岩井堂山(自在山) 793.1m
2016.1.4(月)
晴れ 単独 自在神社より 行動時間:1H13M
@駐車余地6:24→(1M)→A自在神社神楽殿6:25→(8M)→B自在神社奥社6:33〜34→(31M)→C岩井堂山7:05〜11→(16M)→D奥社帰り7:27〜29→(6M)→E神楽殿帰り7:35〜36→(1M)→F駐車余地7:37
@トイレ側参道途中の余地からスタート。 | A自在神社神楽殿脇から階段を登る。 | A案内表示あり | 階段を登る |
獣除けの柵がありゲートを開閉して上に行く。 | 一人分の幅しかなく、何となく心地いい。 | B自在神社奥社 | 途中の赤松の生える、のっぺりとした岩場。 |
100m毎に距離表示あり。 | ビニール小屋も途中に。 | 行政の標識だが、だいぶおかしい。残り200m付近で、残り600mと表示してある。 | 直登的なタイガーロープの場所。 |
山頂直下 | C岩井堂山山頂 | C地元では「自在山」が主で、従が岩井堂山。 | C井戸が二つ残る。井戸と言っても雨水を溜める場所のよう。 |
C三角点は北側の土塁の上にある。 | C角の割られた三等点 | Cこの日の来光。虚空蔵山の上辺りから登る。 | C三角点側より見る山頂部。 |
下山。マツタケ山に対しての注意書きが凄い。罰金は50万円。 | 途中から見る坂城町。 | D奥社を拝観して行く。 | 心地いい階段。 |
再びゲートを開閉して・・・。 | E神楽殿も拝観する。 | F駐車の様子。東側に戻り少し上に林道を進むと2台分在る。周辺に駐車余地が少ない。 |
2016年も既に3日も経過し、やっと解放された。遠方から顔を見に来る家族に対し、留守ってのもいかがなものかと思っている方であり、割り切ってどっしりと構える。こんな時に「山は逃げない」と思うのだが、本音の本音は「山は逃げる」と思っている。運不運、その時々でのチャンス、それを有効に活かせる人ほど山は逃げないと思う。
登り初めの場所として、坂城町の里山を選んだ。周辺域も未踏座が減り、千曲川を挟んでの岩井堂山と五里ヶ峯が落穂的に残っていた。しっかり道が切られた場所であり負荷はほとんどない。地形図からルートを頭に叩き込み、地図を持たない不躾な行動とした。
4:00家を出る。碓氷峠を越えて18号をたらたらと長野市へ向かって行く。嬉しいのは、この18号沿いは言葉は悪いが掃いて捨てるほどにセブンが多い。その中でもお気に入りの上田市の店舗に入ると、期待通りに並んで待っていた。併せて珈琲を買い込み、啜りながらミッションギヤを操作しつつ現地へ向かう。最初は岩井堂山。自在神社の場所を探す。
竹内製作所側から集落に入ったら、その村落の道が狭い事。これがまた神社への道も狭く、軽四で出向いたものの四苦八苦する。島入口バス停の西側に「自在山登山口」と書かれた道標があり、やっと安心してそこからの細い舗装路を伝って行く。しかし暗い事もあって分岐が判らず左の道を伝ってしまい、畑の中のダートに入ってしまった。おかしいので引き返し、それらしい分岐の場所で道標を探すと、下に置かれた目立たない道標が見つかった。分岐は右だったよう。入るとすぐにダートに変わり、神社のトイレが左に現れ、そのまま進むと境内の中に入ってしまった。さすがに境内の中に停める勇気はなく、引き返してダート道途中の余地に突っ込む。
北側を見上げると岩井堂山の円錐形のシルエットが見えていた。ヘッドライトを灯して歩き出す。1分ほどで神社の敷地に入り、すぐに石段を登って行く。ここにはハッキリと判る道標がある。石段は途中で獣よけのフェンスで塞がれ、開閉してさらに上の石段へと繋がってゆく。この石段が里山風味のある狭い作りで心地いい。石も不揃いで段差も微妙にまちまち。マイナス気温の中、ヘッドライトに呼気を反射させながら登って行く。
奥社に到着するも、暗くて見えづらいので、とりあえずの参拝だけして上に向かって行く。山の斜面にはトメ山としての注意書きが多く、良品が獲れるのか、違反者には50万円をも償わせる表記になっていた。どちらかと言うと不明瞭な道形で続いていた。どこでも歩けるので、道が無くともいい感じもするが、見えるほとんどが薄い感じがした。その為か、上の方では場所を示すようにタイガーロープが流してある場所も多い。
100mおきに道標が立てられていた。残り300mの表示を見た先で、ビニールハウスでの背の低い小屋が在った。この先で、坂城町の立てた道標があり、ここには残り0.6Kmと書かれており、雰囲気的には400mほど後退してしまったような表示になった。そしてここから60分となっていた。いくらなんでもこの標高の山でここまで登っていながらそれはおかしい。でも、突っ込みどころがある場所は嫌いではない。そして60分の場所をわずか10分で歩けてしまった。
地形図からは岩井堂山だが、現地山頂標識ではそれは括弧で括られ、自在山と書かれていた。小さな噴火口のような場所で、周囲に土塁が築かれていた。その北側にひっそりと三角点が埋められている。山頂大地には二つの凹みがあり、雨水を溜める井戸だったよう。ちょうどこの時、来光が虚空蔵山の上からあがりだし、ちょっと遅ればせながらの2016年の初ご来光となった。一坪ほどの残雪があり、足跡が残る。元日にご来光を見に登った地元の人の足跡だろう。登山靴ではないソールの痕が残されていた。摩利支天の石碑と、もう一つ国常立尊と書かれた石碑があり、後者は見慣れない文字並べであった。烽火台であったとされる解説板を読み、山頂部の全てを堪能した。山頂の周囲は面白く、堀切が丸くを取り巻いていた。
往路を降りてゆく。登りでも下りでも同じほどに薄い道形に感じた。途中のアカマツの生えるのっぺりとした岩場の場所が展望がよく、坂城の町を見下ろすことが出来た。奥社に戻り、じっくりと岩壁に寄り添った建物を鑑賞してゆく。配色は無いものの彫刻は美しく、見るに値するものが飾られていた。石段を降りてゆくのだが、帰りは一つ飛ばしでストライドを伸ばしてゆく。最後にフェンスを開閉して、神楽殿のある境内に降り立つ。
ひっそりとした境内に、淫らに私の車の轍が残っている。やや不謹慎に思えてしまった。西側に進み車に戻る。