丸山    1962.8m            


                                            
  
                                        

   2017.6.3(土)


  くもりのち雨    単独     折立から往復   行動時間:6H49M


@折立6:35→(52M)→A岩井谷橋7:27→(5M)→B5.0km先待避所付近から取付き7:32〜38→(77M)→C1661高点8:55→(75M)→D丸山10:10〜27→(41M)→E1661高点帰り11:08→(55M)→F待避所前に降り立つ12:03〜10→(74M)→G折立に戻る13:24


   
4時半到着。6時開門まで亀谷ゲートで仮眠。 @折立出発。薬師の登山口を右に見て林道を進む。 @一般車は通行止めで、監視員が常駐している。 途中の遊歩道。心地良さそうな道だが、入口と出口を結ぶ手段が・・・。
       
林道脇はミズバショウとリュウキンカが見ごろ。 一般車通行止めだが、山菜採りが入っていた。関係者なのだろう。 林道途中から目指す1661高点峰を見上げる。 4.5km地点より薬師岳側。
     
アップ。いい天気になると思ったが、この後は下降線。 A岩井谷橋。昭和39年のオリンピックの年に架けられた橋と、大型車用の新設の橋とで2本架かる。 5.0km通過。そろそろ取付く。 B待避所のわずか先から取付く。工事車両の交通量が多く待避所で準備をする。
       
B取付いた斜面。鬱蒼としているが、下草は少ない。 1290m付近。わりと登りやすい。 1380m。笹の植生もあるが、低いので楽。 C1661高点。上は平らな10畳ほどの場所。
       
1661高点東に鞍部があり雪が乗る。そこからの東側がやや濃い。北に逃げると進みやすい。 1710m付近。雪に乗る時間が増えてゆく。 1740m付近。8割がた残雪を伝える。 1780m付近。
     
1790m付近。尾根北側のトラバースの為にアイゼン装着。 8本爪を持ったのですが、12本の方が適当だった。 1810m峰の東側には顕著な谷が入っている。ここより東側は往復ならマーキングした方がいい(雪が無い時は)。 1850m付近
     
1880m付近。ガスが濃くなってきた。広い場所でコンパスを出さないと方向が判らなくなりそうな場所。 1900m付近より緩斜面から斜度のある斜面に変わる。 途中から大日側。この日は見えたのはこの一瞬。 1920m付近。
     
1920m付近から振り返る。ガスが取れた瞬間。 ガスの合間に北薬師が姿を現す。 D丸山到着 D薬師側の南と、そして東側が開けている。
     
D2mほどの高さの場所にリボンが残る。 Dヤキソバパンが手に入らずコロッケパン。 Dこの辺りに三角点があるはずだが、まだ雪の下。 D下山開始。自分のトレースが在るからいいが、無かったら自然と北側に吸い込まれていくような地形であった。
       
1900m付近にあるダケカンバを下から見上げている。これは大木が折れたが自らの木に引っかかっている。受験生を持つ親御さんには、拝むとご利益があるだろう。 1810峰東の谷の帰り 1661高点東の鞍部帰り E1661高点帰り
       
1630m付近 1530m付近。笹が太く一帯にしては濃い場所。 1300m付近 ヤマソテツを少々いただく。このシャキシャキ感はコゴミの5倍ほど。
       
F待避所前に降り立つ。 Fちょうど流れのある場所が最後。流れを目印にその右岸を登ると楽だろう。 林道脇のコゴミも少々いただく。 サルの群れが居た。距離15mほど。全く逃げない。
       
岩井谷橋帰り サルはみな大型車用の橋を渡り、古い方を渡るサルは一頭も居なかった。 G折立のゲートに戻るころには土砂降り。 G折立の駐車場に戻る。




 2017年の有峰林道も、例年通り6月一日から一般供用となる予定。北薬師岳の北西に位置する丸山に、雪を頼りに楽をして登りたいので早々に計画してみる。

 
 WEBの検索では、EAS氏を含めた5月の記録が3つと、6月の有峰林道が開いてすぐの記録が一つ見られる。5月のものは全てスキーでの行動で有峰林道と絡めていない。唯一の6月の記録が私の行動予定と合致するのだが、かなり簡略化された報告となっている。見える写真からピークを踏んでいる事は判るものの、山行文が無いのでどのような進路なのかが見えてこない。ここは自分の力のみが頼りになり、培った勘が行動を左右することとなる。山は本来こんなものなのかもしれない。常に緊張感をもって挑む事は重要。

