城山 870.4m 大洞山 1093m
2016.2.20(土)
くもり 単独 城山より入山し、大洞山経由北尾根を伝っての周回 行動時間:3H10M
@登山口6:31→(11M)→A三の曲輪6:42→(23M)→B城山7:05〜09→(28M)→C965高点7:37→(29M)→D大洞山8:06〜16→(33M)→E904.7三角点峰8:49→(12M)→F林道に降り立つ9:01→(40M)→G登山口駐車場9:41
@西山城址入口 | 城址への登山道は一級路。 | A三の曲輪の休憩舎 | 二の曲輪 |
B一の曲輪。城山神社が鎮座する。 | B三等点 | B趣のある社 | B東側の雪を纏った安曇野 |
伝う尾根にはマーキングが残る。回収しておいて欲しかった。自然の中に淫ら。 | 965高点手前の鞍部。尾根北側に雪が残り、南にはほとんど見えなかった。 | C965高点に上がると正面に大洞山が見える。 | C高点の北側よりこの表示が上がってきていた。 |
急登斜面。雪がべったりとあったら大変だろう場所。 | 山頂近くになると止山のビニールが流してある。 | D大洞山。展望の無い場所 | Dどうも西側斜面を指して入山禁止にしているよう。違反の場合の罰金は10万円。 |
D大洞山でヤキソバパンが撮られるのは初めてであろう。 | 北尾根を降りて行く。 | 1060mピーク | 1060mピークからは、唯一邪魔するものが無く北ア側が見える。 |
1000m峰 | 940m付近の奇形の大岩 | 950m峰。ここも岩峰で、展望がある。 | 950m峰から見る城山側。 |
940m付近の岩。付近はこれら岩峰の連続で痩せ尾根。 | 950m峰から見る大洞山 | E904.7三角点峰 | E四等点 |
E904.7からは東尾根を下る。 | 下側はカンバ類の幼木が蔓延り、これが目を突き難苦。 | 林道幅の場所に乗る | F山腹の林道に乗る |
F林道に乗った場所のまん前。あずみの公園予定地。 | 北側にも城山登山口があった。 | 新すげのさわ橋を渡る。 | 新すげのさわ橋から乳川。 |
車道に出る | 車道に出た場所の三叉路にある若山の神に無事の下山を御礼。 | G入山口に戻る。 |
何処に行っても雨予報の土曜日。雨は嫌いではないが、冬季の雨に限っては好まない。冷たい景色の中では雨により自然が美しくなることもないし、濡れて冷される道中の不快さは、撥水性の悪い雨具ばかりを持つ者は身に染みている。雪なら雪でいいのだが、冬季の雨は・・・。
大町市の山は残り3座。うち2.5万図の「大町南部」に近接して2座残っていたので、降りだす前に駆け足で登ってしまうことにした。城址として管理されている城山、そこから尾根続きで大洞山がある。この大洞山の冬季の記録は、なぜか長い間を経てもJJ氏のものしか見えてこない。雪があってもお手軽に登れそうに思うが、記録が上がらないほどにそんなに魅力がない場所なのか・・・。地形図に記載されていながら、かなりマイナーな場所の雰囲気が漂う。
1:00家を出る。R254を伝い、三才山トンネルを潜ってゆく。五十日でありながら、異常なほどにトラックの姿が少ないのがこの日だった。間違いなく不景気となっており、その影響だろうと思えた。いつもは池田町の方へ進む進路を、久しぶりに安曇野側へ向ける。そして目的地は大きな「西山城址」と書かれた標柱が立っていたのですぐに判った。駐車場も予想外に広く10台ほど入れられそうな広さがあった。道路に面しているが車通りは1時間に数台ほど、それより用水の水音が心地よさを通り越して五月蠅く感じてしまった。しばし仮眠。
経路で少し雨粒が見られたので気になったが、夜明け頃には曇り空で推移していた。久しぶりにアルミワカンをザックに結わえる。前週のような温かさはないので、残っている雪は場所柄もあり硬く締まってきていると予想した。入山口に立っている城址の解説書をしっかりと読んでから登山道に足を乗せてゆく。
