大萱山 1478.8m 高森山 1560m
2016.6.4(土)
くもり時々晴れ 単独 塩泉院より入山し高森山まで抜ける 行動時間:5H28M
@塩泉院(アンテナ施設余地)5:04→(2M)→A山道入口5:06→(70M)→Bコル(巡視路分岐)6:16→(11M)→C山道を離れ沢へ6:27→(21M)→D尾根に乗る6:48→(8M)→E大萱山6:56〜7:00→(51M)→F1522高点7:51→(16M)→G高森山三角点峰8:07〜09→(7M)→H高森山最高峰8:16〜26→(4M)→I1520m屈曲点8:30→(43M)→J鹿塩川渡渉9:13〜18→(4M)→K黒川橋(国道152号)9:22→(70M)→L塩泉院に戻る10:32
@塩泉院への参道横に駐車する。 | A巡視路道標が立つ山道の入り口。沢の左岸。 | 入ってすぐに立つ石仏 | 放置バイク。年数のわりに状態がいい。 |
巡視路は21番と22番鉄塔へと続いている。 | 道は広いものの、掘り返された場所が続き歩き辛い。イノシシだろう。 | 小沢を跨ぐ場所。やや上側に跨いで進む。 | 小沢を跨いでからフタリシズカが足許に増えてくる。 |
周辺域はフタリシズカの群落。夏場は道形を覆ってしまうだろう。 | Bコル到着。 | Bここで21番へは別れる。 | B「山神」と書いてあるのか?横には「文化」と彫られていた。 |
丸円沢の、支流右俣の源頭部を巻き込むように道は続く。 | C山道を離れ丸円沢の本流と言える沢を伝う。巡視路道標が示すように、道はこの先、沢を跨いで進む。 | なだらかな沢で伝い易い。ただし鹿に踏まれヌタヌタ。 | もうすぐ主尾根。 |
D尾根に乗った場所(鞍部)にはリボンがされていた。 | 大萱山西側。尾根上にはこの杭が続く。 | E大萱山西側より東。 | E三角点の様子 |
E二等点 | ESK氏の絶縁が退色して残る。 | E新しい刃物痕も残る。 | E河内晩柑を食べながら北へ |
下草の無い快適尾根が続く。 | 1440高点は東を巻く道形を伝う。 | 1470m峰もこの通り、手前から東の山腹への道が分岐している。 | 1522高点は西にハッキリとした道形が存在する。 |
F1522高点。北から南を見ている。 | 1522高点から北側は二重山稜が長く続く。 | 東西を尾根に挟まれ、その中を進む。 | 高森山三角点峰南側も東を巻く。 |
G高森山三角点峰 | G二つの標識が揚がっている。 | G鋭利な石で囲まれた三角点。 | G三等点 |
GSK氏の絶縁 | 三角点峰北側にはワイヤーがみだらに残置されている。 | H高森山最高所 | HSK氏の絶縁が唯一山名を記す。 |
H高森山でヤキソバパンが撮影されるのは初めてであろう。 | H下山は北東側へ進んで行く | I1520m肩の場所から東へ方向を変える。 | 1520肩の東側には、見事なクリンソウの群落があった。ピンク色が濃い個体で美しい。 |
1400m付近の尾根の様子。 | 1300m付近 | 1100m付近。かなり急峻。 | 途中で斜面に対し真横に走る道形に乗り、北に進んで行く。この先のガレ沢で消失。 |
鹿塩川の右岸にもクリンソウが咲いていた。 | J降りてきた斜面を見上げる。最後は護岸工事がされており、降りられる場所が限られる。 | Jこれが鹿塩川から高森山側へと水線で書かれている沢の様子。 | J鹿塩川は至極なだらか。 |
Jこの堰堤右岸から巻き上げようとしたが、切り立った岩場が待っており通過出来なかった。 | J堰堤下のこの辺りをジャブジャブと渡って行く。水深は深い場所で150mmほど。 | 左岸側にはブリーベリー畑があった。儀内路地区。 | K黒川橋(国道152号)の所に出る。 |
小島橋を渡って塩泉院へと向かって行く。塩河地区。 | K駐車の様子 | K駐車場所下側では、下駄を履いた道祖神が見られる。 |
