ハマグリ山 1150m トンガリ山 1241m 山形神室岳 1343.9m
神室岳(仙台神室)
1356m
2015.8.16(日)
晴れ 単独 笹谷峠より往復 行動時間:4H41M
@笹谷峠4:21→(39M)→A1146.1三角点5:00→(5M)→Bハマグリ山5:05〜07→(25M)→Cトンガリ山5:32〜33→(25M)→D山形神室岳5:58→(51M)→E神室岳6:49〜7:05→(49M)→F山形神室岳帰り7:54〜55→(20M)→Gトンガリ山帰り8:15→(17M)→Hハマグリ山帰り8:32→(30M)→I笹谷峠9:02
@前日の笹谷峠から山形側 | @前日の日没 | @深いガスの中スタート。 | ガスから抜け出し雲海を見下ろす。 |
大輪のヤマユリ | 本日の御来光 | A1146.1三角点 | A三等点 |
モルゲンロート。色が薄いですが・・・。 | Bハマグリ山標識点 | 露岩の場所はツルツル。 | Cトンガリ山 |
Cトンカリ山から雁戸山 | 途中から見る山形神室と仙台神室(右)。ドームのよう。 | 山形神室手前から。 | D山形神室岳 |
D三等点 | D山形神室標識 | 清水峠分岐 | ダンゴ平への急下降路 |
ダンゴ平の先のブナの水平道。 | 最後の登り。 | E神室岳 | E仙台神室岳標識 |
E仙台神室から雁戸山 | E山形神室側 | E面白山側 | Eヤキソバパンと山形神室。 |
仙台神室より下山途中。 | 清水峠への分岐帰り | F山形神室帰り | F山形神室より山形側。 |
F市街地アップ | 山形神室とトンガリ山間の植生。 | Gトンガリ山帰り。 | 露岩の場所は、復路は乾いていた。 |
Hハマグリ山帰り。 | 上から笹谷峠を見下ろす。 | 笹谷峠にはポツンとこの標柱が立つ。「宮城懸」と彫られている。 | 裏には「明治廿六年八月初旬」と彫られていた。 |
I駐車場到着。不思議な光景だが、みな下界側にフロントを向けて停めている。 |
前日の夕刻に笹谷峠に到着すると、まだたくさんの車が残っていた。展望の為の観光客が多い中、登山者の姿が見える。そしてテント類を虫干ししている。その人らの話に耳をそばだてながらテントを設営する。聞こえてくる言葉は標準語だった。これなら接近してもリスクは少ない。近づいてゆくと気のいいパーティーで、その宴会の中に誘っていただき、お酒を振る舞っていただいた。こちらは宴会の予定はないので、個人的な食べ物しかなく情けない限り。話を聞くと、東京の労山の方々であった。この日は大朝日に登って、ここまでズレてきたと言う。しばしの語らいをして、スイカまでいただいて日没後早々に自分のテントに引き上げる。
夜間は16℃ほどで寒く感じるほどに涼やかだった。朝方になり2時ごろから読書を始めていると、3時ごろになり東京のパーティーが行動しだす。てっきり神室山に行くために用意しているのかと思ったが、全てを車に乗せ峠を後に宮城側に降りて行ってしまった。峠に残されたのは私一人になってしまった。バタバタと賑やかだった場所が閑散と・・・。するとそこに1台のピックアップがやってきて、降り立ったのは2mほど在ろうかと言う外国人だった。夜明けを待っているのか、濃いガスの中、濡れるのも気にせず闇夜に立っている。そんな各人の観察をしながら、こちらはテントを片付け、出発の準備をする。この時まで、登山道はしっかり刈り払ってあるだろうと予測していた。
4:21出発する。20mほど先が見えるくらいの夜明け具合で、ガスが垂れ込めている暗さでもあった。峠だろう場所には分岐道標などは見られず、向かう方角にある道へ踏み込んで行く。すると、濡れる。どんどん濡れる。終始こんな道なのか、完全に露払い状態で短時間でずぶ濡れとなった。刃物を入れない登山道なのか、それらしい刃痕が見られない場所でもあった。九十九折をしてゆくと、ガスから飛び出して雲海を見下ろす形となった。この日は、ここだけではなく宮城側で広範囲にガスが垂れ込めているようであった。雁戸山が浮かび上がり見栄えのする絵面であった。
登山道脇には大輪のヤマユリが咲いている場所もあった。5時少し前にして、東の雲海から来光が上った。前日は雨だったので、今日は晴れて欲しい。そう思うが、既に全身ずぶ濡れなほどに濡れていて、予想では一級の道と思いスパッツもしてこなかったので、靴の中への侵入も速い。念には念を・・・となるが、だいぶ読みが浅はかだった。最初に登り上げた高みは1110mの無名峰で、その北東に進んだ高みがハマグリ山となる。その1146.1mの三等点ポイントに行くも、標識類は無かった。せっかく面白い名前の場所なのに残念と思いつつ先に進む。すると、埋設された点の場所から5分ほど進んだ最高所にその標識が待っていた。ハマグリが貼り付けられ、サワガニ山岳会製の標識の様にプラズマで切り抜かれた味のある標識が掛かっていた。これなら納得。少し足と停めて来光を見、それによる山形神室のモルゲンロートを楽しむ。
