サス沢山   950m        惣岳山   1348.5m       御前山    1405m             
 
 鞘口山     1142m       中岩山    1100m           鋸山     1109m  

     
  天地山     981m        九重山(九竜山)     954m                                                                                                                                        
  
                                        

   2017.6.17(土)


  曇り    単独    水根より鋸山まで進み、中岩山と天地山をピストンし、最後に九重山を踏んで戻る    行動時間:10H8M


@水根駐車場4:17→(13M)→A小河内ダム右岸側公園登山口4:30→(111M)→Bサス沢山三角5:21〜23→(2M)→Cサス沢山950m5:25→(59M)→D惣岳山6:24→(18M)→E御前山6:42→(37M)→Fクロノ尾山7:19→(19M)→G鞘口山7:38→(25M)→H大ダワ8:03→(27M)→I中岩山8:30〜32→(23M)→J鋸山8:55→(10M)→K鋸尾根天地山分岐点9:05 →(30M)→L天地山9:35〜41→(38M)→M鋸尾根に戻る10:19→(13M)→N大ダワ帰り10:32→(16M)→O鞘口山東の山道入口10:48→(55M)→P九重山11:43→(63M)→Q氷川漁業(養魚場)12:45→(13M)→R橋詰トンネル(国道に出る)12:58→(6M)→S境の清泉13:04〜06 →(79M)→㉑水根駐車場14:25


 
@水根駐車場からスタート 小河内ダムの交番前を通過。若者が付近でバカ騒ぎをしていた。 堰堤下は雲海でこのような景色に。 A小河内ダム右岸の公園から道標が出る。
       
Bサス沢山三角点ポイント B展望台完成間近 B無残に割られた三角点 B指沢山
   
Cサス沢山 950m峰 ブナの実が沢山落ちていた。今年のもの。 D惣岳山 D惣岳山標柱
       
E御前山 E御前山標柱 E三角点の場所 E三等点
       
御前山避難小屋 明るい内部 F中尾根の頂上であるクロノ尾山 G鞘口山
     
G鞘口山よりの北尾根下降点 H大ダワ 鋸山西側分岐を大岳側へ I中岩山
     
I「オキノ岩」と表記 I行政の標識にもいたずら書きがある。 鋸山南分岐。鋸山へ。 J鋸山の山頂は尾張富士のよう。
     
J鋸山標柱 K天地山への分岐点 1080m K行き止まりの標識がある 1070mの肩に古い境界標が埋まる。
     
1070mの肩には、進む側にテープがある。 伐採事業の表示が2ヵ所で見られる。 天地山西の鞍部から最後の登り 岩場横の最初のロープ場
       
ロープ2本目 ロープ3本目。岩は角が立っているものが多く鋭利。 L天地山 L天地山標識
       
Lヤキソバパン L目立つ白い大岩がある M鋸尾根に戻る 鋸山北側分岐を大ダワ側へ。
       
N大ダワ再び 鋸山避難小屋跡 O鞘口山東の枝道に入って行く。最初は水平道だが、すぐに急登に変わる。 道形を離れた場所。九十九折りが始まる場所で、リボンと、右側の立ち木に巣箱が見える。
   
60番巣箱 尾根側へと導いているリボン 鞘口山の北尾根に乗る。細く道形が続く。 針葉樹の場所で植生が密になり、一部開けた場所から鋸山を望む。
        
密生帯を抜けると、白ペンキのマーキングが続く。 途中の970m峰 970m峰の最高点よりやや北西に江戸小屋山と書かれた標識がかかっている。 970m峰の先で伐採地に出る。
       
栃寄地区が谷向こうに望める。 真新しい伐採地。西に下るならここがいい。 九重山への登り 途中の鞘口山を示す標識。
       
P九重山 P薄れた山名標識 九重山の北側には、伐採して何年も経過している場所が見られる。 九竜山鞘口山と読める標識。
       
奥多摩駅への下降点分岐。少し伝ったが、登り返す。  尾根上の踏み跡がここで消える。  西側の伐採地へと降りてゆく。ここは降りない方が無難。棘で傷だらけになる。 降りてきた斜面
       
途中の木組みの場所。 太い朽ちたロープが流してある場所もある。下側は崖だった。 岩峰と岩壁を左に見ながら降りてきた。(向かって左側を降りてきた) Q氷川漁業のヤマメ養殖場に降り立つ。
       
R橋詰トンネルの場所で国道411に出る。 S境地区の境の清泉に立ち寄り涼を頂く。 旧小河内村側のむかし道へと進んでゆく 中山配水所のところで再び国道に出る。あとは国道歩き。 
       
