地蔵岳 1680m 不動岳 1707m 七曜岳 1690m
白河岳 1690m 釈迦岳
1690m 摩利支岳 1710m
剣ヶ峰
1710m
大日岳 1710m
2016.9.3(土)
晴れ 単独 屏風道を登り新開道を下る 行動時間:7H31M
@二合目登山口5:06→(52M)→A四合目5:58→(81M)→B七合目7:19〜21→(48M)→C千本槍小屋8:09〜14→(12M)→D地蔵岳8:26→(4M)→E不動岳8:30〜31→(17M)→F白河岳(七曜岳を飛ばす)8:48→(8M)→G七曜岳8:56→(7M)→H白河岳再び9:03→(4M)→I釈迦岳9:07→(9M)→J摩利支岳9:16→(8M)→K大日岳(剣ヶ峰を飛ばす)9:24 →(5M)→L剣ヶ峰9:29〜30→(5M)→M大日岳再び9:35〜10:03→(23M)→N迂回路の新開道分岐10:26→(54M)→O1268高点(七合目)11:20 →(32M)→P稲荷清水11:52〜54→(34M)→Q林道終点12:28→(9M)→R二合目登山口12:37
@二合目より屏風道に入る | 屏風沢渡渉点 | 快適な山道が続く | 三合目通過 |
小さな流れを跨ぐ | 生金沢を跨ぐ | 生金沢源頭側の様子 | 見栄えのする滝 |
A四合目(水場) | 一の鎖 | 二の鎖 | 三の鎖。こんな感じで全ての鎖を撮影してみた。 |
五合目通過 | 肩の場所からの展望 | 肩から下界 | 十の鎖は元衆議院議員の名が刻まれている。 |
ここは六合目でいいのだろう。 | 六合目から八ッ峰 | B七合目の鐘を鳴らして進む。 | B修験者の風体の像(表情)と、後の八ッ峰の荒々しさがマッチしている。 |
屏風の壁 | 涸れ沢に入る。 | 八合目通過 | 屏風道最後の鎖場。三十三の鎖。 |
小屋が見えてくる。 | C千本槍小屋到着。 | C八ッ峰案内図。この図と、現地標柱が一致していない場所がある。 | C小屋から地蔵岳側 |
C小屋から薬師岳側 | C小屋内部。利用料金は1000円。 | C千本槍小屋の場所は九合目。 | 分岐から八ッ峰へ |
八ッ峰に入り最初の鎖。34本目。 | D地蔵岳。大展望。 | D御影石の標柱 | D地蔵岳から千本槍小屋側。 |
D大小沢山のお地蔵さんが並ぶ。 | E不動岳 | E不動岳の御影石 | E不動岳には、当然不動明王が鎮座。 |
大きく下って行く。40本目。 | F白河岳。七曜岳を抜かしてしまい戻る。 | F白河岳の標柱。 | G七曜岳山頂。 |
G「五大岳」と彫られた御影石。 | H白河岳再び。 | I釈迦岳 | I釈迦岳には「白川岳」。 |
はしご場 | J摩利支岳 | J摩利支岳は現地標柱と合致している。 | 60本目の鎖場 |
大日岳直下の鎖場 | K大日岳。またもや剣ヶ峰を抜かして来てしまった。 | K大日岳の御影石。剣ヶ峰へと戻る。 | L剣ヶ峰山頂。人工物は皆無。 |
L剣ヶ峰から大日岳。 | L剣ヶ峰から摩利支岳。 | M大日岳で大休止。 | M越後駒 |
Mアオリ、池ノ塔側の山容。 | M北九州からの4ヶ月連続山旅中の御仁 | 東側の鎖場を下り、迂回路側へと進む。 | 迂回路へ下る分岐 |
連続するはしご場 | N迂回路から新開道へと進む | 69本目、この日最後の鎖場。 | 八合目標柱は寝ており目立たない。 |
O七合目 1268高点 | O1268高点から八ッ峰 | P稲荷清水。冷たく美味しい水が得られる。 | 三合目通過 |
Q林道終点地に出る | R二合目登山口。車で溢れていた。 |
「ヤマラン・ルートコメント」により八海山の八ッ峰の座標が示された。これは再びあの岩陵を歩く機会が与えられた感じ。前回は2004年の10月、当時は八ッ峰の座標は意識せず、そのうち唯一地形図に読める大日岳のみ登頂として記録している。今回は、名前の通り八つの峰をしっかり確認することとする。
