西股山 1716.8m 卒塔婆山 1550m
2015.9.12(土)
晴れ 単独 白川分岐点ゲートより往復 行動時間:8H37M
@白川分岐点(小川殿林道)ゲート5:32→(45M)→A白川林道分岐(道まちがい)6:17〜23→(42M)→B造林小屋(山の神林道分岐)7:15→(27M)→C白川林道支線分岐7:42→(56M)→D西股山取り付き8:38→(7M)→E西股山8:45〜51→(7M)→F林道に降り立つ8:58→(37M)→G白川林道支線分岐帰り9:35→(19M)→H造林小屋帰り(山の神参詣)9:54〜56→(11M)→I分渡沢白川林道分岐10:07→(36M)→J卒塔婆山取り付き(廃林道)10:43→(66M)→K卒塔婆山三角点11:49〜52→(7M)→L卒塔婆山最高点11:59〜12:05→(30M)→M廃林道入口12:35→(7M)→N刈り払い斜面上側フェンス門扉12:42→(15M)→O刈り払い斜面下側フェンス門扉12:57→(26M)→P白川林道分岐(白川橋)13:23→(46M)→Q白川分岐点(ゲート)に戻る14:09
@白川分岐点。小川殿林道入口ゲート。 | @釣り師がゲート下から自転車を林道に入れてゆく。 | 大樽は見事な青い淵。そして太い白い流れ。 | 釣り師の自転車がガシガシ漕いで進む。 |
分渡沢連絡道路は、今回は使わないので右にパス。 | Aここで90度進路を変え白川林道に入って行く。間違えてそのまま小川殿林道を進んでしまって、途中で気がつく。 | 「卒塔婆山200林班」と書かれた標識と、道形。帰りはここで下草刈りがされていた。 | 卒塔婆山への林道分岐。復路はここを曲がって卒塔婆山を目指す。 |
林道の様子。とても状態のいいまま続く。 | 防火帯のように見えるが、木を切り出した架線が引かれた場所との事。山中にはあちこちにあり、グーグルマップで見るとすごい事になっている。 | B造林小屋のある山の神林道分岐点。小屋は施錠してある。 | 途中にある14kmポスト。 |
京大の地震観測設備。 | ベロ沢林道分岐。右へ。 | 小沢林道分岐。左へ。 | C白川林道支線分岐。右へ。 |
途中の展望地。展望は帰りに撮影。30台ほど停められそうな広見がつくってあった。 | 郡界尾根を跨ぐあたり。 | 西股山を巻いて西に進んで行く林道。 | D西股山への取り付き点。細い立木にリボンが下がる。中央に踏み跡に見える筋。 |
深い笹を僅かに我慢すると、胸丈ほどの笹となる。 | E西股山山頂。赤いテープが目立つ。 | E三角点は三方向を石に守られていた。 | E二等点 |
ESK氏のいたずら書きが残る。 | Eここでヤキソバパンが撮られるのは初めてで、さらに最後であろう。 | F東側斜面は湿地などもあり、倒木が多く、笹もそこそこ深い。林道に降り立ってから振り返る。 | F林道に降り立つ。 |
展望地から中央アルプス。 | 展望地から乗鞍岳。 | 展望地から御嶽山。 | G白川林道支線分岐の帰り。 |
小沢林道分岐帰り。右へ。 | ベロ沢林道分岐帰り。 | H山の神林道分岐。右に折れて山の神を参拝に行く。 | H橋を渡った先の右岸側に鳥居が残る。 |
I分渡沢白川林道へ入って行く。左へ。 | J分渡沢白川林道から、卒塔婆山側へ入る廃林道。ここから取り付く。 | 道形の方角のまま進むと、伐採木の集積場のような場所に出る。ここで進路が判らなくなる。正解は鋭角に西北西に進む道形。往路は見えてこなかった。 | 適当に登るが、伐木が多く、踏み抜いたりし酷く歩き辛かった。進むのに時間がかかる。 |
フェンスが山手側から麓に向けて縦に張ってある。 | 上部に行くと巨岩が散見出来る。これを下から見て卒塔婆に見立てたのではないだろうか。 | 巨岩の基部を巻き上げたり。 | ササのない場所が僅かでもオアシス。 |