㉑水根駐車場に戻る      




 梅雨入りしたものの降らない週末で、どこかで豪快に漕ぎたい気持ちがあるのだが、嫌なことに週明けにイベントがあり大勢と接触する予定。これ以上に見苦しい容姿になると拙いと判断し、道のある場所を計画することにした。結局、前週に毛虫に刺された場所は、自分でも気持ち悪く感じるほどにブツブツとなってしまい、リンデロンVGによりやっと鎮静した。ざっと300ヶ所以上は刺されている。痒みに耐え、よく頑張った。

 
 今回は奥多摩湖の南東岸域を歩いてみる。登山道がある場所はいいとして、廃道化している九重山の尾根筋と天地山の尾根筋を伝うと言うのが、計画の中での重きを置いた部分であった。200名山の大岳山が、関東圏で残る最後の300名山となっているが、美味しいものは最後にと、今回は大岳山まで進まずに手前で引き返す予定とした。

 
 1:00家を出る。秩父を経て名栗に向かうと、パトカーに先導された走り屋とすれ違う。青梅に出て国道411に乗るのだが、やや来たことを後悔した。奥多摩のハイシーズンであり、走り屋の往来は多く、さらには珍走団が爆音を伴い深夜に駆けていた。珍走団はコンビニに居たのだろう、食べ散らかしそのまま放置し立ち去った後を店員が片付けている姿も見られた。温かくなった頃の奥多摩は訪れない方がいい。2005年の4月でさえ、三頭山で騒音にそう思ったのに、やはり人間は忘れる動物のようである。このバイカーや走り屋の為か、日中は何台もパトカーが巡回していた。

 
 水根駐車場に3時45分に到着する。駐車場のトイレ前には大型テントが4張り見える。大パーティーがどこかに入山するようだ。その前ではシュラフに包まり寝ている姿が見える。この走り屋の大騒音の中、よくも寝られると思い感心するのだった。5分間隔、いや3分間隔くらいに爆音が行き交っていた。私が過敏すぎるのか、仮眠にならずに深夜便を聞きながら夜明けを待っていた。天気はいいのでハイカーが駐車場を埋めていると思ったが、パーティーのレンタカーと私のものだけであった。ここでの外気温は12℃だった。

 
 4:17ヒルの出てくる時期でもありスパッツを持ち込んでいるが、それより涼しさを優先させザックに入れたまま水根駐車場をスタートする。毛虫に刺された後なのに、まったく懲りていないのは自分でもいかがなものかと思う。夜が明けたのでパーティーも動き出すかと思ったが、そんな様子は一切なく気持ちよく皆寝入っていた。小河内ダムまで上がると、若者、いや馬鹿者の奇声が聞こえてくる。夜通しで騒いでいるのだろう。ガスが上がりせっかくの綺麗な景色が、その声に乱される。堰堤上を右岸へと進んでゆく。

 
 忠霊塔の東側に藤棚を擁した展望公園があり、そこで初めて御前山の道標が現れる。頂上広場への階段を上って行くと、ここには猿の集団がおり、木に登り捕食している姿があった。やや勾配があるが一級路が続く。足を前に出しやすい傾斜で、あまり苦痛なく登って行けていた。木々の間から見下ろせるダム湖がだんだんと下になってゆく。

 
 サス沢山の三角点ポイントに到着する。地形図を見ても山名事典からも、山としては950m高峰がサス沢山である。しかし測量し易いここに点があることにより、公的な山頂のようになっており、新設の展望台も今月末には完成するようであった。三角点は無残にも割られ、等級も判らないようになっていた。石の対角の長さから追うと三等点であろうと予想できる。工事現場なのだが、毎日ここに登って作業するのも大変だろう。トイレは当然・・・ここは詮索してはいけない部分かもしれない。彫刻された立派な標識がかかる。

 
 三角点ポイントから2〜3分ほどでサス沢山の最高点を通過する。三角点の場所と打って変わって山頂らしくない通過点のような場所であった。ここから先で、既にブナの実がたくさん落ちているのを見る。この時期にもう落ちてきているとなると、今年の秋口には獣は麓側にたくさん降りるであろうと予想もできる。この予想が当たるか外れるかは秋以降のニュースで答えが出る。それにしてもこう多いのは異常じゃないのか・・・。

