阿寺山 1557.8m
2016.10.15(土)
快晴 単独 赤沢自然休養林駐車場より 行動時間:5H54M
@赤沢駐車場5:59→(14M)→A平沢橋6:13→(5M)→B二俣(渡渉)6:18〜20→(28M)→C1366高点東の櫓6:48→(68M)→D1515高点7:56→(53M)→E阿寺山8:49〜56→(25M)→F1472高点南植林地9:21〜29→(22M)→G阿寺山再び9:51→(13M)→H赤沢右俣1420m地点10:04→(46M)→I1270mリボン10:50→(43M)→J二俣帰り11:33→(6M)→K平沢橋帰り11:39 →(8M)→L中立橋帰り11:47→(4M)→M森林鉄道乗り場11:51→(2M)→N赤沢駐車場11:53
@赤沢自然休養林の早朝は特にゲートされていない。駐車料金(600円)は帰りに支払う。 | A軌道のすぐ脇から進む中立橋 | 中立コースの分岐 | 中立コース奥側の分岐 |
A平沢橋は渡らず右岸を進む | A右岸側のベンチと緑のロープ。この先は山手側に道がある。 | B二俣の場所の右岸にある看板。 | B左俣側より中州尾根を見ると、そこに道形が見える。 |
B右俣右岸にはさらに奥に続く道形がある。 | B渡渉してゆく。流れは緩く飛び石も多い。 | 中州尾根末端には道形が続き、この2本のリボンの場所で左岸側への道を左に見て尾根へと登る踏み跡に続く。 | 尾根にはそれと判る道形が続く。 |
ヤマズミの実が沢山落ちている場所がある。が、獣は来ていないようであった。 | C1366高点東の肩に乗る。 | C大木で構造された櫓が残る。どれほどの大木を降ろしたのかが想像できる。 | 1366高点の西側。まだ道形が続く。 |
1370m付近。ここで道形が南側を進む形となり、離れて尾根を選ぶ。 | 1370m付近で、これまでと違うリボンが残っていた。北側から登って来たのか・・・。 | 1380m付近。まだ下草は無く快適。 | 1450m付近。大岩に木が絡む場所 |
1460mは顕著なピーク。東側は明るい場所となっていた。この場所から西で尾根が藪化し、楽に伝えるのはここまでだった。 | 1460m西側のササの様子。 | 幼木帯に入って行く。酷く歩き辛いわけではないが、歩き易い場所でもない。 | 1515高点に向けての斜面はどこも密藪で進度がかなり落ちる。 |
D1515高点。まだ休ませて貰えず、この先も密藪が続く。 | 1515高点の北西側の鞍部。ここは笹が薄く休憩適地。 | 藪を漕いでいたら山頂近くになり道形とリボンが現れた。少し東側に戻るように伝ってみたが有耶無耶になっていた。 | E阿寺山山頂 |
E四方をしっかり守られる三角点 | E三角点脇に立つ標柱 | E立派な点と思ったら二等点だった。 | ESK氏の絶縁も高い位置に残る。 |
E地上高2.4m付近に縛られていた。 | E山頂から西側の道形には、このようなホゾを切ったような場所が見られる。 | Eヤキソバパンが入手できずにコロッケパン | 西側への道形を調査。途中の伐採木の様子。高い位置で切られているので、やや古い切株であろう。 |
道形を横切る根にはこれらが施してある。 | F1472高点の場所まで西進してきた。ここで道形のおおよそが掴めた。 | F植樹帯の上部に飛び出す。 | F1472高点側より望む阿寺山 |
F1472高点分岐から北に延びる道形 | G阿寺山再び。この後は北に下って行く。 | 阿寺山北側1500m付近。こちらも密藪。 | 降りてきた沢筋 |
H1420m付近で流れの中に入る。 | 降りてきた阿寺山側を見上げる。 | なだらかな沢で快適に下ってゆける。 | 倒木ではコケや菌類が楽しませてくれる。 |
I1270m付近で初めて人工物に出合う。ここは左岸と右岸に道形が見え、両岸にリボンがされていた。 | 右岸の道形が高巻きに変わる場所。南側の谷には大量の倒木があり、そのすぐ下を登ってへつるようなルート。 | 目立つ二本並んだ倒木の場所 | 滑りやすいことを除けば、終始快適な勾配で伝ってこられた。 |
右俣の右岸を進み、尾根末端の道形に再び乗る。 | J二俣に戻る。渡渉して右岸の道へ乗る。 | J本流から見る二俣。緩やかな流れが左右から合流している。 | 右岸の道の様子。ここも軌道が在ったのだろう。 |
K平沢橋帰り | K平沢橋から上流側 | K平沢橋から下流側を見下ろす | L中立橋に戻る |
