妙見山 1224m 差山 1358.3m 小田野山 883.0m
2015.2.14(土)
晴れ 単独 鼓川温泉より差山まで上がり東に小田野山まで進む。 行動時間:2H57M
@小楢山登山口9:42→(2M)→Aフェンス9:44→(50M)→B妙見山10:34〜35→(12M)→C富士見台10:47→(7M)→D差山10:54〜55→(29M)→E1145高点西峰11:24→(21M)→F1061高点11:45→(26M)→G小田野山12:11〜15→(18M)→H南麓フェンス12:33→(4M)→I車道に降り立つ12:37→(2M)→J東山フルーツライン入口12:39
@小楢山登山口。軽四ならこの上に2台分の余地あり。普通車は鼓川温泉か。 | A獣除けのゲート。3箇所留めで、やや面倒。そしてこの先の進路が見出し辛い。 | ゲートから北西位置に標柱が在った。 | 標柱の場所からゲート側を見る。道形は無いに等しい。イノシシの土坑の痕が多い。 |
パンザマストが立てられた場所は、以前の木製のものが横たわっていた。 | ケーブルテレビのアンテナ塔。西に八木アンテナが林立。 | 急登 | 絵図による概念図。 |
絵図によると、通過してきたこのピークが「ごんばち」。 | B妙見山 | B行政の標柱。 | B富士側が開けている。 |
B妙見山から富士山。 | C富士見台 | C富士見台から富士山。 | D差山(旧妙見山) |
D差山三等点。 | D味のある標識。 | D西から東を見ている。向こう側に降りて行く。 | D差山から小楢山。 |
差山からの東尾根。最初は急下降。 | 1300m峰 | 1270mの分岐箇所。倒木の場所で南に尾根を選ぶ。 | 全体的に露岩が多い。 |
林業作業跡が残る | E1145高点西峰通過。ここは山頂で標高を取っていない特異な場所。 | 峠道を跨ぐ。 | 峠道の先の様子。 |
F1061高点で90度進路を変える。 | 植林帯の中でも小さな山道を跨ぐ。 | 小田野山直下。 | G小田野山到着。西からの絵。 |
G南から北を見る。全景。 | G小田野山三等点。 | G達筆標識20年もの。MLQのいたずら書きも見える。左の上にも鉛筆書きがある。 | Gヤキソバパンと達筆。 |
G小田野山から富士山。 | 南に下るとこちらにも林業作業跡が残る。 | Hほとんど使われないゲート。下側に土砂が堆積し開かなかった。なんとか強引に上部を押し開け通過する。通過した先は藪化していて野草の種の歓迎を受ける。 | I車道に降り立つ。 |
I降りてきた斜面。昔は茶畑があったようだが、今は荒れ放題。 | J東山フルーツライン入口で、本日は行動終了。 |
いつしか小楢山南側の妙見山の位置が変更になり、旧来の妙見山の場所に差山とふられた。そのことに昨年気づいて気になっていた場所。しかし2座だけでは面白みに欠けるので、東の小田野山と抱合せてみる事にした。屈曲する尾根伝いで、かなり面白味の増したコース取りとなった。その南の天狗山までもと思ったが、そこまですると欲張りと言われそう。
旅館での上げ膳据え膳の経験はあるが、山旅において送迎をしてもらったのは過去を振り返っても2回ほど。一番最近としても、2002年の1月に山梨の女傑である藪山愛子さんに下山場所に迎えに来ていただいたのが最後。さらに言うと、身内にそれを頼んだことは一度もなく、生活や行動において束縛を嫌う私としては、ほとんどの場合が自己完結だった。今回は珍しく、たまたま向かう先が同じエリアとなり、送迎付きの山旅となった。
7:00家を出る。雁坂トンネルを潜って甲州側に降り、牧丘トンネルを潜ったらすぐに140号を離れ鼓川沿いに進んでゆく。東山フルーツラインの入り口付近で、「スタートから3時間ほどでここに降りてくるから」と当てずっぽうな約束をする。そして鼓川温泉の先にある小楢山の登山口に降ろしてもらう。外気温は1℃、風が強くかなり寒く感じる日であった。
9:42登山口から歩き出す。こんなに遅いスタートも久しぶり。太陽は高い位置にあるものの、暖かさは伝わってこず寒風の強さばかりを感じていた。スロープの先で右側に2台分ほどのスペースがあった。その上側に獣よけのフェンスが張られ門扉が設けられていた。下側に閂形状の留め具、縦方向に二つの留め具、計3つを操作して中に入ってゆく。
この先で道形が不明瞭。もう少し判りやすい道が切られているのかと思ったが、管理する以上に獣が多く、イノシシなどに掘り起こされてしまうのだろうと見えた。どこに進めば正解なのか、入り乱れる獣道に伝いながら適当に高度を上げてゆく。すると、門扉から見て北西の尾根に行政の標識が立っていた。その場所から斜面を見下ろしても道形らしきものは見えなかった。
尾根はやや急峻のまま高度を上げてゆく。踏み跡もハッキリとあるものではなく薄いまま続いていた。経路にはパンザマストが続き、登ってゆく先に何か設備があることを示していた。しばらくするとその正体が姿を現す。麓の村落に対してのケーブルテレビの受信施設であった。八木アンテナが林立し、それがある西側が開けていた。あまりにも寒く、ボックス型の設備を風よけにして防寒具を着込む。ザックに結わえている温度計はマイナス5℃を示していた。風があり体感温度はさらに下回る。風上となる左半身が冷やされジンジンする。
