入道山 441m(最高所踏まず) 尻高山 677.4m 白鳥山 1286.9m
下駒ヶ岳
1241m 菊石山 1209.8m 黄蓮山 1360m
犬ヶ岳 1592.5m サワガニ山 1612.3m 黒岩山 1623.6m
中俣山 1037.0m
2015.7.11(土)〜 12(日)
11日: 快晴 単独 道の駅親不知から栂海山荘まで 行動時間:10H50M
12日: 快晴 単独 栂海山荘から黒岩山を経て中俣新道を下る。小滝駅から親不知駅へ乗車 行動時間:8H55M
@道の駅親不知4:25→(38M)→A親不知観光ホテル前5:03→(5M)→B海岸0m5:08〜09→(10M)→C栂海新道登山口5:19→(68M)→D入道山6:27→(63M)→E尻高山7:30→(28M)→F坂田峠7:58→(68M)→Gシキ割り水場9:06→(78M)→H白鳥山10:24〜46→(72M)→I下駒ヶ岳11:58〜59→(36M)→J菊石山12:35〜36→(16M)→K黄蓮の水場12:52〜13:03 →(44M)→L黄蓮山13:47〜48→(87M)→M栂海山荘15:15
M栂海山荘4:33→(5M)→N犬ヶ岳4:38〜41→(62M)→Oサワガニ山5:43〜46→(60M)→P黒岩山6:46〜55→(75M)→Q中俣山8:10→(42M)→R中俣小屋8:52〜59→(2M)→S中俣新道登山口9:01→(176M)→[21]小滝駅11:57〜12:35→(36M)→[22]親不知駅13:11→(16M)→[23]道の駅親不知13:27
@道の駅親不知に駐車しスタート。ここは屋根付き駐車で夏にはありがたい。 | 8号線のこの付近は歩道はこの巾。 | 北陸道と北陸本線が交差する付近で歩道らしき道幅は無くなる。 | 最初のスノーシェッドの場所。いい感じで高速カーブしてくるトラック。 |
二つ目のスノーシェッドの中。かなりの圧迫感の中を進む。ここは自己アピールして存在を知らせないと危ない。 | A親不知観光ホテル前登山口。まずは海へ降りる。 | 観光ホテル駐車場脇から海に降りて行く道。途中にはトンネル遺産あり。 | 海への最後。 |
B親不知の海岸に降り立つ。 | Bちょうど来光を迎える。 | B登山靴を塩水で清め、ゼロ発進。 | Bさて山手側を向いて長い山旅に・・・。 |
越中へ抜ける旅の人が横切って行った。 | C栂海新道登山口。 | 最初の横切る林道。 | 二つの鉄塔下を潜る。 |
D入道山。 | D最高所は、この先100m。今回は端折る。 | 二本松峠通過。 | 古の道な感じ。 |
舗装林道を跨ぐ。 | 林道にある立派な標識。 | E尻高山 | E二等点 |
E表情のいい石仏。 | F坂田峠も雰囲気がある。 | Fこちらにも石仏。 | F舗装林道を跨いでゆく。 |
金時坂は、この勾配によくよく手が施してある。 | 金時坂の頭通過。 | Gシキ割り水場 | Gシキ割りの水場は細い流れ |
Gシキ割りの残雪に乗ったら、脆く崩れ、衣服がドロドロに・・・。 | H白鳥小屋到着 | H白鳥山 | H三等点 |
H小屋内部 | Hトイレ側は凄いハエの数。夏季は大変そう。 | H白鳥小屋全景 | 白鳥の水場下降点 |
向かう先。ちらほらと稜線下に雪が残る。 | ガレ地手前から | I下駒ヶ岳 | Iレーザー加工された標識 |
I主三角点 | 急下降箇所 | 菊石山手前。この場所の、進路左側で雪渓が残り水が得られる。 | J菊石山 |
J菊石山の標識は地面に。 | J三等点 | 年代物の標識 | ブナ一色の尾根筋になると水場が近い。 |
K黄蓮の水場分岐 | K黄蓮の水場。水量は十分。 | K下流側の様子。 | L黄蓮山。ここだけ木製の標識だった。 |
このルートで初めて雪に乗る。 | 池塘もあり、モリアオガエルの卵が沢山。 | やや大ぶりな残雪に乗る。 | 下から栂海山荘を望む。 |
M栂海山荘到着。 | M全景 | M小屋から東側 | M小屋の前室 |
M南側の部屋。ここに寝た。 | M北側の天井の高い方 | M栂海山荘から白鳥山側。 | Mトイレ |
M朝日岳方面。一日目終了 | M2日目の夜明け | M焼けだす栂海小屋 | M至福の特別な時間を過ごしたベンチ |
M貯水タンクもある | 栂海山荘のすぐ先に残雪があった。 | N犬ヶ岳の細尾根 | N来光を迎える |
N犬ヶ岳山頂 | N犬ヶ岳の標識と三等点 | N犬ヶ岳から栂海山荘。 | N犬ヶ岳から朝日岳側 |
稜線から西俣沢を見下ろす。 | 北又の水下降点。 | サワガニ山を望む。 | Oサワガニ山 |