K卒塔婆山三角点の場所。 | Kササの下に埋まっていた三角点。何とか発見。かなり難しい位置にあり、周囲を守る石を先に探したい。 | K二等点。 | L卒塔婆山最高峰西峰 |
L卒塔婆山最高峰東峰。東の方が少し高いようだが、何せ最高所らしき場所には二つの高みがある。 | 谷に向かって降りて行く。最初は薄く、次第に密生して行く。 | 降りてきた谷を振り返る。中央左に門扉があり、ここから出てきた。 | 林道幅があるのだがモシャモシャ。イバラも多い。 |
写真中央に往路で見た集積場が見える。 | M分渡沢白川林道に乗る。 | 10kmポスト。 | Nこのリボンが下がる場所に門扉があり、その下側一帯は綺麗に下草刈がされている。 |
山腹一帯がここまで綺麗に刈られていた。麓側は沢沿いに歩道巾で刈られている。少し不明瞭箇所もある。 | O白川林道に出る。下側にも門扉あり。 | 「卒塔婆山200林班」の場所からは複数台の刈り払い機の音がしていた。このタイミングだと伝いやすいかもしれない。 | P白川橋帰り。 |
みどり産業の資材置き場。林道脇に水が引かれている。 | Qゲートに戻る。 |
西股山は2012年4月のSK氏の記録がこれ以上ないと言うほどの出来に仕上がっている。長い経路に対しての林道の詳細も的確で、ウエイポイントの把握もしやすい。ここまでになっていたら、同じ時期の記録を上げてもしょうがなく、無積雪期の記録にせねばとタイミングを見計らっていた。その長い林道に夏は酷と判断していたので、春はまだ雪が在るとすると秋しか残らず、ここで狙ってみることにした。
ひとつ気になるのは、SK氏が残雪を踏んで通過した場所の林道の植生。秋山郷と言うか奥志賀と言うか、栄村にある三ッ山への林道のようであれば、完全に外れ時季となる。この答えは現地に入ってみないと判らない。少しギャンブル性がある計画だが、そんなことを言えばパイオニア的に行動したSK氏はもっとリスクが多かった中で登頂している。チャレンジしない人間ほどつまらないものは無く、チャレンジし続ける人ほど面白いと思っている。
18号台風通過後の影響を受けた関東東部から東北南部、多くの被害が出た中で、遊ぶことは不謹慎にも思えるが、しっかり遊ぶ人も居ないと世の中は回らない。と、やや後ろ髪をひかれつつも行動を肯定する。明日は我が身、いつ何時なにがあるか判らないので、やはり遊んでおく。
1:15家を出る。野辺山から八ヶ岳の南面道路を利用としたら、東沢橋が工事中で通行止めとなっていた。ここが不通なのは過去初めてであり、清泉寮を掠めて大泉経由で20号に降りたつ。この先はいつも通り杖突峠、権兵衛トンネルと経て中山道に入ってゆく。上松駅の所からの上松御岳線は、以前に灰沢鉱泉を訪れた時に一度利用しただけで、そこから奥に進むのは初めてであった。集落最後の家の前には「蝸牛」などと書かれた看板があり、この先から携帯が不通圏内となった。進んで行くと焼笹地区の分岐の先には一軒の喫茶店もあったりし、この場所にして成り立つのかとお節介な事を思ってしまった。
貯木場を過ぎすれ違いもままならない細い林道を行くと、橋を渡った先が白川分岐点で、既に車が3台停まっており、うち1台では渓流釣りの準備として自転車が降ろされていた。西俣山はその距離から好事家の中の好事家しか入らないとは思うが、卒塔婆山はJAC岐阜支部の2006年の記録が見え入る人が居ると思えた。見える車のナンバーは、松本、神戸、岐阜、うち松本ナンバーは釣り師として目の前に二人いる。他2台には可能性がある。だからなんだって話なのだが、ゲートを越えて入っている事に対し、何か詮索したいのは人の常。
