清水街道(檜倉沢まで)    
                                             
                                      

   2017.4.22(土)


  雨のち曇り 時々雨       単独     清水地区除雪終点地より      行動時間:5H37M


@除雪終点地3:22→(102M)→A東屋沢840m地点5:04→(8M)→B東屋沢渡渉点5:12〜20→(62M)→C檜倉沢6:22〜54→(47M)→D東屋沢帰り7:41〜46→(73M)→E除雪終点地8:59


   
@清水地区除雪終点地から雨の中スタート。 Aルートミスをして東屋沢の840m地点まで上がってしまう。道形があり、対岸にも道形が見えていた。廃道のよう。 渡渉点の40mほど上流にはブリッジが在ったが使えなそう。 B東屋沢と登川の出合(渡渉点)。
       
B白濁した2か所で流れが強くなっていた。 B鎮爺式を用いてみる 渡渉点の先 この場所を最初に雪崩個所が続く。
     
大きなブロック雪崩を乗り越えてゆく。 1.6mほどの起立した雪崩痕 檜倉沢の入口の鉄塔に到着。 C道形の先が大きく割れていて降りられず、上流側に登ったり下流側に下がったり・・・。
       
C道形の先に見える大量の雪崩。 C藪の中に歩道幅の道形が見える。薮化している。 C檜倉沢と登川の出合は雪に埋もれていた。 降りられなかった場所は登りなら何とか這い上がれた。雪の下は2mほどの空洞になっている。
       
風紋と融雪紋の合作とでも言おうか。素晴らしい。 D東屋沢渡渉点帰り D振り返ると濃いガスが垂れ込めていた。 伝ってきた押し出しの場所。こんな場所の連続だった。
     
登川には釣り師が見えた。 ザックの色からして玄人だろう。 トラバースが続く E除雪終点地に戻る。




 そろそろ狙う頃合いと思い、腰痛も癒えない中で狙ってみることにした。予報は曇り。晴れているよりは行動しやすく、雪も腐りづらいだろうと曇天を好機とも判断した。八木沢ダムの下、須田貝ダムからの通行規制が今のようになってからは、東から攻めるには時間と日数の制約が必要になる。もう西から攻めるのが正攻法になりつつあるようだ。

 

 高速に乗る前にセブンに寄るもヤキソバパンがない。塩沢石打で降りると戻る格好になるからと、湯沢で降りて国道沿いのセブンに寄るもない。塩沢石内インターへの分岐点にあるローソンに寄ってもなかった。ヤキソバパンを取り上げた番組をやったようで国内でヤキソバパンの取り合いが起きているのだと思うことにした。前回同様にテーブルマークの湯気を見ながら291号に乗って行く。除雪終点地の清水地区の分岐点に到着すると、以前もどこかで出会っている熊谷ナンバーのハイエースが既に置かれていた。

 

 すぐにスタートするつもりでいたのだが、生憎の雨で少し停滞と仮眠する。しかし30分ほど待ったものの止む様子がなく業を煮やし準備を始める。雨は降らない予報ではなく降る予報であったので降ってもらっていいのだが、ちょっと長い。これが山の天気と平地の天気の差だろうとも、本音を知っているのだが、それを隠そうとしている自分が居る。雨具を着込み、冬季のフル装備を持つ。さてどうなるか・・・。

 

 ヘッドライトを頼りに舗装路から雪面にと乗って行く。林道の場所は判らないが、コンクリートポールを追ってしばらく行くと、通行禁止の反射眩い看板が現れ在り処が判る。スノーシューを履きたいような雪の状態であったが、東屋沢までの我慢とツボ足で進んでゆく。最初の30分くらいは良かったが、以降で苦行が待っていた。林道は山手側からの雪の押し出しにより各所で傾斜が強くなっており、ずっとトラバースしてゆかねばならないような状況であった。今シーズンは雪が多いのか、少し入山が早すぎたか・・・なんて思うのだが、現実がそうであり自然相手の事であり文句を言う場面でもない。アイゼンを着けたいような場所も多く、東屋沢渡渉点までの我慢と、ステップを切りながら慎重に進んでゆく。登川の瀬音が、もっと強かったらすぐに装着していたかもしれない。

 

 733高点の南で地形の傾斜が緩み一帯が広くなっている。ここで林道の場所が判らずに針葉樹の中を東に進んでいった。ここは少し川側へ進むべきだったのを損じてしまっていた。進んでゆくと東屋沢が眼下に見下ろせるような場所となり、その右岸のブナに赤ペンキがいくつかマークされていた。そして雪解けの場所には道形が見えた。これにより林道に戻ったと思い込み、赤ペンキの打たれていた右岸を登って行く。対岸には道形が横切っているのが見える。あそこと繫げれば進路は間違っていない。でもしかしSK氏鎮爺氏が渡渉したような場所ではない。道形はあったものの、よくよく地形図を見ればだいぶ下流に渡渉点はある。間違いに気づき右岸側をまっすぐに降りてゆく。

 

 渡渉点の僅か上流側に微妙なスノーブリッジがあったのだが、ヤバそうで無理をせず渡渉点まで降りる。そこで鎮爺式渡渉で45リッターのゴミ袋を履いて渡って行く。流れが強く袋の抵抗が嵩み流れに掬われそうであった。川底の石が鋭利なのかすぐに浸水してきていた。選ぶビニールも強いものでないとだめだったようだ。濡れながらも対岸へ渡りきり、穴の開いたビニール袋は帰りのために立ち木に結わえておいた。

