三多古山 1297.9m
2016.10.1(土)
雨のちくもり、15:30より再び雨 単独 祓川側ゲートより往復 行動時間:8H47M
@ゲート6:35→(11M)→A外ノ川6:46→(31M)→B1240高点7:17→(35M)→C6km標柱7:52→(31M)→D足尾沢8:23→(33M)→E南平南分岐8:56→(17M)→F南平北側分岐9:13→(18M)→G林道終点鉄塔9:31〜33→(1M)→H取付き9:34→(71M)→I三多古山10:45〜50→(47M)→J中間峰(1240m)11:37→(32M)→K林道に戻る12:09 →(16M)→L南平北分岐帰り12:25→(20M)→M南平南分岐帰り12:45→(53M)→N1210m林道近接鉄塔13:38→(91M)→O外ノ川帰り15:09→(13M)→Pゲートに戻る15:22
@祓川側のゲート。ゲート手前に2台分のスペースあり | 谷側から上がってきている山道 | ブナの試験地 | 概ね林道はこのような状態で深い轍の場所は少ない。 |
A外ノ川 | A外ノ川橋は上流側の欄干がない。 | 巡視路が上がってきていた場所。 | B1240高点の場所には枝林道が2箇所分岐している。 |
送電線鉄塔が林立。 | 1241高点 | C6km標柱 | 途中から望む三多古山 |
6.4km標柱。距離標柱はこの2本のみ。 | 崩落地は、普通車が通るにはかなり狭い印象を持つ。 | 穴が開き抜け落ちている場所 | 林道に鉄塔が近接する1210mの場所。三多古山を望む展望台。 |
D足尾沢の橋は欄干がない。 | 足尾沢の左岸側で通行止めのテープが横切る。 | 左岸側の林道はこのような状態になっている。 | 崩落地手前の通行止めテープ。 |
崩落地の様子。林道が9mほど抜けている。 | E南平の南、小松原よりの林道分岐。 | 南平の直線道。 | F南平北側分岐。廃ゲートあり。 |
途中から見る三多古山 | G林道終点ピークの鉄塔。 | H1231高点南西の取付き点 | 1231高点南の藪の様子。このあたりはまだ薄い。 |
1230m付近。だんだんと進度が落ちるほどに・・・。 | 途中のブナの古木にブナハリタケがビッチリと生えていた。 | 東側の1230m付近。泥濘地はかなり深く膝くらいまで入ってしまう。 | こちらはナメコのよう。 |
中間峰より東側で笹とツタ類が増えてくる。写真のこれは細いが、小指ほどの太さの場所も多い。 | 1270m付近。もうすぐ。 | I三多古山。広い山頂部で、これといった高みがない感じ。 | I笹薮の中に三角点を見つける。 |
I三等点 | I三等点の南側1mほどの場所に絶縁テープを残す。 | J1240m峰(中間峰)に戻る。 | 崖マーク上の痩せ尾根の場所から見下ろす北側の様子。 |
K林道に戻る | Kスパッツを片方取られてしまった。 | K出てきた場所 | L南平北側分岐帰り |
北信トレイルの県境稜線だろう | M南平南の分岐帰り。 | 崩落地帰り | 途中から雁ヶ峰? |
足尾沢の北側の沢は導水管が詰まり水が林道に上がってきている。 | 足尾沢帰り | N1210m林道近接鉄塔の肩の場所から望む三多古山。 | 1240高点帰り |
O外ノ川帰り | ブナの試験林の入口 | Pゲートに戻る | Pゲート脇の注意書き |
苗場山北東の三多古山は、なんともいやらしい場所に鎮座する。よって登る人は少なくWEB上ではSK氏の記録が唯一。しかしその記録もカメラを紛失したためにいつもの完成形ではない状態となっている。必要最低限だが文面と地図より情報を得る。この氏の残雪期の記録なのだが、狙う時期もコースも100点と思える。自分でも何も情報が無かったら、同じコース取りだったろうと思う。しかし、そのコースを既にSK氏が公開しているわけであり、同じではつまらない。となると、南の祓川方面からか、東の清津峡からか、西の津南側からとなるが、ここでは日帰りでの予定にして東西の選択肢はなく、残るは南からの林道を伝うルートになる。
北ルートとして七ツ釜キャンプ場のゲートからだと平面距離は10kmほどで到達できるよう。南の秡川のゲートからは14.5kmと読める。往復にすると9kmの差が出てしまうが、ここは関東側からのアプローチを考えると、津南町側まで回り込むより三俣地区から入山する方が楽なのは言うまでもない。あとは、林道の通行条件を考えると無積雪期しか南側から狙えない。冬季は大島の集落から21kmの片道距離となる。スキーを履けばと思うが、ここまで気概のある人は少ないだろう。私も気概のないその一人であり、南からだと無積雪期に限る。残雪を期待して6月中旬以降の苗場山の山開きを気にして入ってもいいだろうが、狙う標高からはその頃では残雪は期待できないであろう。SK氏が入山し記録してからは、いろんな条件を考え天秤にかけ、この時期に入ってみることにした。少々は紅葉も期待して。