準備ができゲートに向かうと、松本ナンバーの釣り師がゲートの下に自転車を通過させてているところであった。雰囲気的に競えそう(笑)。ゲート前には冷たい水も引かれていた。初動でエンジンがかからない自転車に対し、時速7キロほどで抜き去ってゆく。二人のうちの一人は、嫌に酒臭い。数分すると体が温まってきたのか、私を追い抜いてゆく。「速いですね〜」と声をかけられるが、”そう負けず嫌いなんで速く歩いているんです”などとは言わない。「いや、まあ、緩い登り勾配なので・・・」なんて返す。15分ほど林道を進むと、右下に大樽が見えてくる。広く水量のある落ち込みがあり見栄えがする。しばらくして前方から酒臭さが臭ってきた。休憩しているのか、進んで行くと案の定停まっていた。釣り師が体力がないからなのだが、なんとなく抜きつ抜かれつが出来ている。この時に、この黒沢での釣果を聞くと、ここはよく釣れるとの事。必ず言われることなのだが、「山歩きするなら釣竿を持てばいいのに・・・」と。持っているが持ってこないのが本当。歩く方が楽しいから、そして週の中でこの日しか運動しないので、動きたいのだった。追い抜いてゆき、その後に抜かれる事は無かった。
山際に「分渡沢歩道」なる標柱が見え、山腹に九十九折が上がっていた。ここに歩道とは、レジャー用なのか林業用なのか、どちらとも解釈できる。その先2分ほどで分渡沢連絡林道が右に分かれている。ここは今回全く関係しない枝林道。右に見送る。ここから15ほどで白川林道が分岐する。重要な場所だったが、何か考え事をしておりそのまま真っ直ぐ小川殿林道を進んでしまう。進行方向右上に道形が見え隠れし、“あ、そうだった”と気づいて戻ってゆく。6分ほどのロスタイム。
白川橋を渡ってゆき、この分岐から15分ほどの場所には「卒塔婆山200林班」の奇形板での表示がある。そこから九十九折の道が上に伸びていた。SK氏はここを降りてきたようなので、よく見つつ通過してゆく。快適な林道で、やはり汽車での通行を考慮した勾配だと理解する。登っている負荷がほとんどなく平地のように歩いてゆける。上垂沢林道と書いてあるのか、標柱があるのだが何とも判読がしづらい。ここも関係しない枝道なので右にパスする。
木曽ヒノキの自然林の中に防火帯のような切り拓きがあり、谷を挟んで対岸の山にも同じように見える。幅が狭く不思議に見ていたが、翌日知ったのだが、木を切り出した時の架線を引っ張った痕だと言う。通過時には防火帯としか見えてこなかった。それにしても山が綺麗。野草は多いが、下草が少なくそこに鹿の存在が見えてこない。食害の痕もないし、この姿が日本の山の姿だと思えた。ここまでよく管理されている場所は見たことが無く、林業が往時から盛んで、それがしっかりと今も受け継がれていると思えた。
小屋が見えてくる。これまでになく広く拓かれ、左に山ノ神林道が分岐している。小屋は鍵が閉められ利用できないようになっていた。開放してある方が荒んでいる場所が多く、鍵がされている方が管理が行き届いていると解釈したい場所だった。進行方向右に見える道の方へ進んで行く。大きなコンクリート構造の遺構があるが、軌道があった当時の何かなのだろう。この広さも、ここが要所だったことを伺わせる。道なりに進むと、標柱に「14km」と書いてある。経路にいくつか見てきており、ゲートからの距離なのかと見ていたが、事前に地図で測った距離と誤差がある。標柱の数字が正しくゲートからとすると、西股山までの片道が19kmほどになってしまう。それはおかしい。どこから測定しているポストなのだろうか・・・。
道路脇にブルーシートの包まれた青い箱が見えた。靴が入っているような大きさのその箱には京大の地震予知研究センターの名札が付いていた。車も通るその脇に置いてあるのだが、どのくらいの明細な揺れまで拾っているのだろうか、往来する車の振動も拾っているだろう。頭のいい人の考える事はよく判らない。ちょっとそこでジャンプしたりした・・・。大地震の兆候と判断されたり・・・(笑)。
