黒枯山 1621m 風イラズ 1990.5m 三ッ合 1980m
2016.1.9(土)
晴れ 単独 栗代林道入口より大無間山南尾根を往復 行動時間:12H44M
@栗代林道入口(バリケード)4:08→(14M)→A二つ目のバリケード4:22→(16M)→B小屋4:38→(36M)→C斜面取付き5:14→(46M)→D1130m付近(主尾根)6:00→(21M)→E1280.3三角点峰6:21〜23→(9M)→F尾栗峠6:32→(98M)→G1612高点(抜ヶ谷山)8:10→(18M)→H黒枯山(1621高点)8:28〜29→(98M)→I風イラズ10:07〜10→(58M)→J三ッ合11:08〜19→(59M)→K風イラズ帰り12:18〜22 →(74M)→L黒枯山帰り13:36〜41→(17M)→M抜ヶ谷山帰り13:58→(76M)→N1280.3帰り15:14→(18M)→O尾根から下降15:32→(22M)→P林道に降り立つ15:54→(47M)→Q二つ目のバリケード帰り16:41→(11M)→R林道入口16:52
@栗代林道入口から通行止め。分岐点から歩いて進む。 | A少し進むと二つ目のバリケード。帰路の写真で、電力関係者の車が置かれているのはこの前 | B小屋 以前はここまで車が入れられた様子。 |
小屋の僅か先から高巻きをする。高巻きに7分費やし、再び林道に戻る。 |
日産バネットSGL | 温泉宿で利用していたバス | Cバスの北側から斜面に道が上がっており取付く。 | 斜面途中のフェンス。壊れている場所も多い。 |
フェンスが開閉できる場所には、ビニールのマーキングがされている。 | D尾根に乗った場所。1130m付近。 | E1280.3高点 | E数字は読めるが、それ以外は判読不能。 |
E赤く塗られた三等点。 | F尾栗峠通過。下にSK氏の絶縁テープが残る。 | 1320m峰は、尾根頂部の道形が南東に降りている場所。西側斜面に南西尾根とを結ぶ道形がある。 | 1351高点南で尾根が痩せる。 |
1351高点から1612高点側。 | ガレの縁を進んで行く。 | 1450m付近。急峻。 | 途中の無名峰から北側 |
G1612高点(抜ヶ谷山)通過。 | H黒枯山から朝日岳 | H黒枯山から1612高点側 | H黒枯山から風イラズ |
1560最低鞍部より登り返し。 | 1570m付近の倒木。この辺りから露岩が続く。 | 1690m付近。ここが最大急登箇所かも。 | I風イラズ山頂。 |
I綺麗な状態の三等点。 | IM大の標識は文字は全く見えず、赤い標識は辛うじて読める。木に縛られたものは、微かに文字があるのが判る程度。 | I風イラズの北側。標柱の先に道形が続く。 | 1930m付近。快適尾根。 |
三ッ合直下 | J三ッ合山頂 | JSK氏の絶縁が、唯一山名を示す。 | Jヤキソバパンが、三ッ合で撮られた最初だろう。 |
1917高点付近から見る大無間山。 | 1900m付近のガレ。 | 1870m付近から見る風イラズ。 | 風イラズ北側の幼木帯。 |
K風イラズ帰り | 1950m付近は、西側を巻く。 | 1790m付近。急峻下降。 | L黒枯山帰り。標識類は探し出せなかった。 |
L南側の幕営適地から1612高点。 | M1612高点の抜ヶ谷山の標識は、山頂の西側寄りに落ちている。 | M御料局三角点 | 1351高点帰り |
尾栗峠帰り | N1280.3高点帰り | 往路、登ってきた斜面。 | SK氏の下降点表示。 |
O西側に棚地形が見え出した辺りで西に下り始める。 | 植林帯の中。中央に白く見えているのが林道。 | P林道に降り立つ。 | P降りてきた斜面。ここもザレていて流れる。 |
高巻きの場所。巡視員と一緒に歩く。 | Q二つ目のバリケードの場所。バリケードの設置者は、この巡視員の会社らしかった。 | R林道入口に戻る。 | R分岐箇所での駐車の様子。 |
R分岐の南側にある大きな社。旅の安全を祈願し、降りたら無事の帰還の御礼を。 |