Oサワガニ山標識 | Oサワガニ山三等点 | サワガニ山の東斜面はべったりと雪が残る。 | サワガニ山側から黒岩山 |
文子の池は雪で覆われる。 | 文子の池の上を通過する猛者。 | ミズバショウも見頃 | P黒岩山到着 |
P黒岩山標識 | P黒岩山三等点 | P黒岩山からサワガニ山 | P黒岩山から朝日側 |
階段の下が中俣新道の下降点 | お花畑になろう場所 | 雪も残る。掘れた道を伝う。 | 降りて行く尾根筋 |
道形はしっかりとしており不安個所はない。 | ブナの美しい尾根筋 | 流れの中を降りて行く。 | 見える場所は碁盤平か? |
ルートがよりハッキリしだす。 | 熊の足跡が残る | Q中俣山の標識が地面に置かれている。 | Q中俣山 |
大岩の脇を通過 | 鎖場が見えたら小屋は近い | R中俣小屋 | R全景 |
R小屋内部。フラッシュを焚いて撮影。 | R水場。冷たく美味しい。 | S中俣新道登山口 | S林道から見る登山口 |
ヨシオ滝は見事 | 対岸へ | サワガニがからからに | 滝上発電所前のゲート。車はここまで。 |
滝上発電所 | 明星山登山口 | ヒスイ峡への道に入って行きショートカット。 | ヒスイ峡を散策する観光客。 |
明星山大岩壁 | 国道148号に出る | 21 小滝駅に到着 | 21 大糸線線路上 |
糸魚川駅で乗り換え | 22 親不知駅 | 23 道の駅親不知に戻る |
読売新道とか早月尾根とか、岳人を一皮むけさせてくれるルートがある。栂海新道もまた同じ意味合いを持つと思うが、実際には山慣れた気持ちを「ゼロ」にリセットしてくれる場所とも思う。ゼロmから登る意味合いは、挑んだ人のみに判る感慨。
2012年、滋賀のI氏が親不知まで縦走すると言うので、その計画に抱合せて栂海新道を伝おうと思っていた。途中でスライドして鍵を渡せば、お互いの行動がうまく成り立つと考えた。しかしこの時は天候悪化でI氏は北に進展せず早めに降りられ、我が計画も保留となった。そのまま3年が経過した。今年の梅雨は長雨で、そんな中の梅雨の晴れ間、「行くしかない」と言う予報になり栂海新道に入ることにした。決めたのは前日の金曜日。おかげで準備が大車輪となった。でも幸いなのは、各山小屋の存在。テントを持たずして行動できるのはありがたい。
2014年、SK氏も落穂拾いで栂海新道をピストンした。彼らしい疲れ知らずの往復行動だが、非力な私は疲れを感じやすい性質であり、目的最高所の黒岩山を踏んだら中俣新道を降りる計画。コースは一筆書きが好きなので、その意味合いからは最良のコース。そしてまた、伝ったSK氏も推奨している。ただし、栂海新道の情報に対し、中俣新道の情報が薄い。経験からして、ルートが切られているにしても薮化している予想が出来る。よって、栂海新道ももちろん重要視せねばならないが、中俣新道を降り切るまで緊張は解けないと考えていた。
終業後、小屋泊装備をパッキングして、様子がハッキリわからない中ではシュラフのみは持つことにした。まあいつもツェルトは持っているので、これでどこでへたれてもビヴァークができる事になる。しかし、こんなバタバタしながら準備をしていると落ち度は出てくるもの。フリースは持ったものの、長袖シャツを忘れてしまっていた。これに気づいたのが、白馬を通過している時。外気温が15℃まで下がり、やはり山間部は寒いなーなどと思っていた中で、忘れたことに気づいた。しっかりビールは1リッター持ったのに、まだまだ山に向き合う姿勢がなっていないよう。
金曜日、21:07家を出る。高速なら2.5時間ほどで到達するが、三才山経由でのR148を地走りをして現地入りする。基点は道の駅親不知とした。ここは駐車場が北陸道の高架下となっており、炎天下に晒されず夏季にありがたい場所であった。1:15に到着し、ガランとした駐車場に突っ込む。上を通過する車、そして8号線から休憩に入る車があり、断続した騒音のある場所であった。8号線を親不知観光ホテルまで歩くには陽が上がらないと危険すぎ、夜明け時刻まで3時間ほど仮眠をする予定であったが、しっかりと寝られず、何度も起される。別の場所で仮眠して動き出すタイミングでここに来た方が良かったようだ。
4:25 道の駅親不知をヘッドライトを手にしつつ富山側へ歩いてゆく。ライトはスノーシェッドの中で使うための物。周囲を明るくするためではなく、我が存在をトラッカーに知らせるためのアイテム。親不知インターの降り口を右に見たら、その先から路肩が絞られてくる。高速道路の様に通過する8号線においては、この条件は「路肩は無い」と言うに等しいとも思う。北陸道と北陸本線がクロスする先から神経を使わないと登山口までさえ辿り着かない。この時は海側の車線を選び、スノーシェッドの柱に隠れるようにして通過する車両をパスする。予想しない歩行者の存在に、慌てて反応する車がほとんど。その様子を見ながら、危険を判って歩いて進めねばならなかった。