1:00雨の上州を出立する。経路のセブンに2店立ち寄るもヤキソバパンが入手できずに諦める。“今日は簡単には踏めないか”とこれまでの入手できない時の経験から思うのだった。猿ヶ京を経て三国峠へと登ってゆく。依然雨は降り止まない。電光掲示板では外気温は12℃まで下がっていた。苗場スキー場の所まで降りて、何を思ったか赤湯の林道に入ってしまった。スキー場の敷地のはずれで仮眠し、少し白み始めて奥に詰めて行く。そして途中で間違いに気づく。記憶が味噌も糞も一緒になっているのだった。急いで火打峠を越えて三俣側に降りて大島地区から林道を上がってゆく。2015年4月、高石山と雁ヶ峰を冬季に計画したときの歩いた場所であり、伝いながらその場所で何をした、何を見たなどと反芻できるようであった。
苗場山の登山口手前2.5kmほどの場所から、林道が北に分岐している。分岐箇所には苗場山登山者に対する矢印表示がされ間違わないようになっていた。舗装林道を入ってゆくと200mほど進んだ先でゲートされていた。舗装状態も良くその先も進みたい心境になるが、しっかりとゲートのパイプに閂のバーが突っ込まれていた。その脇に注意書きもあり、林道は車両も歩行者も許可が必要と書いてあった。車両はともかく歩行者までも・・・と思うのだが、これは上野村の林道でも体験している。電力関係の林道の場合に在り得ることで、地形図を見れば判るが、送電線鉄塔が林道沿いに林立している。電力の大動脈の場所であり、事件や事故防止のためにこのようにしていると判断できる。
雨具を履き、雨具を着込みゲートを越えて行く。ゲート脇は人しか通れず、自転車は持ち上げるかゲート下を通すしか選択はない。歩き出して4分ほどで谷側から明瞭な道形が上がってきていた。さらに3分ほど進むと、ブナの試験林の看板が大きく掲示してある場所となる。舗装路は状態がいいと思ったが、場所によっては滑る場所があった。歩行だからいいが自転車は注意した方がいいだろう。この日は雨だからかもしれない。野イチゴの種族だろうか、可憐な白い花が雨に打たれている。
外ノ川に架かる橋は、上流側の欄干はなくなっていた。やや急峻地形であり雪崩れた雪がここまで押し寄せるのだろうと思えた。設置年を見ると私の生まれた年に近い。自分が橋と似たような草臥れようなので苦笑いしてしまう。ガスの垂れこめた中を淡々と歩いてゆく。いつものように五感をフル活用している中で、不思議とこの林道沿いでの獣の気配がない。声や匂いからなのだが、その反面、安全なのかヤマドリを多く見る場所ではあった。
またまた巡視路が谷側から上がってきている場所があり、その先僅かで送電線鉄塔が立っていた。間違いなく地形図の「庄八ノ沢」と書かれている北西側の描画位置に居るのが判る。この先の1240高点の場所では、破線路のほかに北東側に描かれていない道も存在していた。それら2本の枝道を右に見送りながら先を急ぐ。霧雨程度だったのが、小雨な状態にもなってきていた。火照った体に気持ちいい霧雨だったが、量が増え冷たく感じるようになる。
高石沢を渡る。右俣と左俣がからの水流が合わさり、大きな流れの場所と想像したが、実際は雨の中にしてもか細い流れの沢であり、橋ではなく導水管で林道の下を通過させていた。ここのヘヤピンカーブを過ぎると、鉄塔が林立し自然の中ではないような景色となる。異様な風景とはこのことで、大きな鉄塔が霧の中にニョキニョキと浮かび上がっていた。立ち止まって数えると10本ほどカウントできた。これだけあるのだから、ゲートの注意書きも理解できる。以前、福井だっかで鉄塔のボルトを緩める事件もあった。高石沢の北側の沢も流れの弱い沢であった。
ゲートから出発して80分くらい経過した場所に、「6km」と書かれた標柱が立っていた。経過時間からして標柱の数字は北側のゲートではなく、スタート地点の南側のゲートからの距離と想像できる。この付近からは進路右手に目指す三多古山だろう前方後円墳のような山塊が見えている。そして先ほどの標柱から4分ほど進むと、「6.4km」の標柱が出てきた。間違いない。がしかし標柱は歩行した範囲内ではこの2本しか立っていなかった。ここでは残っていなかったと書いた方がいいのかもしれない。