大無間山の南尾根。と言うより、風イラズの尾根と言った方が聞こえがいいか、未踏のまま残っており気にしつつ出向くチャンスを伺っていた。1月に狙うにはちと違うようにも思ったが、今年はおかしな天気で雪が少ない。少ないとは言えゼロじゃないだろう、少々の雪を楽しみつつ踏めるんじゃないかとチャレンジしてみることにした。
風イラズだけでなく、その先の三ッ合までをも考慮せねばならないのが因果な趣味。山名事典に掲載されているため、踏まないと残した場合にフラストレーションに繋がる。それをしっかりと歩き報告に仕上げたSK氏の記録は、過不足ない今回のバイブルとなる。一読し全体地図をハードコピーした。4年前の記録であり、そう現地に変化はないだろうと思うが、単独だからこその緊張感はもって挑む。
前夜20時に家を出て、韮崎から国道52号で南下してゆく。新東名が出来たので幾分アクセスが良くなり、新清水から乗って静岡SAのスマートETCを利用する。そして国道362号に伝って山道を行く。何度通ってもクネクネト長いのだが、これを嫌がっていては深南部に入れない。千頭に出て寸又峡に向かって行く。
奥泉発電所西の分岐から77号と分かれ、接岨温泉へと続く林道へ入ってゆく。落石の多い道を1.3km進むと分岐があり、ここが栗代林道の入り口だった。しかし既にここでバリケードでゲートされていた。林道内の状況が変わっているようだ。さあ余地を探すのだが、東に進んでみても安心できる場所もなし、南に戻ってみても適当な広見がなかった。しょうがないので分岐の場所に、すれ違いを考慮してエンジンを切った。経路6時間、やはり遠い。
着いてすぐに感じたが、強風で周囲の木々がうねっている。寒気が入るとは知っていたが、ここまでの風は予想しておらず、これを主尾根で食らったら体力が消耗し、今日は厳しい山旅になると思えた。翌日は別な場所での予定を立てたが、場合によってはここで二日費やす事も考慮する。風が幾分でも静まることを願いつつ、しばし仮眠とする。
通過する車両は1台も無かった。風に何度も揺り起こされながら、3:45準備を開始する。急登があるようでザイルはお守りになるだろうが、ここは同じ重さならアイゼンを持たねばならない時季、迷わずザックに放り込む。水場が無いようなので、ロングコースに水分量を悩むが、500mlの白湯(家から用意)に同量の炭酸水を持った。
風の強い中ヘッドライトでスタートする。空の星が綺麗で、そのヘッドライトの明かりを塞ぎつつ眺めながら歩いてゆく。10分ほど歩くと、再びバリケードが現れる。入り口で塞いでいるのだから、ここでの効力が不明であった。すぐ先に鉄板が敷かれた補修箇所が在った。ここがSK氏が崩落していると示した場所のようであった。奥泉発電所副水槽への下降路を左に見て進んで行く。
古い朽ちた橋には昭和参拾六年と刻まれていた。半世紀以上経過している。それを読み取ると自ずと歩調が慎重になるから現金である。この橋から5分ほどで小屋のあるカーブとなる。その昔はここまで車が入れたようだが、今日現在は2kmほどを歩いてここに至らねばならない。小屋のすぐ先から高巻きの道となり単管パイプ構造の階段を登って行く。高巻きの最上部まで4分、たかが4分だがけっこう登らされる。巻き終えて林道に戻ると、そこから5分ほど進んだ先で、ヘッドライトに銀色のボディーが反射した。気になっていたワゴン車であった。日産バネットSGL、これは中学の時の部活の顧問が乗っており、この車でよく遠征に行っていた記憶が蘇る。
ワゴン車と、次に見えてくるバスとの間隔は10分ほどで、今でも日帰り入浴ができ、メモ紙にプロットしてきた屋号が横に書いてあった。そろそろSK氏が降りてきた場所であり、気にしつつ山手側に明かりを向けていた。先に進むと、その山手側が取り付けない場所が続き、ちょうどカーブの場所まで戻って、そこから入っている道形に取りついた。最初は北北東に進むような道形があったが、すぐに有耶無耶になり判らなくなった。それでも、植林帯の中なので杣道らしき筋が幾重にもある。時に伝い、時に無視しつつ高度を上げてゆく。