肋骨骨折から2週でのこの計画は、あまりヨシとされない行動となろう。自分でもどこまで実現性があるのかは未知数であった。そんななかでの計画なので、当初はロープウェイを使って高度を稼ぎ、尾根通しで狙う予定で居た。ただしこれは8時始発と言う制約がある。この時季の南魚沼の夜明けは5時15分ほどなので、明けてから3時間も待たねばならないのは私には酷であった。そしてまた、千本槍小屋に行くまでに相応の時間はかかる。であれば短距離と短時間を考慮し、屏風道を登ってしまおうと考えた。だんだん自分が、骨が折れた者と言う意識がなくなり、いかに面白く歩けるかを追ういつもの思考になっていた。下りは新開道とし、これなら入山口と下山口が一致でき願ったり叶ったりであった。ただしただし、数ある鎖場に負傷した背筋は大丈夫なのか・・・。もっとも、敢えて弱っている場所を鍛えようという魂胆なのだが・・・。途中敗退も可と思い実行に移すことにした。
もう一つ、ロープウェイからのハイカーが押し寄せる頃だと、剣ヶ峰に登るのは少し憚れる。周囲の目が少ない方が登り易い。その点でも屏風道を登った方が、剣ヶ峰登頂には可能性が高くなると考えた。この剣ヶ峰はKUMO氏も登っていないようで、現地の情報がない。そのために20mザイルも持つ事にした。
1:15家を出る。上州は雨、渋川あたりまで降られ、関越トンネルを潜ったら一転して星空が見えるような天気だった。予報ではより北側が天気がいい様子。そこも考えての越後エリアでの行動であった。六日町で降りて、経路のセブンでヤキソバパンを仕入れてから現地に向かう。あと、ここは大事なのだが、病んでいる時は普段の水分摂取量では足らない。500のペットボトルを2本購入した。
T字路。ロープウェイ駅を左にして、右側に進む林道を行く。道標は無いので地図と照らし合わせて進む格好になる。すれ違いが困難な道をしばらく進むと、初めての広見が2合目登山口であった。既に三重ナンバーのプリウスαが停まっていた。林道を調査と、そのまま進んでみる。2合目から3分ほど進んで終点となっていた。2合目まで戻ると伊豆ナンバーのゴルフが増えていた。やや電波状況が悪いので、中腹の水源施設の場所まで戻り、そこで夜明けを持つことにした。千葉ナンバーのインサイトが登ってゆく。御仁は途中で寄ったコンビニに居た人であった。
白みだしてきたので2合目へと登ってゆく。ゴルフの主は出発した後で、残りの方が準備中であった。人気の場所と聞いていたが、この程度の利用者なのか・・・とこの時は思った。すぐに準備をする。ちょっとした動作でも病むが、ザックを背負ってからは自分からの苦情も聞かない事とする。そうは言っても、恐る恐る背負い圧迫する負荷がどのくらいかは確かめた。歩けないほど酷くはない。見ると千葉ナンバーの方はヘルメットを被っている。八海山もそんな場所になったか・・・と思うのだった。
5:06登山口から屏風沢に下り、渡渉点から右岸のルートに乗ってゆく。快適な登山道過ぎて背中の疼きが判り過ぎて拙い。後ろからヘルメットを被ったパーティーが追い上げてくる。サッサとポンコツハイカーを抜き去ってもらいたいのだが、3合目までに姿が見えないほどに離れてしまっていた。その3合目の石仏に挨拶してから先に進む。今日は「また事故に逢わないように」と「また」を追加した。
その3合目のわずか先で小さな流れを跨ぐ。そこから十数分進むと、生金沢だろう大きな流れを跨ぎ左岸を進む。4合目までは道標は無くリボンが導いている。大きな滝が見えるようになると、その先で分岐があり、ここが四合目。右に水場への道があり、左への道を選ぶ。この分岐から20m程が、ルートを野草が覆い分けて進むような場所となっていた。
一の鎖が現れる。4合目から7分ほどの場所であった。極力左手を使うようにして鎖を掴む。今日初めてなのだが、手のひらにイボイボが付いたグリップのいい手袋をしてみた。鉄の鎖に対し、効果があるのかどうかはよく判らなかった。今日は全ての鎖場を撮影して数えてやろうと意気込んでいる。面倒くさいが都度カメラを出して撮影しつつ登ってゆく。
