三叉峰 2825m 石尊岳 2810m 鉾岳 2800m
日ノ岳 2800m 二十三夜峰 2730m
2016.8.20(土)
晴れのち小雨(ガス) 単独 杣添尾根を往復 行動時間:6H4M
@海ノ口登山口5:23→(20M)→A貯水池(東屋)5:43→(134M)→B三叉峰7:57→(8M)→C石尊岳8:05→(5M)→D鉾岳8:10→(7M)→E日ノ岳8:17〜18→(9M)→F二十三夜峰8:27〜36→(31M)→G三叉峰下分岐9:07〜09→(113M)→H貯水池11:02→(25M)→I登山口11:27
@海ノ口登山口 | 林道からのモルゲンロート | A貯水池 | 八ヶ岳らしいシラビソ樹林帯 |
途中から北(小海)側 | 途中から東(野辺山)側 | 途中から赤岳。この時を最後に隠れてしまった。 | 三叉峰下下降点 |
B三叉峰 | C石尊岳 | C「大権現」と彫られた石碑 | 石尊岳から鉾岳へは、夏道は尾根上を進ませていない。 |
D鉾岳 | E日ノ岳は北側からは立入禁止。南側から踏み跡が伝える。 | E日の岳の石仏 | 鎖場の渋滞 |
F二十三夜峰の岩峰を見上げる。 | F南側基部に在る石碑 | F北側から登る | F二十三夜峰の岩峰の上。北から見ている。 |
F南から石碑を見る。なにか彫られているが判読不能。 | F上から見下ろす東側 | F北側(ガス) | はしご場帰り |
G三叉峰下降点帰り | 途中でヤキソバパン | 味わいのある標識 | 北沢の魔の階段。工夫された階段だが、フェンス素材は滑るので注意。 |
北沢の流れ | H貯水池帰り | このコンテナは、西部の無人小屋が在った場所に置かれているのか? | 別荘地内の道を散策路は5回跨ぐ。 |
I登山口に戻る | I駐車場の様子 | 北沢の階段での負傷痕。ボルトが抉った痕 |
地形図と日本山名事典掲載の山を追っているが、山名事典の解説の中に書かれている山も、広義では「載っている」事になる。八ヶ岳の横岳の解説を読むと、そこにあまり知られていない山名が並んでいる。こうなると、再び八ヶ岳に行かねばならなくなった。その不明瞭な場所に対しての同定は、我らがリーダーのKUMO氏がはっきりとしてくれたので迷う部分は無い。
前日の19日は、講習会で1日座学であった。眠気との戦いと、最後にひっかけ問題に注意しながらのテストと、なんとかクリアーした。講習を受けながら茅野付近の天気予報を見ると、状況は下降線の様子。まあ標高は高いが、主稜での行動時間は長くない。少々の悪天は苦痛にはならないだろうと決行することにした。
3:40家を出る。いつもと違う時間に出ると、途端に峠道が走りづらい。やはり1時くらいが一番空いている。佐久に出て141号を野辺山方面へと進んでゆく。南牧村役場の先で灯明の湯の看板が見えたら、杣添川を挟んだ反対側の右岸側の道を入ってゆく。この道は最初こそ狭いが、奥に入ると幅の広い農業用道路と変わる。これを進むと海ノ口牧場を北から南へと突っ切り、別荘地の石畳の交差点に出る。そこからは良く管理された別荘地内を、途中から現れる「横岳登山口」の道標に導かれ登ってゆく。利用している人の多い別荘地で、その証拠がマイカーの有無により見えていた。
登山口に到着すると、熊谷と姫路ナンバーの2台があり、うち一人がちょうど出発するところであった。すぐに準備をしていると、もう一人も出発して行った。このあと、雨になるようなのだが、それを感じさせない青空が広がっていた。予報に反してこの天気が続いてくれれば・・・。外気温は17℃。連日暑かったので、この気温は避暑地を感じさせてくれていた。別荘地に成り得る場所でもあった。
登山口から歩き出す。ここを伝うのは今回で2回目の利用。登山口からしばらくは別荘地内を使った遊歩道との事で、そんな表示がされていた。5回ほど舗装路を跨いだら、道標に従い進むと廃林道に乗る。このルートは、道標が無かったらどこに進んでいいかよく判らないような場所。南牧村設置の道標があって初めて歩けるような場所だった。北沢を左に見るような場所で、分岐を右に進むと、しっかりとした林道に出る。これが高石川方面からの南八ヶ岳林道であろう。事前にストリートビューで見たら、別荘地の北側の分岐でゲートされているのが判った。
