寄沢ノ頭   1363.5m       滑沢山   1291.7m          

   2015.11.14(土)    


  雨    単独    甲州市滑沢地区より        行動時間:3H24M 


@滑沢地区上部6:50→(1M)→A鈴庫山林道へのゲート(三叉路)6:51→(23M)→B大岩の所で林道を離れる7:14→(2M)→C尾根に乗る7:16→(21M)→D寄沢ノ頭7:37〜43→(12M)→E南尾根で林道に降り立つ7:55→(15M)→F三叉路再び8:10→(33M)→G坂脇峠(小屋敷林道ゲート)8:43→(8M)→H林道から尾根に乗る8:51→(27M)→I滑沢山9:18〜19→(17M)→J林道に降りる9:36→(8M)→K坂脇峠帰り9:44→(30M)→Lゲート下駐車場所10:14


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上荻原地区から滑沢地区に向かう道。滑沢のそれこそナメの脇を進む。 @滑沢地区上部。上に林道のガードレールが見えている。 Aゲートの在る三叉路。 程久保沢を程久保橋で対岸へ。
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1330mからの南尾根には道形が見られた。復路はここを降りてきた。 B大岩の在る西側に九十九折があり、それを伝い尾根に上がる。 C尾根に乗った場所。境界の杭番号は「10」とふられていた。 尾根道は、南側をトラバースして続く。
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途中の白樺林(北斜面)。 1330m峰。復路はここから南に下った。 途中の痩せ。 新しい刃物痕も見られる。
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寄沢ノ頭直下。 D寄沢ノ頭到着。開けたピーク。 D東側の様子。道形は尾根に続く。 D登ってきた西側の様子。
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D朱に塗られた三等点。 D北側の様子。 D今週もコロッケパン、ヤキソバパンが品薄(笑)。 北西の1.5mほど下った場所に標識が付けられていた。
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1330m峰を南にゆく。この先の尾根上には深く掘れた道形が続く。 E林道に降り立つ。 程久保沢橋帰り。 林道から滑沢地区を見下ろす。谷間の緩やかな地形に村落が在った。現在は4棟ほど残るが、住めるような家はない。
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F三叉路(ゲート)再び 車の通過はしばらく無いよう。厚く積っていた。 滑沢第二橋下の見栄えのする滑滝。 滑沢第二橋
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橋の上から滑滝の落ち込みを見下ろす。 G坂脇峠。小屋敷林道入口にはゲート。 H林道と尾根筋が一番近づいた場所で尾根に向かう。 尾根に乗った場所。最低鞍部より少し東側。
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1290m峰。屈曲点で帰りには注意したい。 I滑沢山 I達筆標識が待っていた。地形図に掲載の無い場所であり、この古さは珍しく貴重。 I三等点が眠る。
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I南から北の様子。 J最低鞍部の所から林道に降りる。斜面には九十九折の道がある。 K坂脇峠帰り。 三叉路三度
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L滑沢地区上部の駐車余地に戻る。 滑沢地区の廃屋。 落ち葉が深く落石も多い。 キャンプ場前の家は、土木作業者が現在も使っていた。




 雁坂トンネルが無料で通過できる情報を聞いていた。先日の木島村でのミーティング時にも、鎮爺氏からこの話があり、“利用してないうちに終わってしまう”と気づく。野辺山経由で山梨に向かう方が楽なので、雁坂峠の条件が凄くいいとも感じられなかった事が、利用していない要因なのだが、通常の高額を思うと無料とならば通っておきたい。

 
 完全に雨予報の土曜日となった。どれほど降るか予想は出来なかったが、あまり標高は上げずに藪山を楽しめればと思い、柳沢峠の西に位置する滑沢山と寄沢ノ頭と言うマイナーピークを狙うことにした。山梨県の林道情報を公開するサイトからは、鈴庫山林道は不通のようで、南からのアプローチは長く歩かねばならないようだった。もっと調べると2016年まで工事がされているようであった。よって、雨の日に容易なコースを思うと、国道140号側の西からのアプローチが妥当に思えた。またまたグーグルアースのストリートビューで見ると、思いのほか上部までカメラが入っていて現地の様子が見られた。季節的な部分で若干は違うであろうが、おおよそはその画像から把握することが出来た。


 1:15家を出る。秩父から大滝村を経て雁坂トンネルを潜ってゆくと、徴収ブースでは係員が通れ通れと手招きして車両を通過させていた。無料でも無人ではなく人件費はかかるのであった。西沢渓谷のループを降りたら、道の駅みとみで夜明けを待つ。雨は小雨だが降り続き時折本気で降っていた。無料だからと言って夜間は交通量はそう多くなく、道路沿いに停めても、騒がしいほどでなく十分休むことが出来た。


 6:00白み始めたので行動開始。雷地区からの林道の方がストリートビューは上の方まで上がっている。と言うことはこちらの方が状態はいいことが伺えた。しかし、2座に対し北に位置している事から効率が悪い。滑沢沿いに塩山小屋敷に向けての林道を選ぶ。上にある滑沢地区は廃村になっているようで、使われていないのだから林道状況は良好ではないことも覚悟する。下から歩いても大した距離ではないので、途中で進めなくなることを覚悟で入ってゆく。