途中の展望地には、若いカップルが早朝から訪れていた。そこに見える女性と子供の銅像に、なぜにこの女性の左手はこの位置なのだろうと思うのだった(笑)。そしてよく見ると、風波川を挟んだ対岸の山腹に、お地蔵さんらしきものがあり、それが小屋形状になっているのが見えた。こんな場所に・・・古の道が近くを通過していたのだろう。眼下に見えるその場所に、どうすれば行けるのかとルートを探った。3つ目のスノーシェッドは、高さ800mm程の壁の上を平均台の様に伝って行く。これによりトラッカーとの目線が同じになり、かなり存在アピールになった。怖かった8号線歩きもゴールで、先に登山口が見えてきた。道の駅から38分で到着。
親不知観光ホテルの駐車場脇から、海へと降りてゆく。この行動を端折ろうかと思ったが、後で後悔しそうなので「ゼロ」をしっかり経てゆく。降りてゆくと、知らなかったことだが昔の線路道が在り古いトンネルが在った。これが見られただけでも降りてきてよかった。そして海岸まで下ると、ちょうど東の海の方から来光が上がった。ナイスタイミング。前途を占うような美しい景色であった。周囲に見えるケルンは、降りた方が積んだのだろう。そう思えるのは、これから登る者として、ここに積もうとは思わないから。海水の着いた登山靴、染み込めばヒル対策にもなるかなどとまだ余裕があった。
8号線を横断する。トンネル出口でありここでは富山側からの車に気を使わねばならない。登山口より入山する。少し西にずれた後、やや急登が待っていた。ぬかるんだ最初に、これが続くと参ったなーと思うのだった。地形図に未記載の林道を跨ぐ。この先8分ほどで左からの道が合流する。北陸電力の鉄塔表示があり、巡視路を兼ねている事が判った。75番と74番となるか、続けざまに二つの鉄塔下を通過する。快適すぎるくらいのルートに昔からの道なのだろうと予想した。
入道山は448高点を通らないので、どうするか迷う場所であった。帰りでの通過なら間違いなく薮に入るが、わずか100mの距離が負担に思えた。見ると2ヶ所ほどで分け入っている痕があった。好事家は踏んでいる様だ。私も好事家なのだが、ここでの往復200mは弱々しくも端折る。ヘタレの軟弱者と、自分で自分を罵りながら先を急ぐ。山頂を出てちょうど10分で二本松峠を通過する。解説を読むと、廃れた場所に栂海新道によってふたたび息吹を戻した旨が書いてある。素晴らしい事。古の道を感じさせる太いスギが林立した中を抜けてゆく。
林道を跨ぐ。さわがに山岳会のプラズマカットの標識がある。初めてこれを見たのは焼山山頂の標識。会員の中に鉄工所を経営されている方が居られるだろうと、その時の記録に書いたが、まあ間違いないだろう。さらにそれを確証するように溶接構造の階段を伝って山手側に取りつく。気温の高さからか、地図の縮尺の関係か、思うように地図上を進んでいないような感じで尻高山までが遠かった。先が長いのに対し、まだこんな場所なのかと思えてしまう。せかせか歩かずじっくり山を楽しめよと言われているようだった。
尻高山到着。雰囲気のある石仏とこの場所にして二等点が出迎えてくれた。先ほどの入道山に対し、こちらは山頂らしい山頂であった。石仏に一礼して先を急ぐ。この先も快適の限り、伊豆の万太郎・万次郎のあの山塊を髣髴されるような場所であった。そしてまた低い標高からブナも見えだす。これがまた美しい。栂海新道とはこんな快適なのか・・・とここまでの経路で思ってしまった。実際はここまでは準備運動で、これから先が本当を見せてくれる。
坂田峠にも尻高山と同じ石仏が立っていた。ここも雰囲気のある場所で、解説文をじっくりと読み頭に叩き込む。最近は昔のこれらを知るのが楽しくなってきた。若いころには頭に入らなかった事柄が最近は吸収できるようになってきている。勉強は無理せずしたい時にするのがいいと思うのだった。ここには駐車場があるのかと思ったら、見える範囲にはなかった。路肩駐車するのかと見ながら林道を渡ってゆく。わずかに進むと急場が連続しだす。ここが金時坂であり、坂田峠に対し「坂田の金時」として坂に名前がふられていると解釈した。幾重にもタイガーロープが流してあり、足場用の梯子が設置してある。全て継続して現在進行形で管理している様子が伺える。恐るべしさわがに山岳会となろう。