ベロ沢分岐は、緩やかに枝分かれしてゆく切られ方で、これもまた軌道跡らしい雰囲気があった。この先の小沢林道は関係しないので右にパスする。それにしてもこの林業の聖地は網の目のように林道があるようだ。この軌道跡を全て網羅し記した本があるらしいが、一読したいと思う。林業作業も大変に思うが、関わる軌道を伸ばしてゆく土木作業も大変だったろうと思う。
白川林道支線への分岐が最後の分岐。この先の林道の様子を気にしてきたが、全く気にならないほどの状態で快適に伝って行けた。ここまでの林道に対し、少しグレードは落ち荒れた感じがあるが、それでも他のエリアの林道と比べると、ここの管理状態はいい。地形図に記される林道終点より先は、東に振るように進み、町村界付近には20台か30台ほど停められそうな広見があり、ここがまた展望のいい場所で驚いた。中アは連なる様子が鋸歯のように見え、乗鞍がポコポコポコと3つに並ぶ山頂を見せ、御嶽はすぐ近くで寒気に息を吐くように噴煙を上げていた。
さあそろそろ西股山側へ取りつかねばならない。出来るなら最高所まで林道で上がってしまえばいいと、地図からは東尾根から取りつこうと思っていた。しかしその東尾根を越えてさらに北に進んでも、緩やかに登り勾配が続いていた。もうこの際だから行ける場所まで行ってみようかと言う思考になり伝って行く。林道は山頂を巻き込むかのように西に進みだし、北尾根を乗越すように進んでいた。もうこの辺りで取付きたい。目の前の山頂があるのに、ニンジンをぶら下げられたまま齧れないのでは・・・。すると、途中の小谷にマーキングがされていた。これも好事家の仕業か、少しだけだが踏み跡のようにも見える筋がある。
小谷が歩き易かったのは5歩くらい、その先は太い倒木が転がる深い笹薮となった。薄い場所を選びながら行くのだが、少し我慢すると背丈の低い笹に変わった。北尾根に取りついた方が良かったか、すぐ近くに見えるその尾根がこちらからだと歩き易そうに見えていた。山頂部が近づくとだんだん下草の植生が薄くなり歩き易くなる。林立するクロベの中を進んで行く。
西股山到着。赤いリボンが3本の木に巻かれている。その中央部付近の地面から二等点が顔を見せていた。この赤いリボンは15mほど離れた西側にも在った。見出標が朽ちた切株の上に挟まれ、北東側にはSK氏の絶縁が巻かれていた。展望はないが、下草が密生していないので居心地はいい。プルタブが落ちていたりし、それなりにひと気を感じる場所となっていた。雰囲気は、南アルプスは滝ノ沢頭山の山頂に似ているような気がした。林道が快適なままで来られ、障害となるのは距離のみの負荷だけだった。ヤキソバパンで少し遅い朝食とした。
下りは南西側に降りてみる。ササの薄い場所を選びながら進むのだが、倒木もやや多い。そしてこの山塊で気付く事は、水があちこちで見られる。ここでは残雪の影響もあるのかもしれないが、湿地的に水が浮かんでいる場所も山腹に見られた。泳ぐように進み、最後は深いササの中を潜るようにして林道に降り立った。その場所にも良く見るとリボンが下がっていた。通過しやすいような場所は、みな同じように見ているのだろう。林道に乗り往路を戻って行く。緩やかな足を進め易い傾斜で、それでいながら重力に任せて降りて行けるような自然体で足が進められる場所であった。
展望広見から周囲を見渡す。天気も後押ししているが、かなり綺麗。ここで弁当でも広げてゆっくりしたいような、そんな場所でもあった。何故にここだけ広くしてあるのだろうか。なにか意味があるのは間違いないだろう。自然の音しかしない静かな山中、葉を揺らす風の音も心地よく、黒沢支流の流れの音も風に絡み合う。白川林道支線分岐に戻り、次のベロ沢分岐を右に見て進む。ヤマドリが林道脇から一羽飛び立つ。こんな場合、メスであったらその場に子供が居る場合がある。親を追わずにその場所を見るとチクチクとした姿が見られる場合がある。そう思って見たが、この時は単体だったよう。
