保之瀬天平   1118m       丹波天平  1343.0m      熊倉山   1624.0m                     


   2015.11.28(土)    


  晴れ    単独      天平尾根から熊倉尾根へ抜ける    行動時間:6H43M 


@親川4:17→(82M)→A保之瀬天平5:39→(46M)→B丹波天平分岐6:25→(2M)→C丹波天平6:27〜34→(35M)→Dサオラ峠7:09→(44M)→E熊倉山7:53〜8:07→(88M)→F余慶橋(R411)9:35→(25M)→G丹波バス停10:00→(59M)→H親川バス停10:59→(1M)→I駐車余地11:00


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@親川バス停の東側入山路。ここは住まいしている方がおられるので、鈴などの音は厳禁だろう。 登山道には厚さ100mmほどの落ち葉が積る。 途中の観音様に挨拶をして行く。 790mで横切る道に乗り西に少し探索してみた。現在は通行止めとある。
honosetendeiro2.jpg  honosetendeiro.jpg  1170.jpg  tanbatendeirobunki.jpg 
A保之瀬天平(ほうのせでんでいろ)到着。 Aリボンが1本下がるのみ。 保之瀬天平から西に進み1160m付近に在った社。
B丹波天平東側下降点分岐。
tabatendeiro.jpg tabatendeirohyoushiki.jpg  nitou.jpg  yakisoba.jpg 
C丹波天平(たばでんでいろ)。唐松の中のピーク。 C彫刻された趣のある標識。 C少し割られているが状態のいい二等点 Cヤキソバパンで朝食。
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Cこの日の来光 モルゲンロートと週中の雪。 尾根上には境界標柱が続く。 Dサオラ峠。
saoratougenishi.jpg  kumakurayama.jpg  sankakuten.jpg  hyoushiki.jpg 
サオラ峠の北西側にも経路で見たのと同じ社が在った。 E熊倉山到着。 E細長いピークで、北に進むと武甲国境が良く見える。 Eここにも彫刻標識が残る。きちんと火打岩とまで表記されている丁寧さ。
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E三等点。 E北側から見る飛竜山側。見えているのは前飛竜か。 E山頂部の雪の様子。 Eシナノゴールドで水分補給。
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E雲取山側の展望。 E熊倉尾根を降りて行く。 途中の巨木。直径1200mmほどあろうか。 今年に境界の杭が打たれたようで、その時の落し物(チョーク)があった。設置記録を板書し撮影する為だろう。
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1300m付近。このあたりまで緩やかだが、この先から等高線が詰まってくる。 下の方には真鍮のこれらが埋まっていた。 彼らの落し物もちらほら見られた。 F1106ピーク到着。
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F1106ピークから降りてきた熊倉尾根を振り返る。 1030m付近に残る滑車。ワイヤーなども残置してある。 注意する尾根の分岐点。この標柱が埋まる1000m付近。南西に進む尾根がなだらかで主尾根に見える。やや急峻の南へ進む。 1000m付近からの南に進んだ尾根の様子。
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980m付近で明瞭な道に出合う。以降忠実に伝って降りる。道形は西側へ登って行っていた。 九十九折の続く道を下ると、水平道に降り立ち、降り立ったすぐ東側にある木橋。 G余慶橋のところで国道411号に降り立つ。 G国道側から見る入山点。この標柱があるが、取り付き部の進路が不明瞭。
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H丹波バス停。通過20分前にバスは出発して行ったよう。 I親川バス停 J親川バス停の東側の余地。



  
 26日より中部圏の高所では雪となった。待ちわびたスキーヤーには恵みの雪だが、雪用タイヤにまだ換えていない私にとって、週末の行き先が制限されそうと気にしつつその後の天気の推移を気にしていた。翌金曜日は天気が良くなり、ここで降った雪も溶けると踏んだが、一応安全を考えて信越側は避けて関東でも内側を向いて場所選びをする。


 月齢もよく月明かりで歩けそうな週末となった。北陸は冬らしい天気のようだが、太平洋岸側もまたこの時季らしい好天予報。雁坂トンネルの無料通過できる最終土日でもあり、付近で適当な未踏場所はないかと探すも、あまり見えてこない。目線を少し奥多摩エリアにずらすと、まだまだ未踏座がごろごろ残っていた。そこに天平尾根を見て瞬時にここと決めた。下山後は「のめこい湯」と言う良泉もあるようだ。場所柄そう雪を気にしなくてもいいだろうと判断した。