峠から50分ほどで金時坂の頭に到着。ここで急坂が終わった合図となる。進む先の右側に残雪が見え、そこからの流れを跨ぐのだが、ここがシキ割りの水場と判断し給水してしまう。冷たいもののやや濁った水に抵抗があったが、ここしかないのならしょうがない。それよりも、この暑さの中では雪溶け水の冷たさは格別であった。水を得て意気揚々と進んで行くと、白い表示が現れ流れが出ていた。すぐに間違えに気づいたが、少々の泥水でどうかなるデリケートさでもなく、ここは「シキ割りの水もどき」で通過してゆく。それでも本家の水はどんな感じかと飲むと、先ほどの冷たい方が美味しく感じてしまった。
シキ割りの水の先で雪渓を踏んで進む場所になる。危ないと思った場所で案の定崩れ、ズボンや腕がドロドロになってしまった。それを再び流れに戻って洗ってから再出発する。次が白鳥山で、シキ割から先は暑さを一段と感じる場所となり、辛抱の登りの場所であった。水場で500ml汲んだのだが、次の水場まで少なすぎるかとも感じる暑さであった。鳥居杉からの道が右から合流し、現在地が見えてくる。もうわずか、だがなかなか建物が見えてこない。やや緩斜面コースなので山頂部が見えずらく、樹林の先にあるだろう人工物を早く着きたいがばかりに必死で探すのだった。
白鳥山到着。感じとしては白鳥小屋到着と言った印象の場所であった。小屋を挟んだ反対側には遭難碑が目立つ場所に設置してある。この場所に造るのは珍しいが、利用者に対し注意の促しだろうと理解する。小屋内部は黒光りした床があり、明るく心地いい空間があった。中で休もうかと思ったが、日差しの中に居ないと休んだ後での切り替えが大変そうで、そのまま炎天下の下で休憩とした。トイレの方に進むと、行く手を阻むほどにハエが舞っていた。利用者が多いためだろう。夏の利用は大変そうである。三等点は場所を配慮したような位置に埋められていた。見える南側の景色、犬ヶ岳であろう場所の遠さに、そして暑さに眩暈がしそうであった。河内晩柑を食べビタミン補給してから出発する。
白鳥の水場はパスをする。500mlから僅かに減っただけ、次の黄連の水場が本命。その前に、まだこの時季でもあちこちに雪渓が見える。水場でなくても各所で得られる場所はありそうだった。そこに降りてゆく労力と厭わなければ・・・。もったいないくらいに高度を下げてゆく。下駒ヶ岳北側は左に弧を描くようなルートとなるが、ここがガレ場でそのために展望が開ける場所であった。ガレに当たった風が上に抜け、登山道を涼しくしてくれていた。
下駒ヶ岳到着。下側に向かって標識が設置してあり登り上げた者を歓迎してくれていた。それよりなにより、標識がレーザー加工してあった。プラズマ作業からレーザーに・・・。鉄工所と言うより鈑金屋さんが会員のようだ。裏に取り付けられた解説は半ば剥がれ落ちており、判読は半分までとなった。ここには主三角点のアールの強い基石が埋まっていた。山頂南斜面は急で、足元に注意しながらタイガーロープに掴まりつつ降りてゆく。その先で2名の男女とすれ違う。時間的にやや不可解。どこをスタートしてきたのか。後を歩く女性の表情が優れないのが気になった。中間峰を過ぎると左側に大ぶりな雪渓があり、流れの音が強くしていた。稜線から僅かでここでも水が得られる場所であった。「隠れ菊石の水場」となろうか。ザレ斜面の左側がその場所となる。アップダウンは伴うが、大きな起伏は無く菊石山までルートが続く。
菊石山は三等点と標識が無ければ通過点のような場所であった。この先は水場であり、頭と背中に水を浴びて涼を得る。この先はブナの美しい植生が続く稜線となる。そこにある水場であり、もう不味いわけがない。最低鞍部付近かと思ったら、少し登った場所に水場の分岐点があった。流れの音が左から強くしている。吸いこまれるように足を寄せてゆく。少し足場が悪く最後はタイガーロープを掴んで降りてゆく。
黄蓮の水場。上流側は残雪で埋まり、そこを流れてきているので冷たいこと限りなし。そしてこの場所は自然のクーラーの場所で、かなり居心地が良かった。この外気温にしてここだけ寒いくらいの冷気が漂っていた。2リッターのプラティパスを満たす。冷たい水が得られたので、不思議と元気が出た感じとなった。重くなったザックではあるが、この時季にしてそれこそ命の水でもある。登山道に戻りコツコツとゆっくりとした歩調で登ってゆく。既に8.5時間ほど歩きづめで来ている。疲れが出ないと言ったら嘘になる。黄蓮山の北側にも雪渓があり、ここも流れの音がしていた。ここまで見てくると、ハイシーズンでも早い時期なら水をあまり気にしないでも歩けることになる。
