弁天山 196m 佐和山 232.5m
2015.4.12(日)
くもり 単独 大洞弁財天から龍潭寺に抜ける 行動時間:1H4M
@駐車場14:31→(7M)→A大洞弁財天14:38→(10M)→B弁天山14:48→(7M)→C弁天山北200m峰14:55→(22M)→D佐和山15:17〜21→(5M)→E龍潭寺への下降点15:26→(9M)→F駐車場前石田三成公銅像15:35
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@駐車場には案内ボランティアが居り説明してくれる。 |
経蔵 |
A立派な山門 |
A大洞弁財天 |
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A「東山ハイキングコース入口」の表示は、西側の社殿裏にあり、少し判り辛い。 |
奥社の西側から山道が始まる。 |
参道から一転して山道。 |
Bすぐに弁天山に到着。標柱に「物生山←」とあり寄り道をして行く。 |
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C200m峰で立入禁止看板が出て引き返す。 |
やや左右から張り出しているルート。 |
ミツバツツジが花盛り。 |
龍潭寺への下降点を通過して行く。 |
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塩硝櫓跡。修復・改装中だった。 |
D佐和山到着。 |
D南南西側の展望。 |
D佐和山城址標柱。 |
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D三角点は南西側に。 |
D三等点。 |
D琵琶湖側は霞んでおり・・・。 |
E龍潭寺への下降点再び。 |
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弁天山側には居なかったが、佐和山側にはハイカーがちらほら見られた。 |
龍潭寺の日本庭園。 |
F石田三成の銅像 |
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磯山の麓に行ったが、磯崎神社の境内入り口がチェーンゲートされて駐車余地が見出せなかった。諦め佐和山側へズレて行く。
東海道本線を挟んだ西側は住宅地で、北から南へと細い路地を進むと、東側へ渡る唯一の道が現れた。 東海道線を渡ってすぐの小路を北に進むと龍潭寺前に公式駐車場が現れ、そこに案内者も見えた。ここから入山でいいらしい。ボランティアの方にコースを聞くと、丁寧にルートを教えてくださった。
北に進む車道を進むと、経蔵の大きな木造家屋が現れる。これは県の重要文化財とのこと。さらに進むと大洞弁財天となり、石段を上がって行くと社殿があり、その北側に「弁財天霊場」と書かれた龍の瓦が印象的な社殿が出迎える。その前には立派な山門があり見栄えのするものであった。
さてここからの進路が良く判らなかった。道標は特に無く勘で社殿裏側に進む。するとここで「東山ハイキングコース」の標柱が出てきてルートがあることを示していた。「宇賀神」と書かれた鳥居を潜り石段を登って行くと、奥社があり、その北側から山道が登っていた。
最初の高みを経て、次の小高い場所が弁天山であった。その標柱に「物生城←」といたずら書きがあったので、寄り道をしようと北に進んでみる。鬱蒼としたルートの中を進むと、鞍部を経て登りあげたのが200m峰で、ここで「立ち入り禁止」の表示がされていた。これにより、北進はここまでとして踵を返す。弁天山を経て北に進む。
ハイキングコースとなっているが、道幅は狭く新緑が生い茂る感じ。ちょうどミツバツツジの見頃で、その紫色を愛でながら進んで行く。残念な事に下界の騒音が賑やか。例えるならば、奥多摩の山を登っているような煩さでもあった。琵琶湖の畔でありしょうがないのかもしれない。
龍潭寺への下降路を右に見て僅かで、煙硝砦跡地となるが、一帯がカバーされ現在は立ち入れないようになっていた。あたりから子供の声が聞こえてくる。弁天山側は静かだったが、こちらは流石に登る人は多いよう。駐車場でのボランティアが、石田三成の居城として登るのを勧めていた風景も見ている。最後の登りを駆け上がる。
佐和山は桜山のようでもあったが、少し時期を過ぎてしまっていた。ベンチが置かれ、単独行の方がカメラを琵琶湖側に向けて眺望を楽しんでいた。三角点は南東側のはずれにあり、集う中心を外した考えられた設置場所に思えた。琵琶湖側はスッキリしないくすんだ景色のままだった。ベンチに腰を降ろすか、早く降りてビールにあり付くか、答えは瞬時に出て下山を急ぐ。
龍潭寺への下降点からは、佐和山への登りですれ違ったパーティーが下山中であった。やや滑りやすいルートに、ゆっくりと確かめるような足取りでみな降りておられた。先を譲っていただき前に出る。先に墓地があり、その先が龍潭寺の日本庭園であった。苔生した庭は、緑が鮮やかで、それこそワビ・サビを感じる造りであった。
駐車場を目の前にして、石田三成公の銅像がある。世の中での見聞きする謂れに対し、そこに見える柔和な表情の三成公に地元民に愛されている様子が伺えた。もう少し歴史を、その細部まで勉強せねばならないと感じるのだった。
彦根駅前のルートインに着地し、この日を終える。鈴北岳に始まり、よく歩いた日であった。
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