大人ヶ凸部     336.0m   
            

 
   2015.5.3(日)    


   小雨    単独     東側林道終点地付近より    行動時間:1H33M 



  


@廃モノレールの場所4:33→(23M)→A大千代港上部大崩落地上4:56→(26M)→B大人ヶ凸部5:22〜25→(38M)→C林道終点地6:03→(3M→D駐車余地6:06


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@轍の先に廃モノレールが在る。ここから入山。 レールに沿って登っているが、この先のブッシュ手前が終点になっていた。ここに畑が在ったのか・・・。 尾根に乗ると、リボンが続いていた。好事家が入っているよう。流石の珍名座。 火口側でなく海側に何となく踏み跡がある感じ。
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A大千代港上の大崩落地。ここの通過はかなり注意が必要。足元が緩い。火口側に逃げる。 三角点は見つけられず、山頂への最後の登り。 @人工物。 B大人ヶ凸部山頂は、強い笹薮。
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B何とか西に出て大凸部側の絵。 B山頂北側には旧日本軍の遺構がある。監視施設が在ったよう。 B別の入り口。大きな施設なのか、個別に点在しているのかは判らなかった。かなり藪化した中にある。 別の杭がまた・・・。
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往路に気付かなかったが、火口縁の海側に少し下った場所に貯水槽と思しき施設もあった。場所の特定は難しい。 少し掘れた道形を伝っている。 C酷い藪漕ぎの末、林道終点地に降り立つ。 C降りてきた場所。下りでも辛かったので、登りは使えないだろう。
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D駐車余地。 D往路に使った斜面。 D黄色いのがモノレールのカバー。 酷い笹かぶれとなった。ここまでになったのは初めて。
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この日はあおがしま丸が休航のため、ヘリにて八丈島に戻る。       



 
 まだ暗い4時に動き出す。この島においての本命である、大人ヶ凸部を狙う。珍名山として国内5本の指に入ろうかと言う場所ではあるが、ほとんど報告が上がっておらず登路が見えてこない。青ヶ島役場に問い合わせをしたが、返答も無い。唯一判断できるのは地形図で、破線が描かれている。しかし当てにできないであろう事は判っていた。


 
前日下見をし林道が通行可能な事を把握しており、暗い中でも行動は早かった。破線路の入り口を見送り、その先しばらくすると、右に林道幅で15mほど上がっている場所がある。上がった先には朽ちたモノレールが置いてある。おそらく上に向かうためのモノレールであろうから、それを伝えば幾分か楽に上がれるだろうと予想した。他は前日に見た感じでは密藪な場所ばかりで、なにか打開点と言うか、前向きに行けそうな場所が見られなかった。

 
暗い中に支度をしていると、一台のバンが前を通り過ぎた。間違いなく釣り師だろう。大千代港側へ降りてゆくのだろう。すぐ先に停まりエンジン音が静かになった。他に釣り人が居ると思って急ぐのかもしれない。さてモノレールの場所まで上がってゆく。レールはあるが、それを伝うにも酷く薮化した場所だった。スパッツをしていても、すぐにはぎ落される感じで、朝露に濡れながらカヤトの原をレールを握りつつ這い上がってゆく。どこまで続くのかと思ったら、先に密生帯が現れると、その手前までで終わっていた。


 
レールが終わった先から密藪漕ぎが始まる。最初なので脚が高く上がるからいいものの、少し疲れていたら撤退の意識になりそうな場所でもあった。そしてザックを小さくしていたのが幸いし、屈むように潜るように進むことが出来たのも有利であった。外輪山の尾根が近づくと少し傾斜も緩やかになり、その尾根上は顕著な細さで続いていた。


 
北に進んで行くと、予想外にもピンクのリボンが現れた。好事家が居るようだ。藪屋らしい適当な間隔でマーキングされている。それらを適宜確認しながら進んで行く。破線の場所ではあるが、この辺りでは道の存在はほとんど判らなかった。少し歩き易い場所もあったが、すぐに密藪になった。ちょうど大千代港上の崩落地の場所では、かなり鋭利な尾根になっており、さらには土が緩く危険な場所であった。しっかりとササを握りながら足元を確かめつつ通過してゆく。リボンの主は、火口側を巻いたようにリボンが残る。