一級の道が上にあがってゆく。最初の分岐箇所には「井戸」と書かれているが、どちらに進むのが正しいのか判らず右へ行く。「三峯社」などが見え、その表示が判読するに危うくなってきている。登山口の解説板には「昭和五十五年」とあった。往時の設置なのだろうと見つつ進んで行く。名称の付いた松などもあるが、枯れていたり細かったりと今一つ魅了する存在ではなかった。
三の曲輪は大きな東屋があり、そこに隠れるように歌碑が立っていた。ここにはしつこくも3つも並んで場所を示す表示が出ている。この先、空堀が濃く深くあり山城の雰囲気が強まってゆく。二の曲輪にも碑があるのだが、素材の選定のせいか読みづらく、折角の場所だが内容を把握せずに通過してゆく。3、2ときたら次が1となり山頂となるか、少しづつ登山道に雪が増え、山頂直下ではツボ足で登るほどに増えた。この日、大洞山までも含めても、尾根上はここでの雪が一番多かった。
城山登頂。ステンレス構造の鳥居を擁した城山神社が待ち構えており、そこにお供えしたお酒と蜜柑が残り微笑ましい。御供え物には動物も手を出さない事が多い不思議に気付いている人は居るだろうか。雪を纏った安曇野の田園地帯が見下ろせる。家屋こそ往時とは違うが、雪の乗った表情は昔も今も変わらないのだろうと思えた。山頂中央には三等点が埋まっていた。木々の間から次に目指す大洞山側が見える。
城山から北西側に階段状の地形が降りていたので伝ったが、西に降りてゆくものではなく、一段下がった場所で道形自体もよく判らなくなった。ここから適当に南にズレるように進み、進むべき尾根に乗る。尾根にはピンクの目立つリボンが続いていた。好意とは判るが、残すには淫ら過ぎる色であった。手を使い分けつつ進む場所もあり、なんとなく残る道形は獣が一番の利用者のようであった。
965高点にあがると、そこに林業公社の赤いプレートが下がっていた。どこから来ているのかと探すと、北側の尾根に続いているのが見え、この先の伝って行く尾根にも確認できた。940mの鞍部まで降りたら、この先はやや強い勾配の斜面となる。雪があったら辛い登りとなり、雪面に膝を入れながら足を上げてゆくような斜面であった。最初は北側の雪面を上がっていたが、樹林の中の方が雪が無く、後半は南側を登って行った。
1050mの場所で南東からの尾根に乗る。これまでと少し雰囲気が変わり、この尾根筋には道が在るように感じた。そして少し上に行くと、止山で見かけるビニール紐を流した場所が現れる。白、紫、緑の紐が千切れ千切れになり淫らに流されていた。尾根道は止山としての道でもあるのだろう。
大洞山に到着。“本当にここでいいのか”と思ってしまったほどに山頂らしくない高みであった。北側には止山としての注意書きがあり、「違反者に対して10万円申し受ける」と綴られていた。最初、これが北尾根に対して書いてあるのかと思った。白湯を飲みながらヤキソバパンを齧りつつ進路を考える。往路をピストンか、南東尾根か北尾根か、西に下っても実線路に在りつける。さすが里山であり色んなコース取りが出来る。雪の様子がツボ足が続くようなら往路を戻ろうと思っていたが、いい感じに締まっていた。よくよく地図を眺めてから、三角点峰がある北尾根に行く事にした。ここで先ほどの注意書きが引っ掛かる。でもよく考えれば、尾根に対してテープが流してあるのだから、東か西に対しての防御、そこに貼り紙は東を向いているのだから、西側が止山と言うことになる。簡単な算数が出来ない子供のような思考だったのだ。
北に進むと、最初の1070mピークで北ア側が見える場所となった。“なんだ、少しこちらに来れば見えるじゃん”と思いつつ、さらに足を進め次の1060m峰に到達すると、仰角マイナス10度ほどからそれ以上で展望が開けていた。餓鬼岳だろう白き高みを拝むことが出来た。休憩するような場所ではないが、展望を楽しめる場所となっていた。この尾根は地面に標柱が続くくらいで踏み跡らしきものは見えない。煩くはないものの両手で漕ぎながら進むような場所が続いていた。雪の上には猿の足跡が多い。これを見つつ城山神社にあった蜜柑を思った。