 
 今年は雪が多くこの時期の残雪も多い。衛星画像では北から新たな作業道が見られ、北から南に攻め上げても形になるかとも思えた。ただし最短路ではいきたい。岩井谷橋を最初のウェイポイントとし、その先は斜面の様子を見ながら取付点は臨機応変とし現地で判断することとした。西笠山と東笠山で濃い藪に難儀したので、相応の覚悟をもって挑み、早い時期に入山し残雪の恩恵も受けようと言う魂胆であった。

 
 1:00いつもの時間に家を出る。亀谷ゲートは6時開門であり、ちょうどいい出発時間でもあった。すぐに上信越道に乗りトラッカーに塗れながら北陸道へと向かって行く。上信越道がやたらと多いのは内山峠が封鎖しているせいか、北陸道に入っても東名のような賑わいで雨に叩かれながら進んでゆく。立山で降りて経路のセブンに寄ったが、残念ながらヤキソバパンはなかった。今日は厳しい山行になるかと覚悟する。

 
 亀谷ゲートに4時半に到着する。練馬と京都に続き3台目に位置どる。前年度の7月は暑くて寝られないほどであったが、11℃と窓を開けずに寝られたので蚋に刺されることもなく快眠であった。各人がトイレに行く様子を見ていると、釣師や山菜採りだろう姿も多い。薬師へのスキーヤーも混じるだろうと予想したが、見える範囲では確認できなかった。

 
 6:00ぴったりにゲートが開く。昔はフライングした時もあったが、今日日はそれはないよう。ゲートのおじさんは領収書は渡してくれたもののパンフレットはくれなかった。人を見て判断しているのか、たしかに観光ではないので貰っても見ない。前年度に貰った時に、紙が勿体ないなーと思ったものであった。後続に煽られながら進んでゆく。アスファルトの上には砂が多く、ジャリジャリとタイヤが砂をかむ音が続く。そして折立に着くと、キャンプサイトでテントを張っている人の姿も見られた。天気はまずまずで、この時はまだ晴れていた。しかしこの後、立山らしい天気となるのだった。急いで準備をする。

 
 6:35歩き出す。薬師岳への登山口を右に見て、その先のログ調の小屋には監視員がおりにこやかに挨拶をしてくれた。ロープのゲートを跨いで舗装路を降りてゆく。九十九折が終わると左に遊歩道の入り口がある。そこからは快適そうな道が奥に続いていた。林道脇にはコゴミが多く、帰りに少し頂くことにする。そしてミズバショウがそこかしこで咲いているのが見える。ここまでになると価が半減してしまいそうだが、それでも白の綺麗な良品がたくさん見られた。

 
 進んでゆく途中、何台も作業車が追い越してゆく。土曜日であり湯川谷では工事がされるようであった。車両の全てに「湯川」と白字で読める緑のステッカーが貼られており、それが判る。途中に山菜採りをしている人がおりマイカーが置かれていた。「ゲートの所で言えば中に入れたのですか?」と尋ねると、「関係者と工事車両のみが入れるんです」と教えてくれた。だからあなたの入れた理由を遠回しに聞いているのであって、答えになっていないと思ったが、まあ関係者で間違いないのだろう。でも山菜を採っているレジャー的な利用法は・・・。

 
 北に進んでゆく途中では、大日側の白い頂もチョロチョロと見える場面もあった。1311高点峰には登路があるのか、分岐してゆく道形も見られた。ちょうどそこに釣師がおり、仲間と逸れてしまったらしく待っている様子があった。さらに先にもう一人おり、「出会ったら上のカーブの所で待っている」と伝えて欲しいと告げられる。岩井谷へと降りて行く場所からは北薬師岳が白く大きく見えていた。山懐へ入って行く心地よさたるや。

 
 岩井谷には2本の橋が架かっていた。一本は細く工事車両に耐えられないのか、大型車両用と書かれた橋が上流側に出来ていた。旧来からの橋には昭和39年10月竣工と読める。東京オリンピックに賑わい浮かれていた中で、ここでは工事をし別の意味で汗を流していた人がいたのが読めた。さてそろそろ斜面の見定めをせねばならない場所まで来ている。岩井谷沿いも遡上できそうな場所はないかと見るが、左岸にはあるが右岸は見えてこない。これでは左岸から渡渉は無理だろうから岩井谷の遡行は断念。山の斜面を右に見ながらさらに北に進んでゆく。


 折立から5.0kmの標識が見え、その先に待避所がある。この付近は下草が密でなく登り易そうに見えた。強い藪を覚悟していたので、この程度ならと天国にようにも見えた。退避場所でスパッツを履きストックを確かめる。すると、3段ストックの1段が無くなっていた。出発時には間違いなくあり、途中で手持ち無沙汰で振り回している途中に抜け飛んでしまったようであった。なんとも不甲斐ない。役に立たないものを持って上がらねばならなかった。

