本陣山     442m         イモリ山   430m          吉田山   445m    
         
 
   2016.12.10(土)    


  晴れ    単独      山崎地区から入山し三社地区に下る   行動時間:2H40M 


@山崎地区ゲート6:19→(13M)→A森坂峠6:32→(10M)→B本陣山6:42〜45→(6M)→C森坂峠再び6:51→(17M)→Dイモリ山7:08〜09→(27M)→E小床峠7:36→(37M)→F吉田山8:13→326M)→G朝日稲荷神社8:39→(5M)→H休暇村8:44→(15M)→I山崎地区8:59


   
@西吾野駅南、高麗川を渡った先にゲートがある。手前の橋はこの場所にしていやに広い。 カヤトの原に踏み跡が続いている。 以前はずっと林道幅だった道が崩落して現在に至っているよう。上部に行くと林道幅になる。その分岐。中央の木に右の写真の道標がある。 最初に見える道標
       
A森坂峠 A綺麗な道標 二つ目のアンテナポール  B本陣山
     
B山名はこの杭のみ B北側より南側。 C再び森坂峠 イモリ山の北斜面は急峻。ルートは東を巻く。
       
途中の標識(分岐?) 扉の付いた祠が見えたら、その上がイモリ山。 Dイモリ山 D大ぶりな標識が2枚かかる。
       
Dイモリ山から子の権現 途中の鉄塔ピーク。 鉄塔ピークからイモリ山 鉄塔ピークの南側の痩せ
     
よく見ると架線されていない鉄塔だった。 山道合流点 合流点にある石碑。「天寺へ十二丁」と読める 465高点は北を巻き450m峰に乗る。
     
E小床峠。塞がれた方へ進むが、ここは小床地区側へ進んで途中の林道に乗った方がよかったよう。 林道に乗る 林道に立つ道標 林道からの階段
       
吉田山直下 F吉田山 F吉田山の山名板は小ぶり。板の縛られる杉には、進路注意の刻みがされている。 秩父御岳神社側に降りてゆくと、林道終点が途中に見える。
       
分岐の場所に見える記述。ここから休暇村側へと下る。 尾根の急下降。 林道に乗る。 林道に乗った場所から振り返る。左の場所を降りてきた。往路に伝う場合、よく判らないだろう。
       
林道途中の道標 シナノゴールドを齧りながら G朝日稲荷神社本殿  急な参道が続く。巻き道あり。 
       
H休暇村前の朝日稲荷総本社登拝口。 三社地区へは木橋を渡ってゆく。 I山崎地区のゲート前に戻る。  

 



 12月3日(土)、山に行く準備をしていながら、深夜に激痛が続き動くことができなかった。これで2回目の休場。そろそろこれは、自分の自然治癒力では治らないのかと腹をくくる。

 

 そしてまた週末がやってくる。場所探しにならないほどに病んでいる中で、何も考えないまま前週で予定した奥武蔵の里山へと出かける事にした。気持ちが全く山に向かない。どうしたものかと思うのだが、そんな体調だから、と言う事で間違いない。でも動く、動かす気力は備えている(笑)。

 

 1:00家を出る。やや暖かい7℃と言う西上州を駆けて秩父へと抜けてゆく。横瀬を通って正丸トンネルを潜ったら目的地に到着する。入山は西吾野駅南の、高麗川に架かる橋の場所から。現地はゆずの無人販売所があり余地があるのだが、公的な余地は無く悩む。やむなく路上駐車とし、その高麗川に架かる橋の上でエンジンを切った。国道229号を行き交う音を聞きながら仮眠に入る。

 

 夜が白みだし行動開始。いつもは出発前には何も食べないことが多いのだが、薬を飲むために、食後にするために無理やりパンを食べる。飲むと眠くなるという薬を飲んで、いざスタート。飲んですぐ運動するという状態がいいのか悪いのかが判らない(笑)。

 

