剣刷山(榾山)   950m       京ヶ倉   990m        大城   919.4m  
                                             
                                      

   2017.2.4(土)


  晴れ    単独     村営やまなみ荘を基点に反時計回り   行動時間:3H36M


@やまなみ荘6:35→(32M)→A登山口7:07→(46M)→B稜線下降点7:53→(4M)→C剣刷山7:57〜8:00→(19M)→D京ヶ倉8:19〜22→(13M)→E大城跡8:35〜40→(15M)→F大城8:55→(2M)→Gはぎの尾峠8:57→(28M)→H登山口9:25→(46M)→Iやまなみ荘10:11


   
@村営やまなみ荘からスタート 道標は国道の分岐箇所にはなく、少し登ってから出てくる。 生坂小学校には藁ぶきの小屋がある。 ゲート。フェンス沿いにトレースがあるので、登路なのかと思ってしまった。開閉して通過。
       
A登山口 A林道をさらに進むと新生山と言う高みがあるよう。 おおこば見晴らし台。一帯にはこれら解説板がたくさん見られる。 おおこば見晴らし台から、雲海と北アルプス。
     
氷の上を歩く場所もある。 B稜線(下降点)に到着 C剣刷山 C剣刷岩
       
C剣刷岩の上からの展望。 C「剣刷山」と「榾山」と併記してあった。 下降点再び 巻き道を使わず果敢に馬の背通過。雪があっても危険度は薄い。
       
馬の背から西 馬の背から北西 上生坂区を俯瞰。タコ入道のように丸く犀川がくねっている。 とどの背岩には小動物の爪跡が残っている。
     
タイガーロープが連続する。 岩が温まるのだろうたくさん降らないと雪は付かないよう。 D京ヶ倉山頂 D立派な標石
     
D京ヶ倉から剣刷山側 D京ヶ倉から北アルプス D京ヶ倉から大城側 D鹿島槍の北峰と南峰
     
天狗岩。基部への下りこみは急峻。 急下降 京ヶ倉は南北に馬の背地形を持つ。 北側の展望
     
E大城跡。現地はここを大城としているよう。以北はトレースが無かった。 Eベンチもセットしてある。 E東側の展望 Eヤキソバパンと北ア
       
物見岩 F大城 F割られた三角点 Gはぎの尾峠
       
歩き易い山道 ゲート H東部地区の登山口に降り立つ。 遺跡跡の解説板の前で国道に出る。
       
生坂橋から見る京ヶ倉と大城。 Iやまなみ荘に戻る。 I駐車の様子




 2011年8月、中条山岳会主催での長野市民登山の場所が京ヶ倉・大城の山塊だった。ありがたいお誘いを受けたものの、夏場の暑い時季に登る場所にしては標高が低いと思え恵那山の方へと足を向けた。この時に山塊を事前学習してから早いもので5年半も経過するのだった。

 
 生坂村のWebサイト内に判りやすい周辺地図が掲載されている。温泉ではないようだが麓には浴場施設があり、そこを基点に行動するといい感じに一筆書きになる。雪も乗って少しスリルも増しているだろう。久しぶりに8本爪をザックに入れた。ロープを伝う場所も多いようで、握力と背筋のトレーニングとも考えていた。

 
 1:30家を出る。初めての経路であるが、青木村を通過しての最短路で向かってゆく。三才山有料を通るのが常々のコースであったが、たまには違う道と選んでみる。修那羅峠を越えて麻績に降り、ここまでは順調であったが、差切峡温泉のある県道55号に入ったら、その先で通行止めであった。やむなく国道403で南下してから19号で北に向かう。やはりストレスがなく安心して走れるのは三才山側だったのかもしれない。それでも不通が解除される4月以降なら再度使ってみたいとは思う。

 
 4時を少し回りやまなみ荘に到着する。施設のロビーは明るいが、宿泊者は居ないようで駐車場は閑散としていた。こんな感じなら停めておいても咎められないか・・・と勝手に判断する。仮眠している中で、6時になると村内に音楽が鳴り響いた。起床ラッパに聞こえ行動開始にならねばならないのだが、この日の出足は我ながら渋かった。そう急ぐ場所ではないと言う事があるからかもしれない。しっかり明るくなってから準備開始。