林道を行くと、貯水池と呼ばれる東屋のある休憩地となる。ここが杣添尾根の第二の登山口でもあり、ここからやっと尾根に取りつく感じ。林道を離れ山道に入ってゆくと、すぐに北沢を跨ぐ。右岸側はフェンスに使うネットで土留めされ5段の階段が作られていた。ここを登り、この先は八ヶ岳らしいシラビソの中の苔むした登山道。やや足場が緩いが、これも懐かしさがある。淡々と登って行ける道であり、夏場向きな涼やかな樹林帯の中の道でもあった。
途中で男性が休憩していた。後発の一人だろう。先に進ませてもらうが、土の上に先を進む足形がない。そしてまた蜘蛛の巣が張っている場所もあった。あのもう一人はどうしたのだろうと不思議に思うのだった。快調に高度を稼いでいたが、7:10からガスが沸き上がりだしていた。森林限界手前のダケカンバの樹林帯に差し掛かったころで、この付近は尾根の展望場であり、急いで見える周囲を望み、赤岳の北からの姿も久しぶりに拝むことができた。赤岳はこの時を最後にガスの中から出ることは無かった。
三叉峰の下降点分岐に到着する。少し横岳側に進み、回り込むようにして三叉峰に乗る。以前と同じように朽ちた角柱が立っていた。ガスが濃く風も強くすぐさま雨具を着込む。見える縦走パーティーも、すでにカラフルな雨具姿で歩いていた。各小屋発なのだろう、北から南、南から北へと多くの人が行き来していた。
三叉峰から登山道を南に進むと、5分ほどで「大権現」と彫られた石碑のあるピークに乗る。ここが石尊岳。石尊「山」は数多く登っているが、「岳」は初めてであり、八ヶ岳には岳が似合っているとも思えた。この石尊岳からの夏道は、鉾岳の北側で、尾根の西側に降ろしている。伝うカラフルなハイカーを見下ろしながらハイマツの中を突っ切り、その先の岩峰に乗ると、そこが鉾岳となる。鉾岳から日ノ岳へは、岩陵をそのまま伝うのは困難で、一度西側に降り登山道を伝って進む。
日ノ岳は、北側では植生保護の為だろうロープがされて登れない。そのまま登山道を南に進むと、その途中から踏み跡が野草に埋もれるような格好で残っている。そこを伝うと容易に山頂に達せられた。光輪を纏ったお地蔵さまで、相も変わらず自然石の純白な姿で鎮座していた。しっかりと拝礼して次のピークを目指す。
早いもので残り1座。ここからは少し登山道が悪路ぎみになる場所。自ずと鎖場等では渋滞となっていた。ガスが濃く、雨粒も大きくなってきていた。とても滑りやすくもなっており慎重に足場を選ぶのもよく判る。そしてルートが安定した場所まで下ると、向かう先に起立した岩峰が現れる。これが二十三夜峰の岩峰だった。
二十三夜峰の岩峰南の基部に「二十三夜」と彫られた石碑が寝ている。岩峰を見上げながら周囲を一周する。一番登り易いのは北側と判断し、すぐに攀じ登ってゆく。ホールドは多く難易度は低いが、遊び半分で登ったら危ない場所ではあった。あとは、晴れていたら縦走路から丸見えであり、ギャラリーを抱えて登る場所でもあった。その点では、この日の濃いガスは最良のシチュエーションであった。
慎重に登り最高所に到達すると、石碑が置かれていた。狭い山頂部で、3点確保しながら南へ回り込み、その石碑を覗くと、たぶんこちらが正面のはずだが、判読できないほどに表面が風化していた。それほどに古い石碑だと判る。スリングをかけられるような場所もなく、ハーケン類も打たれていなかった。再びフリーハンドで降りて行く。雨であり濡れているので、かなりゆっくりと慎重に足を運んでいた。山頂でヤキソバパンを出そうと思ったが、非常に狭く風も強く雨も強く、全くそんな気分にならなかった。せっかく持ってきたのに・・・(笑)。