五の鎖から10分ほど登ると5合目であった。ここのみ銘板での合目表示となっていた。この先もいろんな鎖が続く。太いもの細いもの、古いもの形状の特異なもの、その中に十の鎖は「奉納 衆議院議員 渡辺○○」と彫られていた。しかし、それが周辺の鎖に対し細く貧弱に見えた。使わせてもらって小言を言うわけではないが、周囲に合わせた太いものを使った方が「やり手」に見えたのだが・・・。
「大正十五寅八月」と読める肩の場所は、6合目と言うことなのだろう。周囲展望のいい場所で、ここまでに数えられた鎖場は14であった。進む先に長く垂れた十五の鎖が見える。後いくつのあるのか、下調べをしていないので知らないのであった。痩せ尾根を進み、次々に現れる鎖を手袋を赤さび色にしながら掴んで進む。蒸し暑かった5合目付近までに対し、このあたりからはやや強めの風を感じるようになり涼やかになった。そんな中、ふと振り向くと単独行者が近くに迫ってきていた。すぐに譲ろうかと思ったのだが、二三の鎖を過ぎ7合目となり彼も休憩にしてしまった。
7合目。行者らしき像と、その後ろに見える荒々しい八ッ峰の山容がマッチしている。鐘を叩き音色を屏風の岩壁に反響させる。単独行者はザックから一眼を取り出して撮影をしだした。先に進んでもらおうと思ったのだが・・・先に出発する。二五の鎖を過ぎると、ルートは岩の多い沢筋を登る。途中気を付けていないと左岸側にルートが進む。何人かはそのまま沢を進んでしまうだろう。たぶん、それでも進めるのだろうとは思う。
8合目を過ぎ10分ほどでタコ入道のような奇岩が現れる。その基部を左に巻くようにルートは進み、その先僅かで千本槍小屋が望める場所となる。主稜までもう僅かで、この先小屋までに鎖場は無く、このルートでの合計は33本とカウントした。仮に1本10kgとしても330kg持ち上げ敷設されたことになる。信心の心がないとなかなかできない事であろう。読める「大正」の文字や、かなり古い鎖に強い信仰心を感じるルートでもあった。
千本槍小屋到着。2004年の時は開いていた管理人小屋前の広間は、鍵が閉まっていた。南のトイレ前の場所のみ解放されていた(利用料金1000円)。まだ、いやこれからが秋のハイシーズンと思っていたのだが、それほど利用者が居ないって事なのか・・・。ヨモギやカネクリの稜線が手に取るように見える。いずれ伝わねばならない稜線でもあった。天気が良く、薬師岳側も地蔵岳側も綺麗に見えていた。単独行者が先に出発してゆく。当然八ッ峰を行くのかと思ったら、その先で姿が見えなくなったので山腹の道を進んだようであった。彼と入れ替わりにトレイルランナー氏が小屋に到着した。御仁は八ッ峰に進んでゆくのだが、終始スマホで動画を撮影していた。鎖を掴みながらスマホを構え・・・。
さて八ッ峰に入ってゆく。分岐道標から八ッ峰の1本目、今日34本目の鎖となる。分岐から4本の鎖を経て主稜に乗り上げ、戻るように北に行くと、まず最初の地蔵岳。ここには「地蔵岳」と彫られた御影石が立つ。絶景の場所で、そこから見える千本槍小屋と、後ろに構える薬師岳の姿がいい。ここのみが目的地であれば長居したくなるような場所であった。小さなお地蔵さまから大きなものまで、何体も並んでいた。
踵を返し登りあげてきた場所の反対側へと進むと、標高点を取っている1710高点の不動岳となる。凛々しい表情の不動明王が出迎えてくれ、この先の険しさに対し注意の促しとなっていた。この不動岳より先は、鎖を頼りに進む場所となる。ここまでは補助的に伝えば良かったのだが、ここからはしっかり頼る。と、自ずと病んでいる場所が痛む。痛むってことは生きている証拠でもあり、痛むほどに鍛えられると思う能天気なのであった。