 
 林道を離れ斜面に取付く。どこまでこの状態が続くのか、かなり歩き易い。細尾根と小谷があり、歩き易い最良の場所を選びながら谷に入ったり尾根に乗ったりを繰り返してゆく。マーキングなど、人の気配はないかと探すが、経路で一切の人工物はなかった。帰りの事を考え、何度も麓側を振り返る。そして谷向いの大坂森山に見える雪渓の位置をしっかりと見ておく。大坂森山も今年は谷の残雪一本で山頂まで行けるように見えた。

 
 快適に分け進んでいたが、1450m付近からやや笹が太く濃くなってくる。予想ではここぐらいの藪がずっと続くように思っていたのだが、耐え忍ぶこと数分で、また分けやすい斜面に戻った。ここで注意。間違っても無毛ではなく、藪は藪で分けて進む場所で、そんな中でも歩き易いと言う表現ですから・・・。


 1500m付近からはブナの大木が目立ちだす。原住民の多さを把握しようと幹を観察する。しかし綺麗なものばかりで爪痕は一切なかった。進む先が明るくなってきて、1661高点に近くなっているのが判る。この辺りは、往路を帰りも辿る場合は少しマーキングを振った方がいい場所で、大坂森山を見ても微妙な方位角を迷うあたりであった。少し急峻地形が続くと、その先に台地ピークが待っている。


 1661高点到着。テントを張るにはちょうどいい真っ平らな山頂部であった。ここから東に進むと、鞍部となり残雪がたくさん残っていた。そしてそこからの登り上げ斜面がまた藪が濃くなる。薄くなる場所はないかと一か八かで北側に巻き込んでみる。この判断は正解であった。北に行くほどに薄い植生となり、北寄りで東へと向かってゆく。1700m付近から残雪を伝えるようになりかなり楽になる。残雪がなくても笹の植生は薄く、以前に笹枯れでもあったのかと思わさる状態であった。尾根の北寄りを歩きつつ、反対の南も気にする。常に最良の場所を伝いたい。でも往々に北寄りが良かった。


 1780m付近から、尾根がハッキリとしだし、その尾根上に雪が無く北側斜面をトラバースしてゆく。この程度ならとアイゼンは装着せず進んでいた。しかし連続する斜面に踏ん張るのに疲れてしょうがない。我慢ならずにアイゼンを装着。このくらいでいいだろうと8本爪のこの日であったが、理想と言うか現地に合致していたのは12本爪だった。前歯があった方が楽な場所が多いのだった。


 1810m峰の東側には顕著な谷が入っていた。これが1184高点へと落ち込む谷の源頭のようであった。跨ぎ東に進む。既にこの頃には、晴れていた空は暗くなり、進む先にはガスが濃く漂い始めていた。この先の広い地形でガスに巻かれたら大変。その意味でもアイゼンを着けトレースを残すようにしたのは正解であった。シラビソの生える緩斜面を、歩き易い雪面を拾うようにしてクネクネと進んでゆく。


 1850m付近からは、間違いなく雪がなかったらマーキングが欲しい。ちょうどここではガスが濃くなり、これでの下山はヤバいと思えた。すかさずトレースを確かめ、この先の歩行は強めに雪を踏みしめた。1900m付近にはダケカンバの幹が折れたものがあり、面白いことに折れて地上に落ちておらず、その太い幹が自らの木に引っかかるように残っていた。よくもこんな形で・・・と思ってしまった。この先から最後の急峻となる。急峻と言ってもここまでが緩斜面だったので、そう感じるのであった。途中、少し大日側が見えたりした。急峻が終わり山頂の肩に乗るとガスの中から北薬師が現れる。ハッキリ見えたらここまでではないが、ガスのおかげて荘厳な景色となっていた。


 丸山山頂。すぐに三角点探しに入る。一部地面が出ているところもあるが、大半を雪が覆っている。たぶん見つからないとは思っていながらも探す努力は惜しまない。その途中、山頂中央の高木にピンクのリボンが縛られているのを発見する。EAS氏の記録に見られるリボンのようだが、8年も経過すると木もだいぶ成長するようであった。リボンは雪面から2mほどの場所にあり、冬季に付けたものと判断できる。生憎ガスが垂れこめ何も見えなくなってしまっていた。周囲に対する展望台のような場所のようであるが、それを楽しむことはできなかった。これも日頃の行いからか・・・。でも少し、北薬師は拝まさせていただいた。


