中ノ沢ノ頭    622.7m         高畑山   695m     子の権現   640m   


                                            
  
                                        

   2016.11.26(土)


  晴れ    単独     天目指峠より西に東にピストン    行動時間:2H56M


@天目指峠6:16→(25M)→A中ノ沢ノ頭6:41〜42→(19M)→B高畑山7:01〜06→(31M)→C天目指峠再び7:37→(47M)→D子の権現8:24〜37→(35M)→E天目指峠に戻る9:12


   
@天目指峠から 快適な尾根道が続く 最初のピーク 中ノ沢ノ頭東の巻き道分岐
       
分岐道標 A中ノ沢ノ頭 A標識の朝焼け A三等点
     
鉄塔下通過。防火帯があり展望がいい。 鉄塔の場所から武甲国境側 B高畑山 B日陰にあり苔むしてきた標識
       
Bナローノ高畑山と言うらしい。 B高畑山から伊豆ヶ岳 鉄塔帰り 天目指峠の龍神様
       
C天目指峠再び 祠ピーク 子の権現の敷地内には入らず南側を通過してゆく。 金の草鞋
     
D子の権現最高所。鐘撞堂。 D釈迦堂 D東側の展望。スカイツリーが見えるらしい。 D奥社の場所から西の境内側。
     
D札所の、大屋根の下 Dベンチで小休止 Dベンチの場所から見える「手」。 Dヤキソバパン
     
子の権現の西、封鎖された道に入ってみる。 この場所で道は終了。ポンプ小屋か? E天目指峠に戻る E峠の記念碑




 左半身(特に左腕)の激痛に耐えられず、前週は山を休んでしまった。腰痛でも骨折でも休まなかったこれまで、我慢強い私にしても耐え難い痛みだったのだ。そして再び週末を迎える。症状に大きく改善はないが、ここで停滞してしまうとフラストレーション過多になってしまう。痛いけど、辛いけど歩こうとの判断になる。歩く事で、血流が良くなることで改善したり悪い部分が見えてきたりするであろうとも思っていた。

 行先は奥武蔵の高畑山と子の権現(ねのごんげん)とした。状況により西側の高畑山のみ。西側を歩いて調子が悪くなければ東側の子の権現まで足を延ばす2段構えの計画とした。24日の降雪もあり、体調を鑑みてもちょうどいい標高に思えた。

 1:30出発し、秩父を経て現地に向かうのだが、戻ろうかろ思うぐらいに左半身が病む。先行きが危ぶまれるが、こんな時に戻ったためしがない(笑)。正丸トンネルを潜って畑井地区から299号を離れ名栗側へと分岐してゆく。村落内には猪が出ており平然と食事をしている家族が見られた。見ている分には可愛いが、畑を荒らされているお宅ではたまったもんではないだろう。雪が残り、気温の低下が気になったが、路面が凍るほどにはなっておらず車で登って行けた。

 天目指峠に到着。名栗側では携帯が繋がらず、北側にわずか峠を跨ぐと繋がるような場所であった。東屋のある駐車余地で夜が明けるのを待つ。経路2時間ほどの場所なので、もう少しゆっくり出てきてもよかったようだ。峠は時折ヘッドライトが通過して行った。

 明るくなり、6:16に峠をスタートする。本来の峠は少し西側にあるようで、そこの峠状になった東西には祠があり、西の物は龍神様のようであった。快適な一級の道が続き、まず最初の顕著なピークに乗り上げる。左腕がいつものように冷たい。終始擦るようにして歩いてゆく。以前はここまで気にしなかったのだが、病んでからは気にするようになってしまっていた。

 中ノ沢ノ頭は、手前分岐から直登ルートを選んで登ってゆく。山頂には似つかわしくない大きな標識があがっている。山頂の広さに対し、ちょっと大きすぎる感じで圧迫感がある。三等点が埋まり、まず1座登頂。西に降りてゆき、山腹の道と合流し、やや強い勾配の道を西に進む。