 

 グリップ強化と沈み込み低減のためにスノーシューを履く。既にここまでで2時間近く経過している。鎮爺氏が1.5時間、SK氏に至っては1時間で通過しているところを2時間とは、歩きながらも遅々として思うように進めていないのが判っていた。上がるはずの雨は時折降っていた。それよりひどいガスが垂れ込めようで、上でのホワイトアウト状態が想像できた。それが為の重い足取りってこともある。

 

 スノーシューを履いたから快適とはならず、トラバースの連続で足首を川側へ曲げた状態で苦痛がずっと続くのだった。そしてブロック雪崩の場所が多くなってくる。斜面側を見上げるようにして落ちそうな場所は足早に抜けてゆく。塊の上を乗り越えるのも、ほとんど障害物競走そのものであった。国道の場所であり、もう少しまともに歩けるのかと思ったが、豪雪地帯の本気がここで見られるのであった。

 

2時間ほどで到着すると思っていた檜倉沢の鉄塔前に立ったのは、3時間も経過したころであった。東屋沢通過時に予想できた旅程であり時間はいいとして、そこから見下ろせる檜倉沢の様子に行く手を阻まれた形となった。川面に降りるには、ピッケルとアイゼンの世界で、MSRの鋸歯付きのスノーシューでも降りられそうもない急斜面で、右岸を少し登っても状況は変わらず、鉄塔から下側に振ってみても駄目だった。上側に行ったらそこは雪崩の巣のようになっており、見上げると落ちた生き残りが順番待ちのような表情で上で待っていた。そして檜倉沢の堰堤群の上部、現在地の929高点から続く実線路の先に見えるのは、大量のブロック雪崩の絵であった。ブロックの一つ一つが1tほどあるような大きさで、来るなとばかりにブロックしているように見えた。

 

左岸に見える鉄塔の場所も濃いガスに包まれ、タイミングがいいのか悪いのか、雨も強く降りだしてきた。止めようか・・・。それでも一応は檜倉沢まで降りてみよう。雪面を伝うのは危なそうなので、笹に捕まりながら藪の中を降りると、旧道なのか歩道なのか藪化した道形が見られた。わずかに伝って、最後の傾斜はバックステップで降りてゆく。

 

今日は檜倉沢まで。体調が万全なら少々のリスクは抱え込めるが、腰痛持ちの頸椎痛持ちの状態では、以前ほどに無理はできないのは自分が一番判っている。この分だと、檜倉山の山頂部は雪に覆われ通過しやすくなっているだろう。そのことはプラスに思えたが、濡らされ暗い中を淡々と歩いてゆくのを想像できる。それはいいとしても、国境から1575高点側への進路どりを誤ったら面倒くさいことにもなる。中止にする言い訳としての天候の悪さは充分であった。ブナの太い枝の下で雨宿りするようにして檜倉沢と対岸の尾根を見る。撤退を決めたものの、燻っている燠がまだ消えきれないでいるような状態でもあった。

 

二度三度と振り返りながら929高点側へ登り返してゆく。わずか登り返すだけでも一苦労ではあった。足跡を辿りながら戻って行く。あの調子で登って行っても到達には往路で10時間ほどかかるだろう。林道歩きでここまで疲れたのではワンデイなど無理で、もっと舗装路の上を歩け準備体操くらいな感じで檜倉沢まで到達せねばならないだろう。今年においてはまだタイミングが早かった。一週も違えれば大きく違うのだろうけど・・・。

 東屋沢をデポしておいたゴミ袋を履いて渡る。軽いものなので厚手のものを探すより何重かにして使うのでもいいだろう。往路に間違えた場所もよく判り、ここではあえて戻らずに川床の雪を伝ってゆく。流れが出ているところも多く、渡渉回数の多さが春を感じさせてくれる。林道を伝わなかったのは戻ってもトラバースの連続なので、それを少しでも避けるためでもあった。とは言ってもいつか戻らねばならない。途中で谷部を登り上げ、往路のトレースに出合う。

 斜度の強い場所は、往路でステップを切っておいたのが安全行動に繋がっていた。おかげで歩行スピードも大きく違っていた。トラバースの途中、登川を見下ろすと釣師が糸を垂れている姿が見えた。柄沢橋から1km以上もある場所、雪の上を歩いて遡上してきたようだった。少し薄日が差してくる。行けばよかったか・・・。

 除雪終点地に到着する。巻機山側へ行っている人の車が並ぶ。着替え山中で食べる予定だったパンを齧っていると、熊谷ナンバーのスキーヤーが降りてきた。声をかけると、悪天で途中までで滑り降りてきたとの事であった。私の行動を聞かれたので答えると、「林道は雪崩が凄かったでしょ」と言う。頻繁にここに入山する人は良く知っているようであった。周囲は深く濃いガスが垂れ込め風雨が強くなっていた。止めてよかった・・・。この頃に到着するスキーヤーも多く、行動を悩んでいる様子があった。

 振り返る。雪の様子が全てではあるが、スキー板を履いたならば疲労度も行動スピードも違い、この日でももっと進軍できただろう。悪天での判断は別として。スキーじゃない場合はもう少し融けないと負荷が大きいし、雪崩の様子からももう少し落ちてからの方が安全であった。とは言っても不甲斐ない。天気や雪や体調のせいにはしたくないのだが・・・。

 




 

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