 下山。1900mの「落ちないダケカンバ」の場所まではトレースを伝い。ここからは自分を試すようにトレースを逸れてみる。すると、現地の地形に沿うと北に寄って行くのだった。慌ててコンパスを見て向かう方向を修正する。トレースが見えてくるまでドキドキだった。北に進めばより雪が残り、伝いやすいだろうから降りてみようかと思ったが、地形図に見えるゲジゲジマークの場所に敢て突っ込むのもリスクが高いと思い止まった。


 1810m峰東からは尾根北側をトラバースして戻って行く。ここは気を付けないと、1661高点に向かうのではなく、その北側の地形に吸い込まれているので、気にして西に振るようにして進みたい。やや西北西に進んでしまい斜行しながら修正した。ただし、ここで西を気にするのはいいが、過ぎて南側に寄ってしまうと藪が深くなるので、西に向かいつつなるべく北寄りを通過した方がいい。南に寄り過ぎて、1661高点への最後が濃い笹薮の場所となってしまった。


 1661高点に戻る。ここまで戻ればもう安全と思いたいが、広い斜面の場所なので気を抜かずに降りてゆく。往路の見返りが功を奏し、見た記憶の場所を戻って行くことができた。往路に見たコシアブラにも出会え、少々お土産をいただく恩恵にも預かった。楽に降りてゆきたい場合は、間違いなくマーキングを付け、回収しながら降りた方がいいだろう。下りも小尾根に乗ったり小谷に入ったりしながら薄い植生を拾うように降りてゆく。雨で足場が滑るようになっていたので、やや木々を掴みながら腕力で降りるような感じでもあった。


 1400m以降ではかなり植生が弱まり、1300m付近では本当に楽な通過点であった。ヤマソテツの美味しそうなのが群生しており、ここでも少々いただく。これは甘エビに対するガスエビのようなもので、コゴミが一般向けであったなら、マニアはヤマソテツを美味しいと思うだろう。シャキシャキ感が大きく異なる。こんなことをしながら調子よく降りていたら、車道が見えたあたりで足がもつれ、スパッツにアイゼンの刃が引っ掛かり転倒。スパッツを破き、いつも通り最後の最後で痛い目に遭った(笑)。車道に降り立った場所は、流れがある場所であった。


 待避スペースでアイゼンとスパッツを外し、流れで洗ってからザックに結わえた。雪が切れてからはアイゼンは外せばよかったが、滑りやすい地形にはそのまま下って正解ではあった。岩井谷橋側へと戻って行くと、前方に何かが動いているのが見えた。それはサルの群れであった。かなりゆっくりとした一団で、こちらのスピードの方が速い。距離にして15mほどになっても、子連れでありながら逃げようとしない。悠然とした一団は岩井谷橋の新しい方を選び渡って行く。どんな判断で2者を選択しているのだろうと思う。狭いと通過する車が邪魔になることが多いのか、考えることは人もサルも同じかもしれない。


 登り返して1311高点の南に戻る。朝のあの釣師は居なくなった人に会えただろうかと心配する。他人事ではなく行方知れずの我がストックの先を探しながら戻って行く。相変わらず行き交う作業車は多い。12時を過ぎ、ぽつぽつと雨が降りだしてきた。しばらくは我慢できるくらいだったが、13時以降では土砂降りに近いほどに強くなっていた。もう僅かと我慢していたが、さすがに雨具をかぶる。帰りは登り勾配なので往路よりは進度が落ちていた。


 白いミズバショウや黄色いリュウキンカを愛でながら戻って行く。雨に洗われさらに綺麗に咲いていた。九十九折を登りゲートの場所に戻るも、頻繁に通過するためかロープは張られていなかった。そして監視員のおじさんは別の人に変わり、その方はテレビに見入っていた。これでは一般車が入れてしまう・・・(笑)。折立に戻る。


 振り返る。スキー以外でのルート軌跡の見えないところで不安面も大きかったが、意外や楽に歩けた場所との印象を持つ。ただし1700m以上が雪が無かったら、30分以上は超過したコースタイムとなったであろう。開通しての早期のタイミングを狙ったわけであり、その部分では狙い通りだった。今年は雪が多いからこのような結果だが、その年々で様子が変わるだろう。南面や西面は、やや等高線が密なので、北から狙わねばとも思っていたが、結果オーライとなった。

 あとは、湯川谷への林道の制限速度は30キロと出ていたが、みな結構に速い。ここの作業員は歩行者がいてもアクセルを緩める人はほとんど居なかった。幅広の林道だからか・・・。供用での一般人は後発で、作業者が主体だからだろうか。歩く場合は往来が多いので注意したい。







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