そろそろ梅雨の天気が欲しいころだが、まだその様子が現れない。そしてヒルが動き出す頃合いで、藪に入るにも場所選びに神経を使う。ヒルは年々生息範囲が拡大し、行動できる場所が狭められてきている。あと10年もすれば“いない場所の方が少なるなるのでは”なんて思うのだが、自然の中で遊ぶにも嫌なご時世になってきた。それはそれとして・・・。
6月1日より大鹿村のブルーポピーの農園が開園したニュースが入った。これに抱き合わせて場所選びに入る。南アルプス側の主稜はほぼ踏んだが、伊那山地側がまだまだ残っている。ヒルを運ぶシカの多い場所、現地の様子は如何にと思いつつ、大萱山と高森山の2座を狙うことにした。ここはSK氏が南からピストンしているので、北から入ろうと思ったが、衛星画像を見ると嫌になるほどに倒木が見える。この付近の山域は倒木が多く、黒川牧場から南も倒木帯であり、土地柄とは思うが空からそれを見てしまうと、どうにも避けたいと思ってしまい、SK氏同様に塩河地区より入山することとした。
1:00家を出る。野辺山から八ヶ岳南面を通過し小淵沢経由で20号に乗る。茅野まで上って途中でヤキソバパンを仕入れ、杖突峠を越えて高遠に降りる。そして久しぶりに国道152号を南下してゆく。途中の分杭峠は完全にマイカー規制の場所になり、付近周辺の駐車スペースはゼロになっていた。パワースポットとして売り出している場所であるが、土地の限られる場所での集客をシャトルバスで行うのもお金がかかると思ってしまう。
明るくなってから塩泉院への道を探していたのだが、判らず役場のある落合地区まで進んでしまう。カーナビが山向きでなく町仕様のためなので表示が荒い為だった。ここはスマホで地形図を出して詳細に見てゆく。塩川の出合の場所から北に入り、茶色い大きなアパートを巻き込むようにして進み塩泉院に到着した。参道入り口にはアンテナ施設があり、そこに3台分ほどの駐車余地がある。西に進み、枝分かれする林道も見つけたが、ギャンブルはせず巡視路道標がある山道に入ることにして、アンテナ施設の駐車余地に突っ込んだ。
ヤマビルファイターをザックに忍ばせ、いざ出発。山道の最初は沢の横であり、いきなり緊張感が高まる。襲来を予想してこの日は白いズボンを履いてきている。下半身に注視しているも、軟体動物の気配はない。入ってすぐ右側に石仏が立っていた。旅の安全をお願いし頭を下げる。広く快適な道と聞いていたが、確かにそう思える道であるが、なにせイノシシの掘り返した跡がすごい。まるで残雪期の初旬のように地面の固さが安定せず歩き辛い。そんな場所がかなり長く続く。
進路右側から本道らしき道が合流する。いま歩いてきた道の方が枝道な感じであった。方角的には塩泉院か民家の密集する側からもう一つ道があるようだった。巡視路道標はポツンと要所に在ったくらいで、“道形を伝って進めば合っている”と言わんばかりに数は少ない。山道に入って50分ほどで、進路を2本の倒木が塞ぎ、その先に小沢が現れる。視界が塞がれる感じで、ここで道形が消失したかと勘違いさせられるほど。よく見れば、沢を跨いでやや上側に進んでいた。ここから面白いように植生の変化があり。沢を跨いでからはフタリシズカが道の周囲に増え出し、次第に足で分けて進むほどに群落を成していた。これを思うと、秋口以降が歩きやすいのかとも思えた。
入山してちょうど1時間で、コルの場所に乗り上げる。21番鉄塔への道が西に分かれ、先に進むのは22番への道。もっとも巡視路としては後付けで、元々はよく利用された山道であっただろう雰囲気が残る。それもそのはず、この場所の北側には「文化○○」と刻まれた石塔が立ち、表文字は「山の神」と表しているのだろうと読めないながらに予想した。ここでも当然頭を垂れお参りをする。ここからは北西側に深く谷が落ち込んでいるが、それを左に見ながら1369高点の西の山腹を伝ってゆく。少し道形が怪しくなるのかと思うが、関係なくはっきりと続く。
流れの見える谷の源頭部を巻き込んでゆくと、丸円沢の本流と位置付けていい沢が現れる。ここを跨ぐように道形は西へ進んでゆく。これは望む方向ではないので、伝ってきた道形とはこの場所で別れ沢の中を進んでゆく。緩やかな沢でさほど障害物はない。ただしシカに踏まれ沢の両岸が泥濘地になっている場所が多く、敢えて沢の中央部を歩くようにして進んで行った。流れの源頭を見ると、その先でやや勾配が増してきて、向かう先に尾根筋が見えてくる。流れやすい斜面にエッジを立てて踏ん張りながら登ってゆく。