第5駐車場。セラピー体験館は、この日は知ったスタッフが居らず通過。 | Mせっかくなのでボールドウィンを見てゆく。 | N駐車場に戻る。流石の秋の好天の日、多くの家族連れで賑わっていた。 |
2015年9月、観光で赤沢自然休養林を訪れた。既にSK氏が阿寺山を登頂した後であり、そのコースを頭に浮かべながら、常駐するセラピストと会話する。探りながらで直球でなくカーブやシュート、フォークボールな言葉並べで一帯の情報を入手する。セラピストは優しい言い回しなのだが、「大事な植生があるので入らないで欲しい」と言っているようであった。
上記の体験から、南側の阿寺渓谷側から植林斜面経由で入ろうとも考えた。ただ、山腹に入る林道が長い。それならと、北に見える北沢峠に至る林道から狙えないかと衛星画像で確かめるのだが、深いササの植生があるとしか見えてこない。やはり顕著な尾根を伝った方が無難かと計画がリセットされた。あとは、これほどまでに林業が盛んだったエリアはないであろうし、一帯に地図に見えない道が縦横無尽に在るようにも予想した。さらには赤沢支流の勾配が緩く、ここもルートに使えそうに見えた。とりあえずは、赤沢を詰め平沢橋の先の二股まで進んで現地で考えようと思った。
1:30家を出る。SK氏のウエイポイントを記述した地図をハードコピーしているので、この有無で大きく情報量が違い、この日の山行に対する安心感があった。野辺山を越えていつもの通り八ヶ岳の旧有料のあった南面道路を走り小淵沢に出て、茅野から杖突峠に駆け上がり高遠に降り立つ。そして再び権兵衛トンネルへと上がり、やっと木曽谷へと入ってゆく。赤沢自然休養林へは、大きな看板が案内しているので判りやすい。一年前の事だが懐かしい道を遡って行き赤沢の駐車場に着くのだが、当然料金の徴収員は居ない。ゲートも特にないので駐車場に自由に停められた。ただし、宿である去来荘のスタッフは常駐しているようで、上側の駐車場には何台か見え、宿舎の窓からは明かりが漏れていた。
いい天気になるので日中のここは大賑わいなのだろう。そんなことを思いながら静かな駐車場を出発する。外気温は2℃、体が温まるまでしばし我慢であった。交流館前を通過し、その先で向山・中立コース側へ進んでゆく。軌道がカーブする場所から中立橋を渡って行き山道の風合いの散策路となる。すぐに中立コースの分岐があり左に見送り進む。ここから5分ほど先にもう一カ所の中立コースの分岐があり、ここは7番とふられていた。このすぐ先で平沢橋が架かっている。SK氏が地形図と場所が違っていると指摘している通りである。
平沢橋の右岸側にはベンチがあり、緑色のロープが張ってあり踏み跡に入らないようにしてあった。そこを入ってゆくと、しばし踏み跡程度だが、少し山手側にズレると、明瞭な道形が通っていた。ここも軌道があったのだろうと思えた。そして地形図の平沢橋の場所である赤沢の二俣に到着する。右岸側にはさらに奥に続く道があり、その状態の良さからは伝ってゆきたくもなった。ここには「ヒノキ天然更新試験」と書かれた大きな看板がある。そこから二俣側の中州を見ると、間違いない道形が見える。SK氏が下りで使ってきた場所であり、そこに道があるなら登りで使おうと即断した。
左俣側の渡渉は飛び石が多く3カ所ほど渡るのに選ぶことが出来る。右俣と左股に挟まれた中州尾根の道形に入ってゆく。こんなにいい状態であるとは予想外でしばらく快適に伝ってゆく。渡渉点から続くピンクのリボンがあるが、これは林業関係者の設置したものだろうと思えた。渡渉して2分ほどで、そのリボンが2本結ばれた要所と思しき場所になる。左は左岸を進む道で、右を選び尾根に上がってゆく側の道を進む。少しづつ勾配が増してくるが踏み跡と言うか道形と思しき跡は続いていた。
ヤマズミのリンゴのような実が沢山落ちている場所がある。周囲はまだ色づいていないが秋を感じさせるものであった。もっともここは針葉樹林で紅葉とは疎遠なのだが・・・。少し細い尾根になる場所で道形があやふやになるが、尾根が明瞭なので一切の迷いはない。下草はなく依然快適な斜面で続く。“このまま山頂まで導かれるんじゃないだろうか”単純なのでこんな事を安易に思うのだった。
1366高点の東側の肩に乗り上げる。ここには大きな丸太構造の櫓が残っている。どれだけ太い伐採木を降ろしたのだろうか、堅牢な櫓から、そんなことを想像していた。このあたりから下草の茂りようがワンランク上がり、道形の存在が薄らぐが、それでも往時にはよく通ったのだろう、古い跡が見え隠れしていた。