黄蓮山にはこれまでと違う木製の標識が置かれていた。ザックに腰を下ろして小休止、汲んだばかりの冷水が喉を潤す。残すは犬ヶ岳手前の栂海山荘までの距離。ここまで道の駅から出発して9時間で来ている。12時間ほどを考慮していたが、この天気にしてまずまずの行動時間。背中のビールが出番を待っているのだが、凍らせてきたものの時間の経過とともに冷たさの劣化が進んでいる事実。“ここで飲んでしまおうか”などと良からぬ思考も出てきていた。我慢して持ち上げた方が到達地点でのご褒美になる。まだ我慢・・・。南側に出ると犬ヶ岳の肩の場所に赤い人工物が見える。見えているほどに遠いのは通例であり、ここも覚悟して向かって行く。
黄連山の南でこの日初めて残雪の上に乗る。その先にモリアオガエルの卵がたくさん浮かぶ池塘があり、その先で再び大ぶりの残雪地帯を通過してゆく。わざとキックして氷の飛沫を浴びるように楽しむ。1384高点を含め、山荘が見えてからのアップダウンに疲労度が嵩んでゆく。ここまで心技体を感じさせてくれる場所も久しぶりで、立ち止まりそうになる足を気持ちで動かしてゆく。これぞ栂海新道と感じさせてくれていた。最後の登り上げは、ほとんど牛歩状態で蝸牛のようでもあった。でも登り上げればこの日のゴール。ビールも待っている。
目の前に赤い人工物がいきなり現れた。こんな近接した場所に登り上げるとは思っていなかった。栂海山荘到着。山荘前のベンチでは男性が一人休憩をしていた。ここにはこの方のみのようで、この後は判らないが危惧した混雑は無いように見受けられた。男性は埼玉の方でテレマークをされる岳人であった。ビールを勧めたが、丁重に断られた。「苦労して持ち上げた分は自分で飲んでください」と裏の言葉が聞こえてくる。当人はウイスキーのような琥珀色の液体を飲まれていた。御仁は朝日小屋に予約を入れてあり、その先は唐松岳の方まで抜けると言う。腰の低い勉強させられる方であり、それにより居心地のいい場所となっていた。雲一つなくどこでも見渡せる場所、汗に濡れた衣服を日干ししながらのビールは格別であった。この場所にも目立つ場所に遭難碑があった。その場所の意味する事が注意を促しているので間違いないだろう。
増築構造の小屋は、北側が背の高い空間の作りで、南側が屈まないと移動できない作り。こちらの方に銀マットが敷いてあったのでここを塒とさせていただく。そして2000円を徴収箱に入れる。マットも毛布も揃っており、これならシュラフは不要であった。さらには雨水がタンクに貯められ蛇口をひねると出るようになっている。ヘリポート側には鉄工所の残材置き場のような雰囲気の場所もあった。さわがに山岳会を支えているのは、この鉄工関係の方で間違いない。あちこちに金工の作業が見られる。夕刻になり、もう一人登り上げてきた。今日は3人の様子。情報では、さわがに山岳会の方が朝日小屋からこちらに降りてくると聞こえてきたが、それは無かった。その方ではない韋駄天が降りてきた。坂田峠から黒岩山をピストンして白鳥小屋まで戻ると言う方が、16時を回ったくらいで現れた。陽があるうちにギリギリまで歩く姿勢。凄い脚力と精神力と思えた。こちらはビールを片手に持ちつつ背中を見送る。この山に向き合う姿勢の差はなんだろうか・・・。暑かった日差しが無くなると、急に標高を感じさせる外気温に変わった。自然が小屋へ入れと言っているようであり、ここでの抵抗はしない。残るアルコールはスコッチウイスキー。銀マットの上で至福の時間が過ぎてゆく。
翌2:00小屋の扉が開いた。出発するのかと耳をそばだてる。こちらは明るくなったらの行動とし、来光があがる頃に犬ヶ岳に居ようと思っていた。そして4時頃になると薄明るくなり準備をし出す。外に出ると、出発されたと思った方はまだそこに居た。「少し遅れています」などと言っていたので、その通りなのだろう。「露払いをしてもらう形で申し訳ありません」と告げ背中を見送る。それにしても今日もいい天気。もう少しでご来光、小屋がオレンジ色に輝きだしてきた。急がないと。
4:32栂海山荘を出発する。出発してすぐに大きな雪渓が残っていた。なんだこんな近くにあるのなら、ビールを冷やしたのに・・・もっとおいしく飲めたのに・・・。1分も必要としない場所にあるとは、1日目に犬ヶ岳に上がっておくべきだったと思えた。細長い山稜を行くと、先行していた御仁がカメラをこちらに向けていた。“そうだった来光が” 頭の中がビールを冷やせなかったことで来光を忘れていた。すぐに振り返ると、栂海山荘の上の雲間から上がってきていた。今日も長い付き合いになる。お手柔らかにお願いしますと一礼する。犬ヶ岳の山頂は360度のパノラマピークで、山頂らしい山頂であった。まだこの時間は朝日岳側はガス、初雪山も上部で濃く纏っていた。それでも流れは速い。とれるのも時間の問題。
