鈴北岳 1182m 御池岳 1247m 鈴ヶ岳 1130m
三国岳
911m
2015.4.12(日)
くもり 単独 鞍掛トンネル西登山口より御池岳山塊を歩き、北進して三国岳を踏む 行動時間:5H40M
@鞍掛トンネル西側登山口7:10→(17M)→A鞍掛峠7:27→(42M)→B鈴北岳8:09→(28M)→C御池岳8:37〜40→(45M)→D鈴ヶ岳9:25〜27→(29M)→E鈴北岳9:56→(33M)→F鞍掛峠再び10:29→(59M)→G三国岳最高点11:28→(8M)→H三国岳三県境11:36〜45→(7M)→I三国岳最高点11:52→(48M)→J鞍掛峠三度12:40→(10M)→K登山口12:50
@鞍掛トンネル西側登山口 | 鞍掛峠直下 | A鞍掛峠 | A柔和な表情の鞍掛地蔵。 |
向かう先はガスの中。 | 多くのパーティーが入山していた。人気の場所。 | 途中から鈴北岳を望む。 | ここの名物、ドリーネがあちこちに点在する。 |
B鈴北岳到着。 | B鈴北岳標識 | ドリーネも目立つが、これらピナクルも多い。 | コグルミ谷へのルートを離れる。 |
意外にも残雪豊富で、このおかげで経路が泥濘で酷かった。 | この山にしてテント泊をされている方が居られた。 | C御池岳到着。残念ながらガスの中。 | C標柱 |
破線ルート付近を行くと、あちこちにシカを見る。 | 破線ルートは、ほとんど判らず適当に方角を決めて進んで行く。倒木も一切ない歩き易い場所が続く。 | ルートに戻る。 | この分岐から元池側へ進む。その元池付近からの道形が不明瞭で、ここでも適当に進む。 |
鈴ヶ岳に進む登山道が写真右側上の尾根上にある。谷を跨いで登り上げる。 | 手前ピークから見る鈴ヶ岳。 | D鈴ヶ岳は人気の山だった。 | Dちょっとドラム缶は淫ら。 |
D標識の上に雪だるまが乗っている。 | D人気の理由はこれ。福寿草。群落では見事だった。 | E鈴北岳に戻る。若者が集う。 | F鞍掛峠再び |
焼尾山への分岐。ルートが90度(西に)屈曲。 | ここも屈曲ピーク。(北に90度) | G三国岳911m最高点。 | G標高表記に手が入れられた標識。 |
H三国岳。岐阜・三重・滋賀、三県境。 | H標識。894m表記。 | H鈴ヶ岳・鈴北岳を望む。 | 三県境側から三国岳最高点を望む。 |
I三国岳最高点再び。すれ違ったパーティーが休憩していた。 | 途中から戻って行く尾根を望む。左の山塊が焼尾山。 | 最低鞍部。往路はここまでが長かった。復路はここからの屈曲点までは、そう負担に感じなかった。 | 焼尾山分岐西側の痩せ尾根。 |
焼尾山分岐再び。 | J鞍掛山三度。 | 一帯は、鹿除けが施されている。 | K駐車場は大賑わい。トンネル東側登山口も賑やかだった。 |
月曜日、彦根で仕事となった。それも前泊予定。土曜日も出勤で、これだと休み無しの週末となるが、行動のしようによっては抱き合わせで遊ぶことが出来る。蛭の時期でもないので鈴鹿山系に入る事とし、折角なので最高峰を踏んで、さらには三国境(さんごくざかい)の三国岳をも踏んでしまおうと計画した。楽しみを作ると、嫌な出張も楽しくなる。まあ都内に行く以外はあまり嫌と思った事は無いのだが・・・。
土曜日の記録も整理しないまま、深夜の午前2:30高速に飛び乗って滋賀を目指す。快調に飛ばしほぼワンピッチで関ヶ原で降りる。R365経由でR306に繋ぎ、鞍掛トンネルへ登って行く。前を走る運転手と助手のシルエットは、間違いなくハイカー。行く先は同じよう。よく見ると、その前の車も似た風合いがある。今日は混むのか・・・。そしてトンネル手前の登山口では、既に満車状態でスペースが無かった。前の車は右折し、無理くり駐車場へ突っ込んでゆく。それを右に見ながらトンネルを抜けて行く。
トンネル西側登山口は、こちらも既に出発した方の車が8台ほど数えられた。準備しているパーティーが二つ、こちらも急いで準備をする。登山口脇には流れが出ているが、何かこのエリアの蛭を想像してしまい汲む気にはなれなかった。久々に地形図ではなくエアリアを懐に忍ばせてスタートをする。