1000mの尾根が分岐する場所は、主尾根が北西に向いている感じがするので、枝尾根に見える北東側へと降りてゆく。地形図を見ても尾根が痩せてくる場所であり、その通りの現地となってきた。最初に940m付近で「カバ岩」と言いたいような大岩が現れるのを皮切りに、地形図に見えない各ピークに各々の奇形岩が乗っている場所が続く。一番大きい岩が950m峰の場所で、ここは展望が良く城山側が気持ちよく見えていた。痩せた尾根なので少しだけ危険度が増した中を北に進んで行く。ポコポコといくつの岩峰を越えたか、鋸歯のような尾根筋で、こんな実際とは地形図では判らなかった。それでも何か、これだけ各ピークに奇形の岩峰が続くと、展示会場を巡っているようで楽しい通過点でもあった。
930m峰には頭の黄色い杭が縛られており、ここから進路を北東に振る。市郡界の尾根は西に下っていて、続いていた杭もそちらに降りているのだろう以後見なくなる。代わりに錆びて判読が難しい鉄板が主流になる。読めるものには「入山禁止」とあった。こちらも止山になっているようであった。ただ、荒れた様子からは現在進行形と言うより過去の場所のようにも思えた。
904.7峰には四等点が埋まっていた。この場所の北には地形図には不思議な線が北東に入っている場所がある。気になったが、この辺りまで来たら北にさらに進むのは、東に戻ってゆくのに遠回りしているような気になり、東の尾根を伝うことにした。と言うのも、この尾根には入山禁止のプレートが続いていて、何か誘っているようなふうにも思えた。伝ってみたか、だからとて道形があるような場所でもなかった。右に小谷を見ながら降りてゆくと、樺類の幼木が密生して生える場所となった。過去の経験からしてやばいと思いつつ分けて進むと、こんな時は予想が当たる。案の定目に刺さった。ハイマツやササやシャクナゲではこんなことはないのだが、この種の場合情けないが被災する事が多い。ここを抜けると前方に林道幅が見え、その先に広い道が通っているのも見えた。
林道幅の二重線路に出合う。道向かいは「国営アルプス安曇野公園の事業予定地」との看板が揚がっていた。林道はチェーンを装着しての通過跡が残り、そこに足を入れて西進してゆく。雪の上は乗れる場所もあるが、踏み抜く場所も多く、その神経衰弱的な場所より轍の方が安定していたのだった。
867高点からの尾根を巻いて進むと、その先で「⇔城山登口」と書かれた道標があった。こちらにも登路があるのだと判ったが、その先のどこに切られているのかは雪が覆っており判らなかった。進んで行くと乳川が近接する。冬季だからか、まだ雪解けではない為か流れが予想外に緩やかだった。こんなことも体験しないと知らない事・・・。その乳川を新すげのさわ橋で渡ってゆく。地図を見ると上流にもう一本橋があり、その道の方が古くから在るはずだから、それが「すげのさわ橋」と判る。
左岸に移りしばしで舗装された広い道に出る。この場所の東側には「若山の神」と書かれた社が在った。ここでも蜜柑と栗が供えられたまま見られる。獣もちゃんと信心があるのかもしれない。この「若山の神」なのだが、「若山」なのか「若」で区切るのかがよく判らなかった。いずれにせよ無事の下山に感謝し頭を下げる。ここから県道306号までは広い歩道が続くのだが、雪が乗り苦痛だった。あまりよろしくないが除雪してある車道を歩かせてもらう。時折往来があるが、中央分離帯がある車道であり、後方からの車両のみを気にしつつ歩いてゆく。
新壇行橋北交差点で県道306に乗る。一気に交通量が増え国道147号に対する幹線道路の位置づけに思えた。新壇行橋を渡ったら、壇行橋を左に見つつ進むと、ポツンと相棒の待つ駐車場に到着した。