南進してゆく。相変わらずのアップダウン。これが栂海新道の醍醐味と思えてきた。進路左(東)側を見下ろすと、西俣沢に雪渓が覆う。ここもスキーが使えそうに思うが、稜線直下は雪崩の巣になろう。北俣の水はパスしてゆくが、朝日側からの小屋泊者にはここが貴重な水源となる。稜線の東側に雪渓がちらほらと現れる。乗って遊びたい心境になるが、まだこの時は中俣新道に対しての不安が大きくそこまでする余裕がなかった。サワガニ山北側斜面にもしっかり残っていた。7月になっているが、6月くらいの上越国境の雰囲気であった。先行する御仁の鈴の音がコロコロと響く。こちらは鳴らさずに行動しているので、先行している人にはこちらの存在が負担であろう。近づきすぎないよう一定距離(50mほど)を保ちつつ背中を追って行く。
サワガニ山登頂。ここもそのネーミングからして登りたかった場所で、登頂が嬉しい場所。そしてさわがに山岳会のサワガニがそのまま用いられた場所であり、この栂海新道においても重要度がある場所に思えていた。味のあるプラズマカットの文字。ステンレス構造であり錆びる事も知らないから、ほぼメンテナンスフリー。長い目で見るとこの初期投資は十分有益と思える。振り返ると犬ヶ岳が大きい。もっと大きい朝日岳側の景色があるのだが、この誘いを断る方が難しいほどにいい景色が広がっていた。そう、既にガスはとれスッキリとしていた。その手前、黒岩山から北西に尾根が降りている。“あそこを下るのか、どんな道だろう。雨具を履くほどにモシャモシャなのでは・・・”などと近くなるにつれて不安が増してくる。次の黒岩山が今回の山旅の最高所、起伏が続きながらも、着実に高度を増してゆく山稜の様子も心地いい。
文子の池はそこの無積雪時が想像できないほどに残雪が覆っていた。距離にして50mほど雪の上を伝い黒岩山への最後の登りに入る。先行者は雪の上でしっかりと地図を見ている。沈着冷静な岳人で、雪山をこなしているからこその冷静さに見えていた。最後の急登手前には一株の白根葵が登り通過者に声援を送るように咲いていた。急登箇所になり、先行者の足も渋る。こちらも同じことで、昨日から歩いている事を強く感じる。でも、この疲労度があってこそ登山。努力もまた感動を誘う。
黒岩山到着。栂海山荘から2時間ちょっとで到達した。「この天気に、もう降りてしまうのは勿体ないくらいです」などと先着している御仁に話すと、「そうですね」などと返される。黒岩平が美しい。その黒岩谷側へ落ち込む斜面では、太い流れの音がしていた。ここも360度の展望ピーク。初雪山のガスもとれスッキリとした姿を見せてくれていた。雨具を履いた方がいいのか、どこまで藪対策をした方がいいのか、とりあえずウイダーで朝食として下山モードに切り替える。御仁と最後のあいさつを交わすが、最後の最後まで紳士的な方であった。
黒岩山から黒岩平に向かうとすぐに階段状の場所があり、降り切った場所が分岐となっていた。少しモシャモシャしていたので、やっぱりと思ったのだが、その先、意外やしっかりと道が在る。途中にはこれからの時期にお花畑になろう場所もあり、ちょっと休憩するにも黒岩山山頂よりは広く心地いい地形が広がっていた。その中に雪渓もあり、一筋の登山道が降りていっている。不明瞭な場所もゼロではないが、それにしても予想以上に判りやすい道に感じた。エスケープルートとして、または登路として伝う人が多いのか、ルートが掘れている場所も目立つ。開けた場所から、樹林帯の中に入っても不安な場所は無かった。地形図からは、もう少し勾配の強い場所と思っていたが、概ね緩斜面で続いていた。
広葉樹の雑木帯が一転して、ブナ一色の尾根となる。進路左側に谷があり、犬ヶ岳からの東尾根が良く見えていた。そんな中に越後によく見る刻みを発見。越後だからしょうがないのか、何度見ても慣れなく痛々しい。まあ熊の爪痕も同じと言えば同じなのだが、作為的に行った自己主張は、やはり受け入れられない。この先で少し進路を邪魔をする倒木が出てくる。そこを過ぎると流れの中を進む道となり、滑りやすいので周囲を掴みながらの通過となる。やや急峻の場所も続き、その途中から先の方に平らな地形が見える。それが碁盤平のよう。そこに水場があるようにエアリアに書いてあるが、この沢状の流れのほかに、水場らしいところが見えなかった。碁盤平を見下ろしたので、すぐに中俣山になるのかと思ったら、なかなか現れない。よくよく地図を見ると、山頂らしき場所ではなく通過点。これでは気が付かずに通過してしまうきらいがある。周囲に注意しつつ進んで行く。