先に出発した男性が喘いで登っていた。針葉樹林帯の中、花粉症の人には辛い場所となろう。送電線鉄塔下を潜り、トラバースするように進むと鞍掛峠に到着する。予想より小さな峠で、なんと言ってもそこで待つ「鞍掛地蔵」の表情がいい。頭を垂れて前を通過して行く。少し進むと、足場が緩くなってきた。春先はいつもこうなのか、スパッツ必須の状況となった。残雪もしっかり残り、時折それらを踏みながら行く。向かう先はガスの中、しょうがないのだが、少し中距離を足を伸ばしてきたのだから晴れて欲しかったりする。予想では崩れる日、その部分では納得の天気でもあった。
最初のピークで女性のみのパーティーが休んでいた。山頂に響く関西弁に、あーそういうエリアだった・・・なんて改めて気付かされる。牧草地のような広々した中を登って行く。ただしこの辺りも足元が泥濘で酷い。人気の場所であり、より人が入り言うなれば餅を搗いているような状態になっているのだろう。進む先に、先行しているパーティーがあちこちに見える。鈴鹿最高峰のマジックかも知れない。
鈴北岳への最後の登りで、大きな穴を左に見る。これがドリーネで、この山塊の名物となる。そして鈴北岳到着。休みたい景色も無く留まらず先を急ぐ。ここからのルートはさらに泥濘化していた。ヌチャヌチャで脇の草地を歩きたいほどだった。そんな中、こちらには墓石のように林立するピナクルが見える。そして交えるようにドリーネが点在しているのが見える。カルスト台地を満喫する感じで先を急ぐ。残雪量も多くなり踏んでいる時間も長くなってゆく。その白い雪の上には、真っ黒な泥が塗りたくられてゆく。歩き方の悪い人は、足元がひどい事になっていた。
コグルミ谷への進路から分岐するが、真っ直ぐ進む方の踏み跡はかなり薄くなっていた。直角に曲がり登って行くと、すれ違う人も出てくる。残雪量も増し、その中のオアシス的草地にはオレンジ色のテントも見られた。ガスに覆われた白い景色の中、やはりそのオレンジ色は浮き立つように目立つ。遭難しやすい人はオレンジ色を着るのがいい。もっとも、遭難しやすい人って言い回しも変なのだが・・・。石混じりのルートに変わる。もうすぐ。
御池岳到着。単独行者がカップラーメンを啜っていた。話を聞くと、白船峠側に降りてコグルミ谷側へ戻って行くようだ。トンネル東からのCCWコースのようだった。ここでも視界が無く周囲は楽しめなかった。それでも鈴鹿最高峰の感慨はある。往路を戻るのもつまらないので、破線路を伝って鈴ヶ岳に向かうことにした。
北西側に降りて行く。破線路を探るように進んだものの、全く見えてこなかった。残雪もあるためかもしれないが、緩い起伏の中では何処でも歩くことが出来、ここはルートの在りかを求めずとも快適に進むことが出来た。シカの警戒音も頻繁にし、何十頭居るのか、白い尻がピョンピョンと跳ねてゆく姿も見える。その逃げる様子やタイミングから、こちらが気付くより何テンポも速くこちらの存在を察知していることが判る。このくらいの野生勘を持ちたい。ここには池塘と言うか水溜りも点在する。これもドリーネと言っていいものなのか・・・。
歩きやすいとは言うものの、起伏する地形とこの日の視界の悪さで、コンパスを当てながら進路を慎重に選んでいた。なるべく北に寄るように、往路のルートにどこかで乗るように進んで行く。人の多さか、地形的な響きのよさか、声が聞こえてくる。人の少ない所ばかり歩く習性があるので、そういう声には敏感に反応してしまう。遭難碑の東側で往路に乗る。そしてその先の分岐から元池経由で鈴ヶ岳に向かう。
元池までは細い踏み跡が伝えたが、ここで池の北岸を伝ってしまった。破線は南岸に在ったようで、ここで破線ルートを外してしまった。でもそのおかげで別のピナクル群を見られたりした。西北西に進むように行くと、右手から主尾根が合流するように現れてくる。その手前には谷があり、登り返すような形で正規ルートに向かって進む。こちらに来るとやたらと声がする。最高峰より人気のよう。何故だろう・・・。
屈曲ピークから大きく下って行く。当然ここも足場が緩い。そして最低鞍部からの登りは、さらに緩くスリッピーだった。それにしても中高年、それも高齢者が多い。逆に若者は見ない。このブームの中、賑わう場所で山ガールを見ないなんて・・・残念だったりする(笑)。登って行くと人気の場所となる要因が現れた。それは「福寿草」だった。ここでは群落を成し、高貴な黄色を楽しませてくれていた。それらに囲まれながら登って行く。花がある中を登るのは楽しい。やはり春!!