 進む先にはゲートがある。その西側にはたわわに実ったゆずが見える。広い橋であったので、この先の林道は広く続いているのかと思ったが、ゲートを越えてゆくとそうでもない廃林道状態で、すぐに林道幅は無くなり一筋の踏み跡が濃く繋がっているだけであった。この濃く繋がっている状態が判らなかった。獣ではなく人が歩いている様子がある。林業作業がされるでもない場所。なぜなのかと思いつつカヤトの中の踏み跡を登ってゆく。

 

 谷が狭まり樹林帯の中に入ってゆくと、ここで再び林道幅が復活した。以前はこの幅で続いていたのかと思わされる。林道を使われなくなって長いようで、だいぶ崩落している場所もある。樹林帯に入ってすぐに、その林道幅の進路が塞がれている場所があり、そこに道標があった。それは登山道標で、続いてきた踏み跡は登山者のものだったことが判る。こんな場所もルートになっているのかと思わされた。九十九折りぎみな道を登ってゆく。

 

 登りあげると森坂峠と表記された場所で、賑やかに新旧の道標が付けられていた。まずは本陣山を目指す。北に進んでゆくと、途中アンテナが連続して2本立っているのが見える。右に見ながら進むと、この日の来光を背中に受け、目指す先が赤く燃えたように見える。今日を遊ばせてもらうために来光に一礼して燃え滾る山頂へと緩やかに上がってゆく。

 

 本陣山山頂は植樹帯のような場所で、山岳会の設置した標柱があり、それにのみ山名が記されていた。北側にも踏み跡があるようで、伝ってゆけそうであった。もっとも、どの角度も同じような下草のない場所で、どの方面にも歩いてゆけそうな場所であった。踵を返し戻ってゆく。今のいま歩いてきたのに、ルートがどこだったかと判らなくなるような、里山の魔力のある場所でもあった。

 

 再び森坂峠を通過し、今度は南に向かってゆく。快適な尾根道が続き、そのうち目の前にイモリ山らしき竣峰が聳えてくる。元気であるならばそのまま北側から登るのだが、あまり元気でない体なので道なりに進み、東へトラバースするような道形に沿ってゆく。ここは少し踏み跡は薄い。これまでが明瞭だったので心配になったりする。

 

 412高点側にも道があるのか分岐のようになっており、そのまま子の権現の道標に導かれて南に行く。途中に祠があり、その上がイモリ山であった。この祠であるが、小ぶりだがきちんと木の扉があり100点満点の状態で鎮座していた。

 

 イモリ山山頂には大ぶりの標識が二つ掲げられていた。木々の間から子の権現を望むことができる。細長い山頂で、大勢で訪れる場所ではなかった。露岩の山頂で、それが為の登頂感はある場所ではあった。日差しが心地よく、正月を思わせるような天気でもあった。さらに南に進む。

 

 どんどんと子の権現に近づいてゆく。その途中に鉄塔の立つピークがあり、ここがこの日一番の展望地で、周囲の木々が伐採されている場所で展望があるのであった。ススキが朝日に照らされ、とても綺麗に見えている。そのススキに撫でられるようにして先に進むと、その先は少しやせ尾根となり、ここも無暗にも伐採されていた。伐採は架線下と思いふと振り返ると、鉄塔には架線されておらず鉄塔のみ立っている不思議な絵面なのだった。

 

 尾根を進むと山道がくっきりと横切っている場所に出合う。これは小床地区から子の権現に上がる参道で間違いなく、尾根を跨ぐ場所には「天寺へ十二丁」と読める石碑が立っていた。彫り込まれた文字の判読には自信がないが・・・。

 

参道を跨ぐようにして尾根道を伝うと、向かう先の465高点は登らずに、山腹にごく薄い巻き道があったので伝う。これはかなり薄いので夜中だと見えないルートであろうと思う。そんな感じの道であった。そして465高点の東側に出て、その先を登りあげると、450m峰となる。現在地がよく判る、里山での読図勉強にちょうどいいような場所にも思えた。

