臼入山 421.2m 官ノ倉山 344m 石尊山 340m
2016.1.30(土)
雪 単独 能気神社から時計回り 行動時間:2H26M
@能気神社8:42→(34M)→A340高点9:16→(20M)→B安戸城跡分岐9:36→(7M)→C臼入山9:43〜44→(16M)→D林道を跨ぐ10:00→(28M)→E官ノ倉峠10:28→(6M)→F官ノ倉山10:34→(5M)→G石尊山10:39〜41→(8M)→H浅間宮入口分岐(庚申塔)10:49→(3M)→I登山道を離れる10:52→(6M)→J在家地区に出る10:58→(10M)→K能気神社に戻る11:08
@能気神社から入山。この社の東側に道形がある。 | 道形の様子 | いたずら書きがあったりする。 | 330m峰の祠 |
A340高点で視界が開ける | A340高点の尾根に沿うように林道が上がってきている。 | B官ノ倉からのルートと合流。安戸城跡と書かれていた。 | C臼入山 |
C標識 | C三等点 | C奥沢神社への尾根道。降りる場合ならいいが、官ノ倉へ行く場合は間違えやすい。 | 安戸城跡帰り |
D林道を跨ぐ | 390m峰は天ノ峰とふられている。 | 370m付近の祠 | 虚空蔵山と書かれた屈曲点 |
虚空蔵山と書かれた場所には烏森山とも書かれている。これは鳩山ワンダリングクラブ設置。 | 366高点は不動沢ノ頭 | 290m付近の祠 | E官ノ倉峠 |
F官ノ倉山 | G石尊山事典ピーク | G現地の石尊山の場所。 | G標識 |
G祠 | 官ノ倉下分岐 | H浅間宮入口分岐の庚申塔 | I登山道を離れて、右への枝道に入って行く。進む先の肩の場所で有耶無耶になり道形を逸する。 |
J在家地区の畑の中に降り立つ。 | K能気神社に戻る | K境内に駐車 |
鐘撞堂山の後、官ノ倉山側にズレる。石尊山は一度通過しているが、目的地として山頂に到達しておらず再登する。最初は飯田地区側から石尊山をピストンし、臼入山とは切り離そうと思っていた。しかし降雪により川沿いの道で負荷が大きく、場所を変えて在家地区側に移動する。こうなるともう2座抱き合わせの行動となる。
スタート地点は能気神社とした。野球場があるのでその駐車場も利用できたが、境内まで車道があったので上げてしまった。それには、周回が終わったらじっくり参詣して行こうと思ったから。
境内から僅かに東側に行くと、山道が尾根に沿うように上がっていた。そこを行く。ハッキリとした道形で外すような場所は無い。雪が降り続き、少し陰鬱な気分で進んで行く。すると神社から15分ほど進んだ場所に、ピンク色のテープが巻かれ「← 臼入山」と書かれていた。間違いなく目的地に導かれるよう。
330mの高みには山の神だろう祠が見られた。里山であり展望を求めてはいないものの、全く周囲展望がさえない中を進んで行く。このままこの山塊は現状維持かと思っていたら、340高点に乗り上げると北側の展望が開け一気に明るくなった。そして僅かに西に進むと、下から上がってきた林道が尾根と並走するように北側に在った。僅かに林道に乗ったが、再び山道に戻り進んで行く。相変わらず道形は続く。
真新しい道標の場所に出る。その道標には臼入山と、官ノ倉山の文字が見られ、手書きで安戸城跡分岐と書かれていた。城が在ったにしては狭い場所に思えたが、書くからには裏付けがあって書いたのだろう。ここで町村界の破線路に乗った形となり北側に進んで行く。この先の屈曲点や分岐箇所には道標が置かれ臼入山を示していた。
臼入山。山頂の中央からニョキッと雪を纏った三等点が顔を出していた。明るい山頂でこんな天気でなければそこそこ快適な場所にも思えた、落合地区への下降路道標も見える。往路を戻ろうとするも、少し注意が必要。同じような角度で奥沢神社へと続く尾根筋があり、間違って進みそうだった。それを防ぐためにその下降点の場所には官ノ倉山と書かれた道標が、正規のルート側を示していた。
安戸城跡分岐と書かれた場所まで戻り、その先は官ノ倉山と示された方に進んで行く。少し手前には官ノ倉まで90分と書かれていた。能気神社から臼入山まで1時間ほどだったこともあり、そんなにはかからないだろうと思うのだが、これら大まかな時間表示があってありがたい。
地形図に示されない林道を跨ぐ。周囲に竹が林立し、余程あるようで斜面の土止めにも竹を使っている特異な場所でもあった。この先の390m峰は天ノ峰とふられていた。そしてその次のピークの370mの屈曲点ピークには、一つに虚空蔵山と書かれ、もう一つは烏森山と書かれていた。そしてその次の366高点には不動沢ノ頭と山名板が垂れていた。この稜線はほとんどのピークに名前がふられているようであった。
官ノ倉峠を経て官ノ倉山に登って行く。少し懐かしさを感じるかと思ったがそうでもなく新鮮だった。前回から16年も経ると現地の記憶が少し薄くなり、ましてや逆コースで辿っているので尚更なのだろうと思う。それでも官ノ倉山の山頂部の印象は16年前の記憶とバチッと合致した。90分の場所を50分ほどで歩いてきたよう。留まることなく石尊山側へ向かう。
山名事典の石尊山には、標柱にいたずら書きがされ「← 石尊山 400m」とあった。ここでもいいかと思ったが足を延ばす。すると途中で、単独の男性がすれ違った。「そんなに降らなくてよかったですね」なんて声をかけられる。ザックも持たずで、雨具を着こんだだけでの山歩き。何を隠そう私と同じ仕度であった。ジモティーかよく慣れた人なんだろうと思えた。
石尊山は、印象に強いのが石に囲まれた祠。変わらずの姿で出迎えてくれた。各祠に頭を垂れて遊ばせてもらっている事に感謝する。これでこの山塊の予定座を踏んだので下山となる。官ノ倉山下の分岐から在家地区へ降りてゆく道に入ってゆく。
庚申塔の分岐から3分ほど下ると、進路右手に道形が分かれている。ほとんど使われないであろう道だとすぐ判るが、面白そうなので伝ってみる事とした。伝って行くと分岐から3分ほどで道形が有耶無耶になってしまった。よく探せばよかったのだが、村落までもう僅かと、これまでの道形の延長線上の方角へ降りてゆく。進む先には畑が見下ろせ、その先にガードレールを伴った車道が見える。民家の犬にでも吼えたてられやしないかと気にしつつも、不可抗力だがガサガサと大きな音を立ててやや急斜面を降りてゆく。最後は個人宅の敷地の中を通過して車道に出る。
車道を南に進んでいると、散歩しているのか二人の女性が先行しており声をかける。「対岸の神社へはどう進めば速いですか?」すると「この先の丁字路を左に行って・・・」「えっ左?」「あっ右だ」「遭難させようとしたでしょ」なんて会話となった。ゆっくり歩く女性らを追い越して進んで行く。丁字路は丁字路だが、北から進んで行くとト字路な分岐であった。意識の中で道に突き当たると思ってしまっていた。他人を頼る場合は要注意なのだった。
住宅地内を西に進み、突き当ったら北に進むと能気神社であった。最後の〆として神社をくまなく参詣してゆく。複合的ないくつかの神様を合祀した神社であった。
春先には秩父七峰のイベントで賑わう場所であったが、この時季、そして降雪の中となると嘘のように静かに歩くことが出来た。