 1:10家を出る。秩父を経て299号に乗り、正丸トンネル手前から名栗を経て青梅に出る。そして411号青梅街道を奥多摩湖に向けてクネクネと行く。夜明け前ではあるがダンプが動き出していたり、逆に夜通し遊んだ帰りなのかタイヤを軋ませワインディングを抜けてゆく走り屋の姿もあった。鴨沢橋で山梨県に入り、そろそろ到着とバス停を気にしつつ山手側斜面に目を向けていた。


 親川バス停確認。この場所から西側には適当な余地は無く、東側に4台ほど停められる場所があった。この余地側にも登山口があり、入山はここからとした。すぐに準備を開始する。外気温は2℃、防寒具は着ず運動量で温まろうと決め込む。ここにはありがたいことに街路灯があり、準備をするにも適当な場所であった。


 ヘッドライトを点してスタートする。登って行くと民家の脇を登山道が通過している。寝ているだろうから気を使いつつ静かに通過してゆく。コンクリート舗装路が終わると、落ち葉でふかふかの道形を追って登って行く。途中には観音様が鎮座しているカーブも在った。九十九折を行くと、尾根を乗越して北側に行く。ここで尾根に乗ってしまおうと思ったが、道形は尾根に近接して北側を通っており、そのまま追って行く。乗越してから3分ほどしたあたりから道形を離れて尾根に乗る。


 地形図どおりの急峻だが、地形図どおりの破線路は確認されず、グリップの良くない斜面をエッジを立てながら登って行く。この先で山腹に切られた道が横切る。ここからの尾根への直登が急なので避けた意味合いもあるのだが、西側へ道形を進んで行く。少しづつ高度を上げてゆく道で、気をよくして伝っていたが、すぐに「土砂崩れにより通行できません」との丹波山村の看板が立っていた。だからって気にするようなタマでもないのだが、このまま尾根を外しているのも適当でなく、尾根上へ戻ってゆく。南斜面も下草が一切なく歩き易い地形だった。


 尾根上に戻るも、やはり道形などは無かった。勾配があったここまでに対しだいぶ緩やかな地形となり、ガスのかからない今日は、遠くまでヘッドライトの明かりが照らしていた。月も眩しいくらいに明るく。全てに快適に歩くことが出来た。時折ライトを消して歩いたりする。獣になった気分で失いかけた体の機能が呼び起される感じがするのだった。

 

1080mの小ピークが、その山容からして保之瀬天平に間違いがちだが、その次の1118高点がその場所となる。気にして登頂したので、保之瀬天平と自覚するが気にしていなければ尾根の肩のような場所であった。人工物はオレンジ色のリボンが下がるのみ。他に何かないか探すも出てこなかった。緩やかな地形を西に進んで行く。周囲が白み始めてはいたが、そんなことは意に介さないように燦々と月が輝いていた。


 1160m付近に古い社が立っていた。山の神とも思いたかったのだが、何とも煮え切れない場所で設置の意図が読めなかった。この辺りになると、適当な間隔でリボンがされ続いていた。道形も見えるようになり、いつしか北の廃村側からの道に乗ったようであった。大きく平らな尾根とは言い得ており、緩やかな勾配のまま続いていた。さりとて、だからって迷いやすい場所にも思えなかった。ガスが垂れ込めれば、また雰囲気は変わるのだろう。右側には七ツ石山だろう高みも見えている。奥多摩の背骨と並走するような場所であることからも迷い難いと感じるのかもしれない。


 進む先にメタリカルなアンテナ塔が現れ、そのわずか手前に道標が立っていた。ここが丹波山への下降点であった。地形図の破線とは大きく違った場所で下降点となっていた。進行方向左を気にしつつ、ぼんやりとした高みを見ながら、三角点の場所を探して進んで行く。カラマツの中を進んで行くと、まず見えてくるのが国土地理院の白い木製標柱だった。見つけたとばかりに近づいてゆく。