鈴ヶ岳到着。山頂部から北西側に、多くの人が登頂しているのが見えた。みな福寿草と抱き合わせで山頂を楽しんでいるよう。ようやく見えてきた。福寿草を好むのは老齢者が多い。だからそれが如実に現れているのだろう。若い人が好まないってことでもないのですが・・・。山頂にはドラム缶が5個転がっていた。これがために美観が悪い。福寿草を魅せる場所なら、行政は片付けたほうが・・・。下山。
戻りながら御池谷経由での鞍掛峠へのルートも考えたが、戻るだけならいいが、さらに三国岳を狙うには負荷が大きいと判断し、鈴北岳経由とした。その鈴北岳に着くと、今日始めて7名の若者パーティーが居りホッとした。ここで見なかったら、中部関西圏には山ガールは居なくなったと思いそうであった。休憩する彼ら彼女を横目に通過して降りて行く。
続々と登って来る。さぞ駐車場はすごい事になっているだろう。そもそもそんなに収容能力は無い。どういうことなのか・・・。相変わらずのどんよりした景色に気分は冴えないが、まあ降られないだけヨシとしたい。泥濘地を過ぎて降りて行くと、その罠を知らないスパッツを着けない方が目立つ。すれ違うお姉さま方に、「スパッツしないと上、凄いですよ」なんて伝えると、「いややわ〜私 持っきてへんわ」とか「よかったわー持ってきて」と、会話に油を注ぐ効果となってしまった。鉄塔の下を潜り、鞍掛峠に到着する。左右側から、未だに登って来る人が居た。
鞍掛峠からの最初はやや急登で、巡視路にあるステップが設置されていた。細かいピッチで登って行く。これでいくつ目の三県境となるだろうか。福井・岐阜・滋賀の三国境の三国岳が最初だった。今では道が切られてしまったが、当時は藪山として存在し、好事家しか踏まなかった場所。そんな記憶を辿り、三ノ峰や笈ヶ岳や三俣蓮華岳の登頂時などを次々と呼び起こしながら歩いていた。すぐに送電線鉄塔下を潜る。あい変わらす306を通過するバイカーの排気音が聞こえていた。何度も同じ音が繰り返している。峠を攻める練習をしているのだろうが、ハイカーにはいい迷惑。
道標が出てくる。焼尾山へのルートが直進で、90度左に振ると三国岳。ここからは痩せ尾根が続く。見下ろす谷には残雪が埋まっていた。そこを風が通ってくるので稜線が至極涼やかであった。この渡り廊下のような痩せ尾根を北西に進むと、屈曲ピークとなり進路を北に変える。向かう先に三国岳があり、その間には深く落ち込んだ尾根筋がある。大きく高度を下げて再び登り返し。進んで行くと寡黙な単独後者がすれ違う。賑やかだった先ほどに対し、僅かなエリア差だが雲泥の差で静かになった。最低鞍部までが長く感じ、そこからの登りは楽に感じた。やはり私は下りより登り向きなのかも。この山塊の最終座も目の前。
三国岳到着。ケルンの上に山名板が設置してあった。ここが最高峰なので目的は満たしているが、ここは三国境ではない。三国境を踏む事も目的であり、さらに先を行く。緩く降りて行くと3名の男性パーティーが登ってきた。安部首相が「わが軍は・・・」なんて言ったことを討議しながら歩いている。そう言えばこの日は選挙の日だった。話す内容にハッと思わされた。下って登り返し。
三国境の894m峰到着。三国岳最高峰なんて標識がある。三県に跨る場所は往々に素っ気無い場所が多い。どの県も自己主張できずに曖昧だからだろう。歩き続けていた身体を、ここで少し休ませる。鈴ヶ岳から鈴北岳の連なりが良く見える。歩いてきただけに具に判る。ここが地元であったら、北東にある烏帽子岳まで狙いたい所だが、ビジターでありこのくらいにしておかないと・・・。さて戻る。
三国岳最高峰に戻ると、先ほどのパーティーが休憩しており、まだ政治の話をしていた。よほど好きなのだろう私の存在など目に入らないような熱弁さであった。大きく下って行く。やや樹木が茂る場所もあり、管理の様子からして人気の度合いが計り知れる。屈曲ピークから痩せ尾根を伝う。アルコールなどを入れて歩くと、こんな場所でも事故があるだろう。最後まで悩んだのが焼尾山登頂だが、見上げるだけで通過して行く。鞍掛峠が近づくと、打って変わっての賑やかさになる。半分、三国岳側に分けてあげたかったり・・・。峠に到着し西に下って行く。
1時に近い時間であるが、まだまだ登って来る人が居る。それほどに気楽に登れる山なのだろう。ヨタヨタと高齢者が降りて行く後を煽らないようついてゆく。登山口に到着し、流れでスパッツと靴を洗う。先に洗っているご夫妻がおり「合い席お願いします」なんて入って行くと、嬉しそうに「どうぞどうぞ」と返してくれた。
登山口からR306を多賀町の方へ降りて行く。カーブの所には路上駐車がすごい事になっていた。あの入山数、こういう事か・・・と理解した。ミニパトも巡回していたが、バイカーを排除した方だったのかも知れない。けっこう危ない路上駐車で、人気の場所のリスクとなろう。
琵琶湖側へ向かって行く。