岩峰から降り立ち、縦走路を北に戻ってゆく。三叉峰まで戻って、風を遮れる場所でパンを食べようと思っていたが、いざ戻ってみると、そんな調子のいい場所はどこにもなく、西側の草地に降りてはみたが、雨を遮れる場所がなかった。悩むことなく杣添尾根を降りることにした。途中の樹林帯まで降りて食べよう。
外気温は12℃。スタート時は17℃と快適であったが、そこから5℃の低下と風雨の増量は涼しいを通り越していた。ハイマツに下半身を濡らされながらダケカンバの樹林帯の中に潜り込む。ここでもまだ雨粒が多く、次はシラビソの中とさらに急ぐ。そしてNo5とふられた少し広くなった場所で遅い朝食とした。ただしキジ場にもなっているようで、尾根の北側に白いものが見えていた。逃げるようにパンを抱えて歩き出す。
10時近くなり登ってくるパーティーも多くなる。全6パーティーほどとすれ違ったか、最後の女性は私と同じ林業用の蚊取り線香を焚いていた。上でのんびりしてこなかったので早いのではあるが、この分でゆくとかなり早くに家に戻れると思え、気楽な気分で降りて行っていた。これが悪かったのか、たぶんそうであろう。先の方が明るくなり、もう貯水池が近いことが判る。その前に北沢の渡渉点の橋の場所がある。階段に足をかけたとたん、異常な滑り方で足をとられバランスを崩し右側の背中を強打する。しばらく普通に呼吸が出来ずにうずくまってしまった。振り返り見るとそこには足場材での手すりがあり、それを構造物にしているブラケットからM12ほどのネジが出ており、恐ろしくも首下側が25mmほど通路側に飛び出していた。やってしまった・・・これが最初に思ったことだった。
バランスを崩し倒れ、その加速度と体重が載った状態で、その一本のねじと背中が戦ったようであった。肋骨のおかげで肺まで達しなかったようだが、こんな場合の癒着した肺は、穴があいても萎まないのでいいのだが、それでも肉を抉られた痛みが走り歩けるどころではなくなった。そんな中でも、絶対に北沢の流れを写真に撮りたいと思っていたので、カメラを向けた馬鹿さ加減は自分でも根性があると思えた。かなりの流血かと触ってみるが、すぐには反応がなかった。怖くて違う場所を触っていても、確認するのはその一回でいいし、どうせ伝う血で後から判る事と思えた。
さあどうしよう。無理してでも歩かないと・・・。恐る恐る歩いてみると、かなりの鈍痛を伴うがなんとなく歩けた。これならいける。呼吸を少しコントロールしながら胸部に負担が無いように心がける。あとの心配は傷の具合。あのままボルトに刺さっていたら、干物のメザシ状態だった。こんな状態ながら、それを想像したら笑えてしまった。Tシャツだけだったらそうなっていただろう。ベストを着ていたので生地の厚みでボルトが皮膚に食い込むのに対し抵抗になってくれたようだった。
貯水池に着く少し前で男性とすれ違う。あのまま蹲って居たら、この男性は登山にならなかっただろうと思えた。少し顔をしかめながら無理して涼しい顔を作りすれ違う。林道を伝い、廃林道を辿り、また遊歩道に入ってゆく。付近ではチェーンソーの音が響いていた。ここでは遊歩道脇の車道を通ってはいけないのか、歩道を逸れないようにとの注意書きも見られる。
登山口に降り立ち、駐車場所に急ぎ恐る恐る着替えをする。横に停めてあった車のサイドガラスを鏡代わりに使ってみると、血は滲んでいるが思ったより酷くないよう。スマホで周囲で傷に効く温泉を探すと、灯明の湯がそうだった。帰りに立ち寄ってゆく。
振り返る。もしかしたら、二十三夜峰はご神体で登ってはいけなかったのかも。そうであれば現地で落ちるわけであり、それは違うかとは思う。単に下山時に気を抜いていたからであろう。新島の新島山の南斜面も、同じネットが貼ってありかなり滑った。新島はルートではないので良いのですが、ルート上であのネットを使い踏ませるのは・・・。とは言っても全ては自分の落ち度であり気の緩み。痛い思いをして気の緩みを思い知るのでいい。
発生二日後、痛みが呼吸に伴うことが持続しているので、やむなく医者に出向きレントゲンを撮ってもらった。見事に3本折れていた。ひと月の安静だが、こんなことでじっとしていると思ったら大間違い(笑)。