 
 6:35無断駐車の後ろめたさを感じつつやまなみ荘を出発する。国道に出たらすぐに斜上する道に入ってゆく。ここには道標はなく。関屋下バス停から400mほど進んだ分岐の場所から登山口を示す道標が現れた。進路が南進から東進に変わると、左側に生坂小学校が見えてくる。校庭には藁葺きの小屋が建っていて興味を引く。付近は生活道路でもあるようだが、冬季凍った場合のこの勾配は大変だろうと思えた。そのために各所に塩カルが置かれているのが見える。

 
 道標があるので進路が判るが、無かったら迷う場所も見られる。万平地区に入ると旧跡の中を進む。往時は松並木があったようだが、現在は1本しか残っていないと解説に書かれていた。旗塚と言うのもここで初めて目にしたものであった。その先に「石仏群七基」と言う場所があるが、ここに見える編まれた藁屋根は見事で、これが見られただけでも訪れた値があったと思えた。やはり車で通過するより歩きの方が得るものは多いだろう。車で通過だったら気付かなかったかもしれないし、いちいち解説板を読むこともしない。

 
 車道先にフェンスゲートが現れる。ここに道標があるのだが、掛けられた現状でフェンスに沿った方向を指し示している。そのためか、フェンスに沿うようにトレースが続いている。本当に逸れるなら、ここが登山口でなければならないが、その雰囲気がない。ゲートを開閉して先に進む。地場品の施設を左に見て針葉樹のうす暗い中を進んでゆくと、その先が広くなり明るい場所となる。ここが登山口であった。経路の道標がいまいっちょな感じであった(笑)。

 
 登山口には新生山に向けた道標もあり、おそらくはトンネル上部の高みだと思われる。さて山道に入ってゆく。尾根筋に進むのかと思ったら、最初からトラバースしてゆくので、おやっと思いつつ足を乗せてゆく。ここは最初のピークを上手に躱して進む進路なのだった。登山道の左右からいきなりヤマドリが飛び立ちドキッとする。まあ向こうも驚いたので飛び立ったわけでもあり・・・。

 
 おおこば見晴らし台からは開けた景色が楽しめる。ちょうど雲海が広がっており、手前に白、遠く眺めても白い北アルプスがあり見栄えするのであった。この先はやや急峻地形が続きタイガーロープを流してある場所も多い。ハシゴの設置個所も見られるが、素朴な作りのものが多く、立派な解説板が多いのに対し不釣り合いとも思えた。完全にアイスバーンの場所もあり、アイゼンを付けた古いトレースも残っていた。

 
 稜線に到達し、最初は南に振って剣刷山を目指す。手前峰には見慣れない石柱が埋まっており、その先のピークが剣刷山であった。修験の札が縛られ、そこには「剣刷山」「榾山」と並べて書かれていた。山頂は剣にふさわしくない場所だが、さらに南に進むとそれらしい岩場が現れる。ここも展望場であった。踏み跡が散見出来、西へと進むものもあるが岩の上に出て展望を楽しむ為の踏み跡のようであった。

 
 稜線の下降点まで戻り、次の京ヶ倉に向かう。巻道を左に見て馬の背を通過して行く。ここはしっかり幅があり足元が不安な積雪期にしてもそう危ない場所ではなかった。植生が無いので展望尾根であり、ここからの上生坂区の地形が圧巻だった。これほどに綺麗に川が巻くのかと・・・。その奥に見える北アルプスの頂の美しさより、この地形の奇異さの方が感動的に見えた。

 
 とどの背岩には、その岩肌に小動物の爪痕が残っていた。どうしようとしたのか、やや上側にも残るので降りたのか登ったのか、なにせ通過したようであった。露岩が多くなりタイガーロープの設置個所が淫らなほどに現れてくる。それでも、有ってありがたいロープで間違いない。しっかり掴んで登ってゆく。

 
 京ヶ岳到着。三角点の代わりになる、立派な、高価そうな標石が立っていた。展望は先ほどの馬の背側が良かったのでやや見劣りするが、それでも展望のいい部類の山頂であろう。先ほどの剣刷山も見えるし、これから向かう大城も望めていた。市民登山の登山者をこの広さで収容できたのかと、混み合う山頂を想像したりもした。北へは急下降で足元に注意しながら踵を差し込みながら降りてゆく。