植林帯に対しての保護なのだろう、取付いて3分ほどでフェンスが現れた。林道付近には無かったので、中腹の決めたエリアを囲んでいるように予想できた。しかし、かなり草臥れており、倒木で壊れたり、扉が開いたままになっていたりする場所が見られる。しっかり機能している場所は、それはそれで反対側へ行けずに困るのだが、開く場所にはビニール紐が縛られているので、よく見ると判る。近くに行かないと開く場所が判らないので、ここではビニールのマーキングの目的を理解しているといい。上部で右(南)に置いていたフェンスが、進路を覆うように左(北)に巻きだす。進む先からフェンスの反対側に出られる場所が無く、少し戻ってマーキングの場所から南に出た。
フェンスが無くなり、上に向かうとかなり急峻になった。今日は張り替えたばかりのビブラムソールだからいいが、グリップ力の弱い靴だったら、難儀しそうな斜面であった。なるべく緩やかな斜面を選ぶも、それでも急な場所を進んでいるようで、早く尾根に飛び出す事を期待して我慢の登りが続いていた。
斜面が無くなり尾根の上に飛び出すと、今までが嘘のようなハッキリとした道形が走っていた。道幅は狭いものの一人が進むには十分な道幅を伝って行ける。アセビが邪魔をする場所もあるが、尾根筋がしっかり通っているので不安を思う場所は無かった。道を覆っているのは、そのまま利用者が少ない事の表れでもあった。
1280.3三角点峰に着く。三等点とその脇に判読不能な木片が転がっていた。何か名前がふられているのであろうけど、全く読み取れなかった。ここから緩やかに下り込むと、尾栗峠となり赤い絶縁が巻かれSK氏の案内書きがされていた。テープ幅に対し2/3ほど切れている場所があり、あと数年で切れてしまうだろう。この付近も歩き易く、北に進み1320mピークに乗り上げる。ここはSK氏が帰路間違えた場所のようであるが、たしかに降りてきた踏み跡が南東尾根側に濃く進んでいる。引き込まれるのも判らないでもない。
1351高点南で尾根がこれまでになく痩せてくる。そして1351高点にあがると、向かう先に見上げる位置に高みが見えてくる。既に約3時間経過しているが、ここは全行程の半分、起伏具合もこれからが本番、そしてこの先の雪の具合もあり最終到達地点までは7時間を予想する。ちょうどこのピークで背中側から来光が上った。いつしか風を気にしなくなったが、気にならないほどに風は無くなっていた。
西側の展望のいいガレの縁を通過してゆく。宙ぶらりんとなった動く木の根を乗り越え進む場所は微妙にドキドキとする。1450m付近で勾配が強くなり這い上がってゆく。北に見えるのが手前の1612高点。まだ目標の1座も踏んでおらず、最初の一座を早くに踏みたく思っていた。その先が1621高点の黒枯山、ここまで進んできてもなお見えていないのかと思うともどかしかった。
1612高点到着。抜ヶ谷山と書かれた板があるはずだが見えてこなかった。帰りに探すことにして先を急ぐ、その代りでもないが、北側に斜めになった境界標柱が目立っていた。緩やかに一度下り、次のピークが黒枯山だが、残念ながらよく探しても山名板など人工物は無かった。そんなものは探すなとばかりに、西側が開けており180度の展望があり、北に風イラズ、西に朝日岳、南に先ほどの抜ヶ谷山が各々綺麗な姿で見えていた。
黒枯山から60m標高を落として1560mの鞍部、ここから風イラズまで430mの標高差、距離1kmほどであるから、暗算しやすく平均として43パーセントの勾配となる。見える範囲には雪が無い。登って行くと、1570m付近に大ぶりな倒木が尾根を塞いでいる。この場所を初めに、続く尾根上に露岩が続く。岩を踏み越えつつ進み、1690m付近では見上げるような斜面となるか、それでも手がかり足がかりになる場所が多く、なんとなく伝って行ける。
気を付ける場所は1950m付近の、尾根の西側を通過する場所。細いバンドで巻き上げるので的確に見出したい。ここを素直に尾根頂部で進むと危険度が増す。ここに雪が乗って凍っていれば、アイゼンは必須の場所となる。ここを抜けると幾分勾配が緩くなり危なげなく進んで行ける。