 

450m峰からは東南東に下り小床峠に到着する。そこに「浅見茶屋まで5分」とあり、そこに手打ちうどんと書かれているので寒い中ではそそられるのであった。5分下ってうどんを食べて戻ってもいいのではないかと・・・。さあここからのルートどりがまずかった。峠道をまたまた横切るように尾根を伝って降りてゆく。その先は急峻の谷になり、進路どりが難しい複雑地形に中に入ってしまう。やや焦りが出て、途中の急斜面でスリップし、病んでいる左腕側を強打した。手を突いたのだが力が入らず体を支えられなかったのだ。これが首のヘルニアの実態。頭で思っていても体が・・・注意せねばならない部分であった。

 転んだことで変な弊害は出ていないかと確かめるようにゆっくりと複雑地形の谷部を北に進む。谷の中には古い杣道があるが、倒木や野草で伝えるものではなかった。そんな中を上を目指すと、予期せぬ地形図に乗らない立派な林道に出くわす。こうなると、小床峠からは小床地区のある北側に進めば、おそらくこの林道に出くわすだろうと推測できた。まあ少し藪の中を歩けた感じで満足ではあったのだが・・・。

 

林道に乗り、予想を付けて北に進むと道標が見え、そこに吉田山の文字が見えた。指し示す方を見ると、最近作られたのか丸太の階段が設置されていた。がしかし、伝ってみると少し不安になるような道で、経路には道標は一切ない。430m峰を越え、たぶん大丈夫だろうと思いつつ進むと、こんもりとした場所が現れる。

 

吉田山はイモリ山に相対して、とても小さな山名板が掲げられていた。その板が縛られている木には、刻みが入れられ、北に進むと急斜面で危険と表記されていた。とても痛々しい山頂なのであった。刻みに反して北に進んでみようかとも思ったが、ギャンブルするには適した身体ではない事を判っており、安全な秩父御岳神社側へと降りてゆく。

 

南東側へと降りてゆくと、その途中に林道終点地が見え、その斜面にはその林道幅が降りて行っていた。左に見ながら進むと、すぐに分岐になり、そこに休暇村との表示が見える。この休暇村の情報を持たぬまま来ているのでよく判らないが、その方角が帰るべき方角なので、御岳神社への道を右に見送りながら左側の道を選ぶ。急下降して下ると、先ほどの左側の林道に合流した。振り返ると、不明瞭。林道を登りここまで来て、この場所から取付ける人は少ないであろう。道標のない場所であった。

 

休暇村とはどんな場所だろうと思いつつ降りてゆくと、フェンスに囲まれた社が現れる。踏み跡程度の場所を伝い回り込むと、裏側からでは想像できないほどの大きな神社が現れ、これが朝日稲荷神社であった。参拝しお狐様に背中を見送られながら急な参道を降りてゆく。急過ぎて途中から巻き道に伝ったほどに急で長い。一帯は谷地形を使った面白い造りで、その不思議さが荘厳な雰囲気にしているようでもあった。

 

神社から出ると、目の前に休暇村が現れ、スタッフなのか朝の出勤風景が見られた。国道を通過する車の音もしており、どちらに進めばと悩むが、西に戻るには西をと選択し、木橋の掛かる側に進む。休暇村としての総合的景観を作り出しているようで、一帯が夏場の涼を得られるような場所となっていた。左岸に移ると集落の中の狭い道となり、左右の各家から聞こえる朝の会話を聞きながら歩くような場所であった。

 

299号に出て歩道を歩いてゆく。奥多摩などで路側帯や歩道がない中を歩いたが、歩道がある有難さを感じる場所でもあった。まあここまで交通量が多かれば当然だろう。ゆずの販売所では、老齢な男性二人がゆずを運んできている風景があった。山崎地区に戻る。

 

振り返る。ポイントは小床峠からの進路となろう。普通に藪屋なら東進してしまう場所。小床地区側に進むのが正解となろう。




 

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