 危険個所を過ぎると、この辺りから道形が尾根の火口側と、海側に見え隠れする場所がある。目の前に三角点峰があり、とりあえずの目標と高速藪漕ぎを続ける。“6時には帰る”と告げて出てきた手前、行動にタイムリミットがあった。もう少し時間に余裕があれば、カメラを構える余裕も出来るが、その行動を封印し、何せ強引に漕ぐ作業を続けていた。これでは間違いなくピークハンターであり、自分で自分が悲しく思える時であった。三角点峰を目の前にして、リボンが見え無くなった。ここまでってことはないだろうが、三角点ハンターだったのかも知れない。


 その
三角点峰に上がったが、お目当ての三角点は全く見えてこなかった。よく探したい気持ちがあったが、それ以上に薮化した状態を目の当たりにしており、気力も失せてしまった。三角点が最初のウエイポイントであったが、すぐに目標を先に見える最高点に定める。すぐ目の前に見えていてすぐに届きそうな場所だが、途中には山城の堀切のような場所が潜んでおり、跨ぐような飛び越えるような場所があった。藪の中での行動なので着地点が見えない中でのこの場所はややスリルがあった。登りに入ると、黄色い頭の杭が見えたりした。山頂到着。


 
大人ヶ凸部は、太いササの繁茂する山頂だった。西に分けて進むと大凸部側が見えるが、カルデラ内を見下ろすまでには至らなかった。踏んだはいいが長居は無用で、6時まで残り30分しかない。これでは有言実行とはならず自分が許せない。とはいえ、そう簡単に来られる場所ではなく、踏まないで帰る方が許せない事になるのも事実。さて戻ってゆく。往路で下りは、大崩落地の淵を林道終点に向けて降りて行こうと決めていた。そうしないと時間が余計にかかってしまう。


 
山頂から降りてゆく。堀切の場所でハッと思った。暗く口を空けた場所が見えたのだった。それもコンクリート構造で、その口は四角い。間違いない。父島で、母島で見たそれと同じ。旧日本軍の遺構で間違いない。青ヶ島で往時のそれらの話が無いが、ちゃんと人知れずこんな場所に残っているようだ。二つ体験した堀切の場所両方でコンクリートの構造物が見られた。往路には全く気が付かなかった。これが見られただけでも登った甲斐があった。


 
さらに戻る途中、往路は尾根上を進んだ場所で、復路に海側をトラバースするようにルートを選んだら、そこに大きな貯水槽のような遺構が現れた。何か戦時中にタイムスリップしたかのような空気感になり緊張しつつ通過してゆく。復路でも三角点は見られず、山頂を踏めたことで良しとする。さて大崩落地に取り掛かる。集中して尾根を伝って行く。落ちても死なないだろう傾斜だが、落ちても大丈夫な場所ではない。急いで行動しているので撮影が少ないのも残念だが、踏めたことに勝る喜びは無く、その達成のために怪我無く最後まで行動せねばならない。


 無事
崩落地の北側に進んだら、東に降りてゆく。降りてゆくだけなのでそう大変な事は無いと予想していたが、ここが一番大変だったかもしれない。ミネラルを含んだ潮風は成長を促進させているのか、太く強固なササが密生していた。バリバリと分け降りてゆく。先が見えない高いササの中で、なかなか林道が現れないので進路方角を間違えているのではないかと思えるほどだった。下りの割に遅々として降りていた。そろそろかと思っても見えてこず、我慢の下りで、やっと乾いた舗装路が眼下に現れた。ただし気を抜くと最後に罠があり、崖斜面で3mほど滑落する。がしかし、自然の思し召しか、蔓に助けられ緩衝材になってくれ強打にならなかった。その先2mほどの壁も隠れており、ここは注意して降りた。


 
車道に出て一安心。車に向けて戻ってゆく。途中、朝に見たバンが停まっていた。車に戻り、素っ裸になり着替え、宿に急ぐ。もう6時を回っていた。


 
宿に戻り、女将に聞くと、日本軍の監視施設が在ったと言う。砲台とは言わなかったので、たぶん監視なのだろう。現地に残る物からも頷ける。「よくも登ったねー ここらの人も行かないところだよ」と笑っていた。「行動力あるねー」なんてお褒めの言葉を頂く。それにつられて、島の酒「あおちゅう」を買ってしまう。商売上手な女将かも。


 
残した名勝地を回り、9:50着のヘリで八丈島に戻る。3時間ほどかけて移動した距離が、わずか20分で運ばれてしまう。ゆっくりがいい時もあるが、速いのが便利なときもある。もっと言うと、この日はあおがしま丸が休航の日だった。もう一泊する予定もできたが、行動力がある者は、ほとんどを回ってしまい満喫、一泊で十二分に楽しませてもらった。


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