風イラズ到着。立木に縛られた標識の文字は、辛うじて見えるくらいで1mも離れたら何も書いていないように見えるほどに朽ちてきていた。その立木の下にM大の標識と、赤色が禿たもう一枚の標識が転がっていた。綺麗な状態の三等点であったが、その脇に砕石状の石があるので、割られているのかと思えてしまった。時計は10時を回った時間。ここまでで6時間。時計を気にしつつ三ッ合まで1時間内で行くこととする。残り1.5kmほどだった。
風イラズから北は、道形が見失いがちだが、地面に境界標柱が出ているのでその延長線上に細く続いている。わずかな距離でシラビソの幼木を分けて進む。その先は快適な尾根道で、東から日差しが入り心地よい尾根歩きとなっていた。途中の1900m峰が山頂かと思ってしまうが、さらに先に高みが見え僅かに下り最後の登りとなる。この付近から雪が付きだし、気温もマイナス3℃ほどであったので、カチカチに凍っており、足を置く場所には注意が必要であった。最後は小谷の中を行くような感じで進み、鬱蒼とした山頂部に到達する。
三ッ合ではSK氏の赤い絶縁が待っていた。やっと到着。滑り込みだが風イラズから1時間切るくらいで到着し、スタートからはちょうど7時間であった。絶縁テープを縛った木の前に、腰掛けるのにちょうどいい倒木があり、腰を下ろし緩く縛っていた登山靴を下山用に気持ち強めに足を拘束する。白湯を飲みつつヤキソバパンを齧る。いつもは朝飯時が多いが、今日は昼飯時での登場となった。到着時にすぐさま防寒具を着込んだが、汗した身体は冷たさを増してゆく。冬季はなるべく静止している時間を避けたい。10分ほど滞在したか、往路を戻ってゆく。
この山塊、地形図では1917高点として変な場所で標高点を取っているが、この場所からは大無間山が雰囲気よく見えるのだった。1900mのガレ場は、往路は東を巻いたが、復路はガレの縁を伝って行く。いい感じに高度感があり、場所により雪が乗っておりドキドキする。北側から見る風イラズだが、あまり見栄えがしない。見上げる南側の雰囲気とは大違いであった。
風イラズに戻る。復路も三ッ合間は同じほどのコースタイムであった。4分ほど休憩をして急峻へと降りてゆく。ポイントは1950mの所で、あとは特に気にする場所は無いと感じていた。注意しながら進み、西に振って巻き降りてゆく。木々に掴まりながらの通過が多く、持っていたストックが邪魔に感じる時間帯でもあった。
黒枯山に戻る。南北に細長い山頂部をよくよく探したが、やはりリボン以外の人工物は無かった。ここは南側に平坦地があり、何ともここが心地いい。幕営するなら、この尾根での最適地となろう。抜ヶ谷山を見ながら降りてゆく。50mほど下って、同じほどを登り上げる。1612高点の抜ヶ谷山は、往路は東寄りを通ったが、反対の西側を通過すると、御料局の点が埋まり、その脇に抜ヶ谷山と赤字で書かれた標識が落ちていた。見落とさないで良かった。こうなると、黒枯山ももう少し探せばよかったかと思ってしまう。
1580m峰を越えて下ってゆく。ガレを過ぎ安心したわけではないが、浮石に足を取られ、バランスを崩し西側の谷へ3mほど滑落する。まず疲労からの反射神経の悪さなのだが、ちょっと予期しない事故で、右膝を強打してしまった。左ひざも捻り庇い合えない状況になり、痛みが治まることを期待してゆっくりと足を進めてゆく。老化かと思うが、それを思うと一気に下り坂を転んでいきそうなので、なるべくそう思わない事にする。
1351高点を通過し、向かう先に1320m峰がある。南東に引き込まれる場所であるのだが、少し北側から南西に斜行する踏み跡に入り、頂部を通過しない道形もできていた。過不足ないちょうどいいルート取りで尾根を続け、尾栗峠に到着する。ここは標識があるから峠と思うが、無ければ現地地形からは峠に思わないかもしれない。ゆるやかな斜面を登って行く。