尾根通しから、尾根の左側に道が切られている場所になる。しばらく左側を進み、途中で乗越すように右側に出る。この辺りから、これまでと違ってかなり明瞭なルートとなった。そしてその途中、地面に人工物を見る。気にしていなければ見過ごしてしまうもの。そこには「中俣山山頂」と書かれていた。三角点もあるはずであり、藪の中に入ろうかと思ったが、ダラーっとした山容の中で探すのはやや困難と判断し、拝むことは端折った。三角点があるのに見ないのは名残惜しいが、ここが顕著な高みなら、よりそのことを強く思ったろう。通過してゆく。
中俣山からは急下降の場所が続く。小滝川の流れの音が強くしだし、下が近い事が判る。急下降してゆくと、この場所にして刈り払いがされている場所が出てきた。その下側では鎖場が連続し、下からの管理がここまで入ってるんだと目の当たりにする。するとその先に青い屋根の小屋が見えてきた。鎖の出現がそのまま小屋が近い合図ともなるのだった。太い倒木を潜るように降りてゆくと、水場を経て作業小屋風の中俣小屋に到着した。中を覗くと、目が慣れないと見えないほどに暗く感じる室内だった。記帳ノートを読むと、ここを登下行した方が利用しているのが伺える。降りてきた感じでは、とても状態が良く、エスケープではなく登路としてもいい。水場の水を汲んで長い林道に備える。じりじり焼かれるのが想像できる。飲むと言うより、かぶる為の水であった。
小屋からはすぐに林道かと思っていたが、すぐはすぐだが、経路は小屋の資材を運ぶにも大変に思える急峻があった。林道から容易にアプローチできる場所と思っていたが、ちゃんと構えて登って行かないと辿り着かないような位置取りの所に小屋が在るのであった。林道に降り立つ。入り口には「中俣新道」の標柱がある。林道を降りてゆきながら、駐車余地を見てゆく。登山口のすぐ下流の橋の両岸に余地はあった。いや待てよ、車が入ってこれるとは限らない林道かとこの時になって気づいた。計画の中では、ここまで車を入れて自転車をデポしようかとも思っていた。しばらく歩くと、路上に2台のモンキーと1台のゴリラが置いてあった。そこにはヘルメットも無い。と言うことは、車から降ろして林道を走ってきたことと予想できる。これで、この先下流にゲートがある判断が出来た。
小滝川の右岸をしばらく進む、左岸側の景色がかなり特異で面白い。大岩が在ったり、特にヨシオ滝の美しさにはしばし足を停めてしまった。ここほどに高い位置から見栄えのする滝も珍しい。百名瀑に数える中での貧弱な滝より、こちらの方がずっと見栄えがすると思えた。途中、大菱橋で左岸に移る。ここに書かれた表記で、今歩いている林道が林道入山線と言う名前だと判る。暑さからか、蝶が流れのある場所近くで舞っている。その流れで涼を得ようと近づいたら、到達できなかったのか、そこから出てきたのかサワガニが干上がっていた。サワガニ山を踏んだ後だけに、何とも面白い巡り合せであった。
進路前方に黄色いゲートが見えてきた。一般車は滝上発電所前までと言うことになる。モンキーやゴリラの主の持ち物であろうハイラックスと軽ワゴンが置かれていた。進んで行くと対岸に渡る吊り橋が見える。それ以前に圧倒する迫力で構える岩壁が目に入っていた。ここでの大岩壁となると明星山しかない。吊り橋は登山口となる場所であった。まだ雪が在るのだろうか、入り口は封鎖されていた。この時季で登れないとなると、このルートが使える時期は短いと思えた。
ヒスイ峡の景勝地は、車道は大きく九十九折をして進むので、ヒスイ峡の散策路を通ってショートカットする事にした。監視員に声をかけると、「こっちの方が近い。ところでどこから、明星山?」と聞かれ、「栂海からです」と返すと、さも暑そうな表情をして、そのあとの言葉を吐かなかった。川の畔にはヒスイの巨岩を観る観光客が20名ほど居た。場違いなハイカーが見下ろしながら通過してゆく。そしてフィッシングパーク下の車道に出る。出た先しばしで、明星山の大岩壁を前にした展望所となる。クライマーを探したが、こんな日は岩が熱くて掴めないのか、動く影一つなかった。ここからは下り一辺倒と思っていたが、意外と登り返しがあり疲れる経路であった。山の神だろうか、小さな神社に無事の下山の御礼をしてゆく。
瀬野田の集落に入った場所で、名古屋ナンバーのワゴンが通過し、不思議にもバックしてきた。そして「乗って行きませんか」と声をかけていただく。「いや、汗臭くて申し訳ないので、お言葉だけありがたく頂きます」。乗りたい気持ちもあるが、ここで乗ってはヘタレと思えてしまう。「いや、うちらも山の帰りだから気にしないよ」と運転手も同乗者も言ってくれた。もう深々と頭を下げて気持ちだけ頂く。このご時世においてこれらの配慮が出来るのはジモティーか山屋くらいなのだろうと思う。ありがたい限り・・・。
