一重山    458m         有明山   651.7m   


                                            
  
                                        

   2016.10.10(月)


  晴れ    単独     満照寺から一重山へ上がり、縦走して永昌寺へと降りる    行動時間:1H40M


@満照寺7:45→(7M)→A屋代城址入山口7:52→(5M)→B一重山7:57〜59→(5M)→C有明山入山口8:04→(14M)→D古墳8:18→(12M)→E有明山8:30〜31→(13M)→F613高点南の下降点8:44→(3M)→G倒木で荒れてきたので引き返す8:47→(3M)→H下降点再び8:50→(15M)→I永昌寺9:05→(15M)→J満照寺帰り9:20



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@屋代駅東側の満照寺さんの駐車場を借りてスタート。 「スロープシャトル」なる施設があった。 檀家は無料で乗れるよう。乗ってみたかったが、横の林道を歩く。 上部の霊園。その向こうに一重山。
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A屋代城址案内図。道標が右に在り藪側を指している。 B一重山。城址らしい閑散とした雰囲気の場所。 B山名標識ではなく「主郭」と読める。 B北西側のみ開けている。
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B南に戻りながら有明山を望む。 林道に出る手前のショートカット道にはアメリカセンダングサが密生しているので注意。 貯水場前に戻る。 C有明山登山口
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途中の道標 明瞭な道が合流。巡視路も兼ねているようで状態が良い。 D古墳の場所 尾根筋は快適。
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E有明山 E四等点 E各方面を示す標識 少し南に下ると千曲市街が見下ろせる。
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昨年の大風の時だろう、凄い数の倒木。 ルートを塞いでいる倒木も多い。 ケルンのような石積み。信州ではたまにこれらを見ることがある。 F下降路がある場所の標識。この先はイノシシの土坑痕が凄い。
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G宮坂峠側に進んだが、倒木が酷くなりこのケルンの場所の先で引き返す。 H下降点再び ルート途中には古い標識が残る。 奇形な木も見られる。
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I永昌寺の北側に降り立つ。道標は一切無く登山道の存在は現地からは判らない。 I降り立った前をしなの鉄道の車両が通過する。 I出てきた墓地の北側。 J満照寺に戻る
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J駐車場の様子      




 世の中は体育の日を含めた3連休であったが、大阪での仕事が土曜日まで食い込むこととなり、ほとんど諦めモードの週末でもあった。天気があまりよくない事もそんな気分にさせていた。土曜日に戻り、翌日曜日も全く山へ向かう気持ちにならず、やっと月曜になり、どこかに行かないと運動不足になってしまうと気にしだす。

 

 9月22日(木)に、雨でなかったら行こうと図面を用意していた千曲市の一重山と有明山があり、予習もほどほどに出来ており悩むことなくこの場所に決めた。前日も上田まで行っているので、連日で2往復しているのは合理的ではないのだが、たまたま行き先がそのようになったのでしょうがない。

 

 6:00家を出て上信越道に飛び乗り更埴で降りる。最初は森将軍塚古墳側からの東側から入ろうと思っていたものの、西側で行動した方が周回しやすい事が判り、現地入りしてから予定変更する。屋代駅を左にして、巻き込むように小島地区の駅東地区へと線路を渡ってゆく。一帯は住宅地でその中に目立つ満照寺があり、広い駐車場に停めさせてもらう。

 

 満照寺と北側の墓地の間に細い道があり、これが地形図に示される実線路であった。最初がダートだが、勾配のある場所からコンクリート舗装路に変わる。その脇には「スロープシャトル」なる乗り物があり、説明書きを読むと檀家さんは乗れるとの事であった。上にもお寺の施設があることが判る。狭い強い勾配の坂だが、軽トラなら登って行ける場所ではあった。野鳥の囀りを聞きながら爽やかな空気の中を登り始める。秋らしい日でもあった。

 

 上の大地に上がると、そこには墓地が広がっていた。そういう事かと納得する。その墓地の先に一重山がこんもりと見える。何処から取りつけばと辺りを探るも、まずは地形図通りの場所を探ろうと東側へと進んでゆく。右に貯水施設を見て進むと、その先に屋代城址の案内看板があり、その脇に「一重山」と書かれた道標が見える。ただしそれが指す方向は藪の方。そんなところに道が在るのかと半信半疑でズレると、確かにあった。

 

九十九折の道を登ってゆく。途中2箇所ほど倒木が邪魔をする場所があったが、障害になるほどではなかった。案内図の場所から5分ほどで山頂に到達する。城址に到達すると言った方がいいか。歩き出して12分ほどで1座目であり、公園山的場所でもあった。
 