山ノ神林道分岐からは、その山ノ神林道側に橋を渡って進み、右岸側にある山の神を参拝してゆく。古い鳥居の先に、こんもりとした高さの場所が見える。それが祠なのか、かなり自然に同化しており、人工物としては鳥居のみ目立つ場所であった。戻りながら地面を見ると、スパイク靴の痕が見える。林業関係者の足跡のようだ。造林小屋前まで戻るも、往路同様に静かな佇まいでそこに立っていた。黒沢の流れを愛でながら戻って行く。その途中、卒塔婆山へ向かう分渡沢白川林道があり、そこへ左折して行く。こちらに入っても山腹の各所から流れが出ていた。本当に水には困らない山塊だと思えた。
九十九折の場所を過ぎ東に向かうと、麓側に門扉があり、その下の斜面は刈り払いされていた。ここは下りに使えると見つつ通過する。10kmポストの標柱が山手側にあり、その先では林道の下草が刈られている場所も在った。こんな林道でさえしっかり管理しているのかと感心してしまう。どんどん登るのかと思ったら、途中から下りだし、登り返す雰囲気が無くなった。山手側を気にしていると林道巾で分岐している廃道があった。ここまでにどこか取り付けるような場所はないかと見ていたが、かなり密生した場所ばかりで見出せず、ここしかないと思える廃林道だった。
廃林道を行くと、その延長線上に切株やら伐木が堆積している場所があった。山腹の伐倒木がここまで流れ落ちてきたのかとも思ったが、故意にここに集めたようにも見えた。それはいいとして道幅がここでなくなり進路が判らなくなった。判らなくなっても上に進めば山頂なのでいいが、SK氏の記録では「薄く歩き易い」とある。そんな場所が見出せなかった。適当に登るも、伐木が堆積しており罠のようになっていて、それに乗り踏み抜く回数が多く、酷く進度が鈍化した。樹林帯の下は笹が在り、泳ぐように進まねばならない。JAC岐阜が入ってから、SK氏が入ってから、だいぶ時が経過した。この状況の違いはその時間の影響もあろう。JAC岐阜に見る快適そうな場所はほとんど体験できずにもがきながら上がって行く。そんな中に大岩もゴロゴロしているので、それらを拾って八艘飛びのようにして高度を上げて行く。
山頂が近くなると、大岩と言うより巨石が現れてくる。それを見ていてハッと思った。これを下から見ると、その巨石が卒塔婆に見えるはず。いくつも林立するそれは、おそらく麓側からだとそう見えるだろうと思えた。一方でこの山は「木曽富士」とも言われている。富士と卒塔婆では相反するような雰囲気のある名前であるが、この名前は見る角度による地域差もあるからだろう。そして卒塔婆が見えるのは南面、上松地域の名前が卒塔婆山で、王滝村側からが木曽富士なのかと判断した。巨石の場所も笹が多い。楽をしようと巨石の基部を巻き上げるようにして登って行く。南東側からアプローチしている感じになり、上の方も巨石が続く。そして少しづつ笹がなくなり、無毛の尾根筋が出てくると三角点の場所も近い。
卒塔婆山三角点の場所には、黄色と赤のテープが巻かれていた。何も表記はないが、周辺の山容からして埋設するにはここしかないだろうと思える場所に思えた。三角点探しに入る。胸丈の笹があり、地面は枯れた笹で覆われている。この時点で既に難しい場所に思ったが、是が非でも探したい。靴で分けつつも、その靴の裏で堅い反応を探す。すると、テープの巻かれた木の下あたりでコツンと反応があった。どうも周囲を守る石のようで、その周囲をさらに明細に靴で掘ってゆく。すると、白く見慣れた人工物が出てきた。以外と早くに見つかって安堵する。三角点は等級が見えないほどまでに埋まっており、指先でなぞって等級を確認する。これでこの山でのミッションが一つ終了。あとは最高点を踏めばいいのだが、かなりダラッとした場所で、詳細を言うと東と西に小高い場所があった。良く判らないので両方を踏んでおいた。見た感じでは東峰の方が高い感じがした。双方には何もマーキングはされていなかった。さて下山。往路の辺りは通りたくなく、下りなので密生藪でも問題ないと判断し、谷地形を拾うようにして降りて行く。