七曜岳は、気にしていながらも通過してしまい白河岳に到着。オヤッと思い振り返ると、伝ってきた側の高みに白い標柱が見えていた。暫定的には踏んだのと同じような通過の仕方ではあるが、しっかりとは踏んでいない。迷うことなく戻ってゆく。その途中で動画を撮っているトレランハイカー氏が居る。私の戻る行動が、とても面倒そうに表情に出していた。七曜岳の上には「五大岳」と彫られた御影石が立っている。訳があって五大との表記になっているのであろうが、七曜と言うようになったのが先なのか、後なのかが問題となろう。一度伝った鎖場を再び掴んでゆく。ギャップの所では南からの風が強く吹き上げていた。
白河岳も「白河岳」と彫られた標柱は立っていない。何かの神様の名前が彫られた標柱が立っている。東に深く下って登りあげると、4分ほどで釈迦岳に立つ。しかし現地の御影石には「白川岳」と彫られている。至極混雑している印象を受ける。まあここでは、違っていても迷う人は居ないであろうし、各ピークを確認しながら通過する人の方が少ないのであろう。問題がないから現在のまま推移しているのだろうと思う。
鎖場を下ると月ノ池への下降点、右に見送りながら進み、ハシゴ場を経てやや急峻の鎖場を登ると摩利支岳。ここはそのまま御影石に表記してあるのでホッとする。3本の鎖で構成された岩尾根を下り、尾根の北側山腹を巻くようにして進む。この時に気付いていれば良かったのだが、鎖に導かれて進むような感じで先に急いでしまった。垂直に登るアルミ梯子を伝い、後半を鎖を引き引き登り、着いた場所は大日岳。アレっと思い振り返ると、目の前に剣ヶ峰があった。今日2度目の行き過ぎ。学習しないとはこのことである。
垂直に下り巻道の途中から藪を駆け上がる。誰か入っているようで、獣道ではないごく薄い通過跡があった。まずこんなところに獣は来ないので人の仕業で間違いない。そうしている間に山腹のルートを人が通過して行く。人の少ない時間でよかった。大日にも摩利支岳にも人の姿はなく、その間を縫って剣ヶ峰に立つ。
剣ヶ峰の上には人工物は一切なかった。古い石碑なども残るのかと思って探したが、古いそれらも見当たらない山頂であった。目の前に大日岳がある。実際は無理だが、ジャンプしたら飛べそうなほどに近接しているのであった。ここにいるのが少し後ろめたいのですぐさま登山道に戻る。再び垂直のはしごを登り大日岳に戻る。八ツ峰では29本の鎖が数えられた。
大日岳には先ほど剣ヶ峰に居る時に下を通過していった方が居た。話をすると期間工で、もう4か月も山旅を続けていると言う。北九州から北海道まで行き背骨の縦走を楽しみ、8月は劔から上高地まで縦走して北ア満喫、前日の戸隠は西岳経由でアプローチ、羨ましい限りの行動であった。この後は、大きく飛んで屋久島の予定と言う。生き方の違う人を見た感じで勉強させられる。遊ぶ半面、ハングリーな生活もあるのだろうとは思えた。収入がない期間がある恐ろしさは、ちょっとだけ体験したことがある(笑)。二人で話している中に、菅笠を被りランニングにジャージのズボンを履いた方が登頂してきた。伊豆から電車でやってきて、前日はロープウェイ頂上駅の避難小屋泊でここまで進んできたよう。この後から、登山口を同じくした三重ナンバーの方が登頂してきた。屏風道を登りたかったが、鎖を嫌い新開道を登ってきたとの事であった。山頂が賑やかになりつつあるので場所を譲り下山となる。天候がいいので、体調も微妙なので大休止となった。
大日岳の東の分岐点からの下側は、ハシゴ場の連続。大岩が当たったのか、足場が抜け落ちている場所も見られる。新開道分岐から尾根に乗るまでもやや荒れた印象があり、2004年時にはトレイルランニングのコースでもあった事を思うと、少し意外でもあった。駆けるような場所と違う・・・。新開道の上部側で6本の鎖場があり、ここまでを全て合わせると69本の鎖が数えられた。どこかのラーメン屋は「腹が減ったら俺んところへ来い」と言うキャッチフレーズがあるが、ここは「鎖が楽しみたけりゃ八海山へ行け」とも言いたくなる。