ハマグリ山から北に進むと露岩の急斜面を通過する。ここも濡れていて岩の上には足が置けない、左側の草付きの中を降りてゆく。向かう先にトンガリ山がその名の通りスクンと擁立している。そこに続く登山道の線がなんとも心地よく見えている。右に山形神室、そのさらに右に、大きな鞍部を擁した仙台神室が待っている。サクッと登ろうと思っていたが、しっかり歩かされる感じ。この日は帰省の日でもあり、そうゆっくりとこの山塊に留まれない為、気持ちも体も急いでいた。
トンガリ山に到着。思っていた山頂と異なり、何か通過点のような狭い場所であった。展望は雁戸山側が開けている。先に進むが、このトンガリ山と山形神室岳の間が一番濡らされた場所であった。既にここで、靴の中からクチャクチャと音がしだしていた。無防備すぎたようだ。進む途中から仙台神室を見ると、「坊主岳」と名付けたいようなドーム形で見えていた。この先、山形神室岳から北に分岐すると、屏風岳もあり気になる場所ではある。帰りの状況次第となるか。前日の仙台カゴと違い、登山道が通っているので進めば踏める場所だが、全てに時間の経過と「渋滞」が気になりつつ歩いていた。
山形神室岳到着。その名の通り、山形側が展望がよく、緑の無いコンクリート色の街を見下ろすことが出来た。三等点が中央に鎮座し、この山塊の中央を位置どる山に相応しい山頂に感じた。さあ次が仙台神室。ほとんど立ち止まらずに通過してゆく。清水峠への分岐点から東に進み、急下降する濡れた沢状の道を降りてゆく。登り返すには負担に思える長さと勾配。向かう先の仙台神室がどんどん高くなってゆく。そして鞍部となるダンゴ平に降り立つ。仙人沢への道が在るようだが、見事に野草が覆い、なんとなく道が在るだろう場所に野草が窪んで見えていた。
ダンゴ平からの登りに入ると、北側が一面のブナの植生になり、色が変わったような印象を受け美しかった。急登は急登で、補助ロープとなる細引きなどが流されていた。陽の当たらない登りで濡れた体には日差しが欲しかった。筋肉の負荷を感じつつ駆け上がってゆく。本日の最深部であり目標点にあとわずか。
神室岳到着。現在の地形図にはないがマップルの地図には、さらに東の風ノ堂まで道が書かれている。以前は在ったのだろうか、現在はそれらしいものは無く、キジの為の踏み跡があるように見えた。心地いい独立峰的場所で、東側以外は各方面が見渡せていた。時計を見ると、スタートから2時間半。ぴったりエアリアのタイムと合致していた。しばし腰を下ろして休憩する。今日はセブンのヤキソバパンを持ち上げた。前日のファミマの物に対し、申し訳ないが雲泥の差で美味しく感じる。
山形神室岳へ戻ってゆく。ダンゴ平からの登りでは、湧いているトンボに対し、ツバメが補虫に集まっており、なにか狂ったように飛び交っていた。トンボもそれに気付いているのか、ここではぎこちない飛び方で登山道上を舞っていた。屏風岳へはまた鞍部があり標高差も見える。次回北側の山塊をやるときに抱き合わせにしよう。清水峠への道を右に見送り左に進む。思っていたほど辛く感じずに山形神室岳に戻る。まだ行き会う人はおらず、思うほどに人気のない場所なのかとこの時は感じていた。
ここまで戻れば、あと1時間ほど。花を愛でながら降りてゆく。陽が上がったものの、一人の通過だけではまだしっかり濡れていて、またまたここでびっしょりと濡らされる。そしてトンガリ山まで戻ると、そこに2名の男性が居た。これを皮切りに、次々と出合うようになった。それも不思議と男性ばかりで、この山塊は女人禁制なのかと思ってしまうほどだった。ハマグリ山までに6名とすれ違い、その山頂には2名が休憩していた。ここまででも男性ばかりだった。
三角点ポイントを経て1110m峰から下ってゆくと、やっとここで単独の女性が登ってきた。女人禁制ではなかった(笑)。気さくな明るい方で、日焼けされた様子から、よく歩かれている方と推測できた。ほんの短時間だが、こんなすれ違いは心地いい。街中ではこんなことには絶対にならないだろう。まだガスが晴れない中に笹谷峠が見下ろせる場所まで来ると、何とか車両が見えてきた。もうわずか。最後に峠のところで、なにか古の名残のようなものはないかと探すと、三角点のような「宮城懸」と書かれた黒い標柱が立っていた。裏を見ると「明治廿六年 八月初旬」とある。最後に面白いものを見た。こんな形態の標柱を見るのは初めてであった。山形側を向いて立っているので、県境を示す標柱なのだろう。他県で、他の場所で見た事は無い。いや一度どこかで見たような気もするが・・・。
駐車場は見事にジモティーの車で埋まっていた。ほとんどが山形ナンバーで、1割くらいは宮城ナンバーだった。この比率はたまたまなのだろうけど、県外ナンバーは上州ナンバーの私だけに見えた。着替えをして走り出した時、足元をドロドロにしたあの外国人二人が、雁戸山の方から下りてきた。雨具も履かなかったのだろう、酷い汚れ様で、驚いたことに何もなかったかのように、そのまま左右の席にサッと乗り込んだ。日本語で言うと、「こんな汚れ屁でもねぇ」って感じなのだろう。にんまりしながら横目に見つつ、そんなバイタリティーのある生き様にしたいと思うのだった。
山形から米沢に進み、喜多方で温泉に沈没してから磐越道と関越を繋いで家に戻る。全く渋滞は無かったのだが、ラジオからは東北道の渋滞を何度も伝えていた。帰路選択は正解だったろう。