えてきた。


 降り立った場所は、入り口が細引きでゲートがされていた。二輪車が入るようで、それを封じたものらしい。こちらにも登山口道標は無く、その二輪車への警告板が掲げられているだけであった。舗装路を降りてゆくと、分岐となり水場があった。少し入ると「マンドー」の解説があり、法華道を南側として矢印が示していた。どこかに取りつき点があるのかと、少し伝ってみるがそれらしい場所は無い。さらに進み現在の芝平の集落が見下ろせる場所まで進んでから踵を返し、分岐の水場で喉を潤して舗装路を降りてゆく。


 下に早朝に訪れた場所が見えている。明神橋の左岸側には大きな民家があり、ここも現在住まいしている人が居る。この上流側に在るのが諏訪社のようで、無事の下山の報告を含め参詣してゆく。境内には大ぶりな池もあり、一風変わった造りでもあった。橋を渡って飯場を通り、芝平高遠線に乗る。そしてすぐ下流の芝平分校跡を見学してゆく。校舎は崩壊が酷いが体育館はしっかりしており、薄い窓ガラスからは、黒光りする体育館の床が見ることが出来た。往時は賑やかだったろう場所が、わずか半世紀ほどでここまでになってしまう事実、往時を忘れないようにと、その意志の強さを示すように大きな碑が建立されていた。その下流側には民家が3棟建ち、うち2棟は住まいしている住人の姿が見えた。しかし、どの住民も私の存在を判ってはいるのだろうが、顔を向けようとせず知らんぷりをしている。この対応は山間部や離島でよく経験する。部外者を敵対視する農耕民族的な守りな感覚からなのだろう。郷によれば郷に従えで、静かに通過してゆく。


 芝平公民館と書かれたお宅もあるが、そこもまた普通の住宅で住まいしている人がおり、日中でありながら電気が点いているのが見えた。この先は西側山腹に住居があるように地形図に書いてある。その分岐の場所には、「農業法人南アルプス」なる標識がその方向を示していた。再度地形図で確認すると、地形的には東からの朝日を浴びる、好立地に集落が在るように読めた。心地いい沢音を聞きながら、その山室川に沿うように降りてゆく。車道脇からの流れが多く、今日は最初から最後まで水をよく目にする経路となっていた。


 進む先に見慣れた余地が見え、ポツンと相棒が夏の日差しを全身に浴びて体温を上げた状態で待っていた。すぐに全てのドアを開けて内部空気を入れ替える。無事到着。暑い時期だが、涼やかに避暑山行が出来た。


 私の中での古の思いが強く、そこに石仏や現存する遺構などが少ないせいで、少し想定より殺風景な古道に思えた。そして、林道や作業道の入り組むせいで、折角の道がややぼやけてしまっているようにも感じた。選択を迷う場所が多く、その点では緊張を保つ山旅にもなり、またルートミスして登り返した場所などもあり、迷いやすい場所でもあると思えた。時計回りだから、反時計回りだから良いとか悪いとかではなく、回転方向はどちらにしても条件は同じように感じた。富士見から入山に飽きた人は、法華道経由で入笠山を目指すのも面白いかもしれない。経路に流れが多く、その点では夏場向きとも言える。誰でもが伝えるようにするには、もう少し道標の設置が必要だろう。


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