 丹波天平到着。珍名座に到着できた嬉しさが強い。そして狙い通りの時間に到着でき、ここで来光を迎えることが出来た。赤く色づき始めた東の空から、ヌーッと出てきてからの上昇は速かった。早々にヤキソバパンを出して記念撮影とした。僅かに割られてはいるが、状態のいい二等点が埋まっていた。外気温は0℃を下回っていた。立ち止まると寒く、持ち上げた白湯の暖かさがありがたかった。西進してゆくのだが、ここに在る林班界標のみ判読できないほどに錆びていた。他の場所ではほとんどで白く状態が良かったのに・・・。


 道形を拾いつつポコポコと小ピークを経て進んで行く。苦痛は一切なくハイキングよりピクニックのような気分で進むことが出来る。言葉を違えると、変化のない淡々とした地形であった。それが天平尾根の醍醐味なのかもしれない。峠手前の1430m峰のみ、僅かに負荷のかかるような登りとなり、乗り越え下ってゆくとサオラ峠で、賑やかにも人工物が林立する場所となっていた。その中に真新しい祠が立っているが、この地域で功績を遺した中川氏を祀っているものであった。


 サオラ峠から北西に進んで行くと、1160m付近で見たのと同じ社があった。ここも小高い場所でもなくパッとしない場所に置かれていた。1477高点を経て前方に見える飛竜山に向かうように進んで行く。手前にあるはずの熊倉山が、同定しずらいような位置取りのまま続いていた。時計を見ると、スタートから4時間を経過していた。急げば9時40分の丹波バス停始発に乗れるかも・・・などと甘く楽な事を考えたりした。こんな時は往々にしてうまく事が運ばない。雪に邪魔されることは一切なく尾根上を進んで行く。


 熊倉山到着。南北に長いピークで、北に進むと飛竜山が見え、南に戻ると雲取山側が良く見えた。丹波天平に在ったのと同種の標識が三等点に立てかけてあった。持ち上げたシナノゴールドを齧りながら、下山路を探る。時計はやがて8時であり、サオラ峠に戻ってからの下山路では、始発乗車は無理。トライできるのは熊倉尾根利用か。リンゴもむしゃむしゃしながら、そんな足し算引き算をしていた。今に始まったことではないが、現地で優柔不断に行き先を決める。単独だからできる事でもあった。


 熊倉尾根には真新しい東京都水道局の標柱が立っていた。降りはじめて3分くらいすると、見事な巨木が現れた。結果としてこの尾根を通しての最大径で、この尾根の主のような存在であった。降りてゆくとリボンが縛っている場所が現れ、そこから標柱は今年に打たれたことが判った。新しいわけである。これを拾いながら高度を下げてゆく。


 1300mm付近まではいいが、そこから下で急激に勾配が強くなり、木々を掴まりながら降りないと危険な場所となった。そんな中にもリボンは降りており、形状こそ変わるが標柱が続いていた。よく見ると齧られているものが多い。先住民も付近に生息しているようであった。下草は一切無く足場がクリアーな尾根筋であった。


 1250m付近で上部で見られなかった真鍮の標柱が現れた。この下側ではキジ場となっているのか、標柱を齧った「者」の「物」が3カ所ほどで連続して見られた。急峻の先ほどが終わり、人間も一安心する場所、熊も同じなのだろう。目の前に大きな高みが現れる。この熊倉尾根の一番の顕著な高み1106高点となる。


 1106高点は見事に地形図通りの地形で、寸分違わずと言いたいほどにしっかりと描かれていると感じた場所であった。振り返ると伝ってきた熊倉尾根があまり遮られずに見上げることが出来た。登りであったなら、ここは適当な休憩場所となろう。下りはじめると1030m付近にワイヤーや滑車が残置されており、当然錆びてはいるもののパーツとしてはまだ使えそうなものであった。


 1000m付近に5058と書かれた標柱が埋まっている場所がある。ここでの進路は一瞬迷ってしまう。南西に進む方が自然で、南に進む側がやや急峻で避けたい場所となる。ここは南に進まねばならない。南西に引き込まれないよう注意する場所であった。やや急峻を下ってゆくと、大きなムロを持つ大ぶりな木が現れる。今では朽ちてきているが、この尾根上でなければ熊の塒になりそうなムロにも見えた。