山頂からの最初は少し濃く、すぐに腰丈の高さの場所になる。ここは快適で25mほどこの場所を降りると、ここからは密生した笹薮となった。倒木もあり、東西にフェンスがあり、その1.5mの高さを攀じ登って越える。下に降りて行くと谷部にはイバラも出てくる。伐木も堆積しているが、往路側よりはるかに良い。SK氏はここを登ったのに違いないと思えた。どんどん高度を下げてゆくと、いつしか林道巾となり、前方に朽ちたフェンスと門扉が現れた。門扉にはフェンスがなく触れずに通過できる。林道巾を降りて行くと、なんと往路の集積場に出た。往路、鋭角に道が切られているとは全く見えてこなかった。まだまだ見る目が甘い。ここが見出せていればかなり楽を出来たかもしれない。それでも上に行けば密生なのだが。でも、復路で見る巨石に対し、往路の巨石の方が見応えがあった。ここは南東側斜面に見栄えのする巨石があるのだった。廃林道を戻り分渡沢白川林道に降り立つ。SK氏はここからそのまま南下している。その入り口を
気にして探したが、見出せなかった。往路の刈り払いの場所を見ているので、そこまで西にズレて行く。
廃林道の場所から650mほど西に戻ると、そこにフェンスの門扉がある。そこを開けて下に降りて行く。ここも伐木が埋めるが、芝を刈ったような場所も多く、快適に降りて行ける。見るとかなり広範囲に刈られており、この労力も凄い事と思えた。このまま刈られた斜面のまま林道に行くのかと思ったら、途中で沢筋に入り、やや不明瞭な場所を経つつ細い道を降りて行く。少し作業道を外したかと思い東に修正すると刃物痕のある道形があった。登りに使う場合は道形を間違いなく追えるだろう。下りは慎重にくだった方がいい。下に林道が見えてきた。麓側にも門扉があり、それを開閉して白川林道に乗る。
白川林道を戻って行くと「卒塔婆山200林班」の場所からは刈り払い機の音が秋蝉のような感じで聞こえてきていた。こうやって林業関係者の苦労により山が守られている。尾張藩の頃からの「木一本首一つ」の気概がずっと引き継がれているように見える。面倒な作業も面倒がらずにされているのが斜面に見えるのだった。白川橋を渡り小川殿林道に乗る。黒沢を縫うように歩いてゆく。やや夏のような日差しもあり、それが強ければ強いほどに流れが心地よく感じられた。大樽の場所では、斜面を降りて川岸から撮影したかったが、足の疲労が登り返しを嫌い実行しなかった。
往路は気がつかなかったのだが、みどり産業の資材置き場前にも引水してあり、給水や手洗いができた。と言っても、先に書いたように、山中の至るところで水が出ているので、ここが重要かと言うとそれほどでもない。ゲートに戻ると、ちょうど岐阜・神戸ナンバーの持ち主が着替えをしていた。松本ナンバーは既に姿が無かった。本日入山した人の姿を全て確認できたことになる。私のほかは、全て釣り師だったようだ。今日はどのくらい歩いたのだろうか、途中途中のポスト表示がゲートからとするならば机上予定以上に歩いたようだが・・・。
振り返る。その前にSK氏の山行文の地図表示が明細なので、参照する場合は氏の地図がいい。精度高く書かれているのでこちらではかなり端折りました。さて無積雪期での記録が仕上がった。西股山狙いの場合は、雪の無い方がいいだろう。ただし卒塔婆山は、JAC岐阜が登った時、SK氏が登った時から少し時間が経過し野草の繁茂は進行している。斜度が強いので雪の着きがどうなるか判らないが、しっかり乗っていた方が卒塔婆山の場合は楽であろうと思う。分渡沢白川林道から卒塔婆山に向かって200mくらいのエリアはイバラが多く、衣服は引っかき傷と、肌が出ている場所は傷だらけとなった。狙う場合は相応の保護準備はしたい。