1370m付近。尾根が西から南に屈曲する場所で角柱に3本のリボンがされていた。そしてそこからの道形は南へトラバースしてゆくように続いていた。なにか違う方向へ連れて行かれるような気がして、リボンから離れて尾根を進んでゆく。その先には、これまでのビニール製とは違う布製の赤いマーキングがされていた。ここで初めて出会ったので、設置者は北側の右俣から登ってきたように地図を見て思えた。この先は道形は途絶えたが下草のない快適尾根であった。
1460mには顕著なピークが待っていた。その東側は少し開け居心地のいい明るい場所となっていた。東に進んで行きたくなるような、そんな尾根であった。さてここからササが出てくる。最初はさほどではないが、と言いつついきなりにしては量が多い。北に南に逃げるようにしつつ西側へと進んでゆく。少しオアシス的な植生の弱い場所が現れると、今度は幼木帯が現れる。アスナロなのでスギのような刺々しさはないものの、分けつつ潜るように進めなばならなかった。
アスナロの幼木帯のお出ましが、その先の笹薮の合図だったようで、やや勾配の強い斜面に密に生えていた。嫌なことに朝露を纏っており、一瞬にして濡らされ雨具を着ようかと迷うほどであった。太さはなく細いササが多いが、なにせ量が多い。ストックを前方に入れ押し倒すようにしながら分けないと足を上げられず、進度が極端に落ちる。どちらかの斜面に逃げればと思い行動してみるが、振るにも労力が要り途中で無駄な足搔きと思い直登一本とする。三多古山でも少し思ったが、“ここも残雪期に来るべき場所だったか・・・”と。
1515高点に乗る。首から上がやっと出るくらいのササの植生で、まだ埋もれたままであった。尾根上に防火帯のような筋が見え南西に進む方が伝いやすいようにも見えたが、それでは向かう先に対し方向が少し違えてしまう。最短距離を狙って西側へと下ってゆく。ここもまた深かった。それでも1500mと読める鞍部まで下ると、ここのみ植生が弱く腰丈のササで圧迫感から少し解放される。
鞍部から北西への登りは、また密藪となった。もうすぐ目的地であり少し頑張れるが、これがもっと遠かったら体より精神にパンチを撃ち込まれているような感じとなる。既に復路はこのコースはないと判断していた。下りにしても伝いたくないほどに密だった。1550mと読める西側の高みを越えて、ここで明るい側の南側に足を進めると、なんと道形が見えた。南から上がってきているものならしょうがないとするが、1515高点からもう少し南を進んでいたら道にありつけたのであれば残念な進み方をしたことになる。そう思って山頂とは反対側に伝ってみると、20mも進まないうちに笹薮の中に有耶無耶になってしまっていた。一応納得して踵を返し山頂を目指す。見えたり消えたりする道形には青いリボンが時折振られていた。
最後はあっけない感じで道形に乗って阿寺山に到着した。こんなことなら、道形が無かった方が感慨深い。こうなると道形の調査をしたくなってしまった。山頂には白く目立つ三角点があり、大ぶりだと思ったら二等点であった。しっかりと四方を守られ、状態のいい点と思えた。そのすぐ脇に丸棒が立ち、そこに山名が記されていた。周囲を見ると、近くのアスナロに黄色い絶縁テープが縛られSK氏のいたずら書きが見えた。私の身長から換算して地上高2.4m付近に縛られているものだった。残雪の様子が見えるよう。倒木にホゾを切ったような場所もあり、人の気配がプンプンする場所でもあった。ある場所から入れば明瞭な道形を伝ってここへ来る事が出来るのは間違いない。
持ち上げた秋映(リンゴ)を齧りながら道形と青いリボンを追ってゆく。すぐに村界のラインを離れ西側へと進んで行く。古い切株が周囲に見え、足許には作道のための刃物痕が多く見られる。簡易的に作ったのではなくしっかり作った道と思えた。阿寺渓谷を通過する車両の音なのか、エキゾーストノイズが西側から強く上がって来ていた。やはりここは阿寺渓谷側からのアプローチの方が近かったのかもしれないと思えた。緩やかだがどんどんと下る。そして良く判らない分岐となった。既に用意した地形図の範囲を逸れてしまっているのでスマホを出すと、運よくアンテナが立つ場所であった。