前方にR148の車の往来が見えてきた。ゴールは近い。国道に出て白馬側に進むと小滝駅の表示が見えてきた。経路でスマホを使って時刻表を見ていたので、特に調整は必要なかったが、一方向に対し2時間に1本のスパンでの運行であり、タイミングよく到達しないと、まかり間違って直前で通過した後だったら、2時間待たねばならない。この時は30分ほどの待ち時間となり、靴を洗ったり、シャツを洗ったりする時間に当てられ、それらを干す時間にも当てられちょうどよかった。それが出来たのも無人駅だったからで、プラットホームに御開帳するがのごとくに広げて干していた。当然、上り下りの通過時間を知ってやったので、運行を邪魔する事は無かった。ここは普通に線路に降りられる場所で、線路の上を歩くなど、何十年ぶりかと思いつつ喜んでいた。細かいことを言えば、輪島駅の廃線路を近年歩いているのだが、使われている中で歩くのは久しぶりだった。ある意味やりたい放題で小滝駅を楽しんでいた。
12:35糸魚川行きの一両編成がやってくる。そして乗車位置の前に来るが、手動式とあるにしては、押しても引いても開かない。乗車している人は皆澄ましている。どうすれば・・・。発射を待たせながら押したり引いたりトライする。最後に判ったが、「押す」のだった。中はクーラーが効いていて心地いい。微妙に横揺れする直進性がなんとも微妙な大糸線に初乗車。山旅のおまけとしてこれもまた楽しい。8割ほど席が埋まり、どこからなのか大きなザックも見られる。糸魚川へ向かうなら新幹線利用とも予想できた。新幹線の開通により、後立山を計画するハイカーは糸魚川駅を多用する人が増えるだろう。前日、栂海山荘で出会った埼玉の方もそうだった。
糸魚川に着き、そのまま北陸本線への電車に乗り換える。「泊行き」の電光掲示のある列車の車掌に、これ「日本海ヒスイラインですか?親不知で停まりますか?」と聞くと、「ここを走る列車は一つしかない・・・親不知で停まります」と質問に対してよく判らぬ答えを返してきた。そして「切符はありますか」と聞くので大糸線の乗車券を見せると、「640円ですので準備しておいてください」とさらによく判らない事を言った。整理券の乗車駅も確認せずに、行き先が親不知と言う情報だけで、なぜに金額を言ったのだろう。そして親不知に到着する。当然真っ当な金額の240円+240円=480円を支払う。すると「ちょっと待ってください」と訝しげな車掌。「いやいや、小滝乗車ですから480円でしょ」と言うと、料金表を確認して「あっそうですね」と言って降ろしてくれた。ワンマンなのでそんなやり取りで親不知停車は超過していただろう。いろんな人が居ていいが、自信があることない事、間違えもたまにあり、発言は謙虚にしたい。反面教師になる。
親不知駅に降り立ち、自販機のシークワーサージュースで喉を潤す。内容物をよく見ると、何一つシークワーサーが入っていない事実を知る。騙されたとも思わないが、笑いがこみあげてくる。北陸本線を右に置きながら、その上を走る高速を通過する車両を見上げながら歩いてゆく。道の駅が近くなると、海岸で海水浴をする風景が目に入ってくる。この暑さだと、山より海の方が妥当かも。ただ海も至極暑そうに見えた。道の駅前の横断歩道はほとんど消えて判らないようになっている。なにか横断歩道のない場所を渡っているような、少し後ろめたい気持ちになってしまう。到着。高速下の駐車スペースで、外気は33℃を示していたが車内は26℃であった。
振り返る。良い山だった。良いルートだった。栂海新道に触れ、また基本に戻れ自分の歩きを見直すような気になれた。白鳥小屋で泊まって、次に栂海山荘に泊まって負荷なく行動すればそれは無かっただろうが、1日目のピッチを栂海山荘とした場合、心してかからねばならないルートと感じさせられた。そこには暑さの関係もあったとは思う。さて、逆まわりルートを検証してみる。林道入山線は小滝駅からの登りでもほぼ3時間だろう。中俣新道は2時間で降りられたことを思うと3〜3.5時間で登れると予想する。となると、面白いか面白くないかは別として、栂海山荘まで9時間ほどで行けそうな足し算となる。まあ坂田峠まで車が入るようなのでそれが最短路か。滝上発電所まで車を入れれば同じほどか、そんなことを思いながら地図を見返し復習している事が楽しい。登ってヨシ、そのあとの余韻もまたヨシ。