6.4kmのわずか先で、谷側が大きく崩落している場所となる。これがために現在のこの林道は軽トラくらいしか通過できないだろうと思えた。その先でも護岸工事がされている内側の土盛りが4mくらい下側まで覗けるように抜け落ちていた。そして林道の右側に大きな鉄塔が近接する場所となる。1210mの三多古山の展望台的場所であった。ここから先は林道はやや荒れ野草も茂りだす。車両を入れられる、入れている場所は鉄塔の場所までだろうと判断できた。急に林道状態が変わったので、伝ってゆけるのかとドキドキするほどでもあった。
足尾沢を跨ぐ。ここは両側の欄干が無くなっていた。沢の右岸側から左岸側の林道へと進み、林道が北に向かいだした先で、一番の大崩落地が現れる。残された道幅は700mmほど。さして危険度はないが、大きく崩れている。当初の予定では、この場所から北に谷へと下り三多古山への尾根へと突き上げようと思っていたが、ここで既に10kmほど歩いてきたか、トライするような余力はなく淡々とした林道歩きに足が棒のようになっていた。山中に入った方が疲れないのはなぜだろうか・・・。
ゲートから2時間15分、やっと林道の分岐が現れる。南側の場所に朽ちた黄色いリボンが下がり、その西側にピンクのリボンが見えた。北に入ってゆく。南平という地形に入ってゆく道はとても気持ちいい道で、この時間帯では北信トレイルの稜線が見えるほどであった。今ほどの分岐から17分ほどで三多古山へ進む実線路の分岐となる。ゲートがバーの無い状態で残っていた。こんな場所に必要ないと言う事だろう。北に進んできたのを南に戻るような道なのだが、ここに限らず今回の林道ではこんなことが多く、直線的に歩けたらこれほどには疲労はないだろうと思えた。
1231高点の西側で、ここで取付こうと思ったが、どこも密藪で気持ちがノッテこない。とりあえずここまで来たのなら林道終点を見ておこうと進んでゆく。その終点地は南を巻くようなコンクリート舗装路で鉄塔下に導いていた。ここまでで約3時間、ワンピッチで歩いたのだが結構に疲れた。ここから谷を挟んで向こう側の尾根に乗るルート取りも出来そうであったが、鉄塔のあるピークの北側は密藪でササが進路を阻んでいた。ここからより1231高点側の方が薄い藪に思えた。戻ってゆく。
1231高点の南西のがけ記号の切れたあたりから取りつく。濡れて重くなった灌木帯を分けて進む。ここは思ったほど負荷は無かった。1210mの高みを経て続く尾根に乗った形となった。広葉樹が多く、もう少し葉の落ちた時期ならかなり違う負荷だろうとも思えた。ましてや雨で纏わりつく状態。なかなか進度はあがらず足より多く腕が動いていた。
1240mの中間峰までがかなり長く、そこに乗り上げ、その先の高みが見えた時に“まだこんな場所なのか”と思えた。ここを過ぎ途中から北側に出て崖地形の上側を伝ってみる。痩せ尾根の場所には獣だろう踏み跡がしっかりと残っていた。登り勾配の途中、ブナの大木が折れた状態で立ち、そこにブナハリタケがびっちりと生えていた。採りたかったが、それより登頂と先を急ぐ。帰りに採ろうと思ったのだが・・・。この立ち木の場所からは尾根を少し南寄りに伝う。その途中に泥濘地があり、膝までめり込むほどに緩く、踏み抜いた時には抜けないのではとドキッとした。泥濘地の先にはナメコの生える朽ちたブナの木も見られた。
1250m付近から、このあたりから笹薮の状態がワンランク上がり、蔦類も見えてきてそれらを避けながらのルート取りとなる。逃げようがなく踏み潰さないと越えられないような場所が続く。判っていればククリか鎌を持ったのだが、こんなこととは知らないのだからしょうがない。雪解け時期ではないのでドロドロにはならないが濡れネズミもいいところでビショビショになりながら笹と蔦と格闘するのだった。途中で気づいているのだが、残雪期に入るべき場所である。よほどの藪好き以外は・・・(笑)。
三多古山登頂。と言っても何処が山頂なのかよく判らない。西側に根の蔓延る高みがあるので乗り上げ周囲を見ると、まだ東側の方が高いようで寄せて行く。こんな中ではどうすれば三角点が探し出せるのか、どうに探そうかと考えている中、ふと地面を見ると三角点の方から姿を現してくれた。こんなこともあるのか、ここほどの藪の場所で探すことなく見つかった。まちがいなくたまたまだろう。実際問題、これを無積雪期に山頂で探すのは大変だろうと思う。少し窪んだ場所にあるのだった。よほどの好事家しか訪れないだろうと、三角点の南側の立ち木に黄色い絶縁テープを巻いておいた。そんなことをしながら樹木のはるか高いところを見てSK氏の絶縁がないかを探す。かなり見上げたが対象となる立木が多すぎて全部を見きれなく諦める。林道を離れ1時間11分。これが距離900mの格闘に要した時間であった。残雪期の約倍である。