鎖場の樹林帯を抜け、日差しを受ける登山道を伝うようになると勾配も緩くなる。上では太陽の暑さなど気にならなかったが、僅かに標高を落としただけなのに、ここではすでに暑く感じていた。予想通り今日は水分摂取量が多く喉が渇く。普段と違うのは間違いなく、体調に対し身の程を越えているのも間違いない。途中で、往路千本槍小屋へ前後して到着した一眼を持つ単独行者が追いかけてくる。八ッ峰を端折って入道岳(五竜岳)へと足を延ばしていたようであった。
下りでの衝撃が、そのまま病んでいる肋骨に響く。筋力でカバーしようにもどうしようもなく、腹に力を入れられても背中に力を入れることはできない。ズシンズシンと揺さぶられる感じは、肺に水が溜まっている時、肺に穴が開いた時の違和感にも似ていた。胸部と言うことで似てくるのだろうかと思えた。8合目の横になった標柱の先でザックに結わえておいたストックを使うこととする。まさしく転ばぬ先の杖で、また転んでどこか痛めたら、それこそ大笑いされてしまう。ここで菅笠の御仁と一眼の単独行の御仁に先に行ってもらう。
7合目の1628高点からは、振り返るといい感じに八ッ峰を望むことができた。登りに新開道を使ったならば、適当な展望休憩地となろう。この先は登り返しは一切ない下り一辺倒。赤土の滑りやすい地形が続き、コケないよう注意しながら降りて行く。そこに先にかなり行っているはずの菅笠の御仁が見えてきた。達者な足のはずだが・・・何か調整しているようにも見えた。
稲荷社の所からは稲荷清水を見に行く。太い冷たい流れがあり、しっかりと涼を得られた。登山道に戻りどんどん勾配が緩んできているので、それに比例してスピードを上げてみる。先ほど水場を一緒した菅笠の御仁は、間違いなく私にスピードを合わせている。大日岳の山頂で、電車でやってきたと言っていた。3合目を通過する頃には、予測が確信と変わりつつあった。これは車に乗せて欲しいのだと・・・。植林帯の中の緩やかな道をクネクネと伝ってゆく。流れで深く掘れた地形がミニ渓谷のように続いていた。
林道終点地に出る。こちらにも道標らしきものは無い。「山火事用心」の赤い布が入山口の目印のようであった。林道を伝ってゆくと、途中にはショートカットする道が在ったが、最後の最後で転ばないよう林道の緩斜面をそのまま伝ってゆく。最後の九十九折の場所で、二合目を見下ろすと出発時には予想できないほどの車があり、停められずに車道脇にも溢れるように並んでいた。やはり人気の場所であった。予定貫徹。自分でも体調を鑑みるとちょっとハラハラした計画ではあった。
後を追ってきた菅笠の御仁が近づいてくる。どう言いまわすのかと思ったら、開口一番「今日は早くに帰りたいのですが・・・」と言う。早くに帰りたいのであれば、もっと速く歩くとか、公共機関の便が悪いのならマイカーを利用するとかタクシーを呼んでおくとか、そこに他人を利用すると言う事を計画に入れるのは・・・私的にはご法度であった。さらには、ここに至るまでに途中で“こいつに乗せてもらおう”と行動は決めていただろうし、そうであればもう少し早くに打診してもいいように思う。タイミングや対人下手、言葉選びの下手さに可哀想に思い「途中で拾いますから歩いていてください。ちょっと着替えるので・・・」と言うと、「沢で汗を拭ってここで待っています」と言う。電車ハイカーにしては完全に他力本願な感じで落胆。こんな登山者もいるんだと勉強させられる。助手席に乗ってもらい「どこまで乗せればいいのですか?」と問うと、「六日町駅まで」と言う。年齢を聞くと66歳と言う。駅に着き「ありがとうございました」の言葉を残してすたすたと行ってしまった。反面教師、こんな66歳にはなりたくはない(笑)。
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