尾根に乗り上げた場所には、古いリボンが下がっていた。尾根の上は下草はなく無毛。シカの食害からと言うのではなく、元来こんな場所のように見えた。その快適な尾根を東に登って行く。この尾根には鼠色のプラスチック製の杭が続いていた。不思議とこれらが全く齧られていない。野生動物の嫌う何か要素があるのかもしれない。
大萱山到着。樹林の山頂で展望はないが、新緑の間から木漏れ日が差し込み心地いい場所であった。SK氏の絶縁は退色し白いものに変わりつつあった。二等点の出迎えもあり登頂の喜びを増してくれていた。いつしか忘れていたが、思い出したようにズボンを見たが、ヒルは居ないようであった。持ち上げた河内晩柑を食べながら北に進んでゆく。
なんて快適な尾根なんだろうか。涼やかな気候も後押しし、新緑と言う条件もいい。適期は今なのではないかと思わせるほどであった。快適と言えど、途中途中にはいくつもピークが存在する。まともに伝うとアップダウンが多い場所であるが、獣か人間か、人間か獣か、いい感じに山腹への巻道が出来ていて伝うことができる。その巻いたおかげで、1440高点などは、通過してから過ぎたことを気づいたほどであった。1440高点は東側を巻く道が出来ていた。
概ね東巻の場所が続き、1470m峰まで東を巻いた。その次に1522高点があるのだが、ここでやっと西側を巻き、少し新鮮な雰囲気となる。明瞭な踏み跡が山腹に続き伝って行ける。しかし伝って進むとここも1522ポイントを過ぎてしまうので、北に乗り上げてから南に戻るように進んでその場所を確認する。この場所から北側はやや長めに二重山稜の地形が続く。両側に尾根筋を見ながら、その中央部にできた窪みを進んでゆく。
高森山三角点峰到着。ここには新旧の標識とSK氏の絶縁が縛られていた。三等点が埋まり、その四方をやや鋭利な石が護っていた。目的地はここでなくこの先の最高所。400mほどの距離があるが、経路に全く負荷はなく快適に進んで行ける。林業作業の跡か、ワイヤーが残置されている場所も見られた。少し雰囲気が変わったと思ったのは、西側が植林地のような地形になって、大木を伐木してある場所も散見できた。
高森山最高峰到着。意識して到達しないと、何の変哲もないような丘のような場所だった。でも既に目的地とした藪屋が居りSK氏の絶縁が巻かれていた。これで予定の2座終了。時計はまだ8時を少し回った時間。伝ってきた場所を戻ってもいいが、少し遊びながら降りようと考えた。北にある破線路を辿ってもいいが、衛星画像で倒木を見ているので、あまり北側に行くのは避けたい。なるべく北に行かずに降りられる場所として、破線路が描かれている場所に対し、南に谷を挟んでのその南側の尾根を降りてみることにした。下の方は等高線が密の場所もあるが、針葉樹マークの場所であり、そう危なくないと判断した。それより鹿塩川に対する渡渉の問題があるが、急流ではない川なのでリスクは少ないと判断した。
休憩後に北東に進んでゆく。相変わらずの歩きやすい尾根が続く。北に続く尾根の肩である1520mの場所から東へ進路を変える。これまでの緩やかな勾配から、やや強い勾配へと変わる。進路左に谷を置いて降りて行く感じの場所に、何かルビーのように目に飛び込んでくる鮮やかさがあった。よく見るとクリンソウであった。これまで見てきたクリンソウより色が強く赤色が濃い。これが為にルビーに見えたのだった。見栄えするほどの群落が出来ており、思わぬお花畑の出迎えであった。
尾根に沿って降りて行く。下草がなく見通しが利くこともあり、尾根を拾って進むのが楽な場所であった。難を言うとやや急峻が続くこと。これが嫌なら、北に切られた破線路を伝えばいいのだが、倒木が・・・。と言っても、ルート上にはないかもしれない。あくまでも衛星画像でそう見えたから想像しているだけなわけで・・・。でも本音は、誰かの敷いたレールを伝うより、自分でルートを切り開きたいタイプである。