1280.3三角点峰に戻る。そろそろ下降点の場所を決めねばならない。1178高点南の鞍部から林道の878高点を繋げられればスマートに思ったが、その878高点東にはゲジゲジマークが入っていて、コース取りとしてよろしくない。となるとSK氏のコース取りがいいのかと思うが、ピンポイントでそこが判るはずもなし、やや行き当たりばったりな感じで、現地を見つつ決めることにした。
南に下って進み、1178高点を過ぎると、登って来ただろう斜面が西側に見える。見下ろすと、あの急峻がここで、南を巻いて上がってとトレースすることが出来た。右に見つつ通過してゆくと、途中に「SK→」と書かれた赤い絶縁が残っていた。“ここか下降点は・・・”と思ったのだが、同じところを降りても芸がないので、さらに高度を下げるように南に尾根を進んで行く。現地は最低鞍部はまだ先のようで、何かこの辺りは地形図に示されるのと違っているように感じた。そしてSK氏のテープの場所から3分ほど進んだあたりで、もういいかと尾根を離れて西側に降りだす。最初は良かったが途中から急峻になり、ザレた斜面になり足元が流れやすくなってしまった。危険度が高まり、やや戻るように北西側にルートをとる。その方が針葉樹の中に入れるからで、この一帯は広葉樹の下が往々にザレていた。
大分斜行して針葉樹林の中に入る。ザレ斜面から腐葉土の地面になると、そのフカフカさが心地いい。踵を入れながら直下行してゆく。下に林道が見え、もう僅かと思って進んでいたら、事もあろうに、こんな場所に鈴の音が聞こえてきて、四名の作業員らしき方々がちょうど降り立つ辺りを通過してゆく所となった。高い場所からのあいさつでは非礼とは思ったが、とりあえずの挨拶を交わす。林道に降り立つ。
作業員らしき4名と一緒に林道を戻ってゆく。一行は栗代林道奥の施設の点検をしてきた帰りとの事。普通に「どこに行ってきたのですか?」と聞かれ「大無間の少し手前までです」と答えたが、全く判らないようであった。なので「地元の方ですか?」と聞いてしまったのだが、「地元です」と返ってきた。林道入り口に他県ナンバーが置いてあること自体で怪しんでいる風で、私のザックのメーカーや大きさまで聞いてきた。人を埋めに来ていると思ったらしい。寸又峡温泉の籠城事件などもあるから、場所柄そんな視点になってしまうのかもしれない。
バス、そしてワゴン車を右に見たら、高巻きの道を上がってゆく。こちらはヘロヘロだが、作業員らは達者で一気に駆け上がってゆく。再び林道に戻り、また談笑しながら行く。地元でありながら、四季の里2階の『pincer'ble 山の小さな喫茶店』に行ったことがないと言われていた。本当に身近な色々を知らないようだ。「ぜひ昼食に利用するように」と促しておいた。
二つ目のバリケードの場所に3台の車が停まっていた。どうやらこの一行の車らしいが、4名で3台とは不合理であり不思議にも見えた。ここで一行と分かれ林道入り口までは再び単独行となった。途中で追い越されると思ったが、ちょうど分岐点に帰着した時に後ろからやってきた。車の腹には、中部電力の子会社の名前が入っていた。同じロゴがバリケードにも入っている。このバリケードは、電力会社が設置したものであった。こうやって巡視が実施されているとなると、やはりバリケードを退かして入ってはまずいよう。適当な駐車場所がないことからも・・・。
明るくなりよく見ると、分岐の南側に祠と言うよりか社があった。かなり大きく厳かな感じが強い。転倒はあったが、無事の帰還を山の神に感謝する。疲れるほどに遊ばせていただいた。そう心に思って頭を下げると、”またおいで”と聞こえてくるような気がするのだった。
振り返る。ゲートが手前になってしまったので、より日帰りでのハードルがあがってしまった感じ。三ッ合を狙う人は少数だろうが、風イラズまでとしても、以前よりアルバイトせねばならなくなっている。あとは崩落とのいたちごっこもあるだろう。治せる場所は治しているが、復旧を見放した場所もある。新たに今以上に崩落箇所が増えれば厄介な山になる。そこを思うと、今の状態を幸いに思い、不都合が増える前にと、早くに入ってしまうのがいいのだろうと思う。