画面上に地形図を表示させると、1472高点に居ることが判った。さらに道は西に進んでおり、予想できるのは北沢沿いの林道からここへの入山口が在るだろうということ。そしてもう一方の東に戻るような道を進んでみると、植林地の上に出て、そこの門扉は開け放たれていた。事前に衛生画像でこの一帯は見たので、植林地を登ってもここに来られたとも思えた。この場所からはいい角度で先ほどまで居た阿寺山を望むことが出来た。道形の概略が自分の中で紐解けたので納得。再度阿寺山に登り返してゆく。
阿寺山再び。登りながら、下山路は赤沢の右俣と既に決めていた。山頂からの深い笹薮を掴まりながら下って行く。1530m付近から沢形状の場所が現れその中を進む。早い段階で流れが出ており水の豊富な場所と思えた。こちらから登った場合どうだろうと、降りつつも何度も振り返り様子を確認する。1420m付近でササの邪魔の入らない沢の中に入る。なだらかな優しい表情の沢であった。
この沢は地質からなのだろう大岩が少なく、大きくても抱えられそうなほどの岩が多い。それがためにより優しく見えたりする。それでも自然の中であり、倒木や少々の段差のある場所があるので、足場には注意しながら降りて行く。流れのある場所なので、一度軽く足を乗せ、状態を確かめて体重をかけるようなことをする。数分おきにそんな事をして付近の滑りやすさを把握しながら降りて行く。それにしても心地いい沢。魚は居ないのは間違いないようだが、深い自然の中に居る感じでありながら危険度が少なく、それが心地よく感じさせてくれていた。
降りて行くと1270m付近で突如ピンクのマーキングで両岸が賑やかになった。上からこの位置までは人工物は無く、下流から入ってきているのはここまでなのかと思えた。その場所からの両岸には薄っすらと道形が残っていた。右岸側の道を追ってみる。その途中、南からの倒木で埋まった谷が出てくるが、ここで道形はやや高巻きの道に変わる。南側の山手斜面にリボンが続くのが見えそれが判ったが、進路が判り辛い場所ではあった。ただし道形を追わずとも沢の中を進んでも問題ないような場所であった。
右岸に見え隠れする道形を追ったり、沢の中で水に浸かりながら歩いたり、それこそ自由気ままに進んでゆく。そろそろ二股であり、その事を気にしつつ、右俣の流れの様子とその右岸の南に降りてくる尾根の様子を見ながら、だんだんと合流点が近いことを把握する。平坦になり南側に寄って行くと、往路で見たようなリボンが現れ明瞭な道形に乗った。この中州地形の末端は「道が在る」と表記していいほどにハッキリと残っていた。
二股に到着し左俣を再び渡渉して右岸の道形に乗る。二股の流れの合流点下が淵になっており見栄えのする景勝地となっていた。だから以前はここに橋が掛かっていたのだろうと思えた。ただし水面に対する両岸の高低差は少なく、橋は大水で損傷したか流される事が多かったのだろうことも現地から読み取れた。道形に戻り、誰か入っているかと足跡を探したが、自分のものしか見えてこなかった。
平沢橋に戻り橋に乗ってみる。ここも橋の下が淵になっており見栄えのする場所であった。せかせかと歩く予定がなかったとしたら、ボーッと眺めていたい場所もであった。駐車場側へと戻って行くと、ちらほらと散策者が行き交うようになった。中立橋を渡り、セラピー体験館内に前回長話したスタッフが居ないかと探したが、この日は不在のようで素通りする。そして折角なのでボールドウィンを見ていこうと、駅舎へと登ってその雄姿を再び拝む。駅舎は観光客で賑わっていた。
駐車場も満車で、既に第五駐車場へと入れている状態であった。私の車のみフロントガラスに貼紙がされていた。料金を払っていないのでその旨が書いてある。帰りにきちんと払って赤沢を後にする。心地いい秋の日だった。でも藪漕ぎは辛かった・・・。
振り返る。大桑村側の阿寺渓谷は北沢を入った方が楽にアプローチできるだろう。何処かに青いリボンが下がり入山口が在るはず。北沢に対する左岸に林道が在る場所だろうから、凡そは場所が予想できる。あとは南の植林地斜面を登る方法だが、長い林道に悶々としてしまいそう。赤沢自然休養林側より無積雪期に狙う場合、藪漕ぎの負荷を最低限にしたい場合は赤沢の右俣を進む、今回の下山コースを遡上するのが最良だろう。と勝手気ままに歩いたようだが、SK氏のパイオニア行動があったからこそで、記録に感謝したい。赤沢側からのアプローチは、氏が入ったように残雪季の方がこの山においての適季であろう。