 三之橋地区を笛吹の湯に行くように進むと、鋭角に入る道が在り、そこに滑沢キャンプ場を導いている案内書きがある。これを追って行く。集落内には庄屋だったのか、豪農だったと思わせる屋敷の巨大な門扉が印象的であった。その前を通過し奥へ奥へと行く。道は狭いが、とりあえずの舗装はされている。落ち葉が積もり、その中に隠れた落石をタイヤが弾く。進む先に民家が見え、そこがキャンプ場の場所で、滑沢を渡って左岸側がそのようだが、現在は利用されず過去の場所になっているようだった。この民家の今は、土木業者が使っており、下山時に出入りする姿が見えた。


 キャンプ場前から恐る恐る登って行く。何せ狭い。そこに鋭利な落石が多く、車を停めて退かしつつ登って行く。歩いて通過すれば滑沢を見つつ楽しみながら行ける場所なのだが緊張の糸を解けずにハンドルを握っていた。前週の高山地区(旧朝日村)の林道もそうだったが、ここも凍る時期はアウトで、12月以降になってからの侵入は氷を気にせねばならないだろう。ブロックパターンのタイヤが適当な中を、エコタイヤで登って行く。滑沢地区に入り、最初の民家が左に見えてくる。ゴミ屋敷に見えるその前を通過してゆく。


 滑沢の本流側には大ぶりの建物が一棟見えるが、林道は本流から逸れて左俣側に北に進みだす。少し勾配の強い場所には、グリップしやすいようにゴツゴツとしたコンクリート舗装がされていた。ここにも一棟廃屋が残っていた。さらに先にもう一棟ある。付近にはトタンなどで囲った畑が多い(既に管理されていない)。よほど獣が多いって事になろう。もう少し残存する家屋があるのかと思ったが、見えたのは全
4棟のみであった。無理はしてきたがなんとなく滑沢地内に登ってこれてしまった。どこまで行けるのか少し欲が出てくるのだが、欲が出てくると出る杭は叩かれるもので、その先でゲートされていた。でも十分、ここまで入ることが出来れば。


 今日は猫爺氏から頂いた靴に足を入れる。気温はそう低くなく雨粒もそんなに負担に思わなかった。それでも一日雨であろうから、一番撥水性のいい雨具を用い、防水性の高いショルダーまで覆いこむザックカバーを用いた。周囲は紅葉の終わり時期ではあったが、まだ魅せてくれる木も多く彩りを楽しむことが出来た。流れがあり静か、山村が成り立った場所はあちこち見て廻ると条件が合致している。


 舗装路を落ち葉を踏みしめながら歩き出す。黄色いゲートの三叉路には「鈴庫山林道」と書かれた標柱が立っている。鋭角に北に進むように進路を選ぶ。ここでの九十九折を経て進むと、その先は地形図からは堰堤工事がされた場所と見える。作業道があるだろうから、ここも沢沿いに伝っていいだろう場所に思っていたので気にしたい場所だった。そこは程久保川と言うようで、程久保橋が架かっていた。その左岸にはゲートもある道が上がっていた。しかし向かう方向が違うのでここはパス。気にしたいのはわずか先の谷で、進んで行くと、こちらも道形が上がっていた。でも、先ほどの道と比べるといやに貧相でグレードが違う。結果、二つ目の谷もパスする。この先は上部から南に降りる尾根か、西に続く尾根を使うかとなる。


 南尾根が林道と交差する場所からは、その尾根上には道形が在るのが見えた。でも天邪鬼はここも嫌いまだ先に林道を伝って行く。既に雨具の中はサウナ状態であり、少しでも楽な状態で歩きたかった。要するに緩斜面を選んで汗を抑えていたのであった。遅かれ早かれの話だが、山ヤのクセにベタベタと汗するのを嫌う習性なのだった。北に向かっていた進路が西に向きだすと、前方の北側斜面に大きな岩が現れた。すぐ上に尾根が見え、そろそろ取付こうかと見ていると、その岩の西側に薄いが九十九折の踏み跡があり、これを便利に使い尾根に乗る。登り上げた場所に打たれた境界標柱には「10」とふられていた。


 尾根上は下草が無く快適。そしてなぜか踏み跡はその尾根の上でなく南斜面を伝っている。と言うことは伝っているのは獣道なのかもしれない。その道形が尾根に戻ると、北側斜面に目を奪うほどの白樺林が広がっていた。こんな場所にこれほどに・・・。春先または秋口に訪れたら、それは見事であろうと思えた。もう着いたのかと思わせる場所が1330mのピークで、ここが南尾根の基点となる場所。見出標には95とふられていた。この東側が痩せており、尾根北側はチューブのようにカールした谷が落ちて行っていた。林業関係者か、境界標柱の管理者なのか、まあどちらも林業関係者となろうが、張りだした木を伐採した新しい刃物痕も残っていた。もうわずか、ややグリップしにくい地表面にエッジを効かせながら登って行く。