一重山の南にはパンザマストが2本立ち、山頂部の中央あたりに城址の解説板が立てられていた。そこに木片があり、それが山名板かと思ったが、薄らいだその表面に読めるのは「主郭」の文字であった。開けているのは北西側のみで、その他の方角は樹木が塞いでいた。その北西側は一段下がった土地があり、そこにも木片が立てられていた。恐らくは二の郭と言う事になろう。木々の間から南東側を見ると、いい感じに有明山が聳えている。里山であり、あまり標高がない中で、仮想的に高山に居て高みを望んでいるように思ったりした。

 

往路の九十九折を降りて行き、入山口手前でショートカットするような道が西側にあり伝ってゆく。しかしこの選択はNGで、アメリカセンダングサが待ち構えていた。餌食にならないように細心の注意で林道に飛び出す。急がばまわれの場所であった。10月中旬以降から11月にかけての時期は、入山口付近では酷く種が付着するだろう。

 

さて次は有明山に向かう。墓地のある西側から南に向かう道が在り、そこを行ってもいいように見えたが、一重山が地形図通りなら有明山への登路も然りと東側へと林道を進んでゆく。すると描かれている場所に入山口があった。この一帯は、地形図に慣れない人が読図勉強をするのにちょうどいい教材の場所に思えた。

 

山道を登ってゆくと立派な行政の標識が現れ管理されている様子が伺える。この先5分ほどで、今伝っている道より明瞭な道が東側から上がってきていた。森将軍塚古墳からの道で間違いないだろう。そこに合流し伝ってゆくと、尾根の肩的場所に乗り上げ、有明山将軍塚古墳の解説板が立てられていた。こんもりとした高みがあり、少し古墳らしい石積みでもあるのかと探したが、一帯にはそれらは見られなかった。

 

南南東に進んでゆく。外気温は12℃。ラジオからは戸隠の方では4℃とも言っていた。8℃差があるから暖かいとかはないが、秋ではあるが紅葉していないので新緑の早春を歩いている印象を受けた。ようは素晴らしく心地が良く適期に歩いていると思えた。

 

有明山登頂。陽の入る明るい山頂部ではあるが、展望のない場所であった。三角点は図示された場所より北寄りに埋まっているような印象であった。等級は四等点と刻まれている。中央に朽ちた標識が在り、そこに缶詰が置かれ口いっぱいになるほどにお賽銭が入れられていた。予定の2座終了。当初は往路を戻るつもりであったが、さらに南に道が続いているようで伝って進む。

 

有明山の南に少し下ると千曲市街がよく見える場所がある。この辺りから倒木が増えるのだが、その倒木により展望があるのだった。わずかな倒木区間かと思ったが、以南の地形ではおびただしい数の木が倒れ、一部でルートを塞いでおり、潜ったり迂回したりする。

 

613高点の北側より西に下る破線路を伝うつもりで居たのだが、その場所と思しき所には、掘れた筋が見えたものの倒木が覆うように、それがルートを塞いでいるように見え別ルートを考える。この時、スマホに表示された地図には、613高点の南からの下降路が表示されていなかった。尾根を南に下ってゆくと分岐道標ではないが、それらしい場所となり下降路があることを現地で知ることとなった。ここで素直に西に下ればいいのだが、さらに先に興味があり南に行く。

 

下降点付近から南は、猪の掘り返した痕で凄いことになっていた。そしてまた倒木が増えまともに道形を伝えない時間が増えて行く。無駄足をしたか、戻ろうと判断し先ほどの下降点まで戻って道形を半信半疑で追ってゆく。これが、これが意外と楽しいルートで、直線的な道があったり九十九折が続いたり、野草の茂る中の道だったり、なにかバラエティーに富んだ印象を受ける道であった。途中には奇形の木も出迎えてくれ、飽きずに歩ける道であった。古い道標もあり、今はあまり使われていないのだろうけど、以前はよく歩かれた道だろうことも分かる。

 出た場所は永昌寺の北側墓地の所であった。山道を示す道標は一切無い。しなの鉄道に沿うように畑の中の舗装路を北へと伝って行く。戻る途中には打澤月山公園なる寂れた公園山も見られた。9時を回って、暖かくなったからか散歩している人の姿が多い。各家を見ながら歩くのだが、この小島地区は庭の管理をしないお宅が多い。住まいしているのに雑草が茂っている・・・。外見より中身の気質なのかも(笑)。

 満照寺に到着すると、敷地内の保育園では女性が出入りしていた。お寺の女将さんか関係者なのだろう。距離があったが、車を停めている手前、挨拶をしてから車に戻る。気持ちいい里山ハイクであった。もっと大きく縦走して、電車を使って戻る計画も出来るだろう。

 

 
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