 
 水根を出て2時間ほど歩き惣岳山に到着する。広く適度に木陰があり心地いい印象の場所であった。地形図からは1340mとしか読み取れなかったが、標柱には1348.5mと記され実際が判る。ここからは散策路のような登山道を進む。シカの警戒音が付近から絶え間なく続いている。自意識過剰かもしれないが、私に対してなのだろうと思う。他にこの周辺に対し警戒せねばならないことはないだろうから。

 
 御前山は、意外や展望のない場所だった。過去に「御前山」と呼ばれる高みの多くが展望ピークだった記憶があり、ここもそのような場所だと思って来たが違っていた。三等点はアザミに守られるように埋まっていたが、既に割られた後にアザミが育ったようであった。東へと降りてゆき、分岐からは一度北に進んで避難小屋を見てゆく。小屋の脇には流れがありいい小屋に見えるのだが、水の利用は微妙なよう。小屋の開口は大きく明るい小屋内部であった。分岐まで戻り東へと進んでゆく。

 
 下り勾配から最初の道標が現れるまで、このルートでいいのかと疑心を抱いてしまうような感じがあり、少し掘れ荒れた感じがそう感じさせているように思えた。アップダウンをしながら東進をしてゆく。クロノ尾山も南からの中尾根の頂上であり顕著な高みであるが、残念ながら地形図にも山名事典にもその名は掲載されていない。このピークで屈曲するように進路は北を向いて行く。

 
 鞘口山は通過点のような場所で、行政の標識設置場所がそれを後押ししているように思える。もう少し高い位置に設置すればと思うが、以前は九重山のある尾根にも道が在ったため、分岐道標を兼ねているようであった。北にはハッキリと判る道形が降りている。今日は帰りにここを伝う予定であった。どんな場所なのかと思っており、道形が見えたことにより、少し気持ちが楽になるのだった。大ダワに向け降りてゆく。また登り返さねばならないので、あまり降りない地形の方が嬉しいのだが・・・などと思いながら進むと、途中に北西側に入っている枝道を見る。向かっている方角は鞘口山の北尾根。帰りはここを伝ってみようと思った。

 
 私の持つエアリアにはまだ大ダワの避難小屋が掲載されている。よって在るものと思っていたのだが、だいぶ昔に無くなっている様で、跡地のみが確認できた。大ダワに到着する寸前、舗装路を青いワゴンが通過して行った。道路なので通過する様子が見えていいのだが、車で上がってくればもっと楽ができたとかと軟弱な思考も出てきてしまう。この日は湿度も低く涼しいからいいものの、暑ければよりそう思ったであろう。舗装路を跨いで、下側の道を選んでその先で尾根に乗る。

 
 鋸山の西側分岐から大岳山側へと進んでゆく。この先の中岩山は、1107高点の座標でなく、その西側に位置する高みであり、少しだけ違和感を抱く場所でもあった。鋸山への分岐を経て進んでゆくと、その中岩山の場所には、オキノ岩と書かれた細い標柱が立っていた。行政の標識にもそれがいたずら書きされている。違う山名ではあるが、「岩」表記がかぶっているので山名の系統は似ていると思えた。リボンが下がり、北側の尾根には踏み痕が降りているのが見える。ここにも藪ルートがあるよう。鋸山側へと戻って行く。

 
 鋸山南の分岐から這い上がって行く鋸歯のような場所ではないが、以前は岩肌が見えており、それを鋸に例えたのだろう。鋸山の山頂は、尾張富士の山頂のようで、ゴロゴロとした持ち上げたんじゃないのかと思える石がたくさん見られた。それが為に古墳の上に居るかのような気分になる。ここも展望のないピークだった。北に降りてゆく。

 
 鋸尾根を北に進んでゆくと、1080mの場所に道標があり、その東側にロープがしてある。「行き止まり」と書いた標識も地面に置かれており、現在はルートを塞いでいた。入って行き1070mの所には、古い境界標が埋まっており、判読できない細かい文字が彫られていた。ここには進む側に絶縁テープが巻かれている。やや心許ないルートとなるが、それと判る道が先に続いている。降りてゆく途中には、間伐事業のプレートが2か所で尾根側を向いて立っている。鞍部まで下ったら、その先の岩場にはロープ場が3か所あり、やや険しくなったルートを這い上がって行く。

 
 天地山の山頂には白く大きな山名板がかかっていた。北側にも古い標識が転がっていた。ちょうどこの時、曇天から光が射し夏の天気となった。コンクリート標柱が二つ転がっているのも見える。本日の最遠到達地点であり、ここでヤキソバパンを出す。この山頂の西側には白く目立つ大岩もある。休憩に天地でひっくり返ろうかとも思っていたが、そこまで疲れても居ないので小休止の後、往路を戻って行く。