1150m付近からはかなり急こう配になり、それでも我慢して掴まりながら下るも、1100mまで下って、もうこれ以上はお腹一杯と、地形図をみて緩やかそうに見える南側へと降りて行く。ここは杉の植林帯で、四角四面同じ直線状に綺麗に立ち並んで生えていた。少し斜度は緩むものの地面が緩く流れやすい場所であった。植林地なので作業道があるはずと思い降りて行くも、それらしきものがなかなか出てこなかった。傾斜が強いので在ったのが流れてしまっているのと、大きな部分では管理しなくなってしまったからであろう。と、そこへ横切る道形が現れた。本来は南に行きたいが、この道形に沿って北に進んでゆく。緩やかに高度を下げながら、ほぼ水平に進むような感じで北に進んでいた。
このまま行くと水線の書かれた沢に入ってしまうと思われたが、その手前の枯れ(ガレ)沢のところで道が有耶無耶になり判らなくなった。そのままガレ沢の中を下ってゆくと、鹿塩川が見える場所となり、ここにもクリンソウがひと株咲いていた。適当な渡渉点を眺めながら、なるべく濡れないで通過できる場所を物色する。護岸工事がされてあり、川岸に降りられる場所は限られ、この時ははびこるフジの蔓を利用して降り立った。
上流側には年代ものの堰堤があり、水流か経年劣化かコンクリートかかなり削られているのか見える。堰堤を上流に越えれば、もっと楽に渡れるところがあるだろうと予想をつけて右岸側から乗り越えようとするも、堰堤の上流側は岩壁で進めず、その下側には深く水を湛えていた。まあ堰堤なので当たり前なのだが・・・。
下流に戻り堰堤下を渡ってゆく。深いところで150mmほど。茶色い苔も多いので慎重に左岸に足を運んでゆく。左岸側にも護岸工事がされ、2mほどの高低差があり登れる場所が限られる。こちらも植生のある場所を見つけ、掴まるようにして体を持ち上げる。一段上がった場所は平らで、川に沿って下流側に進むと管理しなくなった農地がまずあり、その先に青いフェンスで囲まれたブルーベリー畑があった。その場所を巻き込むように進んでゆくと黒川沢に沿う道に出て、黒川橋のところで国道152号に乗った。
谷あいを抜ける心地いい風を受けながら南へと進んでゆく。何度も車では通っているが、歩くのは初めてで、旧道だった場所や、石碑や屋号や、歩きだからこそ見えるものが楽しめた。住めば都とは言うものの、コンビニとは無縁のこのエリアでの暮らしは、タイムスリップしているように見え、余地があれば食べられるものが植えられ育てられている様子が見えた。各地区の民家を見ながら、苦労しながら暮らす風景に感心しながら歩いてゆく。
大栗橋を渡って敢えて村落の中を通過するルートを選んだり、できる限りここでの生活を観察し、いつか住まいする人が居なくなった時に昔の様子を思い起こせるように記憶してゆく。同じ山間部でも上野村などは米が作れない。これは日照時間に関係する。大鹿村では水稲栽培ができるので恵まれていると言えよう。田植えが終わった田んぼ、準備中の田んぼを見つついると中学校の場所に出て、やっとここで歩道が現れる。子供の姿を見たいと思っている中で、見えるのは老人ばかりだった。
小島橋を渡って右岸に移り、塩泉院への最後の登り。川から離れると風がなくなり暑さを強く感じるようになる。ここも秋葉街道の散策路となっているようだが、同じように徒歩で伝う人が居るのかどうか・・・駐車余地に到着し、その足ですぐに「下駄を履いた道祖神」を見に行く。やや陰影が見にくい彫り方であるが、確かに下駄を履いていた。今後は道祖神の足元に目が行きそうだ。
振り返る。展望のないことに目を瞑れば、ここまで快適に歩けるバリエーションルートも稀かと思う。蛭もいなかった。この部分は過剰な私の気にし過ぎな部分だが、この季節に歩くのに暑くもなく寒くもなく、全てにおいて快適であった。高森山北側の破線路を踏査した方がもっと喜ばれたのだろうが、クリンソウの群落を見つけたことで勘弁願いたい(笑)。