 980m付近で右側山腹からの道に乗った。そのまま忠実に伝うと、大きな九十九折で緩やかに高度を下げて行った。途中から大きく西に進路を振るので、選定を誤ったかと思ったが、半信半疑のまま進むと、途中で水平動に降り立った。これが岩岳へと続く道のようであった。この場所から僅か東にしっかりとした木橋も設置してあった。今度は、先ほど西に振った分を取り戻すように東に振って進む。下の方に車道が見え、余慶橋だろう姿も見えてくる。どこが入山口なのだろうと気になりながら進むと、何やら標柱が背を向けている。回り込んでそれを見ると、「東京水道水源林」と曖昧にも思える言葉並べがされていた。


 余慶橋脇に降り立ち国道411号に乗る。降りてきた場所を見上げるも、伝って来たから判るものの、初見では判り辛い場所に思えた。路肩を東に戻ってゆく。すると5分ほどしてキノコ屋が現れる。恐ろしい事に国道の路上に店の色々が飛び出している。売り子のおばちゃんが話しかけてくる。「アンちゃんどこから?」。いつまで経ってもアンちゃんである。「上から降りてきました」「えっ、もう?」「親川から入って、熊倉尾根を降りて、今戻るところです」と話していると、少し離れたところにいたオジさんから「そりゃガッツがあるねー」と古い表現をされニヤッとしてしまう。それより、はみ出している事を指摘しようかと思っていたのだが、なんだかオバちゃんとオジちゃんのペースになってしまって、結果聞くことが出来なかった。道の両側には、ゴミクズが積まれているように見えるが、見る人が見ると欲しくなるものも多いだろうと思えた。そう言えばキノコを売っている場所にはマネキンもあった。人形嫌いに対し何よりも威圧する存在となっていた。


 交通量は多いが、一応路肩があるので危険な思いは少なかった。降り立ってから15分ほどで奥秋地区に入ってゆく。中学校前を通過しスタンド前のカーブの所で、オバちゃんが「いまバス行っちゃったよ」と伝えてくれた。登山者を見ただけでバスと行動を繋げる部分は頭が達者の証拠。「ほうけ〜ありがとう」とこの付近では聞き慣れない方言で返す。何とも心地いい出会いと別れ。そして丹波バス停前通過が10時ちょうど。既にバスが出てから20分経過していた。次のバスは12時台であり判断し易かった。歩速を緩めることなく丹波山村の中心街を通過してゆく。歩いて通過してゆくと面白い建物も多く、郵便局は狭く奥まった位置取りをし、昔から変わらない山村なんだと思えた。


 役場入口交差点に散歩中のおばあちゃんが居た。「おはよう」と声をかけると「あぁおはよう」と元気に返してくれた。村落内のお年寄りは皆元気なのだった。耳も達者で肌艶もいい。道の駅を右下に見て、大橋を通過してゆくのだが、ここからはのめこい湯の露天が見える場所であった。そのための目隠し用のフェンスが橋にされ違和感があるのだと思えた。ここから東側は、路側帯がない場所もあり注意が必要であった。


 保之瀬地区に入ってゆくと、軽四駆が横をゆっくりと通過してゆく。なにか不思議に思え気になっていたら、5分ほどして対向車線を走ってきて、「どこまで行くのですか、乗せますよ〜」と声をかけてくれた。「あっ、いや、親川までなんでもうすぐです」と丁重にお断りをした。ありがたい限りで、親切心にホッとする時であった。と言っても残り2Kmほどあったか、飲み屋がそのくらい離れていたら、タクシーを呼んでしまう距離でもあった。周回貫徹まで頑張らねばならない。他人の力を借りたら単独とは言えないような気もする。


 親川のバス停が見えてきた。そこに見える住宅には布団が干されており、ご夫妻らしき男女の姿が見えて仲良く会話をしていた。一般者の生活を登山者が邪魔してはいけない。その下を静かに通過してゆき駐車余地に戻る。荷物を放り込むようにしてのめこい湯に向かう。


 歩いた後、もう少し広範囲に地図を見て、岩岳を含めた周回にすればよかったかとも思えた。今回で平面距離17kmほど、プラス6kmほどで計画できたようだった。まあその場合は全て道の切られた場所を歩くことになるので、嗜好からは今回の熊倉尾根を絡めたコース選定で良かったのだろう。

  

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