 
 ロープの場所は岩が鋭利な場所があるので素手で進む場合は注意したい。鞍部の場所は尾根通しでなく、少し南を通過するようにして進まねばならない。登り返してゆくのだが、往路では高度を下げるのが負荷に思っていたものの、復路で伝うと思うほどに嫌な登りでもなかった。鋸尾根に戻るわずか手前で、尾根上を女性の単独行者が通過してゆくのが見えた。驚かせてはいけないしと、やや足踏みするようにして尾根上に戻る。ここまでは順調に来ている。さて最後の九重山に向かう。

 
 鋸山北側分岐から大ダワ側へと進んでゆく。大ダワに戻るとサイクリストが休憩しているところであった。舗装路を跨いでゆく。鞘口山に登り返して行くのだが、一か八かの山腹のルートへと途中から入って行く。しかしこれは・・・。途中まで水平道なのだが、すぐに急こう配の道となり鞘口山側へと登って行く。これだと鞘口山への尾根ルートを進んだのと大差ないような感じであった。山頂直下のあたりから谷を跨いで北側に進み、その先で九十九折になって東側に降りてゆく。ここにリボンがあり尾根側に導いている。あと、野鳥用の巣箱があり60と書かれているので目印となる。リボンを追って15mほど進むと北尾根に乗った形となる。

 
 尾根上には道形が細く続いている。しばらくは広葉樹の中の明るい尾根なのだが、針葉樹が出だすと、それがスイッチだったように鬱蒼となる。それでも道形は続き、追いつつ両手は分けながら進む。途中からは先ほどの鋸山が見える場所もあった。そして密生地帯が終わると、尾根上の杉に白ペンキがされている場所が続く。

 
 970m峰を進むと、最高所からやや北西側の場所に江戸小屋山と書かれた標識がかかっていた。これは天地山にあったものと色違いと思えるものだった。この高みの北側から、尾根の西斜面は真新しい伐採現場となり広くはげ山となっていた。下に降りたい場合はここを下るのが現在のベストかもしれない。まだ九重山に到達していないので、降りられないし先に進まねばならない。谷を挟んでの北西には栃寄地区がよく見えていた。伐採された脇であり、西側の展望が非常によくここからは快適であった。

 
 九重山への登りに入ると、鞘口山と書かれた黄色い道標も残っている。往時のものとなるだろう。そして九重山に到着する。気にしていないと通過してしまいそうな場所で、ここにも黄色い山名標識があり鳥獣保護区の支柱に縛られていた。予定8座を終了。あとは水根まで戻るだけだが、いつも後半にメインデッシュが待っている。まだこの時は楽に構えていた。


 九重山の北側は、だいぶ前の伐採地のようで、やや古い切り株が西側に見え、麓側には植林され2mほどに育った幼木が見える。尾根の途中には判読しづらくなった九竜山と鞘口山併記の道標も残る。そしてこの先、尾根を左にして道形が北東側へ降りてゆく場所には、奥多摩駅と書かれた道標が在った。少し伝って降りてみたが、戻りたい西側に対し、東側に降ろすようで、一度下降点の場所まで登り上げ考える。戻るのに一つでもトンネル通過を減らしたいので、ここは道形を離れ西に下ることにした。

 
 右に降りてゆく道形を見送り、少し尾根を伝ってゆく。少し先まではまだ道形が在ったが、途中野草が茂り、そこで終わっている感じであった。ちょうど伐木されていない杉が残る場所で、最初はその際を西に降りてゆく。西斜面を伝うと、すぐにその現地の様子に怯む。一帯は棘の斜面で、まあ引っかかるは刺さるは、勢い良く下りだしたもののしまったと思った。判っていれば上側の新しい伐採地まで戻ったものの、棘の斜面を登り返すのも面倒なので、薄い場所を探しながら下って行く。植林地だった場所であり、伐採地でもあり、作業道があるかと期待したが、一切なく、シカ道も薄く、ザレた場所がほとんどであった。

 
 かなり右往左往するように西斜面に対し南北に振って降りてゆく。北に寄ると、ガリーの小谷があり、これまた歩き辛かった。北方稜線の池の谷ガリーより歩き辛く感じた場所であった。下の方に行くと木組みの土留めしたような、荷物置き場にしたような場所が現れ、この先は道が在ると踏んだが、北に南に探ってみたが見えてこず、ここは北に進んでみる。不明瞭な尾根を拾いつつ高度を下げてゆく。木に捕まらないと滑落してしまうような急斜面をゆっくりと降りてゆく。