 途中開けた場所が出てきて山頂なのかと思ったら、送電線鉄塔の立つ場所で、防火帯となっており明るい場所が作られていた。展望のいい場所で、武甲国境がくっきりと見えていた。くっきりと言うのは24日の降雪の影響も大きい。この場所でも残るところには40ミリほど積もっていた。こんな場所でも雪があると心地よく感じてしまう・・・。再び樹林の中へ。

 高畑山にはあっけなく到着してしまった。経路にも多かったが、この場所にもパウチされた標識類が無数に見える。好意とは判るものの、一つ間違えるとすべてゴミなわけで、かなり過多の印象を受ける。行政の標識には「ナローノ高畑山」ともある。そのナローノとは楢生とも書いてあるリボンもあり、各設置者から学ばせてもらう部分もあった。すぐ近くに伊豆ヶ岳が見えている。いやそう思っているだけで見えているのは古御岳だろう。以西は全て踏んでいるので西進はここまでで往路を戻ってゆく。

 天気のいい日であり、誰かに出会うかと思ったが、会わないまま天目指峠に戻り、そのまま峠を通過し東側へと向かってゆく。痛みが持続しているが、歩いている(動いている)方が気がまぎれ楽なのだった。東側への道も一級路で快適。道標も多くよく管理されている。

 祠のあるピークが子の権現の最高所と思ってしまった。じつは、事典で子の権現の座標を調べてきておらず、どこが山頂なのか判っていなかった。言うなれば適当にこちらに歩いてきたのだった。祠の場所で少し満足した中で、ここまで来たのなら子の権現のある場所を参詣していこうと思い降りてゆく。途中に林道幅の山道が登ってきており、そこに合流すると、すぐ先が子の権現だった。

 子の権現は敷地の南側を通過するように道があり、伝ってゆくと札所の前に出る。そこに一人のハイカーが休憩していた。雪の上に残っていたトレースは御仁のモノであったよう。挨拶を交わしてから奥社の方へと登ってゆく。大きな金の草鞋と、その横の下駄を見てから、雪の上につけられたトレースを辿って登る。

 奥社の場所には鐘撞堂と釈迦堂があり、東側はスカイツリーの展望場となっていた。ここにもパウチされたものが見られる。一帯にはすごい数が付けられている模様だった。奥社の場所を降り札所前に戻るとハイカーが出立してゆく後ろ姿があった。札所の建物をまじまじ見ると、立派なかやぶきの大屋根があり、見栄えのする古風な、そして現在進行形で使われている建物であった。

 西側に戻りベンチの場所でヤキソバパンを齧る。往路は気づかなかったが、そこから見下ろすと、山腹に大きな手のオブジェが見えた。大きな草履や下駄に、今度は大きな手。なんとなく意味するところは読めるが、自然の中に白い手が出ているのはドキッとするのだった。林道の下降点の場所から西側に、林道幅を塞ぐような木塀が作られている。この時、天目指峠からの林道幅の道がここまで続いてきているのだろうと予想してしまった。これを伝えば林道歩きで峠まで戻れると・・・。

 伝って行ってみるが、行きついた先はポンプ小屋らしき場所で、そこで道形は終わっていた。戻るのも面倒なので、そのまま鹿道を伝いながら稜線目指して上がってゆく。途中には、昔の伐採時のものだろうワイヤーなどが残り、道を外れたことで林業作業の形跡を見ることもできた。酷い藪漕ぎなく登山道に戻る。それにはシカの食害もあるだろう、付近では群れが見られた。そして谷間では発砲音も聞こえている。猟期。

 天目指峠に戻り、早々にこの日の山旅を終える。車に乗り込むと、途端に左腕が病む。私の場合は動いていないと平穏で居られないのかもしれない。

 家に戻り、子の権現(山としての)の座標を確認する。奥社の場所でよかったようだ。東進してよかった。




  

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