 寄沢ノ頭到着。伐採跡も見えるが地形的にも開けた山頂であった。いや、山頂と言うよりは尾根の肩と言った方が適当か、雨天であり近くを見るにも雨雲が垂れこんでいた。三等点が赤く塗られ、雨なのでより鮮やかに見えていた。標識類はないかと探すと、山頂北西側の立木に、文字が判読できないほどになったものがかかっていた。少し下った変な場所なのだが、ここに付けた理由はすぐに判り、ここしか適当な木が無いのであった。ヤキソバパンの代替となるコロッケパンで朝食とする。ジッとしていると汗が冷えてくる。これが嫌なので、歩き通すか汗をかかないようにするかの選択になるのだった。下山。


 1330峰まで戻り南に降りてゆく。山頂直下から既に掘られた道形が見え、途切れることなく尾根上に続いていた。ただし、あまり使われていないのは倒木などの多さからすぐに見えてくる。掘れた部分を避けてその両脇の土手のような部分を降りてゆく。ここも下草が無く快適。ただしやや急峻で滑り易い場所が続いた。舗装路が下に見えてくる。林道を挟んで向かい側にはカーブミラーがあり、そこには「纏リス」の看板が掲げられていた。


 林道を南に戻り、再びゲートのある三叉路となる。見下ろす滑沢地区は、住むのに適した農耕が出来る場所に見えた。しかし今は生活の気配はない。そしてその中にポツンと我が相棒が見えていた。南にどんどんと進んで行く。工事車両でも入ってきているかと予想したが、積もった落ち葉にはそれらしい轍もなく深いまま、通行はしばらくされていないように感じた。見える山容から目的の滑沢山を探すのだが、一見、前方に直立する1242高点峰がそれに見えてしまうのだが、実際はもっと右側に見えるコブのようなところが目的地であった。


 紅葉の中に流れの音を伴い白い下り龍のような姿が見えてくる。長く緩やかに見える様が、龍が鎌首を持ち上げているかのように見えた。滑沢の中の滑滝であった。その上を滑沢2号橋で渡ってゆく。橋の上から滝の落ち込みを見る。ここからあの長さに繋がっていると思うと緩やかではあるがゾクゾクとした。上流側の沢の中にはマーキングも見られる。ここでの沢歩きもたまらなく楽しいだろうと思うのだった。


 滑沢から15分ほど経過すると坂脇峠に到着し、小屋敷林道が分岐していた。入り口はゲートされており観音開き式のそこには南京錠がされていた。ゲート脇から進んで行くと、途中で尾根を横切るようにして反対側へ進む。ここで尾根に乗っても良かったが、その先で地形図から適地は見えており、尾根の鞍部に林道が接近した場所で斜面に取付いた。少し我慢して斜面を登ると、快適な尾根歩きとなった。西に登って行き、1290m峰に上がったら、90度方向を変えて南に進む。帰路はここを間違えないようにしたい。このピークから北側にはリボンが降りていた。釣られ北に進んでしまっても、そう間違いとはならないのだが・・・。


 南進してゆく。針葉樹の場所は少し進路を邪魔されるが、そこを抜けると快適に進める場所が続く。ここも鹿が居るのだろう、ヌタ場のようになった場所も残る。先ほどの1290m峰で、似たような標高に登り上げてしまっているのでなにか感慨が無いのだが、進んだ先の細長い肩のような場所に三角点が見えてきた。


 滑沢山到着。なんと、予期せぬ達筆標識が待っていた。それも古い。地形図に掲載の無い場所であり、と言うことは、この場所は山名事典の前身のコンサイス山名辞典に掲載があったのかとこの時は思った。嬉しい出迎えではあったが、どうにも違和感のある達筆であった。白くなく素材のままの生身、こんな達筆標識は過去見たことがない異例。普通に退色したのかと思ったのだが、ここまで綺麗に抜け落ちるとも思えなかった。このほかに、木製の標識があったのだろう、木ネジが上下に打たれている場所も見られた。往路を戻る。

 1290m峰から気にして東に下り、鞍部から北に林道へ降りる。最低鞍部の場所からは、九十九折のようなバンドのような道形が出来ていた。鹿道でもあるのだろう。林道を戻り坂脇峠に戻る。この間スマホは使えず、峠で使えるようになり、北に進むとしばらく使えなかった。坦々とした道であったので、調べ物をしつつ足を動かそうと思ったが、電波状況の良い場所ではなかった。一つ事をしながら二つ事が出来るスマホは便利。林道の工事跡を見ると、近年の作業の場所もある。そしてまたどこかが崩れる。林道のいたちごっこは永遠に続くのだろう。

 三叉路に戻り滑沢地区へ降りて行く。

 最後まで不思議に思っているのは、滑沢地区の上に記入されている塩山小屋敷という地名。滑沢地区とは別に独立している。間違いなく謂れはあるのだろうけど、滑沢と近接していて不思議に思える。

 
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