 
 途中かなり朽ちた太いロープが流してある場所が在った。ルートが在ったのか・・・と思ったが、その先は岩壁であった。ロープの途中が土砂に埋もれており、どこに流してあるのか、どこまでの長さがあるのか確認しようと引っ張ってみたが抜けてこなかった。南側には明るい場所が見え、そこは岩壁であった。北を巻いて小さな谷部を降りてゆく。巻き終え草地に出る。そして振り返り見上げると、岩登りのゲレンデのような場所がそこに見えた。ルート取り如何ではかなりヤバかったかもしれない。しかしここで安全圏に入ったと安心できなかった。進む先に養魚場が見え、そのフェンスが南北に施され、容易に林道に降りられる場所ではなかった。養魚場の東には大きなコンクリート構造の樋があり、それに沿うようにして南西側に降りてゆく。最後は沢の中に入り養魚場の南側で林道に乗った。養魚場では水の攪拌作業をしている風景が在った。

 
 林道を下って行く。養魚場の北側から枝林道が北に分岐している。伐採地を下らないで、あのまま尾根を我慢して伝い、680高点側まで進んでから西に下った方が良かったかもしれない。傷だらけになった腕と、カギ割きだらけになったズボンを見ると、奥多摩駅の道標に従ったほうが一番正解とも思えた。それでも、もう降りてしまったのだから、無事に降りられたことを思うと私においての正解路でもある。橋詰トンネルの西に出て、境橋を渡って行く。そして白髪トンネルの東側から境地区へと国道を離れ、その先の境の清泉にて喉を潤す。ここにも単独の女性がおり、集会場脇で休まれていて少々会話を交わす。

 
 むかし道を伝ってゆく。2014年の11月に一度伝っており、むかし道の全容は把握していた。道所地区から中山地区へと進み、大回りするようにして水根地区に戻るのだが、一度学習したので、ここは中山トンネルの上を通過するのではなく、中山トンネルの中を通過することとした。危険が伴うが・・・。その方が登り返しが少ない。白髪神社の所から懐かしい道を辿って行く。観光する団体も多く、たくさんの方とすれ違う。国道から聞こえてくるバイクの排気音がきつい。国道を歩かずに良かったと思うが、歩けるものなら国道の方が楽だろう。各景勝地を楽しみながら進んでゆく。

 
 サクラが植えられたテーブルとベンチの備えられた場所にも単独の女性が居た。奥多摩は女性が一人で歩くのに適しているのか・・・。たまたまこの日が多く目にしただけかもしれない。ダム下のゲートの場所からトンネル側へと舗装路を登って行く。途中のむかし道の分岐は左に眺めながら通過し、トンネルを潜ったら、中山橋を渡り、その左岸側すぐを中山集落内を通るようにして中山配水場前で国道に乗る。さてここからの中山トンネルは400mほどある。マグライトを取り出し微力ながら安全通過のための努力はする。カンカン照りであったら、このトンネル内はドライバーは人が歩いているのなど、目が慣れるまで見えないはず。この日は薄曇りでその点では幾分助かった。

 
 中山トンネルに入って行く。私が通行しているためにバスがすれ違い出来ずに後ろに並ぶ。腕を黒く汚しながらトンネルに壁面に体を寄せてバスに道幅を譲る。そんなことをしながら進んでゆくと、向かい側から登山者が歩いてきてすれ違った。御仁は無灯火で、それも黒い服装であった。男は度胸なのかも。トンネルを出ると滝のり沢のバス停の場所となる。ここは前回に水根地区に大回りするのを端折って降りてきた場所だった。この先から路側帯が全くなくなるので、車の切れるタイミングでカーブに侵入してゆく。ブラインドカーブになっており、トンネルより怖い場所でもあった。

 
 水根駐車場に戻る。わナンバーのレンタカーもまだ置かれており、駐車場は3割くらい埋まった状態であった。帰路、何台もパトカーを見る。何かあったのではなく警らでありたくさんのバイカーに対する安全への促しであろうと見えていた。

 
 振り返る。天地山はまあいいとして、九重山だが、周囲の多方面にゲジゲジマークがあり、狙うに際しどこがいいのかと考えてしまう場所でもある。今回は上から狙ったが、下からだったらどう狙うのがいいか。昔の登路を知っている人ならいいが、知らない人は間違いなく迷うだろう。何も情報がないとして、神戸林道の標高500m付近から取付くかも。調べると慈眼寺の所から道があるようだが、秋以降で伝う方がいいようだ。結局奥多摩は寒い時期がいいのかも。











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