戻りも同じ時間かかるものと覚悟を決める。それから登頂終え次に気になるブナハリタケの場所は、復路ではその場所が判らなくなってしまった。往路にいただいておけばと思うのは後の祭りとも言う。ここは往路の東進より復路の西進の方が進みづらい。地形が判りづらいのだった。下り勾配が大半である中でも、それがために中間峰まででも50分ほど掛かっていた。視界の悪さ、笹と蔦の旺盛な植生・・・。復路は1231高点を踏んで戻ろうとも思っていたが、歩きやすい薄い植生の場所を選んで進むと、往路同等のライン取りとなって林道に飛び出した。過去に藪にスパッツを取られたことは1回のみだったが、ここの藪でもまた取られてしまった。当然探しに戻る気力はない。おそらく三多古山の西面の場所で取られただろうと予測する。
藪区間は復路の方が時間がかかってしまっていた。あとは林道を戻るだけ。雨は上がったので上着のみザックに仕舞う。戻るまでに乾いてくれるか、長袖の腕首を絞ると、雑巾を絞った時のようであった。これは雨を着ているかのようだった。歩きながら絞りながら進んでゆく。分岐の場所から田代側を眺めてから、背を向けて南に進んでゆく。やはりここはヤマドリが多い。一羽飛び立つと次々と飛び立つ姿が見られた。発砲はできない場所であろうから、そんなことも多い原因か。
小松原からの林道分岐に着き、それを西に見送りながら東へと進んでゆく。とここで、2台分の新しい自転車の轍が見られた。タイヤパターンと障害物周辺の轍のへこみ様を観察すると、南側から入って北に抜けているよう。1台はやや太いラジアルタイヤ風、1台は細い長距離ツーリングタイプのパターンだった。よくもあのツルツル路面を、よくもあのダートをと思うのだった。分岐から15分ほどで崩落地の場所。現在の崩落の様子なら自転車なら通過できる。バイクの場合はトライアルバイクでないと、ちょっと通過しづらいだろうと思う。もっとも、ゲート下を潜らせる時点でバイクは大変かもしれない。
進む先に雁ヶ峰だろうこんもりとして明るい山塊が見える。この時季は萌黄色になっていた。足尾沢の北側の沢は、導水管が詰まり林道上にその水が上がってきていた。ちょっと通過するのに気を使う。本流の方は、この林道を横切る沢では一番見栄えのする流れではあった。釣りが出来そうというか・・・。
1210mの鉄塔の場所で三多古山を望む。尾根筋の傾斜が全て見え苦労して通過した場所が山容からなぞることが出来た。リンゴを齧りながら林道を戻ってゆく。見える場所では何度も三多古山を見返す。往路ではよく同定できていなかったが、登頂し、その場所を見ながら歩いてくると、かなりの地点のその場所が見え、往路にこのように見えていた場所が三多古山だったのかと気づかされる。
時折見える自転車のタイヤの轍を見ながら、御仁らの脚力やマシンの想像などをしたりした。各分岐点では、地形図と照らし合わせ、見える巡視路とどのように繋がっているのかも把握したりする。高石沢を跨ぎ、1240高点を過ぎ、外ノ川を渡る。やはり外ノ川より足尾沢の方が見栄えする。時計を見ると15時を過ぎていた。もう僅かの距離だが、もう少し早出をした方が余裕を持てたかもしれない。赤湯の林道に入らなければ、もう少し早くに出立できたのだが・・・。
ブナの看板の場所を右に見る。掲示内容をよく見ると、5×10パターンで試行している実験林があるようであった。1968年、昭和43年からとあるので、外ノ川橋と同学年の施工地であるようだった。舗装路の下り勾配では、スリップに注意しながら、ここを自転車はどのように登ったのか、タイヤ痕を探すように降りて行く。向かう先に黄色いゲートが見えてきた。29Kmほど歩いたか、股関節が痛い(笑)。
振り返る。長い林道は自転車慣れしている人以外は、持ち込むと負担になるだろう場所に思えた。相応にアップダウンがあり、舗装路の坂はけっこう滑り乗って通過するにも経験と慣れが必要で、日頃乗り慣れない人はコケてしまうだろうと思えた。さて肝心の藪区間であるが、残雪期のSK氏が往路30分ほど、復路20分ほどの通過記録となっている。どれほどの負荷の違いがあるかが一目瞭然と言えるだろう。雪が残っているタイミングで、田代側から入山するのが、スタンダードな登り方となろう。私も次があるなら、そうする(笑)。それにしても、嫌な場所に存在する。今後もずっとマニア向けの山で存在するのだろう。