相変わらず道形は薄い。急登を経てピークらしき場所を下り込むと、目の前に人工物が現れた。判りやすく描かれた概念図であった。それによると、今ほど通過してきたピークは「ごんばち」と言われる場所だったよう。そうと知っていれば感慨深く立ち止まったのにと振り返り見上げる。さらに、今日進んでゆく尾根上に「観音山」なる表記も見られる。1145高点のある山のようだが、曖昧すぎて同定は不可能。足元の雪の量が増え出し、大ぶりな露岩も多くなる。慎重に足場を選びながら滑らぬよう登ってゆく。
妙見山到着。行政の標識が無ければ通過点のようなこじんまりしたピークであった。それでも、南側が開け富士山の展望地となっていた。立ち止まると寒いので休まずにゆく。この先の1330m峰付近に富士見台が設けられており、ここも先ほどと同じほどに富士山の眺望がいい。展望側にある松の存在が、より雰囲気をよくしていた。ここからの北の下りでスリップして尻セードーとなる。衣服の隙間から入り込んだ雪に、冷たい思いをしながら登ってゆく。
差山到着。妙見山三角点の標柱が立つ。見上げるような位置に小楢山があるが、登れば今日は最高の展望だろう。本日の最高点を踏みコースの1/3を消化。あとは高度を下げるのみだが、複雑な尾根が続くので注意をせねばならない。準備が悪くGPSの電池切れで、予備用の電池を入れたポーチも忘れていた。野生の勘に頼るか。地形図を見ながらコンパスを当てながら慎重に行こう。約束の時間までに残り2時間、それが余裕なのか厳しいのかも判らないので、やや足早に下ってゆく。
最初は急峻の下りで、ここには破線路が書かれているが、それにしては薄すぎるくらいの踏み跡だった。もう伝う人は乏しいのだろう。滑りやすい雪の上を、靴のエッジを効かせながら降りてゆく。東の1300m峰に上がり振り返ると、円錐形の差山が見上げられた。ここのすぐ東側で南東に屈曲するが、注意点となる。さらに1270m付近の倒木の場所で南に進路を変えるが、尾根伝いだと東に進んでしまうので、ここも注意箇所。常に地図を片手にしている状況が続く。その先1200m付近でも微妙な枝尾根があり、一度右(西)の尾根に入ってしまい、トラバースして修正する。
1145高点は、ピークの東側斜面で標高をとっている珍しい場所。普通に山頂でとればいいと思うが、その山頂も特に岩があるわけでもなく理解に苦しむ珍しさであった。この先も屈曲点で進路を南に向ける。そしてすぐに南東に振る。このくねくねした尾根筋に、楽しさを覚えるのは病気かもしれない。
ウェイポイントと思っていた峠道を跨ぐ。破線が残るだけあってしっかりとした道形が尾根を横切っていた。ここを東に登った先が1061高点で、またまた大きく方角を変える。変えた先の1030m付近は西側の尾根に釣られないよう注意したい。南に下る場所も、等高線の密になる場所で、露岩の多い場所。しかしこんな場所でもイノシシの土坑跡があり驚かされる。餌になる何かが多いのだろう。崩れやすい中を土煙を巻き上げながら降りてゆく。南進が緩やかに東にカーブする場所は、尾根がそのようになっており進みやすい。
植林帯の尾根の中で細い道形を跨ぐ。これは杣道のようだった。やや薄暗い尾根道を行く。もうすぐのはずだが、この辺りはなんとなく長く感じられた。小田野山の北側は急峻で、雪が乗っている中では、スリップしてしまい木に捕まらずには登れない場所であった。城が在った場所として事前情報を得ているが、北側にはそれらの遺構は無いようであった。
小田野山到着。見慣れた標識が見える。嬉しいことに達筆標識であった。不埒にも(笑)MLQのいたずら書きも見られる。三等点を倒木が覆うようにあり、南アの黒戸山と似たような雰囲気があった。既に時計は12時を回っていた。あまり猶予はないが、ヤキソバパンを撮って食べておかないと・・・。ここも富士見台で素晴らしい展望がある。時間があるなら少しのんびりしたい場所であったが、後が支えている。南に下り出す。
下降しだしてすぐに、林業作跡である滑車の支点が朽ちつつも残っていた。そこから下側は、強風のため土埃が舞い上がって歩くのにも支障が出るほどだった。このため、風上に向かうように西側に行動し、流れのある小谷を跨いで、その対岸にある植林帯の中に進んだ。大岩がある場所に、トラバースするような杣道があり、それに伝う。下の方には車道が見えており、もうすぐだとは分かっているが、なにせ土埃が酷く、目に入って進度を遅くさせていた。
下の方にフェンスが見えてきた。このままでは越えられない。どこかに門扉があるはずと、西側にはそれらしき場所が見えないので東にズレてみる。あった。いそいそと近づくものの、その門扉は下側を土砂で固められ動かなくなっていた。上側のみで押し倒して、わずかな隙間に体を滑らせる。何とか通り抜けたはいいが、この先は薮化して酷いもんだった。お茶(植物としての)が点在していたので、その昔は畑だったろうことが伺えた。ルート選定が悪かったか、2mほど飛び降りねばならない地形となり足踏みをする。ズボンは既にアメリカセンダングサの種でいっぱいになっていた。枯れた蔓植物が絨毯のようになっている場所を選んで飛び降りる。足場が悪ければと思ったが、運はいい方なので・・・。無事着地。
付近は荒れ地となっているが、間違いなく往時は畑だったろう場所。出血大サービスとばかりにさらに種を付けながらなんとか車道に飛び出した。その種を取り払いながら車道を東へ進んでゆく。そして東山フルーツラインの入り口にさしかかった場所で、向かいから見慣れた車が到着した。ほぼ予定通り。有言実行、時間きっちり。