 
 天狗岩の奇岩は、確かに天狗様の表情にも見える。とどの背岩もトドに見えたし、なかなかネーミングが合致していると思えた。タイガーロープに掴まりながら急下降してゆくと、北側にもまた馬の背のような地形があり展望のいい場所があった。ずっと展望が良くても値が半減してしまうが、ここほどにちらちらと観させてくれると、登る苦痛を忘れさせてくれる快適なルーと構成であった。

 
 大城跡となる980mの高みには、こちらが「大城」と思わせるようにベンチなども設置してあった。生坂村の地図でもこちらを大城としている。三角点ポイントより標高は高く、ましてや顕著なピークであり、私もこれには賛同する。よってここでヤキソバパンを出す。これまでは北アのある西側が開けた場所が多かったが、ここは東側を魅せる場所であった。


 北に進むのだが、京ヶ倉からのピストンが多いのか、北進しているトレースはこの先には無くなった。獣の足跡を追うようにして雪を踏んで進む。「安曇野展望」と書かれた場所から見るのだが、私の中では安曇野とは平らに広がる地形を思っているのだが、ここからは安曇野の山を指しているようであった。その先、物見岩を見た瞬間、なにか懐かしさを感じた。小布施の雁田山の北にある姥岩のある場所の雰囲気に似ていたのだった。解説を読みながら巻き込んで降りてゆく。


 そして三角点に到着する。あちこちが割られた標柱で等級がはっきりと読めなかった。そこはきちんと解説板に書いてあり、三等点との事であった。ここに「大城」の表記は無い。以前はここも開けた場所だったのだろうが、大木が展望を遮る場所となっていた。北に進んでゆくのだが、この時はまだ眠り峠に行くつもりでいた。


 はぎの尾峠に到着する。たくさんの掲示があり、その中にある解説板を読むと、この峠は東にある入山地区の小中学生が通学路として生坂地区に通った場所との事であった。毎日、雨の日も雪の日もこの標高を越えて通ったのかと、小学校の場所と中学校の場所を確かめたりした。登山と言いながらレジャーで歩いているこの場所を、義務として児童生徒は毎日もっと歩いていたわけである。これはその一部でも伝ってどんなところを通っていたのか体験したくなった。下生坂区の東部地区へと降りてゆく。


 峠道らしく掘られた九十九折が続く。伝いやすい勾配でつま先が痛くなるような場所ではなかった。ただし倒木などは多くルート上が荒れている場所も目立つ。京ヶ倉側は管理しているが、こちらには行政も手が回らないのかもしれない。途中には、こちらにも物見岩があった。小中学生はどんな思いで歩いたのか、体育の時間など入山地区の子供らには不要だったのではないか、そんな事まで思って歩いていた。


 国道の音が強くなり、雪も見えなくなり落ち葉の中を進むと、進路の先にゲートが現れ、開閉して進むと登山口が現れた。その前には地蔵尊があった。西に進む道は雪が乗り、北に進む道を選んだ方が良さそうであったが、それでも最短路を行く。途中、社がある場所で道は北進しだす。ちょっと社を拝もうと西に降りると、そこから西にさらに道は降りていた。農作業道のような道を伝ってゆくと民家脇を通過し、「八幡原遺跡」の解説板前で国道に出た。歩く場合のショートカット道を伝えたようだった。


 19号の速い流れを横目にしながら歩道を歩いてゆく。歩道が無かったら怖い場所で、大月市の20号みたいな感じとなろう場所であった。そして速い流れを避けるように、森林公園入口交差点から昭津橋で犀川を渡ってゆく。左岸側は静かな山村で進路選択は正解であった。水面を泳ぐ水鳥を見下ろしながら、そして各所にある解説板の場所を見ながらこの地を楽しみながら歩いてゆく。


 おやきの有名店である勝家商店では、大きな囲炉裏に向かって作業している風景があった。前を通過する私と目が合い、おそらくは客が来たのかと思ったのだろう。頭を下げつつ通過してゆく。一つ気づいたのは、この集落には防水槽が多いこと。昔からの火事に対する自衛手段なのだろう。各家に一つくらいありそうであった。


 生坂橋を渡って進む。邪魔するものが無いので生坂山脈が綺麗に見える場所であった。天気にも眺望にも恵まれ、里山を十二分に楽しんでやまなみ荘に戻る。無断で置いておいたので、先に挨拶をとロビーに入ると、咎められることなく「お風呂入れますよ